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October, 2011
(Compiled by Haruo Hirose)
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(Oct.30, 2011)

フラン・ジェフリーズ、 ステキなあなたに金縛り

 エルヴィスの共演女優のひとりながら、 決して 話題になることのない女優、 それが フラン・ジェフリーズ (Fran Jeffries) です。 それも 仕方のないことで、 映画「ハレム万才」の中では エルヴィスの敵役、 ラブ・シーンも ありませんでした。

 数年前のこと、 映画「ピンク・パンサー」シリーズの 第1作である ピーター・セラーズ主演の 「ピンクの豹」 (1963年) をテレビで見ていて、 エンド・クレジットに フラン・ジェフリーズの 名前を発見しました。 はて彼女は 映画の何処に出ていたの?  それが調べてびっくり。 あのステキな歌、 "Meglio Stasera" (It Had Better Be Tonight) の歌手では ありませんか。 全く私は 「ハレム万才」の彼女と 同一人物だと 気付いてませんでした。

 フラン・ジェフリーズは レコードも出してる歌手で、 1958年に、 映画「ステート・フェア」 (1945年) に出ていた スター歌手の ディック・ヘイムズと結婚。 長らく彼と ナイト・クラブ等で 共演したあとに 離婚。 1964年に出演した ナタリー・ウッド、 トニー・カーティス主演の 「求婚専科」 (Sex And the Single Girl) で出会った リチャード・クワイン監督と 再婚します。 この映画でも 彼女は 2曲、歌ってます。

Fran Jeffries - Sex And the Single Girl (1964)
Fran Jeffries - The Anniversary Song (1964)
Fran Jeffries & Tom Jones - You've Got What It Takes (1969)

 フラン・ジェフリーズが本格的な歌手なら、 趣味で歌ってたようなのが メリー・アン・モブレイ (Mary Ann Mobley) でしようか。 彼女も 1965年公開の 「クレィジー・ジャンボリー」 (Get Yourself A College Girl) の中で、 美声を披露してます。

 メリー・アン・モブレイは ミス・ミシシッピから 見事に 1958年ミス・アメリカに 選ばれました。 その時の映像が 残ってます

Mary Ann Mobley - Miss America Contest 1958



(Oct.27, 2011)

"American David" (アメリカのダビデ) by BONO

 エルヴィスから連想する言葉を綴った 「アメリカのダビデ」 (注:ダビデは イスラエルを統一した 王の名前) という詩を U2のボノが発表し、 2002年の "Elvis Lives" という トリビュート番組の最後で その詩を詠みました。 (上の映像)

 彼の最初の言葉、 「エルヴィスは白人のクズ (White trash)」 を聞いて、 真っ先に思い出したのが、 1977年、 エルヴィスが亡くなって、 しばらくしてから テレビに出演した時の 父親、バーノンの言葉です。 「あるテレビ・レポーターが 私たちのことを 『白人のクズ (White trash)』 と言っていたが、 私たちは確かに 貧乏であったにせよ、 決して 白人のクズではなかった。」 バーノンが 悲しそうな表情で こう言ったのを 思い出しました。

 エルヴィス・ファンを自称するボノの エルヴィスに対する認識が この程度であると思うと 私は悲しくなるのです。



(Oct.22, 2011)

FTD、E・ヨルゲンセンの愚行

 FTDから発売された "Fashion For A King" は 素晴らしく豪華な 写真集でありますが、 これに付属されたCDが 何とも惜しいことに なってます。

 何故、ヨルゲンセンは こんなことをしたのか?  付属された2枚のCDの内の1枚、 1974年7月1日、オマハのライブ盤に 思いもしない愚行が 施されているのです。 この日のエルヴィスは 2曲目の "I Got A Woman / Amen" の中の "Amen" で、 ルーティーンである J・D・サムナーの 爆撃機の低空飛行の 声真似をやるのを 忘れてしまいました。 それに気付いたエルヴィスは 3曲目の "Love Me" の後で、 再び "Amen" だけを 歌ったのです。 ところが このCDでは、 "Love Me" の後の "Amen" の部分を 切り取って、 2曲目の "I Got A Woman / Amen" の後に 挿入してあるのです。 何と言うことを ヨルゲンセンは したのでしょうか。 この愚行によって、 このライブCDは 価値が半減したのも 同然です。

