湖東
近江八幡市
左義長祭 (日牟礼八輸宮)宮内町257
場 所
日牟礼八幡宮・氏子周辺
祭礼日
3月14・15日に近い土・日曜日
沿 革
『信長公記』に、織田信長が安土において毎年正月盛大に左義長を行い、自ら異粧華美な姿で踊り出たとある。信長没後、豊臣秀次が安土の住民を八幡城下に移住させたことにはじまる。
左義長は藁で三角錐の松明を作り、そこへ赤紙を中心とした紙製品で飾り付け、自由な変装をした踊り子が神輿のように担ぎ回る。日曜日の夕、くじの順に奉火する。
連絡先 日牟礼八幡宮・近江八幡市宮内町227
交通機関 JR近江八幡駅より近江パス大杉町下車
場 所
日牟礼八幡宮
祭礼日
4月14日(松明祭) ・15日(太鼓祭)
沿 革
応神天皇が近江に行幸の際、舟で現在の南津田へ上陸した時、住民が葭で松明を作り、八幡まで道案内をしたと伝える。14日夜、八幡12郷の中鷹飼より祭りの火が始まり、最後に拝殿神輿前にて「まいじゃらの神事」「けずりかけの神事」が行われる。千年来の鉾が神役に渡され、翌日の太鼓渡しの順のしるしとなる。そして15日夕刻から渡御が行われる。
連絡先 日牟礼八幡宮・近江八幡市宮内町227
交通機関 JR近江八幡駅より近江パス大杉町下車
場 所
公礼八幡宮
祭礼日
旧暦6月1日午前5時から昼まで
沿 革
始まりは詳らかでないが、孝徳天皇の代に遣隋使となつた吉土長丹が帰国後、宇津呂荘を賜わり、呉姫漢姫を祀ってから後の事ではないかと思われる。境内に神池があり、その池で手足を洗えば、その冬には凍傷にならないとして、2月某日に行われていたが、現在では旧暦6月1日に行われている。
連絡先 日牟礼八幡宮・近江八幡市宮内町257
交通機関 JR近江八幡駅より徒歩20分
場 所
加茂神社馬場
祭礼日
5月6日午後3時
沿 革
寛治4年(1090)、蒲生郡船木庄半分を上賀茂・下鴨両社の競馬料として寄進されたことに始まる。例祭後、御旅所神幸祭を終えてから、五頭の神馬によつて五度の足駄の走馬が行われる。
連絡先 加茂神社・近江八幡市加茂町2891
E-mail y-okada@mx.biwa.ne.jp
交通機関 JR篠原駅、または近江八幡駅より近江バス加茂下車
場 所
篠田神社
祭礼日
5月4日(雨天は花火のみ順延)点火は午後9時30分
沿 革
日本古来の花火の製造法を伝えている大仕掛け(高さ15メートル、幅25メートル)の絵花火で、約1ヵ月の手間をかけて作られる。点火すると火薬が音もなく燃え、闇のなかに青白い光の糸で絵姿を浮かべる。江戸時代に雨乞いの返礼として、御用硝石を用いて花火をつくり、余興と技術の錬磨の場としたとされる。
連絡先 篠田花火保存会・近江八幡市上田町篠田森 篠田会館
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス上田町下車
場 所
馬渕町岩倉団地地先
祭礼日
1月5日
沿 革
早朝、御神酒と大型をあらわす木の枝を馬渕町216番地地先旧馬場の大岩が突出している所に供える。その行事は卍大人の者が奉仕する。そして前年一番早く生まれた大門の年行事の者が参拝する。後刻、御神酒で直会が行われる。
連絡先 近江八幡市倉橋部町
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス岩倉下車
場 所
馬見岡神社・八幡社
祭礼日
5月1日から4日まで
沿 革
室町時代末期頃から始まつたとされるが詳細は不明。4月26日、4村で祭礼が始まる。5月2日の朝渡りは、全氏子裃袴で渡御をする。鉦・太鼓・神輿で行列し、椿神社から馬見岡神社まで渡御する。直会は拝殿下にゴザを敷き、御供割神事が行われる。神酒と御供(米)のみで飲食がなされる。
連絡先 八幡十二神社・近江八幡市長福寺町254
交通機関 JR近江八幡駅より近江パス岩倉下車
場 所
安吉神社
祭礼日
5月5日
沿 革
以前は8頭の神馬が集まり、郷内各町から的を持ち寄った。3時頃から御酒とちまきの酒宴があり、4時頃神輿の渡御が御旅所まである。次に拝殿近くから鳥居の馬場までを七度半の弓の使が行われる。なお各町から15本の的を3ヶ所にわけてなされる。
連絡先 苗村神社・蒲生郡竜王町綾戸
交通機関 JR近江八幡駅よりJRバス倉橋部下車
お田植え大祭 (阿賀神社)小脇町
場 所
阿賀神社参道第二鳥居横神饌田
祭礼日
5月第三日曜日午後1時
沿 革
紀元二千六百年を記念して、以後毎年神饌田(約25アール)で行われる五穀豊穣を祈る祭り。
敬神講社の各支部持ち回りで、奉耕手(小・中学生約70名)の奉仕によつて、昔ながらのすげ笠に手甲脚絆姿で、お田植え歌とお田植え踊りに合わせて苗を植える。
連絡先 太郎坊阿賀神社・八日市市小脇町2247
交通機関 近江八幡駅または米原駅より近江鉄道太郎坊駅下車
場 所
阿賀神社
祭礼日
7月23日から24日まで
沿 革
今から800年前の昔から、この日に参拝すれば千日間の日参と同じご利益があると言い伝えられている。境内や参道には御神燈提灯(五千灯)を献灯し、祈願大ローソクによる献火や、参集殿では演芸大会が催される。23日夜には、奉納煙火(約千発)が打ちあげられる。
連絡先 太郎坊阿賀神社・八日市市小脇町2247
交通機関 JR近江八幡駅または米原駅より近江鉄道太郎坊駅下車
場 所
阿賀神社山上広場
祭礼日
12月8日午前10時
沿 革
