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(Mar.21 - Apr.30, 2008)
(Compiled by Haruo Hirose)
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(Apr.29, 2008)

D.J. Fontana Interview (2001)

D・J・フォンタナ・インタビュー (2001年)

Q : あなたは ルイジアナ・ヘイライドで 初めて エルヴィスに 会われたのですね?

A : そうだ。 ルイジアナ・ヘイライドで 初めて エルヴィスに会った。 シェリヴポートのショーだ。 あれは グランド・オル・ オープリーのようなもので、 僕たちは 踏み台と 呼んでたんだ。 ジム・リーブスや 多くの カントリー・シンガーが 出演していた。 古くは ハンク・ウイリアムスも ショーに出てたんだ。 スターになるための 足がかりだったんだ。

Q : それは テレビでも 放映されましたか? 全くの ラジオだけでしたか?

A : 僕が覚えてる限り ラジオだけだよ。 テレビ・カメラなんて 見たことも無かった。 誰かが 撮影するとか 言ってたこともあったけど、 実現したかどうかも 僕は知らないよ。

Q : エルヴィスに 初めて会った時のことを 話して下さい。

A : ルイジアナ・ヘイライドには 専属バンドがいて、 僕は その中の一人だったんだ。 小人数だったけど、 当時は ドラムスを嫌う連中が多くて、 ドラムを前に僕は、 「君は叩かないで、 ただ座ってればいいよ」 と言われることが 多かったんだ。 それでも 僕は良かったんだけどね。 そして ある日、 ティルマン・フランクに 事務所に呼ばれて、 「このレコードを 聴いてくれないか」 と言われたんだ。 それが エルヴィスとスコティ、 ビルのレコードだった。 僕は 「ワオ、 良いレコードじゃないか。 何人でやってるんだ? 5人? 6人?」 て訊いたんだ。 ビッグ・サウンドだったからね。 「3人だけだ」と 彼が言ったので、 「ウッソーだろう?」って。 6、7人のバンドに 聞こえたからね。 それで、 「彼らを呼ぼうぜ」って、 そして、 彼らは ルイジアナ、 アーカンソー、 テキサスと、 僕たちのテリトリー内の いくつかの街で 演奏した。 そして ある時、 彼らが、 「今夜、 僕たちと一緒に やらないか?」 と訊いたので、 「望むところだ」 と言ったんだ。 「じゃ、楽屋で話そう」って、 何が演奏出来るか 試してみた。 彼らの持ち歌は 1曲だけで、 他は全て 他人のカバー曲だったんだ。 当時のヒット曲で 彼が知ってたのをやった。 その夜、 彼らと出て、 次の週も同じように 彼らと一緒にやったんだ。 そして、 ある時、 彼から電話がかかってきて、 「テキサスのツアーに 出るんだけど、 君も来られるか?」って。 僕は 「いいよ」って、 3、4日のツアーに出て、 戻ってきては、 また ヘイライドに出演したんだ。

その時、 彼は 「僕たちは家に帰るよ。 何も仕事が入ってないから。 全くのゼロだよ」って。 「もう 君と会うことも ないかもしれないが、 このレコードがヒットして、 君が必要になった時は、 僕たちと一緒に 出てくれるかい?」 と言われたので、 僕は 「いいよ。 喜んで行くよ」 と言って、 別れたんだ。 しばらくして、 「10日の仕事が入った。 来てくれるかい?」 と電話がかかってきたので、 僕は「OK」したんだ。 そんな風に だんだんと 仕事が増えてきた。

Q : 街から街への移動の時、 楽器類は 車の屋根の上に 乗せてたのですか?

A : ビル・ブラックのベースだけを乗せて、 他は全部 1台の車の中に 押し込めたんだ。 僕のドラムスに エルヴィスと スコティのギター。 スコティのアンプに 僕たち自身も。 あの小さな車に よく乗ったものだよ。 どのように してたんだろうね。

Q : どんな車でしたか? ベルエアー?

A : 最初は 小さなシボレーに 乗ってたんだ。 そして 僕と行くようになって、 フォードか クラウン・ビクトリアを買った。 当時の流行の スポーツ・カーだったんだ。 それから、 キャデラックを 買ったので、 少しは空間ができ、 身体が楽になったよ。

Q : 移動の時は 交代で運転したのですか?

A : 交代していた。 疲れるまで運転して、 交代するんだ。 2、3時間毎に 代わっただろう。 エルヴィスは 良いドライバーだったんだが、 時には、 大雑把なところがあって、 ハイウェイ40だと言うと、 そのまま真っ直ぐ 行っちゃうんだ。 彼は 何処で曲がるなんて 気にしない。 ハイウェイ30に入ると 言っても、 忘れて 行っちゃうんだ。 だから 40、50マイル 行き過ぎるなんてことは、 いつもだったんだ。 曲がる地点に来ると、 その場で 言わないと ダメなんだ。 僕が 「どうして ハイウェイ30に 入らなかったんだ」 と言っても、 彼は 「言われた通りに 走ってるだろう」って。

Q : テキサスの どの町から 彼の人気に 火が点いたのですか?

A : 東テキサスだ。 レイクビューやタイラー。 州境いの町だ。 それから ベイウォーター。 テキサスには2年間 よく通ったよ。

Q : ラボックのショーの後で バディ・ホリーが 来ましたね?

A : 彼を見かけたことは あったよ。 それが いつのショーだったか 忘れてしまったが、 彼は あの辺りの 出身なんだ。 普段、僕たちは 誰とも会うことは 無かった。 と言うのも、 ショーの準備や片付けに 忙しくって、 それどころじゃなかったからだ。 バディ・ホリーが来たって、 話する時間がなかった。 エルヴィスは 会ったかもしれない。 彼は我々より 自由な時間があったからね。

Q : ドーシー・ショー出演のために ニューヨークに行った時のことを 話してください。

A : あれは 嬉し、怖い って感じだった。 だって、 テネシーや ルイジアナの田舎っぺで、 南部から 出たことが無かったんだ。 それが、 あのような大都会に、 ニューヨークに行って、 テレビ・ショーに出ろ と言われて、 震え上がったよ。 でも、とにかく 行って、 求められた仕事をこなした。 上手くできたと思うよ。 合計で6回も出たんだ。

Q : 6回もですか?

A : そうだよ。 6回 ドーシー・ショーに 出たんだ。 あれは 当時の人気番組で、 ジャッキー・グリースン・ショーの 代替番組だったんだ。 それから、 スティーヴ・アレン、 ミルトン・バール、 エド・サリバンと、 全てが当時の メジャーな番組に出たんだ。

Q : スティーヴ・アレン・ショーで タキシードを着せられ、 イヌに向かって 歌わされたことを、 エルヴィスは どのように感じたでしょうか?

A : 彼は喜んではいなかったが、 スティーヴと ケンカすることもなかった。 誰だって 好き好んで あんなことは しないんだ。 スティーヴ・アレンの立場も 考えてやらないと。 結果は散々で、 ちっとも 良くなかった。 エルヴィスは エルヴィスなんだ。 人々は 事情を理解していたし、 エルヴィスは 怒ってはいたが、 スティーヴとも誰とも ケンカすることは無かった。 彼は きっちりと 仕事をこなしたんだ。

Q : スティーヴ・アレン・ショーの観客は ワイルドでしたか?

A : 全てのショーで ワイルドだったよ。 ニューヨークでも ロードでも、 沢山の子供たちが 集まってきて、 叫んだり、 吼えたりするので、 何も聞こえないんだ。 足を踏み鳴らし、 叫び声を上げ、 観客は 思いつく限りの 手法を尽くし 騒いでいた。

Q : 「さまよう青春」や 「監獄ロック」で 共演した時の エルヴィスのこぼれ話って ありますか?

A : 僕たちが出たのは 初期の映画だけなんだ。 彼から 「君たちにも出て欲しい」と 言われたんで、 「ああ、いいよ。 簡単なセリフが言えても、 後は知らないからね」って。 それで、 「さまよう青春」に 出たんだ。 あれは良い映画だと 思うよ。 内容がね。 しかし、 暫らくすると、 飽きてきた。 僕たちは 俳優じゃなかったから、 楽しくなかったんだ。 それで、 サウンドトラックの 録音だけに ハリウッドに出かけて行って、 終わったら すぐに帰ってきた。 彼は 年に3本の映画を 撮っていたから、 僕たちは そこそこに 忙しかったんだ。

Q : 暫らくして、 ビル・ブラックは エルヴィスから 去りましたが、 あなたは 残りましたね?

A : ああ、確か 「監獄ロック」を 撮影していた時だ。 スコティとビルが 賃上げを 言い出したんだ。 僕は エルヴィスと話し合うつもりだったが、 彼は 「僕ひとりで 決められそうもない」 と言った。 まるで 政治問題のようになって、 僕たちは 不信感を募らせた。 話し合いの後、 二人は 彼に辞表を出して、 家に帰ったんだ。 給料が少なくて、 やって行けないから、 辞めたんだ。 それから、 2、3日して、 エルヴィス本人から 僕に電話があった。 彼は 自分で電話することは 無くて、 いつも誰かが 代わって電話してたんだ。 彼から直接 電話があって、 「君の根回しに 感謝するよ」って。 僕は言ったんだ。 「君は僕に 約束した。 今まで君が 約束を守らなかったことは ないから、 そのように、 スコティとビルに 伝えただけさ。 彼も賃上げを考えている」って。 彼らに 「君たちは不満だろうが、 僕は構わない。 ただのサイド・マンだからね」 と言うと、 彼らは 「解かった」と。 これが事実なんだ。 そして、 数日後には 僕たちは ワシントン州、 オレゴン州を ツアーしていた。 北西部地区で 4回のショーをやったんだ。

Q : ジョージ・クラインは 「エルヴィス自らが 彼らを説得した」 と言ってますが?

A : ジョージは 僕にも そう言ったよ。 実際は、 僕一人が残って、 彼らに 「戻って来い」と説得したので、 数日後、 彼らが 戻ってきたんだ。

Q : エルヴィスが 徴兵でいない時、 あなたたちは 何をしてたのですか?

A : 僕はルイジアナに、 スコティとビルは メンフィスに帰った。 僕は、 ジェリー・リー・ルイスとやったり、 故郷の クラブの仕事に戻った。 昔の仕事に 戻っただけで、 僕にとって 何ら大きな 変化でもなかった。 2年ほど、 ちっぽけな飲み屋で 演奏していたんだ。

Q : エルヴィスとのレコーディングは どのようなものでしたか?

A : 彼は オーバーダブが 嫌いだったよ。 それと、 長く時間をかけることが 嫌いだったんだ。 彼は 何事も早く済ませたがった。 彼は よく言ってたんだ。 「フィーリングが失くなれば、 レコードは 完成しない。 時間の無駄は 避けよう」とか、 「最善を尽くせ」とか。 彼は何事に対しても いつも 良い仕事をしていた。 彼は 無駄に時間を過ごすことが 嫌いで、 よく言ってたよ。 「1時間もやれば、 集中力が欠けてきて、 だらけて、 どうにでもなれって 気持ちになる」と。 その通りだよ。

Q : ハワイでの アリゾナ慈善公演の思い出は 何でしょう?

A : あれは 突然に決まったもので、 僕たちは 準備に てんてこ舞いだったんだ。 でも、 ショーは 上手く行った 記憶はあるがね。 戦艦アリゾナのための 慈善公演だったから、 誰も 十分なギャラは 貰ってないんだ。 みんな コンサートのチケットを 自分で 買わなくてはならなかった。 エルヴィスは 1000ドル払ったし、 誰も無料で 入れなかったんだ。

Q : エルヴィスは 映画用の歌には どのように取り組んでましたか?

A : もちろん 僕たちだって、 映画用の歌が すべて良いなんて 思っていなかった。 エルヴィスだって バカじゃないから、 全てを分かった上で、 このように よく言ってた。 「これらの曲をやるのは、 映画の為に書かれた 曲であることが 理由なんだ。 シーンに合わせて 書かれてある。 ベストを尽くして やろう。 好き嫌いは 関係なく、 手を抜かないように。 シングル盤と同じように 一生懸命やろう」って。 これが 彼のやり方だったんだ。

Q : 「'68 TVスペシャル」について 話してください。

A : 「68 スペシャル」は 楽しい仕事だった。 エルヴィスは 本物の大衆の前には 長い間 出てなかった。 彼は 映画のセット内でだけ 人々と会っていた。 大騒ぎになるからと、 一般大衆の前には 何年も 出てなかったんだ。 ショーの前に 僕たちは バックステージで話した。 「どうなるか分からない。 気に入られると いいんだが」と 彼が言ったので、 僕は 「エルヴィス、 出て行って、 いつも通りにやるだけさ。 気に入られると思うよ。 嫌われることは 絶対にない」 と言ったんだ。 彼は 「本当にそう思うのか?」 と言ったので、 「僕の意見に過ぎないが、 今の君のままで 受け入れられると思う」 と言ったんだ。 最初の1、2曲の 場面を見れば、 彼が緊張してると 気付くだろう。 少し震えていて、 おどおどしてる。 でも、 子供たちが叫んで、 歓声をあげて、 すぐ近くの観客から 「彼って素敵ね」という つぶやきが聞こえて、 彼はリラックスでき、 あとは 期待された通りの 彼になった。 彼は良かったし、 全てが良かったと思う。

Q : スコティは 「ローディ・ミス・クローディ」が 好きでしたね。

A : ああ、スコティは 「ワン・ナイト」も 好きだったよ。 ターネルなんて 聞いたこともない名前だろ。 女性の名前で、 誰も知らない名前だよな。 でも、 ずっと エルヴィスは あの名前に ひっかかっていたんだ。 トーネル・ダーリンだよ。 彼は 「あんなの 聞いたことがないぜ」 と、 いつも言ってたんだ。
("Lawdy Miss Clawdy" の最後の部分の歌詞を、 ロイド・プライスの オリジナルでは "Goodbye Clawdy darling" と歌ってるところを、 エルヴィスは "Goodbye Tornell darling" と歌っていることを 話題にしてるのです。 日本盤の歌詞カードには "Goodbye little darling" となっています。)

Q : エルヴィスは あなたにも イタズラをしましたか?

