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(Compiled by Haruo Hirose)
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(Mar.31, 2009)

エルヴィス作 「こまどりの詩」

 エルヴィスに関係するものなら 何でも お金に代わるようです。 3月26日に締め切られた オークションの中に 2万ドル(約200万円)もの 高値がついた 1枚の便箋がありました。 そこには エルヴィス直筆の 詩が書かれていました。 何故 こんなに 高い値が 付いたのでしょうか? それは エルヴィス自身が この詩を詠んでる 音源が残っているからでしょう。

 2006年に FTDから発売された CD, "Made In Memphis" の中に、 エルヴィスは この詩を詠んでいる部分が 収められています。 1973年11月、 サム・トンプソンの自宅で 録音されたもので、 CDのラスト・ソング、 "That's All Right" の後に、 この「こまどりの詩」を エルヴィスは 詠んでいます。

「こまどりの詩」 エルヴィス (1966) (削除しました)

「こまどりの詩」

今朝の私の目覚めと同時して
全てのものも起き出そうとする

一羽のこまどりが窓に舞い下り
夜明けを告げる

その歌声は より心地よく
ひと時の静けさの中 ひと息つく

僕は そっと窓を持ち上げるや
奴のどたまを かち割ったのさ

 1968年の大晦日だったでしょうか。 確か 堺正章が司会をしていた 特番の中だったと思います。 チャリティ・オークションの コーナーがあり、 数人のスターの ゆかりの品物が 出品されました。 その中に エルヴィスのジャケットが 出てきたのです。 突然のことだったので 驚いたのですが、 上の写真、 エルヴィスが 「ダブル・トラブル」で着た 白のコーデュロイの ジャケットだったように 記憶してます。 数万円で 落札されました。 その当時は 高いと 思ったのですが、 今だったら いくらの値が ついたでしょうか。

 この白のジャケットで エルヴィスが歌う 「夜の町」(City By Night)は 知る人ぞ知る 隠れた名曲で、 エルヴィスには珍しく ジャズの香りがする、 今聴いても、 モダンなサウンドに 仕上ってます。 こんな形で トロンボーンが フューチャーされた曲は 他にありません。

"City By Night" by Elvis Presley



(Mar.27, 2009)

米MGMミラージュとドバイワールドの合弁、 破産法申請を検討

 [ニューヨーク 26日 ロイター]  米カジノ運営大手MGMミラージュと アラブ首長国連邦(UAE) ドバイの国営投資会社 ドバイワールドの合弁会社で、 米ラスベガスで 80億ドル規模の 大型複合施設を建設中の シティーセンターが、 破産法の適用申請を 検討するため 法律事務所を起用した。 26日付の ウォールストリート・ジャーナルが 関係筋の話として報じた。 WSJによると、 MGMミラージュと ドバイワールドは、 シティーセンターが 27日に 返済期限を迎える 2億2000万ドルの支払いが 困難とみられている。
 MGMミラージュの広報担当は ロイターの問い合わせに対して コメントを拒否した。
 シティーセンターは、 連邦破産法11条の適用を 申請する可能性に備えて 法律事務所のデューイ&ルバフを起用。 MGMミラージュと ドバイワールド、 銀行との交渉次第で、 早ければ 今週末にも 申請する可能性があるという。

 2009年12月16日のグランド・オープンを目指して 急ピッチで建設が進む シティーセンター内の アーリア・リゾート & カジノ (Aria Resort & Casino)。 シルク・ド・ソレイユ (Cirque du Soleil) の「エルヴィス」が 上演される劇場(1800席)も ほぼ完成に近づいている。



(Mar.27, 2009)

< エルヴィス関連 TV情報 >

「タイムマシーンにお願い」 #21 メンフィスの星

スカパー! Ch.755, SCI FI (サイファイ・チャンネル)
  4月2日(木) 11:00 〜 12:00
  4月2日(木) 19:00 〜 20:00
  4月3日(金) 01:00 〜 02:00

 タイムマシーンにお願い 〜 時間と空間の壁を越える旅へ 〜
 量子物理学者である 主人公のサム・ベケットが 様々な時代に タイムトラベルをするという ストーリー。 今回は 1954年7月3日、 サン・レコードで 「ザッツ・オールライト」を 吹き込む2日前の エルヴィスの身体に リープしたサム。 苦悩する女性シンガーを 助けながらも、 ロックンロールの歴史を 守り通さなければならないが・・・。
 ミニ・TV・シリーズで エルヴィスを演じた マイケル・セント・ジェラードが 今回も エルヴィスを演じる。 他に、 ジョン・ボイド・ウエストが 実の父親、 レッド・ウエスト役を 演じている。
 Quantum Leap - Memphis Melody <-- ここに写真入りで 番組が紹介されてます。



「恋のKOパンチ」 (Kid Galahad, 1962)

NHK BS-2 衛星映画劇場
  5月26日(火) 13:00 〜 14:37



(Mar.25, 2009)

1日楽しめる「ハワイアン・パラダイス」のロケ地

 ハワイのエルヴィス映画のロケ地といえば 「ブルー・ハワイ」に出てきた ハナウマ湾や カウアイ島の ココパームス・リゾートばかりが 取り上げられ、 「ハワイアン・パラダイス」の ロケ地は 忘れ去られています。 ところがどっこい、 こちらも結構 楽しめるんですよね。

 クアロア・ランチ -- エルヴィスとマリアンナ・ヒル、 ドナ・バタワースの3人が ヘリコプターで 出かける海岸。 マリアンナ・ヒルが 悪戯で隠した ヘリコプターのキーが 見つからなくて、 海岸で ひと夜を過ごすことになる。 ワイキキから北東に 約30分の この場所が クアロア・ランチです。 乗馬、バギー・ライド、 射撃、フラ・レッスンなど 多彩なアクティビティが 楽しめます。 私が'93年に行った時は ヘリコプターに乗ったり、 ジェット・スキーも できたのですが、 今は やってないようです。 ここは 「ジュラシック・パーク」など 多くの映画の ロケ地にもなってます。

 ここの海岸の沖に見えるのが 通称 チャイナマンズ・ハット (中国人の帽子) と呼ばれる 小さな島。 この島を背景に エルヴィスが歌う 「サンド・キャッスル」 (Sand Castles) は 実際には 撮影は行われたのですが、 編集の最終段階で カットされました。

