ごあいさつ

Profile

 福井 生(ふくい いくる)

(知能に重い障がいのある仲間たちの家 止揚学園 園長)

1966年滋賀県にある止揚学園に生まれる。生まれた時から知能に重い障がいがある子どもたちと共に育つ。同志社大学卒業後、出版社に勤務。しかし、子どものころから一緒だった仲間たちがいつも頭から離れず、止揚学園に職員として戻ってくる。その後、25年目となる2015年7月15日から園長となりました。知能に重い障がいがある仲間たちから「優しい心」について教えられながら、生命と真剣に向き合う日々です。

↓アコーディオン式になっておりますので、クリックして下さったら開きます。

 

2021年度寄付金趣意書より

「みんなで生きています。」


 新型コロナウイルスと向き合いつつの皆様の一日一日を心よりお祈りさせていただいています。
 そして自然、あるいは人的災害によって苦悩の内におられます皆様のことを心よりお祈りいたしております。
 皆様におかれましては苦難の歳月にあるにも関わらず、いつも止揚学園の知能に重い障がいのある仲間たちと心を合わせてくださいますことに感謝で胸を一杯にしています。

 先日入園している仲間の牧子さんのお父様からお手紙をいただきました。そこには牧子さんのことを愛しておられるお父様の優しいお気持ちと、牧子さんに生命の危険が生じた場合のその時の決意が認められていました。遠方にお住まいのお父様はコロナ禍という状況に加え、年も重ねられ、来園することが難しいです。そして牧子さんは重い基礎疾患があり、いつ生命の危険があってもおかしくないと入院する度に言われるようになりました。
 人間はどんな時にも生命と向き合わなければなりません。悲しみ、苦しみの内にある方々のことをお祈りしつつ、牧子さんが私たちに見せてくれる笑顔に私たちは生命をみんなで守っていくことの尊さを教えられます。この尊さに、生きていくことの未来への希望を見出します。そしてそれが福祉の現場で日々行われていることです。
 感染対策の日々に、知能に重い障がいのある仲間たちが忍耐をしてくれていることを感じない日はありませんでした。若い職員達は仲間たちを喜ばせてあげようと季節の行事や、普段の生活面において様々な試みをしてくれました。その度に笑顔になる仲間たちを見つめつつ、「もしコロナがなかったら」と思うよりも、若い職員達の優しさが心に染みた回数の方がどれほど多かったことでしょう。そしてその優しさに、コロナ禍に我慢しなくてはならなかった、若い職員達の歳月の長さも痛いほど感じました。
 コンピューター化しつつある現代社会にあって、私たちは人間の人生にまみれて歩んでいきたいです。この歩みは非合理な歩みなのかもしれません。しかし止揚学園の仲間たちは、コンピューターの仮想空間にではなく、現実世界にあって、手と手で実際に触れあい、温め合うことが必要な仲間たちです。それはみんなで生きることです。ここにこそ福祉の本質があることを、皆様が今日まで私どもと心を繋げてきてくださいましたからこそ確信することができます。

 今福祉の現場は従事者不足という現状にも関わらず、頻繁に入園希望の問い合わせがあります。この現状に、社会の中で弱い立場に立たされている人たちと共に歩むことを諦めてはいけないことを心に深く刻んでいます。
 止揚学園の理想は生命尽きるまで、知能に重い障がいのある仲間たちと共に歩んでいくことです。現在福祉現場の抱えている現状を心に留めていただきまして、これからも共に歩んでくださる働き手のことでのご提案、経済的な面でのお支えをいただければこれほどの感謝と喜びはございません。心より皆様のご健康をお祈りしつつ、心よりのお願いにかえさせていただきます。


                止揚学園 園長 福井 生(いくる)               

