君が代 古今和歌集 御伽草子 惟喬親王
           近江のむかし話 岡神社 など


                     さ ざ れ 石
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1.はじめに   子供の頃に歌った「君が代」には、「さざれ石」が登場してきます。  この「さざれ石」がどういうものなのかは、深く考えることもなく歌ってい  ました。多分、小学校で「さざれ石」についての説明を受けていたのでしょ  うが、全く記憶に残っていません。その後、改めて確認することもなく、恥  ずかしながら、つい最近まで、「さざれ石」のことを知りませんでした。   この夏、知人の美人女性Uさんから短歌の月刊誌を頂戴しました。  この月刊誌に掲載されたUさんの短歌は、「さざれ石」を詠んだものでした。  そこでUさんに訊ねてみると、「さざれ石」は滋賀県や京都で見ることがで  きるばかりか、なんと、滋賀県が「さざれ石」の本場であるとのことでした。     そこで、滋賀県の「さざれ石」を探ってみました。   2.岡神社の「さざれ石」  関が原と長浜を結ぶ国道385号線沿いに、岡神社があります。  伊吹山が間近に見える位置です。この岡神社の宝物は「さざれ石」だという  ことです。 20070928sazareishi (1).jpg ←岡神社付近から見た伊吹山   ↓神社の横で咲き乱れていた彼岸花  20070928sazareishi (2).jpg 20070928sazareishi (3).jpg ←国道脇に建っている鳥居   ↓正面に見える拝殿  20070928sazareishi (4).jpg   拝殿前の左横まで進むと、注連縄をかけた石がふたつ見えました。 20070928sazareishi (5).jpg  手前の大きな石は拝殿横、小さな奥の 石は本殿横にあります。 どちらにも説明用の表示は見当たりませ ん。 ←鎮座しているふたつの石 20070928sazareishi (6).jpg  本殿の近くにある方が“宝物”だろう と見当をつけました。 ←さざれ石(正面)     ↓(右側面)  20070928sazareishi (7).jpg 20070928sazareishi (8).jpg ←さざれ石(左側面)     ↓(部分拡大)    20070928sazareishi (9).jpg   近寄ってみると、沢山の小さな石が集合しています。  コンクリートで砂利が固められているような感じです。小石自体はそのまま  の形状を残しています。   たしかに、このような状態でひとつの塊となって、さらに苔がむすまでに  は長い年月が要ることでしょう。物質自体の価値は、宝物と称するには疑わ  しいものだ、などと不遜な考えにとらわれましたが、「君が代」を導き出し  たという点では尊重すべきものなのでしょう。   この岡神社のもうひとつの宝物は、大きな隕石だそうです。  残念ながら、私が訪問したときは社務所が不在だったので、拝見できません  でした。  3.古典に登場する「さざれ石」   今回は少し文章が多くなりますが、古典を引用してみます。     まず、古今和歌集を繰ってみます。  古今和歌集の巻第七賀歌には、次の歌が収められています。    題しらず 読人しらず   わが君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで  「君が代」の歌詞は、古今和歌集に収められているこの歌を引用したものだ  とされているようです。   次に、御伽草子には「さざれ石」と題する話が収められています。  成務天皇の三十八人目(の子供)は、「姫君にて..数も知らぬほどの皇子  たちの御末なればとて、その御名をさざれ石の宮とぞ申しける。」とありま  す。(「さざれ」とは、「小さい、細かい」という意だそうです) 20070929otogizoushi.jpg  さざれ石の宮は信仰に厚く、 ある時、天からの使いが差し出 した壷には、次の歌が記されて いました。  君が代は千代に八千代に   さざれ石の巌となりて        苔のむすまで   ↑御伽草子の挿絵(参考図書1より)   ふたつの歌はほとんど同じですが、御伽草子の歌は現在の国歌「君が代」  そのものです。御伽草子は、古来からの言い伝えが、室町時代あたりから編  纂されたようですが、「さざれ石」の時代背景はずっと遡っているようです。  (この物語に登場する成務天皇の在位は2世紀とされています)    紀貫之らに古今和歌集編纂の命が下ったのは、延喜5年(905年)だ  そうです。そこに収録された「わが君は.. (読人しらず)」の歌が詠ま  れた時期は不明ですが、ずっと時代を遡ったものに違いありません。 4.近江の民話で伝えられる「さざれ石」     「さざれ石」の本場、という近江の民話を調べてみました。  「伊吹町の民話」と「近江むかし話」は、地元の人からの聞き書きをまとめ  たものですが、ほぼ次のような内容のむかし話が収められています。   「..殊原左衛門という男が、伊吹山系の川できれいなさざれ石を見つけ、    歌を詠みました。それは、     わが君は千代に八千代に さざれ石のいわをとなりてこけのむすまで    というもので、この一首を添えてさざれ石を朝廷に献上しました。    都では、この石のことが評判になり、左衛門は褒美をもらい、石位左衛    門と名乗るようになったそうです。国歌の「君が代」はこの歌がもとに    なりました。」   ちなみに、左衛門は木地師だったそうです。  ろくろを回して碗などを作る木地の技術は、文徳天皇の息子惟喬親王が発明  したそうです。惟喬(これたか)親王(844−897年)は、第一皇子で  ありながら皇位を継承できなかった不運の皇子で、若くして永源寺町の山峡  に隠棲しました。永源寺町(現東近江市)は、木地師発祥の地とされていま  す。 5.おわりに   「さざれ石」とは、小さな石の集まりが炭酸カルシウムや水酸化鉄などに  よって埋められ、ひとつの大きな石の塊に変化したものだそうです。  石灰岩が雨水で溶解し、小石がコンクリート状に凝結したもののようです。   私は子供の頃、何度も「君が代」を歌いましたが、「さざれ石」という言  葉が頭の中に定着していませんでした。  そのひとつの理由は、君が代を歌うとき、    ・・・千代に八千代にさざれ(ここで息をついで)    石の巌となりて・・・  のように、「さざれ」と「石」の間に息つぎが入るため、「さざれ石」の語  がすっと頭に残らなかったためかも知れません。     「さざれ石」を産出する伊吹山は、かつて海水中の炭酸カルシュウムが沈  殿してできた石灰岩が隆起したものだそうです。  伊吹山は滋賀県と岐阜県の境にあります。岡神社から見て伊吹山の裏側の麓  の岐阜県側には、「さざれ石公園」があります。   「さざれ石」は、京都の勧修寺や靖国神社などにも飾られているそうです。 6.参考図書    1.御伽草子集  (日本古典文学全集36) 小学館             昭和49年9月30日初版    2.古今和歌集  (ワイド版岩波文庫49) 岩波書店             1991年6月26日発行    3.伊吹町の民話 伊吹山麓口承文芸学術調査団編集             昭和58年6月30日発行    4.近江むかし話 滋賀県老人クラブ連合会編集             昭和43年9月15日発行                   (散策:2007年09月28日)                   (脱稿:2007年09月30日) ------------------------------------------------------------------
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