現在の規模になつたのは三十余年前。全国各地の崇敬者から捧げられた神木30余万本)が形代(身替り)となつて忌火で焚き上げられることから、奉納者の罪穢は祓い清められて、身心ともに清浄な姿で新年を迎えるという祭り。
当日は約百人の修験者によつて山伏問答・火渡り神事等が行われる。また当神社敬神講社から奉仕される山伏稚児が祭りに彩りを添える。
連絡先 太郎坊阿賀神社・八日市市小脇町2247
交通機関 JR近江八幡駅または米原駅より近江鉄道太郎坊駅下車
場 所
日吉神社
祭礼日
4月第2日曜日
沿 革
当神社近くの吉住池を水源地とする近隣氏子の湧水進行が始まりといわれている。その後、建部郷17ヶ村の氏子が神輿7基を昇ぎ、こぞつて祭礼に参加するようになつた。往時は守護佐々木氏が検使を、また江戸時代には井伊家から祭礼奉行が派遣され、警護にあたるなどの変遷を経で、明治2年には古式ゆかしき王朝絵巻を思わせる祭礼様式となつた。
連絡先 日吉神社・八日市市建部日吉町678
交通機関 近江鉄道八日市駅より徒歩15分
場 所
若松天神社
祭礼日
1月4日午後1時から6時まで
沿 革
弓始祭。現在の形になつたのは明治初期。本郷外から籤で選ばれた、お参り・おかげの2戸に組人が集まり、餅をつき神輿に飾る。餅形は平餅・サンダワラ形。社参は裃を着用し、御幣を持ち餅御輿を従える。境内に祭馬をつくり、宮司が梅の木の矢・女竹の弓を三本射る。的に当たれば豊穣になるといわれ、村人は喜んで、新年の挨拶をする。
連絡先 河桁御河辺神社・八日市市神田町379
交通機関 近江鉄道八日市駅より徒歩30分
場 所
河桁御河辺神社・氏子周辺
祭礼日
3月第3日曜日
沿 革
はだか祭りともいわれ、氏子6ヶ町から選ばれた頭人が主体の祭りである。当家の庭先に、前日にオハケを立て氏神を要請。宵宮祭には裃で参列し、ミクジを取つて参籠する。当日は浄衣を着用し、馬上にて若衆連を従え正午宮入り。
1時に列を整え、氏子区域約8キロの渡御に出達。御輿・馬8頭の列となる。はだか祭りの名称は、若衆連の渡御の装束が、シヤツ姿であることによる。
連絡先 河桁御河辺神社・八日市市神田町379
交通機関 近江鉄道八日市駅より徒歩30分
場 所
山田神社・氏子周辺
祭礼日
5月3日
沿 革
江戸時代の『淡海落穂草』に記載されている神事。現在は多少の変動はあるが、神童(稚児)が大振麻・大幣・小幣・榊等の幣類をもつて渡御する。これは神籬をすべての神童に持たせた神籬神事であったと思われる。榊が多く必要なので、いつの時代にか、幣串に変化したものと思われる。
連絡先 山田神社・彦根市宮田町128
交通機関 近江鉄道鳥居本駅より徒歩10分
場 所
滋賀県護国神社
祭礼日
8月13日から15日まで
沿 革
昭和52年、殉国の慰霊安鎮と報恩感謝のため、「みあかし」を掲げて感謝の誠を捧げる献灯行事が行われた。期間中約4千 5百燈の提灯が奉献され、慰霊と平安を祈る祭典行事を執行し、併せて種々の催し物も行われる。
連絡先 滋賀県護国神社・彦根市尾末町1−59
交通機関 JR彦根駅より徒歩10分
場 所
北野神社・蛭子神社(境内社)
祭礼日
1月9日から10日まで
沿 革
境内社の祭神であつた蛭子大神を昭和30年、彦根の意気を昂揚するため、行つたのが始まり。
9の餅つき神事で始まり、同日市内から募集した福娘15人が市役所・商工会議所・商店街等に挨拶を兼ねてパレードを行う。10日は正午の祭典に福娘が奉仕し、福引付福笹および吉兆、各種を授与する。
達絡先 北野神社・彦根市城町2丁目7−23
連絡機関 JR彦根駅より近江バス長曽根下車
場 所
八幡神社・氏子周辺
祭礼日
不定期
沿 革
起源は江戸時代の中期頃と推定されるが詳細不明。現在は古老を中心に伝統を受け継いでいる。
道行き踊り・雨乞い踊り・豊年踊り・綾踊り・木きり子踊りの五種類があり、延々と踊り続ける。音頭があり、太鼓が入り、踊りが入る。踊は「デン・デイコデン・デコデエー・デン・デイコデン」で始まる。
連絡先 山田神社・彦根市宮田町128
交通機関 JR彦根駅よりタクシー10分
場 所
近々木神社
祭礼日
7月第二日曜日夜
沿 革
起源は古く、不詳であるが、昭和31年から再興された。近郷の田の虫除けとも降雨祈願のためとも伝えられている。当日は式典後、夜に火を焚き、その回りを幌を着けた近郷の有志が踊る。幌踊りともいう。
連絡先 新神社・彦根市岡町128
交通機関 JR南彦根駅より徒歩1分
場 所
高宮神社・氏子周辺
祭礼日
4月9日午後6時から11時、例祭4月10日午後1時から9時
沿 革
鎌倉末期に起因する。氏子17ヶ町によつて前日篝火に点火。参拝する氏子崇敬者は浄火によつて身を浄め、翌日の例大祭を迎える。例大祭終了後、神輿1基・鳳輦1基・大太鼓8個・鉦17個によつて神輿渡御。神幸祭終了後、19対の高張提灯を掲げて本社へ。還御の光景はたいへん壮観であり、近郷在住の参拝者で賑わう。
連絡先 高宮神社・彦根市高宮町1875
交通機関 近江鉄道高宮駅より徒歩5分、またはJR南彦根駅よりタクシ15分
場 所
天満天神社
祭礼日
4月15日
沿 革
明治初年に始まる。毎年氏子三町から大太鼓が多勢の若人たちによつて境内に担ぎ込まれ、鐘、太鼓の音色が終日境内に響く。最も大きいものは、直径1メートル82センチ、重量3トン、長さ2メートル28センチ、担台の長さ12メートルで、百人の人々によつて担がれる。
