琵琶湖水鳥・湿地センターラムサール条約ラムサール条約を活用しよう

琵琶湖研究所所報 第18号 (2000年12月)
特集記事 水鳥の保護と湿地保全(5)
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ラムサール条約登録湿地として見た琵琶湖

安藤元一

環境科学株式会社

1.琵琶湖登録の経緯

図1 (19KB)
図1.ラムサール条約の定義による滋賀県の湿地(土地利用は滋賀県地域環境アトラスによる).

 琵琶湖がラムサール・サイトとして登録されて7年になる。琵琶湖登録のきっかけは、1993年6月に釧路市で開催されることとなったラムサール条約第5回締約国会議を契機に、国内登録湿地を大幅に増やしたいとの意向が環境庁にあったことである。その前年に打診を受けた当初、滋賀県の反応は消極的であった。理由の一つは、琵琶湖は湖であって湿地ではないという理解であった。ラムサール条約は湿地をきわめて広く定義しており、浅い海岸から河川やダム湖、更には水田なども湿地として定義しているため(水田が登録湿地となった例は未だないが)、滋賀県平地の大部分はラムサール条約における湿地に該当し(図1)、琵琶湖は「永続的な淡水湖」という湿地タイプに分類される。
 しかし滋賀県では琵琶湖の存在があまりに大きいため、湖が真ん中にあって湿地はその湖岸に分布し、更にその周囲に陸域が広がっているという中湖思想的な発想が強く、湖が湿地の1タイプに過ぎないという考え方には今でも心理的な抵抗があるようである。
 この状況は1992年10月に琵琶湖研究所で開かれた「アジア湿地シンポジウム」(環境庁、滋賀県、国際湖沼環境委員会、ラムサールセンターなどの共催)をきっかけに大きく変わることになる。シンポジウムの直前まで県は登録を時期尚早と答弁していたのであるが、シンポジウム翌週の記者会見において知事が「琵琶湖も湿地の一タイプであることが理解できた。登録を検討したい」と述べたのをきっかけに、登録準備が急ぎ進められることとなった。ただ、準備期間が半年と限られていたために、関係者にラムサール条約を十分に勉強する余裕が無く、関係市町村の同意を取り付ける際に「これ以上の規制はないのだから登録に同意してほしい」といった言い方をせざるを得なかった。県民に対しても、登録は「琵琶湖の水鳥たちを守る地域指定」であって「ラムサール条約の登録湿地としての新たな規制はありません」とアピールされた(「しがNOW」21号、1993年)。
 このため、登録湿地として何をしなければならないのかについての啓発は不十分な状態が続いた。たしかにラムサール条約は具体的な規制措置について殆ど言及していない。それは、生態系保全の分野では状況の異なる各国を一律に規制することが困難であると同時に、同条約が「何をしてはいけないか」ではなく「何をすればよいのか」に関してガイドラインを提示することを重視しているためである。

2.自治体の役割

編注:表1を別ウィンドウに開きます

 ある湿地をラムサールサイトとして登録するためには、まずその場所が国際的重要性の基準を満たしていることが必要である。保全計画が立案・実施されていることも強く推奨されている。ラムサール条約本文の中から登録湿地に関連する要求を抜粋し、琵琶湖の現況と併せて表1に示した。現時点の琵琶湖は保全措置については十分に要求を満たしているといえるが、関係者の研修については不十分であり、とりわけ頻繁な人事異動のためにラムサールに関する専門家がなかなか育たない状況にある。
 登録の手続きとして、締約国は登録地の状況を簡単なインフォメーションシート形式にとりまとめ、申請の手紙とともに条約事務局に提出するだけでよい。各国の主権を尊重する立場から、登録地としての適否について事務局側の審査は行われない。地元合意も条約上の手続きでは必須ではない。我が国の場合、環境庁はそれまで国設鳥獣保護区として国の管理責任が明確であることを保全措置の担保としていたため、琵琶湖登録に際しては県設鳥獣保護区であることが内部的に問題となったようである。しかし、琵琶湖はほぼ全域が国定公園の特別地域になっているほか、ヨシ群落保全条例、富栄養化防止条例、クリーン条例、風景条例など数多くの県レベルの保全措置で守られている。これらは同条約が強調する湿地資源の賢明な利用という趣旨に十分かなう措置であることから、保全措置として十分とされた。
 条文には「締約国は、....」という書き方しか出てこないため、自治体側に「ラムサールは国が面倒をみるべきもの」との誤解もあるようだが、地方分権型の国家である我が国では地方自治体が登録湿地を主体的に管理してゆかねばならない。とりわけ、賢明な利用は全国一律の基準で取り扱えるものではなく、地元の創意工夫が必要な分野である。

3.ラムサール条約の変遷

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図2.ラムサール条約のロゴ.

