日々、在りしことども



紅葉月三十一日
ハロウィン。故にカボチャを調理し、冬至と勘違いしていることに気付きながらも食す。
紅葉月三十日

紅葉月二十九日
犬と猫を見に出掛け、予想外の人形の素晴らしさに打ち震える。

彦根へ。高橋狗佛コレクションとまねき猫展を見に行く。
前者は、春先に何気なく覗いてその素晴らしさに打たれ、是非後期展示もと待っていたもの。
今回は以前と違い、氏の趣味人脈、いわゆる我楽他宗などに場所を広く割いており、すっきりした雰囲気のものになっていた。まあ、美形の犬や、鯛車(春にも居たか?)に首振り虎といったものも見られ、奥方の貯金玉コレクションなど面白い展示物もあり、相応に満足。出る。

ついで、城内の招き猫展へ。彦根井伊家と招き猫の関係については今更語るに及ばず。
それなりにしっかりしたものであったが、ものが小さいためか、どうしても小規模なものにしか見えず、招き猫にお賽銭を上げ、じっくり見つつも早々に回り終える。

ついでに何時ものように展望台まで足を運び、いざ帰ろうとしたところで奥の林の更に奥。琵琶湖間際の櫓にて人形展をやっていると知り、覗いてみる。
『人形舞』も行うホリ・ヒロシ氏の作品展。ほぼ等身大の人形に幾重にも着物を纏わせ、カンザシで飾り、それを重要文化財の櫓の闇に浮かび上がらせる。
いきなり狭く暗い場所に入ると、まず正面に、目にも眩しい純白の姿。圧力を感じない迫力というか、こちらに来ない凄みを存在感として纏った姫達。顔や目元の造形など、全く私の趣味ではないのに、その和の拘りに魅せられ、時を忘れる。
予定どころか知りもせず、しかし本日最も有意義で幸せなひと時であった。

以上、乱筆乱文。最後に道案内をしていた城内ボランティアの方に御礼を述べ、本日筆を置く。
紅葉月二十八日
夢見が悪い、とあえて書くほど、どうにもこうにも。
熟睡できないのは麦酒を飲んでないからだろうかとふざけたことを抜かす程度には、まだ全然大丈夫。
紅葉月二十五日
いい加減な生活で大分視力が落ちている。

『図解 近接武器』読。真面目で資料的な出来だった反動か、巻末の「重要ワードと関連単語」の好き勝手具合が良かった。ガントレッドとキドニーダガーの間には、武器としての効果を真面目に検討されたキスの項目があり、七支刀の六又鉾としての分類を語る傍ら、斬鉄剣の材料と蒟蒻についてが淡々と纏めてある。他にもハリセンだのベアークローだの民明書房やロリポップナイフ。
『図解 ハンドウェポン』もあるのだが、やっぱりサイコガンとかジャッカルとか、最後はそっちに走るんだろうか?
紅葉月二十二日
迷惑メールをまとめて捨てる日々。だから知人からの電信を、削除済みアイテムの場所からも消そうとする寸前になってようやく気付き、冷や汗をかくこともある。
ふと、思い出す。『数々の事件から、完全犯罪など成立することはないのだということを、我々は知っている。そして我々の知っている犯罪とは、全て失敗したが故に目に付いたものでしかないのだ』という言葉。
――もっとやばいミスには、つまり気付いていないのか。
紅葉月二十一日
昨日入手の酒だが、三重は上野の森喜酒造場『妙の華』。なかなかしっかりした香りで、後味は舌に残らない。
もう少し強く甘く個性を残すような酒が好みだが、悪く無し。昨晩は時間を掛け、久々に七、八合ほど空けてしまう。
頭痛などは残らなかったが、飲み過ぎてしまうのが問題だ。

寝酒に一合啜るような、ぎりぎり飲める不味い賞味期限切れの純米酒という特殊な酒を求めていたのだが、ちと失敗。
最近、旨い酒ということで『英(はなふさ)』なる名を聞き、たまたま酒屋で揃えてあったその蔵の、品切れしていない品を選んだのが、上述。漫画絵ラベルの『るみ子の酒』もここで、るみ子は奥さん、英は旦那氏の一字を取っているのだとか。仕込む酒は純米のみ、量も少ししかやらないという。
世に旨い酒は数多い。県外にもっと手を伸ばしてみるべきかと、ふと考える秋の日。
紅葉月二十日
朝より寺掃除。久々の風景は、懐かしくもあり、変化している諸所が珍しくもある。
午後、適当に出る。酒屋で聞話していた所、つい引き込まれて一升瓶を手にとってしまう。
紅葉月十九日
雨。赤福の日。末尾二題

