日々、在りしことども



如月二十八日
調子が悪い。貝柱と似た小松菜はやけに苦いし、炒めた玉葱は飴色どころか焦げ臭い。
――風呂と本が足りないか。
如月二十七日
近所に大亀が出るという話は聞いていた。

そう遠くない場所に町営プールがあり、その周囲は散歩やジョギングの定番コースとなっているのだが、そこに体長一メートル近い大亀が出没するらしい。どうやら車で遠方よりきた飼い主の御仁が引き綱をつけ、犬猫のように散歩させているのだとか。
そう、話だけは、聞いていた。
本日午後、小雨がぱらつき始めたそこを車で通りがかる。
大きくて棘々した何かを、肩に俵担ぎで歩いている男性一名。
目に入った物体を理解して、脳内で記憶に結びつけるのに一秒。

――田舎伝説は事実だった!

追:雨が降ってきたから担いで急いだということは、亀は大きくなっても遅い模様。
如月二十六日
麺の買出し。買出しの名に恥じぬよう、安いところを大量に買い込む。
山小屋の裏口に箱詰めで埋めても何の問題も無いぐらい。
部屋の中に置き場が無く、そこでようやく我に返る。コンビニだって近所にあるのに、何故?
如月二十五日
人間、本当に嬉しかったりすると、勝手に体が動くらしい。存在に気がついた数分後には、電話で店に在庫を押さえておいてもらい家を飛び出していた。
日頃、全部こんな風に反射だけで生きられたらさぞ幸せだろうに。
如月二十四日
極度の二日酔いにて死亡。
如月二十三日
鍋猪子供酒。
如月二十二日
今年は本当に花粉が少なくて助かる。たまに症状が出てもすぐに治まるし……虫でもわいたか?
如月二十一日
二十秒ほど言葉を発して息切れする。おかしい。経は普通に読めたのに。

とりあえず紅茶で、次いでドリンクセットの珈琲。飲み物に飲み物をつけてみる。
ファミレスに居座って作業というのを初めてしてみたが、頑丈なテーブルといい、適度な暖かさや騒がしさといい、奥まり具合にしても実に良い。開放的過ぎて集中できなかった図書館とは正反対である。
――というか、最近のガキは意味不明な奇声をあげてうろつくのが普通なのか? なのに目が合ったら丁寧な挨拶よこしてくるし……理解に苦しむ、これが歳!

結構手前勝手にやった日。
如月十九日
密閉した室内、なのに一体何処から花粉は来るのか?

昨日、叔父の新宅を訪れたが、やけにモダンな出来上がりになっていた。
壁は積み上げたままのブロックが剥き出しになっており、天井では緩やかに羽根が空気を掻き混ぜる。――雑誌の写真ならまだしも、日本の田舎の建物ではない。

で、一角にて飾られている幾つかの小さな仏像を見ていると、決まった形式でもあるのか、多くの共通点に気がついた。
台座のパターン、光背のデザイン、全体的に共通する雰囲気からして、同時代か一人の仏師の手によるものではと推測。それを揃えたのだろうかとなおも見ていると、
『お、興味あるの?』(従兄弟殿)
『いえ、雰囲気が似ているな、と』
『ああ。それ親父風』
『は?』
聞けば最近、叔父がそっちに凝っているらしく、欠けのある仏像を安く手に入れてきては自分で修理して飾っているのだとか。『顔も彫り直している。だから、親父風』

自分は無趣味にすぎるツマラヌと、ちと落ち込む一時。
如月十八日
法事。後、近くの料亭にて食事。
改装後、初だがなかなかに洒落た雰囲気になっていた。料理もも柚子や梅といった風味を利かせたものが美味。
特に、器が良い。単品で見事なものもあったが、それ一つでは趣味の悪そうなものが料理を載せ膳の上に並ぶと、全体として実に良い調和を演出する。食事に用いる器とは、それ単品で評価されるのではなく、上に料理を載せ実際使われたときにこそその真価が表れる。実に素晴らしい。
ただ、以前通り料理の出てくる遅さはまだ改善され切っていなかった。最初は良かったようだが、終わりの方はぐだぐだ。京風とはそういうものなのかもしれないが、常にニ三品、膳の上に並ばせ、客の催促には直ぐ応えられるぐらいの応用性は欲しい。
実際、一年前よりは色々改善されていたのだ。そこも、今後に期待したい。

夜、日香にて味噌ラーメンを食す。
期間限定品だがそろそろ味噌が尽きそうだというので、ゆく。家族連れなど多く、やけに混んでいた。
やはり、子供は元気が良い。

大盛りは無く、味噌だがやたらにさっぱりとした味わい。もう少し、こくや味噌のきつさがあっても良いように感じた。
切り株のように焼き味噌を塗ってあったチャーシューが美味。

