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(Compiled by Haruo Hirose)
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(Nov.30, 2008) (Nov.23, 2008)

特報!
1.11 生誕映画祭に 西郷輝彦さんの出演が決定しました

 西郷輝彦さんにとって エルヴィス・プレスリーは 想い出深いアーティストです。 1964年 デビュー直前、 62年から翌年にかけて 当時のジャズ喫茶で 歌うナンバーといえば やはりエルヴィスが 定番でした。 15歳から17歳、 さらにさかのぼれば 亡き兄と エルヴィスについて 熱く語り合ったこともあったのでしょう。 西郷さんにとって エルヴィスは 「いつも必ず 自分の心に存在する人」 だったのです。 その西郷輝彦さんが 彼の原点ともいうべき エルヴィスを 重点的に取り上げたライブを 今年7月、 川崎のクラブチッタで 行われました。

 西郷輝彦さんが歌ったエルヴィスは 17曲。 Proud Mary - You Don't Have To Say You Love Me - Without Love - And I Love You So - Runaway - It's Now Or Never - One Night - Trouble - Bridge Over Troubled Water - For The Good Times - I Need Your Love Tonight - Blue Suede Shoes - Heartbreak Hotel - Jailhouse Rock - Hound Dog - An American Trilogy - I Can't Stop Loving You

 今、何故エルヴィスなのか?  エルヴィスに対する思いを 湯川れい子さんと共に 熱く語っていただきましょう。

この胸のときめきを - 西郷輝彦 (1966年)


 チラシ拡大
< エルヴィス生誕映画祭 >

<日時> 2009年 1月11日 (日)

<場所> 新橋 ヤクルトホール (地図)
    東京都港区東新橋 1-1-19 (03-3574-7255)
    JR新橋駅から徒歩5分

<TIME TABLE>
  12:00 ● 開場
  12:30 ● エルヴィス・ベスト・ヒッツ・パフォーマンス
  14:30 ● 湯川れい子 講演会 (ゲスト: 西郷輝彦)
  16:30 ● エルヴィス・オン・ステージ (オリジナル)
  18:30 ● 終映

<料金> チケット発売中! (全席自由席)
    ソサエティ会員:3,000円 (前売・当日とも)
    一般前売:3,500円 (当日:4,000円)

<チケットのお求め>
    チケットぴあ (0570-02-9999) (Pコード 554-670)
    銀座タクト (03-3571-3939)
    ラブ・ミー・テンダー (03-3479-6229)
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
<主催・問い合わせ>
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)



(Nov.30, 2008)

12月のエルヴィス TV 情報

ザ・シネマ (スカパー ch.706、ケーブルテレビ その他)
  「ヤング・ヤング・パレード」 (It Happened at the World's Fair)
    12/2(火) 6:00〜、 18:00〜
  「ハレム万才」 (Harum Scarum)
    12/7(日) 4:30〜
    12/10(水) 16:30〜
    12/11(木) 4:30〜
    12/13(土) 6:00〜
  「殺し屋の烙印」 (Charro!)
    12/8(月) 6:00〜、 18:00〜

ミュージック・エア (スカパー ch.271、ケーブルテレビ その他)
  「エルヴィス '56 スペシャル」 (Elvis '56)
    12/5(金) 23:00〜
    12/9(火) 23:00〜
    12/13(土) 16:00〜
    12/21(日) 14:00〜



(Nov.29, 2008)

ラスト・フェアウェル - さよならの夏

 今は ワイドショーのコメンテーターとして ご活躍の見城美枝子さん。 彼女を見るたびに 思い出されるのが 「さよならの夏」という歌です。

 見城美枝子さんは 元は TBSの人気アナウンサーで、 TBS-TV系列 (関西では毎日放送) で 放送されていた番組 「おはよう720」の中の 「キャラバンII」という 外国を車で巡るコーナーの レギュラーでした。 このコーナーから 1976年の3月に ダニエル・ブーン & 田中星児の 「ビューティフル・サンデー」という 超特大ヒットが生まれました。

