日々、在りしことども



梅香月三十一日
これから寝るので、少し遅れるのは許して頂きたい――って、誰か気付いてくれようか。
道、舗装され風強し。




馬鹿みたいに聞こえるかもしれないが。自分は今、幸せです。
梅香月三十日
隣畑の桜が満開。『鍛冶屋〜』調子良く、そのままちと見物に。
ただ、茶の飲み過ぎで軽い胸焼け有り。

夕、久々に某氏らと食事。つついと何時の間にやら長浜まで運ばれる。
サッカーなぞを見ながら、ラーメン。味は結構ヨロシ。

久々の夜更かしであったと思いつつ、十二時前には就寝。今の生活リズムは結構気に入っているので、出来れば守りたいものである。


追記:思い出し二題。 最近、風邪ひいてなと、ぐずる某氏。真偽の果てはともかく、『風邪だって、風邪に違いない、うんうんそうに決まってる――ところでお前の花粉症の症状って、どんなの?』と拘る姿に、吐血を胃潰瘍と言い張る末期患者の姿を連想する。
告知問題や早期治療というのは、人が人である以上、難しいものなのであろう。

出身高にあった俗称『インド人の骨』が、何時の間にやら多賀町博物館に寄贈されていたと知る。
本物の骨格標本というのは入手し辛く、インドのガンジス川で集めて出荷するというビジネスもあったらしい。故に、あながちインド人の骨というのも間違ってないんじゃないかと、そこの学芸員は述べたそうだが、私の記憶では学校の土地(彦根城内)をいじったときに出てきた骨を、犯罪性も考古学的価値もあんまりないから一式とって置いたのだと、見せてくれた教師は述べていた。
――どちらが真かは知らず。ただ、よくよく調べたら金歯発見というオチだけは勘弁して頂きたい。
梅香月二十九日
午後、裏手で慣れた擦過音。軍手を持って出てみれば、案の定、溝に左前輪を落とした車。
――ニ三年前の夜にもあったなァと、とりあえず見物。通りすがりの警官が突然出てきたり、数年ぶりに触れる犬の肉球に『オレ――愛犬家になる』と電撃走ってみたり、まあ平和平和。
結局、連絡を受けやってきた自動車屋が慣れた手際で解決。上に物を積んで嵩上げしたジャッキで持ち上げ、パンクをちょちょいと修理。流石本職か。
大した怪我も故障も無く、通りすがりの小学生達には良き娯楽であった模様。


早朝、電波受信。何というか、素人が株や商売を始めようってのはこういう感じなのかもしれない。
まあ舐めたような話なのだが、数年前の日本酒を啜っているよりはましかと思う。
エイプリルフールも近いし、冗談程度の人生が丁度いいか。
梅香月二十八日
筆雨本麺野菜煙草。

多賀町の釣堀にゼロ戦が沈んでいると知る。
浪漫と呼ぶには『徹底的にガキが分解して火をつけ、燃え残りを放り込んだ』なる証言が辛いが、残っている部品だけでも引き上げようという計画があるのだとか。
象一体分の骨といい、河原だの山の崖だので拾える化石といい、そういう点では深い懐をもつ土地である。
梅香月二十七日
蛙鳴くを聞く。はて、啓蟄とは何時のことだったやら


梅香月二十六日
読書。しかし発禁本初刊を入手以来目を通していなかったことに今更気付く。
されど、未だ栞の位置は動かず。

花瓶に生けられた桜の花――染井吉野ではない――を見る。
以上、本日特に無し。
梅香月二十五日
朝方、名残雪。積もるには至らず。
飲み過ぎ、動けず。古い日本酒は案の定、中国紹興酒系の風味が致しました。
梅香月二十四日
昼、出る。温室の如き車内。某本、やはりあらず。後に知るが重版かかっているのだとか。書店に罪無し。
正午の田舎をしばし彷徨い、帰宅。

