日々、在りしことども



如月二十八日

如月二十七日
最近、日本酒で不自然にフルーティーなものに出会うことがある。何というか、パイナップルワインを飲んでいるような気持ちになる。
昔は蔵の失敗酒かと思っていたが、どうもそうでないらしい。むしろ、真面目に米のとれる田圃から拘り、良い酒を作るとしている場合に出くわす。昔の不味い大手酒から地酒純米へ主流が変化したように、またこれも 世移ろうその半ばなのであろうか?
封を切って一日置くと、大分飲みやすくなった。先日話した趣味人的な酒屋主人は、日本酒は酸化してこそ味が良くなると言い、出来立ての新酒はしっかりシェイクしてから楽しむのが自分達の常識だと言っていた。その類だろうか? 成程、それなら空気接触面の広い片口杯に一度注いで日本酒を楽しむのも、また合理的という訳だ。

――最もあの主人、酒を見る目は確かだが、私とは嗜好が微妙に、しかしくっきりとずれていることを忘れてはいけない。油断しては、危険だ。

酒と言えば、唐突に飲みたくなるものの一つに泡盛がある。
泡盛と焼酎は、厳密に自分の中では違う酒だ。あの独特の芳香を持つ透明な酒を、沖縄で手に入れてきた大き目の杯で呷りたくなる衝動に、時折駆られる。
杯も、昔は手にこそ馴染むものの金属臭が鼻についてとても使えたものではなかった。が、数年経った今では 杯の底に銀の星が散り、幾つか見える赤い錆色もまた美しい。――健康に問題が無いのか、今もって不安ではあるが。

とどのつまり――今日みたいな寒い日は、日本酒と泡盛が幸せへの片道切符。
ダイエットの難しさにふむふむと酔った頭で頷きながら、本日以上。ああ、痩せるとは実に難しい。
如月二十六日
雨、風強し。

某店で懐石を食す。凝っていたり、遊び心があったり、味もそれなりで、悪くはなかったが、それでも 全体を通して一つのものとして見れば、今一。一品ずつ出すのではなく、常に二品ほど膳の上に並ぶぐらいの 手際の良さ、序盤にそれ一品でかなり満足できる味と量の何かが欲しかった。
後、古い料亭の大座敷だというのは解るが、だからこそ一層の温度管理と湿度調整に気を配るべきでは なかったろうかと、少し思う。

まあ、自分と同じように不満を持つ者もいる反面、気に入ったという人々も多かった。若主人は家業を継いだばかりであることだし、これから時間を積んでこなれていくのを大いに期待したい。

……ていうか、昔からしっかりした御仁だったが……同級生が最後に調理着で挨拶に出てくるような年代になったんだねぇ、私達。
しかも、久し振りに顔を見たが、二十代前半で通じそうなぐらい若々しい

ま、健康で何よりと〆る。
如月二十五日
サウナで戯れる子供達の声。
『うわー熱ー』
『ね、寝ていい? 寝転がっていいのかな? ――えーい、濡らしてやるー』
『これ汗? それとも水?』
『うーん、しょっぱくないから違うよ』
――舐めるな。
連中はケダモノだ、という至言を思い出す。

最も、人がいないのをいいことにサウナでダイエット体操をやっているおっさん(私にアラズ) と、どちらが有害かは微妙なところ。一生懸命なのは解るし、大体の時間、独り切りだったから やっていただろうというのは解るが、その、太腿を動かすたびにあがるニチャニチャという異音は、理由を当然の如く連想して実に凶器だ。

昼、動く。外出着、着心地良し。途中、のどかな蒼天の下、親戚と遭遇。まだ一週間と経っていないのに、このところの自分の行動が何故か知られていた。田舎のプライバシーとは速報やタレコミの異名か。

夜、久々に花粉。しかも何故か室内で。――まあ、確かに昨年の生物兵器な状況に比べれば天国と言ってもいいような状況ではあるが、そろそろ来たか。
如月二十四日
懺悔する。

体重を幾らか落とすため、生活習慣の改善に乗り出した。
で、数日。確かに体調は少しずつ良くなっている。
が、魂の飢えがもう限界だ。

――日本酒ッ、麦酒ッ、日本酒ッ、麦酒ッ、酒酒酒さケェ――ッ!!

