日々、在りしことども



端月三十一日
稀に、車の運転でやること。
横断歩道の手前で一時停止。そのまま存在しない信号が青に変わるのを待ち続ける。
――目の前を横切っていく大学生が、そりゃ不思議そうに首を傾げて辺りを見回す訳だ。
有り難う、見知らぬ彼。君のお陰で私は貴重な時間を数分無駄にするだけで済んだ。

新刊、入手出来ず。小説の場合、店頭には発売日の二日前に並ぶのか一日前に並ぶのか当日に並ぶのか、ばらばらで ちと困る。
端月三十日
髭を短く刈った。顔が――否、頬が軽い。

このところ駄目な生活を続けている。気がつけば、今日など季節はすっかり春半ば。
誰かが脳内で『私がかくべき今年の雪は何処っ』と叫んでいる。
彼は正しい。

生活環境改善ではなく、もっと大きな単位での緑化について考えを巡らしてみた日。
端月二十六日
風呂の日だとか。

昨晩は良く呑んだ。賞味期限切れと思しき赤ワインの箱二リットルを五百円で入手できたせい。
丁度一年前、同じ店で同じように箱ワインを一つ百円で入手したことを思い出すと、損をしたような気には ――うむ、ならん。

いまいち不味い赤ワインに口をすぼめつつ、アル中の業の深さを感じた日。
端月
そう言えばここ半月程で忘れていたこと。
ほぼ十年ぶりぐらいにこんがりトーストした食パンを喰う。ちょっとした感動体験。
基本的に自分は米と麺の人であり、パンならばビーフシチューに合わせたフランスパン、サンドイッチを作ることや惣菜パンを口にすることはあっても、食パンとは縁の無い人間である。――例え家族が毎朝食パンという習慣を持っていても。
故に、自分でも呆ける話だが食パンを年単位で口にした記憶が無い。(サンドイッチに調理したものを除く)。焼いていないものを何時か食べたことがあるかもしれないが、それでも数年単位。こんがりぱりぱり表面を焼いた、と形容がつくとそれこそ十年単位になる。
で、先日。御飯がなくふと目に付いたパンを焼いてみた。祖父に習ってバター(あの人はマーガリンだったか?)をたっぷり、ハムを乗せて、片手に牛乳。

――別に米至上主義麺信仰は変わらぬが、こういう御馳走もあるのだな、と。

外人の食べる本場の寿司のように、某日本人が十年に一度食べるトーストした食パンについて熱く語りつつ。

追記:トースト、というと某映画予告を思い出す。フリッパーだったか、イルカと少年の感動物語のリメイク版。家族を失ったと思しき少年が、不安混じりに叔父さんを訪ねていく。と、その眼前で叔父は、壁に食パンを二枚、五寸釘で打ちつけ、溶接バーナーを一吹き。
焦げ目を確かめ、ゴーグルを外す中年に向かって少年は一言。
『本当に僕の叔父さん?』

追記弐:そういえば昔、人に連れて行ってもらった大阪墓場脇の凄い屋台で、マグロの腹をバーナーで炙って出す料理を食したことがある。ガスの種類さえ留意すれば、立体的かつ高温で瞬間表面調理できるアレも、調理器具の一種として認められようか。
端月二十五日
シンプルなラジオを求めている。FMが聴けて電源はコンセントから、それだけでいい。
なのに世間は無駄な機能を山盛りにして一万ぐらいはお安いもんですよと、喧嘩を売ってくる。
そこらじゅうの機器に頼まれもせずラジオ機能をつけるくせに、ラジオだけではお出しできませんだと? ええい貴様らでは話にならん、儂の前に板前を呼んで来いっ。
と、結構本気で此処何年もやさぐれてきた。――つい数時間前まで。

先程、ネットで知った(株)太知の手回しラジオ『手まわしくん』。
一目見た瞬間、運命を胸で感じた。

こことか ここ にある。
手回しラジオの存在自体は知っていた。同メーカーから携帯の充電も出来る優れものの新型が出ているという。が、関係ない。 この坑道をゆくランタンのようなデザイン、巻けば巻くほど溜まっていく電気、左でも右でも巻けますぜという不敵さ具合――

