日々、在りしことども



雪待月三十日
常会の宿に当たる。月末に隣組の人間で集まって、雑税の徴収と様々な連絡事項の通達やパンフレットの配布を行う、今月の会場になったというだけだが、半時間と少しの終了後のこと。
茶碗などを片付けて回ったのだが、幾つも並べてあった灰皿で使われたのはたったの一個、より正確には一人が吸っただけであった。
そういう時代だろうし、健康にも良いし、集まった面子がヤニ食いばかりではないので、それを気遣ってというのもあったのだろうとは思う。
ただ、当たり前のように室内が白い昔を覚えている自分としては、綺麗なまま仕舞われる灰皿の山に、立っている『今』と通り過ぎてきた『昔』が繋がっていないような途切れを覚えた。
だからどうという訳でもない、ただの感傷。

『化物語 上』読了。良い作品であった。
後書きにあるように、馬鹿な掛け合いばかりの楽しい小説、では確かにある。ただ、それだけではない。
物語としてのちゃんとした展開、意外なほど真っ直ぐ過ぎる登場人物達、そして特に大して関係ない少女のために怒ってその先へ踏み込んでいける主人公。奇矯な要素や台詞をどれだけ乱雑に沢山、自然に楽しくデコレーションできるか、そんな匠の技を見せているようでいて、話の芯は物凄く王道だ。
この作者、後編のみならず、来年は月一で本を出す予定が既に立っているらしい。
ただ楽しみだと笑顔で思う。

……殺すキャラほど筆が走って魅力が溢れる、嗚呼これが縛りというヤツか、なんてほざくこの作者氏特有の毒が無かったことにも安心しつつ。
雪待月二十九日
やはり余り寒くない気がする。
雪待月二十八日

雪待月二十七日
へたれ負け犬。それが我が名よ。
雪待月二十二〜六日
色々あったように思うが、日付を分けると大して思い出せない。まあ、そんな日々。

・第五号届きました。これから読みます。

・酒屋で勧められた黒麦酒『LION STOUT』を飲む。ただ、スタウトってのは強い黒麦酒なんかを差す用語なので、正式名称は『LION』かもしれぬが、さておき。
そっちの世界では有名なマイケル・ジャクソン氏(歌って踊る御仁ではなく、ビア・ハンターとまで呼ばれる麦酒好きの評論家らしい)も褒める一品で、店主曰く、『――ここだけの話、舐めてました』とのこと。
昔――酒を嗜み始めた頃に何も知らずに珈琲リキュールを一瓶買って、ロックで『……甘い、きつい』と飲み干したことがある。さて、そのぐらいの衝撃が、と期待して封を開け――結論。丁寧な味わいの普通の黒麦酒でした。
長浜で飲んだ黒地麦酒の鮮烈さや、氷点下の某所でストーブの利いたスタンディングバーに黒外套で乗り込み、独りカマンベールチーズを肴に呷った普通の黒の方が、美化された記憶か余程旨かった。
まあ、日本の酒はそれなりに出来が良いのばかりだし、と失望した訳でもないので適当にまとめてみる。
・で、同じ場所で香川は小豆島、森國酒造の特別純米酒『磯松』無濾過生詰とやらが安かったので 入手、開封してみた。ここも最近蔵が復活したばかりだとか――このところ、やけにそういう話を聞く――味はやや荒く、ドブロクの風味を思い出す。値段も値段だったし、まあそこそこ妥当かと判じてみる。
・判じてみたが、やはり却下。理由は翌日に竹生島の『雪花』を本年も味わったため。
純米吟醸生原酒。酒の種類も値段もこちらの方がやや上かも知れないが、そんなことは関係ない。嗚呼、この味わい! 旨み!! これぞ日本酒。
正直、素晴らしい日本酒の心当たりなら幾つかあるが、『では、その中で一番好きな酒は?』とくれば私にはこの『雪花』だ。同じ竹生島の『花嵐』や北島酒造の名札酒(あだ名)も捨てがたいが、出会って数年。米の出来も仕込み結果も毎年違うだろうに、未だ裏切られた覚えが無い。
日本酒は眉を寄せて妥協するものではなく、馬鹿みたいに顔を開いて幸せに味わうものだと思い出した某日某夜。

・そろそろ風邪の季節。自己管理に一層の注意を。

・図書館や郵便局。久し振りだったので、番号札を取るのも忘れていた。某作家氏の作品を求める。


まあ、以上適当に。思い出した有象無象などを。了。
雪待月二十一日
しばらく前より、米原手前の八号線から琵琶湖側を見ると、変に高い建物が建設中で、目に付いた。こんな所に何を作っているのやらと首を傾げていたが、どうやら高層ビル用のエレベーターを開発する実験施設であったらしい。
成程、それは確かに高さが要る。


