湖南



大津市

葛川祭り  (地主神社)葛川坊村町116
場  所
地主神社境内・参道および明王院本堂

祭礼日
7月18日午後8時

沿  革
地主神社は平安時代前期に明王院の鎮守・守護神として創建され、当祭りは神仏習合の形態を現在に残している。
日が暮れると氏子の各地区から集まった高張提灯の列が、伊勢音頭と共に参道を進み境内に献灯される。次いで氏子の若衆が参拝の後、天台宗山門派などの行者と一体となって、明王院において太鼓まわしを行う。
提灯のうす暗いなかで行者が太鼓に乗り、前方に勢いよく飛び跳ねるという壮観なものである。

 連絡先  雄琴神社・大津市雄琴2丁目10−1
 交通機関 JR堅田駅より江若バス坊村下車


さんやれ祭り  (神田神社)真野町858
場  所
神田神社・氏子周辺

祭礼日
1月17日午後7時から9時まで

沿  革
約二百年前、旧地にあつた当社を現在地に遷座した時以来、氏子中の男子が松明を持ち、鉦・太鼓をたたいて行列に供奉したことに始まるという。
約百六十本余りの松明が境内に集合し、「さんやれ、さんやれ」のかけ声と共に神社に参拝。
祝詞の後に全員に神酒が配られ、8時40分頃には帰路につく。

 連絡先  神田神社・大津市真野町858
 交通機関 JR堅田駅より徒歩20分


野神祭り  (野神神社)今堅田2丁目
場  所
野神神社・琴が浜(神社東南の湖岸)

祭礼日
9月18日・10月8日

沿  革
当社の祭神は新田義貞の寵愛をうけた勾当内侍で、その入水の日の命日が旧暦9月9日であつたことから現在は新暦の10月8日を中心にするようになつた。
9月18日は勾当内侍の塚に琴が浜の泥を塗る。
十月には神事があり、その後当屋から次の当屋に引き継がれる[お渡り」の儀式がある。なかでも受当屋(翌年の当屋)の玄関先で御膳を激しくたたきつけたり、夜中大声を出すなどの風習がある。

 連絡先  伊豆神社・大津市本堅田1丁目19−26
 交通機関 JR堅田駅より徒歩20分


仰木祭り  (小椋神社)仰木町4737
場  所
小椋神社・氏子周辺

祭礼日
5月3日

沿  革
五社大権現とも呼ばれ、本社の他に大宮・若宮・新宮・今宮の四社が摂社としてあり、その各社に御輿がある。神輿は大宮・若宮・新宮・今宮・本社の順で渡御し、壮観である。
御供所に渡るとそこでは「芝座敷」が行われ、仰木四地区の氏子間で年番総代の引き継ぎがなされる。さらに「千野座敷」、「馬駆け」と神事が進行し、午後7時頃には神輿は松明に導かれながら還御する。

 連絡先  小椋神社・大津市仰木町4737
 交通機関 JR堅田駅より江若バス仰木小学校前下車


大戸開き神事  (日吉大社)坂本5丁目1−1
場  所
日吉大社・西本宮・東本宮

祭礼日
1月1日午前5時

沿  革
年の始めに、日吉の大神と人々との出会いの祭り。いわゆる歳旦祭にあたる。この神事には、日の出前の暁闇のなか、松明の灯で能「翁」(日吉の翁)(西本宮) ・謡曲「高砂」(東本宮)が片山能太夫によつて奉納される。
松明の分火を自宅へ持ち帰り、炊事の火とする風習が残り、発火という別称がある。

 連絡先  日吉大社・大津市坂本5丁目1−1
 交通機関 JR叡山坂本駅より西へ1キロメートル、または京阪電車坂本駅より西へ500メートル


山王祭  (日吉大社)坂本5丁目1−1
場  所
日吉大社・坂本本町・下阪本町内ほか

祭礼日
3月1日から4月15日まで

沿  革
県内屈指の大祭。起源は約千三百年前、三輪明神が坂本に遷座した時、里人が大榊を日吉に捧げたことに始まるという。
祭礼は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供と続き、1ヵ月半に及ぶ祭りは終わる。
なかでも山王七社の神輿の渡御は壮大で荒々しく、大榊の神事などの静寂な神事と相まつて、山王祭を盛りあげている。

 連絡先  日吉大社・大津市坂本5丁目1−1
 交通機関 JR叡山坂本駅より西へ1キロメートル、または京阪電車坂本駅より西へ500メートル


比良八講
場  所
日吉大社西本宮・比良山系打見山・本福寺・琵琶湖上・琵琶湖タワー前

祭礼日
3月9日から26日まで

沿  革
平安時代から行われている行事で、八講とは元来供養のために法華経8巻を4日間で読誦する法要をいう。
現在は天台比良修験道の修験者や延暦寺僧らが中心となつて行う。まず、日吉大社に集まり安全祈願をし、志賀町の打見山頂での取水作法、本福寺(長等3丁目)での読経、湖上での修法、琵琶湖タワー前での大護摩供法要と続く。

 連絡先  日吉大社・大津市坂本5丁目1−1
 交通機関 JR叡山坂本駅より西へ1キロメートル、または京阪電車坂本駅より西へ500メートル


山王礼拝講  (日吉大社)坂本5丁目1−1
場  所
日吉大社西本宮

祭礼日
5月26日午前9時

沿  革
法華八講ともいう。万寿二年(1025)、山僧が習学修練を怠り僧兵として社頭を歩くさまを嘆くと共に、日吉大神を和め奉るために西本宮拝殿で行われた法華八講が起源とされている。
修祓・祝詞奏上の後、法華経についての問答が行われる。神仏習合時代の様子を今に伝える貴重な祭礼である。

 連絡先  日吉大社・大津市坂本5丁目1−1
 交通機関 JR叡山坂本駅より西へ1キロメートル、または京阪電車坂本駅より西へ500メートル


おこぼ祭り  (酒井神社)下阪本4丁目9−18(両社神社)下阪本3丁目10−29
場  所
酒井神社・両社神社ならびに当番宅

祭礼日
1月6日から8日まで

沿  革
酒井神社・両社神社の両神社で行われる「おこない」。各神社では若干しきたりは異なつているが、およそは次のごとくである。当番(とうや)宅で餅がつかれ、「おだいもく」といわれる餅と人形による飾り付けが行われる。翌日、神社に奉納され神事がなされる。終わると「おだいもく」の餅は小さく切り分けられ、氏子各町内に配られる。なお、両社神社では当番制は行われず、氏子総代と宮世話が合同で行つている。

 連絡先  酒井神社・大津市下阪本4丁目9−18
 E-mail   kasajima@mx.biwa.ne.jp
 交通機関 JR叡山坂本駅より南へ徒歩15分。または京阪電車松ノ馬場駅より東へ徒歩10分


