琵琶湖水鳥・湿地センター ラムサール条約 ラムサール条約を活用しよう

「ラムサールシンポジウム新潟−人と湿地と生きものたち」
公開シンポジウム『佐潟 ラムサール条約登録記念講演会』
(1996年11月29日)での講演

ラムサール条約とは

小林聡史

釧路国際ウェットランドセンター
(現:釧路公立大学)

ラムサールシンポジウム新潟の開催と小林聡史氏の講演

 1996年11月28日〜30日に,全国の湿地にかかわる人々が集まって「ラムサールシンポジウム新潟−人と湿地と生きものたち」が開催された.このシンポジウムは同市の佐潟が国内十番目のラムサール条約登録湿地となったことを契機に,日本の湿地保全の実情を見直し,全国の湿地保全にかかわる人々の間で協力関係を築いて情報交換をすることを目的として,環境庁・新潟県・新潟市・国際湿地保全連合日本委員会・ラムサールセンターなどが主催となって開催されたものである.
 このシンポジウムは日本におけるラムサール条約の動きを理解する上で重要なシンポジウムとなった.1992年のアジア湿地シンポジウムは海外ゲストが中心となったものであったが,今回のシンポジウムは,自分たちの町がかかえる湿地の価値を否定するのでなく生かす形の未来を築くことができないかと模索しているNGOや研究者,さらに熱心な自治体関係者が多く結集し,現状を報告し今後の展望を語りあった点が大きかった.

 このシンポジウムの内容は以下の報告書によって詳細に知ることができる.

報告書表紙 (6KB)ラムサールシンポジウム新潟実行委員会(編).1997.ラムサールシンポジウム新潟1996報告書[人と湿地と生きものたち].同実行委員会,東京,286pp.入手先:ラムサールセンター(146-0084 東京都 大田区 南久が原2-10-3 中村玲子事務所内 / TEL&FAX 03-3758-7926 / E-mail: ramsarcj.nakamura@nifty.ne.jp / URL: http://www.museum-japan.com/rcj/)[特別頒布]3000円.

 このシンポジウムの一環として市民に向けた公開シンポジウムが11月29日に開催され,冒頭に小林聡史氏が『ラムサール条約とは』と題する短い講演をされた.
 小林聡史氏は釧路市からスイスのラムサール条約事務局に派遣され,事務局員として1993年に釧路市で開かれた第5回締約国会議の開催に尽力された方である.小林氏は新潟市生まれでもあり,登録湿地を抱えた地元市民へのエールと感じられた講演であった.シンポジウムの報告書にはこの講演の概要しか紹介されていないため,小林氏からお送りいただいた講演の内容を以下紹介する.

(須川恒,琵琶湖ラムサール研究会)

1 湿地とは

 今年オーストラリアは湿地づいています.3月にラムサール条約の締約国会議が東海岸のブリスベン市で開催され,9月末には西海岸のパースで国際生態学会 INTECOL の湿地会議が開催されました.しかし,国際生態学会の直後,これまでラムサール条約の発展に関わってきた生態学者の一人,イギリスのテッド・ホリス博士の突然の死が伝えられました.彼は水の収支,水文学が専門でしたが,国際生態学会の終わった直後ホテルの部屋で死んでいるのが発見されました.心臓発作と思われますが,ラムサール関係者には大きなショックを与えました.僕も何度かお会いしたことがありますが,彼は最近アジアの湿地,特に巨大ダムの問題等を扱っていたので残念でなりません.
 彼もイギリス人らしいユーモアの持ち主でしたが,彼の発明の一つに『湿地の定義』があります.厳密に言えば湿地の境界線の定義なのですが,政治家や弁護士,お医者さん,誰でもいいのですが,偉い人を湿地に招待すればいいというのです.それも出来れば突然がいい.車で湿地のそばまで行って,車から降りて出来るだけ湿地に近づいてみましょう.ある程度まで行くと,その偉い方はぴたりと止まってしまう.それ以上行くと,ぴかぴかの靴が泥で汚れてしまう.彼が,彼女でもいいのですが,立ち止まっているところ,そこから先こそが湿地である,というものです.

