日々、在りしことども



雪見月二十七〜三十一日
過ぎて終わる。室内水槽でも、ヒーターを入れていないので星になる子メダカ有り。エビやミジンコ、ウイローモスは結構元気。

本年のまとめはしない。出来るような中身も無い。趣味で、憧れていた幾つかの植物に手を出した、夏場、何もしていないのに体重が大きく落ちた、髭を剃った、あんまりにも何もしないので時間感覚が大分おかしくなった、本を読む量も減った、等々――つまらぬ。

ただあった、そんな一年。
雪見月二十六日
昨夜遅く、屋外メダカ容器の一つには蓋をしたが、他は合う大きさのものが無く、吹雪いていたこともあり、放置、結果、朝には水上に積雪す。――冬眠、出来ているだろうか?

雪、積もる。夕に車で出るが、ノーマルタイヤだったため滑る滑る。冗談のようなノリで 交通事故を起こすかと思った。
少しでも安全に、と遠回りに八号線を使って帰ろうとするも、乗った途端、八幡方面が微動だにしなくなる。渋滞じゃなく、完全な停止。確実にこの先で誰かがやった。仕方ないので、対向車線のラーメン屋駐車場に突っ込んで、方向を変え帰宅。

雪見月二十五日
夜更けて雪となる。初雪。
雪見月二十一日
冬至。今日と夏の日には、敬虔な何かを胸に覚える。
柚子湯と南瓜は無事に済ます。しかし冬とは思えぬ温い一日。

夜、出る。雨。近所のドラッグストアは開店したばかりで客を掴もうというのか、相変わらず色々安い。立地条件も悪くなく、それなりに繁盛してるのであろう。――目当ての菓子が全て売り切れる程度には。

本、返却。本屋徘徊。先日見かけた黒抜きの金属栞を入手する。猫の切り絵。なかなか良く、ふと栞の収集や自作というものも考える。

未だ年末だという実感の無い穏やかな日。


追記:『フーバニア国異聞』読、楽しめた。
作者の縞田理理氏の名は、時折目にしており、印象深い筆名のせいか、割合頭に残っていた。
内容は正統、中学生ぐらいが楽しむ本。ただ自分は知っている雑知識が内容と絡まって、『このモデルはススキだろうか?』等々、魅力的な架空生物の元ネタなどを考えて一時を幸福に忘れた。
終わってしまっているが、是非続編も出して欲しい。国家的な陰謀などどうでもいいから、不可思議な生態系を巡る日々について書かれた、『フーバニア博物誌』採集日記の如きものを。
雪見月十一〜二十日
時の過ぎるのが早い。実感無く、ただ右上の方で時折頭痛がする。
冬増し、日当たりの良い縁側で読書をすることが増えた。ただ、家では未だ炬燵も出ておらず、氷も張らず、温暖化という無粋を体感している。
クリスマスも正月も無く。ただ、あって過ぎるのみ。
雪見月十日
熱帯睡蓮と鷺草の冬越し支度。

鷺草は下のミズゴケだけを新しいもので敷き直し、イモを再配置。今年のイモは枯れ、新たなのを二三作っているとのことだったが、大きなピーナッツ似のものがごろごろ出てきた。嬉々として二十数個を並べなおす。春頃には採取した種も撒いてみるつもりである。

一方、熱帯睡蓮のドウベンは評判の赤玉土団子にしてみたが、白い根の塊や葉をバッツンバッツン鋏で切り落とし洗ってみたところ、生育不良の山葵のようなちっちゃなものだけになった。――本当に大丈夫だろうか、コレ。
一緒に出てきた親指先サイズの子株だか数個と、袋詰めにして空気を抜き、更に発泡スチロールの箱に仕舞う。確かに場所はとらない。
また、屋外に放置していた葉からのムカゴ株で、植えつけていないものを回収。枯れているものもあったが、既に室内にあるものも合わせ、来年の睡蓮鉢は二桁を越えかねず、困る。ブランデーグラス生育でも試すか?

