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(Sep. - Oct. 2015)
(Compiled by Haruo Hirose)
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(Oct.29, 2015)

故人の長者番付
マイケルさんの「年収」138億円=故人の長者番付、3年連続首位

 【ニューヨーク時事】 米誌フォーブスが27日発表した 最新の故人長者番付によると、 2009年に急死した 歌手マイケル・ジャクソンさんが 過去1年間で 1億1500万ドル (約138億円) を稼いで、 3年連続で 首位を維持した。 華麗な踊りと歌で魅了した マイケルさんの 根強い人気ぶりが 浮き彫りとなった。 主な収入源は、 ラスベガスで 常設公演されている マイケルさんを 題材としたショーや、 ソニーと合弁で設立した 音楽出版会社からの 収入など。
 2位には「ロックンロールのキング」で知られる エルビス・プレスリーさん、 3位は 人気漫画キャラクター 「スヌーピー」生みの親の チャールズ・シュルツさんが 入った。
 番付は故人の著名人を対象に、 昨年10月から1年間の 音楽関係の販売や出版、 ライセンスなどの 収入を集計した。


 フォーブス誌による「故人の長者番付」、 今年はこのように発表されました。

2015年 Dead Celebrity - Top 10

  1. Michael Jackson ($115M) 歌手
  2. Elvis Presley ($55M) 歌手
  3. Charles Schulz ($40M) 漫画家
  4. Bob Marley ($21M) 歌手
  5. Elizabeth Taylor ($20M) 女優
  6. Marilyn Monroe ($17M) 女優
  7. John Lennon ($12M) 歌手
  8. Albert Einstein ($11M) 物理学者
  9. Paul Walker ($10.5M) 俳優
  10. Bettie Page ($10M) 50年代のモデル

 これって、本当にちゃんと調べた上で、 発表してるのでしょうか?  2001年から2014年までの トップ5は 下記のように なってました。 エルヴィスの年収が 2011年から今年までの この5年間、同じ 5500万ドルに なってますよね。 5年続けて 同じなんて、 普通 ありえないでしよう。 私には 想像で書いてるとしか 思えません。

2001〜2014年、Dead Celebrity - Top 5

  • 2014年Top 5 @ Michael Jackson (140) A Elvis Presley (55) B Charles Schulz (40) C Elizabeth Taylor (25) D Bob Marley (20)
  • 2013年Top 5 @ Michael Jackson (160) A Elvis Presley (55) B Charles Schulz (37) C Elizabeth Taylor (25) D Bob Marley (18)
  • 2012年Top 5 @ Elizabeth Taylor (210) A Michael Jackson (145) B Elvis Presley (55) C Charles Schulz (37) D Bob Marley (17)
  • 2011年Top 5 @ Michael Jackson (170) A Elvis Presley (55) B Marilyn Monroe (27) C Charles Schulz (25) D John Lennon, Elizabeth Taylor (12)
  • 2010年Top 5 @ Michael Jackson (275) A Elvis Presley (60) B J.R.R. Tolkien (50) C Charles Schulz (33) D John Lennon (17)
  • 2009年Top 5 @ Yves Saint Laurent (350) A Richard Rodgers & Oscar Hammerstein (235) B Michael Jackson (90) C Elvis Presley (55) D J.R.R. Tolkien (50)
  • 2008年Top 5 @ Elvis Presley (52) A Charles Schulz (33) B Heath Ledger (20) C Albert Einstein (18) D Aaron Spelling (15)
  • 2007年Top 5 @ Elvis Presley (49) A John Lennon (44) B Charles Schulz (35) C George Harrison (22) D Albert Einstein (18)
  • 2006年Top 5 @ Kurt Cobain (50) A Elvis Presley (42) B Charles Schulz (35) C John Lennon (24) D Albert Einstein (20)
  • 2005年Top 5 @ Elvis Presley (45) A Charles Schulz (34) B John Lennon (22) C Andy Warhol (16) D Theodore “Dr. Seuss” Geisel (10)
  • 2004年Top 5 @ Elvis Presley (40) A Charles Schulz (35) B J.R.R. Tolkien (23) C John Lennon (21) D Theodore “Dr. Seuss” Geisel (18)
  • 2003年Top 5 @ Elvis Presley (40) A Charles Schulz (32) B J.R.R. Tolkien (22) C John Lennon (19) D George Harrison, Theodore “Dr. Seuss” Geisel (16)
  • 2002年Top 5 @ Elvis Presley (37) A Charles Schulz (28) B John Lennon (20) C Dale Earnhardt (20) D Theodore “Dr. Seuss” Geisel (19)
  • 2001年Top 5 @ Elvis Presley (35) A Charles Schulz (20) B John Lennon (20) C Theodore “Dr. Seuss” Geisel (17) D Jimi Hendrix (10)