 そして、 2匹目のどじょうを狙って発売されたのが 見城美枝子さんの歌う 「さよならの夏」だったのです。 原曲は ロジャー・ウィテッカーの 「ラスト・フェアウェル」 (別れの詩)。 そうです、 エルヴィスのアルバム 「メンフィスより愛をこめて」 に収められている 「ラスト・フェアウェル」と 同曲です。 当時、 ロジャー・ウィテッカーのレコードは 発売されてなかったにも拘わらず、 日本で偶然にも、 1976年の8月、 同じ月に 見城美枝子さんと エルヴィスのカバー・レコードが 発売されたのです。

 残念なことに 見城美枝子さんの 「さよならの夏」は 期待されたほどに ヒットしませんでした。 それでも、 月に1、2度は ラジオから聞こえる 彼女の歌声に、 エルヴィスの 「ラスト・フェアウェル」の歌声を 重ねて合わせて 聴いていました。 1977年、 まさに エルヴィスの ラスト・フェアウェルとなる 年のことでした。

ラスト・フェアウェル - エルヴィス・プレスリー

ラスト・フェアウェル - ロジャー・ウィテッカー

さよならの夏 - 見城美枝子 削除しました (WMA - 3.4 mb)

  (原詩: Roger Whittaker & R.A. Webster、 日本語歌詞: 見城美枝子)

  私の愛した夏よ
  あの夏の ときめきよ
  やさしい腕に抱かれて
  時がめぐっていった

  あなたは帰ってゆく
  さよなら夏の恋よ
  Oh, Love Is Beautiful
  忘れないわ 心とかした恋よ
  Oh, Love Is Beautiful
  忘れないわ 心とかした恋よ

  私をみつけた夏よ
  あの夏の きらめきよ
  重ねたグラスの中で
  夜が燃えていった

  あなたは帰ってゆく
  さよなら夏の恋よ
  Oh, Love Is Beautiful
  忘れないわ 心とかした恋よ
  Oh, Love Is Beautiful
  忘れないわ 心とかした恋よ

  二人で過した夏よ
  あの夏の ゆらめきよ
  一人の朝にはいつも
  思い出がめざめるの

  あなたは帰ってゆく
  さよなら夏の恋よ
  Oh, Love Is Beautiful
  忘れないわ 心とかした恋よ
  Oh, Love Is Beautiful
  忘れないわ 心とかした恋よ



(Nov.28, 2008)

加山雄三 & エルヴィス (削除しました)

― 大学でバンド活動を始めますが、 どんなバンドだったんですか?

加山雄三: カントリー・クロップスっていう 6人編成のバンドを、 大学1年のときに 結成したと思いますけどね。 まわりに カントリーミュージックの 好きな連中が 結構いて、 トミー・コリンズとか、 ルービン・ブラザーズ、 ハンク・ウィリアムス、 ハンク・スノー、 ハンク・トンプソンとかね。 そういった連中の曲を みんなよく聴いていた。 で、 それを演奏するようになった きっかけは、 バイオリンを 弾けるやつがいてね、 クラシック・バイオリンを やっていたと思うんだけど、 チャーチャカ チャーチャカ、 チャンチャカ チャカチャカっていう、 いわゆる カントリー・ウエスタンの フィドルを 弾けるやつがいて。 彼がリーダーになって、 僕はギターと ヴォーカルを 担当することになった。 ドラムス以外のやつは みんな歌えたんだよな。 オレは曲によっては ピアノも、 コーラスにまわることもあった。 そのうちに 電気が通っている エレキギターなるものを、 どこからか 誰かが持っていたのを弾いて、 「あ、これいいな」って。

― 今でいう フェンダー・タイプのギターじゃなくて、 何かジャズギターみたいな?

加山: 真ん中が空洞になっている エレキギターで、 それを借りてやっていた。 そのうちに 何曲かまとまったら、 今度 パーティで やってみようぜ ということになり、 パーティで 結構受け始めたから、 その後、 もっともっとやろうぜ みたいに、 だんだん レパートリーが 増えていった。 ナッシュビルの カントリーとか、 あるいは エルヴィスとか アメリカ音楽の 完全コピー。 我々は 一切 日本語では歌わないし、 原曲どおり。 当時 日本語に訳して 歌っている連中も いたけど、 ひどかったよ(笑)。 オレら、 エルヴィスの曲でも B面ばっかりを 覚えようぜって、 相当 ひねくれていたからね(笑)。

― 当時練習場って、 加山さんのご自宅ですか?

