INDONESIA−インドネシア共和国 Republic of Indonesia  -  Republik Indonesia
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インドネシア共和国

エメラルドの首飾りと讃えられるインドネシアの列島群
東西5000kmを超える雄大な国土
1万数千もの島々と200とも300とも言われる民族と言語
『Bhinneka Tunggal Ika』
多様性の中の統一を掲げるインドネシアとは






概  略

  • 国家

    正式名称はインドネシア共和国(Republic of Indonesia  インドネシア語ではRepublik Indonesia)。立憲共和国で、1945年8月17日に独立を宣言した。首都はジャカルタ。国民協議会(MPR)が国権の最高機関であり、5年毎に大統領を選出する。インドネシア建国の理念となっているのが、憲法の前文に明記されているパンチャシラ(Pancasila)としての五原則である。
    パンチャは「五」、シラは「徳の実践」を意味するサンスクリット語である。

    パンチャシラ−インドネシアの建国五原則

    1.全知全能の神への信仰
    2.公正にして開明的な人道主義
    3.インドネシアの統一
    4.協議と代議制による民主主義
    5.インドネシア国民に対する社会主義

    パンチャシラ五原則は、1945年6月1日の「独立準備委員会」の席上、スカルノが独立インドネシア国家の理念として初めて公式に提示し、同年8月17日発布の共和国憲法の前文に記載された。
    国章である想像上の鳥ガルーダの胸に抱かれた盾にはパンチャシラのシンボルマークが描かれている。また、このガルーダの足が掴んでいるリボンには「BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)」と記されており、これがインドネシアの国家標語になっている。
    「多様性の中の統一」はマジャパヒト王朝期に古代ジャワ語で書かれた詩篇の一句からとられている。


    インドネシア共和国(外務省)
    国旗や人口、面積をはじめとするインドネシアの基礎情報から現在の社会情勢・安全情報など。


  • 地理・国土

    インドネシアの総面積は約190万平方キロで、日本の約5倍。北緯6度〜南緯11度、東経95度〜141度に位置し、東西5100km、南北1900kmの広大な領域に13000もの島からなる世界最大の群島国家である。
    地理的には、スマトラ、ジャワ、カリマンタン、スラウェシの4島を大スンダ列島、バリ島からティモールにかけて連なるように浮かぶ鎖状列島を小スンダ列島と呼び、その他マルク諸島、イリアン・ジャヤの4つのグループに分類される。
    また、ロンボク海峡とマカッサル海峡を貫く形でウォーレス線と呼ばれる生物学上の境界線が走っている。これを境にして西側にはアジア型の生物が、東側にはオーストラリア型の生物が生息している。


  • 気候

    インドネシアは熱帯性の気候に属し、基本的に高温多湿で年間を通じてあまり気候の変化はない。一年はモンスーンの影響により雨季と乾季に分けられるが、地域によって時期は多少異なる。また、山岳部や沿岸部など地理的条件によっても変わってくる。おおよそ、10〜3月が雨季で、4〜9月が乾季となる。


  • 時差

    東西5000kmにも及ぶインドネシアには3つの時間帯があり、スマトラ・ジャワ・カリマンタンは日本より2時間遅れ、バリ・スラウェシ・ヌサトゥンガラは日本より1時間遅れ、マルク、イリアン・ジャヤは日本と同時間。


  • 世界遺産

    [ジャワ島]
     ・ボロブドゥール寺院遺跡群(1991年−文化遺産)
     ・プランバナン寺院群(1991年−文化遺産)
     ・サンギラン初期人類遺跡(1996年−文化遺産)
     ・ウジュン・クロン国立公園(1991年−自然遺産)

    [スマトラ島]
     ・スマトラの熱帯雨林遺産(2004年−自然遺産)

    [コモド島]
     ・コモド国立公園(1991年−自然遺産)

    [ニューギニア島]
     ・ロレンツ国立公園(1999年−自然遺産)


  • 人種・人口

    インドネシアの人口は約2億人で世界第4位。総面積の7%のジャワ島に人口の約60%が集中している。

    [主な民族]

    アチェ人
    スマトラ島の最北部に位置するアチェ。イスラム色が強い。話術にたけ商売上手。

    ミナンカバウ人
    西スマトラ地方。パダン人とも呼ばれる。母系社会で知られ、家長が女性。

    バタック人
    スマトラ中北部。プロテスタントが多い。エラの張った顔立ちが特徴で四角い顔の人を「オラン・バタック(バタック人)」と呼ぶことがある。

    ブタウィ人
    ジャカルタがバタビアと呼ばれていた頃から定着している生粋のジャカルタ人。

    ジャワ人
    ジャワ島。インドネシア一の多数派民族。曖昧な表現や遠慮がちな点は日本と類似する。ほとんどがイスラムではあるが熱心さという点では他の地域と比べやや傾向が異なる。

