|


香港から家族で移住する前に、一人で家探しに来たときの事。取り引き工場の社長宅に滞在させて頂き、いろいろと案内して頂いた。 クタ、スミニャック、サヌール、ウブド…。その中で2件いい物件が見つかった。一つはトラッドなバリ風建築で藁葺き屋根の3LDKで一階は3方がオープンエアーになっていて、まさに南国そのものの作りだ。
もう一件は3LDKの西洋式建築の平屋。ここは庭が他の家族との共有だが、非常に広く、子どもを安心して遊ばす事ができそうなので気に入った。 どちらかに決めたかったが、一応家内に見せてからと思い、2週間後、再び今度は家族と訪問した。しかし、残念ながらお気に入りの2つの物件は既にうまってしまったとの事。残念。暫くの間、バンガローに仮住まいし、家族で家探しを始めた。
ある日、家探しのついでに幼稚園を見学に行こうと思い立ち、オーストラリア人女性が先生をしている園へ行ったところ午後は休園。立ち去ろうとすると門からガードマンらしき風采の上がらないバリ人のおじさんが出てきた。
だめもとで園長先生に会いたい旨を告げると、なんとそのおじさんが園長先生だった。オーストラリア人先生の旦那さんだ。 すごい話し好きの人で、なかなか放してくれない。別れ際に、僕たち家族に適した住居が見つかったら教えて欲しいと依頼したところ、それならこれから一緒に見に行こうという事になり、車で住居探しに向かった。
なんて親切な方だろう。身も知らない僕たち家族の為に、たった今会ったばかりなのに、貴重な時間を割いて案内してくれるなんて。 車の中で深く感謝すると、園長さんも留学時代、困ったときに外国で大変親切にしてもらったので、バリ島にいるときには逆に自分が助ける番だと、えらい張り切りようだ。
「もし、車が必要なら1989年のルノーがRP1700万(約30万円)であるから、特別に譲ってやる。これは掘り出しもんだ。」
「工場を探してるんだったら、ここ(バリ島)は信頼できる工場が少ないから俺が良いところ紹介してやる。」
海外で生活するには現地の人の協力なしにはやっていけない。親切心が身に染みる。 友人にこの事を話すと呆れた顔で、「バカだなぁおまえ、彼らは一所懸命おまえに親切にするに決まってんだろ、全て紹介コミッションが入るんだから。」えっ?そうなの?
じゃあ、あの留学時代、外国で親切にされたから云々、の話しは一体何だったのだろうか。 そう言えばバリに来た当初、タクシーに乗ると必ずいろいろと質問されたことを思い出す。彼らも僕をどこかと結び付け(工場、ホテル、ツアー等)、紹介料を得たかったのだろうか。
現地の人々の給与水準は中国よりも低い。このように紹介する事によってお小遣いを稼ぐ事は無理からぬ事のように思う。 結局彼の紹介ではなく、彼の友人のそのまた友人の親戚の人から紹介して頂いた新築の家に決めた。その家に最初に訪問するやいなやすぐに気に入ってしまった。
中の清潔さ、明るさは申し分なく、庭も広く、竹製のベットやソファまで新品が用意されている。しかしまだ、庭の塀もできておらず、すぐには入居できないようだった。
さて、問題は家賃だ。それまで何十件となく住宅を見てまわっていたので、おおよその見当はついていた。しかし大家さんから提示された価格は自分の期待していた価格よりもかなり低い。
本当? 世界一家賃の高い香港から来たせいか、なおさらこのギャップに驚いてしまった。香港の一ヶ月の家賃でバリ島では1年過ごせ、お釣がくる。ためらい無く、すぐに入居したい旨を告げた。
家内がふと、「台所がないんだけど。」そんな事ないだろう。いくらなんでも調理するところが無いなんて。ひょっとして外かな。大家さんに尋ねると、好きな場所に調理場を作ってくれるとの事。
実は大家さん自らがこの家を作ったのだ。すぐに家内が場所と大きさを指定して、気に入ったキッチンを作ってもらった。 この家はそもそも人に貸す為でなく、大家さんが日本人女性と結婚した長男家族の為に用意したようだ。その長男は今は日本で家族とともに住んでいる。
だからか知らないが、僕たち日本人に対して好意的であり、世間相場よりも低い家賃で貸してくれたのではなかろうか。感謝、感謝。 大家さんは丁度家の裏手に住んでおり、贅沢せず、ヒンズー教の教えに従って慎ましく生活している。国籍も宗教も違う僕たち家族の事をいつも気にかけてくれており、困ったときはいつも手助けしてくれる。
会話は次男が英語で通訳してくれるので助かる。この大家さんがいてくれるという安心感のお陰で、僕たち家族はバリライフを一層有意義なものとする事になった。
(1999.3.7)
|

Back|Next
|
格安国際電話

インドネシアまで20円/分
ジャカルタなら11円/分
|