飲まぬ人生、一体何の価値があろうか! 酔わぬ一生など、桜の無い日本の春だ!
酒がファットドリンクだってことは百も承知している。けどな、もう無理だ。日本人が米の飯と味噌汁で動く機械なら、みちあきはアルコールで回る水車なんだよ!
うががっが、うががーっ。

懺悔はする。でも、後悔はしていない。
如月二十三日
『龍珠』なる中国工芸茶をここのところ愛飲している。工芸茶とはいえ、単なる烏龍茶を丸く纏めただけのシンプルなもの。しかし、お手軽さという意味でこれ以上のものは無い。
グラスに二つほど放り込んで熱湯を注ぐ。それだけでちゃんとした烏龍茶が味わえるのだ。
感覚的にはインスタントコーヒー、味は本物、手間は更に無し。
残念ながら店の方では既に扱っていないようだが、嗚呼、来月まで持つものか。
如月二十二日
いい加減、構成する布の耐久限界に至りつつある黒シャツを手に、開眼。

服装なんてものは、葬式と制服以外、他人に不快さを与えなければ何だっていいじゃないかっ!
笑いがとれれば、むしろ良し。世のため人のため貢献したと考えろっ。
仮装上等、どこか勘違いしたまま――さあ、新天地へ。
如月二十一日
夜、少し動く。うむ、無意味也。
如月二十日
さて、不摂生が極まって先日、ついに0.1tを針が越えた。
ま、運動せず、他人と会話せず、何よりあれだけ酒を毎晩呷っていればそれも当然かと納得する。
正直、夢のように現実味が無い。どうなることやら。

レピシエより注文の茶葉諸々が届く。まずは中国紅茶のディエンホンを味わう。
――甘い味わい。やはり、この茶葉はなかなかに良い。
如月十九日
昨夕、久方振りに東氏より電話を受ける。曰く、『明日、洞窟に潜らないか?』
――多趣味だがすぐ次へと移る彼にしては、珍しく長続きしているようだ。
『えーと必要なものはヘッドライトにヘルメット……は、無ければ原付のメットででも 代用するとして……ああ、あと大切なのは勇気!』
『――そんなものが必要だなんて、一体、何処で何させる気だ?』
『そう、勇気だよ勇気。自分の限界を受け入れる勇気。出来ない時に出来ないって諦める勇気。弱い自分を、無茶せずに認めることの出来る勇気』
『そっち方向か?』
『……救急隊員も流石に洞窟の奥にまでは入ってくれないんでな。だから何かあれば東京に居る知り合いの、洞窟救助に長けた人をここまで呼ぶしか方法が……』
『……成程な』
まあ、何はともあれ、そういうことと相成った。

で、本日。つなぎを買うほどではないが、四つん這いで泥の中を進める姿で参加。主催者東氏ほか、実におしゃれな若い女性陣。
――確かに自分は普段よりどうしようもないおっさんだが、この格好の差異に若干の連絡の問題が無いとは断じて言わせぬ――まあ、いざ実際にはこの格好で助かった訳なのだが。

東氏の案内で多賀は権現洞へ。久々とはいえ、何度も通った場所である。が、現地ガイドの御蔭でまた一味違った味わいを風景に覚える。
『右手をご覧下さい』
川。清流。対岸。山の上から下は川縁まで斜面に広がる扇状の茶色い雪。
『雪崩でございまぁす。
 ――予測するポイントはですね、地滑りを起こしやすい地形というものがございまして、たびたび雪崩や地滑りを繰り返すためその部分だけ木が育たない、或いは最初から植林が放棄されることになるんですね。ですから、整然と植林されている山の斜面で、急に木が疎らにしか生えていなかったり、自然の雑木だけがある場所へ差し掛かったら――警戒して迂回も考慮に入れろ、と』
そんな風に、多賀らしい景色――対岸やこちらの山肌に幾つかある小さな雪崩や地滑りの跡、へし折られた木肌の生々しい白、大岩の下からごぼごぼと湧き出している水、民家の軒先に立て掛けられた二枚の板に幾本物もの銀色の釘で打ちつけて広げられた猪の生皮二枚――などなどを満喫しつつ、目的地へ。

まだ其処此処に残る雪のせいで増水した川をなんとか渡り、白い斜面を見上げる我々。
念のためにと持ってきたシャベル片手に、良かったと笑う某氏。
『ああ、これなら大丈夫。雪を掘りなおさなくても、一週間前に仲間達と開けたのがまだ使える』
雪に覆われた川岸の山肌、その我々の頭上より高い場所にぽっかりと空いた一メートルちょい程の黒い穴。単純に見て、雪が一部溶けているようにしか見えない。