加山: それも多かったね。 親父のトレーニングの部屋が 30畳ぐらいあったからね。 ただ、 そんなに 年中バンドを やっていたわけじゃなくて、 冬になれば スキーに行くし、 シーズンオフは ほかのスポーツ。 バンドの仲間たちは 東京のやつばかりだから、 夏休みに集まって 合宿って感じかな。 バンドの練習だけじゃなく 一緒に泳いだり、 サーフィンとか、 釣りとかもね。

― それは、 映画の若大将シリーズみたいな 感じだったんですか?

加山: いやあ、 あんなに カッコよかねえだろう(笑)。

― そのバンドは、 米軍キャンプでも 演奏していますよね?

加山: 1回だけ。 それもトラで。 そのときに 「トリート・ミー・ナイス」とか、 「ブルー・スエード・シューズ」とか、 「オール・シュック・アップ」とか、 まあ、 それを歌ったらもう、 受けてしまって びっくり仰天して。 やっぱり、 オレたちは ちゃんと 英語を 正確にやってい て よかったなってね。 その雰囲気は 今回のコンサート 『湘南海 物語 オヤジ達の伝説』を 見てもらうと よく分かると思うよ。 カントリー・クロップスから ランチャーズ、 ワイルドワンズが 映像で流れ、 当時を ちょっと再現したり。 オレの場合は、 湘南サウンドとは 言われても グループサウンズじゃないわけで、 子分の ワイルドワンズの 手を借りて、 今回は その湘南サウンドが 生まれるまでの歴史を ちゃんと形にしてみたんだ。

― アルバム 『湘南海 物語 オヤジ達の伝説』 の中で 特に 思い入れのある曲は ありますか?

加山: もちろんすべてだけど、 なかでも 「トリート・ミー・ナイス」かな。 アルバムを聴いた人は この曲だけ 雰囲気が違うから 驚くかもしれないけど、 この曲はね、 僕が 大学2 年の時に 自分で エルヴィス・プレスリーの曲を ピアノで 歌って録音したものなんだ。 その当時、 録音に使っているのは テープじゃなくて、 その前に存在した ワイヤーレコーダーという 機材なんだけど。 そもそもは 加山ミュージアムに 置いてあった 僕の昔の音源を NHKの特番で 再現してみたら、 これが 録音されていたというわけ。 これはもう驚いたよ。 50 年以上も前の音が そのまま 再現されてるんだから。 ツアーでも流れるし、 すごく嬉しいね。



(Nov.28, 2008)

エルヴィス・サウンド・マガジン

 原宿「ラブミーテンダー」の閉店に伴い、 サウンド・マガジンの 店頭販売は 無くなりました。 購読を続けたい方や、 新規に購読したい方は、 下記サウンド・マガジンの リンク先から 購読方法を お読みになった上、 お申し込み下さい。

エルヴィス・サウンド・マガジン



(Nov.21, 2008)

試写室に「キャーッ」と 悲鳴が響いた。 その理由とは

 映画「バギー万才」 (Live A Little, Love A Little) は 1969年の夏に 日本公開されましたが、 一般公開の前に、 大阪のファン・クラブ向けに 1度だけ フィルム・ビルで 試写会が行われました。 10人程の会員だけで 試写を見ている途中、 映画も 1時間を過ぎた頃でしょうか、 突然 会員のTさんが 「キャーッ」と 叫んだのです。 私は一瞬 何が起こったのか 理解できなかったのですが、 直ぐに気付きました。 エルヴィスが サングラスをして 車から 降りてきたのです。

 今では トレードマークとなってる エルヴィスのサングラス姿も、 「オン・ステージ」以前は 非常に珍しく、 当時の 私のコレクションの中に サングラスをしている エルヴィスの写真は 2,3枚しか ありませんでした。 写真が氾濫してる 現在でさえ、 50〜60年代の エルヴィスの サングラス姿の写真は そんなに 多くありません。 映画では この時と、 一瞬ではありますが、 「フロリダ万才」の中で サングラスをしてます。

 そんな時代でしたから、 「この胸のときめきを」の シングル盤が 出たときも、 エルヴィスの歌だけでなく、 ジャケットの写真にも かなり驚かされたものです。

 左の写真は、 1968年頃、 「ブルー・ハワイ」のロケ地であった カウアイ島の ココパームス・リゾートを 訪れた時の エルヴィス。 ジョン・レノン・タイプの サングラスは 珍しいです。



(Nov.21, 2008) (Nov.17, 2008)

本日解禁!

