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ちょうどジャワ島の真ん中あたりに位置する「Yogyakarta」。正確には「ヨグヤカルタ」と呼ぶのでしょうが、一般的には「ジョグジャカルタ」、
もしくは短縮して「ジョグジャ」の名前で呼ばれています。 ジョグジャは歴史のある古い街で、この街の周囲にはヒンドゥー王国マタラムが8世紀中頃から9世紀中頃に建立したとされるプランバナン遺跡や
同時期に仏教王国シャイレンドラが建立したとされるボロブドゥールに代表される数々の遺跡が今に残っています。 数々の歴史を経て、1755年にジョグジャカルタ侯国が設立され、クラトン(王宮)を中心にワヤン・クリッ(Wayang
kulit)、 ガムラン(Gamelan)等に代表される宮廷文化が生み出され、バティック(Batik)もそのひとつとして現在に継承されています。
伝統的なバティックの模様とされているものは、この宮廷内で制作されてきたものが中心となっており、様々な模様が考案されてきましたが、 王族や貴族階級にしか使用が認められていなかった禁制模様もあり、さらには王のみしか着用を許されなかったものもあったようです。
しかし、この着用が制限された禁制模様も現在では自由に制作したり着用が許されるようになり、時代とともに一般の人々にも広まっていったようです。本来バティックはカインパンジャンまたはサロンのように腰衣として着用されてきたものですが、現在では洋服用の生地としても多用されるようになり、
綿だけでなくシルク生地にも、また色調・デザインにおいても多種多様なバティックが生み出されてきています。
反面、近年の工業化に伴い大量生産によるプリント製のバティック柄の生地が安価に出回るようになり、 手作業による伝統的技法に基づいた緻密で製作者の息吹が感じられる上質のバティックを制作している工房は残念ながら代表的産地ジョグジャカルタでも
かなり少ない状況になってきています。
ジョグジャカルタ様式 |
ソロ様式 |
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ジョグジャカルタから東へ約60kmの所に、ソロ(スラカルタ)という街があります。ジョグジャカルタと共にインドネシアの奈良、京都と言われる中部ジャワの古都のひとつ。この地もジョグジャカルタと同様に宮廷文化が栄えた場所であり、
ソロ様式のワヤン・クリッ(Wayang kulit)、ガムラン(Gamelan)などが確立されています。 そして独自のソロ様式のバティックの産地として知られています。
ジョグジャカルタとソロのバティックの一番大きな違いとして見受けられることのひとつに仕上がりの色味の違いが上げられます。 ジョグジャカルタでは白場をはっきりとさせ、主として紺と茶の色で染め、茶色は焦茶もしくは赤茶がかった濃いソガ色に仕上げる場合が多いのに対し、
ソロでは白場も含め全体的に黄味がかった赤茶色に仕上げる場合が多いようです。 ただ、昨今の洋服用の生地として制作されているものなどを見ると、従来の伝統柄にとらわれず、また華やかな色彩で描かれているものも多く、
多種多様のバティックが生み出されています。
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