先日取り上げたブライアン・ラムレイ氏だが、やはり上手いと思う。
吉田篤弘氏の作品のように文章に陶酔する訳ではないが、無理なく展開する事件の解決が楽しめる。
私の慣れ親しんでいるジュブナイルや伝奇、漫画と展開が似通っているせいもあるやもしれないが、他のクトゥルー小説が原典として、或いは独創性の点から評価はされても、小説としての側面で不足しているものが、これにはあると思う。
最も、私は和訳されたクトゥルー関連に一通り目を通した訳でもないし、『クトゥルー原典』ではなく『素材として活用した関連作品集』の括りの中では、この程度の高レベルなら比する作品は他にも多く在ると思う。

……そういえばどっかから出ていたクトゥルー萌え漫画、二巻はどうなったんだろう。謎を残したまま切っていたはずだが。


追記:あまりに安かったので、ある日本酒を買う。
『棚卸し』とあり値段は半額、蔵は信用の置けるところだったので、『原材料、製造年月日は別所記入』→『(包装紙で隠れている)』でも信用して手に取った。
――その包装紙に『お父さん有り難う』なんて父の日メッセージがでかでかと入っていたり、どう好意的に見てもそれが去年のものに見えない汚れ具合だとかは……最近ニ三年寝かせた日本酒は流行のようだし、と自分に言い訳パッチを当てる。
帰宅後、どうも気になったので飲みはしないが御開帳。

製造年月 01.05

日本と西洋じゃ西暦の記入方法がちと違って、年月表記が前後したように覚えている。今は2005年の3月だし、うん。あはは――

父の日は六月。適切な瓶詰め日だと思います、ええ。あの蔵はやっぱり真面目だ。

酒なんて飲まない方が、人間健康に日々を過ごせる。
梅香月二十三日
早起きして充実した時間を過ごして思いっ切り寝る。
ついでに変な夢。
……何故にトルコ。興味どころか、小学生程度の知識というか偏見しか持っていなかった はずだが、私は。ついでに、最近夢の趣味が悪すぎだ。人生歪んで変な嗜好でも目覚めたか?

何ら面白うない独り言にて本日閉じる。
梅香月二十二日
雨。花粉は大丈夫だが、何故か静電気は相変わらず。水質汚染以外の環境問題は年々悪化していくのが悲しい現実である以上、より水分の枯渇した老人の感電死という、来るべき未来を予期し、私は慄きを禁じえない。――あ、でもその時は倒れている御老人を拾って別の車のドアまで運べばいいか。目には目を、歯に歯を、心臓ショックには心臓ショックで。

夕、犬を轢きかける。飼い主が歩道を歩いていても、犬は引き綱ぎりぎりまでの自由を満喫しているのだと、学ぶ。あと、犬ちっちゃ過ぎ。

書店だが――私は馬鹿が嫌いだ。未だに予約注文取り寄せ受け取り以外の一体何を、この田舎で私は期待しているというのだろう。 あの作者の本が売れていると喜ぶべきか、まあ僻地だしと自虐嘲笑すべきか。答えはネットで取り寄せ注文というのが一番正しかろうが。
梅香月二十一日
爬虫類の日光浴。

久々にクトゥルー関連書を読む。功罪について意見が分かれるのではなく、どちらについても評価の高いダーレス氏の『永劫の探求』。
氏については他にも『どヘタ』と評されることが多いが――ああ、納得。確かに下手である、この御仁。
翻訳がどうの、時代がどうのではなく、明らかに下手。読み進めていくうちに慣れて気にならなくなったが、途中区切りよく短編を読み終えたところで、気分転換を兼ね、同じくクトゥルー関連の『タイタロス・クロウの事件簿』「妖蛆の王」(ブライアン・ラムレイ著)へ移行。
……比較は差別に繋がる。何というか、差が一気に際立った。

自然な、とか説得力のある常識的な展開というものの大切さを理解する。如何にホラーとはいえ、冒頭でいきなり電波オカルティストさんに導かれ、同じく電波で共感する主人公では、後の展開はさておいて、掴みで蹴り出してどうすると。
梅香月二十日
零。
梅香月十九日
花粉に侵される。ああ、『今年も鼻風邪だぁ』なんて思っていたあの頃にはもう戻れないのか。しかも年々悪化しているように思えてならない。
他、特になし。本日以上。
梅香月十八日
ついに『発禁本』のTを手に入れる。
既に読了済みのU、Vで大分知りたいことは得られたような気もするが、そもそもあれらはこの本の補追のような存在だったはずで、あだや疎かに扱って良い書ではあるまい。 この量と質で外国版『発禁本』も存在すると嬉しいのだが――無理か。一口に外国といっても滅んだところまで含めれば数百あるんだから。