連絡先 天満天神社・彦根市清崎町1502
交通機関 JR河瀬駅よりタクシー10分
場 所
荒神山頂・山麓遥拝所
祭礼日
6月29日から30日まで
沿 革
天智天皇の時代、本社が犬上・愛知・蒲生・神崎四郡の祓殿と称した頃、毎年6月晦日に大祓会を催したのが始まりという。現在でも祭りには茅の輪を設けるところから、夏越しの祓が、そのまま荒神山神社の大祭となつたと思われる。当日の行事としては、本社が火の神を祀るところから、満3歳までの幼児を対象とする神楽の奉納があり、これを受けると将来、火難から免れられるという。
連絡先 荒神山神社・彦根市清崎町1931
交通機関 JR河瀬駅または稲枝駅よりタクシー15分
場 所
稲村神社
祭礼日
4月18日(近年は18日に近い日曜日)午後1時
沿 革
明治初年頃から始まつたという。2メ〜トル近くもある大太鼓9基が渡御し、その勇壮さを町々で競いあう。そのほかには氏子9人の稚児によって、浦安の舞・豊栄の舞いが奉納される。
連絡先 稲村神社・彦根市稲里町2488
交通機関 JR稲枝駅よりタクシー10分
安土町
場 所
4月4日から5日まで
祭礼日
熊野神社
沿 革
寛永4年(1627)3月から始められたと伝える。古くは毎年4月22・23日に行われていたが、明治40年から現行の日となる。
宵宮は午後8時から大松明3本の献火と大太鼓の渡御、本祭は午後2時から大太鼓の渡御が執り行われる。
連絡先 熊野神社・蒲生郡安土町香庄110
交通機関 JR安土駅より徒歩10分
花の四月祭 (活津彦根神社)下豊浦4272
場 所
活津彦根神社
祭礼日
4月3日から5日まで
沿 革
織田信長の安土城以来のものという。径三尺の締太鼓を背から前に下げ、鐘に合わせて手を振りながら踊る。そして当年元服者(数え年17歳)が、朝管絃の時に御殿舞いと称して、成人したことを産土神に奉納する。さらに拝殿内には7社の神輿が集合し、宵宮本祭と神幸がくりひろげられる。
連絡先 活津彦根神社・蒲生郡安土町下豊浦4265
交通機関 JR安土駅より徒歩10分
管絃渡御 (奥石神杜)東老蘇1615
場 所
奥石神社
祭礼日
4月5日から6日まで
沿 革
管絃渡御は神幸祭の後、行列を整え鐘・太鼓の次に神旗の列が続き、長生を始め崇敬会長・宮司・神職・巫女と続く。さらに神輿の渡御があり、御旅所にて祭典の後、再び行列を組んで本宮に帰還する。神輿は、応永30年(1423)の作であることから推して、祭礼の古さを思わせる。
連絡先 奥石神社・蒲生郡安土町東老蘇
交通機関 JR安土駅よりタクシー7分
内野祭り (八幡神社)内野173−1
場 所
八幡神社
祭礼日
4月2日夜
沿 革
応長元年(1311)頃より始まつたとされるが、詳細は不明。神輿渡御に次いで、鐘・太鼓12個の合奏が行われ、宵宮祭には大箭の献火がなされる。長さ4メートルの大松明3本は、まわり150センチの葭で作つたもので、一度に火を付けて献火される。
連絡先 鎌若宮神社・蒲生郡安土町西老蘇992
交通機関 JR安土駅より6キロメートル
蒲生町
春祭り (玉緒神社)川合960
場 所
玉緒神社
祭礼日
4月16日に近い日曜日
沿 革
古くより祭礼には神輿2基が渡御していた。昭和35年に1基の神輿を修理して以来、台車に乗せ氏子中の小学生男子に引かせて巡幸することとなっつた。もう1基の神輿は損傷がひどく、神輿蔵に保管している。
連絡先 玉緒神社・蒲生郡蒲生町川合887
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス川合下車
秋祭り (玉緒神社)川合九960
場 所
玉緒神社
祭礼日
9月15日
沿 革
近くの玉尾山に祀られていた琴平宮の下山・鎮座を記念し、奉納相撲が行われたのが起源である。現在では、当番氏子約30名で、朝から土俵を作り、神事の後、午後から子供相撲を奉納している。3人抜き、5人抜きと賞品は豊富で、盛大に執り行われる。
連絡先 玉緒神社・蒲生郡蒲生町川合887
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス川合下車
けんけと祭り長刀振り (高木神社)岡本709
場 所
高木神社・氏子周辺
祭礼日
4月23三日
沿 革
上麻生・下麻生・今村・弊村・穂村の5組の宮座によつて維持される。境内に幔幕を張り、シュウシの後、けんけと踊りを行う。なかでも若衆による長刀振りは、あざやかである。またこの祭りは帯掛け祭りとも呼ばれ、神輿渡御の際に新婚婦人の丸帯数本を長刀や木太刀に掛けて行列に加わる。
連絡先 高木神社・蒲生郡蒲生町岡本588
交通機関 近江鉄道朝日野より徒歩10分
日野町
御田植え祭 (馬見岡綿向神社)村井705
場 所
馬見岡綿向神社
祭礼日
1月25日午後2時
沿 革
雌雄の松の小枝各50本づつを早苗に、拝殿を水田に見立てて、その年の吉方から雄松を右回り、雌松を左回りに植える神事。この松の小枝を一対、田の水口に立てておくと、その年は水に困ることなく豊作になると伝えられている。
連絡先 馬見岡綿向神社・蒲生郡日野町村井
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス向町下車
日野祭り (馬見岡綿向神社)村井705
場 所
馬見岡綿向神社
祭礼日
5月2日から4日まで
沿 革