みたらし祭り  (唐崎神杜)唐崎1丁目
場  所
日吉大社摂社唐崎神社

祭礼日
七月二十八日から二十九日まで

沿  革
唐崎は七瀬の祓所の一つであり、みたらし祭りは唐崎神社の夏越しの大祓神事である。
特に下の病い、婦人病等に神徳があるとされ、近郷からの参拝者が多い。本殿での大祓奏上に始まり、茅の輪くぐり、人形流し、湖上護摩木焚上と行事が続く。

 連絡先  日吉大社・大津市坂本5丁目1−1
 交通機関 JR唐崎駅より東へ500メートル


御的神事  (樹下神社)山中町889
場  所
樹下神社

祭礼日
1月15日

沿  革
6人のお弓仲間のなかから二人の弓取り役が選ばれると、弓取り役は当日にむけて弓射のけいこに励むと共に精進潔斎の生活にはいる。
当日は朝から射場の設営がされ、的から三十メートル離れた所に射座が据えられる。弓取り役は、黒の紋付に裃・白足袋を着け、印籠・大小刀をさす。
弓取り儀式は2人の同時所作に始まり、射法も古式にのつとつて行われる。弓射は2人2本ずつ三度行われ、最後は天に放たれる。

 連絡先  早尾神社・大津市錦織1丁目15−13
 交通機関 JR西大津駅より京阪バス山中町下車


例大祭  (近江神宮)神宮町1−1
場  所
近江神宮

祭礼日
4月20日午前10時

沿  革
4月20日は天智天皇が大津に都を遷され、大化改新の理想の下に新しい国家造りの大事業を進めた記念日にあたる。
勅使参向のもとに例祭が斎行され、午後は近江まつり(奉祝行事)が境内を中心として賑々しく執り行われる。
特に子供神輿や樽神輿、本殿中庭での舞楽奉納は、彩りを添える。

 連絡先  近江神宮・大津市神宮町1−1
 交通機関 JR大津駅下車タクシー10分、またはJR西大津駅下車タクシー3分、徒歩15分


朝瓜祭り  (日御前神社)園城寺町246
場  所
三尾神社末社の日御前神社

祭礼日
7月22−23日午後7時から9時まで

沿  革
日御前神社の例祭。天武天皇の子大津皇子の第三の姫宮瓜生姫の創建で、もと中保町に鎮座のところ、明治四十四年三尾神社境内に遷し末社とした。
子供の病気(夜泣き・かんのむし)、安産に霊験あらたかな姫宮信仰の神霊石があり、この神霊石が朝瓜形をしているところから、参拝者は瓜に子供の名前を書いてお供えをする風習ができた。

 連絡先 三尾神社・大津市園城寺町246
 交通機関 京阪電車三井寺駅より徒歩5分


綱打ち神事  (長等神社)・三井寺町4−1
場  所
長等神社

祭礼日
1月14日午後1時から夕方まで

沿  革
長等神社所蔵の「古式綱打神事之画」の箱蓋裏書に「延長六年(928)正月十二日、志賀の土人、社前に巨蛇の形を造り、神事を行ふ」とある。
この神事は小正月を迎えるにあたり藁蛇を造り、これに託して氏子の町々から邪悪の霊を除き、一年の生活の平安と豊穣を祈るものである。三十束を用い、頭を神前に向けて祭りを執り行う。

 連絡先  長等神社・大津市三井寺町4−1
 交通機関 京阪電車浜大津駅より徒歩5分、またはJR大津駅より徒歩15分


まつり  (馬神神社)三井寺町4−1
場  所
長等神社末社馬神神社

祭礼日
10月17日午前10時

沿  革
縁起によると寛永期(1624〜43)に疫病が流行し、多くの牛馬が病死したため、吉田神社から当地に神を勧請し、疫病退散の祈祷をした事に始まるという。
馬の安全を祈願し、馬小屋の護符や「大津東町馬神」と染め抜いた馬の腹掛は有名である。現在の棟札には多くの寄進者が記されている。

 連絡先  長等神社・大津市三井寺町4−1
 交通機関 京阪電車浜大津駅より徒歩5分、またはJR大津駅より徒歩15分


大津祭り  (天孫神社)京町3丁目3−36
場  所
天孫神社・氏子周辺

祭礼日
10月9日夜から10日夕方まで

沿  革
現行の曳山がみられるのは、17世紀から。塩屋治兵衛という者が狸の面をかぶり、神殿で踊つたのがはじまりだといわれている。
祭りの様子は、13カ町の曳山が神社前に集会し、夕方まで氏子内を巡回するもので、各々の山には、からくりをはじめとして、さまざまな趣向がなされている。

 連絡先  天孫神社・大津市京町3丁目3−36
 交通機関 JR大津駅より徒歩3分、または京阪電車浜大津駅・島の関駅より徒歩3分


護国祭  (建部大社)神領1丁目16−1
場  所
建部大社末社の弓取神社・箭取神社

祭礼日
2月4日午前11時

沿  革
弓の神事ともいう。約380余年前の慶長以来、この射的の特殊神事に奉仕した人の名簿が残されている。沿革は、祭神日本武尊に随従して弓をもつて功をたてた弟彦公以下四柱の前にて、末裔の氏子が弓を射て祖神を慰め鎮護国家を祈つだことに始まる。弓取・箭取両杜の前に忌竹を立て的をつるし、弓座の人達によつて弓が射られる。

 連絡先  建部大社・大津市神頓一丁目16−1
 交通機関 JR石山駅より近江バス・帝産バス建部大社前下車


船幸祭  (建部大社)神領1丁目16−1
場  所
建部大社本殿より出発、唐橋より船にて南郷黒津浜まで往復

祭礼日
8月17日午後5時から9時まで

沿  革
大正4年の御大典記念事業の1つとして始められた。日本書紀に「日本武尊則従上総転入陸奥国時、大鎮懸於王船従海路廻拶於葦浦横渡玉浦至蝦夷境」とあり、この故事に基づくものと思われる。本殿前より出輿(大一基・小三基)し、唐橋より船に乗せ、南郷渡御ノ瀬に至り、往復する。

 連絡先  建部大社・大津市神頓一丁目16−1
 交通機関 JR石山駅より近江バス・帝産バス建部大社前下車


例大祭  (佐久奈度神社)大石中町56
場  所
佐久奈度神社

祭礼日
4月16日午前10時

沿  革
万治元年(1658)の記録によると、3月3日に神幸祭、3月中午の日に本社に還御とあり、祭りには獅子座、王之座、次の座の三座が奉仕したとある。
現在では神幸祭は4月3日、例大祭・還御の神事は4月16日に執り行われる。
前記の三座は現在残っていないが、氏子中の子供の奉仕により神輿2基が渡御する。