    スンダ人
    ジャワ島西部に住む。同じジャワ島でもジャワ人にやや対抗意識があるよう。「遊び好き」というイメージを持たれがち。

    バドウィ人
    ジャワ島西部の小さな村に住む。外部との接触をほとんどもたず、電気・水道・プラスチックなど文明の産物をことごとく拒絶する特異な民族。移動も徒歩のみ。

    マドゥラ人
    ジャワ島東部のマドゥラ島に住む。漁業や船舶関係に携わる人が多い。

    ブギス人
    スラウェシ島南部に住む。イスラム教徒が多い。海洋民族として知られているが、昔は海賊として恐れられていた。

    トラジャ人
    スラウェシ島中央の山岳地帯に住む。独特の伝統家屋で知られている。キリスト教徒が多いが、アニミズム的影響もまだまだ強い。

    マナド人
    スラウェシ島北部に住む。オランダ、ポルトガル、中国系との混血が多く、その多くがプロテスタント。

    ダヤク人
    カリマンタン島の内陸部に住む。プロテスタントが多いが、伝統的な生活習慣や風習は今も残っている。少し前まで首狩りの習慣があった。

    バリ人
    世界的に人気のあるバリ島。ヒンドゥ教徒がほとんど。インドほどではないが、カースト制度は未だに健在。

    ヌサ・トゥンガラ人
    ロンボク島以東に位置する島々、小スンダ列島。島によって宗教や風習も様々で、複数の民族が伝統的な生活をしている。

    アンボン人
    マルク州の州都アンボン。一般的に肌の色は黒くキリスト教徒が多い。歌のうまさで有名。

    イリアン人
    イリアン・ジャヤに住む。プロテスタントが多い。

    インド系インドネシア人
    商業の盛んな都市に集中している。

    中国系インドネシア人
    人口のわずか数パーセントの中国系住民がインドネシア経済の大半を動かしている。中国系住民とその他のインドネシア人との溝はかなり深いものがある。

    アラブ系インドネシア人
    貿易の盛んな都市部に住む。



  • 宗教

    インドネシアでは信仰の自由が認められており、様々な宗教が混在している。約90%がイスラム教、次いでプロテスタント、カトリック、ヒンドゥ教、仏教となっている。 また政府が公認したものではないが土地固有の祖先崇拝信仰であるアニミズムも各地に残っている。 ただし、信仰の自由とはいえ政府公認の5大宗教のうちいずれかを信仰しなければならないことになっており、無宗教というのは認められない。 インドネシアでは共産党が非合法化されており、「無宗教=共産党」と考えられているためである。

    イスラムは主にスマトラ、ジャワ、西ヌサトゥンガラ、南カリマンタン、東南スラウェシで、カトリックは東ティモール(現在は独立)、東ヌサトゥンガラ、プロテスタントは北スラウェシ、イリアン・ジャヤ、マルク、北スマトラに多い。ヒンドゥはバリ島住民を仏教は中国系インドネシア人を中心に分散している。


  • 言語

    1945年日本の敗戦とともにインドネシアは独立を宣言し、これら複数の民族がインドネシア人としてひとつにまとまり、植民地時代以前から群島部の港市の商業用語として広く使用されていたムラユ語を母体としてインドネシア語と名付け国語として統一した。 マレーシア連邦の国語としてのムラユ語はマレーシア語と呼ばれ、これもムラユ語の変種のひとつである。 小学校からインドネシア語の教育を始め、現在ではラジオやテレビの普及によりおもな地域ではこの国語が理解されるようになってきた。 このインドネシア語が多数の民族をひとつにまとめる役割のひとつを果たしてきたようである。現在では国民の70%がこのインドネシア語を話せると言われている。しかし、繰り返される地方反乱や分離独立運動を見ても「インドネシア民族」であることを共通の国民意識にまで高めるのは容易なことではないようだ。

    尚、300とも400とも言われている多民族を抱えるインドネシアでは、各地方により独自の言葉も併せ持っている。ジャワ語、スンダ語、マドゥラ語、ミナンカバウ語、ブギス語、バタック語、バリ語などがある。

    紀元前4500年頃の中国南部(東南アジア大陸部)における「古オーストロ=タイ語群」が分化して紀元前3000年の台湾・東南アジア群島部に「古オーストロネシア語群」、さらに分化して紀元前2500年以降に東南アジア群島部の「マレー=ポリネシア語群」が形成されたと考えられている。「古オーストロネシア語」は既に農耕、家畜飼育、カヌーの使用などを示す言葉を含んでおり、「マレー=ポリネシア語」はタロイモ、ヤマイモ、バナナ、サゴヤシなどを示す言葉を残している。紀元前1000年以降になると「マレー=ポリネシア語」はさらに古語のマレー語、アチェ語、ジャワ語、バリ語などへの分化が進んだと考えられる。群島部では大規模な定住化や階層化は大陸部より遅れたようであるが、ジャワでは後のインド文化の吸収に先行する時代から、既に「土地の有力者」の称号である「ラトゥ」や「ラカ」という言葉が存在した。