『空ノ鐘の響く惑星で』読了。
五巻辺りで放り出していたが、シリーズが完結したと、またかなり高い評判も同時に耳にし、 続きを手にとってみた。結果、今回もすぐさま書店巡りと相成る。
どうやら自分は話が面白く成り出すとこらで本を伏せていたらしく、物語は一気に動き広がっていた。表紙絵の人間が一人ずつずれていくのにも今頃になって気付くさま。
読み終えたばかりの今は、あれが良いこれが悪いと無粋を語りたくないし、『とても満足した』と感謝を胸に雑文を終わりたい。

後日談などの読み切り短編集が出ることを、かぼちゃの王様に祈りつつ。
雪待月二十日
ボール一杯のブルーベリーが残っている。奥歯で噛み潰せば、良く染み込んだ酒の香がプンと立つ。
……どう処理しよう?
雪待月十九日
雑事三点。

夏に仕込んでおいたブルーベリー酒を瓶詰めする。酒の色は濃縮した赤ワインのような――どころか、もはや黒。如何にも目に効きそうである。
味わいはまだ荒く、寝かせる必要を感じる。ただ、甘みを抑えたせいか飲みやすく、喉奥へ落とした後、ふっと鼻先をくすぐる夏の小さな果実の香りが、気持ち良い。

唐突に味玉を作ってみたくなる。沸騰した湯に放り込んで氷水に引き上げるのが半熟黄身卵のコツだと聞き、挑戦。四分半で引き上げてみる
[みちあきはスキル『半熟卵』を極めた。]
とろりと流れ出す半熟卵の山。とても漬けられるような代物ではなし。
殻を剥いているうちに色々嫌になったが、剥き終える頃には理不尽な怒りが全身を満たし、再度挑戦。今度は五分でゆで卵を量産。醤油に酒、味醂の基本味と、創味のつゆを倍量にした和風味の二種をビニール袋に入れ、冷蔵庫へ。三日ぐらい寝かす予定である。

体重計の針がやや動く。痩せたかと思うも、そういえば昨日髪を減らしたと思い至る。
……ひょっとしたら残りの体重増加も、髪で半分ぐらいは説明できるかもしれぬ。
雪待月十八日
出る。
彦根の銀座は恵比寿講だったらしく、屋台の列に歩行者天国。夜ということで大分閑散としていたが、元気に子供達が走り回り、『婆ちゃん電話貸してー』『僕トイレー』と、近所の商店に駆け込んでいく様は、見ていていいものだった。

新酒の時期。どうも昨年辺りから『中取り』『無濾過』『雫何たら』という表記が目に付く。
どういう経緯での流行かは知らぬが、まあ良いことだと思う。
日本酒はあれで繊細、年や蔵によって種々様々な生ものだ。それを積極的に消費者にアピールして客を掴み、自覚を持って瓶詰めすることで製作者の方にも張り合いが出よう。
日本酒が売れぬと聞く反面、閉めていた蔵を復活させようという動きや、海の向こうで評判になったという話も、この頃耳にする。
良いことだ。良いことだ。だから、私がつい新酒の四号瓶を買い漁ってしまったのも――仕方なき季節の風物詩と言えよう。
愛、の一言で大概は許されるのである。

