日々、在りしことども



雨月三十日
某旦那氏の誕生日を祝うということで、顔を出す。まずは晩飯ということで、『にっこう』へ。久々の塩、『清香』をずるずると食す。次は醤油につけ麺もいいかも知れぬ。
で、折角だからということで蛍を見に行こうかと、あいなる。毎年近所を舞っているから 忘れているが、都会の方々から見れば大変珍しい観光生物であり、景観なのだ。
時期を半月ほど過ぎている――が、某Mr.洞窟が携帯を操作。趣味で毎夜、蛍の数をカウントしているという噂の学芸員氏に連絡をとり、山奥上流にてぱらぱらと舞う源氏の姿をゆるり楽しむ。
帰路、ついでにと秘密の場所にて珍しい蛍を見物する。余り宙を飛ばず、茂みに群れて、フラッシュのように強烈な光を短い周期で同調し放っている。話に聞く、東南アジアの蛍を連想。
これは今からが見頃で、夜遅く、高山などで見られるのだとか。


後、奥方氏の旧家にて彼女らが持参のケーキと紅茶を頂く。豪勢に果物の盛られた、一日限定一個の代物だとか。紅茶も、日本で始めて紅茶を出した喫茶店のアールグレイというものを頂戴する。そのようにして、酒も入り、雑談。
日付も大分過ぎた頃合いに、適当に寝る。
雨月二十七日
――生きているんだろうか?

トマトと茗荷の相性の良さを知る。共に季節物。これからのサラダの定番になろう。
雨月二十六日
夜、泥酔。

物干しに紐を張り、朝顔を絡める。花の気配、未だ無し。
ライチの種を水につけている。発芽しそうだが、実を結ぶまで数年育てることこそが難しいのだとか。
プランターに埋め込んだスナックパインの葉っぱは順調に枯れている。
昨年から放置したままの蓮はやたら葉を広げている。間引きとか、巨大水桶とか考えた方が良いのだろうか?

近頃、晩に注文した本が翌朝には届くことがある。嬉しい。
この頃、取り寄せた本に手をつけるまで週とか月の単位が当たり前になっている。愚かしや。

以上、雑然としたここしばらく。
雨月二十三日
夏至も過ぎた。本年は早朝起床の生活傾向があるせいか、この強い日差しも早い夜明けも、やたら青い空もそう苦手とは感じない。
日本にも、夏至の祭ぐらいあってもいいだろうに。

不快ではない。濃い緑、きつい紫外線、ああ今こそが真の夏。――うん、蒸し暑いだけの八月なんてこの世界には要らない。

ぶらぶらと出る。本を返す、本を借りる、本を探す、本を立ち読む、本を買う、帰って読む。
ごく普通の日。
雨月二十二日
この春に一目惚れした源平枝垂れだが、どうも桜ではなく花桃らしい。
しかも、苗木はかなり安く手に入るよう。
ただ、流通は十一月過ぎを待たねばならぬ。
ああ、ひたすらに花恋し。
雨月二十一日
泥酔?
雨月二十日
足火傷冷却軟膏。靴下の上からのせいか、被害有。
キャベツ手拭い書籍選ばず図書館で続編。
どうにも動きがおかしく、湯は鍋から飛ばす、物を倒す、落として粉をぶちまける、引っかかるようにぶつかると、散々。腕の筋肉がさてバランスを崩すぐらいに増えたか減ったか。
雨月十八日
藤の紫色した花を見る。緑繁る中、季節外れにも小さな花房の先が、一つ。
雨月十七日
葛饅頭の季節。

先日。スーパーで葛饅頭の詰め合わせが格安にて売られているのを見かけ、手に取る。
昨夏、味わい尽くせなかった反動もあり、即購入。ホクホク顔で家に帰った。
いざ食す段になって気付く。商品名『夢わらび餅』。

……葛じゃなくわらび粉を使っているということか? 中に餡を詰めているから、葛餅わらび餅の表記よりは饅頭が正解だよな? けど単価はわらび粉の方が高いと聞くし……ああ、うん。これもタピオカ粉とか混ぜている……

素人には良く解らぬ。昔、鶏肉は加熱すると固くなるから、そう言って豚肉を使う焼き鳥屋があったが、これも斯くの如き拘りや美味追求、あるいは地方文化の結果なのであろうか。不明。
味は悪くなかった。一見、イロモノのように思えたマンゴー餡がよろしく、幸せ。上品な甘さ。思わずマンゴー天国と噂に聞く台湾へ思いを馳せる。
添え付けのきな粉は用いず、二つだけちまちまと食し、残りは後日。緑茶を啜る。

以上、初夏早朝。他には立てたネットに朝顔の伸びてきた蔦を絡めたり。本年良き夏であれ。
雨月十六日
数時間で目が覚める。短時間睡眠で頭がはっきりしたと喜んでいると、半日後にはぜんまい切れに。人間、やはり八時間睡眠の生き物か。

