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かわら版
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かわら版 2004.May

 エッセイ あるイベントへの寄稿文より

 クライマー各位

 拝啓、ここにお集りのクライマーのみなさま、如何お過ごしでしょうか。日頃よりそれぞれのクライミングに汗し、目指す目標に向けがんばっておられる事と存じます。

 また、今回の「クライミングイベント ○○○○○○○」の開催に際し、クライミング環境をより良くして行こうとする皆様の志に、心より敬服します。また、同じ関西でクライミングを愛好する者の一人として、改めて感謝致します。

 滋賀県のクライマー有志の集まりであるCLUB [GAZ]は、クライミング環境の改善を目的に活動を展開しようとするクラブです。過去には、信楽のボルダーエリアでの対応や、地元エリアでのボルト等の整備などにも関わってまいりました。

 今回ここで開催されるイベントの主旨と、我々が目指す活動との理念の違いはなく、継続的な支援も含め協力をしていこうと考えています。その一つとして、皆様の今後の活動の参考になればと思い、駄文ながら寄稿というかたちで、このイベントに参加させて頂いく次第です。

 先にもあった様に、私たちは活動の中でフィールドの整備や保護を行ってきました。しかし、それだけがCLUB [GAZ]が目指す活動ではありません。

 このクラブは、各クライマーが己自身のクライミングを考え実践していく場として、発足したものであります。クライミングの理念や環境・モラル、個々のメンタル面や登りそのものの追求、そしてそれらの継承も含め、クライミングを総合的に見つめる機会を創ることを、最大の目的としています。

 クライミングを実践される皆様はすでに感じておられると思いますが、個々のクライマーはそれぞれが独立した存在であります。百人百葉のクライミング観があり、各々自由な発想のもとクライミングを行っています。クライミングと言う概念の中で、フリー(自由の意)で行うこのスポーツは本当に素晴らしい。

 私自信、日頃よりこのことを強く信じ、またクライミングに出会えたことを大きな幸せと感じています。

 しかしその反面、この独立した存在であると言うことが、現在あるクライミング界が抱える諸問題を起こし、又解決を難しくしているのも事実です。概念を外れた、あるいは自由をはき違えた身勝手な行為や、それらを発端とするフィールドの問題などがあると思われます。

 前段のことはクライマー間で議論さて、いずれ淘汰されていくであろうと思います。でも、事がフィールドを含む第三者と関わる問題となれば、話しはそう簡単に行かなくなります。

 公共施設にある人工壁や営業目的のジムであれば、そこのルールや規定に従ってクライミングすれば良いでしょう。しかしそうでない場所、私たちが普段通うクライミングエリアと呼ばれる岩場は、どうでしょうか。あらかじめ所有者に了解を得て、それなりの条件のもと利用されるべき場所のはずです。エリアを開拓する者は当然ですが、本来ならそこに入るものすべてが、個々にその都度お許しをもらって利用するのが本筋なのかもしれません。

 しかし既成事実のもと、私たちクライマーはそうしたことを無視してきました。理由は簡単です。邪魔臭いから、面倒だからです。下手に説明して断られたら登れなくなるし、またその確率もきわめて高いからです。私たちは、今まで説明責任を果たして来なかったのだと思います。

 では、なぜきちんと説明できないのか。

 考えるに、私たちはクライミングを愛し、長く実践しているにも関わらず、それを言葉で発することが苦手で下手くそです。それに加え、クライミングが本質的に危険であると言うことを、隠そうとする嫌いもあります。

 第三者に対して語る時に、明瞭な解説が出来ないばかりか、その言葉の裏に嘘があれば、相手を説得する事など出来るはずがありません。

 また、サッカーやオリンピック競技などテレビでよく観られる比較的メジャーなスポーツと違い、クライミングはマイナーなスポーツです。世間の大部分の人は、クライミングを正確に理解していません。

 一般社会は、クライミングを知らないのです。

 これは私自身がCLUB [GAZ]の活動の中で、幾度となく体験し強く感じたことでもあります。クライミング界は、こうした一般に向けた認知活動を、今まで怠ってきました。そうした中で、他人にわかりやすくクライミングを解説し理解を求めることは、大変難しい事だと言えます。

 例えば、ある山中でクライミングに適した岩場を見つけ、仲間内でここを登ろうと言うことになったとします。みんなで相談した末、やはり登る前にはきちんと地主に了解を得ようと言うことになりました。

 ここで、あなたがその代表者になったと仮定して下さい。

 さあ大変です。あなたはクライミングはもとより、アウトドアスポーツを理解していないだろう地主に対し、この岩場でのクライミングの容認を仲間の代表として、いや全クライマーの代弁者としてお願いしなければなりません。

 どうでしょうか、普段考えたこともないような責任とプレッシャーを感じませんか。

 みなさんはこうした時にも、落ち着いて分かりやすく、クライミングを語る言葉を用意出来ているでしょうか。また、仮にこの交渉が失敗に終わったとして、上手く説明出来なかったこの代表者を責める事ができるでしょうか。

 冒頭の文中で、クライマーが自己責任で行うクライミングは、素晴らしいと申しました。しかしそれは自分だけ、あるいはクライマー同士だけの話しではないはずです。この自己責任の意味の中には、家族や親しい友人を含む、クライミングをしない第三者に対しても、自分が目指すクライミングをきちんと説明し理解を得ると言うことも、大きく含まれると私は考えます。

 このことは、非常に重要な事です。それぞれのクライマーが自分のクライミングを語る事は、このスポーツを認知してもらう最も的確で説得力のある方法だと考えます。そういう認知された環境であるならば、現在各地で起るエリアの諸問題も幾分は緩和され、またその解決の糸口も見い出しやすくなるような気がするのです。

 先に言ったようにクライミングをことばで語ることは、大変難しく労力を必要とします。でも、そうした事をさけることなく今一度クライミングを考え、また自分のクライミングを追求してみて下さい。言葉で語り合うことは、自分のクライミングを再認識し意識レベルを向上させ、ひいてはクライミング界に貢献することにつながるのです。

 アウトドア界の不遇やクライミングを取り巻く諸問題は、私たちを決して明るいとはいえない状況に追い込んでいます。このままでは、将来岩場でのクライミングが出来なくなることも、想像しなければなりません。そう考えれば、私たちはこの状況にいつまでも甘んじている訳にはいかないはずです。何としてでも、解決の糸口となる光をつくり出す必要があります。

 真っ暗な中での捜し物は、とても難しいです。でも、たとえ漆黒の闇であっても、発する光を見つける事は簡単にできます。もし、熱く語る事がその光明を創る事であるなら、事を解決していくことはそう難しくはないのかも知れません。

 『登りたいんや!』という、クライミングに対しての熱い思いを、大いに語り合ってみて下さい。そうする事が闇の中での光となる、と信じるのは私だけでしょうか。

 私たちクライマーの熱い情熱は、必ず伝わるはずです。               敬具

 

2004年  CLUB [GAZ]代表 大越 久嘉