TITLECG

 


2001 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 /10 /11 /12
2000 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 /10 /11 /12

2001年 6月29日  学校の宿題らしい

 昼過ぎに近所の小学校生が読書の時間で図書館にやって来て、久しぶりに平日の午後に勤め先がにぎやかになりました。なんでも水生昆虫を調べるとか言う宿題が出たらしく、みんなで色々と探していたんですがそんなピンポイントな本が沢山ある分けがないので、ちょっと困ったことになりました
 話し合いの結果、宿題は水の中の生き物を調べるのに変更。それでも本が足りないので、個人で本を借りずに学校で全部借りてそれを資料に宿題をすることになりました。行き当たりばったりな話ですが、まぁしかたないんでしょうね
 それはそうと、最近のがきんちょはナイスなボケを連発するので面白かったです。
2001年 6月27日  そろそろ暑くなってきたので

 そろそろ暑くなってきて、キュウリも採れるようになってきたので今週の休みはピクルスを作ろうと思っていて見事に忘れていたことを思い出しました
 それだけならまだしも、細かい作り方を半分くらい忘れてしまっていてあせってます。塩加減とか酢と砂糖の比率とか…。ちゃんと思い出したら、メモでも作って来年に備えないと…
2001年 6月25日  伊吹山下りて、大君ヶ畑を駆ける

06250003.JPG  雨が降りそうな空模様と湿度でしたが、SRの調子を見たかったのと近場で行った事のない所に行ってみたくなったので関ヶ原にある伊吹山スカイラインロードを取りあえず目指してみることにしました
 国道を通るのは芸がないので湖岸道路を北に彦根を目指して、その後国道に合流して関ヶ原に。ほぼ一本道にもかかわらず、曲がるところを間違えて左折して少し迷いましたが無事伊吹山以下略に到着。料金所の前で小休止。  僕が愛用している地図は'95年版の関西ツーリングマップなんですが、そこの料金では1440円なのに2100円でした。晴天か雨が降っていたならば綺麗な風景が見れそうでしたが情けないほど中途半端な曇りなのでお金が勿体ないので今回は下山しました。
 その後、関ヶ原から三重県に抜けてR306から大君ヶ畑の山越え。三重側は今にも雨が降りそうでしたけどトンネルを抜けた滋賀県側は結構晴れていて気持ちよかったです
 問題のSRはエンジンもとても快調。15年以上の使ってきたとは思えない位でした。ブレーキの利きが悪くて、振動が酷いくらしか問題はない感じ。チェーンをそろそろ交換した方がいいかもしれない。あとクラッチワイヤーとレバーも交換したいけど、しばらく我慢
 帰りにバイク屋でオイルを交換して、プラグの新品を買いました



 ←鞍掛トンネルで小休止した時の一枚。トンネル右側の人影は全くの他人のカワサキ

2001年 6月24日  思い出した事。どうでもいい事

 仕事をしているとフとどうでもいい様な、本当にどうでもいい何でもない子供の頃の一日の一場面を思い出しました。なんでそんな事を思い出したか解らないくらいのどうでも良い事でした。でも気になったので、家に帰ってからもう一度思い出してみると何を思い出したか思い出せませんでした
 それはそうと、前回の誤字脱字を指摘していただいた某Tさんの掲示板で「次には英文が載るかどうか興味があるところ…」とありました。予定は違うんですが、こう言われると書かねばならん様な気がしてきます。かと言って英文にする様な内容じゃないしなぁ…
2001年 6月22日  マダム?

 今月末で臨時司書の契約が切れるので、一抹の寂しさを覚えてます。いままでしてきた仕事で一番面白い仕事だったと思います。契約の更新をしたかったけど、雇用用の予算が下りないみたいなのでまぁ仕方がないと言えば仕方がないです。次の安定した食いぶち探さないと
 それはそうと今日の夕方に本を探しに来た子が「鼻」についての本を探して欲しいというので一緒に探しました。今時珍しい(って言うかどの時代でも恐らく珍しい)ちゃんとした敬語を使う礼儀正しい女の子でした。探しながら少し話をしていると、笑う時口を手で隠して笑ってました。なんか何処かで懐かしい感じがするなぁと思ってました。よくよく思い出してみると年輩のちょっと上品な女性がする奴です。あ〜、きっとおばあちゃん子なんだなぁと漠然と思ってました
 今勤めてるところは農作地帯で年輩の方は大体百姓なんですが、何故か上品で礼儀正しい人が多いのでその影響でしょうか
2001年 6月21日  掲載

