●慈恩寺:大字名。佐々木氏頼が、母のために建立した慈恩寺に因んで名付けられた。近江八幡市にも、同じ町名があり、八幡築城後、町ぐるみ移住したとされる。
●鍋屋町:大字慈恩寺の中の小字名。安土城下町のさいに、鍋、釜などの日用品を製造する鍛冶職が住んでいたところとされる。
●常楽寺:大字名。沙沙貴神社の神宮寺である常楽寺から起こったという。寺号が地名となったのは廃寺後。
●博労町:ばくろうちょう。大字常楽寺字佐久間町のなかの地名。織田信長は、国中の馬の売買を、安土城下に限る掟を出したが、ここは、その売買に携わっていた仲介人たちが住んでいたとされる。近江八幡市にも同じ町名がある。
●寺内 :じない。大字常楽寺字堀切のなかの地名。この付近には、御堂屋敷とか大堂などの地名があることから、佐々木六角氏に関する寺院が、この付近に集まっていたため生じた名と考えられる。近江八幡市にも同じ町名がある。
●佐久間町:大字上豊浦及び常楽寺にまたがる小字名。安土時代に、佐久間玄馬入道が、道場を開いた場所。有名な伴団右衛門も、ここで修行したと伝える。近江八幡市にも同じ町名がある。
●貞安 :てんや。大字下豊浦字十七のなかの地名。貞安(ていあん)は、浄厳院で行われた安土問答の浄土宗側の僧で、この地は、その貞安が開基として建立した西光寺の旧地。
●眼左衛門:大字下豊浦字十七のなかの地名。元亀元年(1570)、常楽寺において催された大相撲のさい、抜群の力士として名を馳せた宮居眼左衛門の屋敷跡。
●鍛冶の浦:たじのうら。大字下豊浦字十七のなかの地名。城下建設のさい、諸国より召した刀鍛冶の住んだ場所。
●女郎屋町:大字下豊浦字十七のなかの地名。安土城下町における歓楽街の1つ。
●馬場 :ばんば。大字下豊浦字十七のなかの地名。織田信長は、この馬場で、しばしば、爆竹や調馬などの行事を催した。
●大臼 :だいうす。大字下豊浦字敷来のなかの地名。ダイウスとはゼウスの転化とされ、セミナリヨの跡に推定されている。
●鉄砲町:大字小中字在所前のなかの地名。織田信長は、戦いにおいて、鉄砲を重要視したことはいうまでもなく、この鉄砲町は、その鉄砲を製作する職人の住んだ場所という。近江八幡市にも同じ町名がある。
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