日々、在りしことども



燕去月三十一日
大分過ごしやすく涼しくなってきた。稲穂も黄色く膝を折り始めている。
燕去月二十九日
ちと出回る。本屋を覗いたり、サプリメントの棚を眺めたり。ふと疑問が湧いたので、店の薬剤師らしき人に聞く。
『プロテインとアミノ酸って違うんですか?』
『プロテインが分解されてアミノ酸になります。ですから、アミノ酸の方が吸収は良いですよ。お勧めなのはこちらの――』
案内されたのは美容健康に良さそうなお値段高目のコーナー。
『いや、自分はこういったのじゃなくて……』
『ああ、筋肉をお付けになりたいと?』
『いえ、筋肉痛にならないために』
『……』
『……』
とりあえずお徳用一キロ袋を購入。『理想の筋肉のために』という大文字に惹かれた訳ではないと思う。

頂き物の冬瓜と煮るのに骨ごとぶつ切りにした鶏肉を探すが、何処にもない。
最後はがらがらの品薄肉屋で現実と妥協しレジへと行くが、『そういえば最近、鶏肉高いね』となんとなく呟いた言葉に『そうでもないですよ。昔から、こんなもん』と返される。
特売で百グラム五十円とか。上手く店を選べば袋入り二キロぐらいがやっぱり七百円前後だとか。自分の感覚ではそんなもののはずだったのだが――何時の間に。

例年恒例『秋の利き酒会』の情報が来ない。四月頃に何やらあったが、ひょっとすれば本当に秋と春を代えてしまったのだろうか。


ちょっと気が乗らないこと色々、本日以上。
燕去月二十八日
TYPE-MOONの『Character material』鑑賞。
余り詳しくはないが、普通設定集というのは珍しい販促絵や下書き、ラフ・没画を足して、 言葉で情報を整理した――悪く言えば本体の余韻に浸っている間に勢いで幸福感を引き伸ばす、単体では立てない割高のおまけぐらいでしかないと思う。
だから、未発表設定、冗談、脳内ネタそういったものだけで構成されたこの本は実に鮮やかに楽しめ、満足することができた。
内容レベルの高さも、それに一役買っている。書き投げの線画ではなく、ちゃんと美麗に彩色されたイラストの数々。本当に、贅沢だ。

十二分以上に満足できたと、筆を置く。 最後に――セラお母さん最高。
燕去月二十六日
早朝より『名古屋ミネラルショー』に足を運ぶ。
マニアや業者が集っての鉱石化石の展示即売会だそうで、伝統はかなりのものがあるらしい。 自分は、博物館を楽しむようなつもりで会場へ。
思っていたより小規模であったが、そもそも石なんてものは、小指の先でも場所が余る物も多い。よって、一通り回るだけで結構な大仕事となった。

入り口で来場記念の鉱物標本――ぶっちゃけ、鉱物の混じっている石――を貰い、いざ突撃。会場内は、化石や鉱物標本と、翡翠や貴石といったアクセサリーまたはその素材が半々といったところ。自分の興味があるのは、主に前者。素晴らしいものは値段の方もお高くあったが(針山のように水晶が溢れ立ち、その間に黄鉄鉱の金色の立方体が埋もれているものなど。あと、謎の鉱物とか)、多くは求めやすい手頃な価格であり、『アンモナイトが割ってるのも割ってないのもこんなに!』『砂漠の薔薇が一個三百円だって!?』『おお、このいかにも鉱物でございといった結晶の形がっ』『これが今の世界で血眼になって求められている原油――別にいいや』云々、『……もう十数年前に知っていたら』という子供レベルで動き回る。
昼には会場を後にしたが、かなり至極満足。

会場で幾度か耳に挟んだ主人と客の、『これ、あそこの石でしょ。土の盛ってある……』『休みの時なんか狙い目だね』『怒られないか?』『人、いないから』『もうあそこは掘り尽くされて……』『ふふ、そこはね。洞窟の天井を砕いて――』そんな会話も余り気にはならない。