いざ内部へ。潜り込むと中はそこそこ広く、空気も暖かい。ヘッドライトとヘルメットの素晴らしさに数秒で目覚めつつ、奥へ奥へと進んでいく。
初心者用洞窟と言うことだったが、確かにそこそこの難易度で、しかし充分に洞窟らしさを楽しめた。ライトに光る、鍾乳石風味な天井や壁。上がったり下がったり、時には無意味に二手に分かれている進路。唯一、危険かもしれないと言う話だった途中の大坂はさほどでもなかったが、終点手前の亀裂のような岩壁の間をゆく部分で、メンバーの中で唯一人、腹の直径と言う事情によって苦労したのも、まあ、また楽し。
終点の、おあつらえ向きに広くなっている部分で氷砂糖を齧りなどしつつ、腰を下ろして暫し雑談。全員のヘッドライトを消し、無言で洞窟の闇に沈みなどする。

〜回想〜
『――押入れ、好きか?』
『……は?』
『いや、洞窟の良さを解ってくれる人ってそういなくてさ。十人連れて行って、その中の一人がようやく仲間になってくれるぐらいなんだ。むしろ閉所が駄目だ、暗所が駄目だって人間の方が断然多くてな……子供の頃、押入れ遊びを楽しめた人間だと、まだ良いんだが……』
『はぁ』
『ちなみに――お前は寝る時、明かりは点けたままか、それとも――』
〜回想終了〜

で、直面した現実:
『凄い凄い、ここ気に入った! 私、ここに住む!』
『今度はお茶会しようよ、絨毯担いで持ってきてさ』
『秘密基地にしよう! 決まり、ここ私達の秘密基地!』
『あ、良いですね秘密基地。子供の頃、作りましたよ』
『あ、私も』
大絶賛。何やら琴線に直撃したらしく、すっかり洞窟に浸る方々。
こんな連中初めてだと、喜びにむせぶケイバー(洞窟野郎の意、らしい)東。良かったな、正月三日間洞窟で過ごしたという君は、決して孤独な存在じゃなかったんだよ。

すっかり皆様上機嫌のまま、帰路。 途中、ついに念願の、憧れの、洞窟とくれば絶対に外すを許されない定番の蝙蝠氏に遭遇。
冬眠中らしく、お一人だけが外套のように羽を身に巻きつけ、小さな手だか足だかで岩壁にくっついたまま、微塵も動かない。まるで、岩から黒い大きな鬼灯の袋が生えているよう。
狭い洞窟、触れるどころか鼻先が掠りかねない。お邪魔せぬよう、慎重に幸運なこの出会いを堪能する。

洞窟から出れば、そこは冬山。興奮冷めやらぬまま、改めて感じる寒気に震えていると、 驚きの声が上がる。見れば、道端に停めてあった東氏の車のフロントガラスに、蜘蛛の巣状の大きく白い皹。
 ――落石で破壊された車だなんて、生きているうちにこの目で拝む日が来るとは思わなかった。
フロントガラスを直撃したらしい。ほぼど真ん中と、少し助手席側にずれた痕が二つ。ワイパーも片方、根元から折れている。
自分達の居る此処が、多賀の秘境だと再確認。不幸極まりない話ではあるが、幸い車としての機能には何の問題もないため、早々に下山する。

一目で判ることだが、落石の被害は全然洒落になっていない。
だが、当の東氏のお人柄もあり、皆、彼の不幸を悼みつつも、それ以上に湧き上がる笑いを堪えることが出来なず――
『わ、速度あげるな。きちきち言ってるし! (そっと手をかざし)……嗚呼、風を感じる』
『これで雨とか雪とか降ってきたらどうします?』
『いやーでも凄いもんですね強化硝子って』
『日記ネタ決定だな。もう神の領域だよ、君のこのオチ人生具合は』
『さっきからすれ違う車の皆々さん、その今晩御家族との話題独り占めですよ。「今日な、フロントガラスが凄いことになっている車と道で――」』
『……君ら。解らんでもないけど、その前にまず一言ぐらいなぐさめの言葉をかけてくれてもいいんじゃないか?』
『あれ、言ってませんでしたっけ?』
――声の端っぽが、本気でちょっと泣いてた。

御免。でも、
――嗚呼、これ以上は無いオチを、わざわざ僕らに有難う!