 ラムサール条約の正式名が「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」であることから、同条約は世界いずれの登録地においても1)水鳥保護条約であって2)登録湿地だけが同条約の対象であると誤解されがちである。同条約の推進役NGOであった当時の国際水禽湿地調査局(IWRB)は湿地保全条約としての創設をねらっていたのであるが、水禽保護を強調するソ連案と妥協する形でこうした名称となった経緯がある(Matthews, 1993)。また、同条約が締約国の湿地すべてを対象としていることは、第4条に「締約国は湿地が登録簿にかかげられているかどうかにかかわらず、......保全を促進し、」と明記されている。
 ラムサール条約は対象種そのものではなく生息地を保全しようとした点で1971年の創設当時から画期的であったが、更にその後7回の締約国会議における多くの決議や勧告を通じて、水鳥生息地保護条約から湿地版生物多様性条約、とりわけ河川流域管理との統合を視野に入れた条約に大きく変身してきている。それを象徴するのはロゴマークの変更であり、以前のマークは飛翔する鳥をイメージしていたが、1999年1月からは水の流れと生命をイメージする新ロゴに変更されている(図2)。
 国際的に重要な湿地としての基準も同様に変遷を重ねている。第6回締約国会議(1996年)では水鳥に加えて魚類に関する基準が追加された。韓国では洛東江河口をラムサールサイトに指定しようという近年の動きに対して、漁民2,000人が反対署名を釜山市に提出したというが、登録基準8が漁業資源の確保をも視野に入れていることはまだ十分に理解されていないようである。第7回会議(1999年)では生物地理区分ごとに代表的な湿地を指定するという考え方が導入されるとともに、生物の生息状況に関わらず湿地タイプ自体の重要性だけで登録が可能になった。例えば、尾瀬などは水鳥や魚類の基準では登録湿地としての要件を満たせなかったが、新基準では可能である。

4.ラムサール登録基準

編注:表2を別ウィンドウに開きます

 琵琶湖を8項目の登録基準に照らしてみると(表2)、基準2については天然記念物のヒシクイが候補である。基準3については古い湖として魚類12種、貝類29種など合計57種の固有種が記録されている(Nishino and Watanabe, 2000)。「生活環の重要な段階において」という基準4については渡り前にヨシ原に集結するツバメが関連するだろう。滋賀県下のツバメ集団ねぐらは湖北町、西の湖、下物町、深溝における4カ所の琵琶湖岸ヨシ原しか知られておらず(須川、1999)、これらのねぐらが消滅すれば県下のツバメに決定的な影響があると思われる。水鳥生息数に関する基準5は、ガンカモ科の水鳥だけで78,000羽が越冬地として琵琶湖に渡来することから十分に満たされる。また、ヒシクイ、コハクチョウ、ヨシガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、ホシハジロ、キンクロハジロの7種水鳥については東アジアの個体群の1%以上が琵琶湖を利用するので、基準6も満たされている(須川、1997)。魚類に関する基準7および8に関しても琵琶湖はそうした要素を有する。しかし、具体的数値が示されている基準5および6を除けば、国際的重要性の判断は主観的にならざるをえない。

