日々、在りしことども



紅葉月二十七日
『もやしもん』二巻の底に隠れている菌を発見。カラーシールといい、なんて無駄な労力だ。素晴らしい。

裏の交差点で信号を倒しかねない無茶な工事が続いていると思ったら、なんとコンビニが 出来るのだとか。続いて無人給油所も隣に並ぶ予定だと聞くが、便利になるというより鬱陶しいものが増えるといううんざり感しかない。
何も無い、人気も無い、平たいだけの田舎という静かな環境は消え去る一方。
もう、寝っ転がって部屋の窓から飛ぶ蛍を眺めるような日は、二度と来ないのかもしれない。
紅葉月二十六日
……農大ってのは消火器や青年団の消防車レベルで、バイオハザードに 対応できそうな完全密閉装備の防疫班が居るのだろうか。
で、日常的にそれが不始末を『殺菌』している、と。

農学部の某氏もそういう非日常スキルがあるのかと、書より顔を上げ遠い目で空を眺める凡人の私。
紅葉月二十五日
書店より戻ったら万引き防止タグが買った本の土産についてきた。
あれの作動に巻き込まれたことは何度かあるが、今日素通りできたのは 時間が時間だった故、既に切ってあったのだろう。
返却か、廃棄か、それとも栞に使うか。
今一つ無邪気な悪意が不足していて、迷う。
紅葉月二十四日
竜胆の蕾が一つでも開くが先か、はたまたこのまま全て茶色く萎れてしまうのが先か!
――世話の出来ない人間がペットを飼うのは犯罪だと思う。例えそれが植物でも。

無性に寒さを感じたので、朝よりかなり厚着を重ねる。おかしい。ここのところ運動皆無の一方で、大分、筋肉が脂身に変換しているようだというのに。特に元首だった何かと、下腹部。

冷凍庫奥の奥より見覚えのあるアイス発掘。どうやら自分が夏の間に隠しておいた物のよう。そういえば 思い立つまま幾つか種類の違うものを買い込み、『どうぞ御自由に』と家人に勧めながらも、これだけは 食したくて隠したような記憶有り。
確か、いざと時になって見当たらないので家族に食われたかと同じものを買い直し、今度は名前を書いて保管。 後日に気を済ませた覚えが。
……木の実を埋めた場所が判らなくなって嘆く烏か私は。

とりあえず短絡的に家族を疑うのはよそうと思った秋も深まった日。
紅葉月十八日
肩が凝っている。ヘッドホンの重量というのは、案外馬鹿にできないものなのかもしれない。
紅葉月十七日
オイル麺音曲耳当。

『果ての二十日』に関する記述を見つける。それによると射ち殺された猪笹王の亡霊が一本足の鬼となって 旅人を襲い高僧に封じられるが、毎年十二月二十日だけは自由を許されるのでその日は厄日になるとのこと。
これならば一本ダタラと果ての二十日の関係が実に簡潔明瞭に説明できるのだが、同時に『一本ダタラ』 の項で著者は「紀伊半島での山の神や妖怪は、かなり複雑に混同されている」とあるので、まだ奥に何やら 原典があるのかもしれない。

四国方面で処刑された罪人と『果ての二十日』が関連するような噂も聞く。これまでは気にしていなかったが、定番の山の民・鍛冶神の方向から探ってみるのはどうだろう?
もっと調べいじるのも、面白い気がしてきた。
紅葉月十五日
雨。心地良し。
紅葉月十四日
夕食後、裏の交差点に救急車。事故にしては音がしなかったと思い返しているうちに、更にパトカーと 新しい救急車一台追加。
車同士だったのだろう。やがて救急車は静かに去っていった模様。
まあ、死人怪我人がいなきゃいいさね。

昨日の夜から軽く太腿が筋肉痛。ひょっとして車を運転したのが原因か?
紅葉月十三日
本の返却に図書館へと赴く。まだ半年も経っておらず催促とて来ていなかったが、新しい読み物を借りたくなったので、荒く目を通しただけのものを返す。
東南アジアの野鍛冶文化と、中世のアウトローについて。欲しかった情報とは違ったが、それでも 結構勉強になった。――我に返り、何故自分がこんなものを読んでいるのか理解できなくなる一点さえなければ、もっと無意味に楽しめただろうが。