午後、出る。梅白く、花粉さほど無し。風強く、静電気は控えめ。
書店、喧しい若者が一律子供に見えて年齢区別がつかず。一層老けた模様。
図書館、期限切れはそ知らぬ顔で二冊ほど借りて帰る。相変わらず、小さいが妙にマニアックな品揃えをしている気がする。多分、犯人は複数。
梅香月十七日
そこはかとなく、ハイ。このまま今度は鬱に落ちそうな気もするが、その前に『皆の衆、御札じゃ。御札が降りましたぞエ』と両腕振り上げて踊れば、何だか幸せになれそうな気もする。

幸せは毟り取るものじゃーッ。
梅香月十六日
一時期、パソの状況極めて悪し。最初は認識、もしくは判断速度。続いて発音関係。
今は元に戻ったが――何が原因やら。


『積ん読』というものに関して。

ぱっと思いつくだけで三、四冊か。幾つかは続き物なので仕方ないかなと思う。
積ん読とは、『読むつもりだがたまたま今は脇に置いてある本』のことでしかなく、断じて『借りたまま放置されている本』とか『資料本として読むつもりで並べられたままの本』、『冒頭数頁で栞が永住している本』はたまた『買ったはいいが読む気が失せた本』や『買ったことすら忘れられていた本』を差す言葉ではない。ましてや、『部屋に積み上げられている未読本の全て』を差すような言葉では、断じてっ、無い!

……これほどの線引きをし、多くの何かを『背景』として認識・処理しているはずなのに、時々忘れていたものを目にして悲鳴をあげる。……本を見て思わず悲鳴をあげるだなんて、若い頃には想像すらしなかった事態だ。

図書館はいい。例え読み切れなくても返却期限が来たらその本は辺りから消え失せるのだ。図書館はいい。
梅香月十五日
寝る、何故か。花粉、ややある模様。
映画館のポップコーンは、クソ映画に向かって投げつける時、前の観客が当たっても怪我しないようにとの優しさの表われらしい。それを聞いて、マーク・トウェインの小咄にあった『一番安い卵』を思い出した。ああ、何て世界は優しさに満ちあふれていることだろう。
――それ以前の愚かさにさえ気が付かなければ世界は素晴らしく輝いて見えるものである。
梅香月十四日
午前、少し出る。――パソコンは自作が一番なんだろうか……

ある警官の話だが。よくドラマなどで悪を裁く警察官が出てくる。が、確か三権分立だかなんだかで、警察にその権利はなかったはず。比喩的表現の妄想的拡大解釈重箱隅突付きかもしれないが、あんたが裁いちゃいかんだろうがと、ふと思う。

で、最近新しい警察が出来るとか。
何が犯罪か自分達で決め、令状無しに家宅捜索や押収をし、断罪どころか『犯罪を起す可能性があるから予防的措置を講じて良し』。ついでに首にならない権利もあるらしい。
冗談みたいな話だが、本当である。その組織根拠になる新法を『人権擁護法案』と呼ぶらしいが、成立段階で自分達が人権侵害の危険性を内包してどうすると思う。成立したら真っ先に申し立てて、調停どころか人権委員会自身に予防的措置を講じて頂きたい。


最近の日本の風潮にやたら反発する人々は多いが、こんなものもできれば、そりゃ戦前に逆行しているような錯覚も抱くかとおもいつつ、本日以上。

追記:『同和問題になるぞ』というのがまだ脅し文句として実在していると、先日初めて知る。
そりゃ差別された経験がある側にしてみれば全てに色眼鏡がかかっても仕方ない面もあるかもしれないが、自分達が人生で出会う問題の全てが同和問題でないという程度のことは自覚していて欲しい。『同和地区だから反対するのか? 同和問題になるぞ』
これを人、脅迫と呼ぶ。
梅香月十三日
昨日今日と寒さが戻り、薄く雪。
梅香月十一日
昨日ほど花粉症は酷く無し。
夜、一時雨足が強まる。夏の夕立を思わせるあの激しさに時期外れの涼を感じる。
梅香月十日
私は花粉症である。
本年は稀に見る大花粉だとか。
が、これ以上湿気た布団で寝るは我慢がならず、本日晴天の下、敷き掛け両布団からカバー毛布に至るまで、ことごとく干す。