 これが実際の映像。 "Love Me" - "Amen" - "Tryin' To Get To You" と歌っている。

 「エーメン」は 1963年公開の映画 「野のユリ」のために書かれた曲で、 この映画で シドニー・ポワチエが 黒人で初の アカデミー主演男優賞を 獲得しました。 日本公開時、 この映画の宣伝に 「エーメン」を歌う場面が 使われたので、 私は 何度 この場面を 観せられたか わかりません。

映画「野のユリ」より「エーメン」



(Oct.18, 2011)

ロミ山田、 エルヴィスが表敬訪問した 唯ひとりの日本人スター

 "I enjoyed your show" エルヴィス・プレスリーが ボディーガードを連れて 楽屋を訪れ、 こう言ってくれたことが ありました。 まだ独身で、 スマートな頃です。

 国立音大時代には プレスリーの音楽に 夢中になっていましたが、 レコードジャケットの彼は モミアゲが長く、 目が妙に垂れていて、 あまり好きでは なかったのです。 映画で歌っている時の クネクネした感じも、 ちょっと・・・・・・。 でも 本物を見たら、 写真よりずっと 感じが良かった。 爽やかで 学生のようでした。 この時の写真は 残ってません。 楽屋に居合わせた 中川久美さん(プロフィール) だけが、 このプレスリー訪問の 証人です。 (ロミ山田著「楽譜を抱いて」 より)

 映画「ラスベガス万才」の中で、 アン・マーグレットを ショーガールだと思い込み、 エルヴィスが ベガス中のホテルを 探し回るシーンがありますよね。 この場面に出てくるのが サンダーバード・ホテルで 上演中だった 「フラワー・ドラム・ソング」。

 「フラワー・ドラム・ソング」 は オール東洋人キャストによる、 ロジャース & ハマースタイン作詞作曲の ブロードウェイ・ミュージカルで、 映画化もされました。 ラスベガスで 初めて上演された ブロードウェイ・ミュージカルである 「フラワー・ドラム・ソング」は 記録的な ロングラン・ヒットと なります。 1961年12月から1962年11月まで、 1963年1月から6月までの 再公演の 全てにおいて ヒロイン役を務めたのが ロミ山田なのです。

 「楽譜を抱いて」 というロミ山田の著書に この時のことが 詳しく書かれています。 この本を読んで 初めて知ったのですが、 当時のラスベガスでは 同じタイムテーブルで 全ホテルが同時に 公演を行っていたことです。 夜の8時と12時の2回、 1時間半のショーと 組合規定で決められていて、 ブロードウェイ上演時は 2時間20分あった 「フラワー・ドラム・ソング」も 1時間半に 短縮されたそうです。

 また、ラスベガスの公演は年中無休で、 同じ時間に行われるために、 ショーの出演者は 他のショーを 観ることが出来ない。 そこで ベネフィット・ショーというのが 開催されていました。 エルヴィスも 度々行っていた 午前3時からの ショーのことで、 出演者はノーギャラで、 他ホテルのショーの 出演者やスタッフを 無料で招待して行われる。 これがラスベガスの 慣例だったそうです。



(Oct.12, 2011)

「ミリオン・ダラー・カルテット」 来年9月 渋谷で上演

渋谷東口の新劇場「シアターオーブ」、オープニング企画 8公演発表

 東急文化村は10月11日、 渋谷駅東口・旧東急文化会館跡地で 建設工事が進む 超高層複合ビル 「渋谷ヒカリエ」内の劇場 「東急シアターオーブ」の オープニング・ラインアップを 発表した。

 こけら落とし公演は、 国内では 48年ぶりの上演となる ブロードウェー・ミュージカル 「ウエスト・サイド・ストーリー」 (来年7月18日〜8月5日)。 今回上演するのは、 トニー賞受賞脚本家 アーサー・ローレンツが演出した リバイバル版となる。

 9月には、昨年ブロードウェイで上演され、 トニー賞を受賞した ロックン・ロール・ミュージカル 「MILLION DOLLAR QUARTET (ミリオン・ダラー・カルテット)」 を国内初上演。 1956年12月4日、 ジェリー・リー・ルイスさんや エルヴィス・プレスリー、 カール・パーキンス、 ジョニー・キャッシュが 米テネシー州の レコードスタジオに 「偶然」集結し行われた 実際のセッションにまつわる 物語となっている。

