1.はじめに 野洲市に御上神社(みかみじんじゃ)という古い神社があります。 ここでは毎年ずいき祭が行われています。ずいき(芋の茎)で作った神輿を 御上神社に奉納する祭です。 京都の北野天満宮でもずいき祭が行われています。 ふたつのずいき祭を見学しましたので、先ずは御上神社、次に北野天満宮 のずいき祭をご紹介します。 2.御上神社 御上神社は近江富士(三上山)の麓にあります。 大津方面から近江八幡方面に向かって国 道8号線を走るとき、野洲川を渡ると一つ 目の信号の左前方です。 健脚の人なら野洲駅から徒歩40分位か と思います。 御上神社Aと三上山Cとの間には、昭和 の悠紀斉田Bがあり、毎年お田植祭が行わ れます。 近くには天保一揆の義民碑Dもあります。 ←御上神社付近の地図 ずいき祭は御上神社周辺の地区の人たちによって実行されています。 御上神社の祭神は天之御影神(あまのみかげのかみ:天照大御神の孫)だ そうです。近くの三上山を神体山としています。 三上山は標高432メートルで、全山青々と茂る赤松に覆われており、近 江富士、御上山、百足山などと称されてきました。 ←三上山を背にした御上神社の森 ↓鳥居(北側の入り口) 国道8号線沿いの駐車場脇の鳥居から入ることもできますが、元々の入り 口は北側の鳥居でした。 北側の鳥居を潜って左回りの参道を進むと二つ目の鳥居があります。 ←左回りの参道 ↓二つ目の鳥居 二つ目の鳥居を潜って直進し、突き当りを左折すると、正面に楼門があり ます。 ←楼門 ↓ 楼門を潜ると、拝殿と本殿が見えます。本殿も拝殿も入母屋造です。 ←拝殿 ↓本殿 本殿の向かって左に摂社の若宮神社があります。 ずいき祭は若宮神社の祭りです。(摂社:祭神と縁故の深い神を祀る神社) ↑若宮神社(本殿に向かって左) ↑御上神社本殿 御上神社の由緒としては、考霊天皇6年(紀元前284年)に祭神の天之 御影神(天照大御神の孫)が三上山に降臨されたので三上山が神体山として 祀られ、元正天皇養老2年(718年)に現在地に本宮が造営された由です。 本殿は鎌倉時代に建立されたようです。 本殿は国宝、国指定の重要文化財としては若宮神社、楼門、その他があり、 県指定の重要文化財として相撲人形などがあります。 ←古い神輿 ↓木造の相撲人形 かつて御上神社は神仏習合で栄えたようです。 写真を割愛しましたが、本殿の柱を受ける束石(礎石)に蓮の花のような模 様が刻まれている、こともそのなごりのひとつです。 およそ20年位前に、神社保有の品の中から大変美しい「絹本着色曼荼羅」 2幅(胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅)が見つかりました。 氏子さんたちが千数百万円もの費用を負担して修復したそうです。 ←金剛界曼荼羅 ↓大日如来(曼荼羅の一部) 3.御上神社のずいき祭 御上神社のずいき祭は、現在は10月の第2日曜日に行われています。 ずいき祭は神輿を奉納するだけでなく、その前後にも行事があります。 ・(5日前)甘酒神事 御上神社に酒、甘酒、めずし、青菜漬などを献 饌(=おそなえ)する ・(3日前)湯立て式 神社の宮水で湯を沸かし、頭人(とうにん:祭 の責任者)の屋敷を神職が清める ・(2日前)ずいき刈り 芋茎を刈り取って神輿作りの準備をする ・(1日前)お菓子盛り ずいき神輿を作る ・(1日前)頭渡し 翌年の頭人を確認する (夜無言で行う) ・(当日) ずいき祭 5基の神輿を拝殿に据えて祭儀を行う ・(当日) 芝原式 楼門前で夜行う祭儀 本稿では、ずいき神輿作り以降の行事の一部をご紹介します。 ところで、ずいき祭とは一連の行事全体を指している、と一般には受け止め られているかも知れません。厳密には、ずいき神輿を奉納する儀式がずいき 祭であって、ずいき祭を含む神事全体の正式名称は「若宮殿相撲御神事」と 言うのだそうです。 4.神輿作り ずいき神輿の製作現場を見学させていただきました。 ずいきの栽培(400株位)、神輿作りに必要な用具・材料の準備などは、 祭の当番である頭人(とうにん)が手配するそうです。