A : ああ、彼のイタズラは 毎日のことだった。 彼がキャデラックの 後部座席で、 靴を脱いで 眠ってる時だけが 僕たちの 休まる時間だったんだ。 彼は何を仕出かすか 見当がつかない 人間だったからね。 ある時、 僕が眠り呆けて、 寝返りをうった時に、 下の彼の靴の上に 落ちたんだ。 そして、 その彼の靴を掴んで、 窓から 放り投げたことがあった。 その靴は 川まで飛んでった。 確かに。 そして、 彼が目を覚まし、 何か食べに行こうって、 彼が靴を探すや、 見つからない。 僕が外に投げたからね。 彼は「僕の靴は?」って。 僕は白状したよ。 「言いにくいんだが、 僕が靴を 投げ捨てたみたいなんだ。」 彼は 「引き返して、取って来い。」 僕は 「川に落ちたから、 見つからない。 次の町で 新しいのを買おうよ」って。 そんなことが 2、3度あったよ。

Q : エルヴィスは ショーの後、 興奮を冷ますのに 時間がかかりましたか?

A : 彼だけでなく、 僕たちみんな、 神経が昂ったままで、 ハンバーガー・ショップに 寄ったりしたもんだ。 特に テキサスでは そうだった。 道を1マイル以上も 歩くこともあったよ。 まるで、 競争馬と一緒だよ。 クーリング・オフさ。 僕たちは よく歩いたもんさ。 いつものことだよ。 そうやって、 リラックスしてから、 彼は 車の後部座席で 眠りについた。 まるで 赤ちゃんのようにね。

Q : 「監獄ロック」での あなたの出だしのドラムは、 誰も真似できません。 あれは どのように生まれたのですか?

A : 「監獄ロック」は 映画用で、 映画に使われる曲は、 いつも レコーディングの時に 前もって、 どのような場面で 使われるのか 説明されるんだ。 あの時は 「囚人がロックする サウンドが欲しい。 バンという 金属が叩かれたような音や、 非常ベルのような音だ」 と言われたんだ。 それで、 スコティと僕の二人で、 色々と試してたんだ。 すると、 彼らが飛び出して来て、 「何をやってるんだ?」って。 「囚人がロックするってのは どんなのか 試してるんだ」って。 すると 「それで、いいじゃん。 それで行こう」って、 全くの偶然で 生まれたんだ。

Q : エルヴィスと ジュディ・タイラーの思い出は ありますか?

A : 彼らは気が合ってたよ。 ジュディは 撮影が終わって、 直ぐに 亡くなったんだ。 夫婦で バケーションに行って、 交通事故で 亡くなったんだ。 彼女は とてもいい女性だった。

Q : ビル・ブラックの ステージでの様子を 話してください。

A : あの当時のベース・プレイヤーは、 誰が決めたか知らないが、 みんな 多かれ少なかれ コメディアンだったんだ。 ベースに股がって 弾いたり、 ビルもあれが得意だった。 彼も コメディアンだったんだ。 実際、 僕たちが 受けなかった時は、 彼が出てきて、 ベースを ひっぱたくんだ。 僕には 彼が何をやってるのか 理解できなかったが、 ビルが 叫び声を上げて、 床を踏み鳴らし、 ベースを振り回す。 「彼について、楽しくやろうぜ」 ってものさ。 どれだけのショーが 彼によって 助けられたか 分からない。

Q : エルヴィスの気前の良さについて、 何か 話せる事はありますか?

A : エルヴィスが 本当に気前がいい時に、 僕は その場にいなかったんだ。 彼は 家でも 車でも 買い与えていた。 僕のこのダイアモンドの指輪は 彼から貰ったものだ。 僕が彼に ねだったんだ。 レコーディングの時だった、 「いいのしてるね」って 言ったら。 彼は 「付けてみるかい?」って。 「レコーディングが終わった時に、 返してよ」って。 それで、 僕は ずっとこれを付けていて、 翌日の朝、 レコーディングが終わった時に、 僕が「返すよ」と 言ったら、 彼は 「持っていて。 僕が破産したら、 返せって言うから」って、 以来、 そのままに なってしまったんだ。

Q : あなたが最後に エルヴィスに会ったのは 何時でしょうか?

A : 70年代の初め頃だろう。 彼と仕事をしなくなってからも、 時々、 彼に 会いに行っててたんだ。 会って、 2時間ほど お喋りを楽しんだ。 あの当時の僕は ナッシュビルに移ってたから、 彼は 「今度 帰ってきた時も、 家に寄ってくれ」 と言ってた。 しばらくすると、 いつ行っても、 彼は入院してるか、 健康が優れないかで 会えなくなった。 それで、 行かなくなったんだ。 彼は病気だったんだ。

Q : 彼が亡くなった時、 あなたは 何処にいましたか?

A : エルヴィスが亡くなった時は、 僕は サン・レコードにいたんだ。 と言っても、 ナッシュビルの シェルビー・シングルトン所有の サン・レコードだ。 そこで僕は レコーディング・セッションを やっていた。 4時か4時半頃だ、 彼が コントロール・ルームに 入ってきて、 言ったんだ。 「DJ、 たった今、 ラジオで エルヴィスが亡くなったとか、 死んだとか 言ってた」って。 僕は 「帰ったら、 チェックするよ」 と言うと、 彼は 「セッションを中止しようか?」 と言ったので、 僕は 「あと30分で セッションは終わるから、 続けよう。 それから、 急いで帰って、 電話する」 と言ったんだ。 そして、 帰って、 電話を掛けまくったが、 誰も捕まえられなかった。 ジョージ・クラインに 連絡を付けたかったんだが、 彼はいなかったし、 他の誰も いるべき場所にいなかったんだ。 それから やっと、 トム・ディスキン (パーカー大佐の助手)に 電話が繋がって、 話すことができた。 そして、 翌朝、 飛行機に飛び乗って、 メンフィスに向かったんだ。 僕がグレイスランドに 到着した時には、 すでに 何百万人もの人が 集まっていたんだ。 大変な数の人たちで ごった返していたよ。

Q : パーカー大佐を どのように思ってましたか?

A : 大佐は 僕には問題なかった。 彼は 好きなタイプの人間でも なかったが、 特に 付き合う必要がなかったので 問題は無かった ということなんだ。 必要なことがあれば、 僕は何でも エルヴィスに 頼んでいた。 大佐は エルヴィス以外に 関心がなかったし、 彼は エルヴィスの仕事をしていれば 幸福だったんだ。

Q : あなたにとって エルヴィスとは 何でしょうか?

A : 可笑しいよな。 25年も経つのに、 今でもずっと エルヴィスのことを 考えてるんだぜ。 彼は いい男だったよ。 いつも冗談を言って、 ふざけて、 楽しんでた。 僕や ビル、スコティは 彼に怒鳴られたことは 一度もなかった。 大佐とトラブルがあった時も、 彼は 「俺にまかせろ」って、 彼が解決してくれた。 だから、 本当に 彼と揉めた事は 一度もなかったんだ。

Q : 本日は ありがとうございました。



(Apr.15, 2008)

「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」 (It's Now Or Never) について

("It's Now Or Never"を書いた Wally Gold と Aaron Schroeder)

アーロン・シュローダー (Aaron Schroeder)

 エルヴィスが「オ−・ソレ・ミオ」 (O Sole Mio) を歌いたいから、 歌詞を書いてくれ と言われたんだ。 「オ−・ソレ・ミオ」は そのずっと昔に トニー・マーティンが "There's No Tomorrow" というタイトルで 録音していた。 僕は 彼に言ったんだ。 「エルヴィス、 "There's No Tomorrow" という歌を 知らないのか?」って。 "There's No Tomorrow" を書いた アル・ホフマンは 古い作詞家で、 この仕事を始めるのに 僕は 彼の世話になったんだ。 彼に感謝していた。 彼は 多くのヒット曲を 書いていたんだ。 僕は エルヴィスに 指摘したよ。 「既に 英語の歌詞は 存在してる。 何故 それを歌わないんだ?」 とね。 彼は 「あんなの歌えない。 僕に合ってない。 だから君に 新しい歌詞を 書いて欲しいんだ。 アーロン、 君が断るのなら、 他の人に 頼むまでさ」 と言ったんだ。

 それならと、 僕はアル・ホフマンに電話して、 「アル、 今僕は エルヴィスの仕事を してるんだけど、 彼が 君の書いた歌詞に どうも しっくり来ないと 言ってるんだ。 素晴らしい歌詞 だけど 彼向きじゃないとね。 僕が 新しい歌詞を書いても 気を悪くしないかい? 僕を怒らないかい?」 と恐る恐る尋ねた。 彼は 「いいや、 君にとって いいチャンスじゃないか。 エルヴィスは 素晴らしい歌手だ。 君の歌詞で うまくいくか、 やるしかない。 あの曲の著作権は 切れている。 誰だって やる権利はあるんだ」 と言ってくれた。 アル・ホフマンは 既に亡くなったが、 彼には とても感謝している。 それで、 ウォーリー・ゴールドと 組んで、 "It's Now Or Never" の歌詞を 書いた。 エルヴィスは それを気に入り、 録音したんだ。

 その時の録音にも 僕は立ち会った。 あの曲には とても高音の部分があって、 エルヴィスは 彼の音域を超えてると 思っていた。 10か15テイク 録音した後でも、 エルヴィスは 満足していなかった。 彼は もっと上手く 歌えるに 違いないと 感じていた。 彼は 目に涙をためて、 僕に 「ごめんよ、 アーロン。 この曲を 正しく歌えるかどうか 分からなくなった。 君の歌詞は 素晴らしいのに、 高音が 思うように 出せないんだ」 と言ったんだ。 僕は 「エルヴィス、 3、4テイク、 素晴らしいのがあったよ。 あれで 良いんじゃないのかな。 エンジニアが ちょっと 切り貼りすれば、 OKだよ」 と言ったんだ。 でも、 彼は 「ダメだ。 あと2、3回 やってみる。 最初から 完璧に歌いたいんだ」 と言って、 スタジオに戻った。 そして 次のテイク。 僕たちが話した後の 次のテイクが 実際のレコードになった テイクなんだ。 完璧だった。 高音の部分が出せて、 彼は とても喜んでいた。 感動的な瞬間だったよ。 エルヴィスの 仕事に対する献身さを 見られたし、 彼が ベストを尽くしてることを 知ったからだ。

ウォーリー・ゴールド (Wally Gold)

 僕たちは幸運だった。 フレディ・ビーンストックが ドイツのエルヴィスに会って、 帰ってきて、 「エルヴィスが 『オ−・ソレ・ミオ』に夢中だ」 と言った時、 その場にいたのが 僕たちだけだったからだ。 いつもなら 3、4組のチームがいて、 ばか話をしてるところ だったんだ。 曲を書くために、 僕たちは 急いで タクシーに乗って、 アーロンのアパートに 向かった。

 タイトルは タクシーの中で 「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」 (It's Now Or Never) に決まった。 メロディは 既に出来てるし、 バース & コーラス・タイプの 曲だったから、 コーラス部分が 完成すれば、 曲は 出来上がったも 同然だったんだ。 後は 2、3のバース部分を 書くだけだった。 アパートに着いた時には 実質的には 書き終わっていたから、 あの曲は 本当のところ、 20分で 出来たんじゃないのかな。 翌朝、 フレディの事務所に行って、 聞かせたら、 「いいぞ。 デモを作ろう」 と言ったので、 そうしたんだ。 エルヴィスに 聞かせると、 彼も気に入って、 録音することに なった。 あれは エルヴィスにとって、 オペラの訓練 のようだったんだ。 それまでの 彼の歌い方とは 全く違っていたからだ。

 「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」は 8週間、 チャートで 1位になった。 大ヒットさ。 世界中で 1位になって、 エルヴィスの レコードの中でも 1位じゃないのかな。 世界中で 2000万枚売って、 ギネス・ブックにも 載ったことがあるんだ。 たった 20分で 書いた曲が、 僕たちの、 エルヴィスの 最大のヒット曲になり、 今も 売れ続けている。 エルヴィスに 祝福あれ!

歌詞の比較
 "It's Now Or Never" の歌詞は、 エルヴィスが 気に入らなかった "There's No Tomorrow" の歌詞に そっくりなのだ。


It's Now Or Never

It's now or never, come hold me tight
Kiss me my darling, be mine tonight
Tomorrow will be too late,
It's now or never, my love won't wait.

When I first saw you with your smile so tender
My heart was captured, my soul surrendered
I'd spend a lifetime waiting for the right time
Now that your near, the time is here at last.

