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ウィーン、わが夢の街。音楽を愛する者にとって、生涯に一度は訪れたい伝統と歴史ある
宝石箱のような街。音楽に感心のない人でも、美しい街を散歩し、市電に揺られてリンクを
一回りするだけでも、きっとその魅力のとりこになるはず。 でも、やっぱりウィーンと言えば、
ミューズの舞い降りた音楽の都。どうせ訪れるなら、たっぷりと音楽を堪能しなければ、実に
もったいない話です。 クラシックオーケストラの最高峰で、言わずと知れたウィーン・フィル
ハーモニーの本拠地。 その殿堂、世界中の音楽愛好家の総本山とも言える、最も重要で
有名なムジーク・フェライン・ザール(楽友協会)。そのウィーン・フィルの楽員が演奏をつとめる
オペラの殿堂シュターツ・オーパー(国立歌劇場)。古くはベートーヴェンゆかりのアン・デア・
ウィーン劇場。建物としては、どちらかと言うと、新たなユーゲント・シュティールの息吹を感じ
させるコンツェルト・ハウスとフォルクス・オーパーも、ウィーンの音楽生活には欠かせない
重要なスポットです。

中世の城郭都市だったウィーンは、いまから約130年前のフランツ・ヨーゼフ I 世の時代に
ウィーン新都市計画に基づいて、中世の街から本格的な近代都市へと発展しました。国立
歌劇場や市庁舎、国会議事堂をはじめ、現在ウィーン市内で威容を誇るネオ・ルネッサンス
様式やネオゴシック、ネオクラシックなどの様々な様式の美しく壮麗な建物の多くが、この
時期に数多く建築されました。中世城郭都市の外壁だった周囲を取り壊して環状の大通り
としたのが、ウィーン中心地の核となるリンク通り。一周約4キロ程度のリンク通りの周囲の
あちこちに、様々な音楽史跡が宝石を散りばめたように点在していますから、音楽ファンに
とっては、まさに夢のような街です。街そのものが、音楽を核とした、大人のためのテーマ
パークのようなものです。

リンクのほぼ中心に位置し、一際高い尖塔で観光の目玉となっているのが、モーツァルトが
結婚式を挙げ、皮肉にも葬儀も行われたシュテファン大寺院。ここからカールス教会前の
カールス・プラッツに向かって、南へまっすぐ下るのが、おしゃれな目抜き通りのケルントナー
通り。ウィーンの人々は、パリやミラノのように派手じゃないけど、小粋でお洒落で、何よりも、
澄んだ水のような清潔感が身上ですね。そのケルントナー通りをものの10分も南へ歩くと、
オペラの殿堂の国立歌劇場が、壮麗なネオルネッサンス様式の威容を誇っています。

シュターツ・オーパー

日がとっぷりと暮れ、まさにアーベントという時刻。劇場館内のあちらこちらに暖かな灯が
ともり、上質な音楽の期待に胸を弾ませた麗装の男女が、深緑の絨毯が敷かれたエレガント
な石の階段をゆっくりと上がる。広いホワイエでは、ワインやシャンペンを手に、つかの間
ひそひそと(ウィーン人は、実に巧みに声をひそめて話をしますので、どこのカフェやレストラン
に行っても、厳粛に静謐が保たれているのです)音楽談義をする様は、これ実にウィーン的
であります。ホワイエにはロダン作のマーラーの胸像が鎮座していて、静謐を破る不届き者
を睥睨しているのであります。

さて、オペラがはじまる頃になると、席の中ほどの人から順次着席して行きます。遅れて
席に着いている人の前を横切るときは、ひとこと「エントシュルディゲン」なり「パルドン」なり、
軽くでもひと言会釈ができなければ、これはもう、相当な無教養人と断定されますから、
注意が必要です。さらにこの時、尻を向けて前を通るのも礼儀知らずと見なされます。
舞台に背を向け、席に着いている人の顔を正面に見ながら、麗しく自分の席に着きましょう。
そうすると、大抵は、通りやすいように、向こうも立って前を通してくれます。どうせなら、
気分よくオペラに集中したいじゃないですか。

さて、壮麗で古風な外観からすると拍子抜けするような、実にモダンで近代的な内装が、
劇場内の印象です。ミラノのスカラ座やパリのガルニエオペラ、或いは(写真でしか知り
ませんが)バイロイト辺境伯劇場やモンテカルロ歌劇場などと較べると、わりとあっさり
したデザインだなと感じます。頭上の巨大シャンデリアは、まるで大きな円形のバウム
クーヘンのようです。

