ESTATE★椰子の木の下で 〜バリ島ずっこけ物語〜
  ひょんなことから、突然バリ島へ移住してしまった日本人家族の日々の喜び、驚き、感動を綴ったエッセイです。
バリ島生活泣き笑い。これから行き着く先は・・・!?
バリ島
バリ島ずっこけ物語 コンテンツ
HOME
バリ島ずっこけ物語
ずっこけ男バイクでGO!
バリ島両替所案内
インドネシア語
リンク
メールマガジン
格安国際電話
メール


インドネシアまで20円/分、ジャカルタなら11円/分の格安国際電話

リンク用バナー ご自由にお使い下さい。




第3話 バリ島の学校 BackNext

日は娘の6歳の誕生日会であり、香港から移住して丁度一年経過した日でもあった。朝から娘はそわそわし、家内は料理作りでおおわらわ。 来てくれた友達たちは娘を除き、純粋な日本人は誰ひとりおらず、ヨーロッパ系、フィリピン系、日本系、中国系、ジャワ系、バリ系などなど、ベネトンの宣伝のように様々な民族の子供たちで賑やかだ。 いろんな言葉が飛び交う中、子供たちはテレパシーでも使っているかのように、言葉の壁を越え、同じ楽しさを共有している。普段学校など見学しないので、この様な光景をみると、新鮮で、一種の感動を覚える。 一瞬一瞬を一所懸命に楽しむ事にかけては大人たちより数段上手だ。子供たちは明日のことなど全く思い煩うことなく今をエンジョイできる天才だ。 バリ島で娘の学校(幼稚園)を探す際にまず訪問した先はインターナショナルスクールだった。バリ島にもインターが在ると知って喜んだ。 香港でもインターに行っていたので英語だったら何とかついていけるだろうと判断し、引越ししてから早々家族で訪問した。しかし、諦めるのに時間はかからなかった。学費の高さだ。 香港でも日本の私立大学並みの学費(僕が入学した頃の学費)をインターに納めていたが、バリ島ではこの物価安、校舎の低い維持費、先生の報酬を考えると香港と比べたら当然学費は低くなるべきところが、大して変らない。 さらにこの頃、通貨のルピアが大暴落中。しかし学費の支払いはUSドル立てのままであった。まぁなんとか他の良い学校が見つかるだろうと呑気に構えていた。

こバリ島は比較的オーストラリアから近いこともあり、オージーのリゾート地だ。この土地、またここの人間に魅せられた多くのオージーも現地のバリ人と結婚し、住み着いている。 そんな現地化した彼ら彼女らが英語を基本とした小規模な学校を経営していたりする。生徒の大半は必然的にミックスが比較的多い。 イスラムやヒンドゥーの習慣に従うことがないので、日本人の我々からすると逆に安心できる。そのような学校を見てまわり、校長先生と面談し、学校の方針をうかがってもどうもしっくりこない。 学習能力向上に力を入れすぎていたり、またその逆であったり。そうこうしているうち、英語を中心とするジャワ人の経営する学校を紹介され、いつものように先生と面談し、その先生の感じが良かったのと、授業の半分は英語で教育をするということに惹かれ、そこに決めた。 もう一つの理由はそこの庭には放し飼いのにわとり、ウサギたちが、たくさん住んでおり、面談に行った日、娘がそれを見て喜んだからだ。 ある日、娘の学校へ何かの用事で訪問し、見学させてもらった。いろんな民族の子供たちが一緒に仲良く遊んだり学んだりしている姿はなんとも微笑ましい。暫くするとある事に気づいた。 先生も誰も英語を話していない。あれ?たしか半分は英語での教育では?帰り際に娘に聞いてみると、いつもインドネシア語だよ、との返事。なに? しかし、娘にも既にたくさん友達もでき、楽しく学校へ通っているのを見ると、それだけで満足だ。 そもそもこっちが勝手にバリ島に移住しているわけだから、贅沢は言っていられない。英語教育は別の方法を考えよう。 お陰で今ではレストランなどに家族で行くと娘がインドネシア語メニューの意味を教えてくれたりするから便利だ。

分の語学センスの無さは10年住んだ香港で実証済みだ。 バリ島でも移住した当初、挨拶の「おはようございますと(スラマッパギ)」と「これいくら?(ブラパッイニ)」を直に覚えた。 というか覚えたつもりだった。僕はこの二つをはき違え、毎朝、大家さんに大きな声で「これいくらー」と気が付くまでの一週間、毎朝言い続けた。 大家さんは黙っていつもニコニコ笑顔で挨拶を返してくれた。しかし、何で指摘してくれなかったのだろう?


(1999.3.7)

  スポンサード リンク


BackNext


格安国際電話
インドネシアまで20円/分、ジャカルタなら11円/分の格安国際電話
インドネシアまで20円/分
ジャカルタなら11円/分






  スポンサード リンク




Copyright© Estate All Rights Reserved.