エルヴィス & マルティナ・マクブライド
「ブルー・クリスマス」 ミュージック・ビデオ (Flash版)

Blue Christmas - Elvis & Martina McBride

Blue Christmas - Elvis & M. McBride (Behind The Scene) (録音・撮影風景)

 (注) 「クリスマス・デュエット」CDの 「ブルー・クリスマス」は '57年スタジオ・バージョンであり、 このビデオは '68 カムバック・スペシャル・ バージョンですから、 全くの別録音です。



(Nov.20, 2008)

ナイト・ライダーが ナイト・ライダーに

 エルヴィスの「ナイト・ライダー」 (Night Rider) のリミックス・バージョンが、 昨夜(11/19) 米国人気TV番組 ナイト・ライダー」 (Knight Rider) 内で 披露されたようです。

"Night Rider" (Dan Chase Turbo Remix)
Available soon on iTunes and other digital service providers, for more info please check www.elvisthemusic.com

ナイト・ライダー - エルヴィス (映画「いかすぜ!この恋」より)

 昨日、 私の YouTube のアカウントが EPEの親会社である CKXからのクレームにより 停止されました。 残念であります。

 来月発売される FTD-CDの "I'll Remember You" ですが、 1973年2月3日の ディナー・ショーであるとか、 ミッドナイト・ショーである とか揉めてますが、 そもそも エルヴィスは 2月3日の ミッドナイト・ショーを キャンセルしてるので、 ミッドナイト・ショーである 訳はないのです。 2月3日の ディナー・ショーは 既に "Vegas Rhythm" という海賊盤で 出回ってます。



(Nov.16, 2008)

ミュージシャンが選んだ、 偉大なシンガー・トップ10

 『Rolling Stone』誌が 歴代の偉大なシンガー・トップ100 リストを発表した。 同リストは、 ミュージシャンや プロデューサー、 音楽業界で働く人々 179人が選出。 その投票者の顔ぶれは 豪華だ。 オアシスの リアム・ギャラガー、 キース・リチャーズ、 コールドプレイの クリス・マーティン、 メタリカの ジェームズ・ヘットフィールド、 ロバート・プラント、 オジー・オズボーン、 ヨーコ・オノ、 リンゴ・スター、 ロッド・スチュワート、 ロジャー・ウォータース、 ブライアン・ウィルソン、 ジンジャー・ベイカー (元クリーム)、 デンジャー・マウス、 ブルース・スプリングスティーン、 ビリー・ジョエル、 フリートウッドマック、 イギー・ポップ、 アリス・クーパー、 ジャスティン・ティンバーレイク らが参加している。

 彼らが選んだ 歴代のグレーテスト・シンガーの トップ10は 以下の通り。

  1. アレサ・フランクリン
  2. レイ・チャールズ
  3. エルヴィス・プレスリー
  4. サム・クック
  5. ジョン・レノン
  6. マーヴィン・ゲイ
  7. ボブ・ディラン
  8. オーティス・レディング
  9. スティービー・ワンダー
  10. ジェイムス・ブラウン

 トップ20内には、 ポール・マッカートニー(11位)、 ロバート・プラント(15位)、 ミック・ジャガー(16位)、 フレディ・マーキュリー(18位) ら英国出身の ロック・シンガーが 名を連ねた。

 アレサ・フランクリンには メアリー・J.ブライジが、 エルヴィス・プレスリーには ロバート・プラントが それぞれ 称賛のコメントを 寄せている。 ちょっと 意外な気もするが、 プラントは プレスリーから 多大な影響を受けているそうだ。

 トップ100の全リストは 『Rolling Stone』誌の最新号で。



エルヴィスは トランスフォーマーだった。
ロバート・プラント(元レッド・ツェッペリン)

 歌手の中にも いろいろ 違いがあるんだ。 信じられない程の声を 出せる人たち。 内なる幸福感を もたらす人たち。 変身 (transfiguration) という言葉が あるだろう。 エルヴィスに 会ってみて 分かったよ。 彼はトランスフォーマー (transformer 変身させる人) だったんだ。