"Sand Castles" by Elvis Presley (削除しました)

 ポリネシア文化センター -- オアフ島の北、 ワイキキから車で1時間の ライエにある ポリネシア文化センターは モルモン教会によって作られ、 ブリガム・ヤング大学 ハワイ校によって 運営されてる テーマパークです。 ハワイだけでなく、 ポリネシアの島々の 建物、文化、風習を 再現しています。 ショーや食事、 体験も楽しめます。

 エルヴィスの歌う 「ハワイアン・ドラム・ソング」 (Drums Of the Islands) は 原曲が "Bula Laie" といって ポリネシア文化センターの ショーの為に 作られた曲なのです。 大劇場で行われる 夜のショーの フィジーのコーナーの エンディングに "Bula Laie" が歌われます。

Polynesian Cultural Center, Fijian Evening Show
 (上のビデオの 8分10秒からが "Bula Laie" です)

"Drums Of the Islands" by Elvis Presley (カヌー)
"Drums Of the Islands" by Elvis Presley (フィナーレ)



(Mar.21, 2009)

「プレスリーに捧げる1曲」  あなたなら何を歌う?

 道蔦岳史(みちつた たけし) -- 現在の彼は「クイズ・ミリオネア」や 「ヘキサゴンII」など 数多くのテレビ番組で、 クイズ作家、 放送作家として 活躍しているのですが、 1980年代の道蔦氏は 「アップダウン・クイズ」、 「パネルクイズ・アタック25」、 「クイズ・タイムショック」など クイズ番組14冠を誇り、 「クイズ王」として 朝日新聞にも紹介されるほど その世界では 有名な存在でした。

 その彼が 「アメリカ横断ウルトラ・クイズ」に 出演していて、 メンフィスまで行って、 脱落したと、 偶然に あるところで 知ったのです。 確か、 このメンフィス・ロケの部分だけは 録画して 残ってるはずだと 調べましたら、 ありました、 ありました。

 1981年の 「史上最大! 第5回 アメリカ横断 ウルトラクイズ」。 さすがに 道蔦氏も エルヴィスには 詳しくなかったようで、 メンフィスで失格。 罰ゲームで ジャンプスーツを着て 「プレスリーに捧げる1曲」 を 課せられます。 エルヴィスの そっくりさんも驚く 見事な振りで 彼が披露した曲は 一体 何だったでしょうか? 答えは 下のビデオで・・・。

「アメリカ横断ウルトラ・クイズ」 in メンフィス (1981) (削除しました)



(Mar.18, 2009)

「G.I. ブルース」の G.I. って 何の略?

 「G.I.」って 兵隊さんのことだとは 分かってましたけど、 何という言葉を 省略したものか、 つい最近まで 私は知りませんでした。 辞書によると Government Issue (官給品) の略で、 アメリカ兵の俗称らしいですね。

 この「G.I.」って言葉、 "G" は "Gee" で、 「おや」とか 「まあ」とかの 接頭語に使われる 言葉であり、 "I" はもちろん 「私」のことですから、 アメリカ人にとって 「G.I.」は 「まあ、私って・・」 と聞こえるようです。 このことを使った 「G.I. ブルース」の予告編が 特別に作られています。 ファンにも知られてない この珍しい予告編を アップしましたので 見てください。

「G.I. ブルース」予告編 (特別バージョン) (削除しました)

 普通の「G.I. ブルース」の予告編は こちら。
「G.I. ブルース」予告編

 エルヴィスの映画のタイトルの中に、 調べないと分からない 難しい言葉が 使われているものが いくつかあります。

King Creole -- クレオールとは ルイジアナ州に住む フランスや スペイン系移民の 子孫のこと。
Kid Galahad -- ガラハッドは アーサー王の円卓の騎士のひとりで、 純粋な心の持ち主。
Kissin' Cousins -- (改まってキスする程度の) 遠い親戚。
Roustabout -- 波止場人足、雑役夫のこと。
Girl Happy -- 女性がいれば幸せ(な男)。
Tickle Me -- おだてる。 (男心を)くすぐってよ。
Harum Scarum -- むちゃくちゃ。 無鉄砲な人(行動)。
Spinout -- 車がスピン(回転)して、コースから飛び出すこと。
Easy Come Easy Go -- 「悪銭身に付かず」。 たやすく手に入れたものは、簡単に出て行くこと。
Clambake -- 浜辺のパーティ。
Live A Little, Love A Little -- ちょっぴりでなく、「大いに人生を楽しみ、大いに愛を楽しもう」。
Charro -- メキシコのカウボーイのこと。
Change Of Habit -- 修道衣(Habit)を着替えなさい。
Elvis: That's The Way It Is -- (エルヴィスって) こういうものだ。



(Mar.15, 2009)

男性コーラスが 女性コーラスに変わったよ

 最新アルバム、 "I Believe; The Gospel Masters" が昨日届きました。 1968年に 映画「トラブル・ウイズ・ガールズ」 用に録音された 「スイング・ダウン・ スイート・チャリオット」 (Swing Down Sweet Chariot) を聴いて びっくり。 バック・コーラスが 男性から女性に 変わってるじゃありませんか。 確か この時の レコーディングには 女性コーラスは 参加してないはず。 付属の解説書を見れば、 ブロッサムズが オーバーダブしたと 書いてある。 本当かな?

"Swing Down Sweet Chariot" (女性コーラス) (2009 CD) (削除)

"Swing Down Sweet Chariot" (男性コーラス) (2000 CD) (削除)



(Mar.15, 2009)

エルヴィス関連TV情報

美奈子 & 玲子のシネマ・パラダイス
「ラスベガス万才」 (1964年)

BS フジ、 3月16日 (月) 9:15 pm 〜 11:05 pm
   (再放送) 3月21日 (土) 2:00 pm 〜 3:50 pm

 "キング・オブ・ロックンロール"こと エルヴィス・プレスリー主演の 歌とダンス満載の 青春ドラマ。 相手役に アン・マーグレット、 監督は 「バイ・バイ・バーディー」の ジョージ・シドニー。 ショーとギャンブルの都 ラスベガス。 この街で開催される カーレースに出場することになった レーサーのラッキーは、 そこで 偶然出会った美女 ラスティーに たちまち恋してしまう。 ラッキーは 彼女に猛烈アタックするが…。 プレスリーは 劇中で 名曲「ビバ・ラスベガス」 「テキサスの黄色いバラ」など 9曲のナンバーを熱唱!

