日々、在りしことども



桜月二十九日
本日二題。

騒音おばさんについて。
ラジオでたまたま次のような話を聞く。彼女の夫の方に遺伝病の要素があり、二人の娘が次々死亡。
旦那と一人残った長男も病床に臥せり、彼女はそれをずっと支えてきたのだとか。
これはそれなりの筋では以前から知られている話だという。

理不尽な不幸が、他人を傷付けて良い理由にはならない。
社会秩序や道徳が絶対ではない。が、理不尽に被った己の苦痛を晴らすため、八つ当たりという息抜きを選べば、相応の制裁が返ってくる。これは、善悪天罰の類ではなく、社会という名の数式の結果だ。
家族の病は、騒音おばさんの免罪符にはならない。
が。少し、おかしい。そんな話をこれまで誰か聞いたろうか? 
テレビを初めとしたメディアの扱いでは、彼女は近所迷惑なキチガイだ。奇矯な言動で周囲に害を撒き散らし、しかし法律のグレーゾーンに居るため退治の難しい、社会のダニだ。――そう、演出されてきた。
マスコミが社会の公器であり、時として名も無き一般市民の苦痛を世間に訴える正義の言論機関ならば、 騒音おばさんの立ち位置も、最低限冷静な情報として提示すべきではないだろうか?

そうして少し調べてみると、やはりその異常さを指摘する人々も居るらしい。
例えば、理解不明な吠え声に編集されたおばさんの発言(無編集だと、意味の通る抗議になっているらしい)。同じくカットされている、自称被害者のおばさんへの挑発行為。そして被害者側が全国放送に提供する、数年間に渡る家屋内も含んだ盗撮ビデオの山。

隣家の住人が、一度二度ではなく、数年という期間にわたって自分の家の中をビデオで撮り続ける。
――はて、こうくると一体どちらが異様な隣人か。

――娘が若くして不治の病に掛かった。せめてもとまめに布団を干してやる母。しかし、隣家からはそれを初めとして理不尽な苦情が相次ぎ、夜中も煌々と光り続ける庭のライトのため、不眠に陥る娘。積み重なる不和、こちらを一方的加害者として起こされる民事裁判――


幾つかの要素が類推という適当な物語の紐で、らしく一本に繋がればそれが真実――というわけでは決してない。どちらかが完全な悪で、もう一方が純粋な善。ちょっとした矛盾は、悪意による陰謀の証。そんな訳でも勿論、無い。
ただ、明らかに純粋迷惑のキチガイおばさんとしてテレビに出演させられた彼女は、ただそれだけの人間ではなかったはずだ。絵的にインパクトがあったから、編集して繰り返し流す。それ以外の要素は、取り上げず捨てる。――オイ、何時から報道というものは脚本と演出が必要になった?

昔、クラスメイトを失って泣いている生徒達が居る高校の、全校集会があった体育館と本校舎を繋ぐ渡り廊下脇で、輪になって煙草を吹かしながら笑いあっていた新聞記者どもを見たとき、報道というものの本質を学んだはずなのに。結局のところ、突き詰めれば他人事の事件や事故を下世話に書き立て、興味を引いて金を稼ぐ、そういう職業だと理解したはずなのに。
自分は、何を今更、嫌な気持ちを感じているのか。

罪に罰が対応するのが法治国家だというのならば、罰は適切な範囲で、そして喰らうべき全ての者に平等に。
そして願わくば、まだ病床にある旦那さんと息子さんに、他者が褒めた『良き母親』としての彼女が、一日でも早く戻れるよう。


そのに。
大分以前から迷惑メールの山が届く。ウイルスこそないものの、面白みも捻りも無いごみの山が、毎日郵便受けからごみ箱へ。幸か不幸か、日常的にメールのやり取りをしている相手もおらず、ろくすっぽ確かめる必要も無く、全ては無へと――
そう、幸か不幸か。
珍しく、複数通の意味のある電信が本日紛れ込んでいた。
……久し振り、でいいんだよな? これ以前につい一緒に捨てたりしてないよな?
桜月二十八日
田には水が張られ、蛙の声。早くも初夏が近づき、家前の山椒は旬を越えようと茂りだす。
この頃は桜より、苗の植えられていない鏡のような水田を見ると、泣きそうに胸の奥が締まる。正直、自分でもその理由が解らない。

