ESTATE★椰子の木の下で 〜バリ島ずっこけ物語〜
  ひょんなことから、突然バリ島へ移住してしまった日本人家族の日々の喜び、驚き、感動を綴ったエッセイです。
バリ島生活泣き笑い。これから行き着く先は・・・!?
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第71話 いざ!黄金の島、日本へE BackNext

都へは、S女史のスタッフが同行してくれた。 来日当初、S女史に頼りきりのマデは、彼女がいなくなると不安顔になったものだが、 この頃になると、彼も日本という国にだいぶ慣れてきた様子で余裕が見えるようになってきた。京都へ向かう新幹線の車窓からは、天候不順なため、残念ながら富士山は見ることができなかった。
初めての京都で、そこの史跡を散策したマデは、東京とは違う何かを感じ取った結果、 彼の描く画、特に色彩面において好影響を及ぼしたようだ。それを証明するかのように、彼が来日する前にバリ島で描いていた画よりも、京都で描き始めた画の方に、よりお客様は反応し売上につながっていったのだ。

さすがマデ!やるじゃないか。

京都でのイベントを無事に終え、再び東京へ。 さあ仕事もラストスパートだ。あと二箇所のイベントを終えれば、バリ島へ戻る。 マデとともに過ごしたスタッフたちとS女史の自宅で、マデの好物の焼きそばをメインと した「鉄板焼きパーティー」を催すことになった。来日初日、ソバが食べたいと言った マデは、初めて見た「ざる蕎麦」に全く手を付けることができなかったことが、遠い昔のように懐かしい。マデは拙い日本語で冗談も言えるようになっており、とても楽しい思 い出に残るパーティーだったそうだ。 そして帰国当日、成田で見送りしたS女史からmailが入る。マデは無事に機上の人となったことの連絡だ。空港での別れは、やはり涙無くしては済まなかったようだ。

『この一ヶ月、マデをはじめ、皆、本当にお疲れ様でした。言葉の壁があるなかで、様々なトラブルもあったことでしょう。皆の努力、サポートのお陰で、病気も怪我もなく、無事に予定どおりに終えることができたことが、まず何よりです。また、彼の画も日本のお客様に喜ばれ、僕も含めこのプロジェクトに関った人すべてが、それぞれに違った貴重な経験ができたことと思います。マデ、S女史をはじめ、関った全ての人に感謝です。
有難うございました。』

国日の夕方、僕はマデの出迎えのため、マデの奥様、小学生の息子二人、そして忘れてはならない「なんちゃって男」と共に空港に向かった。マデが空港出口のガラス 越しに見えるや否や、子供たち二人は、立ち入り禁止も何のその、全力でお父さんに走って行って抱きつく。マデは子供たちの頭を抱え、既に涙目だ。そして僕の隣にいる奥様を見やると、やはり同じだ。無言で夫をねぎらっている。 マデの自宅では既に親戚が集まって、宴の準備をしており、僕も招待されていたのだが、マデ家族が無事の帰国を喜んでいる姿を見て、宴に参加するのは止めにした。今日は、家族水入らずの方が良さそうだ。 そして翌日、マデ夫妻が疲れているにもかかわらず、我が家に日本からのお土産と 写真を持ってきてくれた。小一時間、マデが日本で写した写真を見ながら盛り上がる。 初めてマデに会ってからまだ4ヶ月前しか経っていないのか。なんだかもうずっと知り合いのような気がしてならない。 マデにとって、この日本での実演販売を通しての経験が、彼の人生にとってどういった位置づけにあり、これからの彼の人生にどのように影響していくのか分からないが、 彼にとってひとつの自信になったことは間違いないだろう。


(追記) このマデの日本実演は、2002年の出来事です。 次号では、現在のマデ家族に関して迫りたいと思います。

(2006.4.30)

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