 僕が初めて聴いた エルヴィスの歌は 「ハウンド・ドッグ」だった。 それが ビッグ・ママ・ソーントンのだとか、 何がルーツであるとか、 そんなことは 知る由も無かった。 ただ あの声が聞こえてきて、 ぶったまげたんだ。 全く 別世界の音楽だった。 彼の声は 自信に満ち、 思わせ振りで、 束縛されてなかった。

 彼には意外性と あのドライブ感があった。 まるで 獲物を狙った鳥のように 急降下し続ける歌声だ。 僕は あれを取り入れたんだ。 レッド・ツェッペリン時代の 全てがそうだ。

 ツェッペリンの連中と一緒に エルヴィスに会った。 70年代初めの コンサートでだ。 彼は 僕ほど 背が高くなかったが、 歌手向きの いい身体をしていた。 厚い胸板は共鳴体さ。 それに彼は 行動的だった。 「どっちみち俺のもの」 (Anyway You Want Me) の 彼の歌い方は 最高だ。 「監獄ロック」や 「キング・クレオール」 セッションの曲も 突出してる。 サン・セッションを聴き直してみた。 まるで 中年男が 人生を振り返るようにね。 「ワォ、初めから スゲエじゃないの」って。 でも僕は 現代的な RCAの録音の方が 好きだ。 「アイ、ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」や 「恋の大穴」は パワーフルで、 あのセッションのサウンドは まるでここは 地球上で最高にゴキゲンな場所だぜって。

 あの出会いでは、 ジミー・ペイジが エルヴィスに冗談で、 「我々は サウンド・チェックを ほとんどしないんだ。 たまにやる時は あなたの歌を 歌うことにしてるんだ」 と言ったんだ。 すると、 エルヴィスが 「一体、 どんな曲をやるんだ」 と聞き返してきたので、 僕は 「ムーディーなやつだよ。 『ラブ・ミー』のような カントリー・ソング」 と言って "Treat me like a fool. Treat me mean and cruel, But love me. . ." と歌ったんだ。 そして、 素晴らしくも 可笑しな 90分が過ぎて、 帰る時、 僕が廊下を 歩きだしたところで、 廊下のドアが開いて、 満面に笑みを浮かべた エルヴィスが "Treat me like a fool. . . ." と歌いかけてきた。 僕が振り返ると、 エルヴィスは すぐ後ろにいたんだ。 それで、 僕たちは 立ち止まって、 お互いに 歌い合ったんだ。

 あの頃には 彼を取り巻く力関係から、 より現代的な ソングライターに 手を伸ばすことは 彼にとって 困難な状況であった。 彼は42歳で亡くなった。 今の僕は60歳だ。 彼には 新鮮な食材が 届けられなかった。 彼の年取った仲間たちは 新しいゴスペルを 彼に届けようとしなかった。 彼は もっと表現したかったに 違いない。 しかし、 彼が僕に もたらしたもの。 それは 僕に歌手の道を 開けてくれたこと。それも、 とてつもなく 大きな道だったことだ。

どっちみち俺のもの - エルヴィス

リトル・シスター - ロバート・プラント



(Nov.15, 2008)

エルヴィス関連 テレビ放映情報

ミュージック・エア(スカパー 271ch、 CS、ケーブルテレビ その他にて)
11月22日(土) 23:00〜24:00 「エルヴィス・プレスリー '56 スペシャル」



(Nov.14, 2008)

エルヴィス・ミステリーが 解決!

 マリリン・エバンスは ロックの歴史に立会いながらも、 退出させられていた。

 1956年12月4日。 この日は エルヴィス・プレスリーが メンフィスの サン・スタジオに 立ち寄り、 ジョニー・キャッシュ、 カール・パーキンス、 ジェリー・リー・ルイスと 即興のセッションを 繰広げた日だ。 エバンスが その場に居たことは 広く知られていた。 何故なら、 彼女の声が録音されており、 有名な 「ミリオン・ダラー・カルテット」の横に ブルネット女性が 写っている写真も 存在するからだ。

 当時の新聞に載った写真の注釈には こう書かれていた。 「ピアノに 腰掛けている女性は マリリン・エバンス。 ラスベガス、 フロンティア・ホテルの ダンサーで 金曜日まで プレスリー家に 招待されている。」 他のエルヴィスの 女性たちとは異なり、 エバンスは 「キング」との親交を 仕事に利用しようと しなかった。 そのため、 エルヴィス・ファンの間でも 彼女のことは 長く忘れ去られていた。 それも、 今日まで。