『ひぐらし〜』だが、今更ながら魅音の良さが脳に回ってきて悶え狂っている。
一過性の興奮かと思っていたが、時間が経てば経つほど病んできている。
駄目だ駄目だ。どんなに彼女の良さを力説しようともそれが全てネタバレになってしまうような 気がするし、何よりこうやって独りのた打ち回っている自分が一番駄目だ。
――ああ、そうか。これが廃人の幸せというやつか。
紅葉月十二日
龍胆だが、『日光を好む』と聞き室内から外へ。ニ三日置いて、さて元気になったかと 足を運べば――枯れかけている。
……水遣りが足りなかったのか、大きな鉢へと移すべきなのか。積極的に手を出さず、放置するのが一番なのかもしれない。
秋風が身に寂しい十月の夕。
紅葉月九日
『ひぐらしのなく頃に 解』「罪滅し編」了。


――私は、信者になる。
紅葉月七日
まだ、ひぐらしはなき続けています。

『目明し編』、了。
どう語ろうとしても吐息にしかならない。
紅葉月六日
ひぐらしがなき続けています。
紅葉月二日
万全の体調で試飲会へ――のつもりが、突然『ひぐらしのなく頃に』を始め、夜明け前に睡眠導入剤と称して焼酎と麦酒をぶち込む。
挙句、昼前に悠々と身支度を整えたところで、駅まで送って貰う心算だった家人の留守にようやく気付き、自転車を引っ張り出す。
こうして余裕を見ていたつもりで遅刻となったが、過去を思い返せばまだまだこの程度如き。


本年は酔うより味わうを主眼に、懐かしい蔵や試したい蔵、摘みの試食にのんびり巡る。
いい加減、五年ほど参加しているせいか見覚えのある顔なども目に付いた。

さて、今回一番良かったのは石楠花酵母の仕込みで売り出している『笑四季』。本来、私は日本酒は冷や一筋なのだが、此処の燗酒はほっとする良さがあった。摘みとして出していた鮎屋のゴリの甘露煮山椒風味も実に美味。
他、酒では濁り酒を幾つか試したが、蔵によって結構色々違いが有った。少ない試飲の中でよろしかったのは『白川郷 出来たて』。甘く、こくがあり旨かった。

摘みは、飛騨牛時雨煮や九州の焼き地鶏、もろこの甘露煮、ささみの手作り燻製。定番の本場黒砂糖に小さな炊き込み御握り、滋賀県民でも食わぬものは食わぬ鮒寿司に、鮭の燻製を日本酒と味醂で柔らかく戻したもの。かと思えば唐辛子を控えているという元祖柿の種に、するめといった定番もの、更に小さな菓子で見覚えのある魚のような尾が反った形――おっ○っとを出してくる猛者も有り。冗談のようだが試飲用のグラスだけでなくMy爪楊枝が手放せぬ会となった。
なお、こちらで面白かったのが奈良漬とゴーヤの和え物。蔵の酒かすでつけた奈良漬の薄切りと、同じく切って湯通ししたゴーヤをごま油で和え、胡麻をさらに散らしたもので、なんでも杜氏のまかないだとか。奈良漬とゴーヤを一緒に食べると良いらしい。

此度も私の好きな『竹生嶋』は出ていなかったが、滋賀地酒詰め合わせセット販売試飲場にてたまたま 遭遇。どうやら蔵の関係者らしき方から注いで頂き、『金亀』と共に久々の味を楽しむ。
本年の会はより販売に力を入れており、気楽にブースから買って帰られる方々が居られた。
荷物が他者の邪魔になるほどで無し、結構良かったのではないかと思う。

閉会前に一足早く帰路に着く。気分が悪くなるほどには口にせず、そうそうに抜け始めていたが、 まあこういう醜態を晒さぬ飲み方も楽でよろしいかと思う。
途中、本と、行きに目をつけていた安売りの龍胆を一鉢、購入。
駅より自転車でぱらつく雨の中、帰ったことを除けば、さして不満などなき一日であった。
紅葉月一日
明日は日本酒試飲会。開始十二時終了四時と例年より短い気もするが、むしろ 昂ぶる我が魂。
――幸せの末に果ててきます。

本年、ついに畑で収穫できたとかいう茗荷をざるに二杯、母親が持ち込む。
毎年夏になると冷蔵庫の片隅に切らされること無く必ずあるので、好きなのだろうとは 思っていたがまさか植えていたとは。
とりあえず薄切りにして適当にあわせた酢醤油をかけ、一番上に鰹節をどさりと乗せ、夕食に出す。 結果はちと今一。精進足らず。
以前、在りしことども 端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 夏初月/ 雨月/ 七夜月/ 燕去月/ 月見月/
紅葉月/ 雪待月/ 雪見月/ 雪見月/ メニューに戻る。