Just like a willow, we would cry an ocean
If we lost true love and sweet devotion
Your lips excite me, let your arms invite me
For who knows when we'll meet again this way


There's No Tomorrow

There's no tomorrow when love is new
Now is forever when love is true
So kiss me and hold me tight
There's no tomorrow, there's just tonight

Love is a flower that blooms so tender
Each kiss a dew drop of sweet surrender
Love is a moment of life enchanting
Let's take that moment, that tonight is granting

エルヴィスのドイツでの プライベート録音 "There's No Tomorrow" は 1997年発売の4枚組CD, "Platinum" と、 2000年発売の FTD-CD, "In A Private Moment" で 聴くことができます。



 現在95才の トニー・マーティンですが、 上の写真のように、 今も 現役で歌ってます。 探しましたら、昨年のコンサート映像がありました。 とても 94才とは思えない 美声です。 ここでも歌ってる "There's No Tomorrow" は、 トニー・マーティンの 1950年、 全米第2位の ヒット曲です。
Tony Martin: "Begin The Beguine" & "There's No Tomorrow"


 トニー・マーティンの夫人は 「雨に唄えば」や 「バンド・ワゴン」等で 見事なダンスを 披露した シド・チャリシー (Cyd Charisse, シド・シャリースが 正確な発音らしい) です。 シド・チャリシーは 1956年公開の映画 「ラスベガスで逢いましょう」 の中で 「フランキー & ジョニー」 を踊っていまして、 その映像に 私が エルヴィスの歌 「フランキー & ジョニー」 (映画バージョン) を被せたら、 割合と上手く 合いました。 と言うか、 無理矢理 合わせてみました。
Elvis sings, Cyd Charisse dances: "Frankie And Johnny"

 この映画「ラスベガスで逢いましょう」の 日本や アメリカでのタイトルは "Meet Me In Las Vegas" というのですが、 ヨーロッパでは "Viva Las Vegas" というタイトルで 公開されました。 そのため、 エルヴィスの映画 "Viva Las Vegas" のタイトルが ヨーロッパで 使えず、 "Love In Las Vegas" に変更されたのです。



(Apr.13, 2008) (Apr. 9, 2008)

Chris Beard Interview (2001)

クリス・ベアード・インタビュー (2001年)
(「68 カムバック・スペシャル」の脚本を担当。 数多くのTV番組の 脚本以外に、 日本でも放送された 「ゴング・ショー」などの プロテューサーでもある。 昔は Chris Beard、 今は Chris Bearde と名乗っている)

Q : ショービジネスの世界で あなたが 最初に関わられたのは 何からでしょうか?

A : 僕はオーストラリアで 子供番組の司会をやっていたんだ。 50年代だよ。4時半からの番組で、 週に4日 放送されていた。 「クリス・ベアードの スモール・タイム」って 番組だったんだ。 当時、アメリカから 絵本が たくさん入ってきていて、 それを 僕が紹介していた。 ドクター・スースの "The Cat in the Hat" とかを ジャズ音楽を交えて 朗読してたんだ。 とても人気があって、 みんなが僕に 「アメリカでも成功するぜ」って。 僕を アメリカに行かそう、 行かそうと、 オーストラリアから 僕を 追い出しにかかったんだ。 僕は 出るつもりは 無かったんだけど、 成り行きで、 アメリカにやってきた。 オーストラリアから アメリカに渡った 芸能界の先駆けの 1人ってわけさ。

Q : どのように入ったのですか?

A : アメリカで最初にやった仕事は 「ラフ・イン」だ。 僕は サイト・ギャグ (動きで笑わせるギャグ) を書いてたんだ。 狂気じみた アート・ジョンソンを 覚えてるかい? 三輪車に乗って 転んだり。 あんなのを 僕が書いてたんだ。 それから、 「アンディ・ウイリアムス・ショー」 を2年間やった。 アメリカに行って 13週間後に、 「ラフ・イン」で 僕は エミー賞に ノミネートされて、 遂に僕は エミー像を持って、 フランク・シナトラの隣に 立っていたんだよ。 こんなことって 起こるんだね。 僕のことで オーストラリア中が 熱狂したんだ。 花火が上がったとは 聞いてないがね。

Q : その頃は NBCの専属だったのですか?

A : その通りだ。 スペシャル番組を たくさんやっていて、 僕たちは 売れっ子だったんだ。 僕とパートナーの アレン・ブライは 大の仲良しでさ。 アンディ・ウイリアムス・ショーの 全盛期の クーキー・ベアを 覚えてるかい? 「アンディ・ウイリアムス・ショー」は 最もセリフ量の少ない 受賞作品なんだよ。 オズモンド・ブラザースに クーキー・ベアがいて、 当時の人気バンドが 出てくれたお蔭さ。 ヤング・ラスカルズや、 ブラッド・スウェット &ティアーズ、 他のショーには ほとんど出てない 連中ばかりだった。 エルトン・ジョンが アメリカのテレビに出たのも 僕たちの番組が 最初だったんだ。 彼は まだ19歳で、 レイ・チャールズと 共演したんだが、 レイは エルトンの名前すら 知らなかった。 彼らが共演したテープは 何処かにあるはずだ。 その忙しい頃に スティーブ・ビンダーと ボブ・フィンケルから 「エルヴィス・スペシャル」の 話が来たんだ。

Q : そのことを話して頂けますか?

A : 実際のところ、 アレン・ブライは 「スマザース・ブラザース・ショー」の プロデューサーで、 僕は 「ラフ・イン」の 作家だった。 僕たちが カナダで出会った時、 アメリカで一緒に 仕事をしようと 誓ったんだ。 どちらかが成功した時に 呼ぶ約束をしていた。 そして、 アレンが 「スマザース・ブラザース・ショー」で 成功したので、 僕を呼んでくれたのだが、 「ラフ・イン」の プロデューサーの ジョージ・シュラッターが 僕を放してくれなかった。 でも、 その年の終わり頃には 「アンディ・ウイリアムス・ショー」で 一緒に働けるようになった。 丁度 その頃なんだ。 スティーブ・ビンダーから アレン・ブライに 「エルヴィス・スペシャル」の 話が来たのは。 アレンは僕に 「君も一緒に行こう」って 言ったので、 僕は 「本当に エルヴィスに会えるのか?」 と訊いたんだ。 すると 「会わせるだけじゃない。 君も一緒に台本を書くんだ」 と言われたので、 僕は震え上がったんだ。

Q : 初めて会ったエルヴィスは どんな様子でしたか?

A : 今でも はっきり覚えてるよ。 彼は 檻の中のヒョウのように 廊下をやってきた。 大勢の人に囲まれていたが、 僕には はっきり見えたんだ。 何か獲物を 探してるようにね。

Q : あなたはエルヴィスと 言葉を交わしましたか?

A : エルヴィスが ユーモアのセンスの持ち主だと すぐに分かった。 たとえ 彼がジョークを言わなくても、 彼が どの程度にユーモアを 理解できるか 分かるものなんだ。 自己紹介の時に、 僕は言ったんだ。 「エルヴィス、 僕はあなたの音楽が好きです」と。 続いて大佐に 「僕はあなたのチキンが 大好物です」と。 (大佐を 「ケンタッキー・フライド・チキン」の カーネル・サンダースと 見立てたジョーク) つまらないジョークなんだが、 大佐に対して、 こんなことを あえて言う人間は それまで いなかったのだろう。 エルヴィスは可笑しく思って 笑ったんだ。 当然、 彼が笑えば 周りの連中も笑う。 それが 彼らの仕事だからな。 次の瞬間、 僕は彼の顔を見て、 彼も僕の顔を見て、 「OK、一緒にやろうぜ」って なったんだ。 こんな風に 僕は エルヴィスのユーモアのセンスに 気付いた。 映画の彼からは よく分からなかった点だ。 彼は セリフを喋ってただけだからね。 それに、 彼は、 こんなにも はっきりと 大佐に向かって 物を言える人間がいることに ショックを 受けたんじゃないかな。 でも、このことで 彼も大佐に 自信を持って 意見を言えるようになったんだと 思う。 「俺たちは 国連で歌うんじゃないんだ。 さぁ、 ロックン・ロールを やろうぜ」って。

Q : 大佐は 彼に もっとクリスマス・ソングを 歌わせたかったのでしょう?

A : シンガー・ミシンが 番組のスポンサーで、 あの頃の僕たちは やんちゃ坊主だったんだ。 スティーブ・ビンダーや 僕は テレビの反逆児だったんだ。 実際に どうして僕たちが 選ばれたのか 知らないんだが、 プロデューサーの ボブ・フィンケルの ひらめきだろうね。 素晴らしい人材を 集めたものさ。 コメディを知る人間、 音楽を知る人間、 制作を知る人間を連れて来て、 怒れる若者の スティーブ・ビンダーに まとめさせれば、 うまく行かない 訳が無かったんだ。

Q : あなたは どのようにして 脚本を書いたのですか?

A : 全ては エルヴィスを 僕たちの味方に付けることから 始まった。 もちろん 僕たちだけで集まって、 最初に みんなの意志を 確かめ合った。 「国連なんか 糞食らえ」って。 彼も「そうする」って。 「僕たちがやることに 付いて来られるか? 僕たちは ロックン・ロールを やりたいんだ。 32人の オーケストラをバックに ロックをやる。 ハウンド・ドッグやるんだ」と。 彼は 「素晴らしい。やろう」って。 そして、僕たちが戻ると、 大佐が 僕たちの顔を見て、 エルヴィスを 部屋に 呼び入れたんだ。 中で何が話し合われたのか 知らないが、 明らかに エルヴィスの顔つきが 変わっていた。 エルヴィスは点火して、 今にも 発火せんばかりに なっていたんだ。

Q : ショーの下準備から 話してください。

A : 僕たちは 彼らの計画を 変えることができ、 ロックン・ロール・ショーを やることになった。 だけど、 それ以外の事は 全く 白紙状態だったんだ。 それで、 音楽監督の ビリー・ゴールデンバーグや ボーンズ・ハウなどと共に スティーブ・ビンダーの 事務所に 集まって、 会議を開いた。 どのようなショーが良いか、 僕たちは 何をなすべきか、 知恵を出し合った。 すると その時、 部屋の片隅に 置かれてあった テレビの画面の中で 何か異変が起きたんだ。 偶然にも その夜に ロバート・ケネディが 暗殺されたんだ。 それで 僕たちは 会議を止めて、 テレビの画面に 見入っていた。 すると、僕たちに だんだんと 重大な変化が 起きてきたんだ。 僕たちは みんな それぞれの 身の上話を始めた。 そして、その時、 エルヴィスが ギターを取り出して、 彼の半生を 弾き語り始めたんだ。 僕たちが彼に やってくれと 頼んだ訳じゃないんだ。 彼が自主的に 始めたんだ。 僕たちは僕たちで 今までの体験談を 話した。 失敗したこと。 成功したこと。 朝の3時か 4時頃まで、 エルヴィスの歌を 聴いていた。 そして、 僕たちが気付いたことは、 エルヴィスは ギターを弾くことができる ってことだったんだ。 だって、 こんなことをやる彼を 見たことがなかったからだよ。 彼がギターを弾く姿は まるで魔法のようだったんだ。 それで、 これをショーでやろうと 思いついた。 エルヴィス自身に 彼の半生を語らせようと。 そして、 メンフィスから 古いバンド仲間を呼んできて、 カメラの前で 延々と 取りとめ無く やらせることにしたんだ。 部屋で起きたことを そのままに 再現したかったんだ。 ショーは 一人のアメリカ人の死を 見つめながら、 心情を吐出すことが きっかけで 出来上がったんだ。

Q : 大佐はショーを どのように 思ってたのでしょうか?

A : 彼はスポンサーである シンガー・ミシンの顔色を 伺っていた。 彼らは 保守的な人種だったし、 主婦たちと 同じ人種だったんだ。 本当のことだ。 彼らは少し パニックになってたと思うよ。 だって、 スティーブは ハリー・ベラフォンテと ペトゥラ・クラークの 一件があっただろう。 彼らがキスして、 「まあ、何てことを・・・」って。 当時は あり得なかったことなんだ。 シンガーは 僕たちが 何か極端なことを 仕出かすんじゃないかと 心配していた。 まあ、 その通りだったから、 彼らが心配するのも 無理はなかったがね。

大佐は 一歩退いたように 僕には見えた。 「エルヴィスが あいつらに 興味を持ったので、 僕は彼を 行かせたんだ」 と大佐は口にしていた。 大佐は賢い人間だった。 僕たちを見て、 エルヴィスを見て、 久しく 見たことがなかった炎が エルヴィスの中で 燃え盛ってることに 気付いた。 僕たちの企画が その原因だと 彼は気付いて、 理解したんだ。 それからの大佐は 僕たちを邪魔することなく、 エルヴィスを 仕事に集中させることにした。 大佐は スポンサーを 説得する役回りに 徹したんだ。 シンガーの連中が やって来て、 「一体これは 何をやってるんだ?」 と言われても、 彼は 「大丈夫です。 ご心配いりません」 と言い続け、 彼らを 僕たちに 近づかせなかった。 それが大佐の 「スペシャル」での 貢献なんだ。 彼がバリケードとなって、 人々を 近づかせなかったから、 僕たちは 純粋なエルヴィス・ショーを やることができたんだ。

Q : エルヴィスの ユーモアのセンスについて 話してください。

A : 映画時代の彼は イタズラに 明け暮れただろうが、 今回ばかりは エルヴィスは もう1人のエルヴィスに なっていたんだ。 彼は やる気満々だったってことだ。 明らかに 映画の彼とは 違っていた。 彼は「スペシャル」をやる前から、 スターの輝きを 取り戻していた。 他にどう言えばいいか 思いつかないんだが、 彼は 「スペシャル」が作られる前から、 スターの輝きを 取り戻せることに 気付いていたんだ。 僕たちにも それが分かっていたし、 大佐も気付いていた。 知らなかったのは スポンサーと 一般の人々だけだった。 だから ボブ・フィンケルも 大佐も 「誰もセットに近づけるな」 と言い続けたんだ。 本当に スペシャルな何かを 創り出そうとしていた。 それは エルヴィスの魂から 湧き出たもので、 エルヴィスの魂なくして、 僕たちだけで 作れるものではなかった。

Q : あなたにも 共通の認識があったのですか?