(Oct.27, 2015) (Oct.24, 2015) (Oct.20, 2015)

Elvis Presley - "If I Can Dream" Trailer

If I Can Dream - Elvis Presley with the Royal Philharmonic Orchestra

    Tracklisting:
  1. Burning Love
  2. It's Now Or Never
  3. Love Me Tender
  4. Fever (feat. Michael Buble)
  5. Bridge Over Troubled Water
  6. And The Grass Won't Pay No Mind
  7. You've Lost That Loving Feeling
  8. There's Always Me
  9. Can't Help Falling In Love
  10. In The Ghetto
  11. How Great Thou Art
  12. Steamroller Blues
  13. An American Trilogy
  14. If I Can Dream



(Oct.20, 2015)

Las Vegas '73 - Steamroller Blues / You Gave Me A Mountain



(Oct.18, 2015)

ロックンロールが降ってきた日 ― 加山雄三

 高校1年になってから、 音楽の仲間ができ始めました。 我々の世代は、 今と違って ポピュラーな音楽に 触れるのが 遅かったんです。 僕がギターに 初めて触れるのも 高校になってからです。

 あるとき、高校の仲間と20人くらいで スキーに行きました。 そのとき、 仲間のひとりが ギターを 持ってきたんです。 僕がギターというものを 初めて見たのは そのときですね。 ところが、 ギターを 持ってきた友達は、 その時点で 飄々と カントリー・ウェスタンを 歌っているんですよ。 「ギターという楽器は 妙に哀愁が漂った 不思議な音色がするんだな」 と思いました。 今考えると、 そのギターは 普通のギターよりも 小さめの レキント・ギターだったんです。

 「このギター、いくらぐらいしたの?」と訊ねたら、 「質流れで500円で買ってきた」 と言うんです。 「ギターって そんなに安く買えるんだ」 と驚きました。 そのギターを 触ったんですけど、 弦を押さえるのに ものすごい力が必要で、 「ギターを弾くには 握力がいるんだなぁ」 と思いました。 そうしたら、 なんてことはない、 そのギターは ネックが反ってて、 弦がものすごく 浮いていただけの 話なんです。 それはあとになって わかったんですけどね。

 僕が「こんな楽器をよく弾いてるな」と訊くと、 「僕もよく知らないんだよ」 と言いながらも、 ちゃんと1曲歌うんです。 「アイ・ドント・ハート・エニモア」 という曲でした。 「二度と失恋したくない」 という歌ですね。 コードは3つしかないし、 それも ローコードだったから、 まあまあ 押さえられたんでしょうね。 僕もそれを真似して、 スリー・コードを すぐに覚えました。

 そういうことがあったので、 「なんとかギターを手に入れたいな」 と思うようになりました。 僕も中古の ギターを扱っている店に行って、 安いギターを買いました。 そのギターで 練習を始めて、 ジャンジャカ 鳴らしているうちに、 エルヴィス・プレスリーが 世の中に 出てきたんです。 僕は そこで初めて ロックと出会いました。

 当時のロックといえば、 エルヴィス・プレスリーとか ジーン・ヴィンセントとか 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」 を歌った ビル・ヘイリーとか、 その程度しかいませんでした。 「その程度」 と言ったら変ですけど、 ロックが 生まれたばっかりの頃でしたから、 今のように たくさんのアーティストや バンドが いたわけではありません。 我々はエルヴィスに 刺激を受けて、 「真似しようぜ。 我々もロックを 一緒にやろうぜ」 ということになったんです。 とはいえ、 僕たちの頃は、 映像で動くエルヴィスを 観られたわけではありません。 写真しかないので、 カッコいいかどうかは 音でしか 判断できませんでした。 映像でエルヴィスを観るのは ずっと後の話ですね。