丁度季節ものの筍を頂いたので、先日の鰹飯もどきをつくってみる。灰汁抜きした筍を刻んで胡麻と共に、炊き上げたご飯に混ぜ、出汁取り用の大きく削った鰹節を贅沢に盛る。何処ぞの良い醤油があったのでそれを掛け回し、最後に家の前で摘んできた山椒の葉をぱらりと散らす。
やはり飯が硬くなるといった風に、本家のようには上手くいかなかったが、家人にはおおむね好評。良い食材を惜しまず無駄に手を加えず、美味しいものはやはりそれで十分なのかもしれない。
他には茹でただけの大根に自家製の木の芽味噌を付けたもの、薬味を大量に盛った鰹のたたき、幾つかのお浸しに鮭の粕漬け、漬物と、そう手間の掛からぬ割には無類の贅沢をしたような気分になれた、珍しき日。
幸せに腹くちく、本日以上。
桜月二十六日
夕、ここを見た東氏より電話を頂く。曰く、『そういうことなら旨いラーメン屋の話を聞いたんだが、行ってみないか』とのこと。喜んでお誘いをお受けする。
店は彦根ブックオフの近く、南西に位置するJRをまたぐ陸橋を琵琶湖側へ降りて直ぐの、以前近江牛の牛筋ラーメンを出していた店を改装したらしい、ぶっちゃけこのお店『にっこう』。

狭いが綺麗な雰囲気であり、塩ラーメン『清香』と『こりこり鰹飯』を頼む。
共に美味。
前者は実にさっぱりとしており、どんな体調の時でもするりと平らげられそうな味。一つまみ加えられたとろろ昆布の風味が気持ち良い。
後者はメンマにメカブを入れた贅沢な猫飯。ただ惜しむらくは一点、地元有名醤油を使っているのだが、あれは旨味も強い代わりに、しょっぱい。減塩醤油に慣れている身としては、もう少し薄味のほうが楽しめたことと思う。

こってりしたラーメンを味わいたい時には物足りないだろうが、ここの爽やかさは、それはそれで実に良し。自分の行動範囲とも丁度重なっていることだし、気が向いた時には足を運ぶこととなろう。良い店を紹介してくれた食い道楽東氏と、この店に感謝したい。

後、枝垂桜が見事だったという佐和山麓の寺にふらりと行ってみたり、『霧を噴出すという伝説の多賀大洞窟を探せ!』なる最近の東氏の人生イベントのお話をうかがい、本屋にて散会。
美味しいものを楽しむのは正義だと、久々に人間の真理を思い出す。
桜月二十四日
ラーメンゲージが溜まっている。
しばらく前から旨いラーメンを一心不乱に啜りこみたくて仕様が無く、されどどうにも機会が噛み合わず、 今日も今日とて、たまたま手頃な店の近くまで行きはしたものの、そのまま帰宅。
現在この瞬間も、じりじりと天井知らずに謎の何かが私の喉の裏側辺りに蓄積され続けている。
既に、我が人生、未経験の領域を突破中。

夜、どうしようもまとまりのつかなくなった髪を刈りに出る。この手の店は勤め人の都合に合わせてか、随分と早くから遅くまで営業しているものなのだと最近知ったので、出かけたのは夕食をとってから。
安い店で『適当にこざっぱりと短く』そう丸投げしたところ、泥つきの里芋のような頭に仕上がる。
……こんなに頭の形悪かったっけ?
桜月二十三日
春祭り、酒、料理。
桜月二十一日
結構楽しみにしていた某小説シリーズが、以前よりの情報通り打ち切りとなったらしい。
これが『売れないから』という理由ならば、まだ布団の端を噛んで泣く泣く世間の理不尽を恨み、耐えられるが、下らん人的災害の積み重ねって何だ。

