日々、在りしことども



七夜月三十一日
朝顔を、本年も育てている。別段仕立ててはいないが、横に這い始めたツルの先に一輪開く姿など、なかなかに美しい。
百均で大きなネットを買って来た。座敷前の軒下に斜めに吊るす。裾には、プランターや鉢植えの朝顔をドンドンドンと。

我が夢、ツタ植物で作る緑の壁朝顔バージョン、此処に完成。
七夜月三十日
郵便局へ行く。郵便振替を行うためだが、実は何度やっても良く解らず、毎回局員氏に助けて貰っているような有様。
本日もATM相手に試行錯誤の末、助けを乞う。
「あ、こっちでいいんですか」
「はい。お客様は普通口座をお持ちですから、こちらのぱるるで」
「あのー」
「はい」
「ぱるるって、つまり何でしょう?」
「――え? あ、その……ちょ、ちょっとお待ち下さい」
 慌てて同僚の下へ走る職員氏。ふむ、不自由なく使えたり、大体ニュアンスや全体像は把握できていても、いざ正確な説明を求められると困ることは、良くある。本当に思い付きだったのだが、真面目な職員氏には悪いことをした。

手続き完了、網手入れ。睡蓮の追肥のせいかメダカ池、緑に濁る。産卵はせず。
買って来たプランターの底に栓をして簡易水槽にし、巨大化してきた子メダカと、同じく栄養状態が良かったのか最大サイズになったミジンコを、ウィローモス流木・石と共に日当たりの良い場所へ移動。
放っておくことも大切と知りながら、手を入れずにはいられない。本日の雑事以上。
七夜月二十九日
糸トンボのヤゴかっけー。
七夜月二十八日
昼前、天候荒れ落雷。消防車が互いの目的方向からサイレンを鳴らし逆方向へと擦れ違い走り去っていくのは、何やら馬鹿みたいで失笑した。……もっとも山の方で白煙が立ち上っているのに気付いたときはぞっとしたが。
山か建物かは知らぬ。落雷によるものであろう。すぐに消えたのが幸い。

ウィローモスを流木に巻きつける。適当にしたせいか、それても店員氏がたっぷりサービスしてくれたのか、かなり余る。放っておくと、とても元気に増えるそうだ。とりあえず新芽をエビ用の餌に供さんと、瓶に切れ端を放り込む。
本日以上。
七夜月二十七日
草津に蓮を見に行く。早くから見たかったので日の出前に出発。丁度満開の時期であり、既に多くの人や犬やカメラが右往左往。最初に花開いたものが最も赤く、二度三度咲いて閉じてを繰り返しているうちに白くほぐれていくよう。葉陰にはカルガモの親子も居り、小さな影が水上の葉の上を走っていた。
見頃は多くの花が開く九時頃。熱中症警報の放送が何度も流れるような日に、早朝から徘徊して茹で上がる人間が一つ。

夏時間ということで七時には開く水生植物公園『みずの森』へ。熱帯睡蓮や水草水槽を楽しむ。なお、蓮祭り中だったので、本年こそはと象鼻杯に挑戦。地酒でなくミネラルウォーターを選んだため、一番手が回ってきた。
竹串で葉の中心から茎へと幾つも穴を開け、水を注ぐ。補助して貰い、左手で茎を曲げて一吸い。しかし最初ということもあってか空気ばかり。そのうち泡交じりの水。水分を含ませたスポンジを啜っているようなもの。
必死に啜り続けるワタクシ。目に見えて減っていない葉の上の水影。頑張れと応援してくださる周囲の皆様。御猪口二三杯分だとはケチな話……と最初は考えていたが、その御猪口を干すのが大変であった。
水自体は蓮の青さが味香り共についており、その風味は、昔、長寿の暑気払いとされたのも頷けるものであった。
格安の黒メダカや蓮の肥料を入手。無料で配っていた青花ココア粒やお試し用あおばな茶も入手。『植え替えちゃんとしたかね? あーじゃぁ駄目だ。多分根腐れ起こしてるよ』との暖かい御言葉と花蓮の育て方説明ペーパーも入手。


