History of AIN
■ 歴史と芸術の融合からAIN誕生
全国から700人もの芸術家が、手弁当で集まってくるこんな夢のようなイベントが、びわ湖のほとりの小さなまち長浜で続けられています。名づけて長浜芸術版楽市楽座〜ART IN NAGAHAMA(略称AIN)です。多くのイベントが、コンサルタントのノウハウに頼りながら開催されるのに対して、AINは、最初から市民の手作りイベントとして出発しました。イベントの誕生は、東京から湖北に移り住んだデザイナーの森雅敏さんとまちづくりグループの出会いにありました。「アメリカ東部の小さなまちで、ART IN THE PARKという楽しい青空芸術市が行われている」そんな森さんのヒントをもとに、「秀吉公が長浜城下にもうけた楽市楽座を、芸術の視点で再興できないだろうか」と、まちづくりグループが考えたわけです。設計事務所の村田さん、理容店の石井さん、金融機関勤めの北村さん、社会保険労務士の森内さんなど、さまざまな職業を持った30人あまりの市民が、夜な夜な集まり、議論を重ねること数十回。芸術とまちの歴史を融合させた、長浜でしかできないイベントが生まれたのです。イベントは、10月中旬の2日間、びわ湖のほとり豊公園(現在は中心市街地)で行われました。著名な芸術家から主婦まで、肩書きをはずして全国から集まったアーティストが青空の下で作品の展示、販売、実演を行い、美と技を競い合います。アートを接点として、作家や市民が自由なコミニュケーションを楽しむわけです。
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■ 創り手の顔が見える作品を市民に
「野外で、しかもテントの中での芸術イベントなどできるものか」
AINは、そんな常識をくつがえしました。いまでも「AINの芸術の質は低い」とか「テントの下での鑑賞なんてまともな芸術ではない」といった根強い批判があります。でも、AINは、美術教育の場としての展覧会をめざしたものではありません。芸術を楽しむというのは、立派な美術館の中で陳列された展示作品を見ることだけではなく、もっと知的好奇心を満足させるものであるはずです。たとえば、青空の下で家族と一緒に食事をし、作品を見て、欲しいものを手に入れる。そして絵画、彫刻、陶器など、AINで買った作品が、毎年一点づつ生活の中に増えていくというのは大きな楽しみです。しかも、作品の中に創り手の顔が見える。そんな作品を持つことで、作家との新たなコミュニケーションが広がります。AINは、アートを肩書きや権威から解放し、市民に芸術家とのふれ合いの場を提供しているのです。
参加するアーティストにとっても、AINは魅力のある場です。参加した作家が「率直に作品を評価してくれる」「さまざまジャンルの作品を見られて勉強になる」「いろんな地域の作家と交流できる」といった意見をいただいています。豊公園の自由広場に、放射線状にテントが並び、ブースの数は250。そこに、さまざまなジャンルの作家が入るわけです。AINは、悪くいえばアートの五目飯のようなイベントですが、新しい作品は、全てクロスオーバーしながら生み出されていきます。作家にとって、AINは、創造力をふくらませる貴重な場なのでしょう。
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■ 市民の知恵と工夫で楽しいイベントに
AINには、実行委員会のメンバー達のさまざまな知恵と工夫が仕組まれています。まずは、作品のオークション。作家の参加料は無料ですが、自分の作品をどれか一品提供してください、というのが参加条件です。当日、開場の際に実行委員が作家から作品をいただき、値打ちのある作品はオークションにかけ、安価な作品は掘り出し市に並べて、手ごろな値で市民に買ってもらうというものです。もちろん、その収益は、AINの開催費用の一部に充てられます。次が看板コンテスト。作家にお店の看板のデザインを描いてもらい、これを会場に展示します。市内の商店は、そのデザインの中から気に入ったものを選び、つくってもらうというものです。ヨーロッパの街のように、楽しいデザインの看板が掛かる町並みは、歩くのが楽しくなります。長浜の街にも、そんな通りを作ろうというわけです。もう一つの看板コンテストは、会場のテントに掛けるもの。広場に、放射線状に250ものブースが並びますから、作品を見るほうも方向感覚がなくなってしまうほどです。そこで、作家にブースの特徴を出してもらえるよう、看板を出してもらおうというものです。自分のブースは、自分でつくってもらおうという狙いもあります。看板の出来栄えを競ってもらい、優れた作品を表彰することで、作家の参加意欲をくすぐろうというわけです。長浜の町と豊公園を結ぶスタンプラリーもあります。当日、街では同時出世まつりが行われています。北陸本線を間にして、歩くのにはちょっとしんどいという両会場を、スタンプラリーで結び、お互いのにぎわいを活用しようというものです。