 その後、フランス版「ロミオ&ジュリエット」 (10月6日〜21日=予定)や オリジナルキャストによる ウィーン・ミュージカル 「『エリザベート』20周年記念ガラコンサート」 (11月上旬〜中旬) などを上演。 12月には、 国内の劇団「劇団☆新感線」 による公演や 世界三大テノールの一人、 ホセ・カレーラスさんの コンサートも予定する。

 音楽にフォーカスを当てた作品を中心に上演する同劇場。 「ウエスト・サイド・ストーリーは 自分の中に 思い入れがある作品。 戦争や紛争、 対立など時代を象徴しており、 純愛の要素も入っているので 若い方にも 共感していただけると思う。 ミリオン・ダラー・カルテットは、 (渋谷は音楽の街と言われているので)、 音楽好きの方も 巻き込んでいけたら」 と同社専務で 文化街区新劇場開発事業 準備室長 仁田雅士さん。 「優れたものであれば 和洋問わず上演していく。 柔軟な姿勢で やっていきたい」とも。

 東急シアターオーブの開業は来年7月18日。

 東急シアターオーブ

Million Dollar Quartet / ミリオン・ダラー・カルテット

【あらすじ】

 舞台は1956年 テネシー州 メンフィス。 カール・パーキンス、 ジェリー・リー・ルイス、 ジョニー・キャッシュ、 そしてエルヴィス・プレスリーという 豪華メンバーが集まり、 実際に行われた 伝説的セッション、 「ミリオン・ダラー・カルテット」 にまつわるストーリー。

 1956年12月4日、 メンフィスの サン・レコード・スタジオのオーナー、 サム・フィリップスのもとに、 なんの約束も計画もなく 偶然が重なって集まった 4人の若者達。 当時既に "Blue Suede Shoes" で成功を収めていた カール・パーキンス、 ピアノセッションとして どんどん実力を伸ばし、 後に ロックンロールの立役者として 有名となる ジェリー・リー・ルイス、 サンレコードのもとで カントリー・シンガーとして 人気急上昇中だった ジョニー・キャッシュ、 そして 55年まで サンレコード所属し、 今やトップチャート独占中の 大スター、 エルヴィス・プレスリーが 運命ともいえる 集結を果たしたのだった。

 一人一人集まってきて、 二重奏、 三重奏、 そして四重奏(カルテット)と ついに揃った4人のジャム・セッションは 歴史的サウンドとなる。 "Blue Suede Shoes," "Fever," "That's All Right," "Sixteen Tons," "Great Balls of Fire," "Walk the Line," "Who Do You Love?," "Matchbox," "Hound Dog" など ロックン・ロールから カントリー・ソングまで 名曲が次々に披露され・・・

 歌のタイプだけでなく、 価値観が全然違う彼ら、 それぞれのプライドもあって、 セッション中に 繰り広げられる人間模様が ストーリーを面白くしている。 最初で最後だった この音楽界のプリンスたち4人の 即興ジャム・セッションは、 サム・フィリップスによって録音され、 永久保存版の 「ミリオン・ダラー・カルテット」 となったのである。

 上演時間: 約1時間30分



(Oct. 6, 2011)

ビートルズの元広報、 ビートルズと エルヴィス・プレスリーの 密会を語る

 1962〜1968年の間、 ビートルズの プレス・オフィサーを務めていた トニー・バロウが、 1965年、 ビートルズが エルヴィス・プレスリーの 自宅を訪れた際の 秘話をBBCに語った。 彼らの一度きりの対面は、 ぎこちない会話に始まり セッションへと 発展していったという。

 当初、ビートルズのメンバーは マスコミが関与することを嫌い、 エルヴィス・プレスリーとの面会に 積極的ではなかったそうだ。 バロウはこう話している。 「ジョージ・ハリソンが こう言ったのを覚えてる。 "もしまた、 これがダーティーで でかい宣伝騒ぎになるんなら、 忘れよう" って。 彼らは、 自分たちの ロックンロール・アイドルには 会いたがっていたが、 リポーターやカメラマンの 軍団に囲まれ 騒がれるのは 嫌がっていた」 そのため、 この貴重な会合は、 撮影や録音をしない、 事前に 誰にも漏らさない というのが前提だったという。