A : 初めからあったし、 それは 彼にユーモアがあったからだ。

Q : そのことを話してください。

A : こんなことがあったんだ。エルヴィスの ユーモアの一端だ。 「スペシャル」の録画取りが 終わった後のことで、 僕は サンセット大通りを ドライブしていた。 すると 一台のリムジンが 音を立てて 僕の車の横に 擦り寄ってきた。 そして 窓が開くと エルヴィスだったんだ。 彼が運転していたんだ。 他の男たちは 「ヘイ、ヘイ」と エルヴィスを けし掛けていた。 彼は僕を見て 「ドラッグ・レースしないか?」って。 僕たちは サンセット大通りを ぶっ飛ばしたんだよ。 エルヴィスと僕だよ。 懐かしい思い出だし、 これがエルヴィスの ユーモアなんだ。

誰が何と言おうと、 エルヴィスは 最も人気あるタレントの座から 落ちたことは 無いんだ。 現在でも それを維持している。 というのも、 彼はみんなの感情面を 知らず知らずの内に 刺激してるからだ。 エルヴィスが こんなことを話したことがあった。 彼が若い時に、 一人の男がやってきて 「お前がエルヴィス・プレスリーか?」 と尋ねるや、 いきなり 顔を殴ってきた と言うんだ。 そして、 殴った奴は 仲間の元に戻って、 「エルヴィス・プレスリーを 殴ってきた」 と自慢する。 分かるかい? 彼は若い時から このような 単に彼を嫌う連中や、 逆に 彼のハンサムな外見に 嫉妬する連中の 攻撃の対象に なってきたんだ。

Q : 「モンティ・パイソン」が 彼のお気に入りだったことについて 話してください。

A : エルヴィスの英国人の物まねって、 全くひどいものでね、 彼が 英国人の物まねをやる度に 大笑いしたもんさ。 僕たちが メンフィス人の物まねをやった時は 逆に 彼に笑われたがね。 彼は誰に対しても 気さくでね。 TVショーの関係者 誰とでも 気さくに話していたんだ。 彼は 誰でも知ってるような オヤジ・ギャグばかり言うんだ。 そりゃ みんな笑うさ。 で、僕は 彼に言ったんだ。 「古いギャグ ばかりじゃないか。 新しいのを 仕入れてきてよ」って。

Q : あなたは彼に 助け舟を出さなかったのですか?

A : エルヴィスに 新しいジョークを提供したよ。 エルヴィスは 「クリス、 今日は 何か新しいのないの?」って。 僕は 必死になって 考えたものさ。 でも、 時には思いつかないことだって あるだろう。 その時は、 「今日は新しいのが無いようだから、 僕が古いのをやろう」って。 彼の十八番は カラテ・ギャグだったんだ。 いつも サイト・ギャグ (動きで笑わせるギャグ)でさ。 オーバーに カラテ・チョップをやって 倒れこむみたいな。 彼は そのようなギャグが 好きだったんだ。 「モンティ・パイソン」では みんながスコットランド人に 扮するやつだ。 知ってるかい? スコットランド人の 風景描写なんだが、 エルヴィスの スコットランド人の物マネだけは 2度と見たくなかったよ。

Q : 彼は あなたを気に入ってたようですね?

A : 全く知らなかったんだが、 ずっと後になって、 パーティの席で リンダ・トンプソンから 聞いたんだ。 彼がテレビで 「モンティ・パイソン」風な ギャグを見ると、 いつも 「あれは クリスが書いたんじゃないかな」 と言ってたそうなんだ。 そのことは 後で知ったんだが、 彼は彼の道を歩み、 僕は僕の道を歩んだ。 でも いつも 彼と僕は 深いきずなで 結ばれているような 気持ちでいたんだ。 僕たちが 画期的な「スペシャル」を制作し、 それは 毎年のように 再放送され続けている。 これこそまさに クラシック・エルヴィスなんだ。

Q : エルヴィスは カメラを前にして 緊張した様子でしたか?

A : あれは 彼にとっても 驚いたと思うんだ。 彼が初めて 黒のレザー・スーツを 着た時は、 まるで フットボール選手が ユニフォームを着た時のようだった。 「さあ、これは務めだ。 出て行って、 自分の力を出す。」 初めて 観客の前に出た時の エルヴィスは 緊張した様子だった。 でも それは 恐怖心からの 緊張でなくて、 エネルギーの 昂ぶりだったんだ。 エルヴィスのエネルギーが 爆発寸前に 高まっていたからなんだ。 観客の前に出ていなかった 数年間のエネルギーが 蓄積されていた。 それは緊張でなくて、 純粋な興奮が 原因だったんだ。 「怖いなあ」でなく、 「これがやりたかった」だと 僕は思うんだ。

Q : 彼にとって 久しぶりのことだった。

A : そうなんだ。 映画のエキストラじゃない 生の観客の前で歌うのは 本当に 久しぶりのことだったんだ。 そして、 彼をリラックスさせるために メンフィスから 古い友人や ミュージシャンたちを呼んだ。 これは良いアイデアだった。 彼を 緊張の糸から 解き放つことが 出来たからだ。 そして、 これを 君は覚えてるだろう。 彼の言葉だ。 ショーの中で 彼は このように言った。 「僕は 多くの新しいグループも好きだ。 知ってるだろう。 ザ・ビートルズ。 そして・・・」 その時、 僕は 彼のすぐ近くに 座ってたんだ。 彼は まっすぐ僕を見て 言ったんだ。 「そして、 ザ・ベアーズ (The Beards)。 ザ・ベアーズも好きだ」と。 (エルヴィスはクリス・ベアード (Chris Beard) のベアードから、 架空のグループ、 ザ・ベアーズと言った) この言葉を 覚えてるだろう? ショーの途中で 彼が言った言葉だ。 これには ちょっとした 彼のメッセージが 含まれてるんだ。 「僕は音楽と同じように ユーモアも好きだ」 と彼は 言ってるんだ。 ビートルズの多くの歌には ユーモアがあって、 エルヴィスの歌には あまりユーモアが無かった。 ほとんどが 突っ張った ロックン・ロールだったからね。

Q : 観客は 何処から呼んだのですか?

A : これには ちょっとした トラブルがあった。 すでに スティーブ・ビンダーが 話したかもしれないが、 エルヴィスが 観客の前に出る 直前のことだった。 2時間程前のことだったんだ。 僕は 誰かが 観客を入れるのを止めたと 思ったんだ。 観客が一人も 来てなかったからだ。 それで、 フィンケルか 大佐かが 急いで ロサンゼルス中のDJに 電話をして、 言わせたんだ。 「今すぐ NBCに直行すれば、 エルヴィス・プレスリーの ライブ・コンサートが 見られるよ」って。 NBCの入り口には 4人のガードがいて、 大騒ぎになったのは 当然のことだが、 すぐに観客は 十分に集まった。 でも、 何が原因で あのような事態になったのか、 実際のところ、 はっきりしなかったんだよ。

Q : ボブズ・ビッグ・ボーイ(ファミリー・レストラン)でも 人を集めたのでしょう?

A : 色々と手を尽くして 集めたんだが、 僕が覚えてるのは ラジオを聴いた人たちが 多かったことだ。

Q : 観客の反応に対して エルヴィスの反応は?

A : 彼は仮面を脱いで、 素の自分をさらけ出した。 ロバート・ケネディ暗殺を見ながら 心情を吐露した あの時の彼と同じだった。

Q : ショーの後で 彼と話しましたか?

A : 最初のショーが終わって、 彼がステージから降りてきた時、 僕たちは 出入り口のところにいたんだ。 エルヴィスは 僕たちを見て、 「マイ・ボーイ、マイ・ボーイ」って、 ステージでも よく使ってた言葉を 言った。 それは彼なりの 「やったぜ」 という表現だったんだ。 2度目のショーから戻ってきた時の エルヴィスは、 まるで 檻の中のトラのようだった。 ステージを占領し、 観客を飲み込み、 全てを喰い尽くした。 信じられない程の出来だった。

Q : あれはエルヴィスのカムバックに 油を注ぎましたね?

A : その通りだ。 彼の仲間が 完全に彼を取り囲み、 彼のルックスに、 照明に、 音楽。 彼は好きなことが 自由にできた。 あの小さな四角いステージは 古いリチャード・ニクソンの 演壇の一部で、 NBCの裏に 片付けられていたものなんだ。 僕たちは なるべく小さなステージを 必要としていた。 大きなステージなら、 観客をステージに 上げられなかったので、 小さなステージを求めて、 スタジオ中を 探し回ったんだ。 そして 見つけたのが ニクソンの演壇だったんだ。 後にエルヴィスは ニクソンに会いに行ったよね。 何か縁でもあったのかな?

Q : エルヴィスは あれがニクソンのだと 知ってたのですか?

A : それは知らなかっただろう。

Q : 「スペシャル」が 放送された後の反響について 話してください。

A : もちろん、 視聴率でトップだったし、 批評もかなり良かった。 どんなことが 書かれていたか 今は忘れてしまったが、 新しく蘇った ロックン・ロール・シンガー、 エルヴィスを見て、 みんな ショックを受けたんじゃないかな。 映画のイメージが 強かったからね。 今だって 映画は再放送されてるけど、 彼のイメージで 最も強烈なのは 「スペシャル」の オープニングだろう。 彼がカメラに向かって "If you're looking for trouble, you've come to the right place. If you're looking for trouble, look right in my face" ってね。 そして、 カメラが引くと、 背後に100人のエルヴィスが 現われる。 素晴らしいねぇ。

Q : あの映像には驚きました。

A : あれだよね。 そして、 ゴスペルがあって、 ギター・マンの物語。 全てが集まって、 魔法の瞬間となった。

Q : ゴスペル・メドレーは どのようにして 生まれたのですか?

A : 心情を吐露したあの時、 エルヴィスがゴスペルに、 現在の サザーン・ゴスペルに 関わってることを 知った。 彼なら 神との関わりを 音楽を通して表現できると 思った。 彼が ゴスペル風に歌うと、 全く異なった 色合いになったんだ。 そこが あの「スペシャル」の 素晴らしいところなんだ。 彼を 色んな異なった状況に置く。 売春宿で 15人の女性たちと 絡ませる。 彼は 次の場面では ゴスペルを歌う。 まったく違った 二人の人物でありながら、 すべて エルヴィスそのものなんだ。

そして、 ゴスペル・メドレーは とても 躍動感があるんだ。 それは 異なったアメリカを 繋ぐものだからだ。 南部と 北部のアメリカ。 黒人と 白人のアメリカ。 君たちは エルヴィスに 人種的な不平等を 感じないだろう。 彼は みんなを代表してるからだ。 彼の音楽ルーツは 黒人であり、 白人である。 そして、 ゴスペル・メドレーは 彼の音楽の 黒人の部分を 引き出してるんだ。

Q : 売春宿のシーンは 何から生まれたのですか?

A : 売春宿のシーンは、 彼が あのような場所で 歌ったことがあるという 実体験談から来てるんだ。 初期の頃、 彼は あのような経験をした ってことなんだ。 そして、 あれこそ、 シンガーの連中が パンツの紐を 締め直した場面なんだ。 当時の状況では、 エルヴィスが エキゾチックで、 生地を節約した服装の 売春婦、 実際には 売春婦に扮装した ダンサーたちに 弄ばれるなんて 想像したくなかったので、 放送では カットされたんだ。 実際の現場では 僕は興奮して 見ていたものさ。

Q : 今のビデオでは 元に戻りました。

A : そうだ。

Q : 「明日への願い」は どのようにして 生まれたのですか?

A : ショーのクロージング・ソングが 必要になった。 そこで、 まず 彼のレコードの中から 探したんだが、 ショーのエンディングに 相応しいものが 無かった。 それで、 音楽監督の アール・ブラウンに 書くように 頼んだ。 そして、 出来上がった曲を エルヴィスに聴いてもらうと、 彼は「やる」と うなづいたんだ。 あの時のエルヴィスは あらゆる変化に対応できる オープンな状態だったんだ。 それで、 あの曲が 出来上がってきた時も、 彼はオープンに あの曲を 受け入れることができた。 TVショーのために書かれた オリジナル・ソングで、 まだ誰も 歌ったことがなく、 まだ誰も 良いとも悪いとも言ってない曲を 彼は信じた。 「明日への願い」を歌うと 彼一人で 決めたんだ。 彼はアールの作品を 1度聴いたけで、 彼はショーで歌いあげ、 人々をぶちのめしたんだ。

Q : 「スペシャル」は あなたにとっても キャリアの頂点ですか?

A : 僕の? その通りさ。 沢山のことをやってきたが、 エルヴィスとの6週間は 僕の生涯で 最も重要な時だったことに 変わりはない。

Q : 「スペシャル」の後で、 あなたは エルヴィスに会われましたか?

A : 僕たち全員が ラスベガスのオープニングに 招待されたんだ。 実際のところ、 僕は ひとりで行った。 何故ひとりだったのか 覚えてないが、 僕は 最高の席で 彼を見て、 ショーの後に、 バックステージに 連れて行かれた。 エルヴィスは 大勢の人に 囲まれていた。 友人や テキサスの大金持ちたちだ。 エルヴィスは僕を見つけて、 やって来た。 ハグしたあと、 彼が 「ショーはどうだった?」 と訊いたので、 僕は 「素晴らしかったよ。 でも、 衣装は ちょっと オカマっぽいんじゃないか。 でも、 君なら十分に オカマでも通用するよ」 と言ったんだ。 彼は笑っていた。 その時の僕は 高いストールに 座っていたんだ。 そして、 エルヴィスが紹介するって 誰かを連れてきた。 その男と僕が 握手をした後で 離れる時に、 僕は 手を引っ張られた振りをして、 椅子から 大袈裟に転げ落ちてみせたんだ。 エルヴィスお気に入りの サイト・ギャグを やってみせた。 それが引き金になって、 話が弾んで、 「アレンは どうしてる?」って 彼が尋ねた。 僕のパートナーの アレン・ブライのことだ。 「彼は家で寝てるだろう」って 僕が言うと、 彼は「電話しよう」って。 朝の3時だったんだぜ。 でも、 朝の3時に アレンに電話したんだ。 彼の奥方が電話に出て、 「もしもし?」 エルヴィスは 「アレンはいますか?」って。 「どなたですか?」 「エルヴィスです。」 「あらまあ、 エルヴィス。 本当はクリスでしょ?」 「いいえ、 本物のエルヴィスです。 クリスもいますが、 僕はエルヴィスです」 って。 その後の アレンの奥方は ぼろぼろになってしまったんだ。 朝の3時に エルヴィスから 電話が掛かってきたんだからね。 こんな楽しいこともあった。 まあ、 この後にも 彼とは2度ほど会ったんだ。 1度は ドラッグ・レースの時だよ。 その後は会えなかった。

Q : どうしてエルヴィスは 他の歌手より 長く愛されてるのでしょうか?

