日々、在りしことども



桜月三十日
食器洗いに米ぬかの粉石鹸を使っている。今日もスポンジを左手にとって、流し場の容器を右に、逆さにして塩胡椒を一振り、二振り……

この頃、たまに、やる。
大分ボケが進行してきたようだ。

『萌えわかり! 軍装ビジュアルガイド』読了。
正確にはアメリカ軍軍装変遷と第二次大戦時独逸軍軍装解説、及びジープの歴史について語った本。
看板に大きく偽りがあるが、アメリカ軍装の解説などは画師が筋金入りの一流軍服マニアと解る見事な出来であり、ここだけでも本書を手に取った意味はある。
惜しむらくはこのレベルで各国軍装の情報を得たかったなと思うが――ぶっちゃけ無理も無理、不可能であろうと諦めつつ本日筆を置く。
桜月二十九日

桜月二十八日
やたらめったら腹が減る。
桜月二十七日
ここ最近、という訳ではないのだろうが。
和菓子の型を良く見掛ける。木製で、深みのある棒に三つ四つ、穴を菓子の形にくり貫いてある、そういうやつだ。
それを、このところ(正確には、思い返せば一年以上昔から)、どこの和菓子屋に足を運んでも、展示しているのを目にする。
代々何十年も使い込んできた誇りある一品なのかもしれない。和風のらしさを前面に押し出した営業努力なのかもしれない。ただ、本当に何処に行っても見掛けるのだ。伝統自慢の和菓子屋どころか、ケーキやシュークリームといった洋菓子に主軸が移りつつある店、パンが隣に並んでいるような小さな処、果ては酒屋の棚にまで。

……何か法律か規則でもあるのかもしれない。例えば、全日本和菓子協会の加盟店は必ず店先に古い型をディスプレイすること! とか。
あれだ。古い時代、店や職人の看板は掲げるのに資格と大金が必要だったのと同じような。
それとも流行り廃りの類か? 古きを大切にするのは賛成だが、みんながちびちびやると印象的には逆効果にも思えるのだが。

以上、雑想。長持ちする一口羊羹が何時の間にか本棚の飾りになっている脇で。

花瓶・陶器・羊羹
絵画・写真・羊羹
置き物・フィギュア・羊羹
だと違和感があるが、視野を広く考え
焼き物・写真・フィギュア・洋酒・羊羹だと、何の問題も違和感も無い。
うん、私は正しい。時代にものっとっている。
桜月二十四日
蛙の声が響く。
耕した田に水が張られつつある。苗植え前の、昼夜を問わず辺り一面が鏡になるこの景色は、とても好きなものの一つだ。
出来るだけ、楽しんでおきたいと思う。
桜月二十二日
祭、ただし曇天、雨。
夜、出る。葉桜に僅かに残った花弁が雨粒に叩き落され、雨の速さで宙を駆け下り、車のヘッドライトの前を過ぎる。そんな稀な景色を見た。
桜月二十一日
以前この場で、南北朝鮮も台湾も徴兵制があるのだから、極東アジアの調和のため日本も見習ってはどうかと発言したが、どうやら間違いがあったようなので、謝罪と共に訂正したい。

中国も徴兵制があるようだ。

嫌なら民兵か武装警察の名簿に名前を入れろという類であるらしいが、その辺、韓国の徴兵期間に一部が各地で警官をやったりする制度を、ふと思い出した。

しかし、何ということだ。日本は孤立している。日本だけがアジアの輪の中で異常だ。

これではいけない。中国にしろ南北朝鮮にしろ、お爺ちゃんもお父さんもお兄ちゃんも弟も従兄弟も男友達も先生も教え子も先輩も後輩も彼氏も息子も孫も、ただの顔見知りから道ですれ違う人、テレビの中のアイドルだって男性はみんなみんな銃を握って国のために人を殺す大切さをちゃんと教わっているのだ。式典では小さな子供が軍服姿で参加し、学生が体験入隊で銃 の引き金を引き、国民との触れ合いのため特殊部隊のおじさんたちが児童達とサバイバルゲーム、教科書からして蜜柑や林檎ではなくアメリカ野郎を六人ぶち殺したら残りは何人と算数教育。

