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Previous Elvis News (Feb., 2009)
(Compiled by Haruo Hirose)
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(Feb.27, 2009)

すべては これから始まった

"He Ate Too Many Jelly Donuts"
by Rick Dees & His Cast Of Idiots

 アメリカで 最も有名なDJのひとりに リック・ディーズ (Rick Dees) という人がいます。 彼はラジオを中心に 活躍してるので、 日本では 一部の アメリカン・ミュージック・ ファンを除いて 知ってる人は ほとんどいないでしょう。

 現在、米軍放送、 AFN (昔のFEN, 810 Hz)で 毎週土曜日、 昼12時から 放送されてる ウィークリー・トップ40 (Weekly Top 40) の人気DJです。

 2003年にCDデビューしたリサも、 ロサンゼルス、 KIIS-FMの リック・ディーズの 番組を訪ねて、 プロモーション活動してます。 それほどに 影響力を持った DJなのです。
 リック・ディーズは 70年代中頃、 メンフィスのラジオ局 WMPS の朝の番組を 担当してました。 下記リンクのような ナンセンスな DJぶりが バカ受けしたのです。

Elvis talking about nekkid girls at Sardis (1976)
Rick with a hunka hunka Burnin' Elvis (1976)

 そんな彼が 1976年に、 折からの ディスコ・ブームに乗って、 シングル盤を 出しました。 そのレコード 「ディスコ・ダック」は 400万枚の セールスを記録、 ビルボード誌の ナンバー・ワン・ヒットに 輝きます。

"Disco Duck" by Rick Dees & His Cast of Idiots

 見るからに お調子者の リック・ディーズ、 次に出したのが この曲。 "He Ate Too Many Jelly Donuts" (彼は ジェリー・ドーナッツの 食べすぎだぜ)、 エルヴィスをからかう 内容の歌でした。

"He Ate Too Many Jelly Donuts" by Rick Dees & His Cast of Idiots

 もちろん、こんなレコード、 日本では 発売されてません。 ところが、 このレコードを アメリカから入手して、 面白可笑しく紹介した DJがいました。 それが 深夜の人気番組 「オールナイト・ニッポン」の DJ、糸居五郎氏でした。

糸居五郎の オールナイトニッポン

 彼は エルヴィスの曲を よくかけていたので、 多くのエルヴィス・ファンが 彼の番組を 聴いていたと 思います。 何しろ 彼のテーマ・ソングは エルヴィスの 「イトー・イーツ」 でしたから。

"Ito Eats" by Elvis Presley

 そんな彼が エルヴィスが 亡くなった時に、 「エルヴィスは ドーナツを食べ過ぎて 亡くなった」と、 軽い冗談のつもりで 言ったのです。 アメリカ通の エルヴィス・ファンの DJが そんなことを言えば、 冗談が冗談で なくなりますよね。 すべては ここから始まったのです。

Southern Maid Donuts
(南部の家政婦ドーナツ)
 奇しくも、 エルヴィスが 生涯で1度だけした コマーシャル。 それは ドーナツの コマーシャルでした。 「ルイジアナ・ヘイライド」の スポンサーだった 「サザン・メイド・ドーナツ」の ラジオCM。 それは どんなCMだったのでしょうか? ジョニー・キャッシュの 「ルイジアナ・ヘイライド」 CDの中に J・キャッシュがした CMが収められてますので、 聴いてください。

"Southern Maid Donuts Commercial" by Johnny Cash (削除しました)

 こんなことを エルヴィスも やってたってことですよね。

 サザン・メイド、南部の家政婦は見た!