後、ついでに何時もの酒屋へ。スタンプカードがついに埋まる。絶対、そんな日はこないと思っていたのだが。
本日、以上。
如月十六日
安酒へべれけよろしゅうなし。
如月十五日
面倒くさがって雑記の整理を不精したまま。我がことながらだらけるものよ。
如月十四日
日本ばかりが騒ぎ立てる日かと思っていたが、チョコレートが飛び交わぬだけで、外国でも 『バレンタインなど踏み殺せ!』と孤狼が魂の咆哮をあげる日らしい。
貰う、あげるではなく、最近甘いものを良く口にするため、カリコリ齧る用に大袋でも買ってこようかと、果汁ドロップを噛み割りながら思った日。

もしくは、悲しくも自分が大人しく最後まで飴を舐められない性質らしいと気付いた日。
如月十三日
残っていたピザ生地を伸ばす。
今回は『ハム・ほうれん草・玉葱』『ジャコ・油揚げ・水菜』『シーフード』の三種。
ジャコが意外とトマトに合ったとか、溶けるチーズだけでなく別に用意しておいたチーズの塊を削って加えると味が良くなるとか、やっぱり土台が上手く焼けないが厚さはあった方が良いとか、まあ そんな教訓。

チーズとトマト缶さえあれば意外なほど簡単に作れる料理だというのが良く解った。
次の課題は土台となる生地の焼き方。熱より薄力粉の割合と水の分量こそが問題であろうか。
如月十一日
ピザを作る。今回は何となく生地から。結構、簡単だった。
イーストを放り込んだ水で小麦粉をこねて寝かすだけ。トマトは缶ものをまんま裏ごし。
適当に具を散らし、チーズを乗せて焼く。

味に関しては、まあ方向性は見えた。
生地は高温で。もう少し塩を増やし、かなりの熱で一気にカリッと焼き上げればよい。
トマトに甘みが欲しければ、刻んだ玉葱や野菜を炒め加える。
むしろ上二つはベースで、たっぷりの具とチーズで味わいを調整。
あと、刺激としてタバスコの偉大さに気付く。

まあ、本日はこんなところ。以上。
如月十日
本日のポン酒『梅の宿』季づくり しぼりたてを飲む。
安い上、生酒だの自分の好きな文字が躍っていたので購入。純米ではないが、予想外に旨い酒であった。
如月九日
台湾烏龍の茶葉がぜんぜん減っていない。
小さな工夫茶器ではなく急須を使っているためすぐに飲み切るだろうと甘く考えていたが、そもそも紅茶の葉の山がまずあり、次いで別所で購入した安物烏龍の山。

……後者の山を『まあ、ものによってはそこそこ』と崩し切りかけてようやく、『そういや夏に奮発して買ったの――』と思い至る。
専門店、二十五グラム封の高目茶葉、更に高かった東方美人含む。全て未開封。
ルピシア、値段も味も良い定番の台湾夏茶、のみならず試しに購入したと思しき中国烏龍五十グラム袋出現。

一袋も開けてねーや。

花粉症に紅茶が効くというのは嘘です。
花粉症に烏龍茶が効くというのは嘘です。
花粉症に泡盛が効くというのは嘘です。
心の平安と魂の至福しか得られません。

夏茶どころかもう台湾冬茶の季節。今年は春が来るのが早いと季節のせいにしておこう。
如月八日
二日程前から花粉の気配。たまたま鼻をかむ回数が増えた訳ではなかったよう。本年は軽いらしいが、それでもやれ憂鬱なことよ。

――花粉症の特効薬は安い地酒の一升瓶と早寝。そんなイメージが何時の間にか焼き付いていることに気付いた翌早朝。
如月七日
久々にカレーを作る。チョコレートを入れるとコクが出ると聞いたので、試してみた。
丁度良い板チョコや一口チョコがなかったので、たまたまあったグレープ風味のものを一欠。
結果、大鍋を開けると同時にプンと広がる葡萄の甘い香り。
……こういう時に自分が日頃何を食っているのか不安になる。ここまで分解されない強い香料って、本当に口にして大丈夫なんだろうな?

本日も暖かく春の如し。花粉の無い春ならそれもいいかと思い始めた某月某日。
如月三日
『手まわしくん』入手。
実際には銀色プラスチックであって金属ボディではないので、ちとちゃちく感じる。どうも手回しラジオとしては一世代前らしく、現在売られている小型手回しラジオの倍ほどの大きさ(それでもかなり小さい)。ハンドルも少々重く、回すときにスイッチに手が当たってしまう勝手の悪さもある。
なのに何故だろう、欠点を上げているのに可愛くてたまらない。
一分間の手回しで一時間のラジオ、一時間二十分の手回しで七十二時間のラジオ――『馬鹿だろう』と思わず言ってしまいたくなるこの無意味に自慢げな数字。ラジオの中にするすると入っていくアンテナ、イヤホンジャック、それにそこにまで付いている防滴用のゴム蓋。携帯電話の充電は出来ないらしいが、何、問題はない。周知のように、私は未だ持ってないのだから。