 <ナビゲーター> 中野美奈子 & 遠藤玲子
 フジテレビ人気アナウンサー 中野美奈子 & 遠藤玲子の フレッシュで楽しいトークで お届けする作品解説、 ロードショー映画の 最新情報なども まじえながら、 話題作・名作映画の数々を ど〜んと放送!



(Mar.14, 2009)

「ラン・オン」  何故、走りつづけると、 神に見離されるのか?

 エルヴィスが早く亡くなったことが 残念と感じる時があります。 エルヴィスと同世代である ジョニー・キャッシュが 2003年、亡くなる寸前に録音した 曲の数々は あまりに素晴らしく、 心に染入るものが あるからです。 エルヴィスが 長く生きていたら、 どのように歌い方も 変わっていったでしょうか。 ジョニー・キャッシュが 最後に録音した何曲かは エルヴィスにも 関連がありますので、 ここで取り上げることにしました。

 2006年に発売されたジョニー・キャッシュのCD "American V; Hundred Highways" に収められている 「ゴッズ・ゴナ・カット・ユー・ダウン」 (God's Gonna Cut You Down) は、 タイトルは違えど エルヴィスも歌ってる ゴスペル・ナンバー 「ラン・オン」 (Run On) なのです。 この曲は "God's Gonna Cut You Down" の方が 一般的なタイトルで、 エルヴィスが 影響を受けたとされる ゴールデン・ゲート・カルテットも "God's Gonna Cut 'Em Down" とか "God Almighty Gonna Cut You Down" のタイトルで 録音してます。

"God's Gonna Cut 'Em Down" by Golden Gate Quartet (1945) (削除)

"Run On" by Elvis Presley (1966)

"God's Gonna Cut You Down" by Johnny Cash (2002)

 このジョニー・キャッシュのミュージック・ビデオは、 このYouTubeのアクセス数が 500万回を超えてるように、 反響がすさまじく、 2008年のグラミー賞を ミュージック・ビデオ短編部門で 獲得しました。

Run On (God's Gonna Cut You Down)

Well you may run on for a long time
Run on for a long time,
Run on for a long time
Let me tell you God Almighty's gonna cut you down

Go tell that long tongued liar
Go tell that midnight rider
Tell the gambler, rambler, back-biter
Tell them God Almighty's gonna cut them down

Stop, God Almighty, let me tell you the news
My head's been wet with the midnight dews
I've been down on my bended knees
Talking to the man from Galilee
My God spoke and he spoke so sweet
I thought I heard the shuffle of angel's feet
He put one hand upon my head
Great God Almighty, let me tell you what he said

You may throw your rock and hide your hand
Working in the dark against your fellow man
As sure as God made the day and the night
What you do in the dark will be brought to the light
You may run and hide, slip and slide
Trying to take the mote from your neighbour's eyes
As sure as God made the rich and poor
You gonna reap just what you sow

Some people go to church just to sit in the fire
Trying to make a date with the neighbour's wife
Brother, let me tell you as sure as you're born
You better leave that woman alone
Because one of these days mark my word
You think that brother is going to work
And you'll sneak up and knock on that door
That's all, brother, you'll knock no more
ラン・オン (ゴッズ・ゴナ・カット・ユー・ダウン)

ずっと走ってたって いいけれど
ずっと走ってろ・・・
ずっと走ってろ・・・
教えてやろう、今に神は あなたを見離すだろう

あの嘘つきに教えてやれ
あの浮気者に教えてやれ
ばくち打ち、浮浪者、陰口叩きに 教えてやれ
今に神は あなたたちを見離すだろう

神様が私に言わせるんだ
昨晩、私の頭は霧に包まれ
私はひざまづき
イエス様と話したのさ
神のお声は、とても優しく
まるで、天使の足音のよう
神は私の頭に手をやり
神様が私に言わせるんだ、 神の言葉を

石を投げた手を隠したって
友人を裏切ったって
昼と夜を創った神様には お見通しさ
闇の仕業も明るみにさらされ
逃げ隠れしても、こそこそしても
隣人のあら捜しをしても
富者と貧者を創った神様には お見通しさ
まいた種は自分で刈らねばならぬ

修行の振りをしに 教会に行く奴もいる
隣人の嫁さんを目当てに
これだけは言っておく
女のことは忘れるんだな
近いうちに俺の忠告通りになるぜ
亭主が仕事に出かけたと思い
こっそりドアをノックすりゃ
それが最後、二度とノックも できなくなる

 同じCDに収められてる「ヘルプ・ミー」(Help Me)。 この曲も もちろんエルヴィスで お馴染みの曲です。

"Help Me" by Johnny Cash (2002)
"Help Me" by Elvis Presley (1973)
"Help Me" by Larry Gatlin (作者)

 ジョニー・キャッシュ生前最後の映像が収められた "Hurt"。 これはエルヴィスの "Hurt" とは異なる曲ですが、 素晴らしいので 是非見てください。 アクセス数は 何と 1,800万回を超えてます。

"Hurt" by Johnny Cash (2002)



(Mar.11, 2009)

< 西郷輝彦、エルヴィスを歌う >
TERUHIKO SAIGO, Live Act. ELVIS 2009!


