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Baru−baru ini keadaan di JAKARTA
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- 7月30日
2週間程ジャカルタを離れ、ジョグジャカルタへ行ってきました。ジャカルタとはまた違って比較的のんびりとした感じをうけました。 また、人の温もりを感じられるそんな旅だったような気がします。今夜、帰国するため、また後日HPの更新をしたいと思います。
それにしても、ここしばらくの間にジャカルタではまた物価が上昇しているようです。
- 7月11日
最近、物価がまた上がりだしたようです。『よろずインドネシア』の掲示板にも投稿がありましたが、郵便料金の大幅な値上げで今日、日本へ出した手紙の表面は切手だらけになってしまいました。
パサール(市場)でも食用油(Rp.4000/1Kg、1人2Kgまで)を買い求める人の行列が出来ていました。 Rp.4000/1Kgという価格はこちらの人にとって決して安いものではないようですが、料理には欠かせないものであるためどうしても確保しておきたいということです。
食品をはじめ生活必需品の50%以上もの価格上昇は家計を相当厳しくしているようで、私が目にする限りパニックにはなっていないものの、みなさんため息をついています。
- 7月10日
JAKARTA FAIR’98へ行ってきました。お客さんの数は結構多かったですが、今の経済状況の反映でしょうか去年に比べ規模はかなり小さめでした。 去年は電気製品やオートバイなど高価な商品の出展ブースも多く見られたのですが、今年は衣類や靴など比較的安価な商品のブースで占められていたように思います。
インドネシア各地の民芸品などのブースも多かったですね。東ティモールからもありましたよ。
会場の建物の外はほとんどフリーマーケット状態・・・ポスター・指輪・サングラス・ぬいぐるみ・カセットテープ・靴・帽子・おもちゃ等々
家族連れやカップルの夜のほんのひとときと言った感じでしょうか。
・ビニール風船を売っていたお兄ちゃんたち
・こっちは帽子売りのおじちゃん
・未来のKOTA?
・遊園地
・JAKARTA FAIR名物?KERAK TELOR 丸い卵焼き(えびの粉末、もち米、たまねぎなどを卵にまぜて焼いたもの・・・らしい。)
- 7月 5日
今日、デポックへ行ってきたのですが、6日が祭日のためジャカルタから出る電車は家族連れやカップルなどの人でいっぱいでした。 みんな、ボゴールやバンドゥンなどの涼しい所へ遊びに行くそうです。 しかし、乗降口が開けっ放しの満員電車はとても恐いです。運転席にまでお客さんは乗っていますし、それでも電車の中に入れない人は屋根の上に乗って・・・、なんでもありありの状態です。
乗降口から身を乗り出しているため、中には何かにぶつかって倒れ運び出されている人や走り出した電車から落ちている人などもいました。危ない危ない。
- 7月 3日
少し前に新聞にも記事が載っていたのですが、最近、ベチャが走っているのをよく見かけるようになりました。 観光客としては物珍しさもあるかもしれませんが、車やオートバイがスピードを出してすれ違う狭い道路が多いところでは、『ベチャが走ると危ないよ』という声も聞こえてきます。
また、今まではいなかった所でも新聞などの物売りが見られるようになり、それに加え大人たちに混じって路上で働く6,7歳くらいの子供たちの姿も多くなったように思えます。これも今のインドネシアの経済・社会状況が身近に表れている一面なのでしょうか・・・。
- 7月 2日
今日は久しぶりにジャティネガラへ行って来ました。相変わらず人と車であふれ、活気のあるところです。(人と車でゴチャゴチャしているだけとも言えなくはないですが・・・ ^^;) それにしてもここは実に色々な物が売られています。衣類等の繊維製品をはじめ、電気製品、靴、化粧品、ぬいぐるみ、おもちゃ、本、金魚、鳥、果物などなど、釘一本から安い日用生活雑貨とたくさんのワルンで溢れています。 ちょっと路地裏に入ると人一人がやっと通れるくらいの道の両側にぎっしりと小さなお店が並び、私たちにはガラクタにしか見えないような物まで売られています。
私たち外国人にも安く売ってもらえるとありがたいのですが、これがなかなか・・・。また、人ごみの中、スリにも気を使います。
そして、やはり暴動の痕跡は所々で残っており、プラザジャティネガラもまだ閉店していました。
- 6月22日
特にこれといった緊迫感はなかったのですが、今日は街中の軍の数がいつもより多く感じられました。 グランドハイアットやインドネシア大学付近には、暇そうにはしていましたが銃を持った兵士がたくさん見られました。
さすがに銃口が間近で自分の方へ向けられているとドキッとしてしまいます。いつものごとく早足で兵士の前を通り過ぎる私でした・・・。 他の人たちも兵士たちとは目をそらしてそそくさと通り過ぎているように見えるのは私だけでしょうか・・・?恐い、恐い。
- 6月19日
今日はジャカルタの南にある、デポックへ初めて行ってきました。ジャカルタと違いのんびりとした生活風景が見られます。 家のまわりや道路には鶏がたくさん歩きまわり、果物などの植物が豊富に根をおろしています。ただ、ゴミが非常に多いのが気になりましたが・・・。
ジャカルタではバジャイがたくさん走っていますが、こちらではそのかわりにベチャが交通手段としてまだ多く残っています。
ここでは何件かのお家を訪ねたのですが、古いながらもきれいに整頓された部屋や必ずと言っていいほど壁に家族の写真がどの家にも飾られていたのが非常に印象的でした。
初めて電車にも乗りましたが、ドアを開けっ放しで走るのはちょっと恐かったです。
- 6月15日
最近は暗い話題ばっかり・・・。
ちょっと一息入れて新鮮な果物はいかがですか?REFORMASIばかりがインドネシアではないのですけどね。 今回これだけ話題になってインドネシアの名前が広く知れ渡ったのですから、もっと文化的な側面からも広く取り上げてもらえると良いのですが。
- 6月12日
7月3日に無事ジャカルタへ到着することができました。予定していたガルーダが欠航になり、日本アジア航空・バリ経由でジャカルタ入りしました。 飛行機は半分くらいが空席だったでしょうか・・・。みなさんからのMAIL等でもう大丈夫との連絡はもらっていたのですが、やっぱりちょっとドキドキしながらスカルノ・ハッタ国際空港を後にしました。
この1週間程ジャカルタの街中を歩いてみたところ、小さなデモは何回か目にしましたが、ほぼ平静を保っているようです。 路地裏ではバドミントンやサッカーをする子供たちの姿もよく目にするようになり、表面上は以前の生活風景が見られるようになっています。 しかし、真っ黒に焼け焦げたビルや家、そして投石で割られたらしい窓ガラスの数々は今回の暴動の激しさを知るには十分過ぎる程です。 特にKOTA、GLODOKの被害の様子は大変なものですが、焼け焦げたビルを背に道端ではたくさんの露店が商売を始めています。 ただ、異様に安い値段で売られているものも目につき、ちょっと気にはなりますが・・・。
(些細なことですがカメラを向けると照れたり、ニコニコしながら集まってくる子供たちの姿はどこでもいっしょですね。)
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とあるバス停の前にて
このような落書きは大分消されたようですが・・・
SUHARTO HARUS TURUN HIDUP REFORMASI
『スハルト辞めろ 改革万歳』 といったところでしょうか・・・
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