嘉応(1169〜70)年間の頃より始まったと伝える。神調社と呼ばれる神子を中心とした田楽座が神社へ神を迎えに行き、3基の神輿、16基の曳山、そして神幣などで雲雀野と言われる御旅所へ御幸する祭りである。日野商人の財力によって絢爛豪華なものとなつて現在に至っている。
連絡先 馬見岡綿向神社・蒲生郡日野町村井
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス向町下車
南山王祭 (日枝神社)大窪1323
場 所
日枝神社
祭礼日
4月4日
沿 革
氏子地域の22の字から、「ほいのぼり」と呼ばれる幟が奉納され、氏子の人々が境内の幟の下で飲食をする祭りである。
連絡先 馬見岡綿向神社・蒲生郡日野町村井72
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス日野警察署下車
火振り祭り (五社神社)上野田951
場 所
五社神社・雲雀野
祭礼日
8月14日・15日午後7時から
沿 革
もとは伊室神社の豊作祈願の祭り。馬見岡綿向神社のもと宮司であつた出雲家が、南北朝時代に足利将軍によつて改易させられたことにより、応永(1395〜1427)年中以降は出雲家の御霊祭が加わり、現在の姿になつた。神子3人と約二百本の松明が五社神社から雲雀野まで行列し、そこで松明を松の木に投げ上げ、作物の吉凶を占う。
連絡先 馬見岡綿向神社・蒲生郡日野町村井
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス上野田下車
御滝祭り (熊野神杜)熊野215
場 所
熊野神社・出世神社(境内社)
祭礼日
9月8日午前11時から
沿 革
紀州熊野を倣い、当山一帯を修験道の修行霊場とした頃、修行を終え御滝で禊ぎをして俗世へ出生する意味の祭りとも解されている。この日、熊野神社で祭典の間、御滝に祀る祠の御扉を開けに行くところから、神聖な御滝を熊野神社の御神体として祀る祭りともいわれている。
連絡先 馬見岡綿向神社・蒲生郡日野町村井
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス平子下車
野神祭り 木津
場 所
野神さん
祭礼日
8月20日(20日に近い日曜日)
沿 革
米粉を用い、丸盆に鳥居、米俵をはじめ、人形や風景等のお供えを作り、お旅と称して上組下組が別々の参詣道を太鼓を打ち鳴らしながら野神さんへ参集する。
お供物を献じた後、タテと呼ばれる卒塔婆の形をした板で打ち合いをして吉凶を占うという、予祝の祭りである。
連絡先 蒲生郡日野町木津
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス横町下車
芋くらべ祭り (熊野神社)中山1941
場 所
熊野神社・野上山
祭礼日
9月1日午後1時
沿 革
1人の大男が富士山を作るために、サトイモの茎を天秤棒にして琵琶湖の土を運ぶ途中、中山の地でこれが折れて代りのサトイモを探したことが起源とされる。
山若・山子と呼ばれる裃姿の青年が供物を奉った後、東西に分かれて丹精」込めて育てたサトイモの茎の長さを競い、豊凶を占う。
連絡先 竹田神社・蒲生郡蒲生町鋳物師
交通機関 近江鉄道日野駅より近江バス中山下車
村弓 (諸木神社)北脇1095
場 所
諸木神社
祭礼日
5月5日
沿 革
祭典の後、その年の吉方の神社に取り付けた的をめがけて、社守が3回矢を射る神事。
連絡先 長寸神社・蒲生郡日野町中之郷913
交通機関 近江鉄道桜川駅より近江バス中在寺下車
野神祭り
場 所
野神社
祭礼日
8月31日
沿 革
鼻面石と呼ばれる穴のあいた石塊に藤蔓を通し、これを牛に見立てて野神社に祀る。参拝者に白米をすりつぶして作った餅が配られ、飼牛のある家はこれを牛に与える。また子供の奉納相撲も行われる。
連絡先 野神社・蒲生郡日野町原
交通機関 近江鉄道桜川駅よりタクシー15分
山口祭 (芦谷神社)原187
場 所
芦谷神社
祭礼日
1月2日
沿 革
新藁で2本の縄を作り、2ヶ所の山の神の神木に張り渡し、松で作った男型、ネムの木で作った女型の人形、ムツギの木で作つだ箸、切餅を両方の山の神に供える。
大松明を燃やし、鳥を呼び煙をくぐらせると祭典が始まる。神木に張り渡された太い縄へ栗の木で作つたカギを引っ掛け、神主の祝詞に合わせて、祝いの言葉を唱えながらカギ引きを行う。
連絡先 長寸神社・蒲生郡日野町中之郷913
交通機関 近江鉄道桜川駅よりタクシー15分
春祭り (長寸神社)中之郷1565・(大屋神社)杉228
場 所
長寸神社・大屋神社
祭礼日
4月17日
沿 革
長寸神社で祭典を終えると、大屋神社まで大幣を立てて渡御し、祭典後、二柱の大幣にて再び長寸神社へ渡御し盃を交す。その後両神社の道半ばにて、各々還御する。長寸大神が大屋大神を迎え、もてなして送る祭りといわれている。
明和(1764〜71)年間の頃までは、二社の神輿によつて渡御が行われたと伝えられる。
連絡先 長寸神社・蒲生郡日野町中之郷913
交通機関 近江鉄道桜川駅より近江バス中之郷下車
茅の輪神事 (大屋神社)杉228
場 所
大屋神社
祭礼日
七月三十一日
沿 革
夏越しの祓に行う神事で、人形をはさんだ12本の串が刺された茅の輪を地面に置き、神職を始め氏子たちがそのなかに入り、『三座めでたい』と唱えて、皆で茅の輪を持ち上げてくぐり抜ける。これを三回繰り返し行う。三座とは旧宮座の名称で、木村座・新村座・佐々木座をいう。