<日時> 2009年 7月19日 (日)
<場所> 新橋 ヤクルトホール (地図)
     東京都港区東新橋 1-1-19 (Tel: 03-3574-7255)
     JR新橋駅から徒歩5分

<ライブ 1回目>  (全席入れ替え制)
    14:30 ● 開場
    15:00 ● ライブ スタート

<ライブ 2回目>  (全席入れ替え制)
    17:30 ● 開場
    18:00 ● ライブ スタート

<料金> (全席指定席)
    7,000円 (ファンクラブ会員:6,500円)
    輝羅星倶楽部
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン

<チケット前売り>
    会員優待チケット先行発売 2009年4月(予定)
    一般発売 2009年5月(予定)
    
<主催>
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
<協催>
    オーレ・エンターテインメント
<協力>
     湯川れい子音楽事務所、オフィス レインボウ
     銀座タクト



西郷さんの公式サイトより

● ロックンロール・ナンバーから ロッカ・バラード、 そして SAIGO オリジナルも

 TERUHIKO SAIGO Live Act. ELVIS 2009 ! ―― エルヴィス・プレスリーの 国内公式ファン・クラブ 「エルヴィス・プレスリー・ ソサエティ・オブ・ジャパン」 (代表田口富一氏)と オーレ・エンターテインメントは、 2009年7月19日、 エルヴィス・ナンバーを セット・リストの中心とする 西郷輝彦ライヴを 東京・ヤクルトホールで 開くことに決めました! 西郷にとって エルヴィスをメインに歌うのは ちょうど1年前、 クラブ・チッタで開いた ライヴに続いてのものとなります。 弾けるような ロックンロール・ナンバーから、 1970年代の 成熟したロッカ・バラード、 さらに 自身のオリジナル・ナンバーを ちりばめて、 西郷輝彦が どんなライヴを披露するのか、 期待が高まります。

● スタンダードから 1970's ロッカ・バラードまで

 西郷がエルヴィスを ライヴで取り上げたのは、 2008年7月18日、 クラブ・チッタで行われた 「Teruhiko Saigo Live Act. 4 〜 Meets with Elvis Again」でした。 日本における スタンダード・ エルヴィス・ナンバーとも言える You Don't Have To Say You Love Me (この胸のときめきを)から、 Runaway、 Without Love、 It's Now Or Never、 I Need Your Love Tonight、 Blue Suede Shoes、 Heartbreak Hotel、 Jailhouse Rock、 Hound Dog など、 昼夜の2回公演で 延べ47曲を歌い切ったことは 記憶に新しいことと思います。

● 湯川れい子さんが 「エルヴィス・リスナーにも聴いてほしい」と

 このとき チッタにまで足を運んでいただいたのが、 音楽評論家で作詞家の 湯川れい子さん。 エルヴィス・プレスリーの 熱烈なサポーターであり、 個人的な交友もあった湯川さんが、 チッタでの西郷ライヴを見て、 2009年1月に開かれた 「エルヴィス生誕映画祭」の トーク・ゲストに 西郷を指名。 これをステップにして、 湯川さんが 「西郷さんが歌う エルヴィス・ナンバーを 日本のエルヴィス・リスナーにも 聞かせてほしい」と、 西郷と エルヴィス・プレスリー・ ソサエティ・ オブ・ジャパンに 申し入れて、 今回の実現に至りました。

● 日比谷公会堂でも見事に歌い上げた 「アメリカの祈り」

 西郷は、チッタ・ライヴでの エルヴィス・ナンバーを、 続く 今年1月の 日比谷公会堂での コンサートでも披露。 ことに生前、 エルヴィスの独壇場であった An AmericanTrilogy (アメリカの祈り)を 見事に歌い上げ、 今回の 「TERUHIKO SAIGO Live Act. ELVIS 2009 !」 実現の追い風となりました。

 主催するエルヴィス・プレスリー・ ソサエティ・オブ・ジャパンの 田口富一代表は、 1月、 日比谷公会堂で 行われた Big Anniversary 〜 45周年記念コンサートを 実際に目にし、 「西郷さんが エルヴィスを歌う …… あまり イメージできなかったのですが、 目の当たりにすると 独自の世界観を持った エルヴィス・ナンバーに 驚きました」と コメント。 一気に 実現へ突き進みました。

 ファンクラブ優先の チケット先行申し込みは、 4月から スタートする予定ですが、 まだ決定してはおりません。 追って、 西郷百歌店と エルヴィス・プレスリー・ ソサエティ・ オブ・ジャパンの 公式サイトで お知らせいたしますので、 皆様、お楽しみに!



(Mar.11, 2009)


 チラシ拡大
< エルヴィス映画祭 >
「G.I. ブルース」 &
「エルヴィス・オン・ツアー」

<日時> 2009年 5月24日 (日)
<場所> 新橋 ヤクルトホール (地図)
     東京都港区東新橋 1-1-19 (Tel: 03-3574-7255)
     JR新橋駅から徒歩5分

<TIME TABLE>
    12:30 ● 開場
    13:00 ● 「G.I. ブルース」
    15:15 ● Kohji & 大輔 アコースティック・ライヴ
    16:30 ● 「エルヴィス・オン・ツアー」
    18:00 ● 終映

<料金> チケット発売中! (全席自由席)
    エルヴィス・ソサエティ会員:2,500円
    一般前売:2,800円 (当日:3,000円)

<チケットのお求め>
    チケットぴあ (0570-02-9999) (Pコード 555-087)
<主催・問い合わせ>
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
    銀座タクト (03-3571-3939)
<協力>
     BMG JAPAN
     セキスイ



(Mar. 9, 2009)

驚きの新発見!
坂本九の「幸せなら手をたたこう」は エルヴィスも歌ってる "I Was Born About Ten Thousand Years Ago" (おいらは何でも見ちゃったよ) が原曲だった。

 "I Was Born About Ten Thousand Years Ago" という ゴスペルでも 宗教歌でもない曲が 今週発売の エルヴィスのゴスペル・アルバム、 "I Believe; The Gospel Masters" に選曲されたのは 何故だろうかと 調べてるうちに、 この曲は 坂本九ちゃんの 1964年のヒット曲であり、 誰もが知ってる 「幸せなら手をたたこう」と 同じ原曲からきてることを 発見しました。

 エルヴィスの "I Was Born About Ten Thousand Years Ago" は 最初 LP "Elvis Country" の中の 曲を繋ぐ ブリッジ・ソングとして 細切れで使われ、 その後 LP "Elvis Now" に 完全版が 収められた 作者不詳の 古いアメリカン・ フォーク・ソングです。

"I Was Born About Ten Thousand Years Ago" by Elvis Presley

I Was Born About Ten Thousand Years Ago

I saw old Pharaoha's daughter bring Moses from the water
I'll lick the guy that says it isn't so

I was born about ten thousand years ago
There ain't nothing in this world that I don't know
I saved King Davida's life and he offered me a wife
I said now you're talking business have a chair