昼食は無視し、茹だったまま琵琶湖博物館へ。何度も来ているため、流す程度でいいかと思っていたが、展示に色々努力・工夫しているようで、飽きることなく楽しめた。湖国もぐらの会など、格好良かった。しかし水族館の方にテナガやスジエビはいてもヌマエビが居らず、小首を傾げる。

帰宅直前、近づく夕立と一キロ先で落ち続ける雷を堪能。ただ、もっと近くで雷を味わいたくなり、豪雨の中へ車で。残念ながら悪化した視界に遮られ望み適わず。
ふと、目に付いたペットショップに入り、みずの森の水草水槽で見た美しい草について店員氏に問う。
『流木に張り付いている苔みたいの』でウィローモスと返答。南米産のものを安く手に入れる。流木に釣り糸ででもぐるぐる巻きつけておけば良いとか。

本日、遊び倒した一日。
七夜月二十六日
朝顔が咲き始めた。
なお、鷺草は梅雨明けてから無事に背を伸ばしつつある。好し。

ミナミヌマエビ体色変化。川で捕獲した抱卵個体は元々濃い茶黒で背中に縦線が入っていた。それが薄まって緑色っぽくなっている。
ミナミは赤、青、緑と結構簡単に色を変えると聞く。中には黄金色の固定に成功した人も居られるとか。
うらやましいし、楽しみだ。
七夜月二十五日
メダカ水換え地獄変。

夕、多少なりとも涼しくなってから始める。すぐに夜。さらに蚊。暑し。すでにこの付近で色々地獄。
メダカ池を清掃し、ついでに今飼っているエビ、子メダカ、水草と、瓶といった飼育容器の組み合わせを全ていじり回す。計画性無く泥縄的思いつきで実行したため、全てが終わる頃には遅い月が空に。
水草どこだ小エビもどこだと、最後には汗を流すゾンビが如き有様。

なお、黒メダカが一匹消えた。死体も見つからなかったことからして、謎の失踪(共食いされるにはでかすぎた)の模様。それだけならば時々――いや結構あるが、問題は彼が唯一残っていた雄だということ。
子メダカは結構な数がいる。しかし親メダカにこのまま夏秋と残りの季節、毎日のように無性卵を産ませ続けるのも何だし、しかし近場で手に入るのはどれもこれもヒメダカで、さて。
七夜月二十四日
疲労がじりじりと来ている。まだそうきつくないが、『本番はこれからだ』と言われているようでむしろ不安だ。
持ち帰ったテナガ死亡。一匹だけを水沢山、藻沢山の水槽に放り込めば大丈夫だったかもしれない。ヌマエビは、皆元気。
メダカの産卵がとまらない。孵化したのは小さな容器でも生きていけるとはいえ、やはり大きな水槽に放り込んだ方が目に見えて育ちが良い。

――――最初の目的は何だっけと、枯れこそしていないものの、未だ高く伸び上がらぬ鷺草を見やりながら。
七夜月二十三日
蝦と地震の日。

この県で、テナガエビが採れるという。結構一般的な存在だとか。
子供の頃は川で遊んでいたが、せいぜい稀にスジエビを見かける程度。琵琶湖までは余り足を運ばなかったせいか……と、無性に欲求が募る。
テナガエビ、見たい。
発端は、そんな思い付き。

まずは川ガサ。網を手に、適当に川へ。
犬上川河口にて、エビ二種捕獲。ヌマエビと、スジエビ。
(スジエビ:一般的なカワエビ。掻き揚げにしたり、豆と炊いたりして食べる。が、肉食嗜好のため水槽の掃除はしない、メダカは襲うと、イラナイヒト)
丁度現在はエビ類の産卵期らしく、小さなヌマエビの、更に細かいのを大量に手に入れる。抱卵個体も、一匹。嬉々として持ち帰る。

なお、河口で川を逆流する小魚の流れを目にする。一匹二匹でなく、群れでもなく、本当に細い流れとなって延々遡上し続けているのだ。どうもゴリ(ウロリ)らしいが、こんな恐ろしい量が秩序だって行動しているとは思わなかった。意外なところで目にする大自然の力。
それから、この前の枯らしちまったネジレモだが、幾らでも生えていた。琵琶湖固有種といっても、希少種などではないということか。