5.ラムサール戦略計画1997-2002

編注:表3を別ウィンドウに開きます

 現時点におけるラムサール条約の狙いをよく表しているのは、条約本文よりも第6回締約国会議(1996年)で採択された「ラムサール戦略計画1997-2002」であろう(表3)。この戦略は8項の総合目標、28の実施目標および128の具体的行動からなり、現在は2000-2002年作業計画が進行中である。
 教育、啓発、研修などを通じた人材育成は特に重視されている分野である。琵琶湖岸にはこの10年間に生態系や賢明な利用に関して世界に誇りうる各種教育施設が整備されたが、湿地保全というテーマにおける施設間の連携は殆ど行われていない。フローティング・スクールのような施設横断的なプロジェクトを強化することによって、この状況は十分に改善可能であろう。組織制度や職員の能力向上について本戦略は主に開発途上国を対象としているが、琵琶湖ではこの分野が特に手薄であったことから、研修を主体にした活動の強化が望まれる。職員だけでなく、政策決定者や農水産業など湿地利用者への働きかけも必要である。
 琵琶湖の生態学的特徴維持については外来種対策が緊急課題であるとともに、関心を水鳥以外の動植物に拡大することが必要だろう。日本産水草種の約1/3が絶滅の危機に瀕しているなかで(角野、1997)、湖中だけでなく琵琶湖外のため池などに生育する植物保全も重要課題である。かつて豊富と思われていた種が、気が付けば絶滅寸前に陥っていたという事態を防ぐためには、モニタリングの強化が不可欠である。参加型の湿地管理については、河川法の改正によって住民がより積極的に水辺管理に関われるようになったことに注目したい。
 協力体制の強化については、NGOや滋賀県外にパートナーを求める視点も必要である。例えば、釧路国際ウエットランドセンターはラムサール条約に関する有用な情報を提供している。湿地保全に関する世界の情報はインターネット上で十分に入手可能であることから、水質分野を得意とする琵琶湖諸機関がこれら団体と手分けして翻訳作業を進めれば、環境庁経由での情報提供を待つ必要はない。大学やコンサルタントの知恵も活用したい。ちなみに本年度の技術士試験環境部門における設問の一つは、わが国におけるラムサール登録湿地の管理を問うものであった。登録湿地間の自治体交流については、釧路市/クーラガング自然保護区、習志野市/ブリスベン市などの例がある。滋賀県が友好提携する中国の湖南省やブラジルのリオ・グランデ・ド・スル州はそれぞれ洞庭湖、ペイシェ湖というラムサールサイトを有しているが、ラムサールを念頭に置いた交流は現在のところ存在しない。
 ラムサール条約は格好の良いことばかり言い過ぎるとの批判がある。決議・勧告の視野が拡大してきたのに比して事務局機能は殆ど強化されていないし、2000年度の事務局予算は人件費を含んで1億9千万円台、事業予算は1億6千万円台に過ぎない。人と予算に限りがあるのは琵琶湖でも同様であり、メリハリのあるラムサール施策が必要である。琵琶湖では他の国内外登録湿地と比較して水質保全に多くの努力が費やされてきたことから、近年における「水」を強調した同条約の動きに同調することが琵琶湖に最適とは思われない。相対的に手薄であった生態系保全を強化するとともに、保全の要として行政職員の能力を向上させることが最も望まれる。例えば、担当職員に丸1日の地元セミナー講師を務められる程度の知識を要求するといった具体的な目標が必要である。同時に、琵琶湖における諸施策をラムサール条約の戦略中に位置づけ、評価する作業が必要である。ラムサール条約の窓口は国では環境庁野生生物課、滋賀県では自然保護課であるが、表3に示されるように同条約は多岐にわたる部課の業務と関わっている。それらの中から賢明な利用として評価できる施策を確認し、その成果を世界にアピールしてゆくことが琵琶湖の世界への貢献につながることを忘れてはならない。

 本稿のとりまとめにあたり、須川 恒氏、琵琶湖水鳥・湿地センターの清水幸男氏、およびラムサール条約事務局のTakahashi Taeko氏には多くの示唆をいただいた。感謝申し上げる。

参考文献


著者ならびに滋賀県琵琶湖研究所の承諾を得て掲載.2001年8月1日.

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第1部:ラムサール条約とはなにか?

  1. 『ラムサール条約とは』
  2. 『ラムサール条約のねらいと役割』
  3. 『ラムサール条約とこれからの湿地保全のありかた』
  4. 『水鳥を通して知る琵琶湖周辺の注目すべき湿地の存在とその保全』
  5. 『東アジアガンカモ類ネットワークの発足とその意義』
  6. 『湖北地方のオオヒシクイの生態と生息地保全』
  7. 『ラムサール条約登録湿地として見た琵琶湖』

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