ああ、私はラジオを探していたんじゃない。君に会いたかったのだ。


とりあえずシルバーは通販が品切れらしいので、電気屋を巡って安いところを探してみようかと思う。
人生の目標が出来た。
こんな安い人生の目標を持っている人間は他におるまいと思いつつ。
端月二十三日
『ひぐらしのなく頃に 礼』終了。
端月二十一かニ日
これぐらいに確か痛飲。普段の倍ほど呑んだ気がする。
あー時間をかけて腹に物入れて麦酒ぐらいだと、やっぱりもっといけるか。

人間、一リットル前後の方が燃費が良い気がする。
端月二十日
書店。

寝る時に伸ばし過ぎた髪を体の下敷きにしてしまい、ひきつれて痛いというのは昔にやった。
髭で似たようなことをやっても、鬱陶しさしか感じない。
剃りたいが、顎先だけは残してみたい気もするし、さて。
端月十九日
時刻表トリックなミステリって海外に存在するのだろうかと、ふと思う。
あれは日本だから成立するし誰もが納得する、地域限定文学ではなかろうか?
外国ではトリック解明の緊迫感どころか、そもそもどこが不可能で不可思議なのか理解してもらえない気がする。

ひょっとしたら十年ぐらい前にどっかで読んだ記事を思い出しただけかもしれないと、そう思う某月某夜。
端月十八日
外出彦根。天気悪、夕。しかし雪ならず。
端月十五だか七日
インスタント焼きそばで最近二倍とか言うのをよく目にする。
何気なくひっくり返してみたが――一食千キロカロリーですか。
豪快な食い物だナァと感嘆する。
端月十四日
聞こえてきたお囃子の笛の音で目を覚ます。本年の獅子舞は天気に恵まれている模様。

『夏セイ祭』読了。夢路行氏の約四百頁の同人誌。(セイの漢字は見付からず)
同時に入手した薄い『ふゆたより』の方が趣味に合って好きなのだが、読み応えはこちらの方が上。質は商業と比して何の遜色も無く、あちらでは無いような薄さ濃さがそれもまた味わいとなっている。
もっと早く手を出しておくべきだったとささやかな後悔。
端月十三日追記
久々の寝酒を呷りへべれけになっているところで、電話を受ける。隣町の、学生が週末にやっている蔵酒場『タルタルーガ』にいかぬかと。
快蔵プロジェクト、というやつらしい。ぽん酒『金亀』の岡村本家敷地内の蔵。場所は、初見の人間には絶対に解らないような所で、入り口も『これ……どう見たって扉じゃ無いだろ』というような巨大な金属張りの壁。それを、えいやっと無理やり引き戸にして動かす。

学生の店、ということで甘く考えていたが雰囲気はとても素晴らしい。蔵の二階という条件に惹かれ、上にて円座を敷き、某氏を待つ。
――待つこと数十分。何時もの遅刻にしても随分と遅いな、と小用を足しに階下へ降りると、カウンターで一人グラスを傾けている男の姿。
「……普通、待ち合わせたら入り口近くの席に陣取らんか?」
御説ごもっとも。

喰って呑んでべらべら喋る。最近の体調もあってか酔いの回るのも早い。
ろくな記憶も残っておらず。
意外と安く片付き、深夜前に辞去。
一人で行って静かに酒を味わうのは向いてないが、近場に良い隠れ家が一つ見付かった。
端月十三日
スイッチが幾つか。

何かスイッチが入ったらしく、ひたすら風呂掃除。風呂桶や釜、床だけでなく壁の溝から蓋に保温シートまで。磨いて擦って洗剤をぶち撒ける。

昼、このところ連日連夜入りかけて止まっていたスイッチをあえて押す。ずっと呑んでなかったが、いつ発作が起こるか解らないのでアル中の常備薬を入手しようか、と。
日本酒は今一良いのが見付からなかった。バーボンも、手頃なものが見当たらない。結局、瓶に惚れ込んでいるフィンランドのウヲッカや賞味期限切れで半額になっていたチルドビール、この前こっそり空けてしまった調理用純米酒などを適当に。
――しかし、やはり気が乗らない。おかしな話だ。呑まないみちあきなどポストに入ることの出来ない葉書も同然だというに。

