ごあいさつ

Profile

 福井 生(ふくい いくる)

(知能に重い障がいをもつ人たちの家 止揚学園 園長)

1966年滋賀県にある止揚学園に生まれる。生まれた時から知能に重い障がいをもつ子どもたちと共に育つ。同志社大学卒業後、出版社に勤務。しかし、子どものころから一緒だった仲間たちがいつも頭から離れず、止揚学園に職員として戻ってくる。その後、25年目となる2015年7月15日から園長となりました。知能に重い障がいをもつ仲間たちから「優しい心」について教えられながら、生命と真剣に向き合う日々です。


2017年寄付金趣意書より

 
 温かい生命

 止揚学園が設立されて今年で五十五年が経ちました。知能に重い障がいをもつ仲間たちと共に力を合わせて歩んでこられましたのは、これまで皆様が温かいお心で包んで下さいましたからこそと、胸一杯の深い感謝で溢れます。
 設立当初、止揚学園は児童施設でした。皆がまだ小さかった頃、止揚学園との出会いが与えられました。
 仲間たちが成人となり、他の施設に移らなければならないという選択の時迷うことなく、児童施設としての役割を終え、成人施設へとかわることを選んだのです。心と心を分かち合う日々の中で、利用者と支援員という関係以上に、共に歩んでいく仲間同士としてお互いに離れることのできない強い絆で結ばれていったのです。
 今五十五年という歳月を振り返り、仲間たちへの理解は深まったのだろうかと考えてしまうのです。設立当初、新しく入園してくる子どもを職員が家に迎えに行った時、その子どもが見当たらず、母親に尋ねると、蔵の方を教えられたのです。その中に一人座っている子どもを見出した時、気付かされたことがあります。母親の悲しみと、この子どもの状況を作り出しているのは他ならぬ私たちだということです。一人座る子どもに「謝る」ところからの始まりでした。
 その時代に比べて、仲間たちに対する理解は深まったのでしょうか。これまでに障がい者に関わる法律はいくつも変化し、施行されてきました。仲間たちのことを考えての法律の変換と安堵したい所ですが、ここ数年止揚学園に頻繁にかかってくる入園希望の電話に行き場のない重度の知的障がい者の現状を思い知らされるのです。
 私たち自らが、社会の中で弱い立場に立たざるをえない人々を生みだしているという現実から目をそむけ続ける限り、仲間たちの行き場は失われ続けます。
 去年、「重度障がい者は生きている意味がない」と尊い生命が奪われる悲しい事件がありました。
 今、止揚学園の仲間たちのように重度の障がいをもつ方たちにとって非常に生きにくい時代なのかも知れません。私たちが、生命の意味を決めることは間違っています。
 全ての生命が平等で重く尊いです。
 全ての生命が温かいのです。
 そして一つの生命だけではその温かさを保つことはできません。たくさんの生命が合わさる必要があるのです。その合わさりは、火傷するような熱さではなく、いつまでも触れていたい抱きしめていたい、そんな温かさです。そして、その温かさを保つことは十分に可能だと信じています。なぜなら、今まで皆様が私たちを支え、心を一つに共に歩んできて下さったからです。そのことを思う時、胸が熱くなり、感謝のおもいと、前進していくことができる勇気で一杯になります。
 これからの希望に向かっての歩みにおいても、皆様が心を共に響かせて下さり、精神的にも、経済的にもお支え下さいましたら、これほど嬉しいことはございません。皆様のこれまでの、これからの温かいお心に感謝しつつ、心からのお願いにかえさせていただきます。
         止揚学園 園長 福井 生