そのほか、会場中央の大テントで行われる音楽やパフォーマンスなどもユニーク。
実行委員会のメンバーの知恵と工夫が、いろんなところに生かされています。
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■ 200人以上の市民がAINのお世話
AINには、多くの市民が関っています。イベント一日目の夜、大テントのなかで交流パーティーが行われます。そこに出される食事は、嶋崎さんや西川さん、中川さんなど「AIN母の会」と呼ばれる数十人の主婦によって作られたものです。母の会の人たちがつくる湖北のふるさと料理は、遠くからやってくる作家にとってなによりのもてなしです。また、昼間の食事の提供は、ワイズメンズクラブのメンバーが担当しています。会場の近くには、食事をする場所が少ないため、作家にとっても一般の観客にとってもありがたい場になっています。会場が広いため、閉会後の後始末と清掃も大変ですが、これも地元西中学校の野球部員が手伝ってくれます。ブースの撤収やゴミ拾いを、人海戦術で処理するのです。このように、準備段階では数十人の実行委員会のメンバーも、イベント当日は、200人以上に膨れあがります。それぞれが、施設班、イベント班、広報班、総務班、などに分かれて、イベントのお世話をします。AINの魅力で集まったボランティアたちですから、自分たちも目一杯、アートのお祭りを楽しみながらのお世話です。このようにAINは、多くの人たちを結びつけ、人と人との交流によって大きなエネルギーを生み出しているのです。また、毎年、AINの世話をする市民の新陳代謝が進み、若い人たちが入ってきます。そこで、もまれた人たちが、また別のところで新しい試みを起こすといった、まちづくりリーダー養成塾のような場にもなっているのです。
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■ ギャラリー楽座で作家と市民のつながり
AINと同時に生まれたのが、ギャラリーシティー楽座です。これは、市内のお店とAINに参加した作家が、作品をお店に展示し、販売することを契約。ウインドウなどに飾って、市民や観光客に鑑賞してもらい、手頃な値段で買ってもらおうというものです。加えて、絵のあるまち、絵になるまちとして、通り全体をギャラリーにして、街のイメージアップと市民の文化意識を高めようという知恵の結晶です。お店の目印は、「楽座」と書かれた大きなケヤキの看板です。これには、SINCE1575と刻まれています。秀吉公が長浜の街をつくって楽市楽座が始まり、以来、街がにぎわってきたことのシャレです。商店街を歩いてみると、いろんなお店の店頭に、この看板が掛かっています。楽しいのは、作品とお店の取り合わせ。喫茶店やブティックに絵画、居酒屋や寿司店に陶器はごく自然ですが、なかには、八百屋に木の工芸品、電気店に絵画、酒屋にガラス工芸といったユニークな取り合わせもあります。そして、「楽座」である商店の拠点として機能しているのが、表参道に作られた、ギャラリー楽座です。このギャラリーは、AINに参加している市民が、ポケットマネーを出し合い、商家を改造してつくったものです。ここでは、常時、AINに参加する作家の個展が開催され、クラシックやシャンソンなどのコンサートも行われています。市民国際交流協会の事務局にもなっていて、ヨーロッパの姉妹都市との芸術を通じた交流にも取り組んでいます。AINのイベントは2日間。「楽座」組織の商店とギャラリー楽座は、長浜のまちと作家との間に継続的なつながりを生み出しているのです。若者にとって魅力的なまちとは、若者が主体的に行動することに対して寛容なまちであることです。その意味で、AINというわけのわからなかったイベントを受け入れてくれた長浜のまちは、懐が深いまちだといえるでしょう。新しいものを受け入れる気質、人のぬくもり、人にやさしい環境、独自の歴史、それこそが長浜が誇れるまちの財産です。AINは、この財産とアートを結びつけた魅力のあるまちづくりをめざしています。