 ビートルズのメンバーは、 1965年8月27日の夜、 USAツアーの合間をぬって ビバリーヒルズにある プレスリーの邸宅を訪ねた。 しかし、 せっかくヒーローに 会えたにも関わらず、 最初は 会話もぎこちなく 沈黙が流れるなど 盛り上がらなかったらしい。

 「両チームが向き合って、 変な沈黙が流れた。 最初に口を開いたのは ジョン・レノンだった。 きまり悪そうに “最近はなんで 映画のために ソフトなバラードばかり やってるんですか? 古きよき ロックンロールは どうしたんですか?” なんていう質問を 次々と口にした」

 それにプレスリーが どう答えたかは定かではないが、 彼は始終物静かで、 両者は なかなか 打ち解けなかったという。 そんな状況が一転したのが、 プレスリーが ギターを持ち出し、 ビートルズのメンバーに 手渡したときだった。

 「この時点まで、パーティーは活気がなく エキサイティングとは言えなかった。 でも、 プレスリーとビートルズが 一緒にプレイし始めた途端、 雰囲気はガラッと変わった」 「音楽は、彼らにとって 自然な合流点だった。 彼らにとって 最も理解し合える コミュニケーションの 手段だった」 「彼らがプレイした曲 すべては覚えてないが、 ビートルズの "I Feel Fine" があったのは 覚えてる。 リンゴは ドラムがなかったため 手で木製の家具を叩いてた。 みんな歌っていたよ」

 バロウが言うように、 このセッションが撮影、 録音されていなかったのは 残念だ。

 パーティーは、プレスリーの側近、トム・パーカー大佐の 「そろそろ終わりに」 という一声で お開きに。 彼は、 ビートルズのメンバーに プレスリーのアルバムが たくさん詰まったプレゼントを 贈ったという。

 「リムジンに乗り込むとき、 ジョンがヒトラーを真似て "Long live ze king" って叫んだのを 覚えてる」

 初期のころ、 プレスリーから多大な影響を受けた ビートルズ。 現在、 リバプールにある ビートルズの博物館 Beatles Story では、 Graceland と提携し、 ビートルズとプレスリーの 関係にせまった展示会 <ELVIS AND US> を開いている。

 ELVIS AND US



(Oct. 1, 2011)

ディオンヌ・ワーウィックの "ふられた気持ち" を 聴きやがれ!

 エルヴィスが録音した曲のルーツを 調べてる人は多いでしょうが、 それらの曲の オリジナル・シンガーの バージョンや ヒットしたバージョンを ただ単に エルヴィスのルーツと 決め付けるのは 正しくありません。 "ふられた気持ち" は もちろん ライチャス・ブラザースの 大ヒット曲なのですが、 エルヴィスが この曲を歌いたくなったのは ディオンヌ・ワーウィックの歌を 聴いたからなのです。

 ディオンヌ・ワーウィックの "ふられた気持ち" は、 メンフィスの アメリカン・スタジオで、 チップス・モーマンの プロデュースによって 録音され、 69年に 発表されました。 バック・コーラスは スウィート・インスピレーションズ。

 エルヴィスは アメリカン・スタジオのサウンドに 多かれ少なかれ 影響を受けてまして、 "明日に架ける橋" は サイモン&ガーファンクルでなく B・J・トーマス、 "スティームローラー・ブルース" は ジェームス・テイラーでなく ザ・マスカレイダース、 "ムービン・オン" は ハンク・スノーでなく ザ・ボックス・トップスの レコードが エルヴィスなりの ルーツなのです。

B.J. Thomas - Bridge Over Troubled Water
The Masqueraders - Steamroller Blues

 このことはどこにも書いてませんし、 アメリカン・スタジオとも関係ありませんが、 "明日は来ない" は アーネスト・タブでなく グレン・キャンベルの歌い方が エルヴィスに影響を与えたと、 私は思ってます。

Glen Campbell - Tomorrow Never Comes (1968年)
Glen Campbell - Tomorrow Never Comes (Shindig! 1965年)


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