他、試験ライトアップ中の彦根城を車中より見る。期待していなかったが、思ったより素晴らしいものであった。光の白と陰の黒は、和風建築や樹々に良く映える。

そんなこんなと、ややうろうろした一日。
雪待月十七日
『シュレディンガーの猫』について。
私自身、理解不足の結晶のような男ではあるが、そんな人間なりにふと思うことがあり、これについてとりとめなく呟いてみる。
そもそもあれは思考実験や比喩表現の一種であり、実際に猫と毒薬を箱詰めして、蓋を開け、『うわ死んで……(覗き込んだ際に充満していた毒ガスを吸引。不幸な猫の吐瀉物に顔を埋め、間抜けな格好で実験者死亡)』ということをやってみても、自業自得扱いの新聞の片隅記事や科学否定の宗教家が倫理欠如の具体例として説法で引き合いに出すようなネタを提供するだけであって、悪趣味な一発芸以上の意味は無い。
まあ大体、前提条件に異議を申し立てる以下の論は、比喩表現で示されたものを根拠に本体口撃するような、本末転倒、或いは単に愚行であろう。
しかし、あえて的外れな思考を広げることにより、別角度からの考察を本体に帰すことも時にはまた有意義となることもある。
で、だ。
箱の中の猫は『死んでいるかないかに決まってる』『開けるときに決まる』『半々の存在さ』など、色々な説や論があったかと思うが、しかしあえて言おう。『バニラアイス(代理)である場合』が何故そこに含まれていないのか、と。
『生きているか死んでいるか、それが前提条件だ』『猫がバニラアイス(仮)になるか』『観測されず未確定の内に含まれるのでは』と、自分でも思わなくは無い。それでも、あえてバニラアイス(仮)の存在を此処に主張したい。
要は、見えない解らない、そういう状態を論じるのに、人間の既知の範囲だけでいいだろうかという問題提起だ。
人間は多くのことを知っている。状況、条件を絞ればそれは更に確定する。しかし、逆に言えば条件を絞った一部を体験的に把握しているだけであって、宇宙レベルの真理、例外として起こりうる可能性の全てを知りえているわけではないのである。
ならば、猫が箱の中で生死以外――バニラアイス(仮)や猫又(仮)や乾燥チップ(仮)や異次元波動(仮)に変化している可能性だってありうるのである。生死の状態の変化で、と言ってもいいし、猫という存在自体が、と言ってもいい。その変化条件が『人の視線に晒されない(観測されない)』『密閉した容器で生命の危機に瀕する』ならば、バニラ以下略の発生する確率もうなぎのぼりに上がっていくと言えるのではなかろうか。
ありえん、と言われるのならこう言い替えよう。箱の中に水の入った皿が置かれる。一定時間後、その皿の水は消えているか残っているか、蒸発して気体になっているか水という液体のままか。――しかし、その実験をしていた存在は知らなかった。水は、時と場合によっては氷という固体になることもあるということを!!
絶対に水が凍らぬ環境でなら、前者の実験で十分だ。だが、水も凍るこの一般環境に、この実験結果を当て嵌めるのは、さてどうだろう。

つまるところ言いたいのは、科学法則を求める時にはシンプルな実験とシンプルな結果が一番ではあるが、同時にそれでは例外という想定し切れていない側面に無防備や穴を晒すことも多々ある。
『シュレディンガーの猫』にしても、『生と死』を『水蒸気と水』と比したよう、氷という人が知覚出来ていなかったり未だ知らないだけで、外して考察するわけにはいかない大切な第三の存在なり状態なりを切り捨ててしまっているのではなかろうかという、屁理屈的ないちゃもんをつけてみたかっただけである。
幾ら考えても良い答えが出ないのなら、それは解答過程か或いは提示された問題自身、時には更にその両者が共に間違っているのではなかろうかという、別角度からの思考の提案――ではないな。白衣を羽織って御高説のまま猫を虐待するぐらいなら、その実験装置の中からそっと猫を連れ出して、代わりに夜食に買ってきたバニラアイスを残して去るがいいぐらいの、人間味の主張程度のものだろう。あえて、私なりの詩情と言ってみてもいい。

以上、読んでも時間の無駄かも知れぬが、書いて私が満足した。終ワル。
雪待月十六日
野菜スープと千切りキャベツの効力が早速体重計に反映される。
ただ、人間のほとんどは水である。この落ち方は痩せたのではなく、酒で腫れていた内臓が 落ち着いただけではなかろうか、そんなことを取り留めなく思ってしまう。

しかし体温が上がらないのは許容範囲だが、集中力と思考力がなくなるのは困る。
よって、二日坊主といい加減減量をここに宣言。
もう少し強靭な意志を発揮できないこともないが、その目標が『ここで我慢を捨てて貪る麦酒と唐揚げ鶏皮付きとラーメンの旨さよ』であるからして、余りよろしくはない。

どうにも、耐え切れぬ不都合でもなくば己すら律せぬ我が弱さよ。――うん、昔からだ。
雪待月十五日
最大積載時総量百二キロ。数字にして0.12t。
雪待月十四日

雪待月十三日
五個荘で酒造りを再開した蔵があるとか。今回は他の酒蔵の一角を借り、一樽だけ仕込んだと聞く。
丁度時期ものの新酒、純米生酒の四合瓶が千円とお手頃であったため、勧められるまま購入してみる。
名は中澤酒造の『一博』。香りは良い。味は荒め。寝かせたり、片口碗にでも広げて空気と撹拌すれば良くなるかもしれないが、瓶口から杯へでは少し気になった。
最も、二三合も空ければどうでもよくなってきたが。結構、利く。

