日々、在りしことども



雪見月三十一日
年越し蕎麦を食し終え、除夜の鐘を聞きつつこの文を書く。
この一年、色々騒々しかったように思う。
いや、結婚したり職を辞したりした御仁達や、五年ほど昔の自分と比べればそのようなことはないのであろうが、それでも感覚的に――静かだが時折何かしらかがあった年であった。
洞窟、友人の結婚式、鉱物、作務衣、市町村合併に関する諸々のロクデナシ……おお、上げていくとそう大したことにも思えぬか。

物語には本年、恵まれた。本年も、でも良いが、やはり今年は豊作であったと満ち足りている。
新分野として四コマ漫画に手を伸ばしてみたこともあるだろうが、今まで気付かなかった良き作者氏やシリーズとの出会い、定番作家氏の相変わらずに満足がゆく新作、そして多くの素晴らしき長編物が大団円のまま見事にカーテンを降ろし完結して見せた年であった。
新たに出会えた素晴らしき作品としては『逆襲の魔王』『鋼殻のレギウス』『シフト U』『化物語』『オオカミさんと七人の仲間たち』『と、いうはなし』『機神飛翔デモンベイン』など、他には辻灯子氏の諸作品もあるが、何より忘れられないのは『アンリミテッド・ウィングス』。
長編シリーズ物としては『コーセルテルの竜術士』『ARIA』『二十面相の娘』『Landreaall』『王様の仕立て屋』。どれも一気読みという贅沢を味わえた上、今現在もなお連載中という、幸せ極まりない状況だ。
そしてついに完結してしまった、無様に切れるのではなく最後まで踊りきって見せた名作品たち。『ひぐらしのなく頃に』『ランブルフィッシュ』『ヨコハマ買出し紀行』『からくりサーカス』それから『空ノ鐘の響く惑星で』。 ……ああ、幸せのあまり頭がおかしくなってしまいそうだ。

年々、本を読まなくなっている。新規開拓も減った。軽いものへと流れている。それでもこれだけの名著に溺れていられる、ああ何と幸福な時代に自分は息をしているのだろう。



このまま幸せだと呟き続けて終わっても良いが、あえて普段通りの雑記として一つ付け加えておく。
昨日、フセイン氏が処刑された。彼は死刑になって然るべき人物だとは思うが、ではあの裁判が正しかったかといえば、全くそうは思えない。
良くも悪くもルールに固執しすぎる日本人気質によるものかもしれないが、暴をもって暴の首をすげ替えただけに感じる。
頑丈な焼き煉瓦の端々が、何時の間にか風化し崩れている。杞憂と楽天の狭間で、どれだけ自分は現実を理解できているのだろう。

――もっとも、本当に大切なのは今も昔も変わらず、論ではなくとりあえず色々動いてみることであろうが。


少々辛気臭くなった。
以上雑乱文、無酒精。
皆様、本年も色々お世話になりました。お目汚しも多かったかと思います。
来年は、更に面倒をかけ、醜態をさらし、好き勝手適当にやるつもりです。
遠慮することはありません。皆様も罵声を浴びせるなり、見限るなり、好きにされるなり、どうぞ御自由に。

願わくば皆々様の新年が、更に豊穣な一年(ひととせ)となりますよう。

二千と六の年 大晦日 みちあきりゅうじん拝
雪見月三十日
先だってのスパムだが、正確には次のような文面となる。

『祖父の部屋にいるこの生き物って何だか分かりますか?』
祖父はワンちゃんを拾ってきたんだよと
言ってるのですが、どう見ても犬じゃないですよね?
これ、日本にいて大丈夫な生き物でしょうか?
http://(以下略)
写真をアップしておきましたので、
この生き物が何なのか
教えていただけないでしょうか?
犬はこんなに簡単に後ろ足のみで立ち上がったりしませんよね?


