焼尾丸

東浅井郡湖北町上山田


■創築年

-
■創築者  -
■形式 山城砦
■遺構 削平地
■別称 -
■標高  253m

 上山田から大嶽城に向けて尾根伝いに登ると標高390mの所に焼尾丸がある。

焼尾丸は大嶽城の北面を守備する砦として築かれたが、「小谷城絵図」に城名は見られるものの記述は殆ど見当たらない。

 事前に上山田で焼尾丸の所在に付いて聞取り調査をしてみたが、この遺構の存在を知る人は見付からなかった。

 大嶽城山頂を挟んで反対の尾根にある山崎丸福寿丸が織田豊臣時代の明確な近代土塁の城郭の形態を取っているにも関わらず、焼尾丸の遺構が防禦に乏しいのは、浅井朝倉同盟により小谷城以北には浅倉氏が控えていた為、日常的に北斜面の守りは必要性が無く、重要視されていなかったものと思われる。

 小谷城攻めの信長軍がこの焼尾丸を通って攻め上がり、大嶽城を攻略したと有るが、信長はこの手薄な焼尾丸を熟知していたのかも知れない。

 

-----------------------■2003-11-03更新■----------------------- 

これまで曖昧だった砦の位置について史実に元き再調査した結果、もっとも有力な削平地を確認できたので更新します。

登城口は上山田の神明橋を渡り、山田神明宮跡石碑背後の山道を登ります。

砦跡は約15m×30m小谷山から伸びた尾根筋に当たるが、焼尾丸と小谷山の間は自然地形の谷が存在し、堀切の役目を果たしていた様である。

遠景写真(上)と小谷城絵図(左端の砦)を比較してみると忠実に描かれていることが分かり、改めてこの絵図の信頼性を実感した。

焼尾丸砦から望む上山田の集落