 当時の若者はロックが日本に入ってくる前、 みんなカントリーをやっていました。 我々も カントリー・クロップスという バンドをやっていました。 メンバーは6人ですが、 最初のうちは 10人以上いました。 途中で 「そんなにいらないね」 という話になって、 6人が残ったんですよ。 なかには 楽器も何も持たないで、 ポケットに手を突っ込んで 歌っている奴とか いましたからね。

 残った6人のなかのひとりは フィドルをやっていました。 オーケストラの バイオリン弾きを 親に持つ仲間が いたんです。 カントリーには フィドルが どうしても 必要だったのですが、 その当時、 ちゃんと フィドルを弾ける メンバーがいるバンドは 珍しかったんです。 バンドに エレキを弾くミュージシャンも 必要になったので、 箱型のエレキを 手に入れて、 夢中になって エレキのパートを 練習しました。 ボーカルは メンバー全員が 担当したんですが、 みんな英語の発音が ひじょうによかったんです。

 当時、茅ヶ崎のアメリカンスクールに通っている女の子だちが、 うちの妹と 友達になっていました。 彼女たちは うちに遊びに来ると、 半分日本語・半分英語で しゃべっていました。 彼女たちは、 我々がバンドの 練習をやっているときも 聴いてるんですよ。 すると 「そこの発音が変だ」 と指摘するんです。 そう言われると、 我々も 頭にきますからね。 それで 英語の発音を練習したんです。

 あれはバンドを始めて2年か3年経った頃のことです。 知り合いのバンドから 「おまえら、ちょっと 米軍のベースキャンプに トラ(代打)で出てくれよ」 と言われたんです。 「英語の曲、 歌えるんだろう?」 と訊かれたので、 「できますよ」と答えたら、 「じゃ頼んだ」 ということになって。

 我々は、たしか横田基地かなんかに行って 演奏したんだと思います。 外国の人の前で 英語の曲をやるだけでも、 相当 度胸がいるんですが、 そこには 将校や兵隊が 山のようにいたんで、 さすがに 緊張しましたね。 ところが我々が カントリーの曲を演奏し始めた途端、 みんな ウワーッて 立ちあがったんです。 すごくウケて 自信がついたので、 次に エルヴィスの曲をやると、 会場はさらに すごいことになりました。 「トラを頼む」って 我々に言った人が 「今までこんなにウケた バンドはいないよ」 って言ってました。

 エルヴィスの音楽はFEN(米軍向けのラジオ放送)で よく聴いていました。 「ああ、今、この音楽が すごいんだな」 というふうに 自然な流れで 入ってきました。 アメリカン・スクールのみんなも 情報が早かったから、 エルヴィスのレコードを 手に入れるのも 早かったですね。 僕はそれを 聴かせてもらって、 「ラジオから聴こえていたのは これなんだ。 すごいな」 と思いました。 それを聴いた バンドのメンバーで、 エルヴィスを真似して やってみようということに なったわけです。

 当時、世の中で日本人がやっていたロックン・ロールには、 僕はあまりいい印象を 持っていませんでした。 「エルヴィスの曲を 日本語に訳して歌って どうなるんだろう?」 という気持ちがあったんです。 その過程で、 日本のロックが 生まれたわけですから、 それはそれとして 素晴らしいと 思うんですが、 その頃は 聴いていられませんでした。 それを観て 大騒ぎしている 女の子たちに対しても 「情けない」と感じたし、 「こういうことをやっていても、 どうにもならないのにな」 とも思っていました。

 みんなが最初にプレスリーから受けた衝撃は 同じはずなんですけど、 音楽に対する感性が 違うんだと思います。 言い方が悪い かもしれないですけど、 音楽に対する感性が 音痴だったんだと 思います。 音に対して鈍感って 言ったほうがいいかもしれません。 だから、 「情けないな」 と思っていました。 「エルヴィスを そんなギターの弾き方で 歌わないで欲しいな」 という思いがあったので、 エルヴィスの歌にしても、 できるだけ 原曲に近い音で やろうとしたんです。