A : 彼は 田舎の少年の成功物語の 典型なんだ。 「エルヴィスに出来るなら、 僕にも出来る」って。 トラックの運ちゃんだったろう。 そして、 僕が思うには、 彼には あらゆる共通点があるんだ。 男らしさ。 女らしさ。 子供らしさ。 あの無邪気なところ。 彼はうまく使っていた。 そして、 無邪気さを失くした時点で 彼は終わったんだ。 晩年のドラッグや 何やらで、 彼の最大の魅力であった 無邪気さを 失くしてしまった。

Q : その頃の彼に会ってたら、 どうしましたか?

A : 僕が言いたかったのは、 「あの衣装を脱げ。 体重を落とせ。 テレビをやれ。 もっとシンプルなやつを。」 彼の仕事に 関わりたかったのでなく、 ただ言いたかっただけだ。 あの頃に会ってたら、 きっと言ってただろう。

Q : 個人的に、 あなたにとって エルヴィスは何でしょう?

A : エルヴィスは 僕の友達だった。 こんなこと 考えたこともなかったが、 彼は友達だった。

Q : 彼には カリスマが ありましたよね?

A : そうなんだ。 僕が初めて この目で彼を見た時、 人間とは思えなかった。 まるで 現実には存在しない生物を 見てるようだったんだ。 新じられない程の オーラが 彼を包んでいた。 まるで 魔法にかかったようだった。 これが最初の印象だ。 コンサートや何やらで 初めて エルヴィスを見た時に、 みんな ショックを受けたと思う。 「こんな人が いるなんて」とね。 実際、 驚きで 僕は 口が利けなくなったんだ。 僕は 占星術をやってたんだが、 そんなの どうでもよくなったんだ。 エルヴィスは 超自然的な何かを 持っていた。 彼は スピリチュアルな 人間だった。 ほとんどの人は 気付いてなかったし、 大佐は そのことが 表ざたになるのを 望んでなかった。 彼が変人に 見られかねないからだ。 僕たちはお互いに 精神的に理解してると 信じていた。 そこに エルヴィスの登場だ。 彼は 別世界から来たと 思うことさえあった。 エイリアンさ。 「彼は本当に 人間なのか?」って。

Q : もっと 詳しく話してください。

A : スピリチュアルな体験は 説明しにくいんだ。 エルヴィスのことも、 彼に会った、 彼に触れた人たちみんな スピリチュアルに似た体験を したと思う。 彼の取り巻き連中が 思ってる以上に 彼は 深い感情の 持ち主だったからだ。

Q : 「ラフ・イン」について 話してください。 (「ラフ・イン」を 真似して作った番組が 「大橋巨泉の ゲバゲバ90分」だ。 このことから、 「ラフ・イン」が どのような番組だったか 想像できるでしょう)

A : 「ラフ・イン」が始まった頃、 僕は カナダで番組を持っていた。 そして 「ラフ・イン」に 引き抜かれたんだ。 僕の担当は 多かれ少なかれ サイト・ギャグだった。 あれは とても面白いショーで、 13人の作家が 集まって書いた 多様なギャグが密集した 画期的なショーだったんだ。 テレビ界の 常識を変えた という意味でも、 あれに関わっていたことを 誇りに思ってる。 そして、 エルヴィスのショー。 当時では 画期的な 素晴らしいショーで、 これにも 僕は関われた。 1968年は この国の変化に 重要な年であり、 僕はその中にいて、 目撃し、 実際に 関わっていた。 今も この世界の空気を吸って 生きてるなんて、 驚くことだよ。

Q : ソニーとシェールも 一緒に仕事をしましたね?

A : 当時のCBSの社長だった フレッド・シルバーマンに 「ソニーとシェールの コメディ・アワー」に 誘われたんだ。 ソニーとシェールと 会った後で、 アレン・ブライと僕と 顔を見合わせて 「どうする?」って。 彼らは歌も上手くないし、 コメディも上手くできない。 でも、 13週間の契約なんだ。 それで 「『彼らは素晴らしい』 と言おうぜ」って。 そんな風に 「ソニーとシェール」は 決まったので、 成功して 驚いたのは 僕たちなんだ。 あの番組は コメディ入りの 音楽ショーでなくて、 音楽入りの コメディ・ショー だったんだ。 音楽によって コメディ部分が より活かされる。 「ディーン・マーティン・ショー」 「アンディ・ウィリアムス・ショー」など、 音楽は 大部分を占めるコメディの つなぎ役に 過ぎなくなっていた。 あの時代の 無害な バラエティ・ショーは 懐かしい過去に なってしまった。

Q : あなたが関わられたもので、 ハイライトと言えるものは 他にありますか?

A : チャック・バリスという 小柄な男に会った時、 彼は 「ABCでは やりたいものが無い」 と言ったんだ。 彼は 素人タレント・ショーを やっていて、 「退屈きまわりない」 と言った。 そこで僕が、 オーストラリアには こんなショーがあるんだ。 三人のゲイの男がいて、 素人が 芸を披露すると、 途中でブザーを鳴らして、 止めさせる。 そして、 ゲイの男が 「まあ何て 趣味の悪い靴なんでしょ。 そう思わない?」 なんて言うんだ。 そこで 笑いが起こる。 そして僕は 彼に言ったんだ。 「僕と組んで、 最低の素人参加 タレント・ショーを やってみないか?」って。 彼は 「グッド・アイデアだ」って。 これが 「ゴング・ショー」をやる きっかけなんだ。 後は テレビの歴史になった。 大成功したんだ。 今の「ジェリー・スプリンガー・ショー」は 「ゴング・ショー」の パクリだよ。 あの成功のお陰で 今の僕は のんびりと 君と話せるんだ。。

Q : 「ゴング・ショー」と 「スプリンガー・ショー」を 合わせれば、 また別のショーが できますね?

A : そうだな。 僕は 大衆に迎合したショーを やりたいんだよ。 エルヴィスが 大衆迎合主義 (populist) だったようにね。



(Apr.13, 2008)

エルヴィス関連 TV 情報

GO! GO! アメリカ
#11, アメリカ縦断鉄道旅行 メンフィス
4/13(日) 20:00〜21:00 初放送
スカパー!旅チャンネル (Ch.277) ケーブルTV他

メンフィス - 「黒人の叫び・ブルース&ロックンロール」を テーマにお届け。 過酷な労働を強いられた 黒人の叫び、 ブルース。 これを育み、 ブルースを生み出した街であり、 ロックンロールの帝王、 エルビス・プレスリーが こよなく愛した街でもあります。



(Apr.12, 2008)

エルヴィス TV CM情報

KIRIN むぎ焼酎「白水」

 中村雅俊出演による KIRIN むぎ焼酎「白水」の TV CM に、 エルヴィス・プレスリーの 「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」 が使われます。 放送は4月12日より 全国一斉スタート。

 このCM、 ネットでは 既に公開されてます。
KIRINのHPでCMを見る (15秒版 & 30秒版)
又は ここでも見られます。(15秒版 or 30秒版)


プレスリー「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」が KIRIN むぎ焼酎「白水」の CMソングに!

 エルヴィス・プレスリーの 1960年の大ヒット曲 「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」が、 <名水百選 白山水源の水> を使った KIRINむぎ焼酎「白水」の CMソングに決定した。
 「白水」が 4月よりリニューアル発売されることに伴い、 中村雅俊氏出演による TV-CMが 本日4月12日(土)より 全国一斉オンエアが スタートする。
 エルヴィス・プレスリー財団の官制が厳しいため、 エルヴィスの楽曲が 日本独自で CMソングに 使用が許可されることは、 これまでほとんど 不可能とされていたが、 今回の決定に至った次第。
 エルヴィス・プレスリーのヒット曲 「ラヴ・ミー・テンダー」 「好きにならずにいられない」 といったスタンダード・ナンバーは、 本人以外のカヴァーにより 幾度も CMソングに 使用されてきたものの、 <本物エルヴィスの歌唱> ということもあり、 今回のCMの存在感は 抜群です!



(Apr. 4, 2008)

エルヴィス関連(?)CM情報

宮沢りえのCM曲は「ラブ・ミー・テンダー」なの?

 現在、TV放映中の 宮沢りえの資生堂 「アクアレーベル」のCM。 「ラブ・ミー・テンダー」の メロディが聞こえる度に、 気になって 見てしまいますが、 歌詞が エルヴィスのとは 異なってます。 これは ハワイの人気トリオ、 マウナルア(Maunalua)が歌う 「サンシャイン・ラブ」という 曲らしいです。
 どちらも原曲は アメリカ南北戦争時代の愛唱歌 「オーラ・リー」でして、 オリジナルの歌詞が 付けられています。 エルヴィスが 映画「トラブル・ウイズ・ガールズ」 の中で歌ってる 「ヴァイオレット(Violet)」 という曲も 同じく 「オーラ・リー」の 替え歌です。

資生堂のHPでCMを見る



(Mar.30, 2008)

「カムバック・スペシャル」の振付師
ジェイム・ロジャースって?

 アール・ブラウンのインタビューに 名前が出てきた ジェイム・ロジャース。 気になって 調べましたら、 彼は 映画「ウエスト・サイド物語」で シャーク団の メンバーの1人、ロコ役を演じてる人でした。
 左の写真の、 上は オープニング・シーンで 唾を飛ばす人、 下は 「アメリカ」で ジョージ・チャキリスと 尻を蹴りあう人です。 彼の最も有名な 振り付け作品は 1984年に 全世界でブームを巻き起こした 映画「ブレイク・ダンス」 でしょう。
 それにしても、 監督のスティーブ・ビンダーは、 TV番組 「フラバルー」では ジェット団の デビッド・ウィンタースを 振り付けに 使っていながら、 何故 「カムバック・スペシャル」では シャーク団の ジェイム・ロジャースを 起用したのでしょうか?



(Mar.28, 2008)

W. Earl Brown Interview (2001)

(W・アール・ブラウンは今年、2008年1月10日に亡くなられました。)

W・アール・ブラウン・インタビュー (2001年)

Q : 「'68 カムバック・スペシャル」で エルヴィスと 働くようになった経緯から 話してください。

A : 「スペシャル」での仕事は、 最初は メドレー部分のアレンジと ボーカルの作詞を 任されたんだ。 そして、 プロデューサーのボブ・フィンケルと ディレクターのスティーブ・ビンダーは エルヴィスに 平和や兄弟愛を テーマとした曲を 歌わせたがった。 でも、 「すべての山に登れ」 (サウンド・オブ・ミュージック)や 「ユール・ネバー・ウォーク・アローン」のような 既存の曲では ダメで、 彼に 新曲を 歌わせたがった。 そこで、 ビリー・ストレンジと マック・ディヴィスに メロディを書かせるから、 それに 歌詞を付けるように 言われたんだ。 しかし、 何週間たっても 彼らから 曲が送られて来ないし、 来る気配も無かった。 それで、 ボブ・フィンケルが 僕に 先に歌詞を書くように 言ったんだ。 「歌詞を渡して、 メロディーを付けさせよう」 って。

それで、 家に帰って 書こうとしたんだが、 どうしても出来ない。 エルヴィスが 「こんな歌は 気に入らない」 と言ってるような 気がして。 それで、 アレサ・フランクリンを 頭に描いて 書いたんだ。 メロディも 自分で付けた。 そして、 翌日、 ボブ・フィンケルと スティーブ・ビンダーに 曲を聞かせてると、 後ろから パーカー大佐の声が 聞こえた。 「そんなの エルヴィス・タイプの 曲じゃない」って。 そして また、 別の声が聞こえて、 「やってみよう」って。 それが エルヴィスの声だったんだ。 エルヴィスが 廊下で聴いてたとは 全く知らなかった。 それからは まるで映画のように、 とんとん拍子に 話がまとまって、 ハリウッド大通りの、 否、 サンセットだったかな、 ウェスターン・レコーダースで 録音したんだ。 エルヴィスのバックで歌ってた ブロッサムズがいて、 エルヴィスの歌を聴いて、 涙を流したんだ。 僕は 「一体、どうしたんだ?」って。 すると、 ダーレン・ラブが 「全ての願いが 歌詞に込められてるわ」 って言ったんだ。 もちろん、 彼の歌唱力も素晴らしかった。 彼は歌に 乗り移ったようだった。 僕の気持ちも 180度変わった。 こんな僕の歌を エルヴィスが 気に入るわけないだろう という不安が一転して、 彼は受け入れてくれ、 素晴らしい作品に 仕上げてくれた。 発売されてからは、 ビルボード誌の ヒット・チャートを見るのが 楽しくてね。 上がって、 上がって、 上がって、 ゴールド・レコードに なったんだ。 本当だよ。

Q : パーカー大佐が反対していても、 エルヴィスは 断固として 「明日への願い」を 歌ったでしょうか?