Yeah, I was born about ten thousand years ago
Ain't nothing in this world that I don't know
Saw Peter, Paul and Moses playing ring around the roses
I'll lick the guy that says it isn't so

I was born about ten thousand years ago
Ain't nothing in this world that I don't know
I saw old Pharaoh's daughter bring Moses from the water
I'll lick the guy that says it isn't so

I was there when old Noah built the ark
And I crawled in the window after dark
I saw Jonah eat the whale and dance with the lion's tail
And I crossed over Canaan on a log
おいらは何でも見ちゃったよ

ファラオの娘が モーゼを海から出すのを見たんだ
ウソだって言う奴は 叩きのめしてやる

俺は1万年前の生まれ
この世で知らないことはない
ダビデの命を助けたら、嫁を紹介するってんで
じゃ座って話そうじゃないかと 言ったものさ

ああ、俺は1万年前の生まれさ
この世で知らないことはない
ペテロ、パウロ、モーゼが イス取り遊びをしてるのを見てたんだ
ウソだって言う奴は叩きのめしてやるぜ

俺は1万年前の生まれ
この世で知らないことはない
ファラオの娘が モーゼを海から出すのを見てたんだ
ウソだって言う奴は 叩きのめしてやるぜ

ノアが方舟を造ってる時、 俺はそこに居たんだ
夜が更けると、 窓から忍び込み
ヨナが鯨を食べて、 ライオンと踊るのを見てたんだ
丸太でカナンを越えるのもね

 "I Was Born About Ten Thousand Years Ago" は一般に 学生や庶民が 酒の席で歌う The Drinking Song であり、 The Bragging Song とか The Swagger Song と呼ばれる 「ほら吹きソング」 のひとつです。 エルヴィスが スコティ・ムーアに預けた レコードの中に 黒人ブルース・シンガー、 ブラウニー・マギー (Brownie McGhee)の "I'm 10,000 Years Old" というシングル盤があり、 エルヴィスは このブラウニー・マギー盤を よく聴いていたものと 思われます。

"I'm 10,000 Years Old" by Brownie McGhee (削除)

 記録に残っている 一番古い録音は 1925年のケリー・ハーレル盤 らしいのですが、 ゴールデン・ゲート・カルテットも 1937年に 録音しています。

"I Was Born About Ten Thousand Years Ago" by Golden Gate Quartet

 ピート・シーガーやオデッタなどの フォーク・シンガーたちの 愛唱歌にもなってたようで、 アイルランドの国民的フォーク・シンガー、 トミー・メイケムは "The Liar" (うそつき) というタイトルで 歌詞も替えて歌ってます。 この1973年の映像を見てください。

"The Liar" by Tommy Makem

 エルヴィスの歌では 気付かなかったのですが、 このトミー・メイケムの歌い方を 真似して 口ずさんでたら、 「幸せなら手をたたこう」 が出てきました。 これには驚きました。 「幸せなら手をたたこう」 と全く同じ メロディ・ラインでは ありませんか。

 「幸せなら手をたたこう」は 早大名誉教授であり、 現在、 恵泉女学園の学長である 木村利人氏が 戦後、学生時代に フィリピンで ボランティア活動をしてた時に、 現地の子供たちが 歌っていた スペイン民謡を耳にして、 帰国の船中で 詩を付けたものだそうです。 帰国後、 大学や YMCAの仲間内の愛唱歌として 歌わていたものを、 偶然、 坂本九が聞いて、 いずみたくの元に 持ち込んで、 レコード化され、 大ヒットしました。 それは1964年、 東京オリンピックの年で、 来日していた 外国人選手たちが この歌を聴いて、 本国に持ち帰り、 世界中に広まりました。 ですから、 現在 "If You Are Happy And You Know It" という英語タイトルで 広く知られるこの歌は、 「幸せなら手をたたこう」の 日本語が英訳されて、 日本から 輸出されたものなのです。

「幸せなら手をたたこう」 by 坂本九

"If You Are Happy And You Know It" by 子供たち
"If You Are Happy And You Know It" by ギター演奏
"If You Are Happy And You Know It" by ゴスペル・コーラス

 ゴスペル・コーラス隊が歌う 「幸せなら手をたたこう」なんて、 まるで 元々アメリカに古くから伝わる 歌のようですが、 日本発の歌なのです。

 原曲のスペイン民謡が 何であったか 分かりませんが、 それがアメリカに渡り、 "I Was Born About Ten Thousand Years Ago" という曲になり、 フィリピン経由で 日本に伝わり、 「幸せなら手をたたこう」 になったのは 間違いありません。

 インターネットで調べてましたら、 昨年、 木村利人氏が 恵泉女学園の卒業生に 贈った言葉が 載ってましたので、 ここに抜粋を引用します。
 実は、大分前のことですが、 私が学生時代に作った歌があります。 皆さん方も、 歌ったことがあったりして、 多分良く知っている 「幸せなら手をたたこう」 という歌の作詞者は 私なのです。

 これは、「幸せ」の歌なのですが、 私たちが再び武器をとって 戦わないことを誓い、 「平和」な世界を 作り出そうという 聖書のメッセージが 入っているのです。

 この原曲は 古くからあるスペイン民謡曲なのですが、 私が50年も前の 早稲田大学の学生時代に参加した フィリピンでの YMCAワークキャンプで、 地元の小学校の こどもたちが 民謡として歌っていた曲を 採譜して、 このワークキャンプでの 戦争と平和の体験に基づいて 曲につけて 作詞したのが この歌詞なのです。

 当時、戦争が終わって、 まだ10数年しかたっていない頃で、 悲惨な戦争の跡を 目あたりにし、 キャンパーたちの ご両親や親族のかたがたが 犠牲になられたという 悲しみにも直接にふれ、 私たち日本の 若い世代の参加者一同は 大きなショックを受けました。 しかし、 一緒に汗を流し ジャングルを切り拓く仕事をし、 聖書を読み、 祈りをしていく中で、 フィリピンの友人たちは、 タガログ語で 「タイヨ・アイマカイビガン・ カイ・クリスト」 と語ってくれたのでした。