炎天下を移動。帽子も無く、適当な流木も水場も見つからず、金魚藻のみ入手する。さえぎるものなど何も無い河川敷のど真ん中で、いい加減、自分が熱中症で潰れかねない状況にあるとようやく自覚。既に回らない頭と体で帰宅する。


で、肝心のテナガエビは一目拝むことも適わず、夕を迎えて今日も終わり、記憶に残る夏の思い出がまた一つ――――しかし疲れているというに、いらぬところでだけ鋭い私の脳髄が無駄に回転し、囁く。曰く、エビが活動するのは日が暮れてからだろう? まだ、悔やむことなど何も無いさ。

で、日没後、家を飛び出る馬鹿一頭。
テナガ釣りという、ザリガニ釣りより魚釣りに近いものがあるとそうで。
なお、この近辺で特に確実な生息地は能登川だと確認。
良く知らない夜道を暴走する。多分、暑さでどこかがちょっとおかしくなっていたんだと思う。

堰らしきもののすぐ下。如何にもな石の並ぶ琵琶湖手前。
夜釣りの人を避け、懐中電灯片手に降りる。
そうして石垣に足を乗せ、川面へとライトを向けた途端――居る。一杯目が光ってる。エビは夜に探すと目が光って解りやすいよと聞いてはいたが――ぶちゃけ怖い。そして今、岩陰に隠れた細長い棒のようなものは、まさに――
――ここで、目的の大半終了。

さて、釣果だが、釣れぬ。竿が邪魔。数メートル向こうのポイントに落とすのではなく、五十センチ先に糸を垂らす道具こそが欲しい。しかも大きな雄がぱっと見つからず、一度引かれはしたものの、以降反応なし。こちらも、ならばと網遊びに夢中になり、余計釣果という言葉が遠ざかる。

エビ自体は、やはり産卵期らしく、指ほどの小さなテナガ(とはいえ、他の川エビよりは当然大きい。ただ、雄のテナガはもっと大きい)が卵を抱き、繁殖色か、赤い色のも居て、水中の石に張り付いている。
ゴリや、深更、寝に集まってきたらしいタナゴ、テナガエビの抱卵個体などを捕まえる。雄に比べて短いけど、それでもちょっとは長い手指。残酷獰猛の言葉に相応しく、脱皮したての自分より大きなテナガに容赦なく喰らい付くちょっと小さいテナガ。

滑る石の上、懐中電灯を手に散々遊び尽くす。釣りは、次の昼間に。


帰宅直後、深更、また東北にて地震との報を聞く。最近、あちらは地揺れが多い。大過なければ良いが。
七夜月二十二日
エビ日記。

評判タンクメイトのヤマトヌマエビだが、夜でも見かけず、あんまり働いてくれているようには見えなかった。
本夕、ふと見たところメダカ池の壁の一面が、明らかに綺麗になっていた。ようやく本領を発揮し始めたということだろうか。
睡蓮周りまで綺麗になったなら、その時は御褒美代わりに色々餌を与えるとしよう。

ミナミヌマエビ。昨夜、抱卵個体を別容器に移した。腹に抱え込んだ卵に一生懸命水を送るなど、その素晴らしい親っぷりは見ていて頼もしい。
が、本日元の飼育容器の方で走り回っている小エビを一匹発見。
そういやメダカにもいた。一般常識とか他の兄弟とかを無視して、一足早く生まれて元気に泳ぎ回っているようなやつが。
大きく育て。
七夜月二十一日
ミジンコ観察日記。

グリーンウォーターと自分が判じていたものは、濃縮毒素液緑色だったようだ。
悪臭と全滅と別の何かが涌きだした汚水を廃棄。明日にでもメダカ・エビ飼育容器の水と水道水を混ぜ、今度は比較的綺麗な環境でミジンコわらわらを目指そうと思う。
一方、ミナミヌマエビの容器でミジンコの異常増殖。水量か、水温か、それとも流木やエビの廃棄物が良い環境を作り出したのか。ちょっと問題を感じるぐらいわいている。
七夜月二十日
苺酒を瓶詰めにする。
色合いは、色気すら感じる、明るい柿色。こういう染色ならもっと試してみたい。
味は、今一。もとより適当な仕込だったが、甘みも足りず、香りも足りず、何故か酒に苦味がある。