ここでは、プッチーニの「蝶々夫人」を二階左側ロージェからと、ワーグナーの「ローエングリン」
を平土間右側8列目くらいから鑑賞しました。「蝶々夫人」は、多分30年くらいはずっとこの
演出とセットかと思われるくらい、実にオーソドックスで博物館級の演出であった。歌手は
大物は出て無くて印象に残ってないけれど、オケの演奏は、やはり、じつに美しかったです。
「ローエングリン」は、これは実に素晴らしかったですね。エルザのチェリル・ステューダーや
ローエングリンのヨハン・ボータは、んー、まあ、及第点、てとこだったが、オルトルードの
ワルトラウト・マイヤーが、壮絶に素晴らしかった。2幕でフリードリッヒと悪事をたくらむところ
など鬼気迫っていて、その強烈な声に、椅子に押しつけられるような錯覚を覚えるほどだった。
シモーネ・ヤングの指揮姿は前の人達の頭で隠れてあまり見れなかったけれど、産休に入る
直前だったにしては、この大作をそつなく上手くこなし、素晴らしい演奏を引き出していました。

ムジークフェライン

シュターツ・オーパーからリンク通りを東へ5分も歩くと、右手にマリアテレジア・イエローの
壁色も鮮やかな、格調高いインペリアルホテルが見え、その一本裏手にムジークフェライン
(楽友協会)があります。外壁は数年前にきれいに改修されて鮮やかな煉瓦色とベージュに
塗り分けられ、これが120年以上も昔に建てられた建物だとは分からぬくらいに、ネオ・
ルネッサンスの優雅さを呈しています。手前の広場は意外に狭く、建物全体の写真を撮る
には、やや工夫が必要です。 建物をぐるっと裏手へまわると、そこはウィーン地元のピアノ
製作会社「ベーゼンドルファー」の事務所になっています。楽友協会の大ホールと室内楽用
のブラームスザールを知る人は多いですが、同じ建物のなかに、もうひとつ、「ベーゼンドル
ファー・ザール」という最も小さなホールがあって、その昔シェーンベルクやアルバン・ベルク
などがここで新作を発表して騒然とした物議を醸していた事を知る人は、あまり多くないかも
しれません。

大ホールは、別名「ゴールデン・ザール」ともいわれる華麗なホールで、言わずとしれた、
ウィーン・フィルの本拠地です。その名のごとく、天井や壁の一部、それに正面のパイプ
オルガンも黄金色に装飾され、何対ものローブマイヤーのシャンデリアが輝き、実に美しい
ホールです。何体ものギリシャ風の黄金色の女神像たちが、百数十年の音楽の歴史を
見守り続けているようです。

毎年お正月にここから全世界に向けて放送される「ニューイヤーコンサート」はあまりにも
有名ですが、ここでのウィーン・フィルの定期演奏会自体もチケット入手が困難と言われて
います。ウィーンには、ウィーン・フィルだけでなく、他にも実力のあるオーケストラがいくつも
あり、それらはウィーン・フィルほど敷居は高くなく、それでいて十二分に素晴らしい演奏が
堪能できます。

このホールでは、ウィーン交響楽団によるアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲とベートー
ヴェン交響曲5番、ウィーン放送交響楽団による「春の祭典」、それにウィーン・アカデミーに
よるシューベルト交響曲9番とベートーヴェンヴァイオリン協奏曲などを聴きました。ウィーン
交響楽団(ラファエル・F・ブルゴス指揮)のベートーヴェン5番は、目の前から音の洪水を
浴びているような、劇的な体験でした。席が平土間から一段上のロジェ(ボックス席)で、
オーケストラのひな壇と向かい合ってるような席でしたので、なおさら音のエネルギーが
強烈でした。アルバン・ベルクの無調性音楽はこの時がはじめての体験でしたが、この時
のよい演奏と美しい響きのおかげで、食わず嫌いにならずに済みました。ボックスを仕切って
いる目の前の板きれですら、このホールでの歴史的な演奏の数々を見守ってきたのかと
思うと愛おしく思えてきて、思わず頬ずりしたくなる所でした。

この他、コンツェルト・ハウスでもウィーン交響楽団(ブルゴス指揮)のオール・ファリャ・プロ
グラム(三角帽子、はかなき人生、スペインの夜の庭)を聴きましたが、この時も音の洪水
状態で、大迫力サウンドを堪能しました。フォルクス・オーパーでは、残念ながら日程中に
オペレッタに巡り会えませんでしたが、「フィガロの結婚」のドイツ語版を聴けました。

さらに、古典音楽以外でも、フォルクス・オーパーからグリンツィングへ一歩足を伸ばせば、
田舎風居酒屋のホイリゲで、地元のシュランメルンという陽気でのどかな演奏をききながら、
さっぱりした白ワインが楽しめたり、市内の地下のワインケラーでは、隣のおやじさんが
ウィーナー・リートの出前レッスンを熱心に受けてる所に出くわしたりで、やはり街中に音楽
が溢れている事を肌で感じられます。

でも、本当に上質の音楽を愛するウィーンの人々は、実は静寂をもっとも愛してるんじゃないか、
とも感じたのです。レストランやカフェーで安っぽいBGMを流しているところは、皆無でしたから。


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