 我々が学生時代の頃は、 音楽をカバーすることに対して ものすごく 突っ張った考えを 持っていました。 あくまでも 本物を追求したい というところが 強かったんです。 例えば、 エレキのソロにしても、 それから フィドルにしても、 発音やノリにしても、 全部 完全なコピーを 目指しました。 それだけ考えて やっていたので、 外国の人にも ウケたんだと思います。

 好きな曲と歌っている曲は ちょっと違いますけど、 僕が今でも歌っている エルヴィスの曲は、 「ザッツ・オール・ライト」 という曲です。 「ザッツ・オール・ライト」 はエルヴィスが初期の頃に レコーディングした曲です。 当時、我々のバンドでは 安部大助が歌っていました。 その声がエルヴィスに そっくりだったんですよ。



(Oct.14, 2015)

モートン・マーカー (Morton Marker) インタビュー

 最近になって、 "68 Comeback" 時の録音だと信じられていた "A Little Less Conversation" (リミックス盤の原曲の方) が そうでないと 分かったり、 "'68 Comeback" のセッションに関して、 まだ多くの不明な部分が 残っています。 そこで 色々と 調べてましたら、 こんな頁 を見つけました。 この頁の下の方に モートン・マーカーの インタビューが 載ってまして、 彼は "68 Comeback" の収録現場にいたと 言ってるのです。 気になったので、 訳してみました。



"Elvis, '68 Comeback Special"

 One day I got a call from Al Casey to do some work on the "Comeback Special" at NBC Studios in Burbank. I am not documented, and in reality I filled in for Al. It didn't matter to me. I was just glad to be in the same room with Elvis and Scotty Moore.

 ある日、アル・ケーシーから電話がかかってきた。 バーバンクの NBCスタジオでの 「カムバック・スペシャル」 の仕事をやってくれと。 僕の名前は 記録には載ってない。 実際のところ、 僕はアルの代理だったんだ。 そんなことよりも、 エルヴィス、 スコティ・ムーアと 同じ部屋にいられるだけで、 僕は嬉しかった。

 It was a rehearsal for Elvis to loosen up "very informal" just kicking around songs etc. Elvis came into the studio where we were running charts etc. The songs were mostly the 50s hits like "Blue Suede Shoes". We worked for a few hours. I used my Gibson L5 on this project. I bought a Gibson L5 in 1959, just like Scotty's. This will give you an idea of how big a fan of his I am.

 それはエルヴィスのリハーサルで、 ウォームアップのような くだけたものだった。 僕たちがコード進行を 確認しているときに、 エルヴィスが スタジオに入ってきた。 演奏した曲目は "Blue Suede Shoes" のような 50年代のヒット曲ばかりで、 2、3時間はやったかな。 あの時、僕は Gibson L5 を使ったんだ。 1959年に買ったもので、 スコティと同じギターだ。 これで、僕が 彼の大ファンだと 分かってくれるだろう。

 Anyways, after we were done with jamming, Don Randi (band leader) told me that Elvis really liked what I did on my guitar. I was just playing Scotty Moore all the way. Elvis did in fact make a comment during the rehearsal. While we were performing "Heartbreak Hotel", Elvis was right in front of us and then he turned and said to me, "that's it, that's it". He seemed really excited with my playing Scotty Moore licks.

 とにかく、ジャム・セッションの後で、 ドン・ランディが言ったんだ。 エルヴィスが 僕のギターを 気に入ってると。 僕はただ スコティ・ムーアのように 弾いてただけなんだ。 リハーサルの時に エルヴィスが そう言ったんだろう。 他に、 "Heartbreak Hotel" をやってた時、 エルヴィスは 僕の前にいたんだが、 僕の方を見て、 「それだ、それだ」ってね。 彼は僕の スコティ・ムーア風の演奏を 喜んでくれたようだった。

 I was in awe of Elvis and Scotty so I never said anything. I never told anyone for years that I played for Elvis, fearing they would laugh and not believe me. And I finally got to meet my idol at the live taping of the '68 Comeback. Col.Parker asked Don Randi if we could play some music for the audience coming in for the show. While I was playing I spotted Scotty walking over to where we were, and I started chatting with him. Scotty was trying to find his amp.