2 1996年ブリスベン会議

 今年の3月オーストラリアの東側にあるブリスベン市においてラムサール条約の第6回締約国会議が開催されました.締約国というのは,少〜し堅い言葉ですが,条約の加盟国のことです.ブリスベン市の前に広がる『モートン湾』という湾がラムサールの登録湿地になっています.沿岸にはマングローブも広がり,時にはウミガメやイルカと一緒に泳ぐことも可能です.このブリスベン市のモートン湾,新潟市の佐潟,そして日本で最初の登録湿地で国立公園にもなった釧路湿原,これらは湿地のほんの数例ですが,全然異なる湿地です.でも共通しているのは,大きな都市の中,あるいはすぐ目の前にまだ国際的に重要と考えられる湿地が残されていることです.ある意味では奇跡的とも言えましょうが,逆に言えば我々人間は湿地のあるところに集まって街を作ってきたわけです.そして,そうしてまだ残されている貴重な湿地の価値に,そこに住んでいる人々,そして国家に気付いてもらう,積極的に保全策を講じてもらおうというのがラムサール条約の精神です.
 それも人間生活と密接に結びついている湿地のあり方を根本的に変え,人間の手をすべて排除しても守ろうというのではありません.人間を守るために湿地も守ろう,上手な利用の仕方を考えようとして,湿地のワイズユースを提唱しています.残された湿地の価値を損なわないような利用というわけです.

 ラムサール条約の事務局はスイスのジュネーブに近いグランという街にあります.条約事務局といってもスタッフはわずか14名,世界全体の湿地保全の問題をカバーするため,そして世界中から1000人以上の参加者が集まる締約国会議の開催準備のためには,事務局職員が一丸となって働く必要があります.僕も事務局に行く前には,「日本人は働き過ぎだ」という汚名を返上するのに貢献したいな等と気楽なことを考えていたのですが,さて,うまくいったかどうか......

 新潟市の『佐潟』は,ブリスベン会議の直前に日本政府から登録の知らせがスイスにあるラムサール条約事務局に届き,長谷川市長が会議に参加してその中で,登録認定証を受け取られました.
 国際条約ですから,加盟しているのは日本政府であり,佐潟登録の手続きは直接担当をしている環境庁から外務省を通じて行われ,外務省からスイスにある日本大使館を経て,公式の政府文書として事務局に届けられました.
 ラムサール条約は別名湿地条約と言われることもあり,世界中の国際的に重要な湿地を保護するための国際条約です.なぜラムサール条約と呼ばれるかと言えば,今を遡る1971年に中東はカスピ海に面したイランのラムサールという町で,この湿地条約を採択するため各国政府代表や専門家が集まった国際会議が開かれ,この条約が誕生したからです.また,ラムサールはキャビアの産地としても有名で,東京のコンビニに何とキャビアの瓶詰めが置いてあり,しかもふたには「イラン,ラムサール」と書いてあって思わず買ってしまったことがあります.
 このラムサール条約以外にも,条約が採択された都市名を付けて呼ばれる自然環境保全条約がいくつかあります.例えば,絶滅に瀕している野生動植物の国際取引の規制に関するワシントン条約,頭文字をつなげてCITESと呼ばれることもあります.また,日本は加盟していませんが,移動性の野生動物種の保護に関するボン条約もあります.ただ,世界遺産条約は採択されたのがパリのユネスコ総会でなんですが,パリ条約というのは他にもあるのでそのまま世界遺産条約と呼ばれます. こういった世界的な自然環境保全条約の中でも,ラムサール条約は世界で初めてのものとして1971年に採択されています.今年25周年を迎え,ブリスベン会議の最中もそして先月末に行われたラムサール条約常設委員会―これは毎年行われる理事会みたいなものですが―その中においても25周年を祝う記念行事が行われました.
 常設委員会の場合は,ジュネーブでヨーロッパ有数の湖であるレマン湖にボートを浮かべて各国大使も招待して行われました.国際都市ジュネープのすぐ近く,レマン湖畔に保護区があり,そこがラムサール登録湿地に指定されています.ジュネーブは最近クルマの数が多くなって,朝晩の渋滞がひどい.そこで当局はバイパスを建設しようと考え,橋とトンネルの2案を考えましたが,保護区の一部を通ってしまう.そこでジュネーブ市民にどちらを選ぶか住民投票にはかりました.その結果は,橋もトンネルもいらない.水鳥生息地保護のためなら,多少の渋滞は我慢する,というものでした.
 世界で初めての自然環境保全のための国際条約としてラムサール条約は誕生したわけですが,その後こういった枠組みの下で国際的な合意をもって自然環境保全を進めるというやり方が効果的であるという認識ができ,今では様々な自然環境保全のための国際条約ができています. 

