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かわら版
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かわら版 2005.Mar

 『オウンリスクの覚悟』

「自己責任が原則です」
クライミングは危険を伴うスポーツです。たとえ「ルール」を守っていても時として最悪の結果を招く事があります。行動の結果が予測できない人や、予測できても、自分には受け入れられないと考える人は、クライミングをやるべきではありません。同様に、完全な安全を求める人は、クライミングを行うべきではありません。

「岩場は危険」
‥‥‥、岩場の安全性は誰にも保障されておりません。‥‥‥。

「道具に関する知識」
すべてのクライマーは自分の使う道具に関しての正しい使用法や知識を学ぶ義務を負っています。その知識の欠如は自分と関係者を危険な状況にさらします。

「ボルトなどの残置プロテクション」
岩場に設置されたボルトや終了点、その他の残置プロテクションの、その時点での強度やその信頼性は誰も保障していません。使用可否の判断はすべて、クライマーが行うものです。‥‥‥。

「ルート選び」
‥‥‥、自分の目で、そのルートは安全に取り付けるのか確認をすべきです。‥‥‥。

「登っている人が優先です」
先に登っている人(いま取り付いている人)に優先権があります。‥‥‥。

「ビレーヤーへ」
ビレイミスは重大な事故につながります。ギア、ポジションなど最善を尽くすべきです。‥‥‥。状況によっては、ベストなビレイを行っても、時として事故が発生します。ビレイヤーのみならず、クライマーもそのことを受け入れる必要があります。

「ボルダー」
着地ミスだけでなく、過度の飛び降りによる脊椎や腰部の損傷が多く報告されています。‥‥‥。

「スポッター」
ボルダラーとの意思の疎通が不十分だと、自分が押しつぶされてケガをするケースがあります。‥‥‥。

「クライミングジム」
営業施設だからといって、クライミングジムは決して100%安全なものではなく、そこにはジム固有の危険が潜んでいます。‥‥‥。

                              ROCK&SNOW 027 山と渓谷社 の記事より抜粋 

上記の記事は、日本フリークライミング協会(以下日フリ)のコメントとして発言されているものだ。
これまで真っ当なクライマーの意識として、自己責任でのクライミングは常識として認知されてきた。
しかし、それはあくまで個人としての意識であり、その域を越えるものではなかった。

今回の記事掲載は、日フリがこうした核心に触れるコメントを発することで、
今後のクライミングのあり方に方向性を与え、クライマーに啓蒙啓発したものと受け取れる。

価値観が多様化する今の世の中にあって、公共的な団体がこのようなコメントを発表することは、
簡単なようで実は難しい。
私は、この世界にオウンリスク(自己責任)を定着させた上でクライミングを発展させて行こう、
という日フリのスタンスに大きな意義があると評価し、これを支持したい。


ところでこのオウンリスク(自己責任)、自分の身に降り掛かると仮定するとなかなか大変である。

先日行われた、こどもを交えたクライミング教室でのこと。

ある小学生(高学年)の女の子がボルダリングの最中、飛び下り着地の失敗で右足首をねんざした。
マットに足をとられて、足首を捻ってしまったようだ。
こんなことはクライミング中には、よくあることだ。

事故直後、痛みは訴えるも患部に腫れはなく、本人もいたって元気。
大事をとって、氷でアイシングし包帯とテーピングで固定後、十分な休憩をとらせる。
その後この少女、みんなが登る姿を見て納得行かないのだろう、登る意思を見せる。

痛みを感じたらすぐ止めるよう指示して、保護者のもとで様子を診ながらクライミングをすこし楽しんだ。
でもやはり痛みを感じたのかしばらくして本人も自重し、
残りの時間を他の遊びで過ごしこの日の教室を終えた。
終了後改めて患部を診たが、幸い腫れもなくおそらく痛みも一週間もすればとれるであろう。
しばらく無理しないよう見舞って、この日バイバイして別れた。

たいしたことなくてよかったのだが、果たしてそれだけなのか。

この教室では、普段よりオウンリスクの考えやクライミング中の危険について、
ことあるごとに講議している。
だが、クライミングに事故は付き物だ、あくまで自己責任なんだ、と果たして言い切れるのか。

たとえどんな小さな事故であっても、そこにはかならず何らかの原因があり、その責任の所在があるはず。
そう考えると、安易に飛び下りたその少女にも過失はあった。
だが今回のケースは、私はこの教室の講師あり相手は児童であると言うことだけで、
ほぼ100%こちらの責任となる。
厳しいが、これが社会であり現実でもある。

思い返せば返す程もっと注意していればとか、降り方の説明は十分だっかなど、
至らぬことがたくさん出てきて、今さらながら反省しきりである。

今改めてこの少女には、早期での完治と痛い思いをさせて本当に申し訳なかったと謝罪したい。
また、次回の教室に再び元気な姿をみせてくれることを願うばかりである。

私自身もこのことでいろいろ考えさせられ、また多くのことを学ぶことができたようだ。
今回のケースだけでもいろんな場面に置き換え、シュミレーションすることができる。

こどもでなく大人だったら、プライベートだったら、他人だったら、自分だったら、岩場だったら、
もっと重大事故だったら‥‥。
そうした時、自分はどう対処するのか、また自己責任としてなにがあるのか。

こう考えると、オウンリスクとは決して自分のことだけでは済まないんだということ気付く。
自分の行動のすべてに対し、周りにいる人や仲間、パートナー、家族、
もっと拡大化解釈すればクライミング界や社会全般にいたるまで、その責任が問われている。

記事中には『行動の結果が予測できない人や、予測できても、自分には受け入れられないと考える人は、
クライミングをやるべきではありません。』とある。
我々クライマーは、相当な覚悟を持ってクライミングを実践して行かなければならないようだ。

しかし、恐れてばかりでは何も始まらない。
それらのことも受け入れてこそ、真の冒険者としてのクライミングがあるのかもしれない。

クライミングは、深い。