『教え子を戦場へとやらない!!』などとがなっていた教師達よ。君達のいい加減な主張が日本をここまで異常な国家にしてしまった。アジアの中でこれほど浮いている、特殊な国家に。
これからどうすればいいのだろうか。急いで子供達に銃を持たせて、それで間に合うのだろうか?
各国では既に男性の軍隊経験が当り前だ。そうしない人間が義務を放棄したとして蔑視される、そういう社会が出来上がっている。日本がそうなるまで、一体どれぐらいの時間がかかるのか。考えるだけで私は目の前が真っ暗になる。
無論、今からでも頑張るしかあるまい。戦後、この国には日本政府が大嫌いで亜細亜各国が大好きだという人々が大量に生まれた。ならば何故移住しないのか疑問に感じていたが、今は彼等の存在に感謝したい。彼等なら、喜んで徴兵制に賛成してくれるだろうから。愚かな教師達のように反対など――まるで徴兵制のある中国や南北朝鮮、台湾が異常な軍国主義国家であるような、子供に人殺しを勧める狂気と絶望の社会であるような――そんな間違った発言はしないだろうから。

アジアの各国は我々が親しく付き合うべき友邦で、だから彼等の常識である徴兵制もそれを義務と肯定する社会も、見習って取り入れるべき当然なのだと、強く強く私は主張する。




――戦争から学ぶ、という言葉がある。ヨーロッパでは第一次大戦後、反戦主義者平和主義者がアレルギーかヒステリーのように戦争反対軍備反対を叫び狂い、結果軍事均衡や防衛能力、有事に素早く対応するといった経験による知恵が多々阻害され、最終的にはナチスを育て第二次大戦の惨禍を招いたという教訓があるそうだ。曰く、『平和主義者が戦争を招く』
日本はあまりそこいら辺を学ばなかったようだ。
今、この小国は信じられぬことに世界第二位の経済大国であるという。その理由は様々あろうが、私はその一つとして普通の国々が軍備にまわす時間や資源が、ほとんど丸々経済活動や社会基盤の整備に回され続けたからではないかと考えている。
昨今日本の右傾化がどうのと口にする連中がいるが、それはこれまでから見てやや右よりなだけで、客観的・世界的にみればまだまだどこも右ではない。それは先にあげた中国や朝鮮と見比べても良いし、他の好きな世界の国と比べてもいい。
多くのものを見て、多くのことを考え、多くの発言を為して行動を選べる時代に、今いる。
この日本の豊かさと平和さを、もっと振り返って噛み締め、世界に誇るべきではなかろうか。そう、『異常なのはお前らの方だ』と。
反戦を謳い自衛隊前でデモを行い、その反面中韓と友好を叫ぶ人間達の、軽薄さ、いい加減さ、考えようとしない独善的な自己陶酔には吐き気がする。
アメリカのハリウッド映画では自分達の銃弾が悪を倒す正義の力だと言っている。
同じく自分達の武器と殺人は正しいと、信じ込んで自覚していない国家社会がある。


――――まだ、彼等の中で北朝鮮は楽園なのか?



本日、適度に思うところを吐き出して、以上。
桜月十九日
これといってなし。以下、読感。

『黒衣の武器商人』
井上雅彦氏の作。かなり昔のものらしく、今の感覚では陳腐や、ずれているように感じられる点、多々在り。
また、同時代の漫画や小説の名を当り前のものとして作品内に出す、素人臭いところも見受けられる。
ただそういった些細な点を除けば、先に発表した三つの短編を長編へと絡め取ってみせ、更に大きく引っ繰り返したこの手腕は、流石短編の人鬼、井上氏よと頷かされる。

そして不可思議が二つ。本の内容ではない。
こんな古くマイナーな書籍がネットの古本屋で数十秒、それだけで安く手に入れられた現代という不可思議。
そうして、最初から最後までずっと続いていた、自分はこの本を高校生ぐらいの自分に一度読んだんじゃないかという、ひっきりなしの既視感。
そんなはずはない。幾らなんでもこの内容なら、微小ぐらいは記憶が残るはず。気のせいだ、気のせいだ、なのに何故――最後の最後、クライマックスシーンの挿し絵にまで見覚えがある?
本当に不可思議だ。