2020年度寄付金趣意書より

この時にこそのお願い


 いつも止揚学園の知能に重い障がいがある仲間たちと心を共にしてくださり、お支えくださる皆様には深く感謝いたしております。

 今年は新型コロナウイルスの感染対策の日々、皆様の温かいお心を更に胸に刻み、そのお心に励まされ一歩一歩と前進させていただくことができました。
新型コロナウイルス感染対策の日々に、私たちは普段当たり前と思っていたことが簡単に覆されることを経験しました。近くに寄り添い、手と手を握り合って、仲間たちと笑顔や会話を分かち合う日々がいつまでも続くことを信じていました。苦しいこと、悲しいこと、たとえ未来にどのようなことが起ころうと、この分かち合いさえあれば、祈りつつ前進していくことができると信じていました。しかし新型コロナウイルスは、仲間たちとの間に距離を開けなければならない日々、マスク越しに話さなければならない日々を私たちに要請しました。長い期間、全ての職員は不要不急の外出を控え、人との密の状態も回避してきました。しかしどれほど万全を尽くしたとしても、溢れる思いを精一杯に仲間たちに語り掛けた時、その近づきたいと願う距離に、マスク越しの声音に、心のどこかでブレーキがかかりました。

 社会福祉の原点は心と心を繋ぐことだと思います。そして心の繋げ方の最も簡単な方法は、温かい手と、温かい手を繋ぎ合うことです。心のブレーキの存在を前に、人間に残された最後の幸福とは何か、と自らに問いました。それは、「一緒にいられること」だと、重度の知的に重い障がいがある仲間たちから教えられました。例えマスク越しであっても、例え人との距離が離れていても、一緒にいれば、そして一緒にいたいという願いが強ければ、人間の心は必ず繋がることを、仲間たちはどんな時にも変わらない笑顔を私たち職員に向けてくれることで教えてくれました。
その時に、この仲間たちの笑顔を支え、守ってくださる皆様の深く温かいお心に感謝の気持ちを抑えることができず、熱いものが胸の深い所から込み上げてまいりました。

 福祉の人材不足が言われている中で、ウイルスとの戦いから共存へと社会は変わりつつあります。しかしそのどちらにあっても自らの生命を保つことができない方々がおられることは忘れられがちです。だからこそ今福祉の現場に人材が更に必要です。止揚学園もまた同じ状況にあります。どうか仲間たちの笑顔をこれからもお支えくだされば、これほど嬉しいことはございません。そして経済的な面においてもお支えいただければ未来への明るい希望となります。

 自然災害においても苦しみ、悲しみの内にある方々がおられます。その皆様の苦難の時を私たちもまた共に歩まなければならないことと強く思い、心よりお祈りさせていただいております。
全ての生命が保たれますことと、皆様のご健康を心よりお祈りしつつ、この度のお願いにかえさせていただきます。


            止揚学園 園長 福井 生(いくる)

2019年度寄付金趣意書より

心にまみれる

 

 これまで止揚学園の知能に重い障がいのある仲間たちとの日々を皆様の温かいお心の内にお祈りくださり、お支え続けくださいましたことに心を一杯にし、感謝させていただいております。
現在、社会は合理性を追求するあまり、弱い立場に立たされている人々への心の面での繋がりが、日々希薄になりつつあります。この現状の中で、皆様がどれほど時代が変わっても、変わらない温かいお心で私たちを包み、励まし続けてくださいましたこれまでの日々を思う時、胸の深い所から感謝の熱い涙が溢れます。

この4月、70歳になった田町さんが急性心筋梗塞で息を引き取りました。今から57年前、止揚学園発足の日に田町さんは入園してきました。他の入園者の中で最も年長でした。それからの日々の内にいつのまにか「お兄さん」と呼ばれるようになっていました。
「お兄さん」とは呼ばれたものの、リーダーに求められる統率力とか、決断力といったものとは違う、ただ傍にいてくれるだけで、皆の気持ちが和んでくるような、そんな存在でした。
止揚学園は、田町さんと一緒に産声をあげました。開設の日に、皆で共に歩むことを誓いました。それは一時的なことでなく、生命(いのち)が尽きるまでという真剣な思いが一人一人にありました。
告別式はご両親の生前からの願いでもあり、止揚学園で、田町さんと深い繋がりがあった沢山の方々、入園している仲間たちのもと、執(と)り行われました。それは決して寂しい告別式ではなく、これまで人生を共に歩んできた仲間に寄せる温かい思いが溢れ出た告別式でした。

