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![]() (April - May, 2010) (Compiled by Haruo Hirose) |
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(May 27, 2010)
エルヴィスを取り巻く 2つの名前を持った作曲家たち
米国の2つの音楽著作権協会、 BMI と ASCAP の対立によって、 2つの名前を 使い分けなければならなかった ジェシー・ストーン (Jesse Stone)。 "Money Honey"、 "Like A Baby"、 "Down In The Alley" は Jesse Stone 名で、 "Shake, Rattle And Roll"、 "Flip, Flop And Fly" は チャールス・カルホーン (Charles Calhoun) 名で 作品を 発表しました。
同じようなケースが 他の作曲家でもあります。 "Don't Be Cruel"、 "All Shook Up"、 "Paralyzed"、"Make Me Know It"、 "Return To Sender" などの作曲家 オティス・ブラックウェル (Otis Blackwell) は ジョン・ディヴンポート (John Davenport) の偽名で フィーバー (Fever) を発表してます。 よく オティス・ブラックウェルと 同一人物と 間違われる ロバート・ブラックウェル (Robert Blackwell) は レコード・プロデューサーでして、 "Long Tall Sally"、 "Rip It Up"、 "Ready Teddy" などの作品が 示すように リトル・リチャードの レコードを プロデュースした 人物です。
"Ain't That Loving You Baby"、 "Doncha' Think It's Time"、 "Out Of Sight, Out Of Mind" の作曲家 クライド・オティス (Clyde Otis (BMI)) は クリフ・オーエンス (Cliff Owens (ASCAP)) の偽名で "Anyway You Want Me" を書きました。
クライド・オティスと "Doncha' Think It's Time" で共作している ウィリー・ディクソン (Willie Dixon) は 有名歌手の ブルック・ベントン (Brook Benton) でして、 マイ・ベイブ (My Babe) の作曲家であり、 ブルース・シンガー、 ミュージシャン、 レコード・プロデューサーとして 有名なウィリー・ディクソン (Willie Dixon) とは 全くの別人なのです。
偽名を使わずに 奥様の名前を使う方法もありました。 映画「ラブ・ミー・テンダー」の 挿入歌4曲の 作曲家となってる ベラ・マトソン (Vera Matson) は、 「ラブ・ミー・テンダー」の 音楽監督の ケン・ダービー (Ken Darby) の夫人で、 実際の作曲は ケン・ダービーが やっています。
ラバーネッキン (Rubberneckin') の作者となってる バニー・ワーレン (Bunny Warren) は "Follow That Dream" など 数多くの作品を エルヴィスに提供した ベン・ワイズマン (Ben Weisman) 夫人です。
コロンビア・レコードの大物プロデューサーだった ボブ・ジョンストン (Bob Johnston) は、 ジョイ・バイアース (Joy Byers) 夫人名で エルヴィスに提供された 全作品、 "Baby If You'll Give Me All Of Your Love"、 "C'mon Everybody"、 "Goin' Home"、 "Hard Knocks"、 "Hey, Hey, Hey"、 "It Hurts Me"、 "I've Got To Find My Baby"、 "Let Yourself Go"、 "Please Don't Stop Loving Me"、 "She's A Machine"、 "So Close, Yet So Far"、 "Stop, Look And Listen"、 "The Meanest Girl In Town"、 "There's A Brand New Day On The Horizon"、 "There Ain't Nothing Like A Song" のことを、 彼ひとりで書いたもの、 あるいは 夫人と共作したものだ と主張してます。
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(May 27, 2010)
(May 24, 2010)