快晴。布団干す。食欲薄く、無自覚に野菜ばかり齧る。水分不足か?
雨月十三日
ぼそぼそと外出。

このところ足を運ぶ方の図書館でもどうやら一部顔を覚えられてしまったよう。
『無くなっているようなので新しく購入しましたよー』と笑顔で本を手渡されても、正直困る。
こちらは我欲で読み物を漁っているのであり、正直購入するほどではないが気になるという、微妙だったりマイナーな本を求めているわけで、それが一般的な利用者の嗜好と勘違いされ新刊購入などに反映されることにでもなれば――

……あんまり変わんねぇや、今のあそこの本棚と。

中高が近いせいかライトノベルや漫画、オカルト関係の品揃えが良いが、それ以外の方向もどうも微妙な向きに気合が入っているように思う。
それをもうちょっと後押ししても、余り良心は痛まないかもしれない。

差し当たって楠田枝里子氏の新刊を手に取らなくなって久しいなとか呟いている某月某夜深更。


マウスの反応が悪い。まさかまた買い替えか?
雨月十二日
年に三本ほどヤニが吸いたくなることがある。
しかしショートピースが何処に行っても見付からないので、HOPEを入手。小さな箱と古くから聞く名前から、そう大差ないかなと甘い期待をかけてみた。

うまくない

この短さでフィルター付き。ちぎってもピースのような濃厚な味わいが楽しめない。 いや、そもそも煙草で一番美味しい箱を開けたときの甘い芳香からして弱い。

総論:ボツ。

舌に残るヤニは嫌いだが、味も薫りもなければただの火遊び以下になってしまうではないかと意気消沈。
古い世代として言うが、煙草はニコチン云々ではなく、もっと甘い芳香を誇る素晴らしい嗜好品なのだよと。
雨月十一日
暑い。
雨月十日

雨月八か九日
大雨で雷鳴。
酒。ただし不味い。
雨月七日
午後雷鳴、夕立。
かなり寝ても疲れがとれない。なのにちょっとした昼寝で快調になる。はて?
雨月六日
出る。本を返す、借りる。極めて陽光強し。
安い大型店で水分と、大量のインスタント麺を購入。差し当たって保存食にするつもりとはいえ、体重がどうのといっている人間の買い物ではない。
夕食済。何だかんだとそれなりのカロリーを不本意にも口にせずにはおられないのが、非一人暮らし。
これではいけない。
もっとももっと飢えて、渇いて、ぎりぎり限界まで我慢した後に貪る麦酒と唐揚げこそが美味だというにっ!
冷えたお握り、鶏皮唐揚げ、ラーメンヤキソバ、冷たい汗をかく麦酒、熱々のチーズがとろりと伸びるピザ。

――頑張ろう。
雨月五日
人が効率的な運動と空腹を己に課した途端、やれコレが今日のお土産、君の分の寿司だハンバーガーだフライドポテトだシェイクだたこ焼きだと、連日唐突なノルマを差し出してくる家族。 嫌がらせか?

午前、健康診断。痩せろ酒を減らせとただ的確な意見。

夕。本日はダムの方へ。石を組んだダムの堤は登れそうだが登っちゃいけない。だから日暮れで人気がなかったからってフェンスを乗り越え上の展望台を目指すような真似は――
「駄目だね。負け犬だね」
――心の声が聞こえたからって、やる訳がない。もう足だってその頃には棒になりかけていたし。

高い所から見下ろす暮れた世界に灯りが列となって並ぶ光景は、結構良いものであった。
こういう何の誇りにも欠片の自慢にもならない行為は、それでも無意味に唇の端を緩める程度のものを自己に与えてくれるのだなと、空っぽな零に近い満足を山風に冷やされながら。

あんまり動かず帰宅。蛍をそこかしこで見る。ついでに魚、亀、野犬だか野猿だか、珍しい赤い花。本日以上。
雨月四日
本日、目の前に現れしもの。
雲雀、クワガタ、日本猿、蝙蝠に蛍。

夕、自転車にて金剛輪寺へ。思いの外、早く着く。拝観時間は過ぎていたため入り口より僅か伺う程度だが、それだけで次々と景色に繋がった記憶が浮かぶ。子供の頃は、それほどここへ足を運んでいたらしい。
なお、手前で目にした百十数体のお地蔵さんとそれぞれの前に立つ風車――そんなトラウマ一歩手前の光景にもちゃんと覚えがあった。脇の縁起によれば何かの工事で地中より掘り出されたのだとか。先日、この近くのある山里では僧といった有徳の者が身罷ると、墓石代わりに地蔵を置いた、なる話を聞いた。それと関係があるのかつらつら考えてみたが、中には一つの石に二人の地蔵が並び彫られている、道祖神を連想せずにはいられないものもあり(元も、構図だけであって違うように感じるが)、一緒に出てきたらしい幾つかの五輪塔と合わせ、まあ考えたり考えなかったり。

閑話休題。
まだまだ日も高かったので、思いつくまま更に自転車を走らせる。時に道を横切るコクワガタ(雄)と出会い、古い標識に騙されしつつも、西明寺へ。こちらも閉まっており、入り口から中を覗くと、すぐ目の前を横切る日本猿。
余りの堂々振りに、野生、放し飼いじゃないよな、動物園でもないし……と呆ける視線の先で、またちらりと見える猿のお姿。真後ろの国道を今も車が行き交っているだけに、どうにも現実感が足りず。

