間口 2.8メートル
奥行 5.4メートル
高さ 6.3メートル
舞台は切妻造で両側に千鳥破風をつけ、棟端の鬼板枠内に「旭」の金文字を浮き出させています。亭は入母屋造の正面に千鳥破風と唐破風を、背面に千鳥破風をつけ、背面の中の間に露台へ一間張り出して一段低い向唐破風の向拝をつけています。この曳山の棟木に「奉成就八幡宮 御山一輌、宝暦拾庚九月吉晨 大工藤岡重兵衛作之神戸町」の墨書があり、宝暦十年(1760)に長浜神戸町の曳山として作られたものが後に米原に移されたことがわかりました。
明治33年 | 鎌倉3代記 八冊目 |
明治39年 | 一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の段 |
大正4年 | 恋女房染分手綱 |
昭和10年 | 神霊矢口の渡し 頓兵衛住家の場 |
昭和12年 | 鏡山旧錦絵 長局の段 |
昭和24年 | 源氏咲牡丹 重忠館の段 |
昭和25年 | 絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段 |
昭和26年 | 奥州安達ヶ原三段目 袖萩祭文の場 |
昭和27年 | 鏡山旧錦絵 長局の段 |
昭和28年 | 菅原箔縛授寺子屋 手習鏡四段目 |
昭和29年 | 先代萩御殿の場 政岡忠義の段 |
昭和30年 | 一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の段 |
昭和31年 | 菅原箔縛授寺子屋 松王下屋敷の段 |
昭和32年 | 神霊矢口の渡し 頓兵衛住家の場 |
昭和33年 | 彦山権現誓之助剣 六助住家之段 |
昭和34年 | 傾城阿波の鳴門 |
昭和35年 | 娘景清日向島人丸 子別れの場 |
昭和36年 | 絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段 |
昭和37年 | 増補忠臣蔵 本蔵下屋敷之場 |
昭和38年 | 吉崎御坊肉付面 嫁おどしの場 |
昭和39年 | 壺坂霊険記 沢氏宅より谷底まで |
昭和40年 | 娘景清日向島人丸 子別れの場 |
昭和41年 | 神霊矢口の渡し 頓兵衛住家の場 |
昭和42年 | 仮名手本忠臣蔵 七段目一力茶屋の場 |
昭和44年 | 奥州安達ヶ原三段目 袖萩祭文の場 |
昭和47年 | 絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段 |
昭和49年 | 伽羅先代萩 政岡忠義の段 |
昭和50年 | 仮名手本忠臣蔵 七段目一力茶屋の場 |
昭和52年 | 絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段 |
昭和53年 | 御所桜堀川夜討 弁慶上使の段 |
昭和55年 | 一條大蔵禅 御殿の場 |
昭和56年 | 児模様曽我館染 由比ヶ浜の場 |
昭和58年 | 伽羅先代萩 御殿政岡忠義の場 |
昭和59年 | 神霊矢口の渡し 頓兵衛住家之場 |
昭和62年 | 絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段 |
平成元年 | 仮名手本忠臣蔵 七段目一力茶屋の場 |
平成2年 | 伽羅先代萩 御殿の場 政岡忠義の段 |
平成4年 | 恋女房染分手綱十段目 重の井三吉子別れの場 |
平成5年 | 神霊矢口の渡し 頓兵衛住家の段 |
平成7年 | 御所桜堀川夜討 3段目 弁慶上使の段 |
平成8年 | 一條大蔵禅 御殿の場 |
平成10年 | 仮名手本忠臣蔵 七段目一力茶屋の場 |
平成11年 | 絵本太功記十段目 尼ヶ崎閑居の段 |
平成13年 | 神霊矢口の渡し 頓兵衛住家の場 |
平成14年 | 伽羅(めいぼく)先代萩 政岡忠義の段 |
平成16年 | 国訛嫩笈摺 どんどろ大師の場 |
平成17年 | 御所桜堀川夜討 3段目 弁慶上司の段 |
平成18年 | 絵本太閤記十段目 尼ヶ崎閑居の場 |