![]() The Cues (アトランティック・レコードの スタジオ専属 コーラス・グループ) アトランティック・レコードのプロデューサー、 ジェシー・ストーン (Jesse Stone) は 1954年に スタジオ専属のバック・ コーラス・グループを 結成します。 グループ名は 「ザ・キューズ」 (The Cues) 。ところが 彼らの名前は レコード歌手によって、 あたかも別のグループのように 様々に変化します。 例えば、 ラバーン・ベイカーの レコードでは The Gliders、 アイボリー・ハンターの レコードでは The Ivory Tunes、 ジョー・ターナーの レコードでは The Blues Kings、 ルース・ブラウンの レコードでは The Rhythmakes という具合に。 名前は違えど、 歌ってるのは 同じ人たち、 ザ・キューズなのです。
そのキューズのリード・シンガーが ジミー・ブリードラブ (Jimmy Breedlove) です。 ジミー・ブリードラブ、 馴染みのない名前ですが、 Follow That Dream Records から発売された 豪華CDブック "Writing For The King"
ジミー・ブリードラブは 1957年にLPアルバム "Jimmy Breedlove Sings Rock & Roll Hits"
ジミー・ブリードラブと同じく ザ・キューズに所属してたのが ロビー・カーク (Robie Kirk)。 ペン・ネームの方が エルヴィス世界では有名で、 オティス・ブラックウエルと組んで、 「心の届かぬラブレター」 など 多くの曲を エルヴィスに提供した ウィンフィールド・スコット (Winfield Scott) なのです。 ウィンフィールド・スコットは 1955年に大ヒットした 「トゥイードル・ディー」 (Tweedle Dee) の作者で、 オリジナルの ラバーン・ベイカーの レコード、 カバーの ギョージア・ギブスの レコード、 そのどちらにおいても 彼のグループ、 ザ・キューズが バック・コーラスを 務めています。
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(May 22, 2010)
![]() ![]() ![]() JESSE STONE alias Charles Calhoun (ジェシー・ストーン、別名、チャールス・カルホーン) ジェシー・ストーン (Jesse Stone) は 1920年代から活躍する ジャズ・バンドの リーダーであり、 ピアニスト、 アレンジャー、 ソング・ライター、 レコード・プロデューサーとして 数多くのヒット曲を 生み出しました。 戦後、 アトランティック・レコードの プロデューサーとなり、 ベース・ラインや リズム・セクションを強調した "若者たちが踊れるジャズ" を始めたのです。 これが後の ロックンロール誕生 となります。 ロックン・ロールの最初のヒット曲として よく紹介される 「シュブーン」の編曲は 彼ですし、 ドリフターズの 最初のヒット曲 「マネー・ハニー」など、 数多くの作品を 様々なアーティストに 提供しました。
日本の音楽著作権協会 (JASRAC) に相当する 音楽著作権を管理する団体が、 アメリカでは BMI と ASCAP の2つの協会によって ほとんど独占されています。 そのため、 BMI に籍を置く作曲家は ASCAP に籍を置く作曲家と 共作できないなど 不都合なことが 起きたのです。 このようなことで、 本名が使えなかった ジェシー・ストーン (ASCAP) は、 偽名のチャールス・カルホーン (BMI) として、 1954年に ジョー・ターナーに 「シェイク・ラトル・アンド・ロール」 を提供。 ビル・ヘイリーの カバー・バージョンも含めて 全米で大ヒットしました。
ジェシー・ストーンは 1958年6月30日に 「闇に響く声」の挿入歌である 「ざりがに」 (Crawfish) を録音して、 The Stone Crushers の名前で RCA から シングル発売しました。 |
(May 20, 2010)
< エルヴィス関連 TV情報 >
BS-TBS (TBS系BSデジタル放送)
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(May 17, 2010)
![]() 8月11日発売決定!! 日本盤 「エルヴィス・オン・ツアー」 DVD & Blu-ray Disc
アマゾンで予約受付を始めました。
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(May 14, 2010)
ポケットが虹でいっぱい
映画「G.I. ブルース」の挿入歌で、 エルヴィス・ファンに 広く愛されてる 「ポケットが虹でいっぱい」 (Pocketful Of Rainbows) 。 1993年に YMO (イエロー・マジック・オーケストラ) によって カバーされ、 TBSのドラマ 「さくらももこランド・ 谷口六三商店」の 主題歌に 使われたことを 知ってる人は ほとんど いないでしょう。 そのYMOの演奏に エルヴィスの歌声を オーバーダブ させてみました。
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(May 12, 2010)
エルヴィスは ドンキホーテだったのか?