 連絡先 佐久奈度神社・大津市大石中町56
 E-mail   sankichi@mx.biwa.ne.jp
 交通機関 JR石山駅より京阪バス大石下車


みたらし祭り  (佐久奈度神社)大石中町56
場  所
佐久奈度神社

祭礼日
7月31日

沿  革
佐久奈度神社は天智天皇の勅願によつて、中臣朝臣金連がこの地に祓を創し社殿を設け、祓戸大神を奉祀した神社であり、七瀬の祓所の一つとして著名である。
みたらし祭りは.その由緒上最も重要な祭りで、現在全国の神社で6月30日に行われる夏越しの大祓の神事を旧暦にあわせ執り行うもので、茅の輪くぐり・人形の祓い等が行われる。

 連絡先 佐久奈度神社・大津市大石中町56
 E-mail   sankichi@mx.biwa.ne.jp
 交通機関 JR石山駅より京阪バス大石下車


草木祭  (毛知比神社)田上里町59−2
場  所
毛知比神社

祭礼日
1月9日昼

沿  革
 「だいひよう」ともいう。天平宝字元年(757)に鎮座した時、村人が餅を供えて以来、連綿として続いているという。
延餅(30センチ・15センチ)2枚を1組として、その家の男子の数を供え、家内安全・五穀豊穣を祈願する祭りである。毎年1月9日、役員はじめ氏子が出席し、祭儀を執り行う。

 連絡先  毛知比神社・大津市田上里町59−2
 交通機関 JR石山駅より帝産バス里下車


草津市

さんやれ踊り  (立木神社)草津4丁目1−3
場  所
立木神社末社若宮八幡宮・氏子周辺

祭礼日
5月2日から3日まで

沿  革
立木神社祭神が鹿に乗り西征のおり、矢倉地区に先住していた人々が神をお迎えするにあたり、踊りを以って迎えたのが始まりという。神輿渡御の際、先導を司り、稚児(当番宿の男児)が先頭となり、太鼓・鉦・ささらを持つた男児数名が続き、次に音頭取り(唄方)の青年が続く。
なお2日夕方にはささらに替り、笹の葉をもつて踊る。これに参加する者はすべて男子で、居住と呼ばれる家(現在24戸)のみである。

 連絡先  立木神社・草津市草津4丁目1−3
 交通機関 JR草津駅より徒歩15分


講踊り  (伊砂砂神社)渋川2丁目2−1
場  所
伊砂砂神社

祭礼日
9月13日午後8時

沿  革
室町時代の亥年、旱魃で稲作に困窮し、氏神に雨乞い祈願をした結果、降雨豊作に恵まれた御礼に始まつたと伝える。軍配を持つ新発意(しんぼち)2人と太鼓打ち2人が、団扇を持つて踊る中踊りと外踊りの二重の円陣の間を踊りながら廻る。いずれも花笠を頭につける。

 連絡先  伊砂砂神杜・草津市渋川1丁目11−32
 交通機関 JR草津駅より徒歩8分


講踊り  (天満宮)上笠町188
場  所
天満宮

祭礼日
5月3日・10月25日

沿  革
起源は定かでないが風流踊りの一つで、降雨祈願のために奉納されたと伝わる。太鼓打ちと心棒打ち各2名を先頭に社参し、締太鼓を胸前に持ち、越前道行を歌う。中踊り(拝殿周縁)、外踊り多数参列し、踊り歌う。花笠や一文字笠を色とりどりに飾りつけ、「イヤア○○踊りをひとおどり、イヤアひとおどり」の口上に合わせ29番120歌「おんどろよ」と歌い、最後に「○○踊りはこれまで」で終了する。

 連絡先  老杉神社・草津市下笠町1196−1
 交通機関 JR草津駅より近江バス上笠郵便局下車


えとえと祭り  (老杉神社)下笠町1194
場  所
老杉神社・神事元

祭礼日
2月10日午前中、12日から14日終日(14日は午前3時から)、15日午前6時から正午

沿  革
農耕と祭神速素盞命に係わり、五穀豊穣、厄除、家内安全を祈願して行われる。8宮座あり、輪番で当番宮座が神事奉仕する。十日は内清め(神事元宅で修祓)。12日は道具揃えと蛇縄縫い。
13・4日は古式神饌調理。15日は午前6時に神饌持参のうえ社参し、神饌献持。10時にえとえと祭りを執り行う。
 
 連絡先  老杉神社・草津市下笠町1196−1
 交通機関 JR草津駅より近江バス下出下車


さんやれ踊り  (老杉神社)下笠町1194
場  所
老杉神社

祭礼日
5月3日正午から午後6時まで

沿  革
中世において五穀豊穣を祈願して奉納された猿楽田楽に起縁し、それを地元の村人が伝承したといわれている。また村人の幸あれと願つたものであるともいわれる。鼓を先頭に、大小太鼓・鐘・ささら・笛・音頭と続き、境内各社の前で稚児踊り・大宮踊りなどが奉納される。また渡御にも加わる。

 連絡先  老杉神社・草津市下笠町1196−1
 交通機関 JR草津駅より近江バス下出下車


守山市

松明祭り  (勝部神社)勝部町339
場  所
勝部神社

祭礼日
1月8日午後8時30分奉火

沿  革
土御門天皇の病気平癒を祈願して、大松明を大蛇にみたてて、これを焼き払つたのが始まりと伝えられている。
まず、午後7時頃に修祓が行われ、続いて太鼓渡り、牛玉参りの後、松明の宮入りとなる。奉火され九分通り燃えると引き出して、神前の小川で消火する。一同は神前で無事に終了したことを奉告する。

 連絡先  勝部神社・守山市勝部町338−1
 交通機関 JR守山駅より徒歩5分


けんけと祭り長刀振り (小津神社)杉江町495
場  所
小津神社・氏子周辺

祭礼日
5月5日

沿  革
社記によると、欽明天皇28年に洪水が起き、社殿が琵琶湖へ流出したとある。その後、神霊を湖中から迎えたという故事が、現在の長刀振りと伝えられている。
踊りは、笛・鉦・ささら・鼓・太鼓の囃に合わせて、美しい友禅模様の着物に、色あざやかな鉢巻や褌姿の子供たちが奉仕する。