薄い昼の夕立の中、折角名古屋まで来たのだからと地下鉄を乗り継いで中国茶を飲みに行く。
店近くの、タイ国王に縁ある寺を詣でてから、店へ。
まずは良く冷えた鳳凰単叢を頂く。最期にふっとよぎるパイナップルのような甘みが、 渇いた身には心地良い。人心地ついたところで、いよいよ本場台湾茶を注文。埔中烏龍茶 を頼むと、程なくして盆の上に道具一式が乗って現われ、横の火を入れた炉上に熱湯の満ちた土瓶が置かれる。店員氏はにっこりと慣れた風情で微笑んで、
『御自分でなさいますか?』
『――いえ、無理です』
普通の日本人は正式な台湾茶の作法など知らないと思う。自分にしても、あやふやな素人作法以上のことは出来ない。だから、安心のプロに任せたのだが――
てきぱきと一煎目を済ませた店員氏仰るに
『では、二煎目からは自分のお好みでお楽しみ下さい』
この店はウムを言わせぬスパルタ方針らしかった。
それならそれでと、適当に自己流で味わって、帰り際に茶葉を購入する。かなり高めの単価であったが、先日安物で寂しい目にあった自分としては安心できるところで確実を期したい。――まあ、ちと買い過ぎた気もする。
そんなこんなで初めての茶房体験を終える。


で、折角名古屋まで来たのだからと更に地下鉄を乗り継いで紅茶を飲みに行く。
狙うは旧レピシエことルピシアの食事も出来る店。実際には店舗の端に軽食スペースが付いたようなものであったが、流石に味は素晴らしい。焼き立てのスコーンにクリームと蜂蜜をたっぷり塗って、良く冷えたニルギリを堪能する。
その後、茶葉を買うがあの量は何時ものことだし、どうせ全部飲み干すのも解っていることだから、反省は割愛。少なくとも紅茶だけでなく台湾茶にしても、ここのは高かろうともその値段に悪い意味で裏切られたことは一度もない。やはり良い店だと、でかい紙袋を片手に再確認する。

以降、ちと細工材料をハンズにて入手し、後は本屋などを回ろうとするも、道に迷いなどもし、気がつけば夜景。電車説接続の悪さから、きしめんも味噌カツも地酒も口にせぬまま不本意に急かされこの地を去る。朝からろくにものを食べてないことも重なり、それのみやや不満。
終電で着いた駅から自宅まで徒歩。運動不足以前に朝から動きっぱなしの足を無理やり酷使し、なんとか一時間ほどかけて帰宅。現在、気分だけは回復した。

存分に楽しんだ一日。本日以上。
燕去月二十五日
お茶酔い、というものがある。良い茶葉を正しい手順で淹れた時、ごく稀に飲んだ人間が酔っ払ったような感覚を得るため、そう呼んでいる。台湾茶の茶館などであるそうだ。
それは最高の中国茶に出会えた証。茶飲みならば是非にと求めて止まぬ一杯である。
で先日、目にした一文。
『台湾茶には烏龍茶ポリフェノールが含まれており、これが血糖値を下げるため大量に飲むと時として「お茶酔い」と言われる――』
……。科学には愛と優しさが足りない。必要なのは詩情だ。
燕去月二十四日
裏のコンビニに何時の間にやら酒が並んでいた。良く冷えた麦酒のみならず、日本酒の品揃えもそこそこのよう。
神はこの私に一体何をお望みか。
燕去月二十二日
日暮れ前、家の真裏で交通事故。原付を軽く斜め後ろから車が小突いたような、または溝にはまって自爆したようなコケ具合。『救急車呼ぶ?』との声に脛をさすりながら『大丈夫ですから』と返し、立っている若者。その時は大事無くて良かったと思った。
数分と経たず、あの後すぐに呼ばれたらしき救急車の到着した頃には、彼は地に横たわって担架を待っていた。

――交通事故で怖いのは時間が経ってから。被害者の大丈夫など信用するな。

貴重な教訓を勉強し直した日。


秋の気配、やや在り。稲穂、少し色付き、そろそろ宵の晩酌に白い水が欲しい時候。
燕去月二十一日
早朝、『ひぐらしのなく頃に 解』祭囃し編、隠し要素のカケラも含め、完了。
これほど大きな物語も、それを見事に畳み切ってみせた手腕も、昨今余り見たことがない。
少々大げさな比喩になるが、感覚としては最初、自分は舞台の上の手品を見ていたはずだった。ところが終わってみれば感涙と共に月への移民ロケットを見送っており、手品から宇宙ロケットへの変遷を振り返ってみても、違和感どころかむしろその思い出した道のりに号泣の声が溢れ出す。……やはり大げさに過ぎるが、そのぐらい、最初からは考えられない程の広がりと変転、興奮と感動を貰い続けた。

敬意と、次作への期待をここに。製作者氏達に無数の感謝を。
燕去月二十日

燕去月十九日
夜、ふいと出掛ける。昔に読み漁っていた実録怪談物が再編集版だけでなく新シリーズも八冊ほど出ていたと知る。入手すべきか、全て本屋で立ち読むべきか。
燕去月十八日
多少の降雨。台風よ、サボるな。