「マイ・ウエイ」の歌詞を見ながら、 エルヴィスの歌を聴くと、 エルヴィスの生き方と ぴったり 重なりあい、 大いに 心に響くものが ありますが、 この「見果てぬ夢」も エルヴィスに 通じるものが あるように 感じました。
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The Impossible Dream
![]() To dream the impossible dream To fight the unbeatable foe To bear with unbearable sorrow To run where the brave dare not go To right the unrightable wrong To be better far than you are To try when your arms are too weary To reach the unreachable star This is my quest To follow that star No matter how hopeless No matter how far To fight for the right Without question or pause To be willing to march into hell For a heavenly cause And I know if I'll only be true To this glorious quest That my heart will lie peaceful and calm When I'm laid to my rest And the world will be better for this That one man, scorned and covered with scars Still strove with his last ounce of courage To reach the unreachable star And the world will be better for this That one man, scorned and covered with scars Still strove with his last ounce of courage To reach the unreachable star |
見果てぬ夢
![]() 叶わぬ夢を夢見て 無敵の敵と戦い 耐えがたき悲しみに耐え 勇者も避ける道を行く 正し難き不正を正し 遥かなる向上を目指し 腕が疲れ果つるとも 届かぬ星に手を伸ばす これがわが旅 星を追いかけ 望みがなくても どんなに遠くても 正義のために戦い 疑問も ためらいもなく 地獄へも突き進まん 大義のためならば われが忠実である限り この栄光の旅も わが心 平穏にして 安息の時を迎えるだろう やがて、世界は良くなるだろう さげすまれ、 傷だらけになろうとも 最後の勇気を振りしぼり 手を伸ばそう 届かぬ星に やがて、世界は良くなるだろう さげすまれ、 傷だらけになろうとも 最後の勇気を振りしぼり 手を伸ばせ あの届かぬ星まで |
(May 5, 2010)
「聴いて、シーラ」、 エルヴィスがプリシラに訴えた 「悲しみの夜」
1974年9月2日、 ラスベガス公演の クロージング・ナイト。 この日のエルヴィスは 異様に感情が 高ぶっていた。 「聴いて、シーラ (Listen Cilla)」、 エルヴィスの窮状を訴えた このひと言は 客席にいたプリシラには 届かなかったのか?
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It's Midnight
![]() Maybe it's too late I sometimes even hate myself for loving you Tryin' to be strong Then night-time comes along And I start wanting you, wanting you (Listen Cilla) Where is all my self-control I'm burnin' way down in my soul And needing you Wishin' I could be the man I tried to Hating me for wanting to be with you Knowin' you don't love me like you used to But it's midnight, oh, and I miss you It's gettin' late, I know that's when I am weak Funny how things have a way Of lookin' so much brighter in the daylight I oughta go to bed Try to straighten out my head and just forget you Oh, but it's midnight and I miss you It's gettin' late, I know that's when I am weak Funny how things have a way Of lookin' so much brighter in the daylight I oughta go to bed Try to straighten out my head and just forget you Oh, but it's midnight and I miss you It's midnight and I miss you I miss you |