 連絡先  小津神社・守山市杉江町495
 交通機関 JR守山駅より近江バス杉江下車


鮒すし切り神事  (下新川神社)幸津川町1356
場  所
下新川神社

祭礼日
5月5日午後1時

沿  革
すし切り祭り。琵琶湖でとれた鮒の塩漬けにしたもの(鮒鮨に加工する前段階)を当番組の青年(長男)2人が神前において、包丁と賄箸(まなばし)を用いて切り離す。
頭・尾・ひれと切断し、胴はいくつかに切り、竹で組んだ祭壇に供える。なお前日と当日には、長刀踊りやかんこの舞いが数回にわたつて奉納される(けんけと祭り長刀振り)。

 連絡先  下新川神社・守山市幸津川町1356
 交通機関 JR守山駅より近江バス幸津川南下車


勧請吊り  (天満宮)小浜町944・(八幡神社)小浜町533
場  所
八幡神社・天満宮・大日堂

祭礼日
1月11日

沿  革
当日は氏子各戸より男子(主に世帯主)が出て、字内の大日堂の中で2本の大きな注連縄(勧請縄)を作る。
1本を八幡神社に、1本を天満宮に吊るすが、古くは村のはずれにも1本ずつ吊るしていた。注連縄中央には竹で編んだ「目」 を付け、二匹の蛇の交合の姿を模しているという。一般的な注連縄の持つ意味の他に、秋の豊作を祈つて氏子全員が共同作業で行つている。

 連絡先  小浜町自治会館・守山市小浜町
 交通機関 JR守山駅より近江バス小浜下車


栗太郡
栗東町

相撲祭  (大宝神杜)綣1004
場  所
大宝神社

祭礼日
10月18日に近い日曜日午後1時から夕方

沿  革
水利をめぐつて、栗東町北中小路と守山市二町では争いが絶えなかつたが、相僕によつて勝負したのが祭りのおこりと伝える。
祭典の後、境内を土俵として、神事相撲と称し、北中小路と二町の子供が赤白の褌をして押し相撲を行う。その後、子供・青年・一般に分かれて奉納相撲が行われる。

 連絡先  大宝神杜・栗太郡栗東町綣1004
 交通機関 JR草津駅より近江バス綣郵便局前下車


どじょう祭り  (三輪神社)大橋227
場  所
三輪神社・当番家

祭礼日
5月10日

沿  革
東西に分かれた当番村で鰌鮨の神饌調理が行われる。鰌鮨づくりは、前年から用意し始め、8日の口明けには、ココロミといつて神社で試食する。そして再度当番家に戻り本格的な神饌づくりにはいる。
組立ては古式にのつとり、御膳と漬物御膳の二種類が仕立てられる。準備が終わると竈払いの儀式があり、次いで三輪神社ヘお渡りする。鰌鮨などが神前に供えられ、祭典 が行われる。鰌鮨は直会に肴として食される。

 連絡先  三輪神社氏子総代・栗太郡栗東町大橋
 交通機関 JR手原駅より徒歩5分


餅搗祭り  (出庭神社)出庭250
場  所
出庭神社・当番宅

祭礼日
5月1日

沿  革
田植えを前にして、作物の豊穣を祈念するために行われる祭礼。年寄組(50〜60歳)と若衆組30〜40歳)が神事講をつくり、各1年交替で渡し番をつとめる。
4月22日の口明けの儀、29日の米研ぎの儀を終え、30日に御鏡餅の儀(餅搗き)が行われる。4臼めが搗き終わる頃に当主が謡曲千秋楽をうたい、4組の鏡餅が仕上げられる。5月1日には鏡餅が神社に奉納され、神事が行われる。

 連絡先  井口天神杜・守山市梅田町
 交通機関 JR草津駅より帝産バス出庭下車


花傘踊り  (小槻大社)下戸山1200
場  所
小槻大社

祭礼日
5月5日正午から午後4時頃まで

沿  革
古くは4月初卯日に行つていたが、明治42年以降、現行日に改められた。祭りの当番は1村ごとの年番制で、山寺、宮ケ尻・岡、目川、坊袋、川辺が担当する。
永徳2年(1382)の木札に榊本衆の名がみられ、これは現在の各村の神事元に相当する。花傘踊りの奉納は、棒振り・槌打ち・鯛釣り・太鼓打ち・太鼓受け・笛吹き・鉦すりの各子役が中心となり、神前での奉納儀式に続いて神輿渡御が行われる。

 連絡先  小槻大社・栗太郡栗東町下戸山1212
 交通機関 JR草津駅より帝産バス下戸山南口下車


山の神  上砥山
場  所
その年の当番の家(宿)および山(西山・東山)

祭礼日
旧1月1日から7日まで

沿  革
7日間に及ぶ神事で、特に山の神木でつくつた男女二体の人形神体を合体さす性交模倣儀礼は、生産の神秘性を祭儀に現わしたものである。
山の神まつりの当人は4人で、7日間の行のあいまは、食事も家人と共にせず、精進潔斎の日々を送る。6日深夜から7日未明にかけては、山中の祭場へ木股神像を納め、男神を下に置き、女神を手に持ち、男女性交の所作をする。

 連絡先  栗太郡栗東町上砥山
 交通機関 JR草津駅より帝産パス上砥山下車


濁酒祭り  (日吉神社)上砥山660
場  所
日吉神社境内、野神神社・野神さん(丘陵)

祭礼日
6月1日に一番近い日曜日の午前中

沿  革
6月初頭に神社・野神さんで祭礼が行われた後、神酒(濁酒)が参拝者にふるまわれる。この濁酒は、まず前年の5月中旬に神饌用田植祭により当番の田が定められ、9月に抜穂式がなされ、玄米2斗が酒造米として保管される。
翌年3月下旬には玄米を酒造用白米に仕上げ、4月にしこみがされる。5月下旬、神酒殿で濁酒の量とアルコール度数の検査を受ける。そして神酒として献じられる。

 連絡先  日吉神杜・栗太郡栗東町上砥山660
 交通機関 JR草津駅より帝産バススターライト下車


太鼓踊り  (日吉神杜)上砥山660
場  所
日吉神社境内

祭礼日
9月第1土曜日

沿  革
雨乞いの返礼踊りで、古くは旧8月15日仲秋の名月の夜に行われた。
青年たちが中心となり、役割は、太鼓打ち6人・新発意2人・側踊り(花踊り)中踊り多数からなり、他に年配の音頭取り数人が加わる。踊りは神社拝殿前の広場に進むと、中央にたき火をし、太鼓打ちは東西に、側踊りと中踊りは南北にわかれて向かい合い、新発意はその中に入る。踊りには、道行・神の踊り・名所踊りなど17種ある。