『私立彩陵高校超能力部 5』
四巻までは違う出版社からの旧装版で入手していたので、一話抜けているようである。
本のサイズこそ変わったものの、以前と同じ表紙の下四分の三を覆う巨大表紙絵帯と、それをめくった下のちょっとエッチな別表紙の演出は、変わらぬまま。
内容は、久々という気がしたが、十分楽しめた。
新しい厄介そうな敵、嫌な展開になりそうな予感、なのに安心して楽しめるところはこの作者氏の味だと思う。――何というか君ら、下っ端にしても軽々とぼこられ過ぎ。
例の男女がいよいよ美少女姿で登場したり、強い彼女の猫耳幽霊姿絵が出たり、何より新キャラとして出てきた車椅子眼帯少女の強気で性格悪そうに押し出しながら、思いっきり脇の甘い、あのころころ変わる豊かな感情が実に可愛いくて良い。
次巻は更にスガワさんの見せ場など増やしつつ……と思い、ここでようやく自分が熱く何を語っているのか自覚し始めてきたので、ここで終わル。
桜月十五〜八日
本を読んだり、久々の酒がすぐ何処かに消えたり、花粉か風邪か解らぬ寒気が来たり、 まあ凡俗な日々。
桜月十四日
桜を舟上から愛でるために、朝一で彦根へ。十一時からの券を得る。
前日からの雨に打たれ、花は散り続けている。辻で風に巻き、道の上を走り、堀の水面には花筏が布を染め付けているかのようにたなびいている。
適当に花を見てまわり、時間を潰す。源平枝垂れなる桜を見掛ける。純白の花の上、血でも飛び散ったかのように紅が現れている。これはこれで実に鮮やか。色の対比が映えている。

で、屋形船。
チケット裏柄は昔の彦根藩藩札らしい。
思ったより天井が低く、また遠景ではなくすぐ側を見上げるため、ちと屋根が邪魔に感じた。せめて障子窓ぐらい外しておいて欲しかった気もする。
まあ、それは些細なこと。靴を脱いで胡坐をかき、桜を愛でながら威勢の良い船頭の説明に耳を傾ける。
ここの石垣は安土城・佐和山城・長浜城のものをぱくってきたらしく、故にか一度たりとて戦火を潜っていないのに、黒く焼きついたような石が混じっていることとか。
その石垣の中、不自然に四角いあれは墓石だとか。
桜は次がが撮影スポットだとか。すぐそこの小屋では黒鳥が卵を温めているのだとか。
橋桁に巻きつけた板がひび割れているのは、最初の方にこの屋形船で良くぶつけて――お客さん大喜び、とか。市役所に良く叱られているとか。おっと今のは船底が石に当たりましたね初めてですよあははははとか。
道行く人々や橋上の子供たちからはこちらが見世物で、時々手を振り返したりしながら。
のんびりゆったり時間を掛け、城の内堀を行く。

――若かりし頃、人生全部が嫌になったら、花見の頃に此処に舟を浮かべて勝手に酒盛りし、警察にお世話になって人生ドロップアウトしてやろうと思っていたが……ああ、何があるか解らぬものだな。こうして今、合法的に自分は舟から桜を見上げている。

角で面になっている花筏などを最後に見、少々体が冷え込んだ頃合いで陸に戻る。


後、船出前にちと覗いていた京橋はあかり館二階、彦根まちなか博物館『高橋狗佛コレクション』を腰を据え、見物する。
明治大正、井伊家の家庭教師をしていた御仁の収集物、全国津々浦々で集めた犬の郷土玩具。それら数千点の中から地方ごとに数点を展示してあるこじんまりとしたものであった。
が、見応えは十分。
選び抜かれただけあって、色々味わいや特色のある犬達。正面には狗佛の著作物から引用されたその地方の玩具へのコメントが掲げられ(結構歯に衣着せぬコレクターのお言葉。流石というべきか中々面白く、本などに纏められた暁には是非最初から最後まで読んでみたいものだ)。
ボランティアだという人が寄ってきては、愉快な小話を交えて説明してくれる。
有意義な一時であった。繰り返すこととなるが、小さい展示だが私はとても気に入った。

のち、ふらふらと徘徊。ひこにゃんのライバル、さこにゃんの存在を知る。
そういえば先日、誰かが語っていたような気も。


ふらふらと花籠の下、花片絨毯の上を歩き続けているうちに、ふと夢枕獏氏の歌を思い出した。

花踏む鬼(ヒト)の名を問へば 夢幻と答ふなり

花というか、花愛でる人の気概、在り様のようなものを詠っているなぁと、人の身で花を踏みつつ思う。

花に酔い
花に焦がれて
花と成る
我が帷子(カタビラ)よ 土に解(ホド)けよ

――今の自分はこんなところ。


本年は久々に桜を見た。この春、以上。
桜月十三日
山椒で煮魚をしてみる。まずは煮汁を煮立たせようと、大き目の蓋をして放置。
→隙間から蒸気が噴き出します。蓋に当たって隙間から斜め下へ。
→煮汁には当然日本酒をたっぷり入れました。
→アルコールは揮発します。また、霧状にすると液体は良く燃えるのです。

⇒おお、幻想的にヴェールのような青き炎が、霧が如くゆらゆらと高く!

