日々、在りしことども



月見月二十九日
散髪。此処長らく自分で適当に伐採していたため、久々の、恐らく何年か振りのこと。
安い店で手際よく刈って貰ったため、小気味よくは有ったがやや時間的に物足らず。
まあ、襟足付近の産毛を剃り、全体的にムラ無くという、自分には不可能なことどもを どうにかして欲しかったので、その点では不満など無し。
さて、次は何年後か。
月見月二十八日
刈り入れの済んだ田圃が緑に満ちていて、違和感を覚える。
根株から新しい葉が吹いている訳だが、今年は感覚的にやけに高く多く生育しており、 辺り一面緑の世界という状況に、秋もこれからと感じている自分は首を傾げざるを得ない。

ここしばらく舐める酒はフォアロゼ。はて、こんな良いバーボンだったかと日本酒の秋に 別方へと嗜好が動く。
月見月二十五日
夢路行の全集最終巻および『モノクローム・ガーデン』四巻(こちらも同作者)読了。
同時発売は嬉しくあったものの、後者まで最終巻だとは悲しい不意打ち。結構好きだったんだが。
全集を揃えた写真と帯の券をまとめて送れば何やら頂けるらしいが、全二十五巻の四分の一ちょい しか持っていない私には到底無理な話。――思いの外、既刊は入手できていたらしい。昔、病気の如くブック・オフを巡り続けていた御蔭か。

結構前だが、某氏のサイトが復活。自分がアクセス禁止を喰らっているか、あちらが就職だとか融通の利かない大学組織運営の何やらでサイト維持が不可能になったのだろうと、勝手に推測していたが、 単にサーバが落ちていただけの模様。
あれだけの期間、落ち続けるサーバってどうよとも思わんでもないが、まあ何はともあれ復帰おめでとさん。お帰りなさい。
月見月二十四日
彼岸花、やや時期は過ぎているのかもしれない。黄色く色づいた柿の下では、まだ白粉花の赤が 頑張っている。

朝より細巻きを作り続ける。寿司なんて手軽なインスタント食品のはずなのに、やりはじめると 加減が無くなって過剰生産するのは自分の悪い癖だ。具なんて、摘む程度なら三つか四つで十分。

後、ぶらりと出る。いい加減、眼鏡の新調を必要だと感じながら、予定通りに何時もの場所などを。
――目的も無く彷徨ったのは何時の日か。無駄を慈しむ人生の芳醇さを失って久しい。
月見月二十三日
酒。頼まれて買ってくる。自分の食指は最近余り動かず。
――十月二日の利き酒会に備え、心身を研ぎ澄まさねば。
月見月二十一日
個人的雑想。

選挙が終わり大分経ったが、それでも報道関係の異常発言が時折目に付く。
私も投票に行ったが、別に政府関係者が銃を構えて目を光らせてはいなかった。
野党候補の直前逮捕も知らないし、金や権力、或いは実力による票数操作の噂も聞かない。
なのに、民主国家で出た選挙結果をおかしいと臆面も無く言ってのけられる、その異常さが私は怖い。
彼らは衆愚を導く賢明な識者にでもなったつもりか。『民主主義は死んだ』とまで言ったところもあったようだが、そんなどなたかに認めて頂く様な民主主義など私はいらない。
月見月十八日
満月。雲も無く、地に伸びる夜の影を見る。

海産物、しかしむしろ苦行。
月見月十四日
本日の工夫茶『玉蓮茶』

三角錐型。やや甘い芳香。完全に開くと、中央から細い糸に繋がれた小さな赤や白の飾りが縦に連なり浮かび、なかなかに見た目が良い。葉も良いものを使っているようで、味もそれなり。
ただあえて難を上げれば――茶の味や芳香を純粋に楽しむのに、工夫茶は葉の開き具合や何やらで、あまり向いていないのではなかろうかと感じる。
月見月十二日
しばらく前のことだが、家裏に無人精米所が設置された。見渡す限り田畑の田舎とはいえ、だからこそ公民館横に共同精米施設が付属していたりするぐらいだ。利用者など余りいまいと考えていたのだが、本日朝より大繁盛。
そろそろ刈り入れも終わり、新米を皆、持ち込んでいるのだろう。裏口近くに優しい色の常夜灯が出来たぐらいの心持ちで居たが、それなりに皆様の役に立っている模様。まあ商売経済ではあろうが、善きかな善きかな。