最後のスイッチだが、たまたま短編を目にした知らない作家のエロ漫画を買いに行く。股間に響くエロさだった訳ではない。絵がどうしようもなく好みだったのでもない。物語の面白さに惹かれたというのとも、ちと違う。それぞれの要素は確かにある。が、やはり理由は形に出来ない。ただ、頭の奥でとても強くて硬いスイッチがガチン、と入ったのだ。
まだ読んでない。多分、この後どうしてこれほど衝動的かつ確信的に自分が動いたのかを考えながら、しかし何も解らず、それなのに納得しつつ読むような予感が、ある。

以上、あんまり考えなかった本日一日。
端月十二日
ここ長らくマウスの調子が悪かった。さては電源か、あるいは基盤かと劣化を疑い安パソコンの本体を恨んだが、いい加減いらつくのにも飽いて、ふと誰もがまずはやるだろう行為――マウスの交換を試してみた。
結果、短絡に断定しては小さな問題を無駄に大きく育て上げる自分の欠点を思い出すこととなった。
そう言えば、夏からディスプレイの具合も今一つ。こちらこそ電源かグラフィクボードか、メモリかCPUはたまた配線が――と結局画面側の接触をいじってみて、冤罪と真犯人の存在を知る。

責任とか権力とか判断とか――持っちゃいけない人間がこの世にはいる。
端月十一日
読書。この年末年始はやたらと本が出たが、どれもこれも面白いので困る。幸せな苦しみ。
本日も呑む前に、沈。三大欲に読書欲、飲酒欲、様々あれどやはり最強は睡眠欲だよなと、変わらぬ暴力にひれ伏しつつ。
端月十日
冷え込むが早朝より布団干し。出掛ける。ついでに雑事を幾つか片付ける。

免許の更新を行ってきた。何時もは南でやっていたので、今回は北で。意外とスムーズに始まって終わる。
今回の写真のために髭を伸ばしていたのだが、ハイネックの黒シャツを着ていったため、顎髭先が判然としなかった。まあ、あんまり大差ないので余り残念とは思わない。
それに、別にそんなことはどうでもいい。――誰だこの不審者。

ボリューム二倍という身も蓋も無いカップ焼き蕎麦を見かけたので、つい購入して帰宅。
気に入っている髭を剃るべきか、苦悩する端月の某日。
端月七日
麦の恵みーっ。

そういえばキリンが創業百周年だとかで大正と明治の麦酒を復刻販売している。
自分としては、やや大正の方が口に合う。缶のデザインは、共に今より遥かに良し。
まああそこは大手とはいえ今も真っ当な美味しい麦酒を作っているから、あえて記念以上に求める必要はなかろうが。コンビニなどに置いてあるチルド麦酒の小瓶が、そういえば旨かった。

サッポロのクラッシックや緑の小瓶のハートランドがふと懐かしくなる。
気付いていなかっただけで、あそこは酒に恵まれた土地であった。

やたらに『あの頃は良かった』と懐古するはヘタレの証と最近ようやく自覚しつつ。
端月六日
考察A、考察B、以上より結論C。

麦酒の味わい方にも色々ある。冷やして飲むのが旨いと思うが、常温の方が味わいが解るという人もあり、そのような文化圏もあればホット麦酒が愛される寒冷地もある。
さくらんぼを漬け込んだ麦酒があり、生卵や香辛料、オレンジジュースを混ぜた暖かい飲み物のレシピがあり、黒と普通の麦酒同士を混ぜたハーフ&ハーフというカクテルがある。
そもそも麦酒には様々な製法・度数・味わい・色・香りのものがあり、それらを同じ温度同じグラスで一律に味わおうという方が乱暴なのであろう。文化や法律、郷土料理に生活スタイル、体質なんてものまで関わってくるともうしっちゃかめっちゃか、論ずるも愚かしい。
本人が周囲と美味しく楽しめればそれが一番正しい飲み方だ、なんて今更の定番文句。

