琵琶湖水鳥・湿地センター ラムサール条約 ラムサール条約を活用しよう

琵琶湖研究所所報 第18号 (2000年12月)
特集記事 水鳥の保護と湿地保全(4)
[ 109-115頁および口絵7頁 ]

湖北地方のオオヒシクイの生態と生息地保全

村上悟1)・片岡優子2)・山崎歩3)

1)滋賀県立大学大学院環境科学研究科
2)滋賀県立大学環境科学部
3)滋賀県東浅井郡湖北町

1.はじめに

1.1 背景

口絵の写真1 (5KB)
写真1 ヒシの実を採食するオオヒシクイ
 オオヒシクイ(Anser fabalis middendorffii口絵の写真1参照)は,国の天然記念物に指定されている大型ガン類ヒシクイの1亜種である.狩猟や生息地の破壊を主な要因として個体数の減少や分布域の縮小が起こり,現在,環境庁のレッドリストでは準絶滅危惧亜種に指定されている.
 オオヒシクイは,人間とは距離を保ちつつも同じ土地(水田など)を利用する.現在,日本でオオヒシクイが渡来できる地域は,いずれも豊かな湿性植生と水田環境を備えており,オオヒシクイはそうした環境の象徴と考えられよう.
 日本へ渡来するオオヒシクイは,色首環や足環を用いた標識調査等により,夏季にロシアのカムチャツカ半島で換羽・繁殖をしていることが確認されている.オオヒシクイは,秋にカムチャツカ半島から北海道に渡来し,やがて本州の日本海沿いに南下してくる.その渡りルートにおいて,湖北地方(伊香郡,東浅井郡)は渡来地の南限である(宮林ら,1994).
 湖北地方におけるオオヒシクイの生態や,その保全上の留意点については,須川ら(1996)が包括的にまとめたものがある.また湖北地方は,より北方にある新潟県などの越冬地で結氷や積雪が起こった場合の避難地として,特に重要な役割を果たしている(村上,1999).

図1 (43KB)
図1 オオヒシクイの生息地と地点区分

HP編者注:図内の地点区分を示す丸囲みの数字を本文中で参照している場合は,それぞれ (1) から (12) として表わした(丸囲み数字は機種依存文字であるため).


1.2 研究の目的

 オオヒシクイの夜間行動について須川ら(1996)は未調査であったため,湖北地方におけるオオヒシクイの生態が充分に把握できたとはいえない.また,オオヒシクイの越冬生態を定量的に示した研究はまだない.そこで,

  1. 採食対象とその変化,
  2. 土地利用の傾向,
  3. 夜間の生態,

を定量的に明らかにすることを本研究の目的とした.
 また第5章には,本研究で得た知見も加え,湖北地方のオオヒシクイ生息地の保全について気がついたことを整理した.今後の参考になれば幸いである.

2.研究の方法

2.1 日中調査

 双眼鏡と望遠鏡を使って,30分間隔でオオヒシクイの分布と行動別の個体数を記録した.調査は夜明けに開始し,日が暮れてオオヒシクイの行動が目視できなくなった時点で終了した.分布は,地形・植生・オオヒシクイの行動などを考慮して,図1に示す12地点に区分した.さらにこの12地点を,琵琶湖((1)〜(7)),西池((8)),水田((9)〜(12))の3地域にグループ分けした.行動は7通り(採食,移動,休息,背眠[首を背中に突っ込んで眠ること],羽づくろい,警戒,不明)に分類した.
 採食行動の際は,採食対象も併せて記録した.また,オオヒシクイが水面に浮いているか,陸や浅瀬で足がついているかも記録した.
 群れが分散していた場合は,複数人が分散して観察を行った.オオヒシクイが飛翔して移動した場合は携帯電話で連絡を取りあい,可能な限り飛行ルートを捕捉した.
 調査は,最初のオオヒシクイが飛来した1999年9月28日から最後の群れが飛去した2000年3月10日までの間に1ヶ月に1回以上の頻度で7回実施した(調査日は表1参照).

2.2 夜間調査

 2000年1月12日19:00〜13日6:00の間,西池において暗視鏡を用いオオヒシクイの行動を観察した.日中調査と同様に,30分間隔で行動別の個体数を記録した.当初は月明かりで観察を行う予定であったが,雲っていたためにやむを得ず観察を行うときだけ自動車のライトを用いることにした.群れに直接照射すると影響が大きいと判断して,群れからずらした方向に光を照射し,斜めに漏れた光で観察を行った.幸いに,その光に対してオオヒシクイが警戒することはほとんどなかった.