神輿作りはもともと は頭人宅で行われましたが、最近は集会所が使われているようです。 ←集会所 ↓完成近い神輿 作り方をごくかいつまんで言えば、 ・竹で型を作り⇒・ずいきの胴(四方の側壁)を取り付け⇒・ずいきの屋根 を付け⇒・飾り棚を付け⇒・飾り付けをする という要領です。 ずいきは竹串で一体化され、竹型には細いツルで結わえ付けられます。 ←お祝いに駆け付けた人 (祝いの歌を三味線に合わせて) ↓別の集会所での神輿作り 5.ずいき祭 三上地区では宮座という祭祀組織があります。 5つの宮座(長之家、東上座、東下座、西上座、西下座)には公文(くもん) という世話役がおり、その年度の祭の当番である頭人(とうにん)、次年度 の介頭(すけとう)などの役が決められるようです。各座の頭人から神輿が (計5基)奉納されます。 この宮座の制度は、天文10年(1541年)以前から今日まで維持され ていることが記録(三上若宮殿相撲神事帳)で確認されているそうです。 平成17年(2005年)2月21日に、宮座によるずいき祭が国の重要 無形民俗文化財に指定されています。 ←参道から運ばれる神輿 ↓ 朝10時頃、各座の神輿が奉納されます。 神輿は紋服の稚児を先頭に参道を通って運ばれ、5基の神輿が楼門前に勢揃 いしました。 ←楼門前に集合 ↓(屋根の上に榊と御幣、鶏頭) その後神輿が拝殿に運び込まれ、神職と、頭人と思しき人が入場しました。 ←楼門を入る神職 ↓楼門を入った先 ←拝殿周辺 ↓ 神輿の胴部4面には、中央に飾り棚が設けられています。 ←拝殿内に整列した神輿 ↓ ←相撲猿の人形が置かれた飾り棚 ↓ 6.芝原式 ずいき祭当日の夜、御上神社の楼門前で芝原式が行われます。 楼門の手前にかがり火が焚かれ、楼門に向けてコの字型に敷かれた薦(こ も)の上に公文、神職、各座の頭人などが着座します。楼門正面に向かって 中央に惣公文(全体の統括者)、右に神職、左に長之家頭人、左右の座には それぞれ東と西の公文、頭人などの関係者が座ります。 ←コの字型に着座 ↓ この儀式は終始無言で行われます。 式の内容はおよそ次の通りです。 1.各座の頭人からの書付を惣公文が改める。 書付には、頭人、介頭人(次年度の頭人)、其介頭人(次次年度の頭人) の名前が記されています。神事を永く継続させる工夫なのでしょう。 2.花びら餅を配る。 頭人から供えられた大小の花びら餅を、裃を着た裸足の定使(じょうつ かい:神社の使い:宮仕とも呼ばれる)が公文に配る。 3.定使が鉾を突く。 猿田彦の面を被り、鉾で公文を突き、鼻くそを放つ仕草をする。 4.各座で杯を交わす。 肴として、めずし、青菜漬、するめ、鮒ずしなどが供される。 5.子供相撲が奉納される。 6〜7歳位の子供と中学生位のこどもが化粧回しをつけて相撲をとるが、 組み合うだけで勝負はつけない。 式は午後7時から1時間ほどで終了します。 この芝原式は、一般にはあまり知られていないようですが、「若宮殿相撲御 神事」の核心のようです。 芝原式の名前の由来は分かりませんが、原っぱでの儀式というほどの意味 ではないか、と推測しています。 ずいき祭に登場する食べ物として、「めずし」があります。 「めずし」とは「たでずし」のことで、全国的には馴染みのない三上地区特 有のちらし寿司です。乾燥させた「たで(蓼)」草の葉を揉んで粉末にし、 ちりめんじゃこ、酢、砂糖を混ぜたすし飯に振りかけたものです。たでの辛 味が食欲をそそってくれます。なお、青菜漬は大根の間引菜の一夜漬けです。 庶民的な食品を使うのは、祭礼に参加し易くする工夫だったのでしょう。 7.北野天満宮のずいき祭 京都市の北西に北野天満宮があります。 祭神は菅原道真です。道真は政争に敗れて大宰府に配流され、恨みをのんだ まま亡くなりました(903年:延喜3年2月25日)。その後、京の都は 落雷や火災などの天変地異に見舞われましたが、これは道真の霊魂の祟りだ と恐れられ、その霊魂を鎮めるために北野天満宮が設けられたそうです。 (創建は947年:天暦元年)。 なお、北野天満宮の案内資料には「瑞饋祭」と記されていますが、本稿で は「ずいき祭」と表記させていただきます。 ずいき祭は10月1日〜5日の5日間行わ れます。 