どうやら生まれたての屑肉らしく、到着当日のネット検索では何もひかからなかったが、本日夕にはネタにしているサイトが幾つも発見できた。やはり皆、気になるようで、中には実際に覗いてみた強ものの報告もあった。
それによると誘導先のサイトには『○月×日新たに三枚の写真を上げました』というような文章が何列か続き、閲覧希望者はここにメールアドレスを入れてクリック、という仕組みになっていたそうだ。
凝ってはいたが、やはり屑。しかしこの先にメールアドレスを入れてもいいから見てみたいという声もあった。実に共感を覚える。

夢を喰って生きてもいいじゃぁねえか。謎の生物や妖怪ってのは俺達を育ててくれた浪漫なんだよ、と主張して本日終わる。
雪見月二十九日
夜明け前より雪。本年初雪。
一息に冷え込み、景色は白く変じる。
良かった。
誰が悪いというわけではないが、ここまま雪が降らずに大晦日を越えようものなら崇徳上皇を見習って『我、日本国の大魔縁となり』ぐらいの呪詛は吐いていたと思う。
いや、本当に良かった。理不尽に日本や人々を呪うことがなくて。

一年の締め括りとしては上等じゃないかと喜び溢れた日。
雪見月二十八日
ずんだ餅だが、家人に不評だったはずなのに、何故か別メーカーの新しいものが冷蔵庫に入っていた。
さらに本日読んだ某書の後書きで、やたら絶賛されているのに出くわす。
……流行、来てるのか? ずんだ餅の?


迷惑メールだが、基本的に一目見て読む必要が無いほど、その文面は頭が悪い。
エロで釣るにしても『誰もひっかからんだろう』『……送りつけることに意味があるのか?』という感想が湧くぐらい、よろしくはない。一度だけウッと反応しかけたネタもあるが、ここまでくると実は自分の性的嗜好が社会一般の成人男子としてあまりにマイナーかつ異常で、だから馬鹿に思えるだけなのではと不安になってくる。

医者(センセイ)、おかしいのは世界や皆じゃなくて俺の方なんでしょうか?


さて、そんな昨今だが新たなメールが届いた。以下、大意。
『お爺ちゃんが変なものを拾ってきたんですけど……』
散歩にいったお爺ちゃんが変な生き物を拾ってきちゃいました。可愛いわんわんだろって言うんですけど……どう見ても犬じゃないんです。
動画を次のところにあげておきました。お願いです、是非、見て下さい。

……大丈夫、例えスパムでもサイトを見るぐらいじゃ、多分、きっと……
勝手に震えるマウスを握った右手と好奇心に、はたしてこのはかない理性は最後まで抗えるのか? クトゥルーや怪談に出てくる興味本位で破滅を選ぶ愚かな人間を私は全く笑えない。

だって気になるじゃないか、不思議な生き物だぞ!?

――来年までもつだろうか? 馬鹿なサイトに引っかかるのが先か、はたまた神隠しにあったり、ある日突然鉄格子病院行き――
騙されたっていいじゃないか。それが男の浪漫ってやつさ。そんな幻聴を感じる某月某夜。
雪見月二十七日
雨。夜、書店を巡り薬局にてブルーベリー錠剤、スーパーにて卵や料理酒を入手。
ついでにブックオフで本を数冊売ろうとするが『一冊八十円です』『ああ、このお話はなかったことで』
それぐらいなら別に書棚の肥やしでいいやと撤回。冬になっても炬燵も出せない 部屋の狭さはもう慣れた。

ぐだりぐだりと本日以上。
雪見月二十六日
冬至も過ぎて、雨、雨、雨。
イスラエルやイタリアといった国土の小さなところは猛暑に人工降雨をやったはず。
――日本、何さぼってやがる。

正月などいらない、雪を寄越せ。
雪見月二十四日
メリー・クリスマス!!

シャンパンは開いたか?
神様にお祈りは?
部屋の中でぶるぶる震えてシングルベルを祝う心の準備はオーケィ?


