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今年(2006年)の2月、注文しておいた絵ができ上がったとの事で、マデ画伯の自宅に久しぶりに訪れた。2002年の日本での実演販売から4年を経た現在
、彼、及び彼の家族はその当時からは想像できないほど大きく成長していた。
日本から帰国した直後、丁度、マデが初めて新築の家を建てたとの事で、そのお祝いの宴に招待されたことがある。バリ人のお祝いといったら、必ず豚料理だ。しかし、招待客の中にはイスラム教徒の人たちもいたのだが、彼らは可哀相なことに戒律に従い、全く料理には手をつけずじまいだった。
その新築の家は4LDKの二階家で、狭くもなく広くもなく、家族四人が住むには丁度よい広さだ。マデもお祝いの席で、皆から祝福され、嬉しそうに、また恥ず
かしそうにしていたことを思い出す。
今から思うと、同時期だった日本出張とこの家の新築が、彼と彼の家族が飛躍する大きなターニングポイントだったような気がする。 日本からの帰国後、彼の画廊に、今では固定客となったヨーロッパやオースト
ラリアの大手画廊のバイヤーが訪れ、大量の発注をするようになる。どの程度が大量かというと、大体一回の発注が200画以上だ。(一画平均サイズは1m四方)
そうなってくると今までの画廊の広さでは手狭なため、画廊を二倍以上に拡張 し、さらにストックを保管しておく倉庫も自宅付近に新たに建てた。しかし、それでも次から次へと舞い込むオーダーが捌ききれず、さらに近所の土地を買足す。
しかも全てキャッシュで。そして今はその土地にマデ画伯の弟子が数名住んでいるんだ。 僕はマデ夫婦に案内され、自宅付近の新しい倉庫を見せてもらい、またお弟子さんたちを紹介してもらった。お弟子さんたちは、今、トレンドとなっている大輪の花を画いているところだった。ハイビスカス、プルメリア、ロータス・・・
それらが海外のバイヤーに評判が良いらしい。

これだけ成長すれば、普通であれば、車をグレードアップしたり、衣服や身に付ける貴金属なども変化したりするのだが、マデ夫婦の良いところは、それが全くない。僕が知り合った頃と、ずっと同じままだ。
しかし、数ある画廊の中でどうしてマデ夫婦の画廊がこれほどまで急成長したのだろうか。 彼らは、お客さまであるバイヤーの仕入規模によって対応を変えるようなことはしない。どんなお客様に対しても誠実なんだ。
特に価格面においてはバイヤーを値踏みしながら卸価格を決めるのではなく、 画家からの仕入値にある定率を上乗せするだけだ。非常に廉価で正直。 (僕は画廊界のマツモトキヨシと呼んでいる。)
当たり前のことだが、絵が安くて良質なものであれば、国外国内問わずバイヤーが多数集まってくる。マデ画廊の売上が上がれば、そこに自分の絵を置いてもらいたいと思う良質な画家も増え、結果、画家同士も切磋琢磨するようになり、そこの画廊の絵のレベルも上がる。画廊も画家もバイヤーも消費者も皆ハッピー!といった好循環が既にでき上がっているんだ。
この画廊の代表はマデなのか奥様なのか尋ねるのを忘れたが、夫婦双方が社長と言えるほど、この二人のコンビネーションが絶妙だ。 マデは画家をコントロールする、すなわち生産管理業務を主にこなし、奥様はお客様をコントロールする販売管理だ。お互いに仕事の分担をきっちり決めているわけではなさそうだが、非常にうまくサポートしあっている。
一通り案内をしていただいて、自宅に戻ったところ、奥様がそこに置いてあった中サイズの抽象画を指し、これは誰が画いたかわかる?と質問してきた。 僕は抽象画の良し悪しの判断はよく分からないが、その絵は優しい淡いトーンで画かれていて、抽象画の中では僕は好きなタイプの絵だった。僕が答えを探
っていると、奥様が待ちきれないというように答えを教えてくれた。 なんとマデの長男(高校一年)が画いたものだという。驚いている僕にさらに追 い打ちをかける。息子は既にヨーロッパの画廊から100画以上のオーダーを受けているそうだ。
実は4年前、僕は長男が画廊デビューしたお祝いに、彼の画いた風景画を一枚購入したことがある。その頃彼はまだ12歳で、絵のレベルも「小学生が描いたにしては上手な絵」という範疇に納まっていた。
あれから4年。その成長たるや、いやはや・・・・・。 もう言葉がない。あの基本の3色の絵具からこれほどの微妙な色合いを表現するとは。 長男は画く能力だけでなく、英語力も優れているので、インターネットを通じての海外バイヤーとの英文でのやり取りは、彼が全て対応している。
もう驚くのに疲れちゃったよ。 僕はここに来てから既に100回以上「バグース」を言っているんじゃないかな。 息子さんに感心している僕を見て、マデも奥様も、照れつつ、本当に嬉しそうだ。
「幸せな家族」そのものだ。
これだけ成功しているにもかかわらず、彼らは非常に冷静に将来を見据えている。 「確かに、今はラッキーなことに商売が順調に伸びているが、この先これがずっと続くとも思わない。幸い、長男は絵が好きなので、この道をこのまま進むかもしれない。しかし、仮に画廊が無くなっても生活に困らないように、実はヌガラ
(デンパサールから西に車で2時間)に土地を買ってスイカの栽培を始めたんだ。 この農業は次男が受け継ぐと思う。」 「地に足をつけて生きる」というのはこういったことなんだろうな。
さすがマデ夫婦だ。僕などは、将来の姿を考えるより、どうやって今日のこの生 活を維持していく方に一生懸命だ。えらい違いだな。
マデの自宅で驚いているばかりの僕を面白がって、また奥様は、畳一畳くらいの大きい抽象画を持ってきた。その絵は、マデの長男よりもより上級者が画いたものだと、素人の僕でも判断できる。個人的な好みからいえば、長男の絵よりも僕はこの絵の方が好きかな。
何とその絵は、あの「なんちゃって男」が画いたものだという。冗談だろ! その日は、何度も驚いてきたが、これを聞いて僕はもう立ち上がれないほどになっていた。あの軟派な男が、実は画伯!?
やめてくれよ、似合わないじゃねぇか!
マデの画廊で扱う抽象画家の中でも海外バイヤーから人気が高く、画いたそばから売れていってしまうらしい。彼は、既に二児の父親で、田舎のヌガラで 建材を扱うショップを経営する傍ら、自身はもっぱらキャンバスに向かっているという。
あの素晴らしい日本語力と、ひょうきんなキャラクターを田舎に埋没させておくのはもったいない気がするのだが、彼の素晴らしい抽象画を観ていると、 軟派に明け暮れた頃をとっくに卒業し、家族とともに、新たな人生を歩み始めているのがよく伝わってくる。

マデ家の訪問は、こうして驚きと感動に満たされたなか幕を閉じようとしていた。その余韻に浸っている僕にマデは突然、その日一度も使わなかった日本語で話しかけてきた。
「ヒロサン、今度、日本の女、来たら、ワタシ、一緒、食事シタイ。奥サン、 知ラナイ。奥サン、秘密」
奥様が日本語ができないことをいいことに、あなたは奥様の前で何てことを言うんだ。なんちゃって男が実直に生きていると思ったら、今度はあなたか? と言いつつも、僕は彼のこのユーモアのセンスに大笑いしてしまった。
マデに、より親近感を感じ、なんだかほっとしてしまったんだ。 楽しい時間をどうもありがとうございました。僕は、マデと奥様に丁重にお礼し、注文しておいた絵を抱え、帰路についた。
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