 2週間前に、 シカゴ・トリビューン紙が 「ミリオン・ダラー・カルテット」 セッションにおける ミステリー・ガールフレンドの 存在を 載せたところ、 記事を読んだエバンス、 現在は マリリン・ ノールズ・リーエル(71) 当人から トリビューン紙に 連絡が入りました。

 これが彼女のストーリーです。

 1956年の夏、 マリリン・エバンスは ラスベガス、 ニュー・フロンティア・ ホテルの コーラス・ラインに 加わります。 フレスノ出身の ティーンエイジャーだった 彼女にとって、 ダンスで生計を立てるには ラスベガスは とても厳しい場所だったのです。

 「私には そこは世界で一番の 洗練された街に思えたの。」 当時のラスベガスは 出来たばかりで、 今と比べれば 無垢な場所であった。 ダンサーは 週給135ドルで働き、 ミッキー・ルーニーや ジョージ・チャキリスが 看板スターだった。 「とにかく エキサイトだった。 一晩2回のショーで、 週1日の休みもなし。 でも 好きだった。」

 2回のショーの間、 私たちダンサーは 従業員専用の コーヒー・ショップで 時間を潰してたの。 そこで エルヴィスに出会ったの。 「ワオ!」ってものよ。 「とにかく 彼は美しかった。それが第一印象ね。」 1時間も経たないうちに エルヴィスから エバンスは ナプキンに書かれた メモを手渡された。 「明日の夜、 デイトしない?」って。 エバンスは驚きのあまり 頷いてしまった。 「すぐ彼から 楽屋に電話があって、 時間を決めたの。」 それから2週間、 彼女は エルヴィスと ベガス中を 探索したり、 ドライブをした。 「でも ギャンブルはしなかったわ。」

 「どうして あなたが選ばれたの?」 の問いに、 彼女は 「彼の好みは 『イケイケ』な 娘でなく、 ちゃんとした娘だったの。 私は今でも ちゃんとしてるわよ。」 と言った。 それでは、 ちゃんとした 娘の両親は 「親世代の敵、No.1」と デイトしてる娘を どのように考えていたのか? エヴァンスの父親は 既に亡くなっており、 彼女は 誤解を避けるために、 先ず母親に 手紙を書いたそうだ。 「ママ、倒れないでね。 私、今 エルヴィス・プレスリーと 交際してるの。」 ママは暫らく 寝込んだそうだ。 それも エルヴィスと 直接電話で話すまでの ことだった。 「彼はいい人だったの。 エルヴィスは 私がショーガールっぽくなく、 普通の人だったことを 気に入ったの。」

 エバンス同様 エルヴィスもまた ニュー・フロンティアに 出演中の出来事であった。 (彼の最初のベガス公演) しかし 彼が去った後も 二人は電話で 連絡を取り合った。 「ある日、 彼から メンフィスに来ないかって 電話があったの。 私はOKした。」

 あれから25年、 彼女が エルヴィスの家で 最も印象的だったことは、 「電話のベルが鳴っても、 誰も出ないのよ。 奇妙だったわ。」 メンフィスでの エルヴィスと エバンスの 過ごし方は、 バイクに乗ったり、 食事に出かけたり。 エルヴィスの家で 借りてきた映画を見たことは、 フレスノの田舎娘にとって 信じられないほどの 贅沢なことだった。 それで、 夜は、 エルヴィスと・・・ 「寝てないわ。 彼って 気高かったし、 二人とも 若かったから。」

 そして、 1956年12月4日、 エルヴィスが メンフィスをクルーズ中に サン・レコードに 立ち寄り、 歴史的な セッションが始まり、 それは録音された。 でも、 エバンスは そのことを ほとんど 覚えていなかった。 「私が覚えてるのは、 私が着ていた服は ウール100%だった ことぐらいね。 あれから 何年経ってると思うのよ。 仕方ないでしょ。」