 連絡先  田楽踊保存会・栗太郡栗東町上砥山区長宅
 交通機関 JR草津駅より帝産バ’ス上砥山下車


太鼓踊り  御園
場  所
民家の庭先・社寺境内

祭礼日
不定期

沿  革
上山依太鼓踊りとも称するが、由来については定かでない。昔から社寺の境内や農家の庭先で行われ、一晩中踊りあかしたという。踊りには、場締め踊り・お蔭踊り・屋形踊り・鐘巻踊り・追善踊り・順礼踊り・拾七踊り・恋の踊り・山伏踊り・宮山踊り・大宮踊り・いくさ踊り・小陣役踊りなどがある。
役割はシンボチ1人・太鼓(踊り手、二人一組)10人・唄い手10人・鉦1人・笛3人で、衣装を凝らして行われる。

 連絡先  御園太鼓保存会・栗太郡栗東町御園
 交通機関 JR草津駅より帝産バス服部前下車


野洲郡
中主町

神事祭 五百母祭  (高木神社)八夫1451
場  所
高木神社・氏子周辺

祭礼日
2月7日・3月8日

沿  革
2月7日神事祭と3月8日五百母祭とで一連の神事とされる。神事祭では男性の性器、五百母祭では女性の性器(前者は牛旁を大豆かすで漬けたもの、後者は餅で形作ったもの)が神饌で、それらを入れた大桶を男性数人でかついで各氏子に配り歩く。それぞれの日には神事邸・五百母邸と称する「やど」が担当し、各家の長男が御幣を、一族の女児が帯と茅の輪を持ち、氏子総代と共に宇内を練り歩く。

 連絡先  兵主大社・野洲郡中主町五条566
 交通機関 JR野洲駅より近江バスハ夫下車


節分祭  (兵主大社)五条566
場  所
兵主大社

祭礼日
節分前の吉日

沿  革
乾湿伺神事・豆占い。節分につきものの豆(大豆)を使つて、その焦げ具合で1年12ヵ月の天候を予想する神事。当日にはその結果が氏子に公表できるよう、前日までの吉日を選んで宮司が豆をいる。

 連絡先  兵主大杜・野洲郡中主町五条566
 交通機関 JR野洲駅より近江バス兵主大社前下車


例祭  (兵主大社)五条566
場  所
兵主大杜・氏子周辺

祭礼日
5月5日

沿  革
兵主祭り。3日には当番字の氏神の神前で渡御奉告祭を斎行、本社以下16社の御幣と絹幣を供える。当日は当番字の氏子一同が氏神に参拝後、御幣・絹幣を先頭に兵主大社まで渡御する。
神輿・稚児もこれに続く。また郷内各社からも神輿・太鼓が集結し、総計30基余が参道を渡御。午後の古例祭には兵主16郷の各社に御幣を頒布し、各神輿に神饌を供して還御となる。

 連絡先  兵主大杜・野洲郡中主町五条566
 交通機関 JR野洲駅より近江バス兵主大社前下車


御千度祭  (兵主大杜)五条566
場  所
兵主大社

祭礼日
7月初句の吉日

沿  革
常緑で強い生命力を持つ椿の葉は、古来から神の依代として榊と並んで尊い木とされてきた。
厳しい暑さを前に健康延命・疫病退散の意味を込めて御百度参りをするという素朴な神事である。兵主大社の境内社である乙殿神社の氏子が一同に会し、一人一人椿の小枝を手に境内を往復しながら神前に供える。同様の祭事に戸津神社(境内杜)の「はだし参り」もある。

 連絡先  兵主大杜・野洲郡中主町五条566
 交通機関 JR野洲駅より近江バス兵主大社前下車


神事祭  (戸津神社)安治
場  所
戸津神社・氏子周辺

祭礼日
1月および9月の吉日

沿  革
神事の「やど」の家から、その家の男児と一族の女児が、それぞれ御幣と帯を持ち、それを先頭に以下神饌等を持つた老人・宮衆が神社まで渡御する。
神饌は、蒸し米を型で高く盛り上げた「もっそ」・豆・えび等で、祭典終了後、氏子各戸が盆を持つて「おさがり」を戴きに来る。
なお1月は鬼の字を弓で射る神事、9月には相撲の神事を行う。

連絡先  兵主大社・野洲郡中主町五条566
交通機関 JR野洲駅より近江バス井口下車


ぬり山  (矢放神社)吉川
場  所
矢放神社

祭礼日
春の農作業に入る前の吉日

沿  革
境内の神池の中に神籠木を12本植えた神山を祀っている。1月10日には「十日舞」という神事を行い「勧請吊り」をする。春の苗代準備にとりかかる前の吉日を選び、氏子総出で神山の清掃を行い、神池の底をすくつた泥を塗り付けて形を整える。これが済むと氏子の人々は農事に励むと意気込んで、苗代の準備にかかるという。古来から田の神を迎える神迎えの神事として現在にまで残つている。

 連絡先  兵主大杜・野洲郡中主町五条566
 交通機関 JR野洲駅より近江バス吉川下車


八ケ崎神事
場  所
マイアミ浜水泳場沖(中主町吉川)

祭礼日
11月下旬から12月上旬の吉日 午前10時

沿  革
養老2年(718)の祭神鎮座のありさまを再現するものといわれる。当日は、船頭役である木村家に立ち寄り、宮司とともに祭場に向かう。
浜辺において修祓の後、宮司が湖中を沖まで進み、祝詞を奏上して祭神を迎える。なお古来から秘密神事とされており、一般の参拝者は遠慮してもらつている。

 連絡先  兵主大杜・野洲郡中主町五条566
 交通機関 JR野洲駅より近江バス吉川下車


野洲町

御田植祭  (御上神社)三上839
場  所
御上神社

祭礼日
5月25日

沿  革
昭和大礼大嘗祭悠紀斎田田植祭ともいう。昭和3年、昭和天皇即位の際の大嘗祭の新穀を供進する悠紀地方に滋賀県がト定された時、三上が悠紀斎田の地に選定され、盛大な御田植祭が営まれた。
以来、保存会によつて毎年御上神社境内の斎田で、巌谷小波作詞の「お田植え歌」にぎやかに、早乙女が苗を植える。斎田で収穫された稲は宮中に献上される。

 連絡先  御上神社・野洲郡野洲町三上
 交通機関 JR野洲駅より滋賀交通バス御上神社前下車


若宮殿相撲御神事  (御上神杜)三上839
場  所
御上神社・氏子周辺

祭礼日
10月9日から14日

沿  革
ずいき祭りともいう。秋の収穫感謝と子孫繁栄を祈念する。起源は鎌倉時代以前。5つの宮座から毎年1人ずつ頭家が奉仕、4年前から諸準備にかかる。祭礼は9日甘酒行事11日湯立て、12〜3日には各頭家でズイキで神輿をつくり、栗・柿・粟・稗などで装飾し、14日朝行列を組んで奉納する。同日夜、神社で芝原式。東西両座から力士が出て相撲をとる。