3 国際条約としてのラムサールと湿地の登録

 では,国際条約といった場合,我々が日常お世話になっている法律,例えば道路交通法みたいなのとはどう違うのでしょうか.
 ラムサール条約の場合,何をもって条約違反というきちんとした取り決めはなく,もちろん条約違反と思われるような行為を国家がしてもそれに対する罰則があるわけではありません.国と国との紳士協定であり,まあ「一緒に湿地を守りましょう」という入会金無料のクラブみたいなものかも知れません.しかし年会費はあります.
 先週イスラエルが95番目の加盟国となりました.加盟するためには,先程申しましたように入会金は必要ありません.必要な書類を外務省から,加盟のための書類の届け先となっているパリにあるユネスコ本部に送ればいいわけです.ここで必要なのは,国内にある湿地のうち国際的に重要と考えられるものを最低1カ所登録する手続きを同時に行うことです.日本は1980年に条約に加盟し,その際には北海道東部にある釧路湿原が日本国内最初の登録湿地として指定されています.
 そして今年佐潟が登録されて,日本国内10番目のラムサール登録湿地となりました.

 湿地が登録されるということはどういうことが起こることでしょうか.ただ単にラムサール条約事務局が定期的に発行する世界中の登録湿地のリストに「佐潟」の名前が載るだけというものではありません.

(1)世界中の湿地や自然保護関係者の注目の的となっているわけです.
 どういう人が興味を示すかというと,特に佐潟と似たような湿地の関係者.この「似たような」という言葉が曲者です.新潟のような大きな都市の中にある湿地を抱えている自治体,そこでいろいろな分野の研究を行っている人達,佐潟と同じような特性を持つ湿地の関係者,砂丘湖,潟湖といった観点から共通の問題を抱える湿地があるでしょう.当然,いつ海外から湿地専門家が佐潟を訪れようとするかわかりません.正式な訪問をする場合もありましょうが,日常的な様子を見てみたいと事前に連絡などせずに突然訪れるという例も多々あります.

(2)ラムサールの公式データベースに登録
 ラムサール条約登録湿地のデータベースはオランダにある「国際湿地保全連合」が管理しています.そこでは,世界各国からの問い合わせに応じて,ラムサール登録湿地に関する様々な質問・要望に応えています.日本海周辺の重要湿地は?という質問があれば即座に佐潟の名前があげられるわけです.次回の締約国会議は1999年に行われる予定ですが,その際に全登録湿地の概況を説明する目録作りを行うことが検討されています.まだ,本の形になるかCD-ROMの形になるかは決まっていませんが.

(3)3年に一度報告書で状況の説明をする義務が生ずる.
 次回締約国会議は中米のコスタリカで開催される予定ですが,毎回締約国会議の前に各締約国は国内の登録湿地の保全・管理状況に関して報告書を提出する義務があります.当然日本政府からは佐潟についても現状報告が行われることになります.