 私たちはキリストにあって、一つなのだ」 と言う意味で、 今でも その響きが 耳に響いてくるのです。 戦争の苦しみや悲しみ、 日本人が目の前に現れたら、 殺してやりたいとまで思い詰めていた 日本と日本人への憎しみを越えて、 キリストの愛による 平和な世界を作ろうと フィリピンの仲間たちは 私たちに 語ってくれたのでした。

 その時読んだ、 英文聖書の箇所が、 旧約聖書の詩編47の 「みんなで手をたたこう。 神に向かって 喜びの声をあげ歌おう」 でした。 そして、 フィリピンの友人たちは、 涙ながらの祈りを終えてから、 本当に 「態度に示して」 私たちに 本当に親切にしてくれました。

 神によって生かされている 平和の「幸せ」を 「態度に示して」 生きていくようにと、 私たちは 神によって 召されていることを フィリピンの友人たちから 教えられ、 その感謝と 感激の体験を 帰国途次の 船の中で 作詞したのです。

 先ほど、 お読みしていただいたように、 聖書は、 私たちに 「光の子として歩みなさい」 と語りかけます。 この「光の子として歩みなさい」 ということの 具体的内容として、 この聖書の同じ箇所が 「リビング・バイブル」では 「そのことを態度で示しなさい」 と訳されていることに、 是非 注目して下さい。

 もしかすると、 私の 「幸せなら手をたたこう」が 1950年代後半から 大ヒットしたので、 その歌詞のキーワードである 「態度に示そうよ」が このように 1975年に刊行された 聖書の日本語訳にも 影響を与えたのではないかと 思っています。 「手をたたこう」は、 旧約聖書から得た ヒントですし、 「態度に示そう」は 新約聖書の訳文に 取り入れられてしまったので、 この「幸せなら手をたたこう」 の歌詞は 聖書のメッセージで 成り立っているということに なってしまいました。

 さて、私たちは 神により 一つとされ、 平和に生きる喜びこそが 「幸せ」の根拠であり、 それを「態度に示す」 というライフスタイルを とるようにと、 聖書は 私たちに告げているのです。

 卒業生の皆さん、 光そのものである神を見つめつつ、 神の輝きによってのみ 輝くことの出来る 「光の子」として 「態度に示し」つつ、 一回限りの人生を ともに聖書の光に照らされて 歩んで行って下さい。

 "I Was Born About Ten Thousand Years Ago" は ゴスペル・アルバムに収録するに 相応しい曲 なのかもしれないですね。



(Mar. 7, 2009)

星加ルミ子 (ミュージック・ライフ 編集長)
メンフィスの エルヴィス・プレスリー邸を 訪れました

1965年6月24日

 私がまだロンドンにいた時、 一通の手紙を受けとりました。 差出人は ヴァーノン・プレスリー。 中を開けると、 こう書いてあります。 『あなたに 早く お目にかかりたいと 思っております。 私達一家は 7月初めに ハリウッドヘ エルに会うために 出かけてしまいます。 それで もしよければ 6月25日、 メンフィスの 私達の家で あなたと 夕食を ご一緒したいのですが いかがでしょうか。 お目にかかれるのを 楽しみにしています。』 エルヴィス・プレスリーのパパから 直々に こんな うれしいご招待を いただいて、 これが 行かずに いられましようか。

 23日の夜 ニューヨークヘついて、 まだ 自分のホテル以外は 知らないというのに、 今日は はや メンフィスヘ 行かなければなりません。 ニューヨークで ミュージック・ライフの レポーターをして下さっている ジョー宮崎さんが、 カメラの腕前は プロ級というので、 これ幸いとばかり 一緒に 行ってもらうことにしました。

 この日の午後6時、 アメリカン・エアーラインに 乗り込みました。 何んぜ 急のことなので、 メンフィス直行便などには 巡り会えず、 ニューヨークから ジョージアで 乗り換えて 何んと6時間がかりで やっと メンフィスについたのが 夜11時、 時間が合わないヨなどと おっしゃらずに まあお聞き下さい。 ニューヨークとメンフィスでは 2時間の時差があります。 それに メンフィスは もはや サマー・タイムで 1時間 時計の針が進んでいるのですから ややこしいわけです。 ニューヨーク時間では すでに 夜の12時なんですから 眠くて仕方ありません。 でも まるで アンコールワットみたいな 型をした メンフィスのエアポートの 中央に建っている建物を 空の上から眺めた時は、 やっぱり 胸がトキめいたものです。

 もちろん私は 生れて初めて 降りたところですし、 知り合いなんて いるわけがないのに、 ロビーへ出ると アナウンスが 私を呼んでいるのです。 あわてて カウンターに かけつけると 4人の人が 私を待っていました。 その中の 一番年輩の でっぷりとした やさしそうなおじさまが、 ニコニコと 私に手をさしのべて こう言いました。 「ミス・ルミコ・ホシカ、 ようこそメンフィスヘ いらっしゃいました。 私達は あなたが 今日ここへ来ることを、 私達の親友 ディッキー・リーから 聞いたので 迎えに来たんです。」 まあ何んて 親切な人達かしら、 ディッキー、 ありがとう。 今朝、 ジョーさんの事務所に 遊びに来ていた ディッキーと会って、 彼が久し振りの 彼のヒット曲 「ローリー」を 日本語でいれるので、 日本語のコーチをしてくれと 頼まれ、 一生懸命 ア・イ・ウ・エ・オ なんてやってたんです。 その後、 ディッキーが きっとメンフィスまで 電話をかけてくれたに ちがいありません。

 この4人の人達、 私に話しかけてきたおじさまは メンフィス1のレコード会社 サム・フィリップス・レコードの社長 ユージンさんと奥さん、 現在は サム・フィリップスという名前ですが、 昔の サン・レコードといえば お判りでしょう。 エルヴィスが 一等最初に レコーディングした 会社ですね。 それにディレクターのスターンさんと、 やはり この会社の経営者である テッドさんの4人は すぱらしい コルベット・デラックスに 私達を案内してくれました。 そして、 「さあ これから この町一番の ステーキ・ハウスで ディナーをとりましょう。」 というと コルベットは 音もなく スベリ出したのです。 もう まっ暗な 外の景色は 木や雑草の生い繁った平原で、 全く広々としています。 遠くチラチラ明かりが見えるどころか、 どこを向いても 街頭以外は 街明かりなんて 見えないのです。 その時ユージンさんが、 パチッと 車のラジオのスイッチを ひねりました。 何んか 賑やかな音楽が 聞こえてきました。 びっくりしたことに、 ステレオ装置がしてあり、 車の右と左から 聞えるように なっているのです。 DJらしい男性の声が 聞こえて来て、 突然 私は又々びっくりしてしまいました。 「ウェルカム・トゥ・メンフィス・ ミス・ルミコ・・・ ペラペラ」と そのラジオは 私の名前を云ったのですから。