 「彼は甘党だったけど、 ジェリー・ドーナツを 食べてたのは、 1度も 見たことがなかったわ。」 (マリー・ジェンキンス、 エルヴィスの家政婦、 1963〜1977年)



(Feb.25, 2009)

宮沢りえ、 「サンシャイン・ラブ」

 宮沢りえの アクアレーベルのTV-CM で使われてる 「サンシャイン・ラブ」 (原曲が「ラブ・ミー・テンダー」 と同じ 「オーラ・リー」)、 いつのまにか 歌手が 変わってますね。 気付きませんでした。

新しい「ダーツ」篇
 歌ってるのは ジャネット・サイデル (Janet Seidel)。 編曲は清水靖明。 CD化の予定は ないとのこと。

「カラダが知ってる」篇
 歌ってるのは ハワイの人気トリオ、 マウナルア (Maunalua)のメンバー、 ブルース・スペンサー (Bruce Spencer)。

笑っていいとも、宮沢りえ (2008年3月13日) (削除しました)
 タモリよ、レコードじゃなく、 エルヴィスの歌が良いのだよ。



(Feb.23, 2009)

ゴールデン・ゲート・カルテット & エルヴィス
オーランド・ウィルソン・インタビュー
 (ゴールデン・ゲート・カルテットの ベース・シンガー、 写真の左端の人物)

 エルヴィスはドイツに駐留していた時、 2度、 パリを訪問しました。 1960年1月の 2度目のパリ訪問時、 エルヴィスは リヌ・ルノー主演の レビュー・ショーが 行われていた 「カジノ・ド・パリ」で、 ゴールデン・ゲート・カルテットの 名前を見つけ、 彼らを訪問したのです。 そこで、 エルヴィスと G・G・カルテットの 6時間にも及ぶ ジャム・セッションが 繰広げられたのですが、 残念なことに、 その時の写真も 録音も 残されませんでした。

Q: パリのあなた方を エルヴィスが訪問したのは 何時のことでしたか?

A: 1960年の初め頃だったと思う。 陸軍の休暇を利用して パリにやって来たんだ。 週末の一時休暇ってやつさ。 彼はその時 兵役義務で ドイツにいたんだ。 彼は パリの街を歩いていて、 劇場の看板に 「ゴールデン・ゲート・カルテット」と あるのを見つけた。 僕たちの写真も 飾られていたしね。 それで、 僕たちに会おうと 入ってきた。 入り口で 「ショーの最中だからダメだ」と 断られたんだ。 入り口の連中は 全く英語が 話せなかったんだ。 その入り口のやりとりを リヌ・ルノーの夫だった ルル・ガステが 聞いていたんだ。 彼がやってきて、 「君はゴールデン・ゲートの 知り合いか?」と 尋ねたんだ。 すると、 エルヴィスは 「ああ、よく知ってる。 僕の教授だからね」と 言ったんだ。 「君の教授だって。 じゃ、もう少しで ショーは終わるから、 中で待ちなよ」 ってことになったんだ。

Q: 話してる相手が エルヴィス・プレスリーだと 分からなかったのですか?

A: 分からなかったんだ。 彼は 「俺の女房に会わせてやろう。 ショーのスターなんだぜ」って、 最初に リヌ・ルノーの部屋に 連れてったんだ。 彼女は 英語が話せたからね。 そして、 「ゴールデン・ゲートに 会わせてやろう」って、 ルル・ガステが 僕たちを呼びに来た。 僕たちは 着替えを済ませてから、 リヌの部屋に 連れて行かれたんだ。 「この青年が君たちを知ってると・・・。」 「ああ、彼は エルヴィス・プレスリーだよ」って。

Q: 彼とは 以前からの 顔見知りだったのですか?

A: そうだ。 僕たちがナッシュビルで ウォーリー・ファウラーの 仕事をしていた時に、 エルヴィスとは 何度か会っていた。 (注、ウォーリー・ファウラーは オールナイト・ゴスペル・コンサートの 主催者だった)

Q: それって 彼に偶然に会ったのでしょ?