 昨年の大晦日の日,久しぶりに里帰りをしていましたが,そのころすでに佐潟が登録の見通しであるということはスイスにも伝わってきていました.それで少し粉雪がちらつく中バスに乗って佐潟に行ってみました.駅前で防寒用の帽子を買い込んで,駅前のバス乗り場案内所に行きました.
「サカタに行きたいんですけど」「山形県の酒田ですか?」「いえ,赤塚にある湖の佐潟(さがた)に行きたいんですけど」「ああ,それなら.......」というわけで,その時はサガタの方が通りが良かったみたいですが,何ら問題なく佐潟に行くことが出来ました.
あれからほぼ1年,明日もう一度佐潟を訪れ,その後,地元で佐潟を取り巻く様々な活動を行っている方々からのお話を伺うのを楽しみにしています.

4 ラムサール登録の意義

 僕は市内の小学校で学んだのですが,今でも覚えていることがあります.小学校の3年生か4年生の頃だったと思うのですが,音楽を担当しておられた先生が,確か三条から通っておられたのだと記憶しているのですが,僕たち生徒に向かって「お前らは可哀想だ」と言うのです.なぜならば新潟は緑が少ないからだというのです.海辺の松林や白山神社で遊んでいた僕にとっては,特に緑が少ないという意識はなかったのですが,きっと三条はもっとたくさん緑があるんだろうなと思ったことは確かです.
 しかし今や新潟市は少なくとも国際的に認められた湿地を有する.それを今まで埋め立てもせずゴミ捨て場にもせず,残してこれたのは地元の方々の努力のおかげです.しかし緑が多いと感じるか少ないと感じるか,そして自然の価値を認めることも相対的なものです.例えば佐潟の面積を3分の1にして人工物で取り囲んだとしても,それ以上に新潟市全体でことごとく自然が失われてしまえば,おそらくそんな状態でも30年後にもまだ佐潟を素晴らしいと思うことも可能でしょう.もちろんそうなって欲しくないですが.

 全部で900カ所になろうとしているラムサール登録湿地は日本国内に10カ所,そのうち北海道には5カ所で,あと5カ所が本州にあります.そのうちの1カ所が新潟市に指定されたということは,皆さんの生まれ故郷に登録湿地が1カ所増えたと言うこと以上に重大な意味を持つと思います.いや,言葉を変えれば「重大な意味を持たせることができる」と思います.
 どんなに国際条約の事務局や関係者が,そして条約の加盟国である日本政府が佐潟が国際的に重要だと騒いでも,地元の人々が無関心ではせっかくの指定も意味が薄れてしまいます.都市の中に残された自然,一歩間違えば単なる都市公園の一つとして終わってしまいます.ぜひ,この機会を利用し,ラムサール条約の下で発達した国際的な湿地のネットワークに参加して世界の中での佐潟の位置づけを展開していただきたいと思います.
 そのためには,佐潟だけではなく日本海側の重要な湿地に関わる人々の協力が必要となってくるかも知れません.そして,国内だけでなく,パスポートを持たない水鳥達が外交官となって,お隣韓国,中国,ロシア等の関係者との交流の機会が生まれてくるでしょう.ユニークな展開の仕方をすれば,世界中から興味のある人々を集めて国際的な研究会をやることも可能です.今回立派な国内シンポジウムをやっているところに,主催者の方々には酷のような気もしますが,ラムサールの関係者がいつも言っていることは「登録湿地の指定はそれ自体が終わりではなくて,始まりなのです」.


著者の承諾を得て掲載.2001年6月1日.

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第1部:ラムサール条約とはなにか?

  1. 『ラムサール条約とは』
  2. 『ラムサール条約のねらいと役割』
  3. 『ラムサール条約とこれからの湿地保全のありかた』
  4. 『水鳥を通して知る琵琶湖周辺の注目すべき湿地の存在とその保全』
  5. 『東アジアガンカモ類ネットワークの発足とその意義』
  6. 『湖北地方のオオヒシクイの生態と生息地保全』
  7. 『ラムサール条約登録湿地として見た琵琶湖』

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