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豚に真珠・・・・・
四字熟語編もあります
ことわざにも「生き物」がよく登場します
どれくらいあるものか・・・
当「探偵社」では、「探偵業」の途中経過を報告することを第一に考えておりますので、少しずつ増やしていきます。
最後に、生き物の種類でくくったり、順位でもつけてみましょうか?!
なお、このページでは、高橋書店「ことわざ辞典」を参考にしています
本日(7/26)までにご登場いただいた生き物たち
カモ |
2 |
カキ |
1 |
カマス |
2 |
菜 |
1 |
サバ |
1 |
タンポポ |
1 |
ウマ |
4 |
葉 |
1 |
ウシ
|
3
|
アサガオ
|
1
|
ネコ
|
3
|
アサ
|
1
|
シカ
|
1
|
ヨモギ
|
1
|
ハエ
|
1
|
アザミ
|
1
|
トビ
|
1
|
アシ
|
1
|
アシカ
|
1
|
サクラ
|
1
|
カリ
|
2
|
アズキ
|
2
|
トカゲ
|
1
|
アワ
|
1
|
ホトトギス
|
1
|
イモ
|
2
|
アヒル
|
1
|
クリ
|
1
|
アブ
|
1
|
アヤメ
|
1
|
ハチ
|
2
|
カキツバタ
|
1
|
アリ
|
6
|
ハス
|
1
|
カニ
|
1
|
イネ
|
1
|
アワビ
|
2
|
イバラ
|
2
|
アンコウ
|
1
|
|
|
ネズミ
|
1
|
|
|
イカ
|
1
|
|
|
コイ
|
1
|
|
|
コウモリ
|
1
|
|
|
イタチ
|
2
|
|
|
イヌ
|
16
|
|
|
クジラ
|
2
|
|
|
サル
|
1
|
|
|
タヌキ
|
1
|
|
|
ドジョウ
|
1
|
|
|
タカ
|
1
|
|
|
ブタ
|
1
|
|
|
カエル
|
1
|
|
|
イワシ
|
2
|
|
|
ワシ
|
1
|
|
|
タイ
|
1
|
|
|
ウグイス
|
1
|
|
|
ウサギ
|
3
|
|
|
キツネ
|
1
|
|
|
<ア行>
<イ行>
<ウ行>
逢い戻りは鴨の味(あいもどりは
かものあじ)
一度別れた男女がよりを戻すと、前にもまして愛情細やかになるとか。
「鴨」って鍋で食べるとおいしいですよね。子どもにはわからない味なんですね。
青柿が熟柿弔う(あおがきが
じゅくし とむらう)
青く若い柿もやがて熟して落ちていく。たいしてかわりのない者がちょっとの優劣をとやかく言うのではありません。
ごもっともです。「目くそ鼻くそ」ともよく言いますが、こっちの方が上品です。
青菜に塩(あおなに
しお)
やんちゃ坊主も先生におこられてシュンとなる。ナニ?最近は逆襲する?!ともかく、植物の細胞が食塩水に水分をとられてしおれるのです。低張液の水分が高張液にとられるという、浸透現象の例ですね。ナメクジに塩をかけるのも同じ理由です。
青葉は目の薬(あおばは
めのくすり)
青葉には目の疲れを回復させる効果がある。でもこの青は「緑」のことでしょう。煎じて飲んだらもっと効いたりして?
秋梭魚は嫁に食わすな(あきかますは
よめにくわすな)
まあひどいことわざですが、この手のは結構あります。「秋鯖嫁に食わすな」「秋なすび嫁に食わすな」「秋ふき嫁に食わすな」。
私は、嫁さんにうまいもん食われます。
秋鯖の刺身にあたると薬がない(あきさばの
さしみにあたると くすりがない)
鯖は、腐りやすい魚ですが、秋の鯖による中毒は特にひどいということらしいですが、ひょっとしたら秋鯖のうまさを独り占めしたい人が、他の人を牽制する意味で言ったのかも・・・。
秋高く馬肥ゆ(あきたかく
うま こゆ)
もうあまりにもよく知られているのでノーコメント。「天高く・・・」とも言うなぁ。
秋蒲公英の咲く年は雪が浅い(あきたんぽぽの
さくとしは ゆきがあさい)
秋にタンポポが咲く年は、暖冬で雪も少ないとか。近年は秋のタンポポをよく目にします。異常気象とも関係があるかもしれません。
商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
商売は辛抱が肝心。牛の涎は細く長く切れ目なく流れ出るようですが、あれはどういう意味があるのでしょう?
秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる)
寒がりの猫も、秋の雨の日は顔を長くして喜ぶそうな。秋の雨の日は暖かいのだそうですが、はて?秋の長雨のころはなんか寒くていやですがね。それにしても三尺といえばたしか1m近いはず。ははは、そんな猫の顔、一度見てみたいものです。
秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)
秋、牡鹿は雌の声に似せた笛の音にだまされてとらえられる。このことから、恋いに身を滅ぼすことや、弱みにつけ込まれることに使うそうです。私はさしずめ後者ですが、いづこも雄は単純ですなあ。
顎で蠅を追う(あごではえをおう)
蠅というのは、どうしてああも人の顔にまとわりつくのでしょう。牛なんかによくアブがまとわりついていたりするのも何か理由があるのでしょうね。蠅を手で追うくらいの元気は保っていたいもの。健康でいたいものです。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
朝の一時にしか咲かない朝顔の花。栄華のはかなさや衰え易さをたとえるようです。しかし、私が朝顔をはかない花と思わないのは、あの大きさのせいでしょうか?それともあまりにポピュラーになりすぎたせいでしょうか?
朝鳶に蓑を着よ夕鳶に笠をぬげ(あさとびに
みのをきよ ゆうとびに かさをぬげ)
朝、鳶が舞うと雨、夕方舞うのは晴。子どものころ、よく鳶のあのピーヒョロロという声を聞いた記憶があるのですが、近頃聞かなくなりました。時々飛ぶ姿は見ますが黙ってます。まさか、声をだすとカラスに追いかけられるということでもないのでしょうが・・・気にしています。当探偵社では、コウモリに次いで追いかけてみたい生き物です。
麻につるる蓬(あさにつるる
よもぎ)
朱に交われば赤くなるの逆でしょうか。よい環境に育てば教育などしなくてもよく育つということのようです。この「麻」のような社会が必要なのかも。
薊の花も一盛り(あざみのはなも
ひとさかり)
アザミの花を部屋に飾ることは確かにないですね。そんな花でも一時つい手折りたくなることがある。だれでも年頃になればそれなりに魅力が出るということだそうです。「それなり」の見本みたいにいわれるアザミがちょっとかわいそうですが。
ところで、私はかわいくなくても野に咲く強さが好きです。
海驢の番(あしかのばん)
足利群で眠るときも、必ず見張りがおきているとか。平和な時代には、交代でおきているなんていうこともまずないと思います。
葦をふくむ雁(あしをふくむ
かり)
雁は海を渡るに備えて、葦をくわえて飛ぶそうです(ほんとかな?)。何事にも準備が必要。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
桜の花の時期というのは本当に短いものです。今日きれいに咲いていても、少し風が吹けば地面に落ちる花びら。日本人に昔からある無常観と桜の花は妙にあうのですね。
小豆の豆腐(あずきのとうふ)
小豆は不精者に煮らせろ(あずきは
ぶしょうものに にらせろ)
小豆は気長に煮るのだそうです。不精者では煮すぎてしまうようにも思いますが・・・。
後の雁が先になる(あとのかりが
さきになる)
兎と亀の話しみたいな事です。別に油断していなくてもこうなることがあるとちょっと辛い。
あの声で蜥蜴くらうか時鳥(あのこえで
とかげくらうか ほととぎす)
ホント人は見かけによりません。人生長く生きれば生きるほど実感するのではないでしょうか?良くも悪くも・・・。
家鴨が文庫を背負う(あひるが
ぶんこをせおう)
差別的なので、書こうかやめようか迷いました。背が低くお尻の大きい女性の不格好なことを言う言葉だそうであります。男ならどう言うのでしょうね。
虻蜂取らず(あぶはちとらず)
二兎を追うものは一兎をも得ず。欲張りはいけません。
甘いものに蟻がつく(あまいものに
ありがつく)
これも自然との理と言うことでしょうか?しかし甘い汁を吸う輩は許せませんな。
荒馬の轡は前から(あらうまのくつわは
まえから)
難しいことほど正面からぶつかる方が、潔いとも思います。浅学非才のものが、困難なことにぶつかっては、下手に考えても仕方がないのかもしれません。
蟻集まって樹を揺るがす(ありあつまって
きを ゆるがす)
力を合わせれば何とかなるというのは、日本人好みの発想ですが・・・、それにしても大げさな。
蟻の穴から堤の崩れ(ありのあなから
つつみのくずれ)
蟻の一穴、小さなミスが命取りになることはよくあります。
蟻の思いも天にのぼる(ありのおもいも
てんにのぼる)
努力すればという条件付き。思いだけは大きいんですよ、私も。
蟻の熊野まいり(ありの
くまのまいり)
ぞろぞろ行列をつくるのは確かに人間も同じです。あんまりいい意味では使わないのでしょうか。
蟻の這い出る隙もない(ありのはいでるすきもない)
慌てる蟹は穴へ這入れぬ(あわてるかには
あなへないれぬ)
粟一粒は汗一粒(あわひとつぶは
あせひとつぶ)
粟一粒つくるのにも大変な苦労がいる。現代ではこういう教えがどんどんなくなっています。
鮑の貝の片思い(あわびのかいのかたおもい)
鮑は鮑である限り片貝ですから、これはもう永遠に片思い。何やら切ないことわざですねえ。
鮟鱇の待ち食い(あんこうのまちぐい)
<イ行>
家柄より芋茎(いえがらより
いもがら)
芋の茎は食えるが、家柄は食えない。落ちぶれた旧家をあざけるときにこう言うそうですが、こんなことわざに使われるお芋はかわいそう。
家に鼠国に盗人(いえにねずみ
くににぬすびと)
大小はあってもどの世界にも必ず泥棒がいるものだということ。「必ず」といってしまうのは悲しいですが、今の世の中を見ていると否定できないのが辛いところですね。
毬栗も中から破れる(いがぐりもうちからわれる)
女の子が年頃になって色気づくのをこういうそうです。時期が来れば心配いらない?