A: そうだ。 それから、 彼と話したんだ。 彼は「ここで何をしてるんだ?」って。 あんな所で 僕たちが歌ってたんで、 彼は驚いてたんだ。 ルル・ガステは ギターを弾いていたから、 彼のギターが 楽屋の隅に置いてあったんだ。 それをエルヴィスが見つけて、 「良いギターじゃないか」って、 つまびき始めた。 そして、 スピリチュアル・ソングを歌った。 夜の12時過ぎから、 リヌ・ルノーの楽屋で、 歌って、 おしゃべりして、 歌って、 おしゃべりして、 気付いたら 朝の6時に なっていた。 次に彼に会ったのは 1965年頃だったね。 彼は "Swing Down Sweet Chariot" が入ったレコードを 出したよね。 僕たちのアレンジに似てるんで、 よく聴かないと ゴールデン・ゲートのレコードと 間違われそうだよ。

"I Will Be Home Again" ゴールデン・ゲート・カルテット (削除しました)
"I Will Be Home Again" エルヴィス

"Swing Down Sweet Chariot" ゴールデン・ゲート・カルテット
"Swing Down Sweet Chariot" エルヴィス

"Joshua Fit the Battle of Jericho" ゴールデン・ゲート・カルテット
"Joshua Fit the Battle of Jericho" エルヴィス

"Old MacDonald" ゴールデン・ゲート・カルテット


 1968年、 ラスベガス、デューンズ・ホテル出演中の リヌ・ルノーを訪問した エルヴィス。
 右は ギャング映画で有名だった エドワード・G・ロビンソン。 ちなみに、 E・G・ロビンソンは エルヴィスの 「恋のKOパンチ」 (Kid Galahad, 1962) のオリジナル版 「倒れるまで」 (Kid Galahad, 1937) で 主役を演じている。

リヌ・ルノーのショー



(Feb.16, 2009)

< エルヴィスな映画 >

「愛と呼ばれるもの」 (1993年)

(まだ DVD化されてません)


 私はミランダ・プレスリー。 父親がエルヴィス・ファンだったの。

 歌手になることを目指して ナッシュビルにやってきた ミランダ・プレスリー (サマンサ・マシス)。 そこで 同じ目的を持った ジェームス (リバー・フェニックス)と 出会う。 2組のカップルを通して、 夢と挫折、 出会いと別離、 そして 愛と友情を描いた ピーター・ボゴダノビッチ監督の 傑作。 リバー・フェニックスの遺作で、 実際の恋人であった サマンサ・マシスと共演。 サンドラ・ブロックの 実質デビュー作でもあります。

「愛と呼ばれるもの」 エルヴィスな予告編(EWJ作) (削除しました)

 劇中で、エルヴィスの曲が2曲、 "Can't Help Falling In Love" と "Make The World Go Away" が 使われています。 "A Thing Called Love" は 残念ながら ジョニー・キャッシュのでした。

"A Thing Called Love" エルヴィス (下のインペリアルズ版を コピーした)
"A Thing Called Love" インペリアルズ
"A Thing Called Love" ジョニー・キャッシュ
"A Thing Called Love" ジェリー・リード(作者)


僕も、私も プレスリーだよ!

 スーパー・モデル、 シンディ・クロフォードの 息子の名は プレスリー・ガーバー。 '99年7月2日生まれ。
 あまりの可愛さぶりに 全米注目の的だ。
 昨年、「徹子の部屋」に C・クロフォードが 出演した時、 黒柳徹子は 「息子さんは プレスリーと仰るのね」 とまで言ったのに、 何故、 プレスリーと付けたかは 訊いてくれなかった。 残念!

 エルヴィス・ファンで有名な タニア・タッカーの娘。 プレスリー・タッカー。 '89年7月5日生まれ。
 既にプロ歌手デビューしてます。

 < タニヤ・タッカー >
 1972年、エルヴィスに 「ロカフラ・ベイビー」とかを 書いてる ドロレス・フラーが タニヤ・タッカーの デモ・レコードに注目。 レコード会社に 彼女を売り込んで、 デビューさせる。
 そのデビュー曲 「デルタ・ドーン」が カントリー6位の ヒットになる。 その時 彼女はまだ 14才だった。 (その後「デルタ・ドーン」は ヘレン・レディによって カバーされ、 全米ナンバー・ワンの 特大ヒットとなる。)
 そして、 その後も タニヤ・タッカーは カントリー・チャートに ヒット曲を送り続け、 彼女は カントリーミュージックの 女エルヴィスと呼ばれるようになる。