 なんかコミコミ.ねっとから来たお知らせメールで、
「ショートストーリーコンテストをするから「CGコンテストに参加したいけど絵は描けない」と思っていた人でも参加して下さい」
 的な事が書いていたのでCGにも文章にも自信はないけどシキモトでも誘って応募しようかと思いました。でもメール書くのがメンド臭くて誘うのは断念
 でもまぁ一人でも折角募集しているのだから応募しようと思い、先週Palceでチャットしながら馬鹿ファンタシーを書いて応募しました。4000文字前後で最高でも5000文字と言う規定なのでちょっと少なく感じましたが、ストーリーの構想と構成に5分もかけたのですんなり行くと思っていたらあっという間に5000文字オーバー(^_^;)
 結局ダイエットにダイエットを重ね何とか4956文字と言う気持ちいい位ギリギリに何とか押さえて投稿。無事掲載になりました。しかし、書く時間より文字削る時間の方が多いというのも…(^_^;)
 オイラらしいと言えばオイラらしいんですけど。後は誤字脱字の心配だけだ!
2001年 6月17日  世界で一番脱字の多い男伝説

 ちょっとした大きな脱字をTeCHサンに指摘されて、こりゃ笑うしかないねって感じだったんでした。書いてるつもりだっただけにダメージが大きいです。書き直すべきか直さざるべきか…。めんどくさいんだよなぁ
 あと母親に久々に暴言を吐かれる。曰く欠陥品。ほっといて下さい。
2001年 6月14日  やってしまいました

 わははは、メッチャ簡単なスペリングをミスっちゃいました。しかも自分の描いたCGで(^_^;)
 見直しておけば良かったぁ。って言うか、そもそも日本語で書けば良かったかも…。しかしそれをやるとあらぬ誤解を生みそうだしなぁ。まぁいいか、人生たまにはこんな日もあります
 それはそうと本屋に注文して置いたDiskWorldシリーズの「ピラミッド」と「異端審問」が来たそうな。取りに行かないと…
2001年 6月10日  陰鬱な気分

 虐待絵描きとか、ギターを弾けとか、医者に行けやばいぞお前とか等色々言われてちょっと陰鬱な気分だったから、

そこまで言うならやったらぁ!!

 ってな気分で下絵を描きました。後は塗るだけ。
2001年 6月10日  なぜか引っかかって吹っ切れないこと

 昨日、Coo...さん(別人)とICQとチャットしていると高価なギターを買ったそうです。それはいいけど、僕にギターを始めるように勧めてきました。ギターは嫌いなのです
 その事で今日一日意味もなく気分が落ち込んでしまい、つまらない一日でした。子供の頃の思い出ってのは吹っ切れた事は笑えますが、吹っ切れないことは全然笑えないモンですね。人の所為にしたくないけど、自分の所為にもしたくない。勝手な話だけど
 あと虐待絵描きとか言われてちょっと傷ついたりしました
2001年 6月 8日  やる事はやった

 取りあえず、行って帰って来ました
 やる事はやったので駄目でも納得は出来るますね。少なくとも面と向かって鼻で笑われてもヘラヘラしていられるだけの努力はしたつもりです
2001年 6月 7日  あしたは面接

 明日は面接当日。何はともあれ後悔の無いように頑張らないとね
 久しぶりにちょっと緊張
2001年 6月 5日  おんぼろバイクは本当にくたびれていた

ツー訳で思い立ったので、前日に予約して次の日にはユーザー車検に行って来ました
小屋から昭和59年式SR400を引っぱり出して適当に整備。単車は午後しか車検をやってないし、近所にバイク屋がないので一発勝負。見事に負けました(笑)
 アバウトに直したライトが少し左にずれてました。その場で自分でアバウトに直して5分くらいで再チャレンジ…。今度はブレーキランプが突然付かなくなった(笑)
調べてみたら部品が割れてやんの。ふて寝だコンチクショウ
2001年 6月 1日  Thin Red Line

 戦争映画では20世紀の最高傑作だと個人的に思っているシン レッドラインのDVDを昨日買いました。昨日半分見たんでて、今日残りを見ました。しかし、映画館で5回は見たんですが、何回見てもこの映画は良いです。個人的に何故この映画が同時期に上映されたプライベートライアンと比べられて、その上評価が低いのか理解に苦しむところではあります。そもそも取り扱ってるテーマからして全然違うので比べる方がおかしいと思うんだけど…。って言うかプライベートライアンっていい映画だったかなぁ?
 ところで、どこかの掲示板で「弱くて馬鹿な日本兵」って感じを受けたと言うの書き込みがあって、そこから師団戦ではどうこうとか補給がどうとかあっという間に事の本題から抜け落ちたやり取りが繰り返されていました
 しかし僕は何度見てもそんな感想が沸いてこないです。たしかに日本軍の野営地が占領される時に、気の狂ったような攻撃をする日本兵とか目に付きましたが、それは熱帯マラリアに犯されて高熱に苦しむ日本兵の姿の描写ですしアメリカ兵はかなり暴虐無尽な行為を繰り返します。どちらかと言うとアメリカ人の方が怒ったのでは?オスカーも取れませんでしたし…
 結局、ある程度のやり取りで「戦争映画ではなく青春映画の出来損ない」と言う共通の結論が出てその後歴史論戦に入っていった記憶があるんですが、この映画を青春映画と見るのもどうかと思いました。結局登場人物は全員自分の考えを述べるのみで、その考えが交差することは無かったのでどちらかと言うと自己問答映画と言えるかも…

|| Home | CG | Diary | Profile | BBS ||