次は大本命。季節のブルーベリーを摘んだ端から瓶にウヲッカ仕込みで。
もしくは紅茶。アールグレイかニルギリの良いところを。もしくは台湾烏龍の夏茶で。

七夜月十九日
花火とミジンコ。

夜、花火を見に行く。橋の中ほどには何故か人が居らず、昇ってくる丸い月を背景左に、しみじみと迫ってくる花火を味わう。
人が減ってから自転車で帰宅。月明かり、自転車、田圃道。汗に濡れた体に夜気が冷たく、ふと松本の秋を思い出した。
一人で、月が綺麗で、何にも無くて、自転車で、静かで。涼しい夜に日本酒を飲む。

松本の酒が飲みたい。


一方、感傷はさておき、ミジンコ。
ミナミヌマエビ(一匹御昇天。赤くなって沈んでいる)の容器でうじゃうじゃ 小さい姿を見る。
ふと、かつて睡蓮鉢にミジンコ採取の残り水を放り込んだことを思い出す。うだっていなければ万が一――と覗きに行く。
一方は浅い水面の関係か小さな影が動いているぐらいだった。もう一つ、枯れた葉の処理などしておらず、蛙が葉陰で腰湯に入っている方を見ると、でかいのが。
爪楊枝の先じゃなくて頭。葉っぱを連想する厚みのある平べったい体。はっきりとバタフライが肉眼で観察できる、さんざん写真で見覚えのあるアレが意外な巨大さでそこに。

……ミジンコを飼育する趣味人が多い訳だ。ここまで大きくなる生き物だとは今の今まで知らなかった。メダカの卵よりでかい。

現在、一リットルペットボトルに数匹移して観察中。早くもちっちゃいのが生まれている。
凄ェ、ミジンコ凄ェ、と、感動を生のまま記し、本日此処に終える。
七夜月十七日
特に無し。余りに日差しがきついのでへたっていた。
乾燥していたのか、風など屋内ではそこそこ涼しいのだが、何かの病気ではなかろうかというぐらい汗が流れる。人間スポンジ。

夕、裏の交差点で事故。余り気が付かなかったが、車と車の、まあ軽いもののよう。

水槽、雨が降らず水が減り濁ったまま。エビ様の威力、未だ目には見えず。
茹だったのか、ミジンコが三容器とも壊滅。もう一つも芳しくなく、しかし子メダカの容器に掬い入れたものがまだ減りもせず元気なまま――飼育の基本ではあるが、気の赴くままに一体幾つ分け増やしているのやら――なので、それらを使って四容器をリセット。ミジンコわらわらを夢見て、再び微生物飼育に挑む。

ネジレモを小さな器に植え、メダカ池に沈める。バイカモは、拾ってきてなんだが流石に無理だろう。ミナミヌマエビの巣となり餌となってもらう。
種から育てている藤を一鉢、食べ残しのパイナップル、黒ポットに放置していた朝顔をそれぞれ大きな鉢やプランターに植え替え。残りの朝顔を家前の土手斜面に植え付ける。
七夜月十六日
趣味日記。

メダカ水槽の水苔を除去するため、エビを購入。段々深みにはまっていっている気がする。
ミナミヌマエビを入手するつもりだったが、意外なヤマトヌマエビの美しさと大きさに惹かれ五匹ずつ求める。『メダカを襲うことはまずありません』という言葉に決定。

愚かといえどもそこで私は思い出すべきだったのだ。
昨夜、ミナミヌマエビ入手と最後に決めたのは、安いからだけでなく、容易に増えるから。
ヤマトヌマエビを外したのは、連中が淡水では生活できても、繁殖するのは無理だから。

帰宅してからようやく思い出す。ああ、愚か。


店を出てすぐ、水槽に沈める流木を求めて琵琶湖岸へ出る。適当に石や木を拾っていると、波打ち際に今シーズン琵琶湖で大流行の切断された人体の一部が――もとい、絡まった藻が、まだ緑色を残し打ち上げられていた。
――――こういうマツモとかフサモっぽいのが丁度欲しかったところ――お、これはまた違う種類か――オオカナダモはパスして――これなんか白い小さな花が咲いているじゃないか……まさか醒ヶ井の梅花藻? ――って、こいつは元気ないが琵琶湖固有のネジレモッ!!
……と、嬉々として水草を漁る不審者恍惚タイムを過ごす。