私たちは、棺(ひつぎ)に優しい面持ちで身体を横たえている田町さんに話しをしました。
「共に歩んでくれたこれまでの日々をありがとうございます。」
田町さんにも悲しみがありました。知能に重い障害があるとされ、目に見えない心の豊かさを理解してくれる人が、社会の中で、全てではなかったということです。
この悲しみの中で、最後まで私たちを信頼し、止揚学園開設の日の、生命尽きるまで共に歩もうとの誓いを守ってくれました。残された私たちは、温かい涙を流しつつ、感謝することしかありませんでした。
田町さんの悲しみは、この社会にまだ残っています。
私たちは、社会の中で弱い立場に立たされている全ての人の笑顔をお祈りしつつ、これからも歩み続けます。
これまで皆様が仲間たちの悲しみと共に悲しんでくださり、喜びとともに喜んでくださったこと、心を共にしてくださいましたことに、未来への希望が湧きあがります。心を奮いたたせ、前進していくことができる感謝が溢れます。
これからも仲間たちの終身の家、止揚学園をお支えくださればこれほどの喜びはございません。
田町さんの優しい面持ちの内に、知能に重い障がいがある仲間たちの温かい眼差しの内に、皆様の幸福と、ご健康を心よりお祈りしつつ、心からのお願いにかえさせていただきます。

              止揚学園 園長 福井 生(いくる)

2018年寄付金趣意書より

祈りつつ

 

 いつの時にも温かいお心で止揚学園の私どもをお支えくださいまして本当にありがとうございます。
止揚学園は設立されて今年で56年目を迎えさせていただきました。
 これまで皆様が私どもの歩みを深く理解してくださり、心を一つにしてきてくださいましたことに感謝の気持ちで一杯にさせていただいております。
 50年前、6歳の時にオムツを着けたまま入園してきた女性は、意識をもって用を足すことを覚えて欲しいと、日々の取り組みを続け、一ヶ月後にオムツを外すことができました。その時の喜びは今も職員一人一人の心に残っています。それから50年の時が流れ、現在その女性は身体の機能が弱まり、再びオムツを着けなければならなくなっています。同じような状態の知能に重い障がいがある仲間たちが何人かいる中で、この現状を残念なことと思うのではなく、これまでの仲間たちとの心豊かな日々が合ったからこその、これからが人生の本番と、希望で胸を膨らませています。
 
 今年度は新たに一人の職員を迎えました。
その新人職員が前述した仲間の女性の身体の機能を少しでも維持するため、身体の調子を見つつオムツを外し、便器に座ることをしてくれています。
その時のことをこう話してくれました。今日こそは気持ち良くトイレで用が足せますようにと祈るような気持ちで女性に便器に座ってもらったそうです。すると、ドアを閉めた瞬間、用を足す気配が耳に聞こえてきました。しばらくしてドアをそっと開けると、女性が笑顔で待ってくれていました。その時、その女性の優しい眼差しに見つめられ、涙が流れてきたというのです。
昨今、福祉の仕事をきたない、きつい、給料が安い等とし、嫌厭されがちです。私は皆さまにお伝えしたいのです。今日、それでも福祉の現場には自ら身体を動かし、仲間たちと肌と肌を直接触れ合わせ、心と心を通わせようとする若者がたしかに存在することを。
目に見える知力や体力には限りがあります。しかし目に見えない生命の存在を、その温かさを、支えの必要な方々の笑顔によって教えられた時、私たちは涙するのです。その涙は「生きる」ことの厳しさでなく、優しさに包まれた時初めて溢れるのです。この涙を沢山の人々と共有できる福祉の未来を祈っています。
 私どもは重度の知的に重い障がいがある人たちが安心して生活できる場がなくなりつつある福祉の現状の中で、前年度から引き続き、仲間たちが安心して終身の時を迎えられる建物の建築計画も進めさせていただいています。その建物は今行き場のない人たちの出発の場となる建物でもあります。
温かい心が息づく福祉現場。その存在こそが全ての人々の生きていく安らぎです。福祉の未来を祈りつつ、皆様に止揚学園のことも覚えてくださり、これ
からも経済的なお支えを心からお願いをさせていただきたいのです。
これまでのお励ましと、経済的なお支えに感謝の気持ちを胸一杯に満たしつつ、皆様のご健康を心よりお祈りいたしております。
  
       止揚学園 園長 福井 生(いくる)