 ラスベガスのエルヴィスのショーにも 彼女は 何度も訪れており ('76年12月8日のショーでは エルヴィスに 紹介されてます。)、 エルヴィスに 楽屋で会った時に、 キスを断ったことを 今でも 後悔してるそうな。

「テディ・ベア」 タニヤ・タッカー
タニヤ・タッカーのライブに 飛び入り参加した プレスリー・タッカー



(Feb.16, 2009)

エルヴィス関連TV情報

Song To Soul 〜 永遠の一曲
「ハートブレイク・ホテル」 〜 エルヴィス・プレスリー

BS-i (BS-6 ch) 2月19日 (木曜夜) 10:00 pm 〜 10:54 pm
     (再放送) 2月26日 (木曜夜) 10:00 pm 〜 10:54 pm

 <内容>
 エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」 1956年に発表された この曲で 初の全米NO,1を獲得。 これ以降、 23年間に渡り スーパースターの座に 君臨し続けた。 「キング・オブ・ロックンロール」。 ロックンロールの 歴史を創ったといわれる エルヴィス・プレスリー。 数々のヒット曲の中でも 「ハートブレイク・ホテル」は RCAレコードに移籍して 最初にリリースされ 爆発的人気となった。 エルヴィス・プレスリーにとって 最も重要な曲。
 この曲の レコーディングに 参加した D.J.フォンタナ (ドラム)、 ゴードン・ストーカー (バック・コーラス/ジョーダネアーズ)、 そして 幼い頃からの大親友で ラジオ・テレビの パーソナリティである ジョージ・クライン氏が この曲の誕生について 語ると共に、 プレスリーの生まれた家、 レコーディング・スタジオ、 グレイスランドなど プレスリーの所縁の地を 辿りながら 「The King」と呼ばれる プレスリーの音楽を 紹介する。
 ゲストは湯川れい子。



(Feb.12, 2009)

「ザ・レディ・ラブズ・ミー」 "The Lady Loves Me"

あなたも アン・マーグレットになれる(?)

 映画「ラスベガス万才」で、 エルヴィスとアン・マーグレットが 「ザ・レディ・ラブズ・ミー」を デュエットしてますよね。 しかし、 この曲のレコーディングでは、 アン・マーグレットの声は ステレオの 右チャンネルにだけ 録音されてるのです。 そこで、 左チャンネルだけを 取り出すと、 アン・マーグレット抜きの カラオケ・テープが 出来上がるってわけです。 そして、 ここに あなたの声を 吹き込むと、 エルヴィスとあなたの デュエット盤が 出来上がるのですよ。 試してみませんか?

「ザ・レディ・ラブズ・ミー」 エルヴィスだけの カラオケ版 (削除しました)

「ザ・レディ・ラブズ・ミー」 エルヴィスとアン・マーグレットの デュエット版

「宇崎竜童・ラブズ・MIE」

 「ラスベガス万才」、あんなこと、こんなこと。

 製作・監督のジョージ・シドニーは 自家用飛行機を 自ら操縦するような、 エルヴィスも驚く スピード狂で、 その彼が 元のエルヴィスの役の設定、 砂漠で石油採掘を仕事とする男を スピード・レーサーに変更。 舞台も ラスベガスに、 サリー・ベンソンと共同で 脚本を10日間で 書き直しました。 その上、 G・シドニー監督は 撮影しながら、 思いつきで 脚本も どんどん 変えていったのです。

 "Viva Las Vegas" オープニング・シーンから 元の脚本は 変更されました。 ラスベガスの ネオン輝く夜景をバックに タイトル・ソング。 元の台本では、 エルヴィスが レース・カーを牽引して ラスベガスに 向かっています。 後ろから来たカウボーイたちが エルヴィスの車を 追い抜きざまに、 意味なく 拳銃を空にぶっ放します。 そしてタイトル・ソング。