烏賊の甲より年の劫(いかのこうよりとしのこう)
こんな言い方もあるんです。ふつうは亀の甲ですよねえ。しかし・・・烏賊の甲って堅いのか?
生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)
もともと生きている馬の目を抜くほどすばしっこいことを言っているようですが、ずるがしこく立ち回って他人を出し抜いて得をすることに使われています。
生け簀の鯉(いけすのこい)
死ぬ運命が決められていること。とらわれの身で絶体絶命と言うことでしょうか。
石地蔵に蜂(いしじぞうにはち)
この例えはわかりやすい。何の痛痒も感じないことに使うそうですの、近いうちに試してみます。
いずれ菖蒲か杜若(いずれあやめか
かきつばた)
どちらも同じ科の花・・・ちなみにどちらもアヤメ科アヤメ属、ついでにショウブはサトイモ科です・・・で区別しにくいので、甲乙つけ難く迷うときに言うわけですね。
磯の鮑の片思い(いそのあわびのかたおもい)
鳥なき里の蝙蝠(とりなきさとのこうもり)
自分より強いもののいないところで大威張りするものの例え。「生き物追跡」のページでただいま追跡中ですので取り上げましたが、鳥と蝙蝠がそういう関係かはちょっと疑問です。
鼬の最後っ屁(いたちのさいごっぺ)
追いつめられるとだれでも非常手段に訴えると言うこと。我が家でもときに鼬がやってきますが、「追いかけたらあかん!」とご先祖から言われております。きっとひどい目に遭ったのでしょう。
鼬の道切り(いたちのみちきり)
鼬が人の前を横切ると交際や音信が絶えると言ってきらうそうです。迷信の部類ですね。・・・何度も横切られていますが・・・
一蓮托生(いちれんたくしょう)
死語あの世の蓮の上に一緒に座すということで、善悪に関わらず人と運命をともにすることです。
一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆる(いっけんかげにほゆれば
ばんけんこえにほゆ)
犬が一匹吠え出すと、他の犬もその声に一斉に吠えたてることから、誰かが無責任なことをいうと多くの人がよく確かめもせずに言いふらしてしまうことをいうそうです。よくあることですね。
一匹狂えば千匹の馬が狂う(いっぴきくるえばせんびきのいぬがくるう)
上の犬の場合と同じような群集心理。時には大変恐ろしい結果を招きます。
一匹の鯨に七浦賑わう(いっぴきのくじらに
ななうらにぎわう)
大きな獲物には利益を受ける人も多くなるということ。
何時も柳の下に泥鰌は居らぬ(いつも
やなぎのしたにどじょうはおらぬ)
一度いい事があったからと言ってそう度々いい事にぶつかるものではない。・・・でもそうあってほしい。それにしても泥鰌ってこんな字があるんですね。
従兄弟同士は鴨の味(いとこどうしは
かものあじ)
従兄弟同士の夫婦は情愛が深く、鴨の味のようにいいそうです。そうなんですか?
