日々、在りしことども



端月二十八日
午後、彦根は京橋の付近へ。何やら小さな催しの最中らしく、甘酒を頂いて『日本で二番目に巨大な』御神籤を 引く。
籤筒は子供の身長より高い黒漆の見事なもの。専用にあつらえたとかで夢京橋云々の文字入り。引く際には大人二人が手助けして持ち上げ振るという――ああ馬鹿だ。なんとも素敵な馬鹿が此処に居る!
ちなみに大吉。大大吉や、差し引き『吉』にするための凶専用厄払い景品に引かれるものもあったが、まあ悪くはなし。

さて年に一度ぐらい、ふらふらと入った器屋でちと高めの買い物をすることがある。
まあ、世間一般の器狂いな方々とは桁が幾つもずれてはいるが、それでも知識や目利きに縁が無い分、逆に 一度気になる器に出会ってしまうと、その値段の妥当性や今後何処かで似た品に出会える可能性などの見当がつかなず、かえって深い執着が起こってしまう。

器とは気概だ。生活に合わせたものを買うのでも、安い値段に釣られるのでもなく、これぞと惹かれたものを選び、それに合わせて新しく日常に張りを与える。
箸置きや一輪挿しを自分の部屋に加えるその心意気! ――と言い訳を自分にする程度のものを購入。
いや、ちょっと高過ぎたやも知れぬ。数も。……物は良かったが。

ついでに、ふと思い立ち丁度一年ほど前にその店で購入した蕎麦猪口の取り寄せは可能かと問うてみる。
白い外周を蔦が這い、縁を上って器の中底まで垂れているという、かなり気に入っている品なのだが、 日用使いにしているため今のは皹が入ってしまった。
駄目元だったが、流石小さいながら良いものを置いている店の主だけあって、物を覚えていただけでなく 取り寄せもしてくれることになった。
少し無粋な気もするが、執着によって器の形をした安心を一つ求める。


『シュヴァリエ 1』読了。
冲方臭の強い漫画。言葉遊びという要素も加わって、『ばいばい、アース』を思い出す。
ただ、最近はこれに限らず普通の本一冊だと物足りなく感じることが何故か多い。贅沢に成り過ぎたか?

最後に新刊のやはり入ってこない田舎の書店どもに天罰の下ることを祈りつつ。本日以上。
端月二十六日
また酒の安売り店で捨て値の品を見掛ける。三百五十の缶麦酒(発泡酒その他に有らず)が六缶セットで 五百九十円。迷わず両手でダース買い。今、読みはじめている本の良さげな冒頭部分といい、共にちょっとした 人生の潤いが本日だだ湧き。


以下、罵詈雑言。
余りにも汚い歌を聞き、不機嫌になる。
何時から反戦というのは中身の無い狂信的スローガンになってしまったのか。
爆弾で殺される人々、攫われ死体にされる人々、化学兵器で一掃されそうになった少数民族には 反応しないのに、『反米』という一点でのみ過剰反応する自分達の異常性を理解できているのだろうか?
あれは主張というより自己陶酔のオツムオナニーだ。気持ちが悪い。
自然保護や貧困問題のように、盲目的な主張は何時の時代もあることだと、理解してしまうべきなのか。

またしばらくは洋楽に耳を傾けよう。歌詞の判らぬ分、より純粋に楽器としての人と、音としての歌が楽しめようから。
端月二十四日
美味い日本酒を入手したのに、今一つ呑む気のわかぬ今日この頃。
以下、近頃読みしものの中より、特によろしかったものを。

『ARIA』
『AQUA』全二巻の続編。テラフォーミングされて百数十年経ち、水の惑星「AQUA」となった火星。そのネオ・ヴェネツィアで観光用の小舟を操る水先案内人、その卵達の物語。
――『ヨコハマ買出し紀行』のような雰囲気を味わう作品は、絵柄からも物語と同じ独特のものが感じられないと、上手く纏まった一つの世界に浸れない。だから、この綺麗ではあるが典型的なアニメ絵と整った背景では難しかろうと、余り期待していなかった。
まあ、それが良い方向に裏切られたからこそ、ここで紹介しているのだが。
なかなかに良質。特に最近の数巻などは其処彼処に素晴らしい見所がある。慣れとは恐ろしいもので、最初はどれが目か今一つ判らず、どうしても生き物(まして猫などでは決してあらず)の顔と認識できなかった某社長の姿も、今では普通に でぶ猫に見える。
また、たまにある異界の話での冴えた演出が、かなり気に入っている。怪談綺譚とは幽霊怪かしの類が出てくるだけのものではなく、当り前の周囲の世界が当り前の異界に摩り替わる、そんなことをスマートに教えられた。
今の今まで絵柄で手に取りもしなかった自分はただの負け犬。そんな冬の日。

で、『超妹大戦シスマゲドン』
目から鱗。そうだ、ライトノベルってのは、こんな風に馬鹿でお馬鹿ですっ飛んでいて、のりが良く何処までも滑っていくような素晴らしいものだったんじゃないか!
シスコンだのブラコンだの萌えだのという言葉に土下座を強いるような、台風の如き展開。いや、むしろ作者氏脳内オズの国へと攫っていく竜巻物語。中華代表の妹達が登場するあの数ページでは、余りに大胆な文章表現に、やはり目からぼろぼろ鱗が。
くゥ、これが凡人と鬼才との差か。