 "Night Life" 「ナイト・ライフ」 は、 エルヴィスが アン・マーグレットを探しに、 ラスベガスのナイトクラブを 回る場面で 使われる予定でした。

 サミー・デイビス・ジュニア ジョージ・シドニーは シナトラ一家と 仲が良かったのです。 それで、 ラッキーの友人ショーティ役は 元々は サミー・デイビス・ジュニアを イメージして 書かれました。 しかし 製作開始寸前に、 「元気印」三人の ミュージカル映画だと まとまりがつかない との理由で、 S・デイビス・ジュニアは 降ろされ、 同じく シナトラの友人であった ニッキー・ブレアが 選ばれました。

 "Do The Vega" 「ドゥ・ザ・ベガ」 タレント・コンテストで エルヴィスが歌う曲として 「ドゥ・ザ・ベガ」が 用意されましたが、 「ラスベガス万才」に 変更されました。

 ジャック・カーター クレジットに 名前はありませんが、 タレント・コンテストの 司会役を務めるのは 有名なコメディアンの ジャック・カーター。 「ラスベガス万才」が 撮影されてた時、 フラミンゴ・ホテルの ショールームで レスリー・アガムスと 出演中でした。

 "Today, Tomorrow And Forever" 「恋の賛歌」デュエット版 は 上の写真、 実際の映画では 「恋の賛歌」の後に、 エルヴィスとアンが 公園のような場所で デートする場面。 ここで デュエット版が 歌われる予定でした。 アンがエルヴィスに、 事故が付き物のレーサーが恋人だと 心が休まらないと 訴えると、 エルヴィスは 心配することないよと この歌を歌います。

 ラスト・シーン  元の脚本では 結婚式の後、 用意されていた 高級リムジンに乗らず、 エルヴィスの レーシング・カーに乗って 二人は新婚旅行に 旅立ちます。 アン・マーグレットが レーサーの妻として 付いて行くという 決断を表してたのですが、 これもカットされました。

 "What'd I Say" 「ホワッド・アイ・セイ」 カットしすぎたために、 映画の上映時間が 足らなくなり、 撮影終了予定寸前に、 「ホワッド・アイ・セイ」が 追加されました。 この「ホワッド・アイ・セイ」でのみ、 グレン・キャンベルが ギターで セッションに 参加してます。 「ホワッド・アイ・セイ」の振り付けは 犬をイメージしてます。 エルヴィスも 「ホワッド・アイ・セイ」の 元の歌詞を変更して、 "Do the dog" と歌ってます。

 "My Rival" 「マイ・ライバル」 アン・マーグレットの歌う 「マイ・ライバル」。 日本で劇場公開時には カットされました。

 「ラスベガス万才」 LPアルバム アン・マーグレットの クローズ・アップの多さに 頭にきた パーカー大佐は ジョージ・シドニー監督に クレームをつけに 行きました。 G・シドニー監督は この時のやりとりを はっきり覚えてました。 「『俺がこの映画の監督だ!』 と言ったら、 パーカー大佐は 『それじゃ、 サントラ・アルバムは 無しだ。 これで おあいこだな』と 言ったんだ、 まるで 僕を困らせようとしてね。」 パーカー大佐の 勘違いの一言により エルヴィスは ゴールド・レコードを 一枚損しました。

 ザ・ジュビリー・フォー 「ホワッド・アイ・セイ」の前の ダンス・シーン。 「ザ・クライム」を 歌ってるのが ジュビリー・フォーという ゴスペル・カルテットです。 左端のビル・ジョンソンは 有名な ゴールデン・ゲイト・カルテットの オリジナル・メンバーで リード・シンガーでした。 エルヴィス お気に入りのグループで エルヴィスの ゴスペル・アルバム、 "He Touched Me" の中の2曲、 "I, John" と "Bosom Of Abraham" は 彼らの内の3人の名前、 Johnson-McFadden-Brooks が 作者として クレジットされてます。

「ザ・クライム」 ジュビリー・フォー
"Noah" - The Jubalaires (ジュビリー・フォーの前身)

 "You're The Boss" 「ユア・ザ・ボス」 は どの場面で 歌われる予定だったか 分かりません。

"You're The Boss" - Jimmy Ricks & LaVern Baker (オリジナル)



(Feb.11, 2009)