『ハンムラビ法典』がある。全文読んだことは無い。
『目には目を、歯には歯を』で有名だが、それがむしろ過剰報復をさせないためのものだとは、昨今同じくらい有名になりつつあるかと思う。
金で済ませられるなら金で示談しとけ、というような文章もあったようにうろ覚えがある。我々が思う以上に、古代人にも高い理性と知性の律があったのであろう。

で、結論。
考察Aより麦酒に氷を浮かべて飲むのも、まあありかと思う。実際、私も夏場には冷えていなかった時の苦肉の策として稀にする。ただ、薄まってどうしても美味しさは落ちてしまうかと。
考察Bそのような人の高き叡智と論理で記された古の正義の法典曰く、『麦酒を水で薄めて出した奴は溺死の刑だ!』
結論C:――――お慈悲を、上告をっ、弁護を聞いてー!

以上、麦酒の無い夜、禁断症状に苦しむみちあき脳内より。実況。
絶対、明日は飲む。


インスタントラーメンに黙祷を捧げた日。
端月五日
風呂と飲み物があれば人は幸せになれる。
ぐだぐだぐだ。ぐだぐだぐだ。
端月四日
ぐだぐだぐだ。
端月三日
ほのかに筋肉痛。プロテインを忘れていたか。
端月二日
新年会に顔を出す。
ここ数年、欠席を続けていたので不義理を詫びるつもりで髭面のまま参加。
と、
『――あれ、この前死刑になりましたよね?』
……年始早々ブラックな冗句を有り難う。

初詣ということでガチャに乗って多賀大社へ。思ったより人はいなかったが、鳥居から賽銭箱にはそれなりの人の列。少々離れた舞台で舞を奉納する少女巫女達の姿を堪能しつつ、お賽銭。その後、引いた御籤は何故か面白げも無く大吉であった。――真面目に慎ましく生きるのなら、という条件付ではあったが。
甘酒を舐め、他にも初詣に来ていた珍しき古き人にお会いしたり、屋台で出ていたギリシャ料理を食ったり――炭火焼の鶏肉をナンのようなパンで挟み、香草の利いたトマトソースとヨーグルトソースをかけ、その上に大量のフライドポテトを乗せたもの。『がぶっといってください。ポテトのボリュームがあるのは向こうじゃ主食だからです』と言われるが、何度かぶりついても本体の具まで到達できない――まあ、のんびりとしつつ彦根へ。

店の予約までにはまだ時間があり『もう歩くのやだ』『をかべでちゃんぽんでも食ってようぜ』という駄目人間の群れは、しぶしぶ母校見物へ。全く変わってないとか、中庭に大理石とブロックのしゃれたテーブルやベンチが増えていたとか、最近問題になっている彦根城の鴉の大群が暮れの空に飛び交ってホラー映画の如く壮観であったとか、そんなことは正門も通用門も閉まっていた学校へ不法侵入していない私達は知らない。

食事と雑談を堪能し、新年会を終える。二次会として、彦根には黒麦酒の旨い店が二つほどあるらしいが、どちらも都合がつかなかったため、第三のバーへ。久し振りのバーボンを味わい、終電まで腰を落とす。

眼鏡部と昔から言われていたが、野郎のほとんどがヤニを食すようになっていただとか、久々に懐かしい方々の声と雑談を耳にしたせいか寝る直前になっても幻聴めいたものが脳の奥で再生され続けて騒々しいだとか、まあそんなこんな。旨い黒麦酒の店は二件とも冬の間に行っておきたいものである。


なお、最後に『次に会うのは――今度の新年会かぁ』『でしょうね。じゃ、また来年!』『ああ、良いお年を!』と笑顔で別れの挨拶を交わした我々は、そんなに間違っていないんじゃないかなという気もする。
ぼやけた満月に円い笠のかかる、そう寒くない新春二日。
――本日以上。
端月一日
山葵醤油で食す蒲鉾はどうしてあんなに旨いのだろう。
一人、食卓で恍惚としつつ本年始まる。
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