――何処かで以前目にした、才能とネタの無駄遣いという言葉をふと何故か思い出し。
端月二十日
全身運動がやりたくなり、近所のプールへと足を運ぶ。何故か片隅にあるジャグジーや寝湯(泡付き)、サウナなどを 活用しつつ、気ままに浮いたり沈んだり沈んだりもがいたり泳いだり。
特に、水中歩行コースがやたら気に入り、同じ順路をぐるぐると頭空っぽに歩き続ける。普段、使わないような筋肉を捻りつつ気の向くまま行う妙な歩行は、楽しいし健康にもよろしい。こんなこと、陸上は公道でやってたら、即警察か救急車だ。そう思えば、なお楽し。
目が痛くなるまで水産物と化していたが、たまにはこういうのもよいものだ。

無精者の呟き:ローマ字表記のアナグラムはミステリの基本だ。近頃ではそこいらへんの要素を活用するライトノベルでもやや古さを感じる程度には一般的かと。
端月十七日
久方振りに親戚の方々にお会いする。
そういえばこっちの父方従兄弟氏と、あっちの母方従兄弟氏の年齢差は三十近いと今更気付き、 世界の不思議さを思う。
しかし、昔の大家族なら叔父と姪の年齢差が逆というのも良くある話なんだから驚くようなことではないだろうと 指摘され、己が不明さに浸る。

そういえば年賀状の当選番号が発表されたとか。買ったまま表も裏も白い年賀葉書を見る。 ――寒中見舞い葉書、今年も買ってこよう。
端月十五日







端月十三日
バイクを処分する。

ナンバーを外してもうずうっと置いたままだったが、必要に迫られ本日業者に連絡とあいなった。
以前の事故の傷に、手入れせず放っておいた影響、ついでにどこかの下種がマイナスドライバーで 鍵をこじ開け盗もうとした痕跡が新たに見つかり、結局処理代と相殺で売値はロハと頷ける値段。
なお、私らしい勘違いが少々。てっきり本社からの見積価格の返事を待っているのだと思い、玄関で茶を出しつつ 雑談などしていたのだが、どうやら相手はこちらが迷っていると思い、決断を待ってくれていただけであったよう。
ひょっとしてと一度二度疑いはしたものの、あえて問わず時間を無駄にした己の愚かさよ。
――それに付き合った相手も呑気というか、いやどうも察するに愛車を手放すとなると、やはり迷ったり躊躇ったりする人間が意外と多い模様で、最後にトラック後部へとバイクを積み終えた時にも『皆さん記念写真を撮られますが、どうしますか?』と訊ねられた。

そういう趣味は無く、それにタンクを手で叩くという何時も通りの挨拶は、既に済ませていた。
雨の中、去っていく姿を最後に見送る。


最後に乗って走ったのが何時か、覚えていない。ろくな整備も保管もせず今日まで忘れていた自分に、何か言うような資格が無いのも判っている。
でも、悲しい。
友人ではない。だが、相棒と呼べた大切なものを、今日私は失った。


追記:夜出る。暖雨、深い霧。
端月九日
とりあえず白を味見するが、別段痛んでいるわけでもなく、極々普通の安ワインであった。
百円玉を握り締め、もう少し買い込みに行っておくべきかとも思うが、自制する。六リットルもあれば十分だろう。
端月八日
本年も例によって例の如く年賀状をまだ書き上げておらず。最後に元旦に間に合わせたのは何時の日か?

雪のちらつく中、少し出る。本を返却し、必要なコピーを取り、ぶらりと店をひやかす。
帰宅前に、日本酒とワインを入手。日本酒は、安くて良さげな地酒の純米を一升。ワインは、二リットル箱ワインを一つ百円で三箱。
何でも賞味期限切れで、まあ飲めなくはないだろうし料理用にでもどうぞということらしい。

二リットル百円のワイン。

久々の博打に胸がわくわくしてたまらない。酒は賭けだ。
端月四日
掃除という名目で箱詰め書籍を整理しなおし、ダンボールタワーを更に高く伸ばしたこの年末年始。

『ひぐらしのなく頃に解 皆殺し編』終了。
昨年というのが、自分の中では『ひぐらしのなく頃に』に出会えた年だとするのならば、完全な謎解き版と なる今作を年始に味わい、締めとなる『祭囃し編』を恐らく夏に手にするだろうことに何やら感じるものがある。
重箱の隅を突付きたがる本格推理狂には不満を噴出すものもいるやもしれぬが、 ゲーム冒頭で述べているような謎や犯人というものは、或る意味この表現媒体でこそ追求できる新たな本格推理の可能性を真正面から叩きつけてきたようにも思う。
内容評価は――いい加減、繰り返しで陳腐な手垢だらけの馴れ合いに落ち着きかねない世界を、しかし ここまで描ける作者氏の力量に純粋に脱帽する。そして最後の最後の締め。その付近に関してはやや思うところもあるが、そういったものこそ、『祭囃し編』を済ませてから、自分の評価なりを定めたい。

まだ謎解きを終えていない推理小説に評価を下すのが適切ではないように。
本物の物語ならばこそ、最後の一幕、最後の一文、最後の一演出にまでちゃんとした意味があろうから。

雪と皆殺しをもって新年の祝いとす。良き門出よ。

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