2017年寄付金趣意書より

 
 温かい生命

 止揚学園が設立されて今年で五十五年が経ちました。知能に重い障がいをもつ仲間たちと共に力を合わせて歩んでこられましたのは、これまで皆様が温かいお心で包んで下さいましたからこそと、胸一杯の深い感謝で溢れます。
 設立当初、止揚学園は児童施設でした。皆がまだ小さかった頃、止揚学園との出会いが与えられました。
 仲間たちが成人となり、他の施設に移らなければならないという選択の時迷うことなく、児童施設としての役割を終え、成人施設へとかわることを選んだのです。心と心を分かち合う日々の中で、利用者と支援員という関係以上に、共に歩んでいく仲間同士としてお互いに離れることのできない強い絆で結ばれていったのです。
 今五十五年という歳月を振り返り、仲間たちへの理解は深まったのだろうかと考えてしまうのです。設立当初、新しく入園してくる子どもを職員が家に迎えに行った時、その子どもが見当たらず、母親に尋ねると、蔵の方を教えられたのです。その中に一人座っている子どもを見出した時、気付かされたことがあります。母親の悲しみと、この子どもの状況を作り出しているのは他ならぬ私たちだということです。一人座る子どもに「謝る」ところからの始まりでした。
 その時代に比べて、仲間たちに対する理解は深まったのでしょうか。これまでに障がい者に関わる法律はいくつも変化し、施行されてきました。仲間たちのことを考えての法律の変換と安堵したい所ですが、ここ数年止揚学園に頻繁にかかってくる入園希望の電話に行き場のない重度の知的障がい者の現状を思い知らされるのです。
 私たち自らが、社会の中で弱い立場に立たざるをえない人々を生みだしているという現実から目をそむけ続ける限り、仲間たちの行き場は失われ続けます。
 去年、「重度障がい者は生きている意味がない」と尊い生命が奪われる悲しい事件がありました。
 今、止揚学園の仲間たちのように重度の障がいをもつ方たちにとって非常に生きにくい時代なのかも知れません。私たちが、生命の意味を決めることは間違っています。
 全ての生命が平等で重く尊いです。
 全ての生命が温かいのです。
 そして一つの生命だけではその温かさを保つことはできません。たくさんの生命が合わさる必要があるのです。その合わさりは、火傷するような熱さではなく、いつまでも触れていたい抱きしめていたい、そんな温かさです。そして、その温かさを保つことは十分に可能だと信じています。なぜなら、今まで皆様が私たちを支え、心を一つに共に歩んできて下さったからです。そのことを思う時、胸が熱くなり、感謝のおもいと、前進していくことができる勇気で一杯になります。
 これからの希望に向かっての歩みにおいても、皆様が心を共に響かせて下さり、精神的にも、経済的にもお支え下さいましたら、これほど嬉しいことはございません。皆様のこれまでの、これからの温かいお心に感謝しつつ、心からのお願いにかえさせていただきます。
         止揚学園 園長 福井 生(いくる)

2016年度寄付金趣意書より

今こそ心のつながりを

 止揚学園のこれまで、皆さまの温かいお祈りとお支えの中で、知能に重い障がいをもつ仲間たちの笑顔を守ってくることができました。この笑顔は、全ての人が仲良く生きていくための大切な「ことば」であり、この見えない「ことば」に耳を傾けつつ歩んでくることができましたのも、皆さまのお陰でございます。本当にありがとうございました。そして、これからも私たちは、仲間たちと同じ歩調で歩んでいるのかと、自らに問いかけ続ける姿勢をもち続けます。 
 ある日、入園している仲間の勇人さんのお母さんが、この子は人と関係をもつことが難しいと話されるのです。小さい頃から、物に対する執着心が強く、一つの事にこだわるとなかなか前に進めず、周りの人を困らせてしまうのです、と。私は勇人さんの止揚学園での様子をお母さんに話すことにしました。
「♪冬のよるは 湯たんぽが一番 ぼくはみんなに ぽかぽかはこびます♫」
と、歌いながら勇人さんは皆の布団に湯たんぽをいれてくれるのです。みんな勇人さんが心をこめて用意した湯たんぽの温かさに、身も心も温められて眠りにつくのですよ。だから、勇人さんは皆と深く結ばれているのです。」お母さんは、涙をながされました。 私は、そんなお母さんを見つめながら、先にお母さんが言われていた、勇人さんが結べないと言われた「人間関係」について考えていました。言葉を交わし、あるいは、メールを送信し合うことだけが人間関係ではないのです。 
 こんにち、止揚学園発足当時とくらべてみると、あからさまな差別的な言動は少なくなりました。でも、それと同じくして、仲間の人たちの所へ、自らが足を運び、共に歩んでいこうとする人も少なくなってきています。仲間たちはコンピューターによってつくられた仮想の世界にではなく、現実の世界で今、生きています。でも、手と手のぬくもりがなければ、同じ歩調で歩んでくれる、人と人との心のつながりがなければ、命は守れないのです。 仲間たちは、私たちにいつも笑顔をむけてくれます。食事の時、温かいお鍋の蓋を開けた湯気の向こう側に。入浴後、気持よさそうな頬のほてりに。また、なくてはならない排便がその日の内にあり、ほっと一安心し、笑顔を交わし合うその内に。人と人、心と心がつながる、温かい「人間関係」があることを教えてくれるのです。 
 九州、東北、各地で災害により困難な生活をまだまだされている方々のこと覚え、お祈りいたします。そして、その中で厚かましいお願いをしていることと分かりつつ、それでも皆さまに、これからもお祈りとお支え、お励ましを続けて下さいますよう、心よりお願い申し上げます。そして、止揚学園の仲間たちの笑顔に出会いにおいで下されば、喜びです。                 