連絡先 長寸神社・蒲生郡日野町中之郷913
交通機関 近江鉄道桜川駅よりタクシー15分
竜王町
とがらい祭り (鏡神社)鏡1289
場 所
鏡神社
祭礼日
12月の午日
沿 革
子供たちが、源義経の偉業を偲ぶ行事。子供十数人と、おとな十人衆とが、神社から地区内にある御旅所まで渡りをする。この時子供たちは鉦や太鼓をたて地区内を『とまらい、上がらい』『ま上がつて、とまらい』と囃して回る。
これは、牛若丸が奥州に下る途中、ここで泊って元服をした故事を伝えたものだという。
連絡先 鏡神社・蒲生郡竜王町鏡
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス鏡下車
弓始式 (石部神社)七里831
場 所
石部神社
祭礼日
1月10日に弓始式、2月11日に弓納式
沿 革
年行事が選んだ男児二人の射手が、それぞれの位置につき、6本の矢を交互に的に向かつて射る。終わると年行事が矢を拾い集め、再び盛り砂に差して数取りをする。こうして6六本の矢をそれぞれ5回と、最後に3本の計33本を射る。2月11日の弓納式も同様に行事を行う。
昔は的中本数により、豊年を占うこともあつた。
連絡先 鏡神社・蒲生郡竜王町鏡
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス七里下車
苗村祭り (苗村神社)綾戸468
場 所
苗村神社・氏子周辺
祭礼日
旧9月5日
沿 革
古は毎年秋に氏子33ヶ村列座の大祭が行われていたが、慶長4年(1599)これを改め、33ヶ村にちなみ33年に一度の式年大祭と定まつた。3日間、渡御・甲冑武士の行列・太鼓踊り・鎌踊り・山車等の奉納があり、天下太平・五穀豊穣を祈念する大祭である。最近では、昭和57年斎行。
連絡先 苗村神社・蒲生郡竜王町綾戸467
交通機関 JR近江八幡駅よりJRバス川守下車
けんけと祭り (杉之木神社)山之上3560
場 所
杉之木神社・氏子周辺
祭礼日
5月3日
沿 革
織田信長が天下統一を目指し、上洛しようとした折、この地方に一大勢力を誇つた郷士も、その徴用に応じ奮戦し大功を挙げた。その戦勝を祝ったことが、祭りの始まりと伝えている。長刀踊りは戦いに加わつた農兵の姿そのもので、太鼓や鉦を打ち鳴らし囃したてる。また裸足は農民の忠誠の証しといわれ、振り子の衣装は具足姿で勇ましい。
連絡先 苗村神社・蒲生郡竜王町綾戸467
交通機関 JR近江八幡駅より近江バス山之上下車
神崎郡
永源寺町
きようずえ神事 (九居瀬八幡神社)九居瀬
場 所
九居瀬八幡神社
祭礼日
11月23日
沿 革
氏神に奉仕している者の長男が、18歳に成長した時、餅米を蒸して皿に盛り、杉の箸(長さ30センチ、太さ約2センチ)を付けて、祝福する神事である。
連絡先 九居瀬八幡神社・神崎郡永源寺町青野
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス青野口下車
御供盛り (大皇器地祖神社)君ヶ畑977
場 所
大皇器地祖神社
祭礼日
1月3日・9月9日
沿 革
氏子の若衆ら11名が神饌を調理し、神前に供える儀式。年2回行われ、なますえ神事ともいう。当日は早朝から御供蒸し(五升)が社務所で始められ、潔斎をした若衆は素襖を着て調理にかかる。御神酒注ぎ−むすび(御供を円錐形状に仕立てる)−下まな(するめ・かます等を刻む)−上まな(大根・昆布等を刻む)−まなすえ(鮒鮨と俎板を据える)−本まな(鮒鮨調理)と進む。この間は終始無言。
連絡先 八幡神社・神崎郡永源寺町黄和田685
交通機関 近江鉄道八日市駅より町営バス君ケ畑下車
五個荘町
大提灯渡御 (奥村神社)奥341
場 所
奥村神社・苗村神社・氏子周辺
祭礼日
4月13日から14日まで
沿 革
祭礼の渡御には神輿ではなく大提灯が使われるのが特徴である。高さ3メートル、直径2.5メートル、重さ56キロという巨大な提灯である。蝋燭も長さ70センチ、直径15センチ、重さ12キロある。当日は午後7時から若衆8名に担がれ、鉦・太鼓の囃しとともに出発し、2キロ程離れた苗村神社まで渡御をする。
連絡先 苗村神社・神崎郡五個荘町木流384
交通機関 近江鉄道五個荘駅より徒歩10分
能登川町
伊庭の坂下し祭り (大浜神社・望湖神社・繖峰三神社)能登川町伊庭
場 所
伊庭・安楽寺氏子周辺
祭礼日
5月2日から3日まで
沿 革
伊庭の大浜神社・山麓の望湖神社・繖山(八王子山)山頂の繖峰三神社の祭礼で、特に三基の神輿が繖山頂に引き上げられ、そして下ろされる神事が注目される。日吉大社の山王祭の神輿上げ神事にちなむとも伝えられる。神輿の坂下しはみもので、山頂から山麓まで500メートル、標高差170メートルを一気に下る。途中、岩場を始め難所が多く、先導役の指揮に合わせ、担ぎ手の若衆によつて盛大に執り行われる。
連絡先 守国神社・神崎郡能登川町伊庭2633
交通機関 JR能登川駅より徒歩15分
愛知郡
愛東町
鳥食み神事 (春日神社)上岸本841
場 所
春日神社
祭礼日
3月25日・26日
沿 革