いい加減ごみごみしい室内だが、手を伸ばして目立つ埃などを取っていたところ、卓上地層の中からアンモナイトの化石を発掘する。
……事実は小説よりも奇なり。


巷で話題の赤福事件だが、自分は企業ダメージ・行為の悪質さこそ大きいものの、雪印の時と違い、会社が潰れることは無いだろうと先行きを予測している。理由は、牛乳のように代用となる他社同製品が存在しないため。赤福を愛する人達が、その存在の消滅を許さないだろうと――
『――これからは全部御福かぁ』(家人)
そう言えば。自分は今、まさに時代の変わる瞬間を目にしているのかもしれない。

夕食後、生協より電話が来る。曰く、『先程お届けした和菓子ですがっ。例の赤福から餡が納入されていた会社でして。その和菓子に使用されているかは解りませんが、念のために食べずに廃棄して下さい。代金はお返しいたします。ですのでどうか、必ず廃棄をっ』
そこまで必死にならなくても、と思う。
食の安全性という点について、相変わらず生協は安心できる。自分より神経質な人間も、時と場合によっては実に役に立ってくれる。頼りがいがある、とか、信頼できる、とか、丸投げして思考停止できるから楽だ、とか最後本音。
とりあえず冷凍庫の和菓子は早急に処分予定。多分、明日か明後日に緑茶か紅茶水洗で。
紅葉月十八日
夜、出る。視力の低下を感じる。
ところで唐揚げとは一定期間に幾つか摂取せねば、定期的に禁断症状が出るような代物だったろうか?
紅葉月十七日
『暴れん坊将軍』といえば長く続いた有名シリーズだ。ふと、思う。一体どれぐらいの人間が斬られたのか?
印象だが、大概は配下を沢山持つ、役職や領地名を肩書きに持った高禄の侍。それに協力する悪人。そんなところではなかろうか。商人だけの集団を斬っていた記憶はないし、邪教集団や町のチンピラ、長屋でも評判の虐待親父を血祭りにあげたという話も知らない。
そうすると、ざっぱざっぱ斬られているのだ。――役職名で呼ばれるような偉いさんが。
〜奉行だの〜の守が町長並みに多いとか、半年任期だとは聞いたことがない。しかし実際には、次々不幸で首がすげ変わっている。上様の手で。
その辺、どれぐらいのペースかは、何人ぐらい同じ肩書きの者が成敗されているか統計をとって、青年から中年という若かりし頃の上様の在位期間を適当に算出、割ってみねば分からぬが、酷い役職になると三ヶ月ペースとかもあるかもしれない。すると当然次のような会話も生まれよう。

『おい、聞いたか? 今度、梶谷殿が勘定奉行になられるそうだ』
『なんと。まだ水谷様が亡くなられた前の大萩様に代わって、三月ぞ。
 ……ということは、オイ』
『ああ、そうだ。――水谷様も郎党共々、屋敷にて惨殺されていたのが見つかった。下手人は、やはり相当な腕前ということだ』
『――捕まるだろうか?』
『ハッ。「右、斯クモノ要職ニアリナガラ、其ノ行状、私腹ヲ肥ヤシ、民草ヲ苦シメ、其レ最早士道ノ末席ニ連ナルモ許サレルベカラズ。ヨッテ家名断絶ヲ申シ渡ス。――尚、下手人ニツイテハ、必要以上ノ捜索ニハ及バズ」。……だとよ』
『またか……一体どうなっておるのだ? もし本当に悪事を働いておられたとしても、それは幕府がきちんと裁かねば意味が無かろうに。問答無用に斬り殺しては何ぞ真の解決となろうぞ。しかし、かといって下手人を見逃す理由など無く、さりとて直ぐに命を絶たねばならぬ必要などなし、ううむ……』
『ああ、案外、血の気の多いお偉いさんが「文武両道」だとか「天誅」とか言って辻斬りを――』
『これ! 滅多なことを申すでない』
『しかし梶尾殿が勘定奉行か……』
『――嗚呼、まだ拙者が青白い若輩者であった時、誰よりも叱り、誰よりも褒め、色々目をかけて下さったのが梶尾殿であったのだが……』
『――あそこの上屋敷の当麻は、道場に通っていた頃からの俺の知り合いでな……『拙者、今度のお役目が落ち着いたら、郷里にて祝言を挙げるでござる』とか言ってたのに……』

ウウム、なんと無残な。最早、これは栄達でも立身出世でもなんでもない。
リストラ用の肩叩き部署どころか、お上からの処刑予告に他ならない。
なればこそ、残される妻や子供、年老いた父母。家来達やその家族のために、自分が出来るだけの手段で金銭を掻き集めようするだろうし、またある者は何時訪れるとも知れぬ死に怯え、誤魔化すように美酒美食、色事の道に走り耽る者も出よう。それは、人の弱さではない。悲しさだ。