 口を開けて驚ろいてる私を見て 皆んな大笑い。 タネをあかせば、 この番組は メンフィスの ティーンエイジャー向けのプログラムで ヒット・ソングを 2時間ぶっ通して かけているのだそうですが、 私がつく時間を みはからって、 こんないたずらを したのです。 それにしても これ以上の最高の歓迎は ありません。 私はメンフィスっ子の 暖かい歓待に すっかり感激してしまいました。ともかく この夜は 大きなステーキを パクついて 憧れのメンフィスの 第1夜を楽しんだのです。

6月25日

 朝起きるや否や、 私はプレスリー家ヘ ダイヤルを回しました。 そして、 ヴァーノン・プレスリーの声を 初めて聞いたのです。 渋い 落ちついた感じの声が 向こうから響きます。 そして 午後2時に 私の家へいらっしゃいと 言ってくれました。 午後までの空き時間を、 私とジョトさんは メンフィス見物 することにしました。 この日は ものすごい暑さで、 一歩外へ出ると カンカン照りの 太陽と熱風で 思わず悲鳴を あげてしまいました。 メンフィス・ブロードウェイとよばれる 繁華街は閑散としていて、 人影もまばら、 この暑さじゃ とても ブラブラ、 ショッピングする人も いないのでしょう。 まず 通りの広さに驚きました。 どの建物も あまり高くなく、 時々大きな看板が 建っている程度の いたって静かな町です。 驚いたことに 軒並みに並んでいる映画館は 全部「ティックル・ミー」 (いかすぜ!この恋)を やっているのです。 われらがエルというわけでしょうか。 私は早々に 見物を中止して エアコンのきいたホテルに 戻ってきました。

 ビートルズ以来、 再びジャパニーズ・フリソデを着込んで、 炎天下のメンフィスを タクシーにゆられ 約1時間、 私はエルヴィス・プレスリー邸の 門前に着きました。 どこまで続いているのか判らない 鉄柵がとりまいている 広大な庭園が ひろがっています。 そして門は いつか写真でみたことのある ギターをひいている エルを型どった 鉄の扉が左右に開いています。 私をのせたタクシーが その門を通過しようとした時、 右側に ポリスボックスが 立っているのに 気付きました。 左側にもです。 そして その中には こん棒をぶら下げた おまわりが 左右のボックスに 1人づつ立っています。 右側にいたおまわりが、 私をみつけて 近寄ってきました。 私は ミスター・ヴァーノン・プレスリーに 招待されて 来た旨を告げると 彼は「それならきいてる」と言って 先に立って 案内してくれました。 ダラダラ坂の右手は 高い青々とした木が 生い茂り、 左手は こんもりと森のようになり 門の前からは エルの家が 見えない程 この庭は 大きく広大なものです。 やっと家の前へ着くと ポーチの前には 小さな噴水が 沢山おかれ、 草花が きれいに 刈り込まれて 植えてあります。 おまわりは私に ちょっと待てと言って、 玄関のベルを押しました。 扉が開いて 銀髪のやさしそうな 中年の紳士が 顔を出しました。 そして私を 手招きしています。 私はポーチに続く 数段の階段を かけ上りました。 そして家の中へ 招き入れられたのです。

 そこには ヴァーノンと ミセス・プレスリーが ニコヤカに 立っていました。 私は大きな やさしそうな ヴァーノンさんの大きな手に 握手され、 次に ミセス・プレスリー (とても若くって 白っぽい金髪を 中世の貴婦人のように セットした美しい人でした) の暖かい歓迎をうけて、 すぐ右手の 大きな応接間に通されました。

 私が入って来た正面玄関をはじめ 家全体が 白いコンクリート建てで、 家の中も 壁はすべて白。 まず入っていくと 廊下になっていて つき当りに 階段があり 奥につづくドアが見えます。 左手は ガラスばりの 2枚ドアで お勝手に続くということです。 そして 右手の私が案内された 大きな応接間には 白っぽい厚い カーペットが敷き詰められ、 右の奥に 大きな応接セット 左側に暖炉と 小さな木製のイスが 5脚、 まばゆいばかりの シャンデリアが 輝やいている さすがに豪華な造りです。 ここがエルの家なんだわ、 私はとても 信じられない心地でした。 この応接間の もうひとつ向こうに 小さな部屋があり、 まっ白い グランド・ピアノが 置いてあります。 そして この部屋の出口からは パパとママの家へ 庭づたいに行けるように なっているのです。 ふと テーブルの上を見て 私はびっくりしました。 エルヴィスが ギターをひいている型を そのままとった灰皿が 置いてあるのです。 私でなくても 欲しくなるでしょう。 モチさっそくパパに おねだりしてみました。 すると 「これはエルのものだから 私が勝手に あげてしまうことは 出来ないのだよ」と 断られてしまったのです。 「そのかわり、 これをプレゼントしよう」 と言って 出してくれたのは Eというイニシャルを 刺繍してある きれいなハンカチと、 エルヴィスの大きな カラー写真でした。 ママが 「ハリウッドで エルに会った時、 これにサインをもらいなさいな」 と言ってくれました。

 ミセス・プレスリーは 確か2度目の 継母のはずです。 以前 横浜にいたことがあるという彼女は 大の日本人びいきで 話もすっかり弾みました。 そして エルの母親であるということに とっても 誇りを持っていました。 ヴァーノンさんの方は  口数は少いけれども 始終ニコニコと 私達を眺めています。 その時 黒人の年老いたメイドさんが コーヒーを持って 入って来ました。 脚が悪いのか びっこをひいています。 ニコリともせず、 コーヒーを置くと スタスタ出て行って しまいました。 ママが 「彼女は この家に 長年住みついているメイドで、 エルのいない間も 家の中をいつも 磨きたてて エルの帰りを 待ってるのよ」 と説明してくれました。 成程 あのメイドさんなら うるさい記者連にも 対応出来るに ちがいありません。 だって彼女は おしのように 一言も口をきかないんですから。 ここで パパにインタビューを

Q:  エルの子供時代は どんなでした?