悲しみの夜
![]() もう手遅れだが 時々、君を想い続ける自分が嫌になる 強くあろうとしても 夜になれば 君を求め始める (聴いて、シーラ) 自制できずに 心の奥で くすぶったままに まだ君を求める 男らしくありたいと願っても 君を求める自分を恥じても 君に愛が残ってないと分かっていても 夜になると、ああ、君が恋しい 夜は弱気にさせると知っていても 可笑しなことだが 昼間は明るい気持ちでいれても ベッドの中に入れば 頭を切り替え、君を忘れようとしても ああ、夜になると、君が恋しい 夜は弱気にさせると知っていても 可笑しなことだが 昼間は明るい気持ちでいれても ベッドの中に入れば 頭を切り替え、君を忘れようとしても ああ、夜になると、君が恋しい 夜になると、君が恋しい 君が恋しい |
![]() ビリー・エド・ウィーラー (Billy Edd Wheeler) - 僕は夜型人間で、 いつも仕事は 夜にしてたんだ。 「悲しみの夜 (It's Midnight)」は 昼に起こった夫婦喧嘩などを、 夜になって、 くよくよひとりで 思い出してる男を 描いたものなんだ。 元々の出だしの歌詞は "How come when it's late, sometimes I can't hate myself for loving you" (夜になって、 時々、まだ 君を愛してる自分が 憎めない) だったんだ。 これを ジェリー・チェスナットに 聞かせたら、 もっと素直な 歌詞の方が 良いんじゃないか ということで、 "Maybe it's too late, sometimes I even hate myself for loving you" (遅すぎるかもしれない。 でも、時々、 まだ君を愛してる 自分が嫌になる ことがある) に変えたんだ。 すごく良くなったので、 コーラス部分も ジェリーに任せたんだ。 このデモを聞いた エルヴィスは、 「この歌は 僕とプリシラのこと なのか?」 と訊いたそうだ。 全ての歌が エルヴィスの私生活を 歌ってるわけ ないじゃないか。 でも、 エルヴィスは共感を 覚えたのだろう。 ジェリー・チェスナット (Jerry Chesnut) - ナッシュビルの郊外で ゴルフをやった帰り、 ビリー・エド・ウィーラーに 歌を手伝って欲しいと 頼まれたんだ。 彼の車の後部座席で ギターを弾きながら 完成させたんだ。 ナッシュビルで ヒル&レンジ出版を 任されてた エルヴィスの友人の ラマー・ファイク、 彼に 2,3曲渡した中の1曲が 「悲しみの夜」 だったんだ。 いざ、 レコーディングって時に 歌詞カードが 見当たらない。 それで、 僕が電話ごしに 歌詞を教えたんだ。 「悲しみの夜」は シングル盤で発売された。 僕はそれまで ちゃんと エルヴィスを 聴いたことが なかったんだ。 自分の仕事が 忙しくってね。 エルヴィスの歌を聴いて、 すごく感情が こもってたので、 感動したよ。 以来、エルヴィスは レコーディングする度に、 ラマーに 「ジェリーのとこに 行って来い」 って なったんだ。 |
(May 4, 2010)
![]() Orianthi, "This Is It" 昨年11月10日、ツアーの途中、グレースランドを訪問したオリアンティ。 |
(May 1, 2010) (Apr.24, 2010)
(May 1, 2010)
オリビアを聴いていたエルヴィス
エルヴィスは オリビア・ニュートン・ジョンの 「レット・ミー・ビー・ゼア (Let Me Be There)」を 1974年1月から、 「愛しい貴方 (If You Love Me, Let Me Know)」を 1974年8月から レパートリーに入れて、 1974以後のコンサートの ほとんどで、 エルヴィスは 両方、又は片方を 歌ってます。 どちらも明るくて、 心躍る 素晴らしい曲ですよね。
作者のジョン・ロスティル (John Rostill) は、 クリフ・リチャードの バック・バンドで有名な ザ・シャドウズの 途中加入メンバーで、 1973年11月26日、 自宅で エレキ・ギターを 触っていて、 感電して、 31才の若さで 亡くなりました。
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(Apr.26, 2010) (Apr.19, 2010)
米国、8月3日発売、「エルヴィス・オン・ツアー」 DVD & Blu-ray
![]() (イメージ拡大) 「エルヴィス・オン・ツアー」のブルーレイ版には ブックレットが付きますが、 DVD版には付きません。 ブルーレイは オール・リージョン、 DVDは リージョン1だと 思われます。
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(Apr.16, 2010)
(Apr.13, 2010)
エルヴィス・クラシック・ミステリー、 名曲探偵 アマちゃんデウス
「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」 "And I Love You So" (Don McLean) 作者が語る名曲誕生秘話
ドン・マクリーン (Don McLean)
私は大のエルヴィス・ファンだったんだ。 彼のレコードで 好きだったのが "Paralyzed"
エルヴィスには天賦の才能があった。 どんなものだって 彼にかかれば 魅力的なものに なっちゃうんだ。 魔法のように。 神からの贈り物だよ。 エルヴィスが 汚い言葉を吐こうが、 舞台に寝転ぼうが、 言葉がもつれようが、 ファンは決して 彼から 離れようとしなかった。