A : それは分からない。 僕は大佐の顔は見てないんだ。 声を聞いただけなんだ。 「彼の歌じゃないよ」って。 そして、 エルヴィスの声で、 「やってみよう」って。 それだけで、 他に 言葉は無かったんだ。 それから、 事はスムーズに行って、 エルヴィスに ぴったり合ったということなんだ。

Q : あなたが 「明日への願い」を書いてる時、 ロバート・ケネディ暗殺のことは 頭にありましたか?

A : それは無かった。 「希望」とか 「兄弟愛」について書けと 言われていたから、 そうなったんだ。 "If I can dream of a better land where all my brothers walk hand in hand" (全ての兄弟が 手に手を取って 歩けるような、 より良い国を夢見よう) って、 そのままを 歌詞にしたんだ。

Q : 書き上げるのに どれほどの時間が かかりましたか?

A : その夜に書いて、 翌朝に持っていったから、 3時間ぐらいだろう。

Q : スティーブ・ビンダーの話では、 エルヴィスが歌うと決まったら、 彼らは契約書を振りかざして、 あなたを取り囲んだそうですね?

A : ああ、その通りだよ。 僕は身動き出来なかった。

Q : レコーディングには 立ち会いましたか?

A : もちろんさ。

Q : エルヴィスのレコーディングの様子を 話してください。 何度 録り直しましたか?

A : 3度ぐらいだった。

Q : 本当に?

A : 2度目のテイクで エルヴィスは 歌詞を一部 入れ替えたんだ。 "While I can think, While I can talk, While I can stand, While I can walk" のところだ。 彼は この部分が しっくり来なくて、 歌詞を逆にしたんだ。 それで、 彼は納得したってことなんだ。 今も 僕の手元にあるが、 僕のオリジナルの楽譜に 彼は "My boy, my boy, this may be the one!" (おい、おい、 これはいけるかも!) って 赤ペンで書き込んだ。 その時の彼は しばらくヒット曲から 遠ざかっていたからね。

Q : 彼は この曲の感想を あなたに言いましたか?

A : 彼は 「アール、素晴らしい曲だ」って。 僕は恥ずかしかったよ。 僕たちは 色んなことを話したが、 深く立ち入ることは しなかった。 彼には 大勢のボディガードが 付いていたからだ。 エルヴィスは 見た目と違って、 僕をドレッシング・ルームに 呼んでくれて、 たくさん話したんだ。 彼は とても友好的で、 魅力的な人間だったよ。 そして、 もうひとつ。 彼は僕に 手紙をよこした。 それも残してるんだが、 「10曲 書いてくれないか」って。 その時の僕は 別のテレビ・スペシャルの仕事に 関わっていて、 時間が無くて、 次にしようって。 そして、 そのままになってしまったんだ。 俺って バカだったよ。 優先順位を 逆にすべきだった。

Q : チャートでは 何処まで上がったのですか?

A : ゴールド・レコードになった。 世界で100万枚売れた。 でも、 国内チャートでは 3位どまりだった。

Q : 「68 カムバック・スペシャル」で、 他に関わられたのは 何でしょうか?

A : スピリチュアルを書いた。 「アップ・アバブ・マイ・ヘッド」と 「アイ・キャン・シー・ザ・ライト」。 ゴスペル・シークエンスの 中間の2曲だよ。

Q : 「セイブド」

A : 「時には母のない子のように」 「主のみ許に行かん」、 そして僕の曲の 「アップ・アバブ・マイ・ヘッド」 「アイ・キャン・シー・ザ・ライト」。 最後に「セイブド」。 これも僕の曲と 言いたいところだが 違うんだ。

Q : 「スペシャル」でのエルヴィスは どんな様子でしたか? 檻の中の虎のようでしたか?

A : そうだ。 みんなそのように感じていた。 彼のそばにいた時、 何か凄いことが起きてると 感じてたんだ。 神様は 「たくさんの映画を作ったので、 そろそろ 違うものをやろう」と 思ったんだろうね。 彼は ショー全体のアイデアに 喜んでたと思う。 ジェイム・ロジャースの 振り付け。 クロード・トンプソンのカラテ。 売春宿のナンバーは 信じられなかった。 最初の放送では その部分は カットされたんだ。 僕の言ってることが 分かるだろう?

Q : ええ、みんな知ってます。

A : 彼はエネルギーに 満ち溢れてた。 彼は みんなに とても愛想が良かった。 あのように紳士的だったんだ。

Q : エルヴィスはセットで ふざけましたか?

A : とっても。 コンサート部分の収録では 彼は楽しんで やってただろう。

Q : エルヴィスに 接触を試みた有名人は いましたか?

A : 覚えてないね。

Q : スティーブ・ビンダーは ビートルズから 電話がかかってきたと。

A : 本当に?

Q : そうです。

A : 僕は知らなかった。

Q : 「スペシャル」で エルヴィスとは 何日間 一緒に仕事をしましたか?

A : 10日ぐらいだろう。 彼が僕の曲を聞いてから 2、3日後に録音した。 実際のビデオ録りは 1週間ぐらいだった。

Q : ショーの前と後では、 エルヴィスは 変わりましたか? 彼は上機嫌でしたか?

A : 「上機嫌」って言葉 その通りだったよ。 彼は いつも前向きに取り組んでいた。 収録が始まる前からだよ。 彼は 何か起こると 知ってたんだろう。

Q : 「スペシャル」の後で エルヴィスに再会しましたか?

A : 1度あるんだ。 友人と僕とで 彼の為に1曲書いた。 彼も気に入ったんだが、 レコーディングまでは 至らなかった。 それで、 もっと他にも 曲を書こうとしたんだが、 何かの都合で 僕は他の仕事に 忙しくなったんだ。

Q : その曲のタイトルは 覚えてますか?

A : トラブルが付いてたようだったね。 エルヴィスの「トラブル」とは 違うよ。 この世界は どんなに一生懸命に やったからって、 うまく行くとは 限らないんだ。

Q : エルヴィスが亡くなった時は、 何処にいましたか?

A : 別のスペシャルを やっていたんだが、 誰のだったか忘れた。 僕はすごく 空しい気持ちになった。 彼は素晴らしい才能があって、 ずっと 独創的な活動を してきたからね。 恐ろしいほどの 損失だよ。 何をしてたか 覚えてないが、 僕は悲しさで 打ちひしがれたよ。

Q : エルヴィスが 他の歌手とは異なる ユニークな部分は 何でしょうか?

A : 彼の歌い方に 危険性があるんだ。 それを感じるだろう? 彼が動くと、 電気が走るような 危険さを。 シナトラにも 少しあったが、 それはまさに エルヴィスの独壇場だったんだ。

Q : 4半世紀経った今でも、何故にエルヴィスは 大きく輝いてるのでしょうか?

A : それは説明しがたい本質のものだろう。 誰にも説明できない。 彼のユニークさに 匹敵する人も 思い浮かばない。 彼の歌い方だけじゃない。 彼のカリスマ性や、 ありのままの姿。 彼の髪形かもしれないし、 ファンへの接し方 かもしれない。 君はどのように 説明しようとしてるんだ? 僕には出来ないね。

Q : ランス・ルゴーと 先日、 「シット・ダウン・ショー」について 話したのですが、 あの時のエルヴィスが 本当のエルヴィスですか?

A : 僕はそう思うね。 彼は 家のリビング・ルームで 友達と寛いでいるようだ。 何か興味のあるものを 見つけて、 それに 一晩中 熱中してるような。 彼は 楽しい時間を 過ごしたと思う。 素晴らしい瞬間だった。

Q : あなたの考えで、 エルヴィスに近い 才能の持ち主は いますか?

A : たくさんの人たちと 仕事をしてきたが、 エルヴィス特有の資質は 彼だけのものであり、 フランク・シナトラの資質も 彼だけのものなんだ。 フランクとは エルヴィスと同じスタジオで 僕の曲を 録音してるし、 彼の多くのスペシャル番組に 僕は携わってきた。 だから 二人を 同じ箱の中に 入れたくないんだ。 シェールについても 話すことが たくさんあるよ。 彼女とも 楽しく仕事をやってきた。 でも、 トップを極めたことでは、 エルヴィスと フランク以外には 思い浮かばないね。

Q : 個人的に、 エルヴィスは あなたにとって 何でしょうか?

A : 僕に曲を書かせてくれたことを 神に感謝したいね。 僕は誇りに思ってるんだ。 彼が心を込めて 僕の曲を歌ってくれたことを。 彼はいつだって 僕の心の 大きな部分を占めてるんだ。

Q : あの曲(明日への願い)が 今も愛されてることを、 あなたは どのように感じてますか?

A : 驚いてる。 僕は幸せ者さ。 素晴らしいことであり、 僕の自慢なんだ。

Q : ありがとうございました。



(Mar.27, 2008)

エルヴィス関連(?) 新刊書

私の人生には いつも美しい旋律があった
音楽遍歴 - 小泉純一郎/著

  出版社名   日本経済新聞出版社 (ISBN:978-4-532-26001-9)
  発売予定日  2008年05月12日
  予定価格   893円(税込)

 私の人生には いつも 美しい旋律があった。 音楽は 心の奥深いところに 感動を与えてくれる。
 政界きっての 音楽ファンとして知られる著者が、 12歳で始めたヴァイオリン、 オペラ、 エルヴィス・プレスリーとの出会い、 エンニオ・モリコーネ、 演歌まで 半生記を超す音楽遍歴を 語り尽くす。



(Mar.27, 2008) (Mar.23, 2008)

Marian J. Cocke Interview (2001)

(TLCネックレスをするマリアン。 右は 1979年に出版された本, "I Called Him Babe")

マリアン・コック・インタビュー (2001年)

Q : エルヴィスに 初めて会われたのは いつでしょうか?

A : 実際に 初めてエルヴィスに出会ったのは、 彼がまだ 新人歌手の時だったの。 グレイスランドか どこかで 彼が仲間と タッチ・フットボールを やっていて、 指を骨折した時。 エルヴィス・プレスリーだからってことで、 夜通しで治療したの。 たまたま 私が廊下を歩いていたら、 彼が部屋から出てきて、 ナース・ステーションに 向かって 歩いて行くの。 同じ方向に 一緒に並んで 歩くことになったので、 少し話をしたわけ。 その時は エルヴィス・ファンでなかったので、 特に何を話したか 覚えてないわ。 彼は感じがよかったわ。 それだけね。 すっかり そのことは 忘れていて、 1975年に再び 彼に会うことになったの。 その時は 違った印象だった。

ドクター・ニックが やって来て、 私に言ったの。 「エルヴィスが病気で、 入院することになった。 この病床に 入れたいんだが」って。 私はOKしたわ。 彼が 個室を準備するように 頼んだので、 私は1部屋に カギをかけて、 彼の為に 個室を確保した。 そして、 翌日、 「エルヴィスは 明日入院する」と 電話があったので、 「あいにく私は 非番なのよ」 と伝えると、 「何とかして 、出て来られないか?」 と言われたの。 私は 「週に二日の 非番の日なのよ」 と言っても、 彼は 「今回に限って エルヴィスのために 出てきてくれないか」って。 私は「しかたないわね」と OKしたの。 そして、 「時間が分かったら、 知らせる」 と言って、 電話は切れたの。

そして、 翌日の早朝、 4時半か5時頃に、 家に電話が掛かってきて、 「エルヴィスが 病院に向かってる」と。 それで 私は、 起き上がって、 シャワーを浴びて、 服を着て、 バプティスト病院に 向かった。 1月のウィーク・ディで、 外は 凍えるぐらい 寒かったのを 覚えてるわ。 (エルヴィスは 1975年1月29日に入院した) 病院に到着して、 建物の中に 入ろうとした時に、 彼が来てるって感じたの。 説明が難しいのだけど、 とても その場に 緊張感が漂ってたのよ。 その時点で すっかり私は 気が動転していたのね。 そして、 私は上階に上がって、 廊下を通って、 コートを脱いだところで、 夜勤の看護婦が 「コックさん、 彼が来てるわよ」って。 私は 「そうらしいわね」 って言って、 オフィスに入って、 コートを掛けて、 彼の個室に向かったの。

あんな私って 無かったわ。 地に足が付いてないと言うか、 浮き足立った状態で 廊下を歩いてたの。 彼の個室に着くと、 彼は ブルーのパジャマ姿で、 ベッドに 腰を掛けてたの。 彼は 髭もじゃで、 リンダ・トンプソンが 彼の髭を 剃ろうとしていたの。 ジョー・エスポジトと バーノンと 他に二人 いたわね。 そして、 ドクター・ニックが 順番に みんなを紹介したの。 エルヴィスは 最後だった。 ニックが 「こちらサンは ご存知ですよね?」 と言ったので、 私は 「あちらサンでしょ」 と答えたの。 すると、 エルヴィスが 私に向かって ニコっと笑ったので、 私も笑い返して、 瞬くうちに、 私たちは意気投合したの。

しばらく話してから、 ドクター・ニックが 「エルヴィスに 休息が必要だから、 みんなは帰ろう」 と言うと、 みんなは ドアを出て 帰ったんだけど、 ジョーひとりが 戻ってきて、 「あなたと 専任看護婦について 話がしたいんだけど」 と言ったの。 すると、 エルヴィスが 「今はコックさんに任せて、 そのことは 後で話そう」 と言って、 その日の 午後1時半頃 だったかしら、 エルヴィスが 「ミス・コック、 あなたは 専任看護婦について、 どうすれば良いと 思いますか?」 と訊いてきたの。 私は 「あなたの望むようにして 差しあげますわ。 専任看護婦を お望みなら、 手配しますし、 問題ありません。 あなた次第です」 と答えたの。 すると 彼は 「あなたが 専任看護婦を つける方が良いと 言われるのなら、 そうしますが、 僕としては、 あなたに付いていて 欲しいのです」 と言ったの。 それで、私は、 「私が付くんだったら、 専任看護婦は 要らないわ」 と言ったの。 エルヴィスは 「そうしよう」って。 それで、 結局、 専任看護婦が 付くことは無かったの。 私はその階の 主任だったし、 私の担当の時間は 私が看て、 他の時間は、 その時々の普通看護婦が 彼の世話をしたの。

Q : エルヴィスが いつも入院してたフロアは 何階でしたか?