ヴァーノン:  おとなしくて親孝行な子でしたよ。

Q:  学校の成績はいい方でした?

ヴァーノン:  まあまあだった。 音楽も特に いいとはいえなかったね。

Q:  ロックを 歌いはじめたのは・・・

ヴァーノン:  あの子が あんなはげしい歌を歌うなんて 信じられなかった。 人前に出ることすら 嫌がるような子だったから ね。

Q:  ギターを持ったのは いつ頃?

ヴァーノン:  いくつの時だったかな。 まだジュニア・ハイスクールの時だったよ。 私が彼の誕生日に プレゼントしたのだ。

Q:  メンフィスには 時々 帰って来ますか?

ヴァーノン:  この4年ばかり 帰ってきたことがないよ。 大てい ハリウッドの ベルエアにある アパートに住んでいるか ハワイか ラスベガスにいるんだ。 私達家族は もうすぐ、 エルに会いに ハリウッドヘ行くんだよ。

その時ママが・・・

 「そうそう、 ルミも ハリウッドヘ来るんでしょう。 私達のホテルヘいらっしゃいな。」 と言って、 ベルエア・サンズ・モーター・ホテルの アドレスを書いて 渡してくれました。 「そして 出来たら エルに ここで会えるよう 手はずをしてあげよう」と ヴァーノンさんに 云われた時には 信じられない喜こびで 一杯になりました。

Q:  ところでエルの趣味は なんですか?

ミセス・プレスリー:  趣味は・・・ ねえヴァーノン、 ルミに エルのお部屋を 見せてあげたら。 百聞は一見にしかずよ。

 オー 何んという幸せ。 いちもにもなく 私は是非と お願いしました。

 ヴァーノンとミセス・プレスリーの案内で、 正面玄関から見えた あの階段の裏手にある 地下への階段を 降りて行きました。 細長い廊下のようなところの つき当りのドアを ヴァーノンさんが 開けると そこには ビリヤードのキュウが 20本ほど 立てかけてあります。 その中の1本を ミセス・プレスリーが 手にとり 私に見せてくれました。 それは エルが一番愛用しているキュウで 沢山傷のついた かなり古めかしいものです。 すっかり感激している 私の手をとると、 右手のドアの中に 連れていってくれました。 うす赤い照明に てらし出された この部屋には 大きなビリヤードの台が デンと置かれていて、 赤と白の球が3つ 転がっていました。 壁一面にかかっている楯々々。 世界中の各誌、 レコード会社からもらった ミリオン・セラーのタテが ところせましと 飾ってあるのです。 ズラリと横に15個、 タテに4個が 3方の壁を 埋めつくしています。 大きいの 小さいの、 丸いの四角いの、 エルヴィスの偉大さが 立派に証明されているのです。 その他 大きな犬や うさぎのぬいぐるみが あちこちに置いてあり、 ガンも たてかけてあります。 でもエルの目下最大のホビーは ビリヤードなのです。 この部屋を出ると 向い側の部屋に入りました。 やはり白い壁に うす赤い小さな照明が ついているだけの この部屋は、 エルが友達を招待した時に遊ぶ 部屋だということです。 また右すみ ホームバーが しつらえてあり、 各国の有名なお酒が ズラリと棚に並んでいます。 「エルはお酒が好きなんですか?」と たずねると ママは 「いいえ お友達のために 用意してあるのよ」 ということでした。 そして 部屋のつき当りには はめ込まれた ステレオのセットと、 エルのレコードが ズラリと並んだタナがあり、 これは オートマチックに 開いたり閉じたりするように なっています。 左手の壁には これ叉、 賞状の連続で、 中でも 高さ2メートル、 幅1メートルはありそうな 大きな木製のタテが デンと壁に はめ込まれているので よく見ると "ハート・ブレィク・ホテルを記念して" と書いてあります。 パパの説明によれば、 「これはエルが 一番最初に RCAレコードで ミリオン・セラーを出した時、 RCAの社長が エルのために プレゼントしてくれたものですよ」 ということでした。 エア・コンディションのせいか 暑い外とは うって変った 涼しいこの部屋と、 今は主人のいない この広い部屋も、 やがてエルヴィスの ご帰還とともに パッと明かるくなる日が あるにちがいありません。 チリひとつ落ちていない きちんと整頓された エルのプライベート・ルームに お別れして、 私達は再び 応接間に戻って来ました。 いつの間にか 外は雨が降り出しています。 その時、 一人の男の子が バタバタっと かけ込んできました。 ママが 「まあ何んです。 お客さまに 挨拶しないの?」 と言って その男の子のところへ行くと、 大きな声で、 「この子は 一番下のビリーといって、 エルの弟よ」 とミセス・バーノンが 紹介してくれました。 義弟とはいえ、 どこかエルに似た このいたずらっ子も 私を見て 「ハーイ」と言って 手をあげました。 それから ママと何か話していましたが、 又 私に手を振ると お勝手口の方へ 消えて行きました。 時計を見ると もう6時になりかかっています。 ヴァーノンさんが、 「さあ皆んなで 夕食を食べに行こう」というと、 彼は車をとりに 自分の家へ 帰りました。 私とミセス・プレスリーは 玄関口ヘ出て 彼のクルマが来るのを 待っていました。 やがて 濃紺のキャデラックがとまり、 私達がのり込むと ホワードズ・ハウスという ステーキ・ハウスヘ 向いました。

 ハリウッドでの再会を約束して、 私がミスター&ミセス・プレスリーに 別れを告げたのが9時。 ハリウッドで エルに会えるのを楽しみに、 そして 楽しかったメンフィスの一日は スバラしい思い出となるだろうと 思いつつ、 私は日記をつけました。

 (ハリウッドのエルヴィスは 「フランキー & ジョニー」の撮影が忙しく、 星加ルミ子さんは 会うことが できませんでした。)



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