3.結果

3.1 日中の生態

図2 (17KB)
図2 オオヒシクイの日中の行動割合
 7回の日中調査それぞれにおいて24回(30分ごとに1回,12時間)の観察を行ったので観察回数は168回であり,述べ24354羽をカウントした.以下,このデータを整理しながら結果を述べる.
 まず,各調査日ごとに行動別に分けると(図2),約1/4〜1/2が採食・移動,約1/2〜3/4が休息・背眠・羽繕いである.平均すると約1/3が採食と移動,2/3が休息・背眠・羽繕いである.調査日によって行動割合は変化したが,その要因は明らかでない.一日の間でも行動割合は変動をしたが,全調査に共通するパターンは見出せなかった.
 次に,オオヒシクイの採食対象と分布の変化を表1に示す.オオヒシクイの主な採食対象は3つで,ヒシの実,マコモの根茎,水田のイネや雑草である.それぞれを「ヒシ」「マコモ」「イネ」と表記した.ハスの茎や浅瀬に生えている陸上草本植物を食べることもあったが,ごく少数だったので記載していない.また,分布の偏りを示すため,各地点で確認された個体数がその日にカウントされた全個体数の何%を占めていたかを4段階で表した.飛来当初はセンター前と西池でもっぱらヒシの実を採食していたが,12月にマコモの採食が確認され,1月からはヒシの実が利用されなくなってマコモとイネの利用が優占したことがわかる.

表1 各調査日におけるオオヒシクイの分布と主な採食対象
■:50%以上 ●:50〜25% △:25〜5% +:5〜0%

琵琶湖 西池 水田 推定
個体
天候
琵琶
湖の
水位
(1)
セン
ター
(2)
余呉
川河
口部
(3)
水門
(4)
延勝
寺の
(5)
奥の
(6)
海老
江港
の北
(7)
塩津
(8)
西池
(9)
海老
江の
水田
(10)
丁野
木川
北の
水田
(11)
三川

水田
(12)
尊勝
寺の
水田
99.10.23
ヒシ

ヒシ
50 晴れ -31
99.11.28
ヒシ

214 曇り -46
99.12.21
ヒシ

ヒシ

マコ
268 曇り -57
00.01.08
ヒシ

ヒシ

マコ

イネ
460 曇り
のち
晴れ
-67
00.01.13
ヒシ

マコ

イネ

イネ

イネ
393 曇り
のち
-66
00.01.22
マコ

マコ


マコ

イネ
272 晴れ
のち
曇り
-64
00.02.20
マコ

マコ


マコ

マコ
57 曇り
一時
-52

表2 "飛び上がり"と"飛翔移動"の平均回数

推定総
個体数
飛び上がり 飛翔移動
のべ
個体数
平均
回数
のべ
個体数
平均
回数
99.10.23 50 54 1.1 30 0.6
99.11.28 214 0 0.0 193 0.9
99.12.21 268 31 0.1 221 0.8
00.01.08 460 79 0.2 447 1.0
00.01.13 393 1 0.0 609 1.5
00.01.22 272 15 0.1 490 1.8
00.02.20 57 22 0.4 82 1.4

図3 (12KB)
図3 オオヒシクイの利用地点割合

図4 (9KB)
図4 地点別による行動割合の違い
 採食対象の変化と同時に,オオヒシクイの飛翔頻度も変化した.オオヒシクイは1日のほとんどを水上と陸上で過ごしており,飛翔している時間は1日のうちほんのわずかである.オオヒシクイの飛翔行動には,