結局、ヤマトはメダカ池に放ち、ミナミは――小さいのが一匹多く入っていたどころか、既に抱卵している個体も居たため――琵琶湖水草の水槽を新たに作って、とりあえず繁殖に集中させることにしてみた。寄生虫や雑菌は敢えて気にしない。頑張れ、生物。


他、枯れるまでと水に差して屋外に放置していたパイナップルの葉が、むしろ元気になっていたのでまさかと引き上げてみたところ、白い根っこらしきものを発生させていた。
隣の、赤玉土に挿し移す。

朝顔をいい加減広い場所に移すべきだとか、今度は楓を小さな鉢で盆栽仕立てにしてみたくなってきたとか、そんなこんな。 本日も、以上。
七夜月十五日
家前の川に鴨が居る。二羽、しばらく前からだそうで、番がのんびり、浅めの流れに立っている。意外と大きいように見えた。まあ、気が済むまで羽を休めてゆけばよかろう。

メダカ、次々に孵化中。卵は、本日も水草に有り。
ミジンコだが、日当たりの良い場所に置いたところ、わらわら増える。水の色もあっという間に薄めに。
喜んでいると、数時間後には茹だったらしくかなり沈んでいた。微妙な連中め。
放置が一番かもしいれない。
七夜月十四日
メダカの稚魚が生れる。小さな黒い楔形文字が群れているイメージがあったが、生まれてすぐはかなり透明と知る。
七夜月十二日
夜、遠く花火の音を聞く。今年もそのような時期か。何だか無性に物悲しい。

メダカ、本日も少ないながら卵在り。どれが産んだのかは解らず。
先日の卵には早くも黒目と体が出来上がっている。

本日他色々。本麺葉書、肝臓に留意。また、下にばかり成長する源平枝垂れに逆切れし、今の時期の枝切りと、二本の枝を無理やり上に立てる暴挙に出る。片方の枝、裂けかかっているが――私は植物の生命力を信じたい。

やはりこれといって何もなく、本日以上。
七夜月十一日
結局、網をストッキングに張り替える必要は無かった。田は既に水を抜く時期に来ているらしく、まあそれでも幾らかのミジンコが採れる。薄っすら赤く、オキアミや、昔に見た琵琶湖のプランクトン採取光景を思い出す。
それなりの量を池に放す。今さっき餌を与えたばかりだというのに、もう日も暮れ行動の鈍る頃だというのに、奴らは飽かず生餌に群がる。
これだけ入れたから、餌要らずになるまでバランスよく生態系を完成させ増殖する――とは微塵も思えない。
明日の朝、一体残っているミジンコは居るのだろうか?

黒メダカは今日も卵を産んだ。『年に三四回』と『ほぼ毎日、二日に一度は』の両説があったが、後者に傾くこととなろうか。――まだ腹でっかいし。
餌の食い付きは極めて悪くなっている。量を気にすることとしよう。
睡蓮の葉、調子ヨシ。新しい葉の出る様子もある。
源平、葉を虫に食われる。というか枝先が鉢の地面ではなく、その下数十センチ先の本当の地面に擦っている。短くした枝も、二手に分かれて箒と化しており、意味なし。枝垂れの枝の落とし方が不味かったか? 葉を伸ばすより幹よ太れ伸びよと思う。

変わらぬ樹高を見ながら。某月某日かんさつ日記。
七夜月十日
メダカが卵を付ける。腹の膨らんでいた黒だけでなく、てっきり雄かと無根拠に思っていたヒメダカの混色まで。新しい三匹が刺激になったか、昨日買ってきたメダカの餌が栄養になったか――結構飢えていたみたいだったし。