1日:神幸祭(しんこうさい) (鳳輦(ほうれん)で御霊を本社から 御旅所に移す。鳳輦とずいき神輿は4 日まで御旅所に安置される) 2日:献茶祭(御旅所) 3日:甲御供奉饌(御旅所) 4日:還幸祭(かんこうさい) (還幸祭巡行、ずいき神輿巡行) 5日:后宴祭(ごえんさい) 北野天満宮のずいき祭は、明治時代に現在の形になったそうですが、原型 は室町時代に始まったようです。一般にはずいき祭と呼ばれていますが、天 満宮の神幸祭と西ノ京を中心とする氏子によるずいき神輿の祭が(明治時代 に)合体したものだそうです。 ←北野天満宮 ↓御羽車を引く牛 北野天満宮から徒歩15分位下った所に御旅所があります。 私はずいき神輿巡行の10月4日に見学しました。 ←御旅所 ↓神官の儀式 御旅所には2基のずいき神輿が奉納されています。 江戸時代には8基ほどが各町から出ていたそうですが、今日ではずいき神輿 保存会による西ノ京の2基だけとなっているそうです。 ここのずいき神輿は屋根だけがずいきで葺かれています。 神輿の各部はすき間もなく穀物や蔬菜・湯葉・麩などの乾物類で覆われてい ます。神輿の四面には、謡曲や昔話から採った人物の造り物などが取り付け られています。 ←豪華な装飾のずいき神輿 ↓ 緻密な装飾は、さすがは京の職人技が反映されたものと感心させられます。 ←繊細な装飾 ↓巡行の開始前 10月4日には、還幸祭巡行とずいき神輿巡行があります。 両巡行は天満宮の南側の地域を巡りますが、経路は違います。 還幸祭巡行は、御霊を御旅所から天満宮本社へ御返しするものです。 太鼓、山、鉾、御羽車、鳳輦、旗、神職、など50近い役が連なります。 ←獅子が先頭の還幸祭巡行 ↓牛に引かれる御羽車 ずいき神輿は車に乗せて引かれました。 神輿を引いているのは西ノ京のずいき神輿保存会の人たちだろうと思います。 ←ずいき神輿の巡行 ↓ 8.おわりに ずいき祭は、芋を使って五穀豊穣を願う祭祀だろうと思われます。 稲の豊作を願う祭祀は沢山ありますが、芋の豊作を願う祭は比較的少ないよ うです。しかし、稲作が普及するまで主食の座を占めていたのは芋類だった のではないかと思われます。また米が主食の座を占めても、芋類は副食また は非常食として貴重な存在だったのでしょう。 その感謝の念がずいき祭に表れているのかも知れません。 芋にまつわる祭として、日野町中山の芋くらべ祭があります。 芋くらべ祭は、地元の人たちが行う実に素朴な祭祀と言えます。芋への感謝 が底流にあるのではないかと思います。 三上地区のずいき祭も地元の人々の生活に根差した素朴な祭です。この地 域も高齢化が進んでいるようですが、伝統ある祭祀の継続をお祈りする次第 です。 なお、滋賀県の国指定重要無形民俗文化財は次の3件です。 ・長浜曳山祭の曳山行事(1979年2月3日指定) ・近江中山の芋競べ祭り(1991年2月21日指定) ・三上のずいき祭 (2005年2月21日指定) 3件のうち2件が芋にまつわる祭です。 ちなみに、国指定の重要無形民俗文化財は(2010年3月11日現在) 全国で266件あります。このうち、「田植え」または「田の神」など稲作 に関すると思われるものは15件ほどあったのに対し、「芋」または「ずい き」に関するものは、滋賀県以外では千葉県の「茂名の里芋祭」(2005 年2月21日指定)だけでした。(指定名称だけを見た判定なので正確さに 欠けますが、おおよその傾向は示されていると思われます) (散策:三上‐2006年10月9日他 北野‐2008年10月4日 ) (脱稿:2011年2月1日) ご参考:既報の関連記事 ・芋くらべ祭 −− 天下の奇祭 ・お田植え祭 −− 悠紀斉田での祭 ・河原祭 −− 取水祈願、豊作祈願 ・妓王井川 −− 平清盛が開削した水路 ・近江天保一揆−− 三上地区が舞台となった一揆 ・三上山縁起 −− 三上山のさまざまな景色 ・祇園祭 −− 疫病災難除け ------------------------------------------------------------------ この稿のトップへ 報告書メニューへ トップページへ