『ひぐらし〜』、のろのろとやっている。ようやく本編に入ろうかという頃合だが、 既にここまでの出来具合で高い評価を惜しまず出せる。本当に、素晴らしい。
燕去月十七日
『ひぐらしのなく頃に 解』「祭囃し編」開始。
燕去月十六日
雨続きだった一月ほど前に比べ、今度はもう十日ぐらいまとまった雨が無い。
台風直撃を祈願するこの頃。水が必要だ。ダムではなく大地に。
燕去月十五日
必要なものがあり、日中出る。八月のど真ん中、天気の良い正午過ぎ。出掛ける時分を絶対間違えたと思いながら、店へ。が、行く先、行く先、閉まっている。

これが日頃の行ないってやつか。――ナァ、神さま?

うだった頭で太陽の下、虚ろに笑う。『世間には盆休みという恒例行事があるんだよ』そんな理性の声など聞こえない猛暑。


日暮れて後、風や湿度の関係か、家前の川上で舞う蝙蝠の影、ニ三十を見る。
一二匹は常のことだが、このような大群は初めて目にした。
中国では金に関わる縁起物であるらしいが、日本育ちの自分には関係ない。黒い蝶のような ものが素早く一生懸命飛び交う姿を可愛く感じ、しばし堪能する。
なお、夜闇の中をぶつからずすれ違う様は、流石超音波な生物。思わず瓶底を発泡スチロールで擦って、別の音を当てる実験をしてみたくなった。

家で取れたブルーベリーをざる一つ分、酒に漬ける。昨今の流行によれば、目に良い酒が出来ようか。

取りとめも無く、本日以上。
燕去月十三日
何とか流星の一、二個は見ることが出来た。

このところの猛暑で数ヶ月前に漬けた新生姜の酒粕仕込み――奈良漬が噴火する。
締めておいた蓋を飛ばし、黒く変色した酒粕が円筒状に溢れているさまは、まさに盛り上がった溶岩。発酵食品の力を望んだ訳でもないのに再確認する。
上部を捨て、保管場所を変更。このまま静かに食べ頃を迎えて欲しいものである。
燕去月十二日
今宵は流星雨だというに夕に雷を走らせた雲は居座ったまま。残念無念。

夕食後、コトナリエなるものを見に行く。公園を多くの電飾で飾り上げたもので、旧湖東町にて十五日頃までやっているのだとか。この種の催しに足を運んだことは無かったのだが、意外に綺麗で素直に楽しめた。カブトムシやトトロ型の電飾を見、オカリナの演奏など少し聴き、帰宅する。

以下、豆知識ニと一。つまり計三。
一、やたらと混むので早め、夕暮れ六時過ぎぐらいにはもう着いていた方が良い。駐車場も、少々歩くことになるが旧湖東町町立図書館辺りに停めておくと渋滞に巻き込まれずに済んで楽。
二、会場で開催支援の寄付を一口二百円で受け付けている。記念にくれるアクセサリーがなかなか洒落ているので、貰っておいて損は無い。
紐で胸元にぶら下げる形のもので、青く点滅し、光る。遠目には瞬くラピュタの飛行石か。
実際の形状は直方体の硝子の中に、白い小さな泡で天使や十字架、ハートや花、ものによってはLOVEといった文字が立体的に刻まれている。金具部分を緩めれば点滅は止まるし、中のボタン電池を交換すれば長持ちもしそうである。
かなりカップル向けな仕様ではあるが――まあ、一個ぐらい話の種に持っていても悪くはなかろう。
で、三。環境に配慮して発電は全て廃油を利用しているのだとか。
滋賀には他にも、全国でも珍しいテンプラ廃油利用のスタンドがあり、琵琶湖は琵琶湖で、以前、『走るとテンプラの香りがする〜』とか言って同じく小舟をテンプラ廃油で動かしていた所があったはずだ。

滋賀県民よ、そんなに好きか、天婦羅?