       止揚学園 園長 福井 生(いくる)

2015年寄付金趣意書より

見えないものを

私は、止揚学園の創立者 福井達雨の二男として生まれ、四十九歳になりました。現在は園長を引き継ぎ、知能に重い障がいをもつ仲間たちの生命に向き合う日々を過ごしています。
 入園している仲間たちとは、生まれた時から兄弟のように育ちました。前嶋さんという女性は、私より五つ年上で、私を「いくる」の「る」だけをとって「るーちゃん」と呼んでいました。赤ん坊の私をおんぶしたり、私の乗っている乳母車を押すことをとても楽しみにしていたそうです。事実、私も前嶋さんのことを頼りにしていました。 
 こうして私たちは一緒に大きくなりました。私は高校生になり、遠い学校へ行き、寮生活を始めました。久しぶりに止揚学園に帰ってきた時、忘れられない出来事が起こりました。前嶋さんが私を見て、少し考えた素振りをしてから、初めて出会った人のように「おにいちゃん」と呼んだのです。その時、何とも言えない寂しさを感じました。まるで、心の中で大切にしていた何かが 終わったかのようでした。
 それから私は、このまま、止揚学園の障がいをもつ仲間たちとの関係を、懐かしい思い出として胸の内にしまい、皆から離れて生きて行くことができるだろうかと悩みました。そして、「仲間たちに育てられたのだから、次は私が仲間たちを支える番だ」と決断しました。このような思いから、大学を卒業後、仲間たちとの生活が始まりました。
 先日のことです。前嶋さんのお母さんが召天されました。静かにしている彼女が心配になり「大丈夫ですか」と尋ねました。すると、「かみさま、おかあさんといっしょ」と、迷うことなく、しっかりとした口調で話してくれたのです。その一言は、私の心に強く響きました。
 この社会には沢山の人がいます。仕事ができる人、有名な人、そうでない人。それでも、前嶋さんのように、確信を持って、人の心に熱く響く言葉で思いを伝える人は少ないのではないでしょうか。そして、その言葉の中には、確かな救いがあるのです。
 やはり、前嶋さんは、私にとって頼りになる存在だなと、胸が熱くなりました。高校生の時、寂しい思いから、一人で奮起し、仲間たちを支えなくてはと思ったことは間違いだったなと、気づきました。
なぜなら、前嶋さんは「お兄ちゃん」と呼ぶことで、これからも一緒に歩んでいこうと呼びかけ、私を受け入れ、励ましていたのです。それは、終わりではなく 新たな始まりだったのです。
 これからも、こんなふうに 仲間たちから優しい心を育てられながら、創立時からの理想である「見えないもの」を見つめつつ、共に歩んでまいります。
 五十四年間、皆様が優しい愛を私たちに降りそそいで下さり、ありがとうございまいた。感謝で一杯です。
そして、これからの止揚学園の新しい一歩、そのゆっくりした歩みも覚え、お祈りとお支えをいただけますなら こんなに嬉しいことはございません。
 どうぞ よろしくお願い致します。
         
         止揚学園 園長 福井 生(いくる)