 連絡先  御上神杜・野洲郡野洲町三上
 交通機関 JR野洲駅より滋賀交通バス御上神社前下車


午王祝の神事  (野蔵神社)南桜
場  所
当家宅

祭礼日
12月最後の日曜日から1月5日まで

沿  革
御神事ともいう。野蔵神社氏子の相続披露と子孫繁栄の儀式で、当人にとつて一生一代の盛儀。
起源は室町以前。不浄を避けて社参を続け、精進潔斎の1年を送つた当家は、1月5日早朝に行列を組んで、「御祝い唄」もにぎにぎしく杜参する。神前で氏子ともども氏神の宝印を額に頂き、神の加護と弥栄を祈る。この時奉納される御供(荷口)と呼ばれるあずき餅は、子宝を授かるという言い伝えがある。

 連絡先  野蔵神社・野洲郡野洲町三上409−2
 交通機関 JR野洲駅より滋賀交通バス南桜下車


はなづくりの神事  (生和神杜)冨波乙631
場  所
冨波甲の常楽寺境内

祭礼日
1月8日

沿  革
生和神社祭神の藤原忠重が平安時代中期に冨波一の沢の大蛇を退治した古事にちなむ。明治時代からは場所の都合で、一の沢に一番近い常楽寺の境内を借りて勧請吊りを行つている。大蛇に見立てた太い藁作りの縄にかなめの葉を付けて、大蛇が出た道に吊り下げ、一年の無事息災を祈る行事である。なお神事講は、10軒で行つている。
冨波乙にも同様の神事がある。

 連絡先  生和神社・野洲郡野洲町冨波乙631
 交通機関 JR野洲駅より近江バス生和神社前下車


甲賀郡
石部町

石部祭り  (吉御子神社)石部2763・(吉姫神社)石部4075
場  所
吉御子神社・吉姫神社

祭礼日
4月30日・5月1日

沿  革
起源は定かでなく、古くは4月中の酉の日に行われていたが、明治初め頃より5月1日になつた。宵宮祭(4月30日)には氏子の宮籠りがあり、神楽が奉奏される。例祭(5月1日)当日は午前9時から祭典が本殿であり、引き続き分霊を神輿に移して行列を整え、両神杜同時に出発し、御旅行に向かう。大神輿、子供神輿は夕方まで氏子中を巡行する。

 連絡先  吉御子神社・甲賀郡石部町石部2763
        吉姫神社・甲賀郡石部町石部4075
 交通機関 JR石部駅より吉御子神社徒歩10分、吉姫神社徒歩20分


甲西町

ぼんのこへんのこ  (松尾神杜)平松263
場  所
松尾神社からお旅所

祭礼日
7月31日

沿  革
夏越しの祓・五穀豊穣・火難厄除けなどの祈願が混然一体となった祭り。直径2メートル余りの茅の輪(笹竹を荒縄で縛る)の前部に御幣1本と茄子三個(串刺し)を付け、その両者の間に、木製黒色の男根(約60センチ)をぶらさげる。
神殿儀式が終わると男子児童が『ぼんのこへんのこ、さあーくえもんのなーすびやーい』と囃しながら、男根をぶらさげた茅の輪をお旅所までかついでまわる。

 連絡先  立志神社・甲賀郡甲西町三雲1353
 交通機関 JR甲西駅より徒歩5分


田植え踊り  (日枝神社)下田3259
場  所
日枝神社

祭礼日
5月1日午後1時

沿  革
昭和5年に始まる。有栖川宮・高松宮との縁故を永遠に記念するため、村内字高松の地において、新田約一段歩を高松宮献穀田として設けられた。田植え踊りは太鼓の合図に基づいて、歌と共に執り行われる。

 連絡先  日枝神杜・甲賀郡甲西町岩根3691
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス下田下車


水口町

水口祭り  (水口神社)宮の前3−14
場  所
水口神社・氏子周辺

祭礼日
4月19日から20日まで

沿  革
享保20年(1735)に初めて曳山が出され、この時は9基が巡行して、藩邸(加藤家2万5千石)にくり出し、賑わつたと伝えられている。
その後曳山は一町ごとに建造され、最高時は32基を数えたが、現在は16基存在する。二層露店式人形屋台の構造を持ち、屋上にはダシと呼ばれる作り物を載せるが、毎回趣向をこらして出来を競う。19日は宵宮祭、20日は巡行・神輿渡御などが行われる。

 連絡先  水口神杜・甲賀郡水口町宮の前3−14
 交通機関 近江鉄道水口石橋駅より徒歩5分


御田祭  (佐土神杜)内貴729
場  所
佐土神社

祭礼日
2月25日

沿  革
一家に男児が誕生し、成長して田作りに携わり、収穫することを祈念する祭り。輿のなかに妊婦の着物の帯を入れたもの・牛に似せた松の枝・荒米・和米・松葉の束ねたものを準備する。つぎに宮司が祝詞を奏上した後、男児出産のしぐさ・田すき・もみまき・田植えのしぐさを執り行う。そののち玉串奉奠、宮司一拝で終了する。

 連絡先  川田神社・甲賀郡水口町北内貴491
 交通機関 JR責生川駅より徒歩15分


麦酒祭り  (総社神社)牛飼572
場  所
総社神社

祭礼日
7月17日から18日まで

沿  革
17日早朝から水汲みを始め、麦酒を醸造する。昔は麦のみで醸造したが、後世に至つて米麹を半分使用するようになり、昭和8年には裸麦5升・米麹5升・白湯1斗と決めた。社務所において行われ、沸騰させてから20度に冷却した白湯を、別桶に精麦を蒸して米麹と混合した中に注入する。徹夜で撹拌し、5、60度に保ちつつ18日未明に完成さす。11時から本殿に献納し、祭典を行う。

 連絡先  日吉神社・甲賀郡甲南町野尻107
 交通機関 JR責生川駅よりJRバス牛飼下車


的山のおこない (八坂神社)嵯峨1607−1
場  所
家(嵯峨内)

祭礼日
1月7日午後2時

沿  革
宮座としてその家の長男の息災延命・家運隆昌を祈願するもの。侍烏帽子褊綴の装束姿の年寄衆10人の奉仕によつて行われる。初献の盃から七献までの行事と、若松などで飾られた的山での弓射の行事がある。この儀式は施主・総仕人・年寄衆の言動がすべて古式にのつとり一定の作法により厳修される。なお見学は不可。

 連絡先  八坂神社・甲賀郡水口町嵯峨1607
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス岩上橋下車


川枯祭り  (八坂神社)嵯峨1607−1
場  所
八坂神社・氏子周辺

祭礼日
五月一日

沿  革
嵯峨祭りともいう。前日は初老の厄男が獅子頭を持つて氏子全戸を廻る。当日は午前中に祭典、午後からは神輿渡御となる。なかでも神輿渡御では若衆60人が、元禄模様の衣装を着け野洲川を渡る。川を渡る神輿は壮観である。