古来から祭典の神饌物は、宵宮の申の刻に末社の屋根に供進した。烏が飛来して食べれば下げることができたが、思うようにならず、翌日に延期することが多かつた。後に検討の結果、即日即刻に下げることに変更され、現在に至っている。なお、25日は口開祭および精進屋祭が行われ、29日に神事が執り行われる。
連絡先 八幡神杜・愛知郡湖東町小田苅201
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス上岸本下車
おけち講
場 所
鯰江公民館・頭人宅
祭礼日
1月5日
沿 革
鯰江全戸が講員で、毎年2人ずつ頭人が選ばれる。当日早朝、頭人宅では渡御の準備を行う。
正午、両頭人は夫婦で祭壇の設けてある阿弥陀屋敷まで渡御をする。その時、男は弓を、女は桶を頭上に載せる。桶には白酒を入れた徳利一対と鮒鮨二尾などが入れてある。阿弥陀屋敷では祝詞奏上の後、弓射の儀式が行われ、神事が終わると両頭人は講員を家に招いて直会を行う(現在はしていない)。
連絡先 愛東町鯰江
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス鯰江下車
しゅうし (春日神社)妹591
場 所
春日神社・当人宅
祭礼日
3月27日
沿 革
五神座講神事。祭礼には大神社・弁水神部・田楽・星生・新幣の五神座がある。各座を講と称する。祭礼の3日前、各講当人は麻衿を着て、板御幣(春日神幣)を家に奉迎して、祭礼当日まで床上に奉置する。当日、講員は新幣を裁ち、干柿・勝栗・鏡餅を神供とする。渡御は当人が板御幣を奉持して、神供は花神子(現在は当人の親戚)が頭上に頂いて行列する。祭典終了後、各講は境内に定紋の幕を張つて直会の宴を催す。
連絡先 八幡神社・愛知郡湖東町小田苅201
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス妹下車
法度 (日吉神社)青山616
場 所
日吉神社
祭礼日
1月5日午前中
沿 革
法度の行事は禰宜が主体である。前年の12月1日から当日に至るまで、毎朝自宅において水行を行う。当日は天台宗の法印を中心にして、社守・禰宜の3名が祈祷を行い、そののち明の方に向かつて弓を射る。なお準備については前日に行うが、神社のその年の行事始めと重なっており、勧進釣縄綯と同時に進められる。
連絡先 八幡神社・愛知郡湖東町小田苅201
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス青山下車
田植え祭り (北野神社)平尾617
場 所
北野神社
祭礼日
1月7日午前0時から2時まで
沿 革
稲田に擬した夏ハゼの幹30センチばかりのもの12本を年末に準備しておく。そして鳥居のもとに田に擬した土の方体2つを準備する。当日、奉仕者である社守・禰宜・社守の長男は、夏ハゼの幹を神前に供える。社守は祝詞を奏上する。次に長男を中継として夏ハゼを一本ずつ、禰宜に渡す。禰宜はこれを土に刺し、東西6本ずつを植え終える。
連絡先 日吉神社・八日市市東本町3−32
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス平尾下車
しゅうし (北野神杜)平尾617
場 所
北野神社・杜守宅
祭礼日
2月第4日曜日
沿 革
氏子の男子全員が集合し、鰊・大根の味噌汁と酒を饗する。奉仕者は20歳以上の社守をする前年の者まで、鰊・大根・小豆などの材料を集め調理し、接待をする。また餅を搗きこれを丸めて小豆を付け、氏子中に配る。使用する杵(4本)は毎年松または檜にて新調する。翌日は振舞いが行われる。社守と禰宜(10人)が次期杜守の家に集まり酒肴の振舞いを受ける。
連絡先 日吉神社・八日市市東本町3−32
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス平尾下車
ひゅうひゅう (白鬚神社)百済寺甲360
場 所
白鬚神社
祭礼日
9月9日夕方から夜にかけて
沿 革
若衆3人が鳥居前で笛・太鼓を持つて待機する。下若衆が村の7つの辻で神社へ参ることをふれる。次に若衆が宿老の家へ同様の事を伝える。
宿老が参り鳥居の前で若衆に挨拶をする。すると同時に笛・太鼓の囃しで暗闇を拝殿に向かう。拝殿に上がる前に、大萩の紅葉を称える歌を歌い、太鼓の早打ちをする。そして、拝殿において神酒を戴き、社務所において直会を行う。
連絡先 日吉神社・八日市市東本町3−32
交通機関 近江鉄道八日市駅よりタクシー25分
二十日酒 (日吉神社)百済寺丙521−1
場 所
日吉神社境外社の郷溜弁財天・社守宅(現在は公民館)
祭礼日
2月20日午前4時から午後4時まで
沿 革
社守が午前4時、郷溜に奉斎の弁財天を社守宅(現在は公民館)へ迎えて祀る。氏子中の20歳以上の者を招き、三種の肴(スルメ・豆・牛蒡)などで午前9時頃から夕方まで、飲食を行う。夕方、社守は元の奉斎所へ還御の奉仕をする。
連絡先 日吉神社・八日市市東本町3−32
交通機関 近江鉄道八日市駅より近江バス百済寺口下車
湖東町
押立祭り (押立神杜)北菩提寺356
場 所
押立神社
祭礼日
4月24日前後の日曜日午後1時から4時まで
沿 革
客人祭ともいう。18ヶ字の区長が年の始めにくじを引き、2字が卯之烏・擬宝珠の2基の神輿で渡御をする。19年前から子供神輿1基が参加。稚児18人・紅白旗18流・社名旗・真榊・太刀・大幣・盾ほかの行列となる。
連絡先 押立神社・愛知郡湖東町北菩提寺365