で、そのまま途中、パトカーとすれ違いなどしつつ、長浜まで。最近、行列が当り前になった『鳥喜多』の、地元民のみ知る穴場である支店に乱入。親子丼とかしわ鍋を堪能する。
『今、前をいくご夫婦の視線がこう一点に固定されて……あ、振り返った』
『でもこうして夜になると、当たった光がきらきらと……ああ綺麗ですねぇ』
『ホントに。そうそう、ここって硝子で有名な黒壁なんだし、いっそのこと、このままステンドグラスにして貰おうよ』
『あ、それ良い。賛成!』
無邪気な、悪意の無さ。素直な感想というのが、別に善良なものではないと証明し続ける、我々。内心はさておき、怒り狂うことも泣き崩れることも無く『――まあ、金でどうにかなることやから良いけどね。金でどうにかなることなら、どうにか出来るよう、俺は働いている訳だし』と、呟いてみせた東氏。彼は、成長ではなく成人したと思う。

奇妙奇天烈なオブジェのあるフルモトさん家を経由して、解散、帰宅。
洞窟の、なかなかの良さと落石の恐怖を学んだ一日であった。
如月十八日
くだんの蕎麦猪口だが、どうやら印刷でなくきちんと一つ一つ色を付けているようで、 つまり取り寄せ品が今の愛用品と完全に同じ訳ではなく、そこが味わいだと悟るにはまだ 人生にすさみが足りぬ我が身、つまり早い話、絵が下手なのにぶち当たった。
……薄れるほどに染料けちるなよ……

人生一期一会。ますます今の茶碗に愛着がわいた。多分、二つになっても繕って使い続けることだろう。
……自分でやってみるか、他人に任すかまでは知らぬが。
如月十六日
ここ数日、家人の風邪を貰ったか、熱は無いが鼻水が出る。
ふと、暦を見た。
――ああ、そういやこのところずっと調子が悪かったしあれはウン風邪だね寒気は無かったけど 風邪やホントもうどうしようもないな季節ものだし風邪うんうん風邪風邪――

花粉症の季節です。本年は昨年と違い、随分軽いものになるだろうと――

だから風邪だってったら風邪なんだよ!
如月十五日
早一ヶ月。時間は確実に過ぎていく。

法事で久々の正座に悶絶するが、被災避難者のエコノミー症候群まで問題になる昨今、この 日本伝統足痺れ文化は法的規制が必要でないかと真剣に考えてみる。
まあ、読経は実質一時間以上も続くものでもないし、終了後に振舞われる茶が水分補給に なっている上、田舎の爺婆親爺は歳を食えば食うほど要領良く楽に足を崩すので、深刻な問題は ないかと結論に至る。
安心して今後も被虐的な下半身の苦痛に読経しつつ耐え悶え狂いたいと思う。


懐中時計をネットで探しているうちに、昔、形見分けとして貰ってきたものの裏蓋にあったのと 同じエンブレムを見つける。『商館時計』と呼ばれた、明治頃の品らしい。
うちのは故障して針を止めたままだが、世間様では現役として時を刻み続けているものも 結構ある模様。
自分が人間で、彼等はモノなのだと、深く感じ入る。付喪神に至れるもの、万歳。
如月十一日
朝方、出る。
ふと見た遠方の枝木が帯びる、ほのかな紅みに気付く。
近くの梅林で、その意味を確かめた。
今はまだ小さな蕾だが、香るよりも早くその色は冬の単調な色彩に漏れ出で始めている。

我、この歳になって未だ梅香の芳しさを知らず。ただ、その残雪の中にも先駆ける色と 奔放な黒と青緑の枝振りを好む。
如月十日
断りも無く季節は過ぎ、夕の五時に至ってもまだ外は白く明るいまま。
もう半年ほど、雪が降り続けても私は一向に構わぬというに。

あと五十時間と経たず地名が変わる。思い入れなどそうは無いが、自分の故郷が地上から 消え去るのを生きているうちに見届ける日が来るとは、正直思ってもいなかった。

なお、本日特に夢見悪し。徹頭徹尾酷かった。
如月九日
店を閉めたばかりの陶器屋主人に茶碗を一つ、我が家まで持ってこさせる。
しかし大きさが今一つ手頃でなかったため気にいらず、別のものを取り寄せてから出直せと、 帰す。

……あれ?
…………なんかおかしいぞ、この世界。
如月八日
未だ年賀状返礼としての寒中見舞いが書けていない。いい加減、早くせねば――市町村合併で地名が変わってしまうのというに。
如月四日
風強く極めて寒し。

横領が発覚せず、ずるずると続けてしまい、それが日の目に晒されそうな大規模な部署整理を目前に控えた 犯罪者のどこか麻痺してしまった心持ち。それがここしばらくの私と図書館との関係。

合併前にシステムの総入れ替えでしばらく休館とのこと。既に両館から大量に借り込んでいるアレやコレやの返却期限は 確か昨年。
本日、久々に御電話頂き、館長さんの元気なお声を拝する機会に恵まれる。
如月三日
太巻きは、何故かしら一度作ると馬鹿みたいな量になる。
さらに謎だが、それが片っ端から家人の口に消えていく。

祖父の蔵書印。
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