1.はじめに
野洲市には磨崖仏が残されています。
JR野洲駅から歩いても行ける近距離にあります。

国道8号線に近い野洲中学校
の背後には低い山が連なってお
り、学校に向って左右の2箇所
に、福林寺跡磨崖仏(A)と妙
光寺山磨崖仏(B)があります。
駅から野洲中までは約1.5
キロ、徒歩約20分で、歩くと
きは裏道がありますが、左図で
は割愛しています。
↓国道8号線から見た野洲中学校
2.福林寺跡磨崖仏
まずは福林寺跡磨崖仏(ふくりんじあとまがいぶつ)を訪ねてみましょう。
国道8号線の交差点から100メートルほど進むと野洲中学校の正門があり
ます。学校に向って左側の道路です。学校を右に見ながら少し坂道を登ると
行き止まりに駐車場があります。ここで車を下り、駐車場の山手側の一段高
い位置にある道路へ上がります。
道路は野洲中の裏側に伸びており、校舎と平行しています。
山側に道路と平行して小さな川があり、磨崖仏はこの川を渡った先にありま
す。
←野洲中の裏に伸びている道路
(福林寺跡磨崖仏へは左折
妙光寺山磨崖仏へは直進)
↓磨崖仏まで90メートルの表示
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駐車場から道路へ出るときと道路から橋を渡るときは、柵をすり抜けなけ
ればなりません。この柵は、猪の散歩をお断りするためのもので、人間は手
を使って自由に開閉できます。橋を渡って100メートルほど進めば、磨崖
仏に対面できます。ここまではハイヒールでも楽に歩けるでしょう。
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緩やかな斜面の雑木林の中に、仏様が静か
に佇んでいました。
大きな石に観音菩薩一体と如来像二体が刻ま
れています。
↓端正な観音菩薩
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この磨崖仏は室町時代初期(14世紀)の作だそうです。
一番美しい観音菩薩の周りにはタガネの跡が残っています。割り取ろうとし
て手を加えた跡です。
←痛々しいタガネの跡
↓
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大きな石に刻まれた磨崖仏は他にもあります。
およそ40メートル離れた所に、地蔵菩薩の刻まれた大きな石がありました。
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石の三面に地蔵菩薩が刻まれています。
この石の一部は、割り取られたのかも
知れません。
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磨崖仏は他にもあります。
小さな石仏も多数あります。
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「史跡福林寺址」の碑が建っています。
その奥にある割られた大きな石にも、い
くつかの仏像が刻まれていたのでしょう。
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明治から大正にかけて、ここから沢山の仏像が持ち去られ、その多くは大
阪や堺の富豪の庭に置かれたそうです。
福林寺は、天武天皇の時代(7世紀末)に建立されたそうです。いつ消失
したのかは不明ですが、およそ500年前までは存在していたことが明らか
なようです。
現在の野洲中学校は、かつての福林寺の境内に建っているようです。
3.妙光寺山磨崖仏
妙光寺山磨崖仏(みょうこうじさんまがいぶつ)は、妙光寺山の山腹にあ
ります。妙光寺山は、近江富士と呼ばれる三上山に連なっています。
福林寺跡磨崖仏からは1キロほど離れています。
まずは野洲中学の裏の道を歩きます。
この道は校舎の2階位の位置にあります。500メートルほど川沿いに歩き、
交差する道路を右折して200メートルほど歩くと、磨崖仏への入り口があ
ります。
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ここの入り口にも開閉自由の柵が設け
られています。
ここから磨崖仏まで400メートルです。
こちらの磨崖仏は山の中腹にあるため、
山道を登らなければなりません。
←磨崖仏入り口
山道は狭いので、一人ずつしか歩けません。
この斜面は山の北側にあるので湿気が多く、道の脇には羊歯(しだ)が茂っ
ています。
←羊歯の多い登り道
↓掘り返された跡
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このあたり一帯の山には、隣接する三上山(近江富士)も含めて、猪が生
息しています。一人で黙々と登っていたら、猪は逃げずに道を歩いてくるか
も知れません。狭い急な道を猪が上から駆け下りてきたら大変です。
200メートル位歩くと、道路に掘り返された跡がありました。猪がミミズ
を探して掘った跡に違いありません。
と、そのとき、上の方で動物のうめき声が聞こえたと思う間もなく、大
きな猪が道の急斜面を駆け下りてきました。私は急いで木の陰に身を寄
せようとしましたが、足を滑らせて倒れてしまいました。突進してきた
猪の牙が私のわき腹に突き刺さりました..
というような事故が起きることもあり得ると思い、猪の写真を撮りながら避
けるにはどう動いたらよいか、思いを巡らしながら登りました。
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さらに少し登ると道が平坦になり、岩
屋がありました。
入り口からここまで、高さにして100
メートル位は登ったでしょうか。
野洲の平野部を見下ろすことができます。
←岩屋
←斜面に生い茂っている羊歯
↓木の間から見る平野部
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岩屋から平坦な道を100メートル位進むと、
頭上に磨崖仏が見えました。
大きな石の一部に、畳1枚余りのくぼみが作ら
れ、地藏菩薩が彫られています。
お地藏様は北東を向いています。
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石全体は黒ずんでいますが、地蔵菩薩が彫られている部分は白っぽくなっ
ています。多分、地元の人が拭き清めているのだろうと思います。
地蔵菩薩は蓮華台に立ち、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。
写真からはよく分かりませんが、履(くつ)をはいています。
下から見上げたときの疑問は、何故か全体がやや左に傾いていることです。
また、蓮華台のある下の彫り込み部は、水平でなく、左下がりになっていま
す。なぜこのように不安定な形状になっているのでしょうか。
後日、資料を読んだところ、この磨崖仏は「書込み地蔵」とよばれている
そうです。「元亨(げんこう)四年甲子(きのえね)七月十日 大願主経貞」
という銘が、仏像には珍しく、彫られているそうなのです。
そこで、写真を拡大して見たところ、菩薩像の(向って)右側と左側に銘
が刻まれていることが分かりました。
大願主経貞の銘(左側) 元亨四年甲子七月十日の銘(右側)
↓ ↓
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元亨(げんこう)四年(1324年)は、後醍醐天皇の御代で、地蔵信仰
の盛んな物情騒然たる時代だったそうです。
妙光寺山磨崖仏は、およそ700年にわたり、東方を見つめてきたのです。
4.おわりに
野洲に磨崖仏が在す、ということは大分前から聞いていました。
ふとしたきっかけで急に思い立ち、ようやく対面を果たすことができました。
我が家から磨崖仏近くの野洲中学校までは、約1.2キロという至近距離
です。立派な史蹟が身近な所に残されていることを実感しました。
関連記事:1.
三上山縁起
2.
狛坂磨崖仏
(散策:2008年1月18日)
(脱稿:2008年1月31日)
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