まあ実際、琵琶湖小鮎の天婦羅なんかは美味しいよなと一人でオチつけ、本日以上。
燕去月十一日
午後、出掛けて親族と肉を食す。意外と皆、健啖であった。
燕去月十日
朝顔は赤みがかった紫であった。一輪、室内で長く咲く。
絞られた花が夜明けに近づき解けていく様子や、それに伴い白が色染まっていく 姿はなかなかに風情あるものだった。
鉢を外に返し、今度は二苗植えつけたものを室内に据える。さて、明日の朝顔は何色か。


近場に良質の和菓子屋がある。以前、食した其処のどら焼きは、餡子に甘さくどさが無く、しっとりと上品、それでいてこくもあり、どら焼きなど所詮子供に投げ与えられる駄菓子の一つぐらいに考えていた自分は驚かされたものだ。

本日、そこへ足を運ぶ。地元の川の名などついた和菓子を、はて珍しやと眺めつつ、出てきた店員に一問い。
『葛饅頭はあるかな?』
『やってないんですよ』

残念そうに詫びる店員の顔も言葉も、どこか遠く流れていく。やってない? 伝統も評判もある和菓子屋が、夏のこの季節に葛饅頭を作っていない?
やってない。やってない。葛饅頭はやってない。――売れるからって、ケーキやシュークリーム作ってる余裕はあるのに、葛饅頭は無い? 

呆然と真夏の熱にやられた如き頭で、俄か愛好者はスーパーへ。地蔵盆が近いせいか目に付くおはぎのみを確認して、ふらふらと力なく帰宅。畜生、間違っているよ今の日本は。
燕去月九日
友一題、花二題。

午後、九州帰りの三気圧RO氏、来たる。そこはかとなく軽快に見えたので、深く考えもせずそれを口に出したところ、『痩せた』との言。――この暑い夏に、南国の研究室で寝袋泊まり込み連日続ければ、そうもなろうか。思いの他、学者研究者というのはハードな生き様らしい。

自家製甘酒他を手土産として頂戴する。以前の水飴といい、何やら頂いてばかりだ。
適当に雑談。盛り上げられるような新鮮なネタもなく、何時ものように下らぬ話題で げへらげへらと笑う。――お部屋訪問書棚チェックになりつつあるのは気のせいか? まあ、自分も他人の部屋に入ったら絶対やるが。


夕食を終えて後、日没後の残照の中で蓮を鉢とプラスチックバケツに植え付ける。
見れば、種からは小さく円い蓮葉がそれぞれ二本伸びており、根も、朱銀が混じったものが 黒漆の種子より四方へ広がり美しい。『……それ水蓮鉢だから蓮には向いてないんじゃないか』 との温かい家人の言葉を背に、適当に土に埋め、油粕を混ぜた土を上に敷き、水を満たす。
いざとなれば、同じく家人の気遣いによって漬物桶や数十年物の私使用のベビーバスが、美観を犠牲にしたその実用性を発揮してくれるらしい。
頑張れ、根付け、花は来年でいいから其処で存分に育て。

一方、朝顔がようやく一つ、花開いたよう。茎先を切ってもいないのに、土上数センチで蕾を付ける鉢の数々を見ていると、自分が成功したのか失敗したのか、納得のしどころに困ってしまう。 結果が全てと言い切れぬ情けなき状況。
けど、とりあえず嬉しいので明朝開きそうな植木鉢を部屋に運び上げる。現在、枕元で絞られている薄赤の蕾。私は今、町内小学生の誰よりも大人気ない自信がある。

明朝の一輪を待ちつつ、本日以上。
燕去月七日
最近、檸檬水を良く飲む。多目の氷水に檸檬果汁の瓶を軽く傾ける。それだけのものだ。
酸いも甘みもないが、気が晴れる軽やかな味わいがあり、錯覚やも知れぬが暑さにへたった体調も持ち直すように思う。

昔は良くウヲッカに檸檬で香りをつけたものだが、はて、自分が欲しかったのは本当はどちらだったのだろうと、益体も無いことを考える。
燕去月六日
部屋の掃除をする。以前の大掃除より、本と書類と酒瓶ぐらいしか増えておらず、思ったより 簡単に終わった。
なお、新事実として未読本箱、未返却山に加え、二冊目という分類が室内に加わる。
買ったまま読んでいなかった本をついまた買い込み――
読んだはずの本を何故かもう一冊手に入れ――
酷い場合に至っては同じ本を二冊同時に――

とりあえず何処が悪いんでしょうかと中空に問うてみた日。
燕去月五日
ネタもないので梅味噌のその後など。
梅をくれた祖父母のところへ一瓶、お返しとして差し上げたのだが、ちゃんと食べて頂けている様。何より。で、

Q.いかにして食されているのか?
A.毎朝、食パンに塗られている模様。

……いや、確かに味噌の風味は薄いし塩分も弱く、梅の酸味と砂糖の甘みで和風梅ジャムと言ってもそう違和感は無い代物に仕上がってはいるんだが……『おお、美味しいよこの梅ジャム』と喜んで食されても、この料理人の端くれなりの屈折したわだかまりが云々……