 連絡先  八坂神社・甲賀郡水口町嵯峨1607
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス岩上橋下車



お弓の神事  (天満神社)和野2024
場  所
天満神社

祭礼日
1月25五日午後4時

沿  革
毎年三人ずつが神くじによってお弓をつとめる。
当日、斎戒沐浴のうえ、古式にのつとつた装束を着け、神前にて神湯神楽の祈祷のあと、馬場先の藁薦を敷き、三人横一列に並び順次矢を射る。二本ずつ三面、位置を交替しながら的をめがけて放ち、その年の豊凶を占う。

 連絡先  佐治神社・甲賀郡甲賀町小佐治2044
 交通磯関 JR貴生川駅よりタクシー15分


太々講  (山村神社)山3019
場  所
山村神社

祭礼日
3月25日

沿  革
神饌を社務所から本殿へ運ぶ時、約30メートルの連絡橋を敷設する。献饌の後、本殿では豊作祈念がなされ、悪魔払いの舞いが行われる。
笙・ひちりき・龍笛・太鼓の音色に合わせて滑稽踊りが奉納される。

 連絡先  柏木神社・甲賀郡水口町北脇
 交通機関 JR責生川駅よりタクシー15分


土山町

けんけと祭り  (瀧樹神社)前野155
場  所
瀧樹神社

祭礼日
5月3日午後2時

沿  革
俗に杣踊りとも称す。この舞いを演ずるのは、氏子中7歳以上12歳までの男児8人である。頭に鶏毛を頂き小袖をつけ、細袴を穿ち小さな鐘太鼓を打ち、棒振り2人と田楽の一隊とともに踊る。鐘・大太鼓・笛を奏して「弥実爾毛狭阿度奈弥実 爾毛狭阿度奈佐和 鶏 毛争 合才 毛争 共合才々々」(げえにもさあとないやあよげ にもさあとなさわ けんけと けんけん けと けんけんけとけんけん)の歌謡を唱える。

 連絡先  瀧樹神社・甲賀郡土山町前野155
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス東前野下車


厄除大祭  (田村神社)北土山469
場  所
田村神社

祭礼日
2月17日から19日まで

沿  革
祭神坂上大宿禰田村麻呂は、勅命を奉じて鈴鹿山中にて東海道を通行する旅人を悩ます悪鬼(山賊)を平定し平安を取り戻したという。しかしその後も、五穀は豊熟せず疫病が流行したため、弘仁3年(812)に厄除大祭を斎行すると、霊験が速やかに現れたと伝える。以降、現在に至るまで厄除けの大神として広く信仰されている。

 連絡先  田村神社・甲賀郡土山町北土山470
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス田村神社下車


太鼓踊り  (加茂神社)青土1049
場  所
加茂神社・氏子周辺

祭礼日
10月10日午前11時から午後五5頃まで

沿  革
中世末期から近世初期にかけて流行をみた風流踊りにその起源があり、雨乞いの踊りととして伝えられる。
踊り手の小学生8名と歌方及びホラ貝吹きの専務団(青年団)の計14名で踊りをつとめる。当日は八十宿と呼ばれるクジによつて選ばれた家において準備を始める。それから神社、御旅所、寺と順々に踊りを奉納し、町内をまわる。

 連絡先  田村神社・甲賀郡土山町北土山470
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス青土口下車


花笠太鼓踊り  (大宮神社)黒川1040
場  所
大宮神社・氏子周辺

祭礼日
4月15日午前10時

沿  革
室町時代末期、雨乞い踊りとして近くの山で踊り始めたといわれ、のち大宮神社の例大祭に境内において奉納されるようになつた。神職を先頭に、区長・役員・踊りが行列し、神社に向かう。鳥居前で行列を整え直し、振り込みで神社境内に踊り込む。日野祭り・神楽踊り・大黒踊りを奉納する。終了後はさらに各区長宅で踊って幕を閉しる。

 連絡先  大宮神杜・甲賀郡土山町黒川1039
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス黒川口下車


太鼓踊り  (惣王神社)黒滝470
場  所
惣王神社・区長宅

祭礼日
7月11日午前9時

沿  革
雨乞い踊りとして伝わったもの。明治40年頃より5年程度この踊りを休止したところ、旱魃に見舞われた。そこで踊りを復活したところ3日目に雨が降つたといわれている。区長宅で「日のばやし」を踊り、そののち行列して神社に向かう。神社到着後、再び「日のばやし」他7つの踊りを奉納する。

 連絡先  大宮神社・甲賀郡土山町黒川1039
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス黒滝下車


花笠踊り  (上林神社)山女原399
場  所
上林神社

祭礼日
4月15日午後3時

沿  革
この踊りは、雨乞い踊りでもあり、また病気が流行した時などに奉納し祈願されたともいわれている。
総代宅へ集合の後、宮司・区の役員・踊り子が列をつくり神社へ向かう。到着後、歌出しの歌で式入り・場ならし・お蔵踊り・神楽踊りを奉納する。休憩後、里の踊り・宝踊り・津島踊りを奉納の後、寺の境内においてお寺踊りを納して終了する。

 連絡先  大宮神杜・甲賀郡土山黒川1039
 交通機関 JR三雲駅よりJRバス山女原下車


甲賀町
流鏑馬神事  (椿神社)隠岐2075
場  所
椿神社・馬場

祭礼日
4月3日(3日に近い日曜日)午後4時頃

沿  革
南北朝時代、当地の領主佐々木隠岐五郎義清が凶徒を制し、悪魔を射伏するため神に祈念し、駿馬にまたがり矢を射る武術の神事を奉納したのが始まりという。氏子青年男子の中から選ばれた馬乗司は、祭礼前3日間別屋に籠り自炊潔斎をする。
当日は古式の装束を着け、馬にまたがり的矢駆けを行う。また合歓の木で作つた割板の的は、厄除け札として参拝者が奪い合う。

 連絡先  佐治神社・甲賀郡甲賀町小佐治2044
 交通機関 JR寺庄駅より2.5キロメートル


花奪い神事  (大鳥神社)鳥居野782
場  所
大鳥神社

祭礼日
7月24日午後3時

沿  革
祇園会として行われる花奪い神事は、須佐男命の八岐大蛇退治を模して、すべての災い・病気の悪魔を祓うことを願って執り行われるものである。
踊り子、花鉾を各大字10個ずつ参拝して、陰陽栄を歌い、踊りを献納する。花鉾の花枝を参拝客が先を争い奪うことから花奪い神事という。