良いものでも消えていく。駄作であっても消えていく。ああ、どうせ散るしかない花のようだ。

もう動き出している別所での再スタートとやらが、どうか良きものとなりますよう。
桜月二十日
良き話を聞く。
『十八番街の迷い猫』の作者、渡辺まさき氏がどこぞやで新しい本を出されるとか。
楽しみな話だ。
そのまま夕なぎシリーズも復活してくれると嬉しいのだが――
希望は捨てまい。読者とは、十年たっても諦めることを知らない、我欲と執念の塊なのだから。
桜月十九日
料理酒を買い出た先で、大型パックの日本酒を見て回る。
思いの外に色々とあり興味が持てたが、中に合成酒というものを見掛ける。
その値、一升約四百円。
――アル中を気取っていた自分がただの馬鹿だと思い知る。世界はまだまだ広い。いらぬ方向にまも。
飲むことは無い。だが、何となく味の予想はつく。自分がこれを口に含む時、それが多分惨劇の始まりだ。
桜月十八日
少々用事があり、時間潰しにそのまま花見としゃれ込む。少々暑いぐらいの日差しの下、土手で見上げる大きな桜の姿を堪能した。
桜月十五日
小雨の中、近所の桜の様子でもみようかと車でふと出る。
川土手の桜を巡り、目に付く薄桃の白雲を追い、春祭りの神社などを横目に古い街道に沿って 花を追えば――何時ものように彦根城。
八分九分咲きの花を見ながら、学習せんなと己にあきれる。
桜月十四日
四コマ漫画を読んでみようと、何冊か雑誌を買い込む。
可愛い絵柄や、思いの外様々なジャンルが表現できるのだと、良い勉強になった。
ただ、やたら『萌え』や『フェチ』に傾向しているのは気のせいか?

海藍氏のように、題字が二つ目のオチとして完成している作家はそういないかと思いつつ、本日以上。
桜月十三日
見慣れていた風景に違和感。田畑の一面を埋める黄色は菜の花か。そのさらに向こう、川沿いの土手に 連なるぼやけた桃色は、言うまでもなし日本の春。
徘徊の季節だ。
桜月十二日
ここ半月程の間に摂取した娯楽の中から、気の向くままにつらつらと。なお、ネタばれ有り、漫画成分多し。

『コーセルテルの竜術師』
結構かなりの大当たり。
四巻で一区切り、続いて題字に『〜物語』と付け、現在三巻以下続刊のファンタジー漫画。
竜に力を借りる代償として、その子竜を育てる竜術師。その中でも、七属全ての竜を世話する子守竜術師 と七人の子竜、そして周りの連中その日々の物語。
世界の命運に関わるような暗い因縁だの運命だの、或いはファンタジーの皮を被った子育て人情モノ。どちらでもなく、ちゃんとした竜術師の日常が綴られていく。
どんどん増えていく登場人物(基本は×7 各属性の竜術師、その補佐竜、先代、同族の子竜が下にそれぞれ数人という具合……)。それでも、各竜族の共通する服装や性格傾向、そしてだんだん明らかになっていく一人の人間としての『個性』で、名前はともかく誰が誰かは結構解るものになっている。そして、その一人一人が実に魅力的なのだ。
記号ではなく喜怒哀楽を持った個。『誰』『どのキャラ』ではなく『それぞれ』誰もが持つ魅力。それによって、例え日常の挨拶場面であってもいきいきと物語が豊かに膨らんでいく。
楽しいだけではなく、最新刊過去編で子供暗竜ナーガが暗闇の中、下した判断(言葉)の場面など、心打つ名シーンもあり、おがきちか氏といい夢路行氏といい、一賽舎は地味に名作が隠れているような気がしてならない。

なお。――地竜の彼女と暗竜姉妹は、どうしようもなく無茶苦茶可愛いと思う。



『ブロッケンブラッド』
『ユーベルブラッド』作者の魔女っ子もの。ふと本棚を見たところ、並ぶ『ユーベルブラッド』の間に何故か『仮面のメイドガイ』が挟まっていた。ああ、それはこの本を暗示していたのかと運命の妙に思いを馳せる――つまりは、まあそんな漫画。

『いい目つきだ……きみのような少年を鍛えてみたかったよ…』
(中略)
『僕も…もっとマトモな貴方に出会って…男として鍛えられてみたかったよ…』

そして始まる、魔女っ子の姿をさせられた美少年と、中年とは思えないはちきれそうな鋼の肉体をメイド服に包んだダンディ店長の決戦。魔女っ子ステッキという名の鈍器と漢の拳が唸って飛び交い、痛みと血を言葉に出会う時を間違ってしまった二人は、それでも確かに心を交わす!
そういうどうしようもない阿呆な事件が、毎回毎回加速して明後日の方向へ飛んでいく。こういう無茶苦茶な馬鹿話を入魂して書き上げる筆者氏に、自分は感動の涙を禁じ得ない。最高だアンタ! 俺、絶対アンタに追いついて、そしていつか追い越してみせるよ!!