 僕はエルヴィスとスコティに、緊張のあまり 何も話せなかった。 僕がエルヴィスと 演奏したなんて、 誰にも 話したことはないんだ。 笑われそうだし、 信じてもらえないからね。 でも、 '68 Comeback の収録において、 やっと僕は アイドルに会うことができた。 パーカー大佐がドン・ランディに、 ショーの観客のために 何か演奏するように 言ったので、 僕たちが 演奏していたら、スコティが やってきたんだ。 彼はアンプを探してたんだが、 その時、 彼と話すことができたよ。

"The Trouble With Girls" Session ("トラブル・ウイズ・ガールズ" セッション)

 I got a call from producer Billy Strange to do work for a soundtrack session. When I got to the United Artist Recorders on Sunset Blvd. there was a security check. Billy did not tell me this was an Elvis session, so I was thinking it must be someone big. But once I got into the studio I knew it was for Elvis. I used my Gibson L5 and a Fender Telecaster. The session was really loose, Elvis was in a great mood, cutting jokes. There wasn't as much pressure as on the "Comeback Special".

 ビリー・ストレンジからサントラの仕事の電話がかかってきた。 サンセット大通りの United Artist Recorders に着くと、 セキュリティ・チェックが あったんだ。 ビリーは エルヴィスのセッションだと 話さなかったので、 どこかの大物だろうとは 察したが、 まさかのエルヴィス だったんだ。 ここでも Gibson L5 のギターと Fender Telecaster を使った。 セッションは くだけたもので、 エルヴィスもご機嫌で、 ジョークを言ってた。 "Comeback Special" の時ほどに プレッシヤーは 感じなかったよ。

 During a break, Elvis came over and chatted with us. He invited us to help ourselves to the food, they brought in a catering truck located in the back of the studio. Unlike other sessions, you never forgot working with him.Pictures weren't allowed on any Elvis project, so I am sorry to say I have non.

 休憩のときに、エルヴィスと話した。 彼らはスタジオの裏に ケータリング・トラックを つけて、 僕たちの分の食事まで 用意してくれてたんだ。 他のセッションと違い、 彼との仕事は 決して忘れることはない。 エルヴィスに関しては 写真を撮ることは 許されなかったので、 残念なことに 一枚もないんだ。



I Forgot to Remember to Forget - Morton Marker(Gt), Ed Greenwald(Vo)

Matchbox - Morton Marker (Vo & Gt)



(Oct.10, 2015)

「ソドレミの法則」

 先日、BSで「かしまし娘」のドキュメント番組を見てましたら、 彼女たちのテーマ・ソング 『♪ウチら陽気なかしまし娘、 誰が言ったか知らないが、 女三人寄ったら、 かしましいとは 愉快だね・・・』 が 「何故覚えやすく、 耳に心地よいのか?」 を宮川彬良さんが 説明してました。

かしまし娘

 宮川彬良さんが言うには、 「ソドレミの法則」というものがあり、 「ソドレミ」で始まる曲に ヒット曲が多いらしく、 この 「かしまし娘のテーマ・ソング」も 「ソドレミの法則」に 当てはまると 言うのです。

  ソドレミの法則 - google検索

 そこで、エルヴィスの歌で 「ソドレミの法則」に 当てはまるものはないのか? 探してみました。 下記の曲が 当てはまりそうです。 転調すれば ♯や♭が付くかも しれませんけど・・・。

 "Blue Christmas", "Anything That's Part Of You", "Tender Feeling", "It Keeps Right On A-Hurtin'", "She Wears My Ring", "Amazing Grace", "The Wonderful World Of Christmas".

 参考までに、「ソドレミの法則」に近いものとして、 "Loving You", "We Call On Him", "G.I. Blues" 等がありました。



(Oct. 7, 2015)

「ゴスペル、クラシック、壮大な曲が好きだった」

元妻が語る知られざる素顔

今年、生誕80年となる故エルヴィス・プレスリー。 彼の大ファンだった 小泉純一郎元首相が 9年前、 米国メンフィスの プレスリーの邸宅を訪ね、 はしゃぐなど、 日本では 根強い人気を誇る。 彼の元妻である プリシラ・プレスリーが、 貴重な知られざる素顔を 本誌に語ってくれた。

■ エルヴィスが生きていたら今年80歳。 もし生きていたら、 どんな音楽を聴き、 愛していたと思いますか?