多くの人から、エルヴィスが私のことを話してた と聞かされたよ。 「ドン・マクリーンが この曲を書いた。 彼は偉大な ソングライターだ」 とかなんとかって。 彼から お褒めの言葉を戴いて、 こんなに嬉しいことは 他にないよ。 ジョダネアーズとも 20数年間一緒に 仕事をしている。 彼らといると、 エルヴィスになったような 気がするんだ。 彼らから エルヴィスの人柄についても 聞いてるよ。 男っぽい反面、 親思いの優しい少年のような ところもあった。 彼って そんな男だったんだ。 そんな彼だからこそ、 私の歌を 気に入ってくれたんだ。 彼の歌には 誰のよりも 感情がこもってる。 基本的に 彼は終着点なんだ。 エルヴィスに 歌ってもらえれば、 他はどうだっていいんだよ。
「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」は、 サミー・カーン、 ジミー・バン・ヒューゼンの 作風を狙って 書いた曲なんだ。 フランク・シナトラに 似合うような スタンダード曲を 書いてみたかったんだ。 決して古くさい スタンダード曲でなく、 ちょっぴり おしゃれなスタンダード曲 ってことだよ。 「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」は 私の最初のアルバム "Tapestry" の中の1曲なんだけど、 私自身、 それほど 好きな曲じゃなかった。 ペリー・コモは チェット・アトキンスから 薦められて、 録音したんだ。 チェットは 私のファンで、 彼とは友達になったよ。 ペリー・コモのレコードは ミリオン・セラーになって、 私としては、 「良かった」、 ただそれだけだったんだ。
そして、突然のように、 エルヴィスが 「トゥデイ」のアルバムのために、 「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」 を吹き込んだ。 あの頃のエルヴィスは、 アンディ・ウィリアムスや ジョニー・マティスが 歌いそうなものを 選んで録音していた。 きっと彼らは エルヴィスに合うと 考えたんだろう。 でも、エルヴィスは それ以上に 私の歌を 気に入ってたようなんだ。 スタジオで録音した だけでなく、 彼は 各地のコンサートでも 歌ったので、 数多くのバージョンや アウトテイクが 出回ってるんだ。 その点において、 私はエルヴィスに 興奮しっぱなしさ。 ただのヒット曲で終わらず、 別のところまで 引き上げてくれた って思いでさ。
「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」は 確実に エルヴィスの ラブ・ソングの領域に 入ってるよね。 まるで、 バレンタイン・デイの チョコレートや キャンディ、 お花や ピンクの飾りつけ のようなものだよ。 まさに エルヴィスそのものさ。
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And I Love You So
![]() And I love you so The people ask me how How I've lived 'til now I tell them I don't know I guess they understand How lonely life has been But life began again The day you took my hand And yes I know How lonely life can be The shadows follow me And the night won't set me free But I don't let The evening get me down Now that you're around me And you love me too Your thoughts are just for me You set my spirit free I'm happy that you do The book of life is brief And once a page is read All but love is dead This is my belief |
アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー
![]() 僕も君を愛してる よく聞かれたんだ 今まで どうしてたのって 僕は答えられなかった きっと分かってくれるだろう 一人暮らしがどんなものか でも、僕はやり直したんだ 君と手を取った日に 知ってるさ 一人暮らしの現実を 影に怯えつづけ 夜も休まることがない でも、今の僕は 夕闇に滅入ることはない 君がそばに いてくれるから 君も僕を 愛してるんだね 君は僕のことだけを考え 常に励ましてくれる 僕は幸せだ そんな君であって 「生命の書」って はかないもの 1度 読まれただけで 愛を残して 消えてゆく そう僕は信じてる |
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(Apr. 8, 2010)
これは珍しい。 ターバンを巻いた エルヴィスの映像
1972年9月に撮影されたようです。 カリフォルニア州グレンドラの ディブ・ヘブラーの道場にて。 ディブ・ヘブラーの 子供たちや エド・パーカー、 バリー・エルウッドらが 映ってます。
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