 連絡先  大鳥神杜・甲賀郡甲賀町鳥居野783
 交通機関 JR甲賀駅より滋賀交通バス大鳥神社前下車


寿行式  (天満神社)高野719
場  所
天満神社

祭礼日
1月3日午前8時

沿  革
氏子の長男の長寿と、一家の繁栄を祈願する行事。一年間無事精進した勤当は、御当餅・黒もじの木に里芋で乙烏を作り、これを持ち「ひょうひょう」と叫びながら神社に入る。拝殿にて受当二人と父兄が参列。祝詞に続き、翁の年長者から勤当・受当にそれぞれ申し渡しが行われる。

 連絡先 大鳥神社・甲賀郡甲賀町鳥居野783
 交通機関 JR甲賀駅より徒歩10分


和田祭り  (金毘羅神社)和田
場  所
金毘羅神社

祭礼日
10月15日

沿  革
一年間に生まれた男の子を、和田の高台にある観音山の金毘羅さんの祠にお参りさせ、氏子になつた報告をし、割符に名前を書いてもらう。割符に書かれている早い順に祭当主(15〜20歳前後)となり、祈祷終了後、神酒と大豆の枝付蒸豆が、ふるまわれる。いわゆる元服の儀式ともいえる。

 連絡先  油日神社・甲賀郡甲賀町油日120
 交通機関 JR油日駅より徒歩10分


油日祭り  (油日神杜)油日1042
場  所
油日神社・氏子周辺

祭礼日
5月1日

沿  革
3月1日の頭子選びから始まり、4月14日の獅子の出初め式を経て、5月1日の祭礼を迎える。役は騎乗の頭殿以下六十余人から構成され、行列をなして社参する。宮立式・神輿渡御・列結野御旅所での山の舞いに引き続いて、頭殿の古式に基づいた幣振りが執り行われる(奴振りとも呼ばれる)。

 連絡先  油日神杜・甲賀郡甲賀町油日1209
 交通機関 JR甲賀駅よりタクシ15分、またはJR油日駅より徒歩30分


大宮ごもり  (油日神杜)甲賀郡甲賀町油日
場  所
油日神社

祭礼日
9月13日 午後6時から午前0時まで

沿  革
氏子をはじめ油業界・崇拝者から献上された油と灯明による千数百の燈明は、夕刻から深夜に至るまで点され、境内や参拝者を照らす。豊作祈願の祭りであるが、油日神を祀るところから万燈講として行われるようになったという。
各字ごとに設けられた座では御神酒を飲み、境内では氏子青年による神賑行事も加わり祭り気分を盛りあげる。昔は廻廊に蚊帳を吊り、一晩中籠もった。

 連絡先  油日神社・甲賀郡甲賀町油日1209
 交通機関 JR甲賀駅よりタクシ15分、またはJR油日駅より徒歩30分


甲南町

矢川祭り  (矢川神社)森尻
場  所
矢川神社・氏子周辺

祭礼日
五月一日

沿  革
深川祭りともいう。神前での神事のあとは、神輿を中心に氏子各村から奉じる榊を子供が持ち、稚児も加わつて深川市場の天満神社境内の御旅所まで渡御が行われる。近年、深川市場・深川・耕心の子供神輿も境内に練り込むようになった。

 連絡先  矢川神社・甲賀郡甲南町森尻70
 交通機関 JR甲南駅より徒歩10分


つくりぞめ・びしや  (大元神社)杉谷市ノ瀬
場  所
大元神社・勤当宅

祭礼日
1月12日・17日

沿  革
12日つくりぞめ。勤当(氏子入りした男子宅、もしくは男子が誕生した家)の家で15メートル程の大縄がつくられ、そこには12本の縄と幣が吊られる。17日びしゃ。勤当のあいさつで始まり、大縄が切られる。御神酒の肴は・ウドメ(大根・大豆)、初献は赤飯、二献はコンニャヤク、三献は花のとう(牛蒡に蕾のついた梅の枝を差し、唐がらしをかけたもの)が出る。なお、大縄は神社に吊られる。

 連絡先  杉谷神杜・甲賀郡甲南町杉谷967
 交通機関 JR甲南駅よりタクシー10分


池田祭り  (檜尾神社)池田54
場  所
檜尾神社

祭礼日
3月21日

沿  革
古式を今に残す御田植祭の神事。境内において「天狗さん」(猿田彦命)の指示に従い、すげ笠をかぶつた3人の子供が、前後に動きまわり、苗代の苗取り作業や田植えの真似を執り行う。

 連絡先  檜尾神杜・甲賀郡甲南町池田
 交通機関 JR寺庄駅よりタクシ15分


信楽町

太鼓踊り  (日雲神社)牧75
場  所
日雲神社

祭礼日
9月4日夜

沿  革
現在の形になつたのは、江戸時代中期頃と思われる。踊りは氏子の青少年によつて奉納される。
音頭取り数人・踊り子20数人・しんぽうち(司会進行役) 1人からなる。社前広場中央に篝火をたき、それを囲んで夕方から深更に至るまで踊り続けられる。道ゆき歌が6、踊り歌が11残っている。

 連絡先  日雲神社・甲賀郡信楽町牧75
 交通機関 信楽高原鉄道雲井駅より徒歩10分


宮座神事  (三所神社)上朝宮1481
場  所
三所神社

祭礼日
10月10日

沿  革
神殿を正面にすえ、拝殿を中心に東西に七棟の建物(座)が並び、そこで宮座が行われる。主な行事は、1 供食儀礼(各座ごとに頭屋があり、「くるみごんぼ」と「甘酒」を共通のものとし、その他酒肴を用意して酒宴を催す) 2 献饌(伝供で供物を神前に捧げる) 3 すもう(晒木綿のまわし姿で相撲をとる) 4 おんだのもちまき(小旗と小判形の餅を投げながら豊作を祝う)である。

 連絡先  日雲神社・甲賀郡信楽町牧75
 交通機関 信楽高原鉄道信楽駅よりJRバス朝宮下車


水戸口祭り  (里宮神杜)多羅尾2017
場  所
里宮神社

祭礼日
2月10日

沿  革
牛王さん(紙をつけたハゼの木と成花)を苗代の水戸口に祀り、五穀豊穣を祈願する祭り。月行事(当人)はハゼの木を山から切り出し、紙の当人は美濃紙をハゼの木に付ける。成花の当人は、成花(黒モジの木に餅を付けたもの)をつくり、それらは神社で祓をうける。そののち、氏子は一本ずつ持ち帰り、水戸口に祀るのである。

 連絡先  里宮神社・甲賀郡信楽町多羅尾1179
 交通機関 信楽高原鉄道信楽駅よりJRバス多羅尾下車



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