交通機関 近江鉄道八日市駅よりタクシー10分
ドケ祭り (押立神社)北菩提寺365
場 所
押立神社
祭礼日
六十年に一度
沿 革
祭神火産霊神・伊邪那美神が押立山三瀬獄から現在地に遷座した時、氏子がそろって迎えたお渡りの行事がのこったものといわれる。鉦・鼓・太鼓・笛・ささらや囃しに合わせて踊り、神を慰めもてなす祭りである。ドケ祭りのドケとは道化の意や、神様のお通りだドッケドッケという意があるとも解釈されている。
連絡先 押立神社・愛知郡湖東町北菩提寺365
交通機関 近江鉄道八日市駅よりタクシー10分
神事行事 (神明神社)南清水174
場 所
神明神社
祭礼日
2月初亥の日午前1時
沿 革
2月始めの亥の日、午前1時に社殿において、唐門屋根に蒸米のにぎり飯をのせた素焼きの皿を置く。こうして社守の資格を得ると、蒸米・大根の漬物と神酒で祝いを行う。その時、勧という長さ11メートル・太さ15センチ程の縄をない、その中ほどに檜の枝葉で輪(60センチ・太さ15センチ程)をつくり、御幣を10本余り刺す。
連絡先 豊満神社・愛知郡愛知川町豊満959
交通機関 近江鉄道八日市駅よりタクシー10分
家知講 (豊国神社)池庄1518
場 所
豊国神社
祭礼日
1月4日
沿 革
おけちさん・おけっさんともいう。連綿と続く家系の証しと同族の結束を計らんがため行われたとされる。新年の1月4日に、講中の年長順に6名を選び、家知乙名となる。当番年寄神主が境内から南に向かつて矢を射る。これによって講中の家運隆昌・家内安全を祈願する。
連絡先 豊満神社・愛知郡愛知川町豊満959
交通機関 近江鉄道八日市駅よりタクシー7分
秦荘町
古式祭 (八木神社)宮後98
場 所
八木神社・御旅所
祭礼日
4月21日に近い日曜日の午後1時から
沿 革
例大祭古式祭として昭和3年から始まる。氏子中から御神籤により馬頭人を定め、祭儀7日前から潔斎に入る。当日本殿祭を斎行後、馬頭人振舞いの行事があり、祭礼関係者に饗膳をもてなす。神幸祭神輿渡御行列の主役として、馬頭人は衣冠を着装し、乗馬して頭人付・稚児を従えて御旅所へ神輿を案内する。御旅所では祝詞を奏し、氏子の安泰と繁栄を祈願したのち還御する。
連絡先 八木神社・愛知郡秦荘町宮後96
交通機関 JR能登川駅より近江バス沖下車
宮人祭 (軽野神社)岩倉123
場 所
軽野神社・氏子周辺
祭礼日
4月19日夜から20日夕方まで
沿 革
神輿渡御が明治初年から現行の曳山に変わる。
19日前夜祭に各9ヶ字の宮世話は、曳山奉斎の大御金幣を奉持し、各字の神社に一夜氏子と共に斎く。翌20日9基の山車には趣向をこらした人形ダシを登載し、森下に集合。芸山を花笠稚児が曳行。その先に変装行列、道中踊りの善男善女が宮人神事を展開。宮入完了と同時に宮人祭奉納、9ヶ字の一斉大太鼓で終わる。
連絡先 軽野神社・愛知郡秦荘町岩倉123
交通機関 JR稲枝駅より近江バス堅井下車
愛知川町
神社頭 (豊満神社)豊満392
場 所
豊満神社
祭礼日
2月初午の日の午前8時
沿 革
氏子の下之郷の大字市と天守とが、1年交替にて頭人を定め、神社に参拝する。頭人は黒衣を着て千力餅と称する小餅365個と神酒と鯣を供える。365の数は、一年三百六五日の日供を一時に供えるというもので、この餅を食べると妊婦は安産を得るとして、たいヘん喜ばれている。
連絡先 豊満神社・愛知郡愛知川町豊満959
交通機関 近江鉄道愛知川駅より徒歩5分
犬上郡
豊郷町
例大祭 (阿自岐神社)安食西663
場 所
阿自岐神社・氏子周辺
祭礼日
4月16日に近い前の日曜日
沿 革
当日は氏子から最低4基の大太鼓(直径約2メートル)が神社へ繰り出される。本殿祭が終わると渡御が始まる。神輿を中心に百名程からなり、約4キロメートルの氏子内を巡行する。そのうち稚児十数名は、本殿祭をはじめ、各御旅所で神饌の伝供等を奉仕し、その姿には目を見はるものがある。
連絡先 阿自岐神杜・犬上郡豊郷町安食西663
交通機関 JR河瀬駅よりタクシー5分
甲良町
御管割り (小川原神社)小川原499
場 所
小川原神社
祭礼日
9月9日
沿 革
翌年の各農作物のでき高の良否を、神に伺いをたてるおこないである。小豆粥(小豆と米)を前日から用意し、葦を約20センチに斜めに切り、38本三ツ目結びに連ね、粥の中に入れる。すると煮えた粥が管に入る。早朝神前に供え、のち役員等によって開かれ、その量を伺う。38本は38種で1月8日のおこないで決定されている。伺い終わってのち、村中に知らせて、これにより翌年の籾種を用意する。
交通機関 JR河瀬駅よりタクシー10分
おはな踊り (日吉神社)北落441
場 所
日吉神社
祭礼日
8月21日午後7時31分から9時30分
沿 革
水不足に対する願いが雨乞い祈願になり、踊りとなった。おはなという村の女性が病いに罹り、鈴ヶ岳の池の神に病気平癒を願った。治癒後は独身でいると誓ったが、のち大君ヶ畑の小八に嫁いで竜神の怒りにふれ命を絶った。息絶える時、日照の時に池を訪ねてくれば雨を降らすと言い残したという。踊りは子供が花笠・たすき姿、大人はホロ・菅笠・太鼓姿で、場広・道草・本踊り・合の手・カヤリの五種を踊る。
連絡先 胡宮神社・犬上郡多賀町敏満寺49
交通機関 JR河瀬駅よりタクシー15分
千草盆 (金山神社)金屋802
場 所
金山神社
祭礼日
8月7日夕刻から午後10時まで
沿 革