 「それほど昔と変わらないと思う。 黒人音楽が中心。 特にゴスペルを 今でも聴いていたはず。 エルヴィスは 流行に惑わされるような 人ではなかった。 心の底から 自分に正直で、 同種の歌を 何度も歌った。 それを心から愛した。 デュエットも 好きだったから、 生きていたら マイケル・ブーブレなど きっと好きだったと思う」

■ エルヴィスは白人でありながら若いころから 黒人の音楽を歌っていました。 当時は 人種差別のある 保守的な社会で、 エルヴィスの姿勢は 先駆的でしたね?

 「エルヴィスは人種間にあった壁を砕いた人です。 でも意図的ではなかった。 幼いころ育った環境、 黒人音楽を聴いて 育ったことが、 自然に彼を そうさせたの。 教会で ゴスペル・ミュージックを 聴いたり、 教会の集まりに行って 彼らが歌うのを 聴いたりした。 そんな生い立ちが あったからこそ、 彼は人種差別や 偏見を取り除き、 前例のない歌い方を 生み出せたの。

 それまで白人シンガーは白人のスタイルで、 黒人シンガーは黒人のスタイルで、 というふうに 皆同じスタイルで 歌っていた。 ところが現在では そんな境界線はなく、 誰もが 好きなスタイルで 歌うようになった。 自由で オープンなスタイルで歌う。 あの時代は ラップなんてなかったし。 現在では白人、 黒人が一緒に 音楽作りをやっている。 美しいことだと思うわ。 ここに来るまでの道のりは 長かったけれど、 エルヴィスは そのきっかけを 作ったのだと思う」

■ 今やキング・オブ・ロックとして 20世紀を象徴する存在ですが、 エルヴィスは苦労も多く、 デビュー直後には 兵士として戦場にも行ったし、 音楽産業の体質も 保守的だった。 彼と苦労を 分かち合いましたか?

 「そう言われてみれば、そうだった。 エルヴィスは いろんな人から批判されたりもした。 初期のころ 宗教団体から 辛辣な批判を受けたこともあった。 彼のパフォーマンスが、 セックスを強く 示唆していると。 彼の歌が10代に 悪影響を与えているとさえ 言われた。 だから エルヴィスのお母さんは、 そんな記事の載った新聞を エルヴィスが見ないように 隠したりしたものだったわ。 彼自身は、 そんなつもりは なかったから。 音楽に合わせて 踊っているだけで。 エルヴィスは 軍隊に入隊した直後に そんな優しい母を亡くした。

 また軍隊から帰ってきたとき、 自分のバンドが 彼のことを待っていてくれるのだろうかと 心配した。 エルヴィスは 人気が最高潮のときに 入隊し、 兵士としての任務を 国のために遂行した。 軍隊から帰還したとき、 そのおかげで 人々はエルヴィスのことを、 真剣に受けとめるようになった。 入隊したおかげで 国民からの反応が すっかり変わったの。

 1968年のカムバック・スベシャル番組をやったとき、 彼はひどい不安に襲われたわ。 エンターテイナーとして 自分はまたやれるのかと 心配した。 長い間、 観客の前で パフォームしなかったから。 それはそれは、 ナーヴァスだったの。 それだからこそ、 あの夜の観客の熱い反応に、 とても感激していた」

■ あなたはエルヴィスの晩年、彼と離婚しましたが、 全盛期をパートナーとして支えました。 彼は多くのシンガーも 支援したようです。

 「音楽はエルヴィスにとって人生の源だったの。 だからこそ 人々は彼の歌を 理解できたのだと思う。 例えば 『イフ・アイ・キャン・ドリーム』 にしても、 彼の世界平和に対する 切実な思いが 込められている。 彼には偏見がなかった、 心から平和を望んでいた。 また私生活では 才能ある 若いエンターテイナーが出てくれば、 彼らを心から応援した。 そんな彼の人柄を ファンも知っていた」

■ 生誕80周年を記念し、 彼のヴォーカルに、 バックに ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の 最新演奏を加えた 記念すべき新譜 「イフ・アイ・キャン・ドリーム ー エルヴィス・プレスリー・ ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団」 が発表されます。 感想は?