2016年度寄付金趣意書より

今こそ心のつながりを

 止揚学園のこれまで、皆さまの温かいお祈りとお支えの中で、知能に重い障がいをもつ仲間たちの笑顔を守ってくることができました。この笑顔は、全ての人が仲良く生きていくための大切な「ことば」であり、この見えない「ことば」に耳を傾けつつ歩んでくることができましたのも、皆さまのお陰でございます。本当にありがとうございました。そして、これからも私たちは、仲間たちと同じ歩調で歩んでいるのかと、自らに問いかけ続ける姿勢をもち続けます。 
 ある日、入園している仲間の勇人さんのお母さんが、この子は人と関係をもつことが難しいと話されるのです。小さい頃から、物に対する執着心が強く、一つの事にこだわるとなかなか前に進めず、周りの人を困らせてしまうのです、と。私は勇人さんの止揚学園での様子をお母さんに話すことにしました。
「♪冬のよるは 湯たんぽが一番 ぼくはみんなに ぽかぽかはこびます♫」
と、歌いながら勇人さんは皆の布団に湯たんぽをいれてくれるのです。みんな勇人さんが心をこめて用意した湯たんぽの温かさに、身も心も温められて眠りにつくのですよ。だから、勇人さんは皆と深く結ばれているのです。」お母さんは、涙をながされました。 私は、そんなお母さんを見つめながら、先にお母さんが言われていた、勇人さんが結べないと言われた「人間関係」について考えていました。言葉を交わし、あるいは、メールを送信し合うことだけが人間関係ではないのです。 
 こんにち、止揚学園発足当時とくらべてみると、あからさまな差別的な言動は少なくなりました。でも、それと同じくして、仲間の人たちの所へ、自らが足を運び、共に歩んでいこうとする人も少なくなってきています。仲間たちはコンピューターによってつくられた仮想の世界にではなく、現実の世界で今、生きています。でも、手と手のぬくもりがなければ、同じ歩調で歩んでくれる、人と人との心のつながりがなければ、命は守れないのです。 仲間たちは、私たちにいつも笑顔をむけてくれます。食事の時、温かいお鍋の蓋を開けた湯気の向こう側に。入浴後、気持よさそうな頬のほてりに。また、なくてはならない排便がその日の内にあり、ほっと一安心し、笑顔を交わし合うその内に。人と人、心と心がつながる、温かい「人間関係」があることを教えてくれるのです。 
 九州、東北、各地で災害により困難な生活をまだまだされている方々のこと覚え、お祈りいたします。そして、その中で厚かましいお願いをしていることと分かりつつ、それでも皆さまに、これからもお祈りとお支え、お励ましを続けて下さいますよう、心よりお願い申し上げます。そして、止揚学園の仲間たちの笑顔に出会いにおいで下されば、喜びです。                 

       止揚学園 園長 福井 生(いくる)

2015年寄付金趣意書より

見えないものを

私は、止揚学園の創立者 福井達雨の二男として生まれ、四十九歳になりました。現在は園長を引き継ぎ、知能に重い障がいをもつ仲間たちの生命に向き合う日々を過ごしています。
 入園している仲間たちとは、生まれた時から兄弟のように育ちました。前嶋さんという女性は、私より五つ年上で、私を「いくる」の「る」だけをとって「るーちゃん」と呼んでいました。赤ん坊の私をおんぶしたり、私の乗っている乳母車を押すことをとても楽しみにしていたそうです。事実、私も前嶋さんのことを頼りにしていました。 
 こうして私たちは一緒に大きくなりました。私は高校生になり、遠い学校へ行き、寮生活を始めました。久しぶりに止揚学園に帰ってきた時、忘れられない出来事が起こりました。前嶋さんが私を見て、少し考えた素振りをしてから、初めて出会った人のように「おにいちゃん」と呼んだのです。その時、何とも言えない寂しさを感じました。まるで、心の中で大切にしていた何かが 終わったかのようでした。
 それから私は、このまま、止揚学園の障がいをもつ仲間たちとの関係を、懐かしい思い出として胸の内にしまい、皆から離れて生きて行くことができるだろうかと悩みました。そして、「仲間たちに育てられたのだから、次は私が仲間たちを支える番だ」と決断しました。このような思いから、大学を卒業後、仲間たちとの生活が始まりました。
 先日のことです。前嶋さんのお母さんが召天されました。静かにしている彼女が心配になり「大丈夫ですか」と尋ねました。すると、「かみさま、おかあさんといっしょ」と、迷うことなく、しっかりとした口調で話してくれたのです。その一言は、私の心に強く響きました。
 この社会には沢山の人がいます。仕事ができる人、有名な人、そうでない人。それでも、前嶋さんのように、確信を持って、人の心に熱く響く言葉で思いを伝える人は少ないのではないでしょうか。そして、その言葉の中には、確かな救いがあるのです。
 やはり、前嶋さんは、私にとって頼りになる存在だなと、胸が熱くなりました。高校生の時、寂しい思いから、一人で奮起し、仲間たちを支えなくてはと思ったことは間違いだったなと、気づきました。
なぜなら、前嶋さんは「お兄ちゃん」と呼ぶことで、これからも一緒に歩んでいこうと呼びかけ、私を受け入れ、励ましていたのです。それは、終わりではなく 新たな始まりだったのです。
 これからも、こんなふうに 仲間たちから優しい心を育てられながら、創立時からの理想である「見えないもの」を見つめつつ、共に歩んでまいります。
 五十四年間、皆様が優しい愛を私たちに降りそそいで下さり、ありがとうございまいた。感謝で一杯です。
そして、これからの止揚学園の新しい一歩、そのゆっくりした歩みも覚え、お祈りとお支えをいただけますなら こんなに嬉しいことはございません。
 どうぞ よろしくお願い致します。
         止揚学園 園長 福井