 歴史的セッションに 彼女が 興味を示さなかったことは、 その後の 彼女の生き方に 表れている。 二人の関係は 数週間後に 自然消滅した。 「私は ずっとクラシック音楽が 好きだったの。 彼は彼。 私は私。 どちらが良いと 言ってるんじゃないわ。 あれも刺激的で、 好きだった。 でも、 私には やりたいことが 別にあったの。」 翌年、彼女は ユタ大学に入学した。 「あの時が 私の人生で 最高の時だったみたいに 言うのね。 あの後に いろんな事が あったのよ。 たとえば・・・」 2度の結婚。 息子の誕生。 ダンスの仕事。 彼女は フレスノ・バレエで 13年間 監督を務めた。 彼女は 現在も 40代の時の体形を保ち、 自身のダンス・チームを 率いて踊っている。

 セッションに戻り、 一般的に信じられていた "Father Along" のリクエストの声は 彼女ではないと否定した。 「私じゃないわ。 あんな早口の 南部なまりじゃないもの。 でも、 この "End of the Road" をリクエストした 女性の声。 これは私よ」 と言うと同時に、 彼女は 目を輝かせ、 顔は紅潮し、 ヘッドフォンを 付けたままで、 「燃えてきたわ」 とばかりに、 56年の写真の出来事を 回想する彼女は、 明らかに あの時よりも セッションに 入り込んでいるようだった。



(Nov.13, 2008)

エルヴィス・プレスリーの銅像が 存亡の危機

 東京・原宿竹下通りで、 海外ロックファンの 聖地として 親しまれた ロックンロール ミュージアムが、 来年1月18日をもって 閉店する事が 決定した。 エントランスには、 小泉純一郎元首相、 平尾昌晃、 和田アキ子、 ジョン・ボンジョヴィなど、 エルヴィス・ファンの 各界著名人から 寄贈された エルヴィス・プレスリーの 銅像が 立っているのだが、 閉店と同時に 撤去されてしまうため、 同店では この銅像の行き先を 募集している。

 ロックンロールミュージアム内にあり 来年1月に姿を消すのは、 英国アップル社 正式輸入代理店 ザ・ビートルズ 公式グッズ専門店 「GET BACK (ゲットバック)」、 ザ・ローリング・ストーンズ オフィシャルストア 「GIMME SHELTER (ギミーシェルター)」、 エルヴィス・プレスリー 財団公認の専門店 「LOVE ME TENDER (ラブミーテンダー)」 の3店舗。

 いずれも オープン以来 20年以上の歴史を持ち、 日本国内のファンだけでなく 海外からの訪問者も多く、 有名アーティストが お忍びで 来店することもあった。 閉店後は、 webショッピングサイトと、 イベント出店で その名前を継続していく。

 閉店に至った大きな要因は、 表参道ヒルズ出現以降、 先日オープンした H&M原宿店も併せて 原宿近辺の 地価高騰にある。 商業施設の賃料が 軒並み2倍以上に跳ね上がり、 一時期 ムーブメントとなった "裏原" と言われるエリアも 今や 歯抜け状態。 日本人が構築する 最先端の街だった 原宿が 外資系に 横並びに占拠され、 かつての面影が 失われつつあるようだ。



(Nov.11, 2008)

エルヴィス専門店「ラブミーテンダー」 原宿本店、 閉店のお知らせ

 突然のお知らせで 心苦しくありますが、 原宿本店は 1月18日(日)を 持ちまして 閉店することになりました。 23年間、 高田馬場から始まり、 原宿で店舗営業してまいりましたが、 24年目に 常設店舗としては 終了という形になります。
 今後はホームページ、 ロックンロールバザール、 イベント参加を中心に、 より エルヴィス・プレスリー & ロカビリー・ファンの皆様に 喜んでいただけるように 一層の努力をしていきたいと 思っています。 今まで お世話になった皆様、 本当に有難うございました。
 尚、閉店セールを開催予定でおります。 詳細が決まり次第 発表させていただきますので、 皆様の ご来店を お待ちしております。



(Nov. 7, 2008)

ママが好きだった「揚げパン」の歌 - Shortnin' Bread

 エルヴィスは母親のことを 「サトニン」(Satnin) という愛称で 呼んでいました。 では、 このサトニンとは 一体 どういう意味なのでしょうか? 辞書を引いても 載っていません。 これはアメリカ南部に 古くから伝わる歌 「ショートニン・ブレッド」 (Shortnin' Bread) のショートニンから きているのです。 ショートニンとは 植物性油のことで、 ブタの脂肪から作った ラードよりも 価格が安いために、 世間一般に 広く使われていました。