リア・ディゾン 胎教音楽は「プレスリー」

 インターネット放送局 「原宿アメーバスタジオ」の 開局2周年を記念する 特別番組に リア・ディゾンが 出演した。 現在 妊娠8カ月のリアは 少し大きくなったおなかで 久しぶりに姿を見せ、 「赤ちゃんが おなかの中で ダンシングする」と 母子共に元気そう。 4月下旬の 出産予定日を前に、 胎教で 音楽を聞かせているそうで、 「何でも聞くけど、 最近は エルビス・プレスリーが好き」と 笑顔。 出産後は 仕事に復帰するが、 「子どもが大きくなったら お弁当を作りたい」と 夢を語った。



(Feb.10, 2009)

「月影のなぎさ」、 エルヴィスとデュエットするなら これ!

 映画「ブルー・ハワイ」の中で、 エルヴィスは 女の子たちと デュエットしながら 「月影のなぎさ」を 楽しく歌ってますよね。 しかし、 スタジオでは エルヴィスひとりで 録音してまして、 女の子たちの歌声は あとで オーバーダブされたものです。 ですから、 オーバーダブなしの エルヴィスだけの録音も 存在します。 そこで、 このエルヴィスだけの録音に あなたの歌声を被せてみて下さい。 世界でひとつの エルヴィスと あなたの デュエット盤が 出来上がるのです。

「月影のなぎさ」 エルヴィスだけの オリジナル録音 (削除しました)

「月影のなぎさ」 女性コーラス付きの 一般発売されてる録音

「月影のなぎさ」 アンソニー・パーキンス (1957)

 「月影のなぎさ」は 元々、 映画「サイコ」で有名な 俳優アンソニー・パーキンスの 1957年のヒット曲(24位)です。 当時の彼は 「友情ある説得」で アカデミー助演男優賞に ノミネートされるなど、 若手俳優の注目株で、 アイドル的人気も ありました。 ブロードウェイ・ミュージカルの 経験もあった彼は 甘い歌声で 何枚か レコードを出したり、 TVや映画の中でも 歌ったりしてます。

"I'll Be Home For Christmas" アンソニー・パーキンス
A・パーキンスとジェーン・フォンダのデュエット (のっぽ物語、1960)

息子にエルヴィスと名付けた アンソニー・パーキンス

 アンソニー・パーキンスは 1976年2月9日に生まれた 二人目の男の子を エルヴィスと 名付けました。 有名人で、 子供の名前に エルヴィスと付けたのは 彼が最初ですし、 他に聞いたことがありません。 エルヴィス・パーキンスが本名の彼は 子供のころ、名前の大きが かなり重荷だったそうですが、 不良になることなく 今は新しいタイプの シンガー・ソングライターとして 頑張っております。
エルヴィス・パーキンスの TVデビュー



(Feb. 8, 2009)

バーバラ・マクネア、 1969年、アメリカで 最も輝いていた 黒人女性

 1969年、 エルヴィスが 再び輝きを取り戻したその時、 アメリカで 最も注目されていた 黒人女性が バーバラ・マクネアである。 1968年に出演した 「白昼の死刑台」で、 当時タブーだった 黒人女性と 白人男性の ベッド・シーンを演じ、 その時の ヌードのスチール写真が 「プレイボーイ」誌に 掲載され、 注目を浴びることになる。 エルヴィスと共演した 「チェンジ・オブ・ハビット」 のすぐ後、 1969年9月から、 全国ネットのテレビ、 しかも ゴールデン・タイムに、 黒人女性として 初めての冠番組 「バーバラ・マクネア・ショー」が 始まり、 それは3年間続いた。 この年には 「米国で最も美しい 10人の女性」の中に、 黒人女性で ただ一人 選ばれてもいる。 映画では、 アカデミー賞を獲得した 「夜の大捜査線」の続編である 「続・夜の大捜査線」と 「夜の大捜査線、 霧のストレンジャー」で、 主役のシドニー・ポワチエの 奥さん役を演じている。

女優 バーバラ・マクネア (チェンジ・オブ・ハビット) (削除しました)