他、子メダカ小エビを越冬用にちょいとまとめ、源平枝垂れに冬肥や貝殻を与え、本日も終わる。
雪見月九日
小雨。出る。赤玉土を買い帰り、家にたっぷりあるのを見て脱力す。
欲しかった農薬が手頃な値段であったが、農薬に拒絶反応を起こす世代なため、使うか未だ迷う。
雪見月七日
近所の畑で野菜泥棒が出たとか。食うに困った大学生が、鍋の材料に白菜一個、大根一本というような話ではない。トラックでやってきて、しまいには小屋の鍵ををこじ開け、耕運機まで盗んでいくような連中だという。近隣農家が集まって対策を協議したそうだ。

近くでの米泥棒の話も、時折ニュースで見る。治安が悪化しているとも思えぬが、不愉快な話だ。
今でも、日本の安全というものは諸外国から見て信じられない領域にあると思う。そして、治安というものは一朝一夕にどうこうなるものではなく、個々人が日々、考え、為し、人と接し築き続けてゆくもの。そうして出来上がっていく、社会の一つの面であろう。

犯罪者を唾棄し憎悪するのではなく。そもそもそちらに流れが行かぬよう、遥か手前で布石を打ち続ける。
物事大概、本当に大切な部分へと決定的に影響を与えているものは、そもそも関わっているようにすら思えぬところにあるのではないだろうか。そう、悟ったように纏めてみる。
雪見月六日
唐突に冷え込む。気配は雪の雲、雪の風。パイナップルの植木鉢以外にも、冬越し支度の必要を感じる。
雪見月五日
右顎奥の違和感は、大分マシになった。どうも顎関節症というものらしく、日常的な歪んだ姿勢や、噛む力の偏りでなるのだとか。ここ数年、寝っ転がって頭上のディスプレイを覗くため、そろそろ整体とか気になり出してきたし、先日、何を思ったか突然千切りの際に右奥歯を砕けよとばかりに噛み締め続けた。
――色々と心当たりがあるのと無いの。どっちが惨めな人間か?
雪見月四日
えらく温い。
昼、隣町で火事。遠く煙立つのをしばし見る。夜、裏の遠い方の信号で交通事故。
後者は、町の催しの帰宅混雑が関係あるよう。自転車置き場や街灯が、けちったのか消されていた云々と、住民の憤懣の声を聞く。

実感は無いが季節的にはもう師走。他人事と思わず気をつけよう。

『水惑星年代記』読了、完結。味わい深いシリーズだっただけに、残念な気がする。
仕掛けられていたトリックには、全く気付いていなかったため、驚いた。ただ、矛盾は無いのかもしれないが、どうも中途からの後付のようにも感じる。ここでもっと積極的に上手くトリックを仕込み続けていたなら歴史残るようなSFになっていただろうが……まあ、誰もが誰も、そういうものばかり求めている訳でもないだろうから、これで十分だろうか。
少なくとも、私にとってはこれで良い。

もう一度、一冊目から全部読み直した日。
雪見月三日
回転寿司が一皿九十円だというので、食しに行く。大変満足し、何時に無く皿を積み上げ、帰る。
帰路、家族と話す。全員、この前の店の方が、と違う評価を下す。
中には私の評価したポイントで、減点を下していることも。

自分の味覚嗜好が、少数派かもと思い知らされた日。
雪見月二日
晴天。金剛輪寺まで紅葉狩りに行く。幼き頃より幾度も通った場所のはずだが、覚えていないものも多く、微かに記憶と重なるものは、とても小さく縮んでいた。

血染めと名乗るだけあって紅の濃い紅葉と、黄色の紅葉が重なり合って日に透け輝く。
冬桜か、小さな白い花をつけた幾本かの樹がまたその景色に寄り添い、興を深める。
参道両脇には千体の地蔵。古く苔むしてはないが、同じ規格の地蔵が風車を添え、等間隔で延々並び続ける光景は、恐さを持たぬものの一種異界じみていた。

空の青さ、紅葉に透ける光、息染める山の冷気。どれも良し。堪能す。

他、山門仁王像前の大草鞋にはびっしり一円玉が挟み込まれていて、これは足のあかぎれを願う自虐的な呪術かと思うたり、三重塔賽銭箱前に誰かが供えた枝付き松ぼっくりに思わず笑んだり。
冬を余り感じぬ穏やかな一日。
雪見月一日
左手に握った包丁で、左親指をちょっと切る。器用というか間抜けというか、何をどうすればこんな怪我を。
雪待月三十日
寒い。体温が上がらん。 夜、出る。安酒、本気違い。
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