 そして 毎日グラディスは、 小さなエルヴィスのために 「ショートニン・ブレッド」を 歌いながら ショートニン・ブレッド (揚げパン)を 作っていたのです。 それで、 エルヴィスは いつのまにか 母親を ショートニン --> サトニンと 呼ぶようになりました。

Shortnin' Bread - Cartoon (歌は 3分28秒辺りから 始まります)

Mamma's little baby loves shortnin', shortnin'
Mamma's little baby loves shortnin' bread

shortnin' の部分を clambake に変えたら エルヴィスの映画 「ブルー・マイアミ」の 主題歌である "Clambake" に変わります。

クラムベイク - エルヴィス

 映画のタイトル・ソングである "Clambake" の候補として、 エルヴィスの元には 数多くの デモ・レコードが 寄せられたはずです。 その中から エルヴィスが この Ben Weisman, Sid Wayne 作の "Clambake" を選んだ時、 きっと エルヴィスは "Shortnin' Bread" を歌う母親の声が 聞こえていたに 違いありません。

Clambake - Demo Record by Winfield Scott 削除しました (WMA - 1.3 mb)
Clambake - Demo Record by Gerald Nelson 削除しました (WMA - 2.3 mb)

 上のグラディスの写真は 古い雑誌から とったものですが、 この写真の解説に 「エルヴィスが作った まな板と サラダ・ボウルを使う グラディス・プレスリー。 『エルヴィスは とっても 手先が器用なの』」 とありました。 エルヴィス自身が まな板や サラダ・ボウルを 作ったなんて、 にわかに 信じられませんでしたが、 そう言えば、 エルヴィスは 一時期 家具工場に 勤めてましたっけ。

 クラムベーク (Clambake) とは 浜辺で行われる ピクニックのことで、 昔は 村をあげての お祭り行事みたいなものでした。 映画「回転木馬」では、 村民が 「クラムベーク」を 楽しんでる最中に、 主人公は抜け出して、 強盗を働こうとして、 誤って 死んでしまうのです。 ですから 「クラムベーク」という言葉が 何度も出てきます。



(Nov. 6, 2008)

"Elvis In Person" と "I'll Remember You" の曲目リストを CD News に アップしました。



(Nov. 4, 2008)

"Stop, Look And Listen" は エルヴィス以前に 3人がレコーディングしていた。
カリフォルニア野郎 - エルヴィス

 映画「カリフォルニア万才」の 冒頭のライブハウス・シーンで歌われる "Stop, Look And Listen" (カリフォルニア野郎)は 1964年11月発売の リッキー・ネルソンのLP, "Spotlight On Rick" に収められていた曲なのです。

Stop, Look And Listen - Rick Nelson 削除しました (WMA - 2.1 mb)


 エルヴィスは 1966年2月16日の 「カリフォルニア万才」のセッションで 録音してるのですが、 作者のジョイ・バイアースによれば、 エルヴィスの映画の為に書いたと 言ってますので、 恐らく 「フロリダ万才」あたりの映画の為に 書かれたものが、 リッキー・ネルソンの方に デモ・テープが廻ったと 想像できます。

 ところが、 エルヴィス以前に もう一人、 ビル・ヘイリーも 録音してるのです。 ビル・ヘイリーの録音は 1965年2月15日で、 今は "The Warner Brothers Years & More" という 8枚組CDボックス・セットに 収められています。 あまりに高価で 買えませんので、 ここで 30秒サンプルだけ聴いてください。

 ところが、ところが、 またまた驚くことに、 アメリカのTV番組 "Shindig!" の中で リンダ・ゲイルという人が この曲を歌ってる映像を 発見しちゃいました。

SHINDIG! - 1965.10.2 (Ray Peterson, "Mean Woman Blues" / The Who, "I Can't Explain" / The Blossoms, "Lover's Concerto" / Linda Gayle, "Stop, Look and Listen")
 (リンダ・ゲイルの "Stop, Look and Listen" は5分20秒ぐらいから始まります。)

 何故に彼女が歌ってるのか 調べましたら、 彼女も当時 "Stop, Look and Listen" を シングル盤で出していたのでした。



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