『武装錬金』
最終巻。描き下ろしの後日談があり、お得。人気の出た漫画はどこまでも連載が伸びるという昨今、 駆け抜けたこの作品には一種の鮮烈さを感じる。
王道的な良さもあったし、パピヨンという素敵なキャラも印象深い。
なお、間に挟まれている読み切り短編だが、『血液』に類する脱字があるような気がするのは自分だけだろうか?

以上放言、以下も放言。

時候的に新番組の始まる頃のようだが、幾つか原作を知っているものがあったので、ちと見てみた。

『うたわれるもの』
少々駆け足のような気もするが、なかなかに綺麗。原作はゲームであったが選択肢は無く、しかし長編ものとして、良い出来のストーリーがあった。正直、一部にのみ知られて忘れ去られるには少々もったいなく、何より悲しい。
これを機に、より多くの人々に正当な評価をされて欲しいものである。
なお、opが実に良かったと、特筆しておく。

『BLACK LAGOON』
原作をそのままアニメ化している。そう、そのまま。魅力を殺さず、無茶な改変や過不足勘違いもなく、良い漫画を良いアニメに。――どこの理想郷から降りてきた職人天使集団の作品だ。
まだ第一話だけだが、この一話を手本として世界中に広めてもいい気がする。
なお、実に良いこれからにも期待しかない出来ではあったが、原作を知っている人には解るように、日本の深夜放送でしか流せないようなものでもあった。……多少抑えたとはいえ、銃弾と血が飛び交いまくり。

以上、乱雑に思い出した辺りを。漫画しか読んでない、のではない。こんなちょっとしか、読めてないのだ。
――漫画とライトノベルと、あとついでに趣味的な小説や一部しか読みそうに無い資料本の揃えてある漫画喫茶はないものだろうか――って、

ああ、そうか。二十四時間営業で飲食コーナーの付いている図書館を作ればいいんだ。

ライフワークの種を新たに一つ見つけ、麦酒風味の吐息と共にそろそろ眠る。
桜月十一日
今度は強盗だ!

昨晩、早い時刻にパトカーが走り、近所で止まる。大体の位置から、向こうの交差点か信号で 交通事故でも起こったのだろうと、その時は判じた。
で、本日知るにその正体は前述通り。自宅駐車場で襲われ現金を奪われたのだとか。
多分、一キロと離れていない。気楽な田舎が日々遠ざかる。

夜、暴風。下手な台風より部屋が揺れている。まだ桜が咲いていなくて良かった。本当に良かったと心から思う。
桜月八か九日
お誘いを頂き、花見へと赴く。どこか懐かしく見覚えのある方々に御挨拶し、例年のように夜桜を愛でに彦根城へ。
が、本年は天気が荒れているせいかまだ開花せず、枝を飾るは小さな蕾のみ。
よって、例外のような枝垂桜や二期桜を、『見ましたね? 桜ですね? はい、お花見終了ー!』 小雨を避け、夕食へ。
量と味の良い何時もの定食屋を、大人数で蹂躙。酒は入っていないが、料理を待ちながら延々喋る。 料理を食べ終えても止まずに喋る。何故か店の方より一人に一個ずつポンカンだかイヨカンだかを頂戴し、砂糖や塩で賞味。更にレジでも毎度のように飴を貰う。

後、約一名、嫌がる御仁を引き摺って、電車の時刻までカラオケへ。
珍しく、人間らしい半日。

なお、本日黄砂が酷く、遠方は霞み車は泥だらけ。夕闇の色さえややおかしい。
そして追記だが、ジーンズに作務衣という私の新しい日常私服に、軽い突っ込みが入った。ついでに店のおばちゃんに、和食料理屋の人間と間違えられる。
――和の衣服が、まずは仮装か店の制服に思われる。こんな今を少し悲しみ、本日終わる。
桜月四日
何処からとも無く花の香り。これが春か。
山椒の新芽に気付く。
桜月三日
お遍路さん。家人、ほいと出て行く。
桜月一日
季節行事を堪能できなくなったら、日本人失格だと思う。
来年こそはちゃんと嘘を、自衛隊の一つも動くような大嘘を!
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