とまあ、そんな風に『上様に自重させたら結局悪人は減るんじゃないか?』と暴れん坊将軍諸悪の半分の根源説を考えていたが、ふと最近読んだ本で『七万人』記述を見る。桃太郎侍が、四十年かけて斬った悪人の数だとか。『最も多く斬ったのは越後屋と勘定奉行』。

――やっぱりみんな、心の何処かでは気付いてるんだ。本当の悪は越後屋と悪代官と、そうしてもう一人。独善的な正義を語る殺戮者(スローター)が目の前に居るってことに。



予定じゃ、自分が思いつくようなことは既に誰かが気付いてるし、調べているもんだよなぁと先人に敬意を表して終わるはずだったのに、ちと着地に失敗して足を捻った。 そう内情を吐露して、本日終わる。
紅葉月十〜十六日
さて。端的に言ってしまうがパソコンのハードディスクが壊れた。データのサルベージも無理っぽい。
夏前に一部ファイルのバックアップはとっておいたのだが、他は全滅。特に、メール関係など酷いものである。
よって、此処を御覧になっておられる諸氏方々にお暇などあれば、慈悲と寛容の心をもって悪戯メールの一本でもお送り頂きたい。お願いします。
というか近頃は携帯の番号変更もメールで来る。一部知人に一番手っ取り早く連絡を取る方法が電話ではなく、自宅襲撃か職場乱入、或いは速達だなんて、ああこれも時代か。


追記:
電信など来ないときは半月一月当たり前なのに、何故か来るときは集団で来る(しかもそれぞれ無関係)。久々にそんな現象があり、感慨深くなっていたところ全部消えた。ここ数年の古い電文も全て道連れ。これが日頃の行いというやつか。
ついでに、ネットで拾い続けてきたイラストや小説の昇天も、痛い。
これを機にインターネットアーカイヴを使って、作者氏すら自分史から消したつもりになっている画像から集めて回ろうかと、こちらは邪悪前向きに予定中。
紅葉月九日
ハマグリの天婦羅。

大半は炊き込み御飯にしたのだが、残りで挑戦。
まず蛤を軽く酒蒸にして口を開く。
貝より実を外し、刻んだ葱、生姜、枝豆(銀杏の代用。季節物として)と一緒に天婦羅の衣であえ、それを外した貝の上に盛る。
網お玉を使って、金魚掬いの逆の要領で静かに投入。
結果は、少々揚げ過ぎて硬くなっていたが、まあそう悪くなし。下ごしらえの段階で十分に火を通しているのだから、次はもっと早目に。それと酒蒸で出た旨み汁を天婦羅の衣に少し混ぜてみようかと、改善点を記し、本日終わる。
紅葉月八日
蟹味噌を舐めてみる。海産物系珍味に狂喜する性質ではないので今まで手を出してこなかったが、食わず嫌いのまま年老いて死ぬのもどうだろうとふと思い、本日、普段なら丸々家人へ譲る頭部にえいやと指を掛け、ぱかりとニ分割。意外とシンプルな中身を観察し、端にある緑の味噌を箸先にちと付け、一舐め。そして、良く頑張った、勇気を出して挑んだお前は充分立派だったよと自画自賛し、残りを何時も通り家人へ上納。
こうやって少しずつ慣らしていけば、十年二十年後には甲羅に酒を注いで呑める日もこうようか。
紅葉月六か七日
『ARIA 11』読。前巻はちと自分の嗜好に合わなかったが、それをわざわざ思い出して笑って帳消しに出来るぐらい、今回は良かった。
最近たまたま知った「海との結婚」関連の話、『ARIA』の中でも特に自分が好きな「ケット・シー」シリーズの話。クローバーや休日の話の出来も良く、何より最後のNavigation55『黄昏時』。
やけに気合が入っているなと思ったら、――確かに。こんな大きな転換点を描くのならば、それは絵の一筋一筋に魂も籠もろうというもの。

変わらぬ日常を描いているようでいて、少しずつ確かな成長を積み重ねていっている。
この次の話がどうなるのか? 次の次の話がどう広がるのか? 
ああ、心から本当に楽しみだ。
紅葉月五日
彼岸花の時候。

本を返却し本屋へ。復刊した可淡ドールの写真集を眺めたり、等等。
富籤を購入。一枚買って大当たりというのが面白いのだが、こうもゼロが並んでいる辺り、その可能性はないように思う。

首都圏外郭放水路の見学会に、申し込みたくて仕方ないこの頃。
以上。
紅葉月三日

紅葉月二日
クリームシチュー用の牛乳をと、深更コンビニへ足を運ぶ。割高も気にせず購入する辺り、すっかり毒されているように思う。
ローソンの、細長い箱チョコレートコーナーといい、惹かれるものも日々季節で増え、だんだん悪化している模様。
これが薄汚い商業的洗脳かっ。
紅葉月一日

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