(以上「長浜物語」より引用 1993年発行)
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■ そして、生活の場としての中心市街地へ
1993年、第7回のAINからは市街地へ舞台を移して開催されるようになりました。AINの回を重ねることで、少しずつ芸術というものが市民の暮らしの空間に浸透していったのです。市街地にはギャラリー楽座を始め、AINの作家による店などが生まれてくるようになりました。その一方で黒壁はガラス芸術に正面から取り組み、大きな成果を上げてきました。
その名の通り、作家の表現や交流が自由にしやすい豊公園の自由広場から、市街地への移動には少なからず反発もありましたが、長浜の町並みの中に、生活者空間の中にアートを持ち込んでいくことが必要ではないか、という議論の中で市街地での第一歩を踏み出したのです。
「芸術とそれを支える市民文化の拡大再生産を目指す市民祭」
これを改めてコンセプトとして確認しながら、作家の応募も数多くいただき選考制に変更をおこなうなど、日本でも有数の芸術イベントとしての認知を深めつつあります。しかしその一方で経済状況はますます厳しくなり、2002年ギャラリー楽座も休廊せざるを得なくなりました。
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■ 新たなる NPO の設立へ
このような状況下で、今後も芸術を通したまちづくりを推進していくために、2002年12月に特定非営利活動法人として「ギャラリーシティ楽座」が設立されました。「ギャラリーシティ楽座」ではAIN の事務局を担当し、それ以外にも企画展や作家との勉強会・交流会を通じて芸術性のあるまちづくりをめざしていくことになりました。
現在、大手門通りのまちかど倶楽部に、「長浜み〜な編集室」「オフィスぽぷり」とともに事務局を構え、「ギャラリー楽座」を再開させて、本格的な活動を始めました。今後はNPO を軸にした新しい運動展開が期待されています。
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■ AINは第三世代へ 〜 新たなる展開
イベントを常に深化させていくためには、担い手であるスタッフも新陳代謝していくことが必要です。AIN2005はプレ20周年として位置付け、新しいAIN スタイルの模索を始めました。
まず企画のコアとなるチーフプロデューサー会議は平均年齢を30 代へと大きく若返りました。商店街のメンバーだけでなく、(株)黒壁やまちづくり役場などの若手メンバーが加わり、そこでコンセプトを再認識しながら、新しい取組みを始めました。その中から生まれてきたのが、ビアレフォルナーチェ、ギャラリーAIN、ピアッツァ・バンビーニ、KOKOROZASHI(志)等の新しい取組みです。ただ展示するだけから、制作現場を実現してもらおうと、ビアレフォルナーチェ(工房の並木道)では実演に加え、(株)黒壁の協力のもとに一週間にわたって講師と受講生が共同製作するガラスワークショップを始めて、大きな話題となりました。また町屋の良さをギャラリーにと、ギャラリーAIN では2日間だけでなく1週間というロングランで作品をちゃんと見ていただこうという新企画です。これらの新しい企画は、KOKOROZASHIのように、学生を含む若手の作家の活動をサポートしていくことを主眼にしています。また、ピアッツア・バンビーニに見られるように、次代を担う子どもたちに多くの芸術体験をしてもらうなど、見る側を育てることも考えているのです。
こうして2006年には20周年を迎え、優秀作品を審査する"AINコンペティション"の新企画や記念行事を催行いたしました。
「芸術の似合うまち」の実現にはまだまだですが、AINは一歩一歩着実に歩みを踏み出していくのです。
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