無論、ネタです。何も含むところはありません。正直、サンタクロースよりも ルシア(ルチア)が、そしてクランプスが大好きなみちあきです。 皆様、メリー・クリスマス。

クランプス:西洋ナマハゲ。ただし仮装に実際の毛皮や角を使っているせいか、その悪魔姿のリアリティは洒落にならず、大人だってトラウマ確実。どこのホラー映画特殊メイクのフェスティバルだという具合。――実に格好良い垂涎もの。

本日も変わらず。クリスマスカードがメールで届いたので、何人かに自分も贈る。
本年、未だ雪は降らず。いと悲し。


以下独り言。
……自分の肥満が罪になる日がくるとは思っても見なかった。
せめて十キロ、削っておくべきだったのだ。
今更何を呟こうと無意味。
感じる恥には数字で答えよ。
実に不様。最低のクリスマスイブとして記憶に刻もう。

雪見月二十二日
大好きなクリスマスについて、ふと疑問を抱く。

日本にアンチクリスマスソングの文化は微塵も根付いてないが、しかしどうにも納得できない。『シングルベル』や『馬鹿ップルをぶち殺せ!』なんてジョークソングは、この先何十年でも毎年売れる定番ヒット曲になろうに、何故誰も出していないのだろう?

そんなことを考えていたせいか、キーボードに上物のアールグレイをぶち撒けた。 これが天罰ッ!!
雪見月二十日
眼鏡の蔓がもげる。緩んでいた螺子が落ちて分解した、という表現の方が正確かも知れないが、まあ感覚的にはいきなりもげた。
十年近く昔に捨てることが決定していた品だ。惜しくは無いが新調するのが面倒。
――というかどうせなら片眼鏡が。
雪見月十八、九日
何もせず、ただ漫然と本を読む。
雪見月十七日
鍋の材料はあったが白菜がなかったと思い出し、店へ。半切りが安く売られていたが 、味噌汁の具にも使えばすぐなくなるだろうと、丸々一個をあえて購入。
帰宅後数刻。
――常日頃お世話になっている農家の方より、数箱分の野菜を頂く。葱とかほうれん草とかブロッコリーとか大根とか段ボール箱一杯の白菜とか。嗚呼、旬の食材は美味しいねと野菜を噛み締める夜。隠し味は自分の間抜けな不幸。

近場の酒蔵脇で金土曜だけ大学生がやっている店があると聞き、場所だけでもと 酒屋で問う。
何故か自転車まで出して複数の人間が案内してくれた。……取材や視察と間違えられていなかったか、非常に心配だ。


SFバーについて。
かなり薄暗い店内。バーテンダーは無口なサイボーグで、ウエイトレスの女の子はとても元気がよくて明るいが、人間ではないアンドロイド。客は耳や尻尾を生体移植で生やしていたり、未塗装の金属義体や人工の視覚拡張装置をつけている。
カクテルは炭酸の泡を立ち昇らせ、蛍光色の光をぼんやり放ちなぞもする。
カウンターで陰のある男がむっつりと頼むのは名も忘れられたような琥珀色の酒。
そういう店だ。そういう店に違いない。
間違っても、スクリーンにはB級映画、壁にはSF小説の数々、捻った名前のメニューにフィギュアやグッツが展示してある一部嗜好者達の巣穴ではないはずだ。そういうのも結構楽しいだろうけど、でも違う方に煎餅一枚。

以上、思いつくまま雑事数種。
雪見月十六日

雪見月十五日
火の色は赤、橙より高温へと移って白、青へと変化すると覚えていた。
が、昨今酸素不足で低温燃焼する『青い火』の話を耳に挟む。
ぐるりとまわって一周という訳でもあるまい。さて?

