日々、在りしことども



如月二十九日
閏。

○○○という日本酒の蔵がある。あえて名は伏せる。数年前、試飲会で頂いたお酒が非常に美味しく、その時は一二を争う収穫とここでもべた褒めした。
以降、その蔵の酒を何度か口にしたが、一度も美味しいと感じた覚えがない。
大型安売り店に置いてあるのはいい。冷蔵コーナーにあるし、まっとうな地酒がスーパーやコンビニの棚に並ぶ時代だ。大抵醸造アルコール含みも、許そう。純米酒嗜好の私だが、醸造アルコール入りでも美味しい酒というものは確かにある。

が。山廃純米ひやおろしが此処まで臭いってどういうことだ?

香りの強い純米酒などを好むため、米の甘い芳香に慣れ、辛口をひねたと感じているだけなのかもしれない。でも、不味いものは不味い。嗜好というものは極めて個人的なものであるため、あえて貶す蔵名は控える。コンクールや品評会に特別仕込みの酒を出す蔵もあるという話を思い出したのは、本当に小人の邪推か?
竹生嶋、北島酒造をはじめ、良い酒蔵は幾つもある。試飲会でそういったところに混じり、昔ながらの臭い酒を並べ、誰も人が寄り付かなかった哀れなブースを思い出す。

あの時頂いた、クーラーボックスから取り出され発泡性の絞りたてだったか濁りだったかは、本当に美味しかった。残念だ。これまでに再びアレを飲めなかったのも、そしてこれから先、決して飲む機会が来ないことも。

もう二度と、この蔵の酒を私が手に取ることは無い。
如月二十八日
――花粉の季節。
如月二十七日
昨日も今日も雪がちらつく。こんなに幸せでいいんだろうか? これで春の桜が例年以上の満開にでもなろうものなら、きっともうそれは人生終了のお報せ。

出る。品切れを心配していた特装版は普通に平積みされていた。
小麦関係の値上がりが酷い。ついこの間まで五個セットの袋ラーメンは、スーパー特売で二百〜三百円が相場だった。今は、三百〜四百円が普通らしい。
もうしばらくすると、また小麦が値上がりする。麺食いにはつらい時代だ。

買い溜めは、また食らい尽くすからしない。
如月二十六日
春も近づいてきた。最近、萌えいずる変質者の注意を、良く聞く。
如月二十三〜四日
大風、夕より雪。発電所からの送電線に負担がかかっているのか、時折暗くなり、夜に入ってからは数分の停電が断続的に起こる。

なお、気付いたことだが停電からの復旧直前、雪で白く灰めいた曇り夜空が、緑色に光るという現象が(停電から復旧する度)あった。最初は雷か、高圧線辺りが光っているのかと思ったが、どうも違う。連想するのは昔見た、宇宙空間(高々度)で核実験を行いその影響を調査したときの、光る空の映像だ。

美しいというよりは不可思議、無数の電線に一気に電気が流れることで、空中のイオンだか雪だかに影響が出たのだろうか?
中学の理科の実験で何かあったような気もするが覚えていない。氷砂糖のような結晶を砕くと光ると聞くが、ここでは違うであろう。人工のオーロラが親戚かとも思い、ハテと首を捻る。

こんな現象があったのに、誰も何も言わない。そこにちょっとした不気味さを覚えつつ。
如月二十二日
普段余り読まない作家や会社・文庫だと、どこまでをギャグとして受け止め、どこからを痛いと流すべきか、判断が難しくて困る。――純粋に楽しみたいだけなんだが。

昨日の土いじりで久々に右脹脛限定筋肉痛がきたため、買い置きのプロテインを使う。が、缶を開けたところ底に少量浅く残るのみ。 以前から、何時の間にか減っていることには気付いていた。粉末状だから、微妙な振動で身が詰まっていっているのだろうと思っていたが、幾らなんでも説明の付かない減り具合。はて、水分の蒸発かはたまた他の化学変化か。

薬物も栄養も本当はもっと濃縮が効いて、大切なのはそれを満遍なく適度に薄める水のなのだろうかと、益体もなく考える。
如月二十一日
パソコンのウイルス駆除を頼まれる。実害こそないものの、結構なところまで食い込んでいるのでやたら面倒。
某国人がネットゲームのパスワードを抜き出そうと、手当たり次第にばら撒いたものらしいが、こういうところから他国人への憎悪が育つのだなと実感。