昼過ぎ、引き上げたマツモから採卵。別容器に移す。楽しい。

先日の雨で水位も上がり綺麗になった池では、その水位の上昇が良かったのか元気の無かった睡蓮が新しい葉をかなりの勢いで伸ばしている。このぐらいが理想なのだろう。
七夜月九日
どこに行っても子供がうじゃうじゃ居る。職業体験の期間中らしい。
最初、ホームセンターで見かけたときは『こんな時間に学校を休んで働いているとは――そんなに経営が厳しい、いや、昔の田植え休みのようなもので、今の時期に梅酒や夏用品の一斉入荷が!』『最近のバイトはとても若く見える、まるで中学生か小学生だ……』と、感慨を抱いた。無駄だった。

寂しいのでヒメダカを三匹追加。大きくしっかりした黒が欲しかったが、居なかった。安く小さく弱いヒメダカだが、先に黒を求めたのと同じ店だから、餌前提でひ弱に過ぎるということも無いだろう。繁殖は、黒メダカとヒメダカでもするらしい。
現在、黒大二・ヒ混一・ヒ小三。計六。


追:生れて初めてストッキングを買う。この歳になるまで一度もそんな経験が無かったのは、むしろ色々駄目な気がとてもする。
誤解を招かぬよう、正確に記してみようか。
今日、女性用ストッキングを自分の趣味のために吟味して購入した。
早く使いたい。
七夜月七日
七夕。

メダカは順調に減っていっている。残り三匹。餌やりも放棄し、放っておいた方が良いのかも知れない。
庭の水を使い、グリーンウォーターによるミジンコ増殖への道〜ペットボトルでの動物プランクトン飼育ということを、思いつきで始める。楽しい。
グリーンウォーターといっても腐っているわけでなく、植物プランクトンだかバクテリアだかが繁殖しているようで、盛んに光合成をしているのか、容器の壁面に小さな気泡がかなり生まれていた。
とりあえず、元のプランクトンを増やすため、次の雨上がりには容器を増やして田んぼを巡ろうかと考えている。夜、懐中電灯を使うと更に採取しやすいし、警察に通報されやすいと聞く。

後日、この書き込みが無罪の傍証となりますように。
七夜月六日
メダカ観察日記。

黒メダカが一匹行方不明となり、現在黒三赤二の計五匹。安かった後者ヒメダカ二匹の方が警戒心が無いというか、馬鹿っぽい。
ボウフラは一日で消滅。即ち、餌が尽きる。緑っぽくなりつつある池にカツオブシを落としながら、[植物プランクトン――動物プランクトン――メダカ]と合理的な結論に達し、田水よりミジンコ・ケンミジンコ他を掬ってくる。
できるだけ自然な環境を構築しようと、大量に投入。入れた端から食われる。
生き餌は喰い付きが違う。飢えていたのか、食って食ってまだ食いやがる。こちらは放っておいても水が汚れないから焦ってくれなくてもいい、というか一定数が保たれるぐらいは残しておいて欲しいのだが、メダカに人間の都合など通じない。
飽食の時代というが、一日中食い続ける連中に比べたら、人は遥かに高尚な存在だ。
念のため、幾らかのミジンコを別容器で増殖させることにした。池の方、一体何日持つだろう……

ぶらりと出て、幾らか頼まれていた買い物など。他に、料理雑誌、調味料、入手。
七夜月五日
蝉の声聞く。 暑い。飽いた。髭剃りたい。
七夜月四日
どこで基準を間違えたか、七月の断片的な記憶が一週間とちょいぐらいある。

鷺草の池にボウフラがわく。こいつは困ったと笑顔ではしゃぎながらメダカと水草を入手に動く。
水草はマツモ。売っている人が『……いやちょっと元気ないッスねぇ……』と販売を躊躇うような代物を、ものは試しと一つ。そこら辺で適当にちぎった短い水草以外に見えず。端的に表現すると川水を汲んだ時に紛れ込んできたゴミ。
メダカは、黒メダカとヒメダカを四匹ずつ。ホームセンターで安く入手した後者は、池に移す段階で既に半分ほど腹を見せていた。少々高くても、しっかりした所で入手すべきと学習。
これより様子見。鷺草は順調、睡蓮は水が浅いのか、生命力を感じず。
メダカが繁殖するようになったら、金魚も加えようかと考えている某月某日。
七夜月三日
バリウムのせいだろうか、左脇腹が心なし重い。
七夜月二日
脱水症状的に死亡。今年の夏は相性が悪い。
七夜月一日
胃のレントゲン検診。
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