食生活を変えてみている。酒をやらず御飯を減らし、野菜重視で健康志向というものだが、冷蔵庫の食材が余って余ってしょうがない。
……これまで、そんなに貪っていたんだろうか?
雪見月十四日
ちと考え事をしたかったので、深く考えず家を出て歩く。ひたすら前へ前へ気がつけば旧隣町の図書館。
おお、ちょうど此処に紙と鉛筆がと、そのまま入って催事案内のチラシをかっぱらってその裏に殴り書き。
多分にえらく危ない人間に見えたことだろうと、我がことながら思う。
人目など気にしなかったが、帰宅して落ち着いた今頃になってじわじわ痛んできた。筋肉痛になった腕が。
ずうずうしくなっていた自分と、キーボードに頼り過ぎて執筆筋肉がかなり衰えていた妄想の右、そんな自己発見が二つあった日。

追記:本日も流星は見えようはずも無く。オウ。
雪見月十三日
『ずんだ餅』を食す。
宮城が誇る局地食品。枝豆を荒くすり潰して餡にしてあるらしく、明るい緑色をした餅だ。
時折、マイナーな謎食品として愛を持って語られているのを目にしていたが、この度、叔父上の厚意を持って食す機会を得る。
確かに緑。茹で上げた枝豆のこうばしい香りが鼻をつくが、それも口に含めば枝豆の美味しさへと変わる。案外、枝豆の風味は強く残っており、上品な甘さがそれに合っていた。
塩と逆方向の味付けでも枝豆は活かせるんだなと感心しつつ、旨い名物を食せた日。
追記:なお、家族一同にはやけに不評。何故だ?

昔から意味が解らず疑問だった言葉を、ふとネットで検索してみる。
鉄管ビール:水道水のこと。
メートルがあがる:酔ってガアッと勢いづくこと。この場合のメートルは、計器の目盛りの意。
十年の疑問が一分で氷解。訳の解らぬ物も使われぬ言葉も増えたが、それでも便利な時代になったものだ。

以上雑事、雨で本日の流星群は見れず。了。
雪見月十二日
ぐだぐだと。

このところ日常生活で余り酒をやらず、代わりと謂わんばかりに風呂に入っている。
起きて風呂、気分転換に風呂、汗を流すのに風呂、寒いからと風呂。
湯に浸かるという感じだが、本は持ち込まず、入ってふやけて温まって出る。
まあ、人間そういうスイッチもあらぁ。

小雨が降り続けているとても暖かい年末の日。
雪見月十一日
筋肉痛。
雪見月十日
某氏より『飲みに行かんか、あと本を貸せ』と連絡を貰う。車は使えぬので古く正しい人力移動。
故に、目に付いた近場の良さげな店でということになり、――気つけばそこは彦根城。奴のペースメーカーっぷりに騙された。

お堀に面した翠の名の付く地鶏料理専門店に入る。思ったより気取りは無く――てーか酔っ払いが元気元気。男女平等、何ソレ? 女が一番偉いンやー! といわんばかりの大騒ぎを背に、野郎二人靴を脱いで上がった室内のカウンターにてぼそぼそやる。酒はそれなりに良く、料理も量こそ少ないものの味は悪くない。首肉の唐揚げや、ハツ(心臓)・肝の刺身を胡麻油や醤油で頂きなどする。後者など、生肉も内臓も普段食さぬ自分が問題なく味わえた。

ほろ酔い程度で店を去り、帰宅。ここニ三日はやや膨らんだ半月程度なのにやたら明るく、満月の 夜を連想する。それだけ空気が澄んでいるのだろうと現実逃避をしながら、筋肉の限界を迎え動かぬ上に凍死しかかっている身で何とか家の戸を潜る。足、がくがくである。

年末ならばこそこういう珍しき日もあろうかと、一見綺麗に纏めてみる。本日、以上。

追記:纏まらぬ部分
自分の外見だがえらい言われようである。ぱっと見で反射的に逃げようと思ったとか、山奥に籠もって人に数ヶ月は会わず陶芸をしなきゃならんとか、色々。失敬な、髭ぐらい普通だろうと思いつつ、確かに最近そこいらの店員の態度など思い当たることも多々あり、今日もやけに丁寧に『――そりゃただのデブと不気味なおっさん、どちらにより警戒がいくかは自明の――』うるさい黙れ。フフ……そうか、警戒。警戒ね……
友の言葉に硝子の上の曇り程度に傷付いた日。
雪見月九日
朝より雨。資源ごみ。良い運動。