結果:天気が崩れて振り出しました。

畜生……そんなに人の不幸が面白いか、天よ。


夜、帰省している浦津氏を誘い彦根の書店へ。論文の締め切りがあるという氏に『息抜きだよ。――そう、たったのニ三時間じゃないか』とそこはかとない無害さを装った悪魔の囁き。
そろそろ我々が十年前を語れることなどだべりつつ。本日以上。
梅香月七日
本朝、道路工事開始。以下、見ていた家人より聞きしこと。
役場職員や工事関係者が大勢見守る中、着工。『まずは様子を見てみたいから』と 陥没部分を深く掘り返すよう、指示。

・大きな石がごろごろと出てきました。

さらに深く。

・太い木材が発掘されました。

ついでに。

・水がこんこんと湧き出てきました。

『井戸かー!』『誰だ道作るときにいい加減なことしやがったのは!』

見物していた通りすがりの地元古老曰く。『ああ、そういやそんなもんもあった。……そういやもう一個、どっかその辺にあった気もするけどなぁ』

残念ながら埋め立てられる模様だが――そうか、井戸だったのか。
梅香月六日
二日酔いで人は死ねる。
梅香月四日
さて家前の道路陥没だが、風が吹き、雨が降って雪が積もれば当然低きへと水は流れ、地面は浸食作用を受ける。仰々しく隔離された中央でぎりぎり踏ん張っていた三角コーンは次第に傾き、 今や身長は半分ほど。日々更に低くなっていきながらも職務を全うせんとするその勇姿は一見の価値あるものであり、その最期まで見届けてみたい気もするが、地方行政としてはそれを許すわけにもいかず、要するに『この際ここの道、舗装しちまいますから』と説明が来た。

実は当家の敷地周りは些か境界で揉めており、ややこしい。らしい。
裏の道路を整える際や、家横の水溝を造る時に土地の交換を行ったのだが、その際に測量ミスがあり、 もともと気が乗っていなかった親爺殿の眉毛がきりりと上がったようなのだ。
この今の土地自体、役場の意向で現有線放送局の建物の場所と交換したもので、そういう意味では根が深い。――どこぞの町のように『お役所は好かン。農地解放でうちの田畑、ごっそり盗っていきやがった』と平成の現代でも遺恨を残している方々とはレベルが違うが。

朧気な記憶では、ここいら一帯は見渡す限りの田圃だった。図書館やコンビニどころか舗装道路すら二三本しか伸びてはおらず、田の畦にひょろりと立つ雑木の向うに役場や有線放送の建物があり、家どころか畑でしかなかったこの場所に自分は良く西瓜を取りに来ていた。あまり土は良くなく、子供だった自分は西瓜一つ重くて満足に持てず、しょっちゅう落として割っていた。そういう重いやつほど美味しいのだが、赤や黄の砕けた断面。スピーカーが午後六時に歌をがなり、田圃の真ん中からもう家に帰れとどこか遠くの子供達に急かす、まだ夕焼けの赤はない、夏の夕の光景。
そういう思い出を持つ自分としては、二センチ三センチ、そう目くじら立てることでも無いような 気がするのだ。

もっとも、これは他人事だから暢気に言ってられることであり、下手に口約束で一時的に書類を整えようものなら、後々余計な面倒ごとと化けるのだろう。幾ら理不尽でも、役所仕事には引継ぎというものがあり、そうして新しく部署についた真面目な人間に少なくとも罪は無い。

まあそこまで揉めておらず、非を認め歩み寄りの姿勢を持っているようなので、落ち着くとこに落ち着きそうなのだが、あえて書いたのはこれがまだましな例だから。
今度の合併先である、母の生家がある隣町だが、もう何十年も住民税を納めていない人がいるらしい。
そりゃ、土地の交換時に『どうせ判んねぇだろうから』と印鑑まで役場に偽造されて土地を奪われれば、土地を返したら払ってやると住民税を別に積み立てたくもなろう。
銀行の融資却下で事実を知り、法務局に偽造されていない書類が残っているため土地を返すよう、国の指示は出ているのだが、町の方がごねているとかで現在裁判中。『知事も役場の人間も謝りには来たが、連中黙って下むいとるだけで返そうとはせん』との御言葉。