新体験。いや、料理の奥はまだまだ本当に深い。
桜月十二日

桜月十一日
酒。
桜月十日
また桜を見に行く。満開。当初の目的通り屋形船に乗ろうとするも、早々に乗船券は売り切れていた。
よって後日、一番好きな花の散り際は早朝にでも行こうかと、決める。

『10万ドルの恋人』読了。『ドラグネット・ミラージュ』の続刊。
前作筆者氏の名が消え、本書は原案者自身が書いている。何か事情があったのかもしれないが、前の作品は作品で結構好きだったので残念に思っていた。しかし、後書きを読み、知る。
ああ、そうか。彼はいなくなったんじゃない。目を閉じれば浮かぶ僕らの心の西表島に帰っていっただけなんだ。

ついでに。『家守綺譚』読了。
以前にハードカバーで読み、梨木香歩作品へ手を伸ばすきっかけとなった本だが、先日単行本で出ているのを見かけ、入手。再び楽しむ。
湖西を舞台とした短編集。妖しを当然とした古い時代の貧乏学士。売れぬ物書きである彼は確実に片足を世間から踏み外し、しかしもう片足はしかと人の世に踏み止まっている。
いや、彼の日々過ごす世界そのものが、今の我々から見れば半ばずれているのか。そうして季節の移ろい、自然な不可思議をすれ違う日常とし、綴られてゆく物語。
ただ不思議で古めかしいだけではない。「カラスウリ」の『――なに、かまわんさ。』という名台詞での落し方、「ツリガネニンジン」の夢現めいた玄妙さ、和尚や狸、ゴローにサルスベリといった長閑で味わいある日々が続くかと思えば、「セツブンソウ」ではその闇の暗さ深さが一際に立つ。
何度ハラハラと頁をくっていても、また文章を目で追いたくなる。そういう本だ。
惜しむらくは、筆者氏の作品の中でも、この本は余りない毛色であろうこと。もっと読みたいと願っていても、枝を伸ばしているサルスベリはこれ一本なのだ。
残念に思うし、そういうものかとも思う。
この『家守綺譚』に吉田篤弘氏の『という、はなし』。この二冊を持って、いつか何処かの樹の下で寝そべって読むような日が来れば、ああそれは豊かな生というものであろう。
桜月九日
足が痛い。
桜月八日
大津にて日本酒の試飲会。
途中、草津で電車を降り、評判のラーメン店『風火』を目指す。
琵琶湖方向へひたすら、予想以上にひたすら歩く。簡単な地図を適当に覚えていたので軽く迷い、 左折して少し行った道路の反対側にあると気付かず、無駄にぐるぐる街をさ迷う。

店内はラーメン屋の常で狭く暗い。
『とんこつ 漬けトロチャーシュー麺』を頼む。くどくなどなく、実に美味。
御飯ものも美味しそうであったが、次の楽しみに取っておく。問題は、この遠方まで足を運ぶ次が いつかということだが。


試飲会、本年は入場料が値上がりして千円。別室を用意するなどした休憩スペースの拡大、酔い覚ましの水の大量準備、時間が来ると蔵の方で酒の試飲を厳密に打ち切るなど、運営面ではスムーズに行くよう、 改善が目立った。ただ、その分昔のようなお祭り的な気楽さが薄らいでいるように感じ、残念である。 とはいえ、昔を懐かしむのは悪い癖であろう。

出品蔵は滋賀が減って岐阜や飛騨高山辺りのが増えているようであった。また、数年寝かせた紹興酒にも似た香りを放つ日本酒(貴醸酒)や、樫樽で寝かせウイスキーのような味わいとなっている焼酎を出すところが以前より、増えているようにも。
本年は定番どころを一通り巡っただけで十分に酔い、余り新規開拓が出来なかった。以下、特に目に付いた所のみ。