 「とても緊張した。聴いた人が、 アルバムの意図を理解してくれるかしらと 不安になった。 特に ロイヤル・フィルに 特別に 演奏してもらったアルバムで、 エルヴィスの声に 手を加えていない、 という点は 重要だった。 彼の声を そのまま尊重して、 より壮大な音楽を 加えたの。 エルヴィスが 気に入ってくれた であろう形でね」

■ エルヴィスは様々な音楽を聴かれていたそうですが、 特にクラシックのオーケストラは お気に入りだったそうですね。

 「そうなの。特に壮大な音でしめくくりがドラマチックな曲というのを好んだ。 次第に盛り上がっていく、 オーケストラをバックに 歌うのがとても好きだった。 オーケストラのサウンドを、 情熱的に愛していたの。 だから生きていたら、ロイヤル・フィルとの共作を 気に入ってくれたと 思うわ」

■ 今回のアルバムでオーケストラを使って彼の曲をよみがえらせる意図は?

 「昔の曲を、新たにオーケストラを加えて リフレッシュしたかった。 時代も変わったし、 エルヴィスの音楽を 時代に適応させるのは 大切なことだわ。 それでなければ 忘れ去られてしまうから。 もしこのアルバムをきっかけに、 新しいファンが 獲得できたら嬉しい」

■ あなたは選曲に関わられましたが、どんな点に留意しましたか?

 「エグゼクティヴ・プロデューサーのドン・リードマンが、 そもそも このアルバムの コンセプトの発想者で、 私のところに 話を持ちかけてきたの。 私の意見も聞いてくれて、 彼もそれを 気に入ってくれた。 レコード会社の 意見も入れて、 皆で一緒に選曲し、 お馴染みのヒットだけでなく、 あまり知られていない B面の曲なども 積極的に入れた。 黒人音楽に対する エルヴィスのテイストは とても広くて、 例えばゴスペルの 『偉大なるかな神』や、 『アメリカの祈り』など、 壮大なオーケストラの 演奏が映える曲だと思うの。 『明日に架ける橋』 にしてもそう」

■ 個人的に、絶対に入れてほしいと思った曲は?

 「特にないわ。選曲は全員で話し合って決めた結果なの。 例えば、 『アメリカの祈り』は 個人的に 凄く好きだから 私が提案したの。 ドンの腕によって 今回素晴らしい曲に 仕上がったと思うの。 彼に喝采を送りたいわ」

■ 世界中にエルヴィスのファンはいますが、 残念なことに 来日はされていません。 生前、何か日本について コメントしたことは?

 「もし生きていたら、絶対来日していたと思う。 日本に自分のファンが 大勢いることも 知っていた。 あんな遠い国に 自分を愛してくれる人がいるなんて 信じられない、 と言っていた」

 音楽ライター・ 高野裕子



(Sep.28, 2015)

<エルヴィス関連 テレビ番組のお知らせ>

■ 今夜 9月28日(月) 20:00〜20:54 初放送(?)
  BS-TBS  「世界一周 魅惑の鉄道紀行
#127 アムトラックで行く! アメリカ 1,000キロの旅

(内容)
 アメリカン・スピリッツに触れる旅。 ジャズ発祥の地 ニューオリンズから、 エルヴィス・プレスリーが 愛した街 メンフィス、 そして セントルイスへ、 古き良き 開拓精神に触れます。



(Sep.14, 2015)

「エルヴィス、ザッツ・ザ・ウェイ・イット・イズ」(極音)上映

立川シネマ・ツー (JR立川駅より徒歩6分)
東京都立川市曙町2-42-26  (地図)

毎月19日は「立川エルヴィスの日」続映決定!!

■ 「ELVIS: That's The Way It Is」
■ 上映時間 9/19 (土) : @ 10:00〜


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