別隣町の元町長さんは、まともに払っとったら事業が拡大できんと脱税して、昨年お捕まりになられました。あっちの元町長さんはもっとビックに、公共事業費を自分ちの建築だか改築だかに着服流用して、友達と一緒にこちらも昨年、テレビデビューを果たされました。
杓子定規に動かず弾力を持って対応するのが現場かもしれないが、特に後者馬鹿が過ぎる。
『近隣数市町村、或いは自分が今まで生活してきた場所とその周辺。それぞれで過去から現在、未来まで。数十年間の範囲に一時たりでも公的要職に就いていた者が、その生涯において新聞沙汰となる犯罪を為す確立』というのを計算すれば、多分これも予知夢や鴉の凶兆レベルの、ごく自然な出来事なのだろう。

でも、まあ。報道関係者や政治運動家が国家にさらわれて、強制労働所か矯正施設か首チョンパ、なんてことが無い分、現在の日本は過去や諸外国に比べ随分マシだと思っていたが、政治屋だの口利きだの 賄賂や役所の横暴や――自分が思っているほどまだマシじゃないのかも知れない。

当たり前か。少しでも良くしようと人々がせめぎ合ってここまで来れたわけで、現在はまだこの更に先へ行く、途中に過ぎない。自転車はこぎ続けなければ失速するし、こける。まして、こごうともせず道端にスタンド立てて座り込んで茶を啜っている自分が、走っている人々にあれこれ言えるようなものでも無し。



本日、雨。地方によっては羨ましくも雪が降っているとのことだが、当地では凝り固まった蕾を解そうかという春の気配。
珍しく、真っ当な日記らしい独り言を気の向くままに綴って、以上終わる。
梅香月三日
地名には意味がある。

昔に比べて道路は整備され、携帯個人車ネット等、物理的な距離は数十年前に比べ確実に狭まっていると思う。故に、地方合併という発想にも一理はある気がする。
が、この地名破壊だけは気に食わない。占領軍ですら、ここまで日本語と日本文化を破壊しようとはしなかった。

『言葉は時代や人々に合わせ変化し続けるものであり、本来の辞書的定義からずれた誤用の常識化は、その言葉が健全に生きている証拠である。』と言い切った言語学者が居た。しかしこれは酷かろう。

今回、当町もお隣と合併するとかしないとか。相手方の『目的無き億単位の土地買収』『新施設建設』が駆け込み騙まし討ち事業だとかで、反対する人々が――あちらでも、土地買収なんかは結構反対しているようだが――前町議会議長辺りを中心に現在進行形で活動している。
もっとも町政は既に合併を前提に動いており、本日『新町名アンケート葉書』とやらが届く。



……意味のある熟語二つの前半分と後ろ半分を切り分けてくっつければ、両方の意味を読み取れる新しい熟語が生まれると思いますか?



つかぬ調整をつける現場さんも色々大変でしょうが、押し売られた喧嘩と理不尽な侵略には武力をもってしてでも『否!』と。
私、みちあきりゅうじんは市町村合併に伴う全国レベルでの地名破壊に、個人的憎悪をもって反対します。
梅香月二日
朝、遥か前。立春朝搾りの四号瓶を干して寝る。
夕から夜。電話電信。
梅香月一日
ヴィンテージエロス。初めて目にした瞬間、この言葉の存在を知らなかった己の敗北を感じた。

さて。かのアブサンが『幻覚性に科学的根拠無し』として遠い異国で復活したとか。
後代の紛い物でなく、多くの人々が愛したという白く濁るニガヨモギ酒が飲める日が 訪れるとは。命永らえていれば、このようなこともある。
――実は密造アブサンがネットで入手できなくもなかったと時同じくして知る。
井の中の蛙より無知じゃねぇかと、負け犬気分に浸ってみる。
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