『志賀盛』だが濁り酒が旨く、また黒々としてクセの無い貴醸酒が出てきた。口当たりの良い紹興酒のよう。曰く、二十七年もの。地元蔵として『富鶴』の特別に仕込まれた「天秤櫓」が旨かったが、地元では販売していなくて彦根限定とはどういうことか。『白川郷』の濁りはやはりよろしく、ここの米を漉さず残したドブロクというのに心が惹かれる。日本酒だけ置いて人がいないものの味は流石の『天狗舞』、缶に詰めてから寝かせているという『菊水』、さらりとした『奥飛騨』、淡い『浅茅生』。
焼酎ではイロモノでなく緑茶風味の美味を出してきた『喜多屋』、樫樽三年でウイスキーのようだがもっと度数の高いよりらしいものはないかと問えば原酒が出てきた『奄美』、やはり樫樽寝かせで、さらにつまみとしてゴーヤの甘酢漬けとレシピを配っていた『れんと』。 そして、昆布風味・紫蘇風味というイロモノを発表してきた『鍛高譚』の紅茶焼酎緑茶焼酎そして薔薇焼酎。味は、まあ一発ネタものということで。

つまみに関しては、皆の口に消えるのが早かったせいか、例年より質や量が落ちていたように思う。
本年ようやく『御代栄』の日野菜の一口お握りを食すのに成功。『多賀』が出していた地元の鹿の柔らかい燻製肉。ほか、めんたい煎餅や定番の黒糖、モロコの甘露煮や漬物、ゴーヤなど。
また、水に関してだが本年は日田天領水の巨大サイコロが如きボックスウォーターが用意されていた。多分、20リットルケース。注ぎ口のわっかを上部へと引いて水を出すもの。他にはサントリーのペットボトルが置いてあったが、こちらは水の味が良かった。

以上、まあ本年は適度に聞こし召し、帰宅。
桜月七日
花見に行く。彦根の桜は八分前後。日頃の行いか小雨がぱらつく下、観光客とひこにゃんが溢れる 街を地酒の小瓶片手にぶらつく。
堀ゆく屋形船を眺めたり、自転車タクシーのこぎ手と挨拶を交わしたりしつつ、また久々の『松吉』で饂飩と蕎麦を堪能し――どうしても夕からの夜桜見物まで時間が潰せない。
持参した文庫を繰り続け、最後にはアルプラで行われていた近江鉄道の展示などを覗き――入場料は安いが、そう大したものではない。ただ、あの大きいパンフレットが無料でついてくることを考えると、得。――笑ってしまうぐらい精巧な鉄道模型の駅前風景などを見物して、ようやく夕。雨の降り激しくなる中、皆さんに合流する。

雨で花見客がすっかり消えており、静かに城の夜桜を堪能。ライトアップされて堀に滲み映る桜の白が実に美しかった。
後、地鶏が旨い店で飲食。肝の刺身や手羽先などをつつき、地酒を舐める。
帰路、たまたま夜桜を見物に来ていた旧知とすれ違う。皆、考えることは似たりか。
かなり充実して、帰宅。大分、心身ともに良い刺激となった一日であった。

追:やはり眼鏡が必要か。良く見えぬだけでなく、疲れる。
それと、我が姿。色々自覚もあるが、『今のお前は女性が身の危険を感じるレベルだ』とか何とか、皆さん言いたい放題。路傍の石にだって傷は付くのだよ。
桜月五日
今頃になって花粉が。

目だが、たっぷり食べてかなり飲んで、ブルーベリー錠剤を嚥下した後、自分でも唖然とするほど寝たら治った。
……どれが効いたのやら。
桜月四日
桜、少々。
本日風強し。
目、いまいち。字ばっかり読んでいるのが悪いのか、部屋が暗いのが悪いのか。

週末に花見。翌日に日本酒試飲会。
前者は早目に出て昼間の桜を舟から眺めたり、一人酒盛りをしたいのだが、さて予備の肝臓は何処だったか……
桜月三日
朝の暗がり五時には既に聞こえる雲雀の囀り。時置かず、青みを帯びる空の端。
感じるのは、春ではなく旧暦の夏の足音息遣い。