  1. "飛び上がり"=いったん飛び立つが,元にいた場所に戻る,と
  2. "飛翔移動" =他の場所へ移動する,

の2種が見られた.
 前者は,ボートの接近や猛禽類の接近など,危険が生じたときに起こることが多かったので,いったん空中へ避難し,安全を確認した後に戻る行動であると考える.後者は,危険が生じて移動を行う場合と,休息地と採食地の間や異なる採食地の間を移動する場合の2種があると考える.
 1羽の個体が1日の間に平均何回"飛び上がり"と"飛翔移動"を行うかを求めると(表2),"飛び上がり"は変化の傾向が見られないのに対し,"飛翔移動"は10月23日に0.6回/羽だったものが日を追うにつれて増加し,1月22日には1.8回/羽になった.この増加の原因としては,イネを利用することになったために飛翔の必要性が増えたこと,個体数の増加,食物の減少,積雪の影響によって採食・休息環境が厳しくなったことが考えられる.
 次に,オオヒシクイが利用していた地点別の割合を求めると(図3),地域別では琵琶湖,西池,水田の順に利用頻度が高く,地点では(5)奥の州と(8)西池がよく利用されたことがわかる.また,図からは読みとれないが,(1)センター前は調査を行っていない9〜10月にはよく利用されていた(清水,私信).
 最後に,地点による用途の違いを示す(図4).奥の州では,平均(図2)に比べて採食や移動が少なく,休息や背眠が多い.つまりこの場所は主に休息地として使われている.西池は,平均に近い行動割合を示す.西池は採食,休息ともに適した場所である.図には示していないが,奥の州以外の琵琶湖沿岸部も同様の行動分布を示した.逆に水田はほぼ採食のみに利用されており,休息にはほとんど利用されていない.

3.2 夜間の生態

図5 (11KB)
図5 日中と夜間の行動別個体数割合
 夜間のオオヒシクイの行動は,日中の行動と大きな違いはなかった.日中と同様,マコモの根茎を採食し,しばらくすると水面や陸上で羽繕いや背眠をし,またしばらくすると再び採食を始める,という行動パターンが一晩中続いた.
 2000年1月12日19:00〜13日6:00(夜間)の行動割合と1月13日6:00〜17:30(日中)の行動割合を比較しても(図5)大きな差は認められない.
 日中に比べると,警戒をすることが少なく,落ち着いて行動している印象を受けた.  西池からの飛び立ちや西池への飛来については,羽音や鳴き声,着水時の音などによる確認を試みたが,1羽も確認できなかった.

4.ここまでの結論

 本研究によって,以下のことが明らかになった.


5.オオヒシクイの生息地保全に向けて

5.1 採食地の確保

図6 (14KB)
図6 採食時の利用地点割合
 湖北地方に渡来したオオヒシクイは,秋から冬にかけては主にヒシの実を食べるが,冬以降から渡去まで,マコモを採食する.1995〜1997年に西池で浚渫工事が行われた際,マコモが植栽されたが,今回の調査でもそのマコモが盛んに利用されているのが確認できた.
 採食地としては水田も無視できない(図6参照).オオヒシクイが好んで利用する水田の特性はまだ明らかではないが,冬季,水田に水を入れて湿田化したことでガン類やハクチョウ類がその水田を好んで利用したことが宮城県田尻町で報告されている(河北新報,2000).これは,水を張ったことで哺乳動物による捕食の危険が低下したためだと考える.

5.2 休息地の確保

口絵の写真2 (11KB)
写真2 センター前の浅瀬で休息するオオヒシクイ

図7 (13KB)
図7 背眠時の利用地点割合

図8 (13KB)
図8 背眠時の利用環境
 オオヒシクイは1日のうち半分以上を休息と背眠に費やすため,休息地は採食地と同様に重要である.休息・背眠時の利用頻度が高いのは奥の州をはじめとする琵琶湖沿岸と西池である(図7参照)が,それぞれの利用の仕方は異なる.図8に示すとおり,背眠をする際,西池では開水面に浮かんで眠る場合と陸や浅瀬で眠る場合とがほぼ同じ割合であったのに対し,琵琶湖では陸や浅瀬で眠る場合が大半である.これは,琵琶湖では波があるためだと考えている.したがって琵琶湖では,陸から離れたところに浅瀬のある奥の州やセンター前(口絵の写真2参照),南の水門前が休息地として重要な役割を果たしているのであろう.
 西池が休息地として適している理由,高い波が立たないことのほかに,人が近づきにくい湖面や岸があることが挙げられよう.かつては山東町の三島池もオオヒシクイの飛来地であったが,池の周囲に道路を建設したり,過度に公園整備を行ったりした影響でオオヒシクイが利用しなくなっている(須川ら,1996).西池も同様の改変を行うと同じようなことが起こるおそれがある.
 水田は現在のところ,休息地として利用されていないが,先に述べた湿田化を行えば休息地として利用されるかもしれない.