犬一代に狸一匹(いぬいちだいに
たぬきいっぴき)
犬が一生の間に狸ほど大きな獲物を得るのは一回くらいのもの。そうそうよいチャンスには恵まれないぞ!とのことです。
犬が西むきゃ尾は東(いぬがにしむきゃおはひがし)
分かり切ったことをわざわざ言うな!・・・説明不要ですね。
犬と猿(いぬとさる)
仲の悪いたとえ。犬が西むきゃ・・・・の類ですねえ。
犬に肴の番(いぬに
さかなのばん)
よくあることですね。誰に番を頼むかはよーーーーく考えないと。
犬に念仏猫に経(いぬにねんぶつ
ねこにきょう)
犬にも食わせず棚にも置かず(いぬにもくわせずたなにもおかず)
けちな人のやり方のことで、自分でしまい込んでおくだけで用をなさないこと。
犬に論語(いぬにろんご)
有り難い教えも犬相手では通じません。訳の分からない者には、有り難い教えも意味がないこと。
犬の一年は三日(いぬのいちねんは
みっか)
犬の川端歩き(いぬのかわばたあるき)
犬のように奔走しても何も得られないこと。骨折り損のくたびれもうけです。
犬の遠吠え(いぬのとおぼえ)
臆病者が、陰で虚勢を張り、陰口をたたく。何事も陰でやるのが陰険。
犬はその主を知る(いぬはそのしゅをしる)
犬は人につき、猫は家につく(いぬはひとにつき
ねこはいえにつく)
犬は3日飼えば三年恩を忘れぬ(いぬは
みっかかえば さんねんおんをわすれぬ)
犬でさえ、長く恩を忘れないのだから、人間は恩知らずではいけません。
犬骨折って鷹の餌食(いぬほねおってたかのえじき)
犬が苦労して追いだした獲物を鷹に取られてしまうことから、苦労して得たものを他人に取られること。
犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけばぼうにあたる)
二つの意味があるそうです。一つは、出しゃばると思わぬ災難に遭う。二つ目は、出歩いて思いがけない幸運に合う。反対の意味があったのですね。
稲は実るにつけて俯き、侍は出世につけて仰向く(いねはみのるにつけてうつむきさむらいはしゅっせにつけてあおむく)
猪も七代目にはイノコになる(いのししも
しちだいめには いのこになる)
イノコは豚のことだそうです。猪も長い年月のうちに豚になる??かどうかは知りませんが、変わらぬようでも長い年月のうちにそれなりに変わっていくことのたとえ。
井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわずたいかいをしらず)
世間知らず。
茨に棘あり(いばらにとげあり)
美しいものには隠れた恐ろしいものがある。
茨の中にも3年の辛抱(いばらのなかにも3ねんのしんぼう)
耐えていれば成功する日も来るという。いかにも日本人好みのことわざですが・・・。
芋頭でも頭は頭(いもがしらでもかしらはかしら)
たとえ小さくても集団の頭であればそれだけの値打ちがあるということ。鶏口となるも牛後となるなかれ。
鰯網で鯨捕る(いわしあみでくじらとる)
思わぬ幸運のたとえ。しかしこれは相当にあり得ない部類の幸運でしょうね。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
つまらないものでも信心の対象となると、ありがたがられる。我が家では、節分になるとヒイラギに鰯の頭を突き刺して、門口に
つけます。厄除けの一種でしょう。ですから鰯は決してつまらないものではないのであります。
<ウ行>
これより下
上見ぬ鷲(うえみぬわし)
鳥のうちの鷹でさえも、餌を一口食べては鷲の襲来を気にするが、鷲は一番強いので、その心配がないということから、何も恐
れる心配のない地位をたとえてこういうそうです。
魚は鯛(うおはたい)
魚の中で一番おいしいのは鯛。
鶯鳴かせたこともある(うぐいすなかせたこともある)
ある日、おばあちゃんが言いました。「わしもなあ、若い頃にゃ男たちにちやほやされたこともあるんだよ」。
烏合の衆(うごうのしゅう)
カラスの集まりのように、規律もなくただ集まって騒いでいる人の集まりのこと。カラスは相当賢い動物のようですから、このことわ
ざを聞いたら怒るでしょうね。
兎の登り坂(うさぎののぼりざか)
兎は前足に比べて後ろ足が長く登り坂は得意である。このことから、よい状況に恵まれ、力を発揮することを言う。
兎の罠に狐がかかる(うさぎのわなにきつねがかかる)
思いがけない幸運が舞い込むことだそうですが・・・、狐は食えんだろうになあと思うのはあさはか?狐の方が上等の生き物らし
いですね。
兎も七日なぶれば噛み付く(うさぎもなぬかなぶればかみつく)
どんなにおとなしい生き物でも何度もいじめられれば怒るものだということ。今の日本の子どもたちにはこういうことが難しいことに
なっているようです。
牛追い牛に追わる(うしおいうしにおわる)
立場が逆転すること。
牛に乗って牛をたずねる(うしにのってうしをたずねる)
たずねるものがほんの身近にあるにもかかわらず遠くを探してしまうたとえ。
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