A : 私がいたフロアに 決まってるでしょ。 はっきり覚えてないけど、 最初は、 確か17階だったわ。 そして、 7、8ヶ月後に 再入院した時、 私は班長から 係長に昇進していて、 18階の 看護婦詰所にいたので、 彼も18階にしたの。 最後の入院の時は 16階だった。 私が16階に 配置換えされたので、 彼にも 移ってもらったのよ。

Q : 警備は いかがでしたか?

A : 警備は万全だったわ。 病院の警備員が 病室の入り口の前に 机を置いて、 出入りする人を チェックしていたの。 毎日 検診があったので、 当日のリストを 前もって 警備員に 渡してあったの。 でも、 色んな人がいるものよ。 私の昼食の時間に、 若い子達が 携帯型のX線カメラを持って 入ろうとしたことがあったの。 でも、 彼らの名前が リストにないので、 警備員と 押し問答になったの。 それで、 私の方に電話があって、 「今日、 X線検査があるんですか? X線の機械を持って 来られてます」って、 私は 「『回れ右して、 出るように』 言いなさい」 と言ったの。 あらゆる 手段を尽くして、 入ろうとする人がいるの。 でも、 警備は厳重だったわ。

Q : 他にも そのような出来事は ありましたか?

A : 一人の看護助手の子がいたの。 黒人で、 痩せていて、 動きの早い子で、 何をしでかすか 分からない子だったの。 彼女は どうしても 彼を一目 見たかったのでしょう。 ある時、 警備員と 何かで揉めていて、 彼がちょっと 目を離した隙に、 彼の病室に入ったの。 それで、 彼にサインを求めたの。 彼がサインをしてあげてから、 彼女を追い出したんだけど、 「二度としないでね」って。 他には 思い出せないわ。

そう、こんなこともあった。 彼の血液検査の サンプルが消えたの。 彼の尿検査の サンプルも 消えたわ。 何でもかでも 盗もうとする人がいるのよ。 汚れたベッド・シーツまでよ。 ひどいでしょう。 だから、 私が朝、 出勤すると、 真っ先に 彼の元に出向いて、 私自身で 彼のベッドを換えてたの。 そして、 彼の血液や 尿サンプルを 病院とは他の場所に 隠すこともあったの。 でも、 エルヴィスは そのことを面白がって、 笑っていたわ。

Q : エルヴィスが個室を出て、 他の患者の部屋に 行くことは ありましたか?

A : 1度あったわね。 1度だけよ。 彼の個室は 廊下の突き当たりで、 左隣の部屋を お花用の部屋に 使ってたの。 毎日、 たくさんの花が 届いたから。 そして、 右隣の部屋で 私が寝ていたの。 彼から私に そこで寝ていて欲しいと 頼まれたから、 私は 一旦 家に帰ってから、 出てきてたの。 ある日の 午後のことだったわ。 土曜日だったかしら、 来客者が少なくて 彼は退屈そうにしていたの。 それで、 私は彼に 「散歩でもすれば?」 と言ったの。 彼は「そうしようか」って、 ガウンを着て、 廊下に出て、 歩くと、 いくつかの病室のドアが 開け放たれていたので、 エルヴィスは入って、 何人かの患者と お喋りしたの。 喜ばれたわ。 でも、 その時 一回だけだったように 記憶してるの。

Q : エルヴィスは どのように 時間を過ごしましたか?

A : 彼は よくテレビを見ていたわ。 でも、 病院や家では 時間がたっぷりあるでしょう。 私が訪れてる時に 彼がテレビを見ることは なかった。 私は座り込んで、 お互いの家族の話などを よくしたわ。 他の患者相手でも 同じことよね。 彼は良い患者で、 扱いやすい人だったの。

Q : 彼は あなたを バイク・ツーリングに 誘いましたね?

A : そうなの。 死にそうになったわ。 恐ろしかった。 私は バイクに乗ったことがなくて、 初めてだったの。 彼は 新しいバイクを 買ったばかりで、 試乗したかったみたい。 ヘルメットも しないで、 グレイスランドを 出発したの。 すごく速いので、 私は彼に しがみついたわ。 彼は下って行って、 アパートを越えて、 右へ曲がった。 通りの名前を忘れたわ。 リンダの家の方よ。 速くて、 何処を走ってるのか 分からなかったの。

楽しかったんだけど、 交差点に差し掛かった時、 信号が赤なのに、 彼は右折しようと 出て行ったの。 止まれの信号なのに 出て行ったのよ。 そこに 母親が運転する車が 走って来て、 当然、 彼女は 急ブレーキをかけたわ。 隣の子供は 大きな目を見開いた状態で、 フロントガラスに 顔をくっつけてた。 母親は 相手がエルヴィスだと分かって、 ハンドルに顔を 突っ伏してしまったの。 明らかに彼女は 怖い思いをしたの。 私の頭に 新聞のタイトルが よぎったわ。 「乗用車、 エルヴィスを ひき殺す」って。

でも、 とにかく、 エルヴィスは振り向いて、 私を見て、 「くそったれ、 ぶつかるところだった」 と言ったの。 私も 死ぬ思いをしたわ。 彼が急ブレーキを 踏んだので、 私は 肋骨が折れても 不思議でないぐらい 強く彼に しがみ付いたのよ。 彼に しがみ付いてなかったら、 私は彼を飛び越えて どうなっていたことやら。 彼が「大丈夫?」 って訊いたので、 私は「ええ、 でも家に帰りましょう」って。 そして、 家に帰ってきたの。

Q : あなたは 運転しなかったのですね?

A : できないわ。 彼って 鉄砲玉みたいに、 ぶっ飛ばすんですもの。

Q : エルヴィスのユーモアは どうでしたか?

A : 彼は ジョークを楽しんでたわ。 自分のことでないことにはね。 ある日、 部屋に ジェリー・シリングと ディック・グロブと 私がいて、 「ミス・アメリカ・ページェント」を 見ていたの。 この話をする前に 説明が必要だわ。 担当看護婦の ひとりの名前が ザーメンで、 栄養士の名前が キドニーと言ったの。 そして 私の名前は コックでしょ。 突然に、 ジェリーが、 晴れ晴れとした顔つきで 言ったの。 「ボス、 ここに居ては 良くなると思えません。」 エルヴィスは 「どうして?」って。 ジェリーは 「だって、 あなたの担当の 看護婦の名前が コック(Cock 男根)、 ザーメン(Semen 精液)、 キドニー(Kidney 腎臓)なんて、 頭が変になりそうですよ」と。 エルヴィスに 受けたので、 ジェリーは 得意満面に 笑みを浮かべたわ。 私は黙って、 エルヴィスの ベッド脇のテーブルに 置いてある 氷水のポットを掴み、 ジェーリーの背中の シャツをめくって、 氷水を かけてやったの。 そして、 「もう1度言ってごらん。 こうなるんだから。 分かった?」って。 エルヴィスは面白がって、 「ミス・コックなら グレイスランドでも 十分に勤まりそうだ」って。 私はエルヴィスに 「あなただって、 笑うと、 こうなるのよ」 って言ってやったわ。

Q : エルヴィスと過ごしたクリスマスは いかがでしたか?

A : エルヴィスとのクリスマスは 楽しかったわ。 知り合って 最初のクリスマスよ。 2度目のクリスマスには 会えなかったの。 だから、 最初(1975年)の クリスマスの 出来事よ。 エルヴィスは 私たち全員を リサ・マリー機に 呼び集めたの。 空港に行って、 飛行機の乗ったわ。 私たちはどこに行くか 知らされてなかったの。 私はその日は 仕事をして、 疲れていたの。 それで、 リサ・マリーに 乗り込むやいなや、 私は長椅子の端に 横になって 眠ってしまったの。 そして、 飛行機が 着陸すると同時に 目が覚めたんだけど、 そこが何処か 分からなかった。 (注:ラマー・ファイクを迎えに ナッシュビルに行った) でも、 クリスマスの夜だったので、 みんな 楽しそうだった。 そうこうしてる内に、 飛行機は メンフィスに 引き返したの。

メンフィス空港に到着すると、 エルヴィスは クリスマス・プレゼントを みんなに 渡し始めた。 リンダが 眠ってる私のところに やってきて、 私を揺り起こして、 「エルヴィスが あなたに来て欲しいって・・・」 と言ったので、 私は 「具合でも悪いの?」って 訊いたわ。 彼女は 「いいえ、 あなたに会いたいだけなの」 って言ったので、 私は靴を履いて、 飛行機の後方の エルヴィスの部屋に 行ったの。 彼は ベッドの脇に立って、 笑ってたわ。 そして、 彼が 「ミス・コック、 こちらに来て」 と言ったので、 私は そのようにすると、 彼は、 「楽しんでるかい? あなたに クリスマス・プレゼントが あるので、 目を閉じて、 手を前に 出してくれないか」 と言ったの。 私は どうしていいか 分からなかったんだけど、 このようにしたの。 目をつむって。 すると 彼は 私の手を取って、 指輪をはめて、 言ったの。 「目を開けてもいいよ。」 私は 目を開けて、 その指輪を見るなり、 ベッドに 倒れてしまったの。 それを見た リンダが 「まあ、 まだ眠り足りないのかしら?」 と言うと、 彼は 「そんなこと ないだろう」って、 私を起してくれたの。 その指輪は 21カラットの アクアマリンで、 4段カットされていて、 とても大きなものだったの。 2カラットのダイアで 囲まれていて、 それを 私の指に はめてくれたのよ。

そして、 彼が「こちらに来て」 と言ったの。 隣に 小さなバスルームがあって、 そこの 鏡の周りには 照明が点いていた。 彼は 「そこに立って 指をかざすと、 輝きが よく見えるだろう」 と言った。 「でも、 ミス・コック、 このことは守って。 誰にも この指輪を 見せないで欲しいんだ」と。 私が 「あなたから戴いたものを 見せられないなんて。 どうして?」 と言うと、 彼は 「僕がみんなに プレゼントを渡す前に、 最初に あなたの指輪を見れば、 誰も 僕からのプレゼントを 喜ばないだろうからね」 と言ったの。 私は「分かった」と。 それで、 次に彼は T・G・シェパードと 奥さんを入れて、 奥さんには 私のと同じような指輪を、 T・Gには 男物の指輪を 渡した。 次に、 ドクター・ニックと 奥さんのエドナ、 ドクター・ニックは 腕時計で、 エドナには 可愛い指輪だった。 他の人たち、 飛行機の中の全員に 贈り物が渡された。 私は全ての光景を、 手をポケットに入れたまま、 バスルームの中から 見ていたの。 彼に 「指輪が見えないように 手をポケットに入れて」 と言われたからなの。

そして、 みんなに 贈り物が行き渡ってから、 エルヴィスは 「もう出てきてもいいよ」 と言ったので、 私は 「指輪を見せてもいいのね?」 と訊いたら、 彼は 「彼らが 見たいと言うのなら・・・」 と言ったの。 それで、 私はポケットに 手を入れたまま 出て行ったの。 みんなは お互いのプレゼントを 見せっこしていたわ。 「これを見て」 「こんなのよ」ってね。 私は黙って 見ていたの。 すると、 誰かが 「あなたのは どんなの?」 と尋ねたので、 私はポケットから 手を出して、 指輪を見せたの。 部屋は 静寂に包まれたわ。 私は「もういいでしょ」 と言って、 手をポケットに 戻したの。

それは美しい指輪だったのよ。 それから数ヶ月後に こんなことがあったの。 私たちが一緒に 車で何処かに 出かけた時、 彼が私の手をとって、 「この指輪は どうされたのですか?」 と尋ねたの。 私が 「お金持ちの坊やが くれたの」 と言うと、 彼は「この指輪には その金持ちの坊やの 気持ちが表れてるね」 と言ったの。 欠点なほどに 彼は気前よすぎたの。

Q : その他に エルヴィスの気前よさについて、 思い出はありますか?