他、遅まきながら源平枝垂れに肥料を与えた日。本日極めて快晴、以上。
如月二十日
電気屋のポイントをぬいぐるみと引き換える。
如月十八日
書店へ立ち読みに出る。めぼしいもの、無し。
ひたすら体が肉を求める。魚不可。最近、何故かそんな欲求が多い。
如月十七日
夕前よりまた大雪。幸せ極まって、食後、車にて出る。
あてどなく雪の中をぶらぶらと。フロントガラスに吹き付けてくる雪の良さ。
わざと普段通らぬ道を行き、道路幅も正確に解らぬまま新雪の上を行く。
――田圃に落ちなかったのは、多分、たまたま。

本日も天気と感想のみ。まだ単語ではなく文章の体裁を保っていることに驚きながら。
如月十六日
雪の日々。それなりに幸せ。
他に書くようなこともなく。
如月十五日
ここ数日、ちょっとした怪我の治りが良い。……ハテ、何を食ったろうか?
如月十三日
特に記すようなこともなく。
如月十二日
夜、風強し。

悪い意味で腐っている。
如月十一日
花桃のため骨粉を求めてホームセンターへ。見れば、植え付けの季節らしく結構太い源平枝垂れの苗などが並んでいた。――時期過ぎの安売りを狙い、足繁く通おうと卑しく決める。

この頃、時に思う。土地が欲しい。
辺鄙な山奥、人気のないような場所ならなお良し。そこに、好きな樹々や花を気ままに植えるのだ。その一角に、手足を伸ばし横になって花を愛でられる程度のあばら屋があれば、それこそ幸せな生というものだろう。朽ちる頃に、自分好みの桃源郷が出来上がっていれば言うことはない。

一生の目標を手に入れたような気がする。
五百円の捨て値で売られている染井吉野の苗木を、そこらへんの空きスペースや土手に勝手に植えて回りたいという、ぶっちゃけただの犯罪行為をそんな夢想で誤魔化しつつ。
日、長くそろそろ春の近づく頃。
如月九日
朝より雪。
如月八日
早朝。粉雪がちらつく。

スサノオがヤマタノオロチを切り殺した際の佩刀「トツカノツルギ」とは、握り拳十個分の長さがある剣、即ち長剣の意であると理解していたのだが、最近は柄の方が握り拳十個分という解釈こそが一般的なのだろうか?
まあ、多いということを八で表す古の傾向に従えば、ヤツカノツルギこそが正しいのかもしれないが。
如月七日
黒飽きた。
如月六日
腹が減って腹が減ってしょうがない。肉にくニク。
如月四日
何となくサイトを弄る。
書庫にお蔵入りしかけていた『掛け軸売り』を追加。自分でも驚いたが、記録をみれば第一稿は2005年完成とある。今が何年か、考えたくもない。
如月三日
雪。
豆を齧り太巻きを作りイワシの身を箸先で摘む。
鬼も福も我が内にこそ在れ。
如月二日
どうやら自分は『浜崎あゆみ』『倖田來未』『宇多田ヒカル』の区別が全く付いていないと自覚する。
テレビや雑誌には縁がない生活をしているからまず顔が解らない。皆さん、若い女性で名前も現代風、とても売れている人々だとは知っているが、逆に言えば同じ分類で括って把握しているから同じ存在として脳内で整理されている。それで全く困らない。
まあ、たまにラジオで耳にしていいなと思った曲の歌い手が全部『宇多田ヒカル』だったから、それだけ覚えておけばこの先の人生も問題はなかろう。

書店にて美しくも味のある某イラストレイター氏の漫画を手にとって悩む。イラストと漫画では、時に一方の才能に限定される御仁も多々居られ、更には原作付き。
賢明にリスクを回避したつもりであったが、とある本で新しいカラーイラストを一枚拝見し、これだけの絵を描く人ならば己が躊躇いこそ愚かであろうと、入手。帰宅した。
胸を落ち着かせぱらぱらとめくる。
違和感。
名前を確かめる。
ネットで検索する。
『椎名優』(此処で言うイラストレイター氏)
『片瀬優』(実際手に取った本の漫画家氏)

二月です。まだ負け犬風が追い風となって背中に吹き付けてくる昨今、襟立てても色々な寒さが身に染みます。
如月一日
本年流行だというところのカレー鍋をしてみる。和風出汁を使っているところから、レシピ的にはカレー饂飩と同じもののよう。モヤシが意外と美味であった。
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