そろそろ新酒の時期。めっきり弱くなって一升瓶より四合瓶、あるいは良い蔵のカップ酒が手頃に思えるようになってきた。これからは冷の生酒を瓶からではなく、熱燗のトックリを炬燵の上に並べるようになるのやも知れぬ。
『うらら花』の燗酒の良さを思い出す。
雪待月十二日
冷え込み厳しくストーブを出す。
何時の間にか室内に本の群れ。掃除でもしたか、弟が部屋に溜め込んでいた本の返却に来たらしい。
読み直したかった某書が戻ってきたのは実に嬉しい。とある非常にレアな本が今回も見当たらない。あれは一体何処に消えてしまったことやら。自分の手で書棚に戻しているうち、似たような背表紙の本を見つける。……ああ、そういやこれもそうだった。最近同本買いが増えているようで自分の頭が心配だ。

『アンリミテッド・ウィングス』読了。最高であった。
実在する飛行機レースを舞台にした漫画。レシプロ機(ガソリンエンジンのプロペラ機か)を駆って、地上十五メートルの低さを時速八百キロの領域で削り合うエアレース。この舞台だけでも趣味的だが、他、これでもかと作者好みの拘りの世界が両手で握り込まれている。
魅力的な少女達、可愛いデフォルメ絵や味のあるスタッフの設定、世界に名だたる下町中小工場の職人芸、第二次大戦経験者の根性を教育してくれる老人や、やたら渋いオヤジの群れ、群れ、群れ。 ……この世界には凄い爺さんと渋い中年と可愛い少女しか存在しなかったっけと錯覚してしまうような、非一般的な人物構成。

実に良い。

圧縮してあるだけあって中身は熱い物語。かなり噂は耳にしていたが惹かれるもの無く手を出しはしなかった。先日、たまたま古本屋で二巻をぱらりと開き、そのまま閉じて購入のため書店巡りを開始。中身の薄い漫画を凝った表紙で売ろうとするのが多い昨今、珍しく全く逆の本に巡り合った。 (読み終えてからなら味わいもあるが、初見の人間にはぶっちゃけ良く解らぬ)

ぐだぐだ書いたが、要はとても良い本と作家に出会った。嬉しさの余り言葉がだだ漏れして止まらぬ、と言うだけのこと。

なお、作者氏のサイトで取材写真に3DCGを使ったそう違和感の無い観戦記などが掲載されており、必見。本日以上。
雪待月十一日
本などの買い出し。幾冊も興味深い新刊が出ており、片っ端から見て回る。
他、近場で再び仕込みを始めたという蔵の新酒も香りだけ確かめてみる。悪くなく、値段からすればお得かもしれない。
日暮れと共に寒さも増し、震えながら落ち葉の敷かれた道を帰る。ようやく秋の深まりに気付いた。

案の定、某書は二冊目だったと情けないオチ。本日は以上。
雪待月十日
一キロ痩せるのは簡単だ。二キロ落とすのはちと難しい。なのに五キロぐらいは勝手に育つ。
痩せる前の一時的筋肉増量さと、軽い筋トレしかしていない身で嘯いてみる。あと九十九回ぐらい呟けば真になろうか。
雪待月九日
天気良く布団干し。洗って干した薄手の毛布がぺらぺらになってきたなとか、紅茶か珈琲か酒の染みがまた増えたんじゃなかろうかとか、まあ平和。
夜、古本屋や書店を訪れ、ちょっとした掘り出し物や新刊を入手。しかし相変わらず小説新刊は店頭に無い。
帰宅後、残り物のシナモンの利いたミスタードーナツをレピシエのアッサムで食し小腹を満たす。 それなりに幸せ。本日以上。
雪待月八日

雪待月七日
一息に冷え込む。
雪待月六日
単語の読み間違えなんて、誰にでもある話だ。大体、言葉の認識は前後の文章の流れから 自然なものを選択する『連想』的な側面もある。
で、

正:『森の中を一人の少女が歩いている。(一行ほど中略)――厭はなかった。』
誤:『森の中を一人の少女が歩いている。(一行ほど中略)――厠はなかった。』

原因不明。ただし、己の間違いに気付いた瞬間、唐突に自分の存在が嫌になった。これが通り悪魔、魔が差すというやつか。
朝に霧が漂う、あんまり寒くない冬前の日。
雪待月四、五日
何時の間にか終わっていた。
雪待月三日
知らぬ間に体重が増えていた。
雪待月一日

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