アンテナにいらないマウスコードをぐるぐると巻き、本日から久々に夜も文明的なFMラジオの音楽生活。

追記:昔から微妙に思ってはいたが……α-stationって電波の入りが悪い。
追々記:とりあえずラジオをうつ伏せにして低いところに置くと良く音が入るようである。……高くて窓に近い場所、が定番じゃないのか?
如月二日
見えはせぬが雪の十五夜。雪女が童たちを連れて雪野原で遊ぶ夜。


何やら今話題になっている『産む機械』発言。正直、この騒ぎようが理解できない。
『女なんて子供を産むだけの価値しかない、機械みたいなもの』と彼は言った訳ではない。少子化社会で子供を産める女性の数は限られていることを考えて欲しいといったような話の、比喩の一つではないか。軽率といえば軽率かもしれないが、ただそれだけのこと。本人も、当の発言時から申し訳ない、ごめんなさいとしつこく断りを入れていたではないか。
なのに、この騒ぎ。全く理解できない。
まず多くのマスコミが『女性は子供を産む機械発言の』と、誤解を招きかねない見出しで囃したてている。
『解りやすく、興味をひくように、そして文句をつけられても誤魔化せる範囲内で』というのがマスコミというものの常套手段だが、まあ見事なトリミングだ。自分達で火を大きくし、それで暖を取る。仕事とはこのように積極的に攻めていくものだと、実に良い教訓を示してくれる。
そして、そんな何時も通りのところ以上に相変わらずな野党。
最近サボり癖がついているようだが、大丈夫だろうか? 自民党にはどうやっても勝てそうに無いから無責任野党の座は安泰だと安心しすぎて、放言奇行のパフォーマンスがこの頃増え過ぎはしないだろうか? ああ心配だ。もうちょっと真面目に働け。

そもそも、この場合必要なのは、発言の真意を問うこと、不満や反発があるならその声を伝えること、謝罪や訂正を求めること、そうやって言葉を交わし互いに理解しあうこと、ではなかろうか。――つまり、品性の問題だ。
実質、至急物理的解決の必要な問題が付随せず、本人が発言の否定をしていないのなら、それだけの問題でしかない。品性、品位、個人の信念上の紳士的な言葉のぶつけ合い――に、なるべきじゃないんだろうか。民主的な社会の、最も高い言論機関の一つである国会であるならば、なおさら。

なのに。何故、いきなり首の話になる?

実のところ、この光景には少々覚えがある。小学校の頃、他者の小さな間違いを嬉しそうに大声で責め立て、はしゃぐ人間というものがよく居た。ただそれだけの過ちを、相手の存在そのものを否定できる良い機会を得たとばかりに、笑顔で弾劾し続ける子供。言い過ぎるガキ、調子に乗り過ぎの、とそれだけで済むが、まあこういうのが正義の甘さを知って長じ、権力を得て殺戮者となるのだろう、とは閑話休題。
つまりこの光景はあれと同じだ、うん駄目な小学生。謝罪や訂正を求めるのでも、傷付く人が居るのだもっと発言を考えてくれと伝えたいのでもなく、単純に嫌いな人間を責めても非難されない機会が来たので、喜びはしゃいでいるのだろう。駄目なガキが自分を省みないまま駄目すぎる大人になった、とは野党全部が流石にそうだとは思いたくないので、所詮彼らにとっては自民党を責められるチャンスが見付かったので誹謗中傷に全力を注いでいるのだ、発言の中身など実際のところどうでもいいのであるマル、と適当に建前っぽく仕上げておこう。

高い地位の人間だからこそ、言動や責任についてもより高いものが求められている、と考えることも出来よう。しかしでは、国会議員という高い位置に居ながら平素から失言放言を繰り返している野党の人間はどうなるのか?
自民党一党独裁、というのは好きではない。だからこそ野党に頑張って欲しいが、こんな自民党以上にレベルの低いものには期待より失望がくる。せめて真面目に議論して欲しい。自民党が構ってくれなかったら何も出来ない――これじゃ野党じゃなくて野次だ。それも怖くて、場外でだけ気勢を上げる。


思ったより鬱屈したものが溜まっていたようだ。この国に、野党が欲しい。ちゃんと常識と自分の考えを持った、野次ではない野党が。
如月一日
深更より久々の雪。大きな白牡丹。


昨日の愚痴だが私の勘違いで、単に店頭に目当ての本がなかっただけの模様。同じレーベルの本は既にあったと気付く。
本日の書店でも、歯抜けの品揃え。
――ああもし売り切れでなかったというならその怠慢許以下略。

『へうげもの』を読み出した。
良い良いと評判を聞くが、確かにこれは良い漫画である。

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