日々、在りしことども



桜月三十日
特に記憶なし。
桜月二十九日
もうすっかり夏か。
桜月二十八日
眼痛収まるが、視力がやや下がったような気もする。遠くを見る他にも、日常的な左右の差を埋める努力をすべきか――単眼鏡とか。
桜月二十七日
今頃気付くが、二十五か六の記憶が余り無い。中身の無い日々は何時ものことだが、ここまですぱっと忘れてしまうのも珍しい。さて、何処で落としたのやら。

筍の季節。本年もまた、頂戴する。
まず第一陣として炊き込みご飯、それから醤油味醂で煮て山椒の葉を散らすが(木の芽煮、だったか?)、取りに出た山椒の若葉が既に茂っていて余りよろしくない。
――今年の初夏は些か足が速いように思う。あと、同じくして体内時計の針が四月十何日辺りで足踏みしたまま。
四月? 後十日は残っているはずさ、あはは。

夜、出る。酒の安売りを冷やかし、書店へ。積読山脈は未だに成長を続けている活発な火山です。噴火で死ぬならそれも本(以下略)。 追記:車の静電気、未だ日常。もしかして問題は気候ではなく人間にあるのだろーか。
桜月二十六日
『髏漫』読了。

驚嘆したのは二点。
まず、井上雅彦氏の凄さ。短編小説家として、そして幻視者として、氏はこの世界の有象無象ではなく、既に彼岸に達している。

そして二点目は――これは恩田陸氏の短編集を読んだ時にもあったことだが――私自身の凄さ。収録作の大半を以前別所で目にしていたというのに、どれもこれも初めて読むような新鮮な心持ちで楽しめた。
……これだけの良作を纏め読むまでことごとく忘れて見せた私の『読書』とは、一体何だ ……
桜月二十四日
祭り。何やら親爺殿が赤いチャンチャンコを纏って、出掛ける。

一日かけて、起こされた田に水が伸びていくのを見る。初夏。
桜月二十二日
風、冬の如し。

最近、本を読んでいない。そんな暇があればマッスル――もとい、茶をかぱかぱ呷ってちびちびと短編『掛け軸売り』を書いていた。
短編に何故半月以上かかるのか――それは直視せぬが、本日午前、なんとか第一稿が完成し、くるりと首を回す。

オウ、何故か二十冊近い未読本の小山が二つ。

……遠い昔、異国の本コレクターの中には、買った端から木箱に詰めて防水布に包み、使用人に命じて掘り返した庭の地中に埋めていった者が居たという。本末転倒の見本だが、 ああ、とても私には彼を笑えません。

もっと昔から積まれている未読本に関しては――見えないものは存在しない。物理学の基本だと、本日我が脳内で決定承認。
桜月二十一日
――筋肉って良いよねェ……
桜月二十日
雨、涼し。
桜月十九日
花火大会、ということで当然琵琶湖へ。東氏と共に自転車で北上。
残念ながら遅れてしまったが、それでも残花の枝向こうに散る火を楽しむ。やはり花火は音も腹で聞くものである。異国の花火は、ややキラキラと、フラッシュのような輝きが長く続く傾向があったように思う。
ラストは流石に見事であったが、その語に続いたあのポン、ポンと低位置での二点発光は……何だ?

後、某店で食事。味は結構だが、値段も結構で、最早開店当時の非常識じみた魅力は無し。
酒を呑みつつ、追加注文もせず、閉店まで居座る。――済まぬことをした。
雑談と称し、つまらぬ話題を振ってしまう。――酔って政治とスポーツを語る輩に碌な者なし。これも相済まぬことと思う。

なお、東氏だが、近頃『洞窟、洞窟』と叫んでいるものの、他の方面も満喫しているようで、やれ山だ海だ自衛艦だと休み無しに駆けずり回っている現状を聞く。私なら一日で過労死しそうな話だ。

以上散文、本日久々に人の大群を見たと記して終了す。
桜月十八日
スイッチの入り具合が微妙。
桜月十七日
桜を見に出る。まだ数日は大丈夫だろうと思っていたが、早くも舞い散り始めており、やや寂びし。やはり今年の花は朱が強いようだと思いつつ、またやはり今年の某店日本酒は寝かせた数年ものを主流にする気かと、二、三年ものの『琵琶の長寿』は山吹色した小瓶を手に、散策。恒例の、散る花びら喰いをして、季節を味わう。
軽く蕎麦を食し、またぶらり。久々の琵琶湖は水位が上がっているようであった。

書店、古書店を巡り、深更帰宅。既に周囲は桜ではなく、田に水を張った初夏へと移りつつあった。
桜月十六日
人生零円。
桜月十五日
桜も見ず、花粉も感じず、ただ天啓を受ける。
『筋肉だ! 筋肉が足りなかったのだ!』

筋肉は浪漫の証。筋肉は正義のお肉。筋肉は男の嗜み。
にーく、にーく、にーく!
筋肉は誇り。筋肉は幸せ。筋肉こそが唯一追求すべき原点にして頂点。
にーく、にーく、にーく!
筋肉に不可能は無し、筋肉に限界は無し、筋肉それは優しさだ。
にーく、にーく、にーく!
痩せようだなんて、はは何て馬鹿なことを考えていたんだか。筋肉をつけろ、それで世界の七十パーセントは幸せになるっ。
にーく、にーく、にーく。
マッスルいずジャスティス。まっするイズふぃーばー。
にーく、にーく、にーく。
ぶっとくなった太腿がズボンに入りません? 胸も四角くなるまで鍛えたから、シャツが窮屈になりました?
――いいじゃないか、筋肉なんだから。
にーく、にーく、にーく。
通り悪魔なんかじゃない。これはきっと祖霊。全ての収縮する筋肉達の奏でる歌!
にーく、にーく、にーく。