干支文字切手の存在を今頃知る。三年前の酉年から正月に出ている切手シート。
十種それぞれ違った書体や文字で酉・戌・亥をデザインしており、例えばまあこういう ものだが、一目で脳内スイッチが入り、戌と亥のものを入手する。
実際手にとって見ると、字の部分が盛り上がっているという妙な加工に気付くが、まあ悪くない。
さて誰に出そうか、それとも何かに飾ろうかと、結論を出す気の無い考えに遊ぶ。
なお、切手店からの封筒には色々古い切手が使われ、全てに消印を通すコレクター好みの気遣いがあったと記して、本日まずは以上。
桜月二日
黄砂がとても酷い。春の風物詩というより、中国の環境悪化の証左。愚痴不快多々有り。

美味探求、ということで握り飯の新しい具材を試してみる。
天カスを麺つゆに浸したもの、シーチキン醤油マヨネーズ、そして刻み葱を加えた焼き味噌(砂糖で甘辛く)の三種。
天カスはそれなりに良かった。海老天に比べると尻尾や身の歯応えが足りないが、こちらは手軽安価である。
シーチキン以下略は失敗。水気が出て握り飯が中心より分解。まだまだ味ともに工夫が必要。
焼き味噌は改良の余地を大幅に残しつつ、良し。朴歯味噌と同じで中に含める具を更に考察、挑戦することでとても楽しい世界が広がりそうだ。

以上、本日の結果。DNAが御飯で出来ている日本人だもの、そーゆーものさ。
桜月一日
エイプリルフールの冗句だが、本年当サイトでは行わない。
元々、根が真面目な自分は例え冗談でも嘘をつくということが心苦しく、とてもじゃないが出来ない。
また、正月に引いた大吉の御神籤にあったように、この一年は心を入れ替え真摯に性根を据え生きてゆこうと誓っているだけに、こういう浮ついたお祭は余人が楽しむのを否定するものではないが、やはり私には合わない。
そもそも、図書館で借りた本の返却期限破りを繰り返しすぎたため、つい先日地元図書館と県立図書館から人生の差し押さえをくらっている身、軽佻浮薄は慎まねば、もう一度あの暗い地下書庫での強制労働に逆戻りとなろう。
暗いのはいい。不気味なのも構わない。独りはむしろ有難いし、昼夜が解らずそのうち幻聴が聞こえてくるのだって、冷静に開き直って受け入れてみれば、そう実害は無かったと言える。ただ、本を抜いた書架の隙間向こうから、偶さかにじっとこちらを見詰めてくる人形には死ぬほど驚かされたが、まああの円い瞳も、血の流れの停まりそうな驚きに慣れ恐怖が麻痺してくると、あれはあれで友達と目が合ったような気分になってちょっと嬉しかったものだ。多分。――ン? おや、ジョセフィーヌじゃないか。こんな私の部屋までついてきたのかい? そんな本と棚板の狭い隙間に頭どころか両手の指まで入れちゃって。はは、本当に君は狭い暗がりが好きだね。人形でもそれは物理的におかしかろうに。

ま、兎も角。そんなこんなで紳士な私らしく本年はゆったり過ごそうかと思う。
皆さんはどうぞ、心ゆくまで一年に一度のお祭を御堪能あれ。


なお、昔から極上の嘘は九割の真実に一抹の嘘ともいうが、私はむしろ十割の嘘とか、妄想に真実とルビを打った方が良いのではないかと思っている。が、それはさておき、以下には一分の嘘もない。
去る先日、手紙を出した。
内容の無い雑文、実用美にすら書ける平凡な茶封筒、何の記念でもない一般切手。
余りにありきたり以下であり、面白味の無さに嫌気が差し、ふと思いつくまま少し趣を変えようかと、糊とハサミと広告を揃える。
実行してみた感想だが、いや意外と活字が見付からずに苦労した。やはり犯罪者とは勤勉な者の謂いでもあるのだろう。
宛名と住所だけだったが、どうも欲しい字が見付からない。多分、だからこそ脅迫犯は新聞を良く活用するのだろう。私も最後の方は雑誌に助けてもらったようなものだ。
手紙――脅迫文デザイン――をポストに投函して数日立つ。
まだ、警察は来ない。
何らかの確認や事情を聞きに来る気配も無いところを見ると、警察も知的な洒落というものが解るのかもしれない。それとも、私が舞い上がっているだけで活字を切り貼りした脅迫文は日常的に世の中を飛び回っているのやも知れぬ。
うん、恐らくは後者であろう。改めて、日本の郵便文化の深さと驚異的な物量に思いを馳せる。

なお、最後に。活字を摘むピンセットは必要だ。存外、手が汚れると、お爺ちゃんの脅迫状作成豆知識を置いて、本日まず終える。
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