 バーバラ・マクネアは 1934年生まれ。 子供時代から ピアノのレッスンを受けて 育つが、 歌うことの方が 好きだったようだ。 カリフォルニアの大学を 卒業後、 ショービジネス界で 成功する夢を抱いて、 ニューヨークに出る。 OLをしながらの オーディション活動で 認められ、 1958年には、 有名なナイト・クラブで 歌う傍ら、 ブロードウェイの 舞台に立ち、 コーラルから 念願のレコード・デビューも 果たした。

「彼はキング」 バーバラ・マクネア (1960) (削除しました)

 1962年、 ブロードウェイの ヒット・ミュージカル 「ノー・ストリングス」で 主役を演じる。 同時期、 「スティーブ・アレン・ショー」など 多くの テレビの 音楽バラエティ・ショーにも ゲスト出演。 1963年には ノー・クレジットながら 映画「スペンサーの山」で 映画デビュー。 卒業式の場面で 「アメリカ・ザ・ビューティフル」 を歌っている。

「アメリカ・ザ・ビューティフル」 (削除しました)

 1965年にモータウンに移籍。 歌手活動に 力を入れる一方、 「ドクター・キルデア」や 「アイ・スパイ」などの テレビ・ドラマにも 数多くゲスト出演している。

"You're Gonna Love My Baby" バーバラ・マクネア (フラバルー、1965)
「ビートルズ・メドレー」 バーバラ・マクネア他 (フラバルー、1965)

 1972年に、 麻薬が入った小包の 受け取りに サインしたことから、 麻薬所持の罪で 逮捕される。 その後の裁判で 無罪を勝ち取るが、 この時のスキャンダルが 長く尾を引き、 彼女は ショービジネスの メイン・ストリートに 戻ることはなかった。 2007年に 72才で亡くなるが、 アメリカで 最も愛された 黒人女性のひとり であったことは 間違いないだろう。



(Feb. 3, 2009)

「チェンジ・オブ・ハビット」、 このあと二人は 結ばれるのか?

 映画「チェンジ・オブ・ハビット」は エルヴィス最後の劇映画で、 1969年に 製作、全米公開されましたが、 残念なことに、 日本では劇場未公開、 TV放映もされず、 また、 ビデオ・DVDでも 発売されたことが ありません。 アメリカで この映画が 公開されたとき、 結末が分からないと、 ファンの間で 論議を呼んだものです。

 <映画のストーリー>  修道院から 3人の尼僧が、 貧民街で開業してる 医師(エルヴィス)の元に 派遣されてきました。 彼女たちは 尼僧という身分を隠して (僧服を着替える = Change Of Habit)、 看護婦として 働き始めます。 そして、 尼僧の一人、 ミシェル(メリー・タイラー・ムーア)と エルヴィスが お互いに 心惹かれ合うのでした。 ところが、 事件が発生し、 ミシェルは強制的に 修道院に 引き戻されました。 一旦、 尼僧になると 神に誓ったミシェル。 神への愛か エルヴィスへの愛か、 彼女の心は 揺れ続けます。 修道院まで ミシェルを説得に行く エルヴィス。 まだ 彼女は 決めることができません。 見るに見かねた アイリーンは ミシェルを教会に 連れ出しました。 エルヴィス様と イエス様の 顔を見比べる ミシェル。 果たして彼女は どちらを 選ぶのでしょうか?

 監督のウイリアム・グレアムは どのように 答えているか。 彼のインタビューから 抜粋しましょう。

 質問 :  映画が終って、 彼女(ミシェル)は 修道院に戻るのか、 エルヴィスの元に行くのか、 どちらでしようか?

 ウイリアム・グレアム :  あれは心の葛藤を描いてるんだ。 彼女の選んだ道を 明かさないようにしたが、 彼女は完全に エルヴィスの方に 強く惹かれている。 しかし、 彼女が どちらに行ったかは、 観客の想像に 委ねたんだ。 私は 彼女は エルヴィスの元に行ったと 感じたが、 本当のところ、 私にも解からない。

 映画の最後の7分間を アップしましたので、 皆さんご自身で 判断してください。

「チェンジ・オブ・ハビット」 (ラストの7分) (削除しました)



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