誤解の無い、解りやすい料理がしたい。
燕去月四日
日当たりの良い場所ということで、蓮の種は食堂の窓際に置いてある。
料理をこしらえていてふと顔を上げれば明らかに先より緑が伸びているぐらい、調子は良い。
で、そろそろ必要かと鉢を探しに出掛ける。
覗くつもりだった古道具屋は日暮れに早くも店仕舞い。大型雑貨店で植木鉢を見るも、 どれもこれも当然の如く排水用の穴が開いており、『何故だっ』と理不尽に憤慨しつつ埋めようかとパテを探すも、こちらも蛍の光が流れ出し、終了。結局、蓮用の鉢と、ポリバケツをそれぞれ一個買って帰る。
安いし頑丈だし他の用途にも使えるし――ぶっちゃけ美観さえ考えなければとても手頃なのである。

いっそ大き目のプラスチックケースを買って、庭先に金魚池でも作ろうかと思いつつ、本日以上。

追記:独り言だが、最終選考おめでとうございます。
燕去月三日
書き忘れていたが、一個目の蓮の種が発芽して早数日。今は緑の細い槍が、水面目指し鋭く伸び続けている。ただ、何時もの如く後のことはあんまり深く考えていなかったため、そろそろまた問題が。――池なんてないが、何処に植えよう?

……どっかで安い古火鉢でも探すしかないか。
燕去月二日
体重が落ちていた。あれだけ自転車をこげば当然だ。
暑し。目は、大分ましになったが相変わらず兎の様。ふと以前読んだ、『兎って寂しいと死んじゃうんだから』『絶滅しちまえそんな軟弱な生き物』という、心に響く小さな素敵物語を思い出す。

『月の娘 1』読了。
『夕なぎの街』シリーズの渡辺まさき氏新作。1、とあるように導入部的な、或いはそれと 一つ目のイベントがセットになった感のある作品。前二冊のようにこれだけで完結した話ではないので、充実感という意味では少々薄く感じた。ただ、その分とても読み易く、何の引っかかりも無しに人物や状況がこちらの頭へ入ってくる。滑り出しとしては、快調な出足かと思う。
なお、氏の持ち味である独特な生活風景の描写は健在。あと、ついでに喰う。グルメではない。凝って歪んだ人生観のように語るのでも、さらりといやみにこだわりをみせるのでもない。ただ、喰う。皆、喰う。何か、喰う。……なんでだ?
なお、一番良かった点は、あえて上げるが表題の『1』だろう。
高い確率で、自分の好きな作家の本がこれからも出る。嬉しい話ではないか。

二人三脚の絵師氏についても、最初は雰囲気が変わったかと思ったが、後半の二枚など実に味わいがあった。
これからどう話が転がっていくのか。期待して待つとしたい。
燕去月一日
花火、ということで夕より出る。駅までのつもりで自転車をこぎ出し、例の如く気がつけば 目的地。疲れたせいか甘いものが欲しくなり、目に付いた和菓子屋で夏の定番『葛饅頭』 を一個買い。待ち合わせ場所でペットボトルの緑茶片手に涼を楽しむ。

屋台ではなくスーパー値引き品をしっかり買い込み、どこか惹かれるもののあった酒屋(麦酒に凝っているらしく、日本の珍しいものや、異国の一升瓶より巨大な麦酒などを扱っていた)などにも寄って、打ち上げ場所である琵琶湖の浜へ。島だの玉葱小屋だのキャンプだの集団的無意識だの共時性だのを話題にしつつ、赴く。
打ち上げは湖上からで、ごく近くの同じ高さから花火が次々打ち上げられる。『〜の舞 第一部』『第二部』と、独特なセンスの連発花火があり、街らしく儲かっていると思しき企業の大玉あり、特に最後の締めは惜しみなく金糸を夜の湖上に振り注ぐ見事なものであった。

誰かさんが持参したヘッドライトの下、のんびり摘みを齧りつつ雑談して、帰路に。ロールシャッハテストや津山三十人殺しについてだらだら喋る。

日が変わる頃に自転車で帰宅。体力電池が切れて、本日終了。
以前、在りしことども
端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 鳥来月/ 雨月/ 七夜月/
端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 夏初月/ 雨月/ 七夜月/ 燕去月/ 月見月/ 紅葉月/ 雪待月/ 雪見月/
紅葉月/ 雪待月/ 雪見月/ メニューに戻る。