雑事。
今頃らしいが、『ご当地キティ』なる言葉を知る。聞いたときには成程、販売戦略の一種か。見事と頷いた。
先日、滋賀のそれを何種か、画像だけ目にすることがあった。
正直、日本伝統の根付文化といわれても実感がない。携帯ストラップは、じゃらじゃらして汚いというのが、持たぬ者の感想だ。
が、これは実に素晴らしい。
信楽狸、琵琶湖鮎(鮎に見えぬという救い難き欠点一つ有り)、鳥人間に琵琶湖大鯰。キティちゃんという要素と地元名物、それを可愛らしくも芸術性高く纏めている。作りの細かさといい、時折耳にする日本人形玩具の常識の無き作り込みというものを肌で感じた。
写真で見ただけだが。
これならば、全種とは言わないが確かに欲しいし、コレクションのし甲斐もあるだろう。
自分の中で鉱物や化石に続いて何やら食指が動き始めている。
雪見月八日
平和だ。

某ラーメン店で地元醤油使用が売りの醤油ラーメンを食す。美味しくはあるが、いまいち。自分には塩の方が口に合う。
ただ旨いだけでは良しとされないのが名店というもの。うむ、偉げ。
雪見月七日
日頃、多くの迷惑メールが届く。中には凝ったものもあるが、大体表題からして最低限の礼儀もなく、当然のものとしてゴミ箱へゆく。しかしてつい先頃、この季節に『夏だから』という表題のものが届いた。

……迷惑メール背後の人間の実在を疑った日。
雪見月六日
『という、はなし』読了。
読書をしている小さな絵に、小さな物語がついている。それがとてもいい。
夜空の白い星を小さいからと笑う者は誰もおらず、ではそれほどに崇高かと言えば、でもない。
星印の缶詰ドロップ。彩とりどりで甘く、子供にとっても、大人になっても、老人にだって一つ一つが顔綻ばせる宝物だ。
そんな風な、とても素晴らしい本を読む幸せを得られた。。

――モナリザの感動を同じ絵筆とキャンパスで表現しろと言われても、そりゃ無理な話だなと、己が駄文を前にドロップを一つ、ポンと口中に放り入れながら。
雪見月五日
本年は年賀状を出せないので、その連絡用の切手を買い求めて郵便局へ。ふと中山道で顔を上げるとその正面突き当たりに、真っ白に雪化粧した伊吹山の姿。
今まで気付いてなかったが、見事なまでの位置関係。つまりは、そういうことなのだろうか?
現在のように家が建ち、道路が敷かれる前。中山道と呼ばれるものがなく、人々は野原の中を、ただ山を目印に真っ直ぐ歩き続けてその跡を残した。それが時間と共に僅かずつ積み重なって、当然のものとして意識されることの無いものに至ったと。

漠然と、そんなことを思った日。遅れ馳せながら、お誕生日おめでとうございます。
雪見月一日
通販をお願いしておいた某作家氏の同人本が届く。が、約四百頁の雑誌が如き分厚さだとは 気付いていなかったため、喜びよりも驚きが先にたち、未だ少し呆然としている。
……この作家氏の本は結構持っているが、これを超える横幅の商業誌は一冊も無かったと断言できる。商業の方もこの前全集とか出してたし――どれだけ描いてるんだ、この人。


先日図書館で借りてきた『という、はなし』を読み始めた。まだ半分ほどだが、もう感動でぼろぼろだ。
普段読んでいる本のことごとくが、無意味な大量の活字の勢いで読者を誤魔化すだけの代物に思えてくる。
何だ、これは。
何なんだ、これは。
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