七日盆ともいう。神前に「ヤッサ」を供える行事。毎年8月7日に男子出生の御礼として、2年間「ヤッサ」と呼ばれる千草と草花で作つた飾り物を奉納する。「ヤッサ」とは、ヤサチの転したもので、野の幸、家の幸を意味するという。
かなり大がかりなもので、当日は親戚や隣人約十名が奉仕して作製にあたる。
連絡先 胡宮神社・犬上郡多賀町敏満寺49
交通機関 JR河瀬駅より近江バス金屋下車
多賀町
翁始式 (多賀大社)多賀604
場 所
多賀大社
祭礼日
1月3日
沿 革
江戸時代の「年中行事」をみると、いずれも神能始めとある。めでたい正月に因んで翁の黒式面を付けて舞い納められる。現在は大蔵流狂言方家元茂山社中が奉仕している。
連絡先 多賀大社・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
節分祭 (多賀大杜)多賀604
場 所
多賀大社
祭礼日
2月3日
沿 革
節分祭そのものは古くから行われているが、現在のような多くの年男達が豆撒きを奉仕するようになったのは昭和30年代のことである。当日は本殿祭の後、各市町を代表する350名の年男が特設舞台から福餅・福豆を撒き、邪気を追い払う。
連絡先 多賀大杜・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
多賀祭り (多賀大杜)多賀604
場 所
多賀大社・氏子周辺
祭礼日
4月22日
沿 革
年間多数ある神事の中で最も盛儀な祭りで、いわゆる例祭である。いつ頃から始まつたかは不詳であるが、記録によると鎌倉時代には盛大に行われていた。祭りの中心人物は御使殿と馬頭人で、これらは1月3日の差定式で決まる。当日、本殿祭に続いて馬頭人・御使殿は、犬上川下流賓台での御幣合式、神輿は栗栖調宮(お旅所) へ向かう。
連絡先 多賀大杜・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
御田植え祭 (多賀大杜)多賀604
場 所
多賀大社
祭礼日
6月第一日曜日
沿 革
江戸時代後期には行われていたという。昭和3年滋賀県が悠紀田に定められたのを契機に、彦根・犬上付近の青年男女が田植えを奉じた。現在は県内豊年講員子女約70名によって行われる。特設舞台では豊年太鼓踊り、尾張万才が奉納される。
連絡先 多賀大杜・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
万灯祭 (多賀大杜)多賀604
場 所
多賀大社
祭礼日
8月3日から5日まで
沿 革
黄泉大神となつた伊邪那美大神に祖霊の加護を奉納する祭り。境内は崇敬者や氏子の人達の献灯する約一万八千灯の提灯が夜空に輝く。その提灯のもと江州音頭・郷土芸能・カラオケ大会等の神賑行事が催され、また参道には万灯市も開かれ、連日多くの人達で夜更けまで賑わう。
連絡先 多賀大杜・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
古知古知角力 (多賀大杜)多賀604
場 所
多賀大社
祭礼日
9月9日
沿 革
9月古例祭の神事の一つで、本殿祭に続いて拝殿の前庭で行われる。いつ頃から行われているのか定かでないが「年中行事」にも記載されている。中川原の代表と高宮の代表が相撲を取るのが通例で、その理由については不詳である。
現在は氏子内の青年によつて奉仕されている。
連絡先 多賀大杜・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
大宮祭 (多賀大社)多賀604
場 所
多賀大社・調宮神社
祭礼日
11月15日
沿 革
江戸時代の「年中行事」にも記録されているように、古くから行われていたようで、明治18年までは霜月中の午の日になされていたが、以降11月15日に斎行されるようになっ。この祭りは栗栖のお旅所調宮神社に遷御されるもので、古来から信仰されている「神送り」の行事であると思われる。
連絡先 多賀大杜・犬上郡多賀町多賀604
交通機関 近江鉄道多賀駅下車徒歩10分
三季の講 (白山神社)大君ケ畑
場 所
白山神社
祭礼日
1月3日
沿 革
正月の講ともいう,早朝から神社に宮守が集まり、装束をつけて行う。「内饗のめし」といい、地域(山の神)に御飯と生鰯を食べさせる。木きめ・木引き(ごぼう引きともいう)においては、境内本社とお池殿の間の山中で、全員で決めた木を引き起し、本殿前の杉の根方に置く。
昔から『今年は良い根がある』などの話がでる事から、多分その年の豊凶の占いの儀式と思われる。
連絡先 大君ケ畑区長さん・宮議員さん
交通機関 近江鉄道多賀駅より近江バス大君ケ畑下車
三季の講 (白山神社)大君ヶ畑
場 所
白山神社・当屋宅
祭礼日
9月23日
沿 革
祭りの講ともいう。宮守が神社に集まり、早朝から装束をつけて講を始める。当屋行になると年少の者から二列にて「ヤアヤア」と掛声をあげながら当屋に行き、前夜用意した粟と米の粉で団子を作る。残りの者は藁草履負縄を作り、藁団子などの用意ができるとそれを「おひつ」に入れ、年少者に背負わせ神社に引き返す。
連絡先 大君ケ畑区長さん・宮議員さん
交通機関 近江鉄道多賀駅より近江バス大君ケ畑下車
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