5.3 渡りルート上の渡来地との連携

 第1章で述べたように,湖北地方に飛来するオオヒシクイは,渡りルート上で他の渡来地と往来している.
 したがってオオヒシクイの生息地を渡りルート全体で保全していくためには,加賀の鴨池(石川県)や朝日池や福島潟(新潟県)といった近隣の渡来地および,換羽・繁殖地であるカムチャツカ半島との連携を促進することが望まれる.
 すでに国内において,民間では日本雁を保護する会や日本湿地ネットワークなどのネットワークが広がりつつあり,行政ではラムサール条約登録湿地関係市町村会議が設置されている.また国際的には宮林の報告にあるとおり,「東アジア地域ガンカモ類重要生息地ネットワーク」が設置され,琵琶湖も参加している.こうした連携の輪に滋賀県や流域市町村,地元のNPOが積極的に参加すれば,国際的な湿地保全への貢献を果たすのみでなく,国際的な視野における地域の再発見をもたらすだろう.そして「東アジア・オーストラリア地域シギ・チドリ類ネットワーク」への参加を基にした千葉県習志野市とオーストラリアのブリスベン市との交流のような,新たな連携や親善を作り出すことも可能になろう.

5.4 湖面,水辺,農地の利用管理体制の構築

 調査中,琵琶湖においてはレジャーボートが高速で航行し,オオヒシクイや他の水鳥が驚いて飛び立つ場面に幾度か出会った.また,水田や西池においてもオオヒシクイに対してカメラマンや住民が近づき,オオヒシクイを警戒させたり飛び立たせたるすることが幾度かあった.琵琶湖水鳥・湿地センター前の水域に釣り客が入り込み,オオヒシクイを飛び立たせることもあった.センターではハンドマイクを用いて呼びかけを行っているが,対処療法の域を出ない.
 こうした現状が改善しにくい一因は,湖面・水辺や農地の利用の管理体制にあると考える.水上交通は警察,野鳥保護は自然保護課,水田・ため池は農政課や土地改良区などと異なった部局が行っているので,情報共有や効果的な施策の実行が円滑に行われていないように思う.民間の団体などが持っている情報も充分にいかされていない.
 そこで,琵琶湖とその沿岸部の保全・利用管理体制を行政の各部局と民間の連携の中で構築する必要があると考えている.そうした取り組みはオオヒシクイの保全のみならず,他の生物の保全や景観保全,水質保全,文化財保護等にも貢献するであろう.

5.5 短期的に留意すべき点

 現在西池ではハスの生息域が広がってきている.オオヒシクイはハスの茎も食べるが,ハスの群落の中に入らないので,ハスが枯れて水没する年末年始頃まで,オオヒシクイが利用できる水面が年々減少している(清水,私信).
 また,センター前付近では道の駅建設が開始された.騒音や照明などによる影響がないか,モニタリングが必要である.

6.おわりに

 人間や生物にとって安全な水田環境の実現を目指し,沿岸植生の寄りよい復元方法や保全内容を考えていくことは,オオヒシクイのみならず人間にとっても利益がある.
 かつて近江八景に歌われた「堅田の落雁」のような風景は,琵琶湖におけるオオヒシクイの生息地が広がればおのずと再び目にすることができるだろう.
 私たちの目の前に,豊かな生態系を育む琵琶湖とそれを取り囲む田園風景が広がり,その上をオオヒシクイが鳴き交わして空を滑っていく,そんな情景が湖北地方以外にも広がり,いつまでも続くことを願って止まない.

謝辞

 本研究において,石井光弘,石田みつる,金尾滋史,島田正,鈴木裕子,高木博之,高橋俊雄,高峯陽子,平澤百合子,西尾文里,西村武司,宮本真浩,山中佐紀子の諸氏には調査において多大なる協力をいただきました.また,湖北野鳥センターの肥田嘉昭,琵琶湖水鳥・湿地センターの清水幸男両氏には,研究に対する助言と援助をいただきました.心より感謝を申し上げます.

参考文献


著者ならびに滋賀県琵琶湖研究所の承諾を得て掲載.2001年6月1日.

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第1部:ラムサール条約とはなにか?

  1. 『ラムサール条約とは』
  2. 『ラムサール条約のねらいと役割』
  3. 『ラムサール条約とこれからの湿地保全のありかた』
  4. 『水鳥を通して知る琵琶湖周辺の注目すべき湿地の存在とその保全』
  5. 『東アジアガンカモ類ネットワークの発足とその意義』
  6. 『湖北地方のオオヒシクイの生態と生息地保全』
  7. 『ラムサール条約登録湿地として見た琵琶湖』

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