で、ようやく帰ろうかと思い、気持ち良さそうな道を角々で選ぶ。池のほとりで小さな祠の左右に立つ大きな杉(若宮の大杉、か?)に感嘆し、その向こう遠くに目をやって『……おお、夕日に染まる琵琶湖が見える……』と、意外な眺望に驚いたり、まあそんなこんなしながら麦畑と雲雀という初夏の組み合わせの中を行くうち、妙な物体を発見。 田圃の真ん中、電柱に寄り添って立つ鉄柱。上には小さなサイレンと赤色灯。下にはボタンと『タッチくん』の文字。どうやら防犯装置の一種らしく、いかにも押し逃げを誘うような作り。
しかしふと見上げると上部のパネルに『25』の数字。首を横へ回せば、少し行った先にまた別の『タッチくん』。
――児童の防犯が過剰に叫ばれている昨今、しかしここまでしなくちゃならんほどこの近辺は物騒なのかと、色々な意味で脱力する。

長いがもう少しだらだらと書く。
で、ようやく日も暮れてきた頃に涼しげな風の吹く下界へ帰還。しかしその頃になると自転車の漕ぎ過ぎで頭が少しどうにかなっており、まだ足りないと意味もなく田圃道を行ったり来たり、自転車でひたすらただ走るために走り続ける。
日も落ち切った頃に帰宅。が、夕食の支度を済ませで出た家は家人が出払っており、鍵を持たぬ自分はそのまま強制的に時間潰しの散歩。家前の川にそってしばし歩く。
なお、この時、直ぐ下の橋で本年初となる蛍の姿を目にする。
また、他にも本日蛍の話を耳にする。本年も時候となったよう。

以上、だらだらとたまの外出記。ついでに朝顔に肥料をやったと記して本日終わる。
雨月二日
大体、体重は0.1tぐらい。
ジョギングから散歩、水中ウォーキングと足に負担が掛からぬ――つまり楽な方へ楽な方へと流れ続けたたまの運動は、本日、自転車徘徊というさらなる境地へ至る。
全然疲れず、今まで行ったことのないような場所へ直ぐに着くのは存外面白い。子供の頃、世界の果てと感じていた場所が十数分で越えられて、背景でしかなかった山々が実は近所だったとこの歳で知る。

とりあえずの目標をこれからの蛍と、金剛輪寺に定め、本日以上。
雨月一日
久々にラーメンでも食いに行かぬかという話になる。いいな、と応える。
その前にちょっと寄りたい所があるんだがと言われ、頷く。
車の助手席にヘッドライトとGPS。緯度経度が方眼紙のように引かれた山の地図。
『――明日仲間と洞窟潜るんで、少しその下見に』
ラーメン食べに行く前のちょっとした用事とは、普通こういうものだろうか?

で、山へ。男鬼なんて素晴らしい地名目指して車は駆ける。適当に林道を走り抜けると『うーん、この道じゃなかったな……じゃ、もう一周』と気軽に山道暴走を繰り返す某氏。頼む、落ち着いてくれ、酔うから。林道はそう気軽にくるくる繰り返し回るもんじゃない。

げに素晴らしきはGPS。これと正確な地図の御蔭で現在地が何処か、数秒で解る。出来れば、何度も迷う前に頼りたかったが。

渡された双眼鏡で『あれ……穴っぽくないか?』と口走ろうがものなら、『洞窟カッ』といきなり車を止め山は斜面の遥か上まで猿の如く突き進んでゆく某氏。そのうち山の上の方に靄が掛かりだし、日も暮れだす。
大体、正確な道も迷っていた要因も(手前の林道を地図の道と勘違い)判明。と、神社好きの私のために良いところへ連れて行ってやるという話になる。
廃村の奥、山の上。杉の巨木の根元に小さな祠を祀っている神社であった。このような僻地だが信仰心篤く扱われているようで、周囲はこつこつ人の手が入っている。
『さて、祭神は――』
「(前略)日本書紀や古事記などという偽りの歴史などではなくッ(後略)」
……そういや戦前の発禁書に近江こそ高天原ってのが幾冊かあったなと思い出す。成程、素朴で真摯かつ熱心な信仰心を感じる、独特の神社な訳だ。
悪いところではなかった。
なお、行きに運動不足の野獣の野太く荒い呼気。帰りに黒いワイヤートラップが某氏の剥き出しの喉を直撃し、曰く走馬灯が走ったとか。そんなこんな。


人の気配と人工の灯りがある下界――街へと戻る。当初の予定通りニッコウへ。久々の今日はつけ麺を頼む。
後、帰宅。ふらりと入った町外れのコンビニの兄ちゃんが、先日潰れた近所のバイト氏に似ていた。同系列の店だし――そういうことだろうか?
最後に、某氏の眼鏡が新しくなっていたのは、海でソフトクリームを舐めていたら鳶に顔から直接奪われたという、新たな人生ネタだと教えてもらったことを記し、本日終わる。
以前、在りしことども

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