ああそう、誰かも言っていた。筋肉さえあれば、何だって出来る!
桜月十四日
緊張が切れた。
桜月十三日
夜の街中を歩いていて、突然の白い花天蓋に驚く。やはり、桜は特別だ。
桜月十二日
雨。ここ三日ほど、桜が咲いていることをすっかり忘れていた。
桜月十一日
不毛。
桜月十日
久々の読書中、本のページをめくろうとして何故か左手指が目の前のスペースキーに向かう。
自分はもう、大分駄目だ。……ネット小説を読み漁っている覚えもないのに。
桜月九日
夕、猫を見る。野良がいるのは承知していたが、まさか五匹もいるとは思わなかった。
基本は全身白に、一部だけ茶だの黒だの入ったのが四、残る一は余り見かけない――雉虎、とでも 呼んだような気がする美猫。
この春、また増えるだろうか?

夜、綻びつつある桜を見物に繰り出す。
例年のように、気がつけば某城といった愚を犯したくないので、逆方向へ。田舎の祭囃子を聞きつつ、ぼんやりまわる。
随所で火が焚かれていたが、途中、太鼓を神輿の如く担ぐ一陣とすれ違う。組んだ丸太の上に太鼓を据えて、その紐の間に折った数本の桜枝。ついでに酔っ払いも三人ほど乗せていたが、それを持ち上げ運ぶのだから、この少子化軟弱化の時代に良い気合いをしている。
鐘の連打する音に、地域の違いなど改めて感じつつ、本日以上。
桜月八日
昼、出る。何故かしら青空がくすんでいるように見えて仕方ない。
そこいらじゅうで、桜が綻び始めていた。当年の花は、些か朱が強いように思う。
――さて、そろそろ一人。楽しく寂しく夜桜仰いで飲み歩こうか。
桜月七日
何度いじっても、プリンターから吐き出されてくる文章は明朝体とゴシック体の混じったもの。
ソフトが発展し過ぎているのか、人間が退化しつつあるのか。

意識が散漫、というか呆けている。無駄に大量の資源ごみを生み出しつつ、本日以上。
桜月六日
温し。何やら代謝活動まで活発。――冬眠は終わった、ということか。

肩凝り以外は快調。てっきり寝違えでもしたのだろうと判じていたが、ひょっとするとこれは 合わぬ眼鏡ならぬ合わぬ視力――左が特に悪く、片眼鏡が実用を兼ね欲しい――なのだろうか。

他、特に無く。本日終わる。
桜月五日
左肩の凝りを除けば、更に体調は良くなり、『花粉症がなんだァッ!!』と開き直ってみれば、 くしゃみの一つも無い素晴らしい一日。

夕前、図書館へ。ちと思いついて本を借りたのだが、館員の方からやけに親切に本を手渡される。
『この本、初めて借りて頂くことになるんですよ』と嬉しげであったが、さもありなん。 普通の人間は自分の手で掛け軸なんか作ろうとはしない。
ついでに私もその気は無い。――今のところは。

自慢だが、自分は機械に弱い。プログラムやソフトなど論じるまでも無し。故に本日、初めてワードのルビ機能と縦書き時二重感嘆符の使い方を覚え、感動へ至る。学習の喜び、歳、ものを問わず。
桜月四日
失って初めて解る健康の有り難さというが、健康になって初めて解る昨日の異常さ。
まだ少々残ってはいるものの、流石に昨日ほど悪い体調ではない。
何故、自分はあれで薬の一つも飲まなかったんだろうと、今更思う。
桜月三日
朝より気分、悪し。視力の低下、全身の気だるさ。
鼻のかみ過ぎかと思うも、午後、さらに悪化。
鼻水が出て、熱っぽく、悪寒がして、頭痛に食欲の減退――はて?
花粉症を鼻風邪と必死に言いつくろう姿は、どうかと我が身は思うのですよ。

ふと、先日読んだ化学雑誌の問答を思い出す。
Q:寒さと風邪は関係ないんですか?
A:ありません。悪寒は風邪をひいた後に出る症状です。寒いから換気を怠り、ウイルスの充満した部屋に長時間過ごすこととなって、人は風邪に掛かるのです。

ここ数日。記録物の花粉に対し、当方は患者らしい防衛を行っております。換気? 生物兵器に身をさらせと?
――結局、熱あり。春になって、今更風邪にやられるとは。

『書庫』にちと手を入れる。
桜月二日
花粉在り。面倒臭いので、以下略。
桜月一日
ふらりと覗いたエイプリル特別掲示板で、某作者氏の叫びらしきものを見つける。
え……本当に存在するのか、三冊目の完成原稿が。

道路舗装ほぼ完了。無粋だが安全なガードレールが家前の景色に割り込む。
本、読む暇もないので全て図書館に返却。花粉、やや有り。
四月馬鹿、本年もあまり捻り無し。残りあと一分。

なお、某本届く。ついでに、その作家氏が別作中にて破壊した書店へ、本気で謝りに行ったという逸話を知る。真面目な人柄の現れと紹介されて、私個人は大丈夫だろうか、仕事がきついんだろうかと、不安を抱く。気付いてあげてください、サインは出されているのです――
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