A : エルヴィスは とんでもなく 気前がよかったの。 いつだって 彼は 他人に何かしてあげようと 考えていたし、 何でも あげたがっていたの。 私がエルヴィスから 最初にもらったプレゼントは 美しいダイヤの十字架で、 私の宝物になってるの。 2番目の贈り物は TLCネックレス。 Tender Loving Care(優しい心づかい)、 この言葉に私は とっても思い入れがあって、 これは 何物にも 変えられないものなの。 この裏側には 私の名前と 彼の名前、 そして、 貰った日付が 彫ってあるの。

私は 彼から素敵な贈り物を たくさん貰ってるの。 ある時、 彼から 「電子レンジを もってますか?」と 訊かれたことがあったの。 私は 「何故、 そんなこと知りたいの?」 と言ったら、 彼は 「ミス・コック、 あなたは 昼間だけでなく、 私の世話で 夜まで働いている。 家族にも 食事を作らねばならない。 あなたが 電子レンジを欲しがってると 思ったのです。 あれば何かと 便利ですし」 と言ったの。 私は 「電子レンジは要りません。 持っていて、 使ってないの。 私は昔ながらに ガス・コンロを使ってるの」 って。 いつも こんな調子で、 彼は 「これはどうですか?」 「あれはどうですか?」 って。 私は 「必要ない」って。

彼のプレゼントは いつだって 大変な驚きだったの。 彼から車を貰った時も、 彼が 「車をあげるよ」 と言ったので、 私は「要りません」と。 すると、 彼は 「一体、どうして 要らないんだ? もう1台あげるよ」って。 私は 「1台持ってるし、 一度に 2台運転できないでしょう」 って言ったの。 でも、彼は 「もう既に 注文してあって、 明日届くんだ」って。

そして翌日、 私が彼のベッド・シーツを 整えてる時に、 車が届いたの。 私を呼んで、 彼が言ったの。 「見せたいものがある。 18階下にある車だ」って。 それは グランプリだったので、 まるで バス並の大きさだったわ。 彼はキーを このように持って、 「あなたの車だ」って。 私は「ワーオ!」って、 彼の手から キーを受け取って、 「すぐ戻るわ」 と言って、 下に降りて行ったの。 車に着いたら、 私は上を見上げて、 エルヴィスは 私と車の場所を 見下ろしていて、 車に乗って、 カーブのところで、 また 彼の方を見て、 彼も私の方を見て、 駐車場に停めて、 戻ってきたの。 そして、 私が病室に戻った時、 彼が真剣な眼差しで 言ったの。 「ミス・コック、 あなたに重要な話がある。」 私は「どうしたの?」 彼は「今度、 あなたに車を渡す時は、 ベッド・シーツが 取り替えられたか 確かめてからにするよ」 って。 「いつも 私がやってるでしょ? 誰がしたの?」 と言うと、 彼は「僕だ!」って。 私は 「そうだったの。 ありがとう」って。 その日に 家に帰る時、 彼は 「運転に気をつけるように」 って言ったわ。

彼の気前良さったら。 あの時は プリシラが 見舞いに来ていて、 しばらく話をしていたら、 突然、 彼が 「この箱は君のだ」って。 私は「何よ?」と。 彼が 「開けて見て」 と言ったので、 開けると、 そこに シルバー・グレイの ミンクのコートが。 「あなたの 髪の色に合うのを 捜してたんだ」って。 私は驚いて、 声が出なかったわ。

彼は 他人に 何かしてあげることが 無上の喜びだったの。 彼の元気の源の ようなものだった。 彼は 止めることが 出来なったでしょう。 「これをしたい」 「あれをしたい」って。 ある時、 彼が こんなことを 言ったことがあるの。 「お金があっても、 人と分ち合えなければ 楽しくない」って。 これが 彼の考え方だったの。 持っているものを、 持ってない人にあげる。 人と分ち合う。 ほとんど 話されることも無いけど、 エルヴィスは 貧困層の人々にも 多くのことを してあげてきたの。 このことは ほとんど 知られてないでしょう。

はっきりと覚えてることでは、 一般病棟に居た 子供のこと。 どこの病院でも 同じなんだけど、 一般病棟では 夜に親が泊まれないの。 日中は 訪れることが出来ても、 夜はできないの。 でも、 その子は 症状が重かったの。 それで 彼がお金を払って、 その子を 個室に移してあげたの。 親が泊まれるようにね。 彼は その母親に お金は足りてるか、 何か必要なものがあるか、 子供に してあげられる事は ないか確かめてたわ。 エルヴィスは 認められたくて やってたんじゃないの。 ただ 分け与えてただけなの。 彼ほどに 与えたがる人は 他に知らないわ。

Q : ドクター・ニックと エルヴィスの関係は どうでしたか?

A : ドクター・ニックは とても良い人なので、 彼のことが心配なの。 彼ばかり 悪口を言われて、 苦しめられて、 地獄を見させられて、 生きている。 エルヴィスを ミス治療したなどと 公正さを欠く 告発を受けた。 私は知らないわ。 でも 彼は エルヴィスのことを 心配してたし、 彼なりに 最善を尽くしていたの。 彼は 1日24時間、 エルヴィスのために 備えていたの。 私の考えでは、 ドクター・ニックは 本当にエルヴィスを 気づかっていたの。

Q : あなたが エルヴィスの背中を マッサージした時のことを 話してください。

A : 何度もしたのよ。 私は毎晩のように 彼の背中を マッサージしてたの。 彼が望んだの。 彼が起きると、 最初に コーヒーを飲んで、 それから、 背中のマッサージを 始めるの。 リサの部屋に 寝台があり、 そこで彼は 身体を伸ばせることができたの。 寝台は低かったので、 私は寝台に 腰掛けながら、 彼にマッサージを していたの。 そして、 ある日、 マッサージが終わった後で、 私が このように 肩をくねらせてたら、 彼が 「どうしたんだ?」って。 「あなたの背中を 揉んでいて、 私の肩と背中が 凝ってしまったわ」 と言ったら、 彼が 「ここに横になって。 僕が マッサージしてやろう」って。 彼に背中を 揉んでもらって、 ほんとに 気持ちよかったわ。

Q : あなたの本 "Elvis, I Called Him Babe" から、 お気に入りの部分を 紹介してください。

A : 初めに、 私は 本を書くつもりは なかったの。 私の心から 一番かけ離れた 部分だったの。 エルヴィスが亡くなって 数週間たった日曜日に、 主人と 教会に行って、 そこで、 彼との楽しかったこととか 色んなことを 思い出してたの。 そして、 教会からの帰り道、 「ウォルグリーンに寄って。 ノートを買いたいから」 って言うと、 主人は 「何をするんだ?」 って言うので、 私は 「エルヴィスの思い出を 書き残しておこうと 思うの。 いつか、 歳を取って、 忘れた時に、 読み返せば、 思い出が 蘇ってくるでしょう」 と言ったの。 私は書いて、 書いて、 書き続けて、 2冊目のノートを 買うことになるまで、 思い出せる 全てのことを 書いたの。 あれもこれもと 沢山のことを 忘れていたのには 驚いたわ。 「ああ、このことも忘れてた」って。

そして、 ある日、 バーノン・プレスリーが 入院してきたの。 そして 私に会いたがったの。 バーノンは エルヴィスについて言われてる いくつかのことに ひどく心を痛めてたの。 それで、 私は バーノンと サンディ・ミラー (バーノンの専属看護婦)に ノートのことを話したの。 すると、 バーノンが 「見せてもらえるかね?」 と言ったので、 私は「いいです」と。 翌日、 私はノートを 職場に持ってきて、 バーノンに渡して、 サンディに 「これは 個人的なものだから、 誰にも貸さないでね。 私の思い出を 綴ってるだけだから」って。 彼女はOKした。

そして 2日後、 バーノンが退院して、 家に帰ってから、 私に電話を掛けてきたの。 「私の家に 来られないか?」って。 私はOKして、 彼の家に行った。 バーノンに 「大丈夫ですか?」 って言うと、 彼は 「ちょっと話があるんだ。 このノートの件だけど、 出版する気は ないかね?」 と私に尋ねたの。 私は 「とんでもないわ。 私だけのものですから」 と言うと、 彼は 「僕のために して欲しいんだ」と。 私は 「バーノン、 私はできません。 あなたのお子さんを利用して お金儲けするようなことは。 彼のことが とても好きでしたし、 私にはできません」 と言うと、 彼は 「あなたは 人々が知らない 息子の一面を ご存知だ。 あなたの知ってるエルヴィスを みんなに 知らしめてほしい」 と言ったの。 私は 「考えさせて下さい。 私は お金は取れません」 と言うと、 彼は 「お金のことは 気にしないで、 僕のために して欲しいんだ。 あなたは 人々の知らない エルヴィスを知ってる。 エルヴィスの 色んな面を 知らせることが 重要なんだ」 と言ったの。 それで 私はOKしたの。 これが真実なの。

この本には書かなかったことも 沢山あるの。 他人を非難することはもちろん、 エルヴィスが 私以外に 「誰にも言わないで」と 言った秘密のこと。 当時 言えなかったことが、 今なら言えるって 理屈もないでしょう。 だから、 エルヴィスと 私の間の秘密事項は 永遠に秘密なの。 だから、 心をかき乱すようなことや、 天と地が 逆転するするようなことは 書いてないの。

Q : 私は あなたの本が 気に入ってます。 多くの人が 気に入ってるでしょう。

A : ありがとう。

Q : 8月16日について 話してください。 バプティスト病院に エルヴィスが運ばれたのを、 あなたは 何時 知りましたか?

A : そのことを知ったのは 午後だったの。 私はオフィスに居て、 一人の 辞める従業員の書類を 準備していた時だった。 院内放送から 「ハーベィ班、直ちに」 と呼ばれるのを聞いたの。 直ちにとは 救急のことで、 「救急処置室に来てください」 ってことなの。 これは 普通ではないことで、 「どうして、 ハーベィ班が 救急処置室に呼ばれたんだろう?」って、 自分の仕事をしながらも、 ずっと 気に掛かっていたの。 救急処置室と 私が働いてた場所は 離れていたから、 私はどうしょうもなかったの。 そして、 私がナース・ステーションに 必要な書類を 取りに行った時、 私に 「直ちに」が かかったの。 私に 「救急処置室に来てください」って。 私が駆けつけた時には、 明らかに 彼は死んでいた。 そして 私は「止めて!」って。 「どうか、 それはしないで」って、 救命処置を施してる ドクター・ニックたちに お願いしたの。 「ドクター・ニック、 何もしないで」って。 ドクター・ニックは その後も 救命処置を 2,3分続けたんだけど、 私の 「もう、止めて!」 の言葉で、 止めたの。

Q : 彼らは 何時間 彼に治療を 施したのでしょうか?

A : 多分、 1時間ほどでしょう。 明らかに 彼は亡くなってから 時間が経過していた 状態だったの。 エルヴィスは 歌えて、 普通の暮らしができれば、 それで良かったのよ。 彼を蘇生できたから 良かったとは 私には思えないわ。 神のなせる業には 逆らえないの。

Q : あなたが 彼を好きなのは 分かりました。 あなたにとって エルヴィスは 何だったでしょうか?

A : エルヴィスは 善人そのものだった。 彼の心使い、 分ち合う気持ち、 愛すること。 彼は王様だった。 エルヴィスにも 欠点はあったわ。 私たちと同じようにね。 1度 彼が こんなことを 言ったことがあるの。 「ミス・コック、 この世に 二人だけ 完璧な人間がいる。 一人はあなたで、 もう一人は僕だ」って。 彼が逝ってしまって、 私は とてつもなく その責任を感じてるの。 彼は とても親切で、 暖かくて、 愛らしい人だったから。

Q : あなたと エルヴィス・ファンとの メモリアル・ディナーについて 話していただけますか?

A : 分かったわ。 エルヴィスが亡くなってから、 時折、 エルヴィスへの感謝の印として 何か前向きなことを やりたいと 思うことがあったの。 でも 何もできなくて、 エルヴィス・ウイーク中の グレイスランドにも 行けない状態だったの。 ジョージ・クラインの メモリアル・イベントに 出席したことがあるけど、 それだけだった。 その時 誰かが 「メモリアル・ディナーって どうかしら?」 と言ったの。 私自身は したことが無かったので、 グレイスランドのスタッフに そのことを話したら、 「私たちが お手伝いしますよ」って ことになって、 それで メモリアル・ディナーが 始まったの。 ところが、 グレイスランドの広報新聞に そこことを載せるのを スタッフが忘れてしまって、 秘密の会みたいに なってしまったの。 私たちは ピーボディ・ホテルに 1000席 準備したのに、 100人も集まらなくて、 私は2500ドルもの 赤字を被ったの。 私たちは そこで集めたお金を チャリティに 寄付する予定だったのに、 それが出来なかったの。

翌年は、 口コミで メモリアル・ディナーが 行われることを 広めて、 9,000ドルを集めたの。 その次には 11,000ドル、 その次には 19,000ドル 集まったの。 これが成功して、 13年間も続いてるの。 素晴らしいイベントよ。 お金は 主に 子供たちの為に 使ってるの。 それは エルヴィスが 子供の為に 寄付をしていたから。 そして、 一ヶ所だけでなく、 なるべく多くの施設に 寄付するようにしてる。 このことも エルヴィスが そうしていたからなの。 エルヴィス・ メモリアル・ディナーは このような趣旨で やってることなの。 もし エルヴィスが生きてたら、 するであろうことが したいの。 恵まれない子供たちや 親を助けること。 同時に、 病気の子供や 脳性麻痺の人たちを 助ける機関にも 寄付してるの。 数百ドルづつだけど、 毎年 続けてるのよ。 助けを必要としてる人たちに 少しは 役立ってると思うわ。

Q : 本日は ありがとうございました。



(Mar.24, 2008)

   映画祭のお知らせ

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 エルヴィスが一番好きだった映画
「闇に響く声」
「エルヴィス '68 カムバック・スペシャル」

<日時> 2008年 5月24日 (土)
<場所> 新橋 ヤクルトホール (地図)
     東京都港区東新橋 1-1-19 (Tel: 03-3574-7255)
     JR新橋駅から徒歩5分

<TIME TABLE>
    12:30 ● 開場
    13:00 ● 「闇に響く声」
    15:30 ● ジェイミー・ア−ロン・ケリー、ライヴ
    16:30 ● 「エルヴィス '68 カムバック・スペシャル」
    18:00 ● 終了

<料金> チケット発売中! (全席自由席)
    エルヴィス・ソサエティ会員:2,500円
    一般前売:2,500円 (当日:3,000円)

<チケットのお求め>
    チケットぴあ (0570-02-9999) (Pコード 554-090)
    銀座タクト (03-3571-3939)
    ラブ・ミー・テンダー (03-3479-6229)
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
<主催・問い合わせ>
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
    銀座タクト (03-3571-3939)
<協力>
    パラマウント・ホーム・エンターテインメント・ジャパン、 BMG JAPAN
    エルヴィス・プレスリー・エンタープライズ、 ラブ・ミー・テンダー、 銀座タクト
<その他>
    会場にてエルヴィス・グッズ、CD、DVD等の発売があります



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