アクアビット入手。北欧のジャガイモ蒸留酒ハーブ風味。スウェーデンのが欲しかったが、まあデンマーク産でも大差ないかと思う。早速、今宵にでも味試し。
なお、探しているうちにアブサンを発見。この前解禁されたニガヨモギ入りでは無かろうが、ちと迷う。

他、迷宮小説、80's。本日以上。
月見月九日
さて、長らく放置されていたこの身辺雑記であるが、理由は単に飽きたが故である。
このサイト――中身の薄さの割りにもう何年続けているかは正直数えたくないほどで あり、日記に至っては何の間違いか開設当初からずっと続けられている。私自身、根は相変わらず三日坊主以外の何ものでもないが、案外深く考えないと人間の惰性は時として神秘の領域に達するということであろう。
しかし、ここ数年書くような出来事も、情熱も、ついでにこちらが主だがオチまでついたネタ人生 な人々との付き合いも途絶え、先月末、ふと憑き物でも落ちたかのように悟ったのである。
――いいじゃないか。別にもう無理して毎日書かなくたって。

読書記録『紙魚の跡』にしても同上。後日の資料検索など、私自身としては外部脳内インデックス的に重宝もしているが、そんな『読む→刻む』の行為が自分の中で当り前に直結していることに疑問を覚えた。
何を嬉しそうにアレを読んだコレを読んだとひけらかしてるんだ? 読書とはもっと暗い(――眼が悪くなると叱られながら、車の中やちゃんと明かりの点いていない室内で読んだ原体験が、一番の印象の元かとも思うが)、自分独りで完結する、耽溺した、私様だけの密やかで高尚で歪んだ、自分だけのための絶対的な嗜好であり幸せではなかったか。
時場所周囲事情外聞何一つ選ばす、読みたいから読む。読みたいところから読む。読みたいだけ読む。読むから読む。そういうものではなかったか?
よって、こちらは完全に閉鎖と相成った。

ここに綴られているのは私の独り言に近く、昨今では稀に知人が覗いて『ああ、まだ犯罪にも走らず生きてるな』と生存確認をしている程度かと思う。
以後、身辺雑記更新は気が向いた時のみ。読書記録に関しては、あえて書きたい何かが合った場合、こちらにネタの一つとして記されることになるかと思う。

以上、半ば睡眠中の『紅茶猫』今後の更新具合について、皆々様へ。閑人、みちあきりゅうじん拝。



追記:差し当たりここしばらくのことども。
月見月一〜八日
ブルース・リーを降ろしたイタコと戦うため北へと旅立たれた猿王氏より、林檎を頂く。過日の御礼ということだが、そういう心配りの出来ない自分としては感謝より感心が先にたった。
握り潰して鍛え具合を確認するようなこともなく、皮を剥き家族一同普通に頂く。

高津ケイタ氏の『虎星来々』と、夢路行氏の『さらさら』を読む。
前者は趣味満開の作りが実に良く、手に取れて幸せな品。
一方、夢路氏だが同時に入手した全集のもう一冊が、半分真っ黒だったため、さっぱり禊をしたような心持ち。その後の入鹿先生も出てきて、お得気分倍増。
今月末発売の全集最終巻が実に――少し寂しいながら――楽しみである。
……まあ、まだ氏は現役だからこれが完全な全集というわけでもないが。 以前、在りしことども 端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 夏初月/ 雨月/ 七夜月/ 燕去月/
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