  • 古代インドネシア

    ジャワ原人
    1891年、オランダ植民地軍の軍医デュボアがジャワ島のソロ川中流の河岸トリニールで人頭骨の化石を発見し、これがサルとヒトとの中間的存在であることが判明すると、「ジャワ原人(約130〜50万年前)」として世界の原人研究の出発点となった。その後、ジャワ島を中心に「ソロ人(約20〜10万年前)」などの化石人骨が次々に発見され、原人からヒト(ホモ・サピエンス)への進化の過程が明らかにされつつある。
    石器時代に関する遺跡・洞窟も多数発見されており、人間の狩猟・採集生活から農耕定着生活への移行過程の解明にとって有益な手がかりとなっている。旧石器時代については、ジャワ・パチタン文化(約5万年前)、中石器時代は中部スマトラのティアンコ・パンジャン洞窟(B.C.8300〜7260年)、東部ジャワのラワ洞窟、西部ティモールのニキニキ洞窟、南部スラウェシのウル・レアン洞窟(B.C.8550〜3790年)、新石器時代は東部ジャワのマルジャン洞窟などが知られている。
    初期農耕文化は、石器を利用してイモ類、バナナ類、サトウキビなどを焼畑で栽培する「根菜農耕文化」であったと言われており、湿潤気候帯の東南アジア群島部でも石器時代と見られる多数の遺跡、洞窟が発見されている。
    インドネシア群島での農耕社会の起源を示す考古学的発見は乏しいが、紀元前3000年には西武ジャワのシティ・グヌン、紀元前2000年にはスマトラのトバ湖やパダン湖の沼沢地でいずれも森林伐採と開墾地での「火入れ」が行われていた痕跡があり、焼畑移動農耕の開始が予想される。

    交  易
    ベトナムから伝わったとされる青銅の大太鼓が東南アジアのほぼ全域で発見され、群島部でも青銅器と鉄器が紀元前5世紀以降に使用されており、ジャワ島、バリ島などでは銅鼓やその他の青銅器の製造技術が紀元前のうちに定着したものと見られる。金属文化の普及はインド、中国との交易以前にかなり大規模な交易関係が東南アジア域内で成立していたことをうかがわせている。この他、スマトラやヌサ・トゥンガラ諸島などで知られる巨石文化の形成も金属器文化とほぼ同時期であり、副葬品の中には青銅器、鉄器、精巧な陶器、豪華な装飾品をつけた衣類などが含まれている。巨石墓の建設は、地域社会の指導者あるいは共通の祖先を祀るという観念が発達してきた証とも考えられる。またこの時期にはスラウェシ、ジャワ、バリなどで先行の土坑墓と並行して甕棺墓も発見されており、巨石墓と同様の副葬品が収められている。このような金属器文化時代の始まりはインドネシアではインド起源のサンスクリット語碑文が現れるより、およそ300〜600年以前の時代である。

    農  耕
    東南アジアでは陸稲が水稲に先行して高地の焼畑移動農耕で普及したが、やがて高地から盆地、さらに低地にも米作が普及すると、定着農耕による米生産進展したものとみられる。低地での稲作農耕は紀元後からジャワ東部などで普及し、8世紀頃までに定着したようである。特にジャワの稲作は移植(田植え)の技法が早くから発達したことで、高い生産性を実現したと言われている。ジャワの水田は火山物質が流れ込む肥沃な沖積平野で発達し、水牛による犂起こしが普及すると、水牛の排泄物を肥料として有効に活用した。

    最古の国家
    東南アジア群島部の最古のサンスクリット語碑文が、東部カリマンタンのクタイで発見されており、南インドのパッラヴァ文字で書かれたユパと呼ばれる石柱から、ムーラヴァルマン王が支配するヒンドゥ国家(クタイ国)が4世紀末には成立していたことが知られる。また、同じクタイ地方からはインドのガンダーラ様式の仏像も出土しており、すでに4世紀にはインド文化が伝播していたことになる。
    クタイ国に続いて西部ジャワにもインド系の王国タールマーが5世紀中頃には成立していた。現在のボゴールで発見された碑文はクタイと同様にパッラヴァ文字で書かれたサンスクリット語碑文であり、プールナヴァルマン王の功績を讃えている。5世紀初頭、中国僧の法顕はセイロンからの帰路、タールマー王国と考えられるジャワの王国に立ち寄り、ヒンドゥ教が盛んであったと「仏国記」に書き残している。法顕の記録によれば、すでにこの頃にはクタイ国がインドと中国を結ぶ海上交易の中継点となっていたようである。


関連リンク

外務省 各国・地域情勢(インドネシア共和国)
在インドネシア日本国大使館
東方観光局 在